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「どうして駄目なのですか! ……貴方達は其れでも人ですか!」
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)の怒号が響く。
荒ぶる義姉の手を取り、ユウ(
ja0591)はそっと頭を振った。
「……命の重さは平等でも、人は平等たり得ない。……彼らにだって理由がある、そうでしょ?」
そう言って、ユウは今し方拒絶の姿勢を貫いた撃退士に視線をやった。
その視線に、撃退士は肯定を返す。
「解ってくれ。俺だって病気の子供が居て金が必要なんだ。必要最低限以上に危険な事なんて出来やしない。此処にいる奴、皆そうさ。可愛いのは他人よりも自分や身内なんだよ」
誰だって出来る事なら助けてやりたいとは思っている。
だが、それ以上に万が一のリスクを思うと手が出せない。
高額の報酬付き依頼に手を出した彼らには、護らなければならないものが多すぎるのだ。
故に、この場に於いて依頼目標以外の全てを救おうなどという幻想を抱いている学園側撃退士達こそが異端であり異質。
彼ら『金が必要』な撃退士から見れば、組み立てた作戦の全てを壊しかねない危険な存在。
其れでも学園側の撃退士を排除しようとしないのは、目前に迫るヴァニタスの脅威と、人としての良心が其れを咎めるからだ。
「……私は、私達は、撃退士である前に人です。人として、恥ずべき行いはしたくありません」
しかし、神城 朔耶(
ja5843)にとっては彼らの事情など知った事ではない。
心中は察するし理解もする。
その上でそれらを悉く否定する。
命を助ける為に、別の命を犠牲にする事を前提とした作戦など、認める訳にはいかないのだ。
「(……あの時は護れませんでした。ですが、今回は必ず護って見せます……!)」
敵の初撃に割り込み護るには、最早間に合わない森野 百合(jz0128)の背を見つめ。
彼女が重傷の身でヴァニタスの攻撃を避けるという奇蹟を祈りながら。
朔耶は『神の兵士』を活性化し、その時を待つのだった。
建物の陰に隠れながら、神月 熾弦(
ja0358)と機嶋 結(
ja0725)は機を窺っていた。
敵のヴァニタス・ポチの嘆きを聞きながら。
熾弦は複雑な想いを抱えるに至った。
議員の娘だけを助け、その他の全てを見捨てようとしている撃退士達の心境に。
其れを嘲笑ったはぐれ悪魔の言葉に。
受け入れる訳にはいかない冥魔の悲哀に。
「(……他の方を助けるな、とは言われていませんしね)」
誰がなんと言おうとも、全ての子供を救いきってみせる、そう言い聞かせて。
芦屋にも、神戸にも、まだ多くの人々が取り残されている。
こんな所で立ち止まっている訳にはいかないのだ、と。
「……気持ち悪い」
ぽつり、と結は呟いた。
子供達を見据えながら。
重なる影は過去の幻影。
どんなに言い聞かせても、両親を亡くしたあの日を思い出す。
「(あの子達は運が悪かった)」
其の思いは、或いは自分に対しての自己暗示だろうか。
巡る思考は混濁し、考えが纏まらない。
心配した熾弦がそっと結の背を撫でたが、其れを固辞し、気持ちを切り替える。
「大丈夫です、心配には及びませんのでお気になさらずに」
同行者を過度に信用してはいけない。
結は過去の依頼でそう学んだ。
「(……虎鉄教諭の仇でもありましたね。主と、同じ地獄へ引導を渡してあげましょう、か)」
結は猛るヴァニタスの背を睨みながら、その時を待つのだった。
ファティナが拒否されたのと同じように、樋渡・沙耶(
ja0770)の提案もまた、拒絶されていた。
百合が殺害された後、正面に控える撃退士の部隊が徐々に後退しヴァニタスを引き付ける。
救出対象と充分に距離が取れた所で狙撃し、其れを別働隊の鬼道忍軍が救出するのだ、と。
何も知らないのは百合と学園側撃退士だけなのだ、と。
依頼内容を加味し、安全策を採るのであれば其の判断は充分に正しいと言えるだろう。
人の命を駒とみているかの如き作戦の、倫理的な問題は考えないとして。
しかし沙耶は其れを受け入れた。
「(命を張って護ろうとした子供達を護らないで、百合さんを護るだなんて、私達のエゴ……)」
屋上に腹這いになって、スナイパーライフルの照準を合わせる。
「天使、悪魔、人間……。私にとっては、そんな事、どうでもいい……。私は偶然、人間に産まれ、貴方達は偶然、悪魔に産まれた……。そんな確率論で敵対する程、幼稚ではない……」
故に、
「でも、私の前に立つなら、悪魔でも天使でも人間でも……いるなら、神でも。否定、してあげる」
「やっぱりね、結局はこうなるのか。ボクは言ったよ? 一人以外の全てを見捨てれば済む簡単な話だって」
芦屋ゲート近郊、某所屋上にて。
「他者の為と言いつつ、その実、彼女達は全て自分本位なのさ。だってそうだろ? 彼女達の我儘で、他人の意思を捻り潰そうって言うんだからさ」
はぐれ悪魔クローディアは、撃退士達の葛藤を面白そうに眺めている。
「『金』が必要な其の理由を考えてみようともしない。其れでいて物事の本質を見失い、独善的なやりたい事のみを押し通そうとする。最高の偽善だね。そうは思わないかい、アンネリーゼ?」
そう言って、眼前に対峙するヴァニタス・アンネリーゼに問いかける。
「……裏切り者と話す事は、ない。やるの? やらないの? 返答次第で相手になる」
しかしヴァニタスは聞く耳持たず、既に臨戦態勢だ。
「ボクはヤる気はないよ。怪我はしたくないしね。其れに、君だって今日は戦う為に来てるんじゃないだろ? だったら一緒に観劇しないかい? この喜劇を、さ」
クローディアは戦意は無いとばかりに両手を上げると、休戦を提案し相手の真意を探ろうとする。
アンネリーゼも、元より偶然鉢合わせただけだ。
其の提案を飲むと、眼下の景色に視線を戻した。
「……貴女のそういう所、好きよ」
「あはは、ありがとう。だけど、浮気はしないからね」
●
「……我が主、リルティにあの世で詫びいれろや!」
ヴァニタス・ポチの凶刃が振り下ろされた。
真っ直ぐに、百合の頭へと。
ぐしゃり、と直撃する。
無残に潰れた死体がひとつ、地に転がった――、
「……いつから其れがあたしだと勘違いしていた?」
かに思えた其れは、空蝉によって作り出された幻影。
中身である本体の百合は、着ていた服を生贄に捧げ、危機を脱したのだ。
真っ白なさらしと、漢らしい褌が浜風に揺れる。
褌には、『エル命』と書かれていた。
「くっ、まさかこんな所で強制露出プレイの憂き目にあうとは……! こんな事なら勝負パンツ履いとけばよかった!」
問題点は其処なのか!?
流石に考えなしで敵に突っ込むほど愚かではなかった百合は、愛用の小太刀を二本顕現させると子供達を捕えているアルラウネに向かって放り投げた。
「幼女ッ! 幼女ッ! 幼女ッ! いえす、うぃーきゃんっ!」
一本は明後日の方向に、一本は見事敵の胴を捉え、斬り裂いた。
そうして、振り返りとてもいい笑顔でサムズアップ。
おい、武器防具なくなったぞどーすんだ。
前言撤回、やっぱり何も考えてませんでした、この人。
しかして百合のこの行動は、その場に居た敵・味方含む全員にとって想定外のものとなった。
組み立てられていた作戦が崩壊していく。
なし崩し的に、引っ張られる形で。
一番早く行動に出たのは沙耶だ。
本来の彼女の得意な武器は銃ではない。
万が一外れた時の事を考えると、引き金を引く手に迷いが生まれる。
銃身が、浜風による強風と身体を駆け廻る血の鼓動でブレる。
だが、やらなければこの戦場の状況を好転させる事は出来ない。
こんな時、自分の恋人ならどう撃つだろうか?
脳裏に残る其の姿を追い、模倣し、撃ち貫く。
狙うは中央、依頼達成目標である議員の娘を捕えたアルラウネ。
渾身の一発を、解き放った。
――ターンッ!
乾いた発砲音が木霊する。
蒼天を駆ける魔弾は螺旋を描き、獲物に飛来する。
狙い違わず、逃さず、確実な破滅を結果として刻み込む。
頭部の左半分を穿たれた魔の花は、音も無く頽れた。
囚われていた少女が、ぱたり、と地面に放り出される。
一瞬、時が止まったかのように静まり返った。
「……何をしているの? 撃って」
沙耶が近くに控えるインフィルトレイター達に援護射撃を促す。
そう、既に賽は投げられた。
解放された少女を、安全に回収しなければならない。
四名の撃退士による一斉狙撃。
三発が命中し、敵を無に帰す。
此処にきて不動だったアルラウネ達が敵の強襲に浮き足立ち、本体から生えた蔓がゆらゆらと動き始めた。
其れは、逃げるにあたって邪魔になるであろう、子供達へと伸びていき――、
「其れだけはさせません、絶対に」
純白の槍を無尽光で練り上げた熾弦が建物の影から躍り出て、渾身の其れを真横から擲った。
神威を振る槍は咆哮を唸らせ、敵を次々と刺し穿っていく。
駆け抜けた後に残るは、無残に散った魔の花の花弁。
解放された子供達が、地面に投げ出されていた。
残るは二体。
控えていた結も飛び出し、フォースの一撃を以て一体を打ち倒す。
進路は確保された。
鬼道忍軍が駆け、議員の娘を抱きかかえると戦線の離脱にかかる。
最奥にいたアルラウネからは、その蔓も届かない。
懸念すべきは、能力がいまいち解らないヴァニタスだが、
「今です、前線ラインを上げてポチの目を逸らして! でないと貴方達の重視する娘さんの命も危ないですよ!」
ファティナの号令と共に、仕方なく前衛達がヴァニタスに殺到する。
包囲網は敷かれた。
経緯はどうであれ、結論的には学園側撃退士にとって望むべくもない状況で戦況は動いていった。
残された最後のアルラウネの挙動以外は。
●
「狼狽えるなや! 約束したやろが、リルティの名を穢すなや!」
振り返ったポチの一喝で、アルラウネの動きが止まった。
其の機を逃す事無く、沙耶の弾丸が最後の一体を射抜き、見事殲滅を果たす。
背を見せたポチには、撃退士達の集中砲火が襲いかかった。
「殺して、殺されて、誰かが悲しむ……。そんな世界でなければ……お互い憎まずに済んだのかもしれないのですにね……」
ファティナの『異界の魔手』がポチの動きを止め、
「……寂しいね、ポチ。けど、もうすぐご主人様に会える。そしたら二人は永遠にいっしょ」
ユウの『凍吹迅風』が意識を絡み取り、結の『フォース』が身を貫き、ルインズブレイド達の『アーク』が突き刺さり、ディバインブレイド達の『パールクラッシュ』が炸裂する。
其の間に熾弦はスキルを入れ替え、朔耶はほぼ武装無しの百合に駆け寄ると、『神の兵士』の対象に指定した。
朔耶がポチと百合の間に割り込むように、背に庇い絶対守護の意思を見せる。
「貴方がどれだけ主を大切に想っていたか……私にはよくわかりません。でも……今回のことが主の事を想ってのことであるなら其れは相当なものなのでしょうね……」
哀れむように、朔耶は続ける。
「だからこそ問います。何故、こうなる前に止められなかったのですか?」
ポチの気持ちも解ってしまうから。
「せやけど、生きるいうんは難しい事なんや……。どうしようもあらへん事はいくらでもある。わいは……わいはどないしたらよかったんや!」
理不尽に満ち溢れたこの世界だからこそ。
やり場のない怒りを、どうしようもない想いを、こういった形でしか晴らす事ができない。
壊れてしまったものは二度と還らない。
後悔しても後悔しきれないその憤りの無さが、ポチを復讐に駆り立てる。
振り上げられた拳に集った黒い焔は、今もてるヴァニタスの全力。
傷だらけの身体で尚、執念を果たそうと拳を上げる。
だが、朔耶はどかない。
彼女は護ると決めたのだ。
芦屋の時のような想いは、もう二度としないと。
――ターンッ!
沙耶の第三射。
振り上げられた拳を狙って撃たれた其れは命中し、大きく威力を削ぐ。
それでも、振り下ろす。
憎い仇に届けと、朔耶ごと百合を貫くように。
「絶対に退きません!」
生身の朔耶に、ポチの爪が刺さった。
しかし其れよりも早く、結の剣がポチの喉元を貫き、其の命を奪っていた。
「二人仲良く……私の、糧になってもらいます……よっ!」
死に際に、本当の仇の正体を知り。
ポチの身体は、力無く倒れ伏した。
熾弦が駆け寄り、朔耶に手当を施す。
「いやぁ……一時はどうなるかと思ったけど、まぁ、うんよかったよかっ……あ、立ちくらみ」
庇われていた百合は緊張の糸が切れたのか、やってきたファティナに身体を預けるように意識を失った。
元より重傷者だ、仕方ない。
「まったく、心配ばかりさせてくれますね。でも、よくやってくれました」
ファティナは百合を味方の撃退士に預けると、ポチの遺体に黙祷を捧げる。
「せめて、主と共に安らかにあれ」
「……遺体は貰っていく。手出しはしないで」
アンネリーゼが立ち上がった。
「へぇ、君がね。じゃあ、ボクは少し君達が今、芦屋でやってる事を見させてもらおうかな?」
クローディアも立ち、芦屋ゲートを見やる。
「……構わない。どうせ止められない」
ヴァニタスは其れを是とすると、下界に向かって降り立っていった。
其れを見送ったクローディアは、翼を広げると芦屋ゲートへと突入を開始した。
現金なもので、議員の娘を回収した撃退士達は次々と撤退した。
学園側撃退士達と、子供達を残して。
「私達も戻りましょうか」
熾弦が子供を抱えあげ、帰還を促したところで、
「……其処まで。動かないで、狙ってる」
銀髪を靡かせ、ヴァニタス・アンネリーゼが降り立った。
手に煉獄の炎を顕現させ、子供達に向ける。
撃退士の動きが止まった。
ユウが口を開く。
「……目的は何?」
その周囲には、凍てついた無尽光が舞っている。
万が一の場合は、子供達を見捨ててでも、と。
ユウにはその覚悟がある。
「……其処のヴァニタスの遺骸を貰い受けにきた。邪魔しないのなら、何もしない」
注意深く様子を探るユウと、臨戦態勢に入る結をファティナが止め、アンネリーゼに回収を促した。
「どうぞ。私達には必要ありませんから。でも、一つだけ聞かせてください。……一緒に弔ってあげるのですか?」
アンネリーゼは無言を以て其れに答えると、ポチの遺体を担ぎ、芦屋へと還っていった。
屋上から其の様子を見ていた沙耶は銃身を下げ、狙撃を諦めた。
かくして、ヴァニタス・ポチの復讐は幕を閉じた。
ゆらゆらと炎が燃え、二つを一つにしていく。
遺体の一部をポチに食われた悪魔・リルティの残りと、最後まで彼女の僕として戦ったヴァニタス・ポチが一塊の灰となっていく。
燃え尽き、残った灰をかき集めたアンネリーゼは、芦屋の海へと其れを流した。
「……灰は灰に、塵は塵に。貴方達の魂に安寧を」
寒々しい風が一陣、芦屋を駆け抜けていった。