●疑惑
紅い天と、蒼い海の二極化された水平線が幻想的な異世界を紡ぐ。
外界と切り離された芦屋のゲートは、他のものに比べると随分と海寄りに建てられており、支配領域がかなり余っているように感じられた。
通常ならば支配領域を万遍なく有効的に使う為に、それなりの場所が選ばれる可能性が高い。
事実、両隣はまさしくそんな位置に設置されている。
そんな些細な違和感を抱きながらも、西宮ゲート沿岸部制圧班の助力により阪神高速5号湾岸線から突入した撃退士達は芦屋市総合公園を制圧。
其処を本陣とし、各地へと部隊を送る。
北を山、南を海、東西を敵のゲート支配領域に囲まれた芦屋は、他のエリアの戦況次第では完全な死地となり、万が一の為の退路確保は最優先事項だ。
また、其の為、各地の戦況によっては攻略途中であったとしても撤退を優先させなければならない場合もあり、効率的な情報網の構築も必要不可欠であった。
芦屋ゲートに於いてそれらを担当するのが、櫟 諏訪(
ja1215)と結城 馨(
ja0037)である。
「では、自分が現地へ赴きますから、本陣で各部隊への指示・連絡はお願いしましたよー?」
ぴょこぴょことあほ毛を揺らしながら諏訪。
「はい、諏訪さんもお気をつけて。よろしくお願いしますね」
其れに応える馨は本陣待機だ。
本来ならば団地へ赴き、屋上などから戦況を管理、情報を各部隊に落とし込みたかったのだが、携帯用の光信機では有効範囲が半径1km程しかない。
想定する作戦を遂行するには、どうしても本陣に設置する大型の光信機を使用する必要がある。
と、あればどちらかが待機し、各所への連絡をする役割を担わねばならず、結果、諏訪が現地へ赴き、馨が本陣にて地図と情報の管理をする事となったのだ。
戦況は思わしくない。
そもそも、ゲートの入り口があると推定される場所が、厄介なことに集合団地なのだ。
一棟一棟、一部屋一部屋を虱潰しに探る事になりかねない物量と速度、そしてある種、運に頼る事になる作戦だ。
効率面で見ても当然と言える。
「まぁ、あたしに任せなさいって。速攻で探し出してきてあげるから♪」
と、自信満々に請け負うのは森野 百合(jz0128)。
今回の作戦では様々な点から、ゲート破壊班の面々は都合四班の戦力に分けられており、百合はその内の一つに所属している。
「わふっ、任せてくださいなのですよ♪ 突撃記者として腕がなるのです♪」
そう言って百合の隣に陣取るドラグレイ・ミストダスト(
ja0664)。
だが、本心では不穏な何かを感じ取ってはいた。
「(嫌な予感がするのです……、杞憂だと良いのですが……)」
そんなドラグレイ、見た目は美少女だが、実は男の娘である。
そうして、百合は美少女や男の娘は大好物なのだ。
必然的に餌食となる。
作戦前にセクハラタイムだ。
「どれどれ、あたしも突撃記者に突撃してみなければ……!」
「わ、わふぅ、やめてほしいですよ!」
逃げるドラグレイ、追う百合。
更に食指は伸びる。
同じく男の娘、権現堂 幸桜(
ja3264)である。
彼もまた、ゲート破壊班だ。
「うわっ、森野さんやめてください! ぼ、僕、抱きつかれると……あうぅ……」
女性抵抗力皆無の幸桜は、異性に弱い。
抱きつかれるだけで卒倒モノだ。
其れをいい事にマイペースにやりたい放題である。
マイペースと言えば、同じ班の神喰 朔桜(
ja2099)もそうだ。
正直な話、『ラインの乙女』自体、さして興味がない。
友人であるエレオノーレ(jz0046)が護るモノの為に戦うと言ったから。
ただ、その手伝いをしてやりたかったから来たのだ。
そんな百合達を、水無月 神奈(
ja0914)と機嶋 結(
ja0725)は冷ややかな視線を以て眺めていた。
神奈は家族を悪魔の手により惨殺され、天涯孤独の身となった。
悪魔に対する憎悪を忘れた事は無い。
其の憎悪は、悪魔と交友を持つ者にも向けられる。
はぐれ悪魔たるエルと交流のある百合もその対象だ。
穢らわしい存在に見えて仕方がない。
結もまた、悪魔に全てを奪われた一人である。
先に元教師によって出されたはぐれ悪魔討伐依頼に於いて、仲間達を裏切り、エルを救助した百合を敵視している。
其れも仕方のない事だ。
エルと百合の所為で多くの撃退士が死したのだ。
結としては信じられない蛮行である。
「遊んでいないで準備してはどうですか? それとも、また私達を裏切り悪魔に手を貸すつもりですか?」
緊張感に欠ける百合に、ちくりと嫌味を言う。
押し黙る百合を後に、結は団地へと進軍を開始した。
その後ろに、話す事は何もないとばかりに神奈も続く。
確かに、今は時間が惜しい。
班内の人間関係はどうあれ、目的は同じはずだ。
ゲート破壊班は結を先頭に、戦地へと向かうのだった。
「足元に群がる意地汚い家畜共。土足であたしの城に踏み込んできたわね。いいわ、一匹残らず殺してやる。こんな雑魚共、あたし一人で充分よ!」
とある団地の最上階。
悪魔リルティは撃退士の布陣を俯瞰し、激怒した。
まさしく、砂糖に群がる蟻のように、わらわらと隊列を為し向かってくる。
嫌悪感を抱きながらも、笑いが止まらない。
漸く、鬱憤をぶつける事ができるのだ。
どうやって潰してやろうかと考えると、愉しくて仕方ない。
隣で命令を待つラミアにゲート周辺の警備を任せると、リルティは一人、部屋を出た。
「さぁ、狩りの時間よ」
「……速過ぎる。数も多い。何処かで情報が洩れていた?」
某ビル屋上。
ヴァニタス・アンネリーゼは疑問を抱いた。
ゲートの展開から半日と経たずして、多くの戦力が敵側に結集。
こうして攻めてきた事に。
ゲート作成段階でばれていたような気配はない。
と、するならば誰かが情報を横流しした可能性が疑えなくもない。
しかし、今は其の可能性を追うよりも、目の前の敵を追い払う事に専念すべきだ。
「……リルティは防衛、か。全体が視えてない。……フォローする」
アンネリーゼは主たる悪魔にリルティの監視を命じられていたが、当のリルティは冷静さを欠き、ゲートのある建物で防御に徹する構えのようだ。
しかし、其れでは沿岸部を制圧されてしまう。
ゲートを作る本来の目的は魂の収集に在り、いくらコアを護りきろうとも材料を奪われてしまっては全く意味をなさない。
故に、どちらがアルトゥールの為になるか、を鑑みてアンネリーゼは『ラインの乙女』作戦の主目的維持を最優先とした。
転身すると、沿岸部へ向かう。
最善手を打つ為に。
●孤軍
撃退士側本陣の西側対岸には工場が集中している所為か、比較的大きな船が停泊できるようになっている。
此処を制圧できれば、多くの一般人を一気に輸送する事が可能になる。
それだけに重要な地点とも言える。
沿岸部制圧班は六道 鈴音(
ja4192)の指揮の元、現地の制圧と市街地及び本陣とのルート維持に努めていた。
大きな建物ばかりで道も広く、視界が開けている為か戦況は好調だ。
其れは、班の連絡係りを務める牧野 穂鳥(
ja2029)に入る情報からも順調な様子が見て取れる。
完全制圧も時間の問題だろう、そう思われた矢先、戦場に二度、爆発音が轟いた。
その方角に目をやれば、港と本陣を結ぶ最短ルートたる県道と湾岸線の一部が崩落していくところだった。
次いで、本陣に居る馨から連絡が入る。
「大変です、県道と湾岸線ルートを維持していた沿岸部制圧班の一隊が壊滅しました。其処から見えているかもしれませんが、道路の一部が破壊され、通行できなくなりました」
これでは一旦市街地に出て、大きく遠回りしなければならない。
悪いニュースは其れだけではない。
撃退士達を壊滅させ道路を寸断させたのは、どうやら敵のヴァニタスらしい。
しかも、其れが穂鳥達の居る場所に向かっている可能性が高いと言うのだ。
穂鳥から其の事実を知らされた鈴音の判断は早かった。
「総員、撤収準備! なるべく引き付けてゲート部隊を楽にさせたいところだけど……、命は無駄にできないです。一度、仲間と合流して機会を窺いましょう」
戦線の放棄を決定すると、部隊を纏めて本隊との合流を計る。
そうして、ヴァニタスが出たと言う東方面から遠ざかるように西側から回ると、北にある脱出路を目指して撤退を始めた。
だが、三度目の爆発で絶望する事となる。
その方角は、まさしく北。
退路が断たれたという焦燥感。
残る道は湾岸線を西側に出て、一旦神戸ゲートに侵入し、そこから陸路で芦屋ゲートに戻るしかない。
或いは、海に飛び込み、泳いで対岸まで出るか。
どちらにせよ、実質船による一般人の救出作戦は、ほぼ無力化されてしまった形になる。
いくら港を制圧しても、市街地への道が閉ざされてしまった今、大量輸送は難しいだろう。
「……どうしますか? このままでは私達は……」
心に渦巻く不安を体現したかのように、穂鳥のサイドテールにした髪が浜風に揺れる。
其の不安は、鈴音にも共通するものだ。
敵は確実にこちらの行動を読んできている。
このまま西側に出ようとした場合、また何かしらの罠が控えている可能性もある。
しかし、全員で海に飛び込むのも現実的ではない。
泳ぎが下手な者もいるだろうし、何よりもそんな時に敵に襲われればひとたまりもない。
鈴音と穂鳥は悩んだ末に西側へ抜ける事を決めると、馨に連絡を入れ、
――ドォォォォンッ!
四度目の爆発で完全に孤島と化した事を理解した。
「拙いですねー? どうやら敵には相当陰湿な奴がいるみたいですよー。それで、彼女達はどうすると言っていましたかー?」
連絡を受けた諏訪が、馨に現状の確認をする。
「泳ぐ距離が一番短いと思われる北側に抜けて、市街地に出ると言っています」
そのまま現場に留まるには余りにもリスキーだからだ。
「なるほどー。北側に一番近い遊撃班の方はどなたですかー?」
と、あれば誰かに撤退支援に行ってもらわねばならないだろう。
「君田 夢野(
ja0561)さん率いる部隊ですね」
「おお、あの交響撃団の夢野さんですかー? 確か、千鶴さんもいましたねー。自分の友人ですし、その位置なら此処からでも連絡が届きますねー。ちょっと、お願いしてみますー」
きっと彼らならば向かってくれるだろう。
諏訪は馨との交信を終えると、夢野達の班が持つ光信機を呼び出した。
「結構集まったな。この辺一帯はこれで終わりだろうか?」
夢野は集められた一般人達を振り返ると一息ついた。
彼の提唱した遊撃人員による一般人捜索隊編成は功を奏し、順調に救出活動が進んでいる。
夏木 夕乃(
ja9092)が小さな子供に魂縛した後、地図を確認して肯いた。
「そうっすね。目ぼしい建物は終わったはずっすよ」
地図に、色分けされた文字が躍る。
夢野は其れを隣で確認しながら、横目でちらりと夕乃が処置を施した子供を見る。
意識を失っていても、ぎゅっと手に握られた玩具を離さない。
確か、有名な変身ヒーローのものだ。
きっと、この子の憧れなのだろう。
如何ともし難い想いに駆られる。
「(……護ってみせる、君達の夢を。俺が、必ず……!)」
自分と同じような境遇の子供を、これ以上増やすわけにはいかないのだ。
芦屋解放への想いを更に強くする。
とは言え、この戦いに参加する面々全てに共通して言える願いでもあるのだが。
「後方支援隊への連絡が終わりましたよ。来てくれるそうです。では、私達は他の班に任せて次の区画に向かいましょうか」
柔らかな笑顔を絶やさない男、石田 神楽(
ja4485)が本陣との連絡を終えやってきた。
ちまちまと数名づつ移動させるよりは、まとめて移動させた方がリスクが少ないだろうと言う判断だ。
この案も上手く機能し、戦況を好転させる要因の一つとなっている。
「と、夢野さん、諏訪さんから連絡っすよ。代わって欲しいそうっす」
そんな中、諏訪から沿岸部制圧班の危急と援護要請が齎された。
相手はヴァニタス、勝ち目はないかもしれないし、命だって危ないかもしれない。
しかし、仲間を見捨てる訳にもいかない。
「どうするもこうするもないよ。いかな存在だろうと、人に仇為す者は滅するのみだよ。相手がヴァニタスだろうが変わらない」
と、鳳 覚羅(
ja0562)はやる気だ。
其れに、仲間をすら護れない者が、一般人を護れるはずがない。
「君田さん、行こか。悩む理由なんて、あらへんやろ?」
そういって、神楽の隣に立つ宇田川 千鶴(
ja1613)も背中を押す。
皆、危険は承知の上で、助けるべし、と叫ぶのだ。
「解った、ありがとう……。行こう、仲間を助けに!」
こうして、夢野達は取り残された鈴音達の救援に向けて走り出した。
●発覚
白と茶のツートンカラーの建物群の合間を、独りの少女が飛ぶ。
どこぞの怪盗のように器用に鉤つきロープを引っかけ、移動するのは並木坂・マオ(
ja0317)だ。
流石に中空を行くだけあって、ディアボロに捕捉される事は少ない。
たまに、窓から中を覗いた拍子に顔を突き合わせる事があるが、その程度だ。
マオ以外のゲート破壊班は全て十人単位でチームを組み、内部から捜索にあたっている。
其の中で、単独でこういった偵察任務をこなすのはかなりの危険が伴うが、マオ自身は敵の物量に対抗する為に止む無し、と割り切っていた。
万が一自分が犠牲になっても、囮となるならばそれも良い、と。
マオなりに個よりも全体としての成果を優先した結果がこれである。
しかし、それ故に一番危険な場所にあると言えた。
どうしても目立つのだ、その行動は。
そうして彼女は足を踏み入れた。
悪魔リルティが待ち構える白亜の塔に。
「うろちょろとしてんじゃないわよ、この汚らわしい鼠! あたしの城に来たことを後悔しながら逝きなさい!」
マオの頭上から居丈高な声が響く。
気が付いた時には既に遅い。
雷を纏った断罪の槍がマオの身体を貫く。
逃げ場もなく、助けもなく、一人、奈落の底へと堕ちていく。
鮮血をまき散らしながら。
周囲に、悪魔の嘲笑が響いた。
「今の光は……! 馨さん、南側奥から数えて三つ目の棟には誰が行ってましたかー?」
真昼の稲光を、諏訪はしっかりと目撃した。
戦局を地図で管理する馨が、マオ単独であると答える。
「事前の情報ですと、確か悪魔とヴァニタスが一体ずつでしたよね? ヴァニタスが沿岸部で遊撃に出てるとなると、此処に悪魔が居るという事は……、そういう事でしょうか?」
「はい、その棟で悪魔がゲートを防衛している可能性が高いですよー? 今すぐ他のゲート破壊班も向かわせてくださいー。それと、マオさんの救助もお願いしますー」
事態が動き始めた。
マオの犠牲により、戦局が大きく動き出す。
ゲートを巡る攻防戦が、いよいよ本格始動しようとしていた。
「いてて……、すみません、助かります」
後方支援隊、要するに本陣の馨の隣では、南雲 輝瑠(
ja1738)が治療を受けていた。
前回の依頼での傷が癒えきっていない状況下で参加した為、先に治癒しなければ前線へと出られなかったのだ。
それだけ、今回の作戦に対しての思い入れが強かったのだろう。
「あら、輝瑠さん、怪我の具合はもういいんですか?」
馨が心配して尋ねる。
「いや、何時までも此処には居られませんよ。俺も全力で頑張らないと。皆を生きて帰したいんです」
大丈夫だ、とばかりに立ち上がると完治をアピールする。
「なら、すみませんがマオさんを助け出してきてくれませんか? 他の後方支援班の方は夢野さん達が指示したポイントに一般人の収容に向かってしまって、出払ってるんです」
遊撃班の活躍もあり、治療隊はアストラルヴァンガード以外は全員不在だ。
心得たとばかりに輝瑠は請負うと、怪我人収容の為に最前線へと駆けだした。
「C班とD班が突入したらしい。B班も向かっているそうだ。俺達も急ごう」
連絡を受けた龍崎海(
ja0565)が仲間を急かし、階下へと向かう。
一棟検査するだけでもかなりの時間がかかったし、消耗もした。
やはり、室内戦ではラミアのような柔軟性のある敵に利がある。
廊下などでの遭遇戦はそうでもなかったのだが、やはり障害物があるときついものがあった。
神奈の提示した作戦も着眼こそよかったものの、必要な情報の収集に時間がかかったのが残念である。
悪魔との密約以降、撃退士側が調査したにも関わらずゲート生成の痕跡を見つけられなかった事に対し、悪魔崇拝をする人間側協力者の存在を疑った。
其処で、ここ一ヶ月の入居者の入れ替えなどの記録を神奈が請求したのだ。
しかし、複数、或いは同一名義での住人の入れ替えが数ヶ所に渡って確認され、実際には検査すべき部屋の数が減った程度でしかなかった。
また、それも確実とは言えず、下手したらもっと前から準備されていた可能性もあり、見落としも懸念されて然るべきものである。
そんな中で、悪魔がゲートに籠らず、馬鹿みたいに姿を見せてきたのはある意味幸運と言えた。
「ちなみにその棟でここ最近の入居者の入れ替えはありますか?」
突入に際して、幸桜と神城 朔耶(
ja5843)が仲間の傷を癒す中、佐藤 としお(
ja2489)が尋ねる。
出来れば悪魔との交戦は極力避け、ゲートを素早く破壊したい。
その上で、ひょっとしたら場所特定の目安になるかもしれない、と。
剣魂で自身の傷の回復に努める神奈に代わって資料を受け取った月臣 朔羅(
ja0820)がぱらぱらとページを捲り、
「二階に一部屋、五階にもう一部屋の計二部屋ね」
と場所の確認を行う。
ひとまず、A班はその二部屋に向かう事を当面の方針として決めた。
傷の手当と準備を終えたA班に、B班の面々が合流する。
C、D班突入から遅れる事15分弱、馨に突入の旨を連絡すると、悪魔の待つ塔の中へと入っていった。
●煉獄
「悪い知らせだよ。列車内の人質が数名、死亡したみたい。後、敵は肉体の復元能力があるみたいだね」
桐原 雅(
ja1822)が、隣の駅である香櫨園から齎された西宮に於けるデモニックトレイン対応班の惨状を伝えた。
確かに考えてみれば、運転士が乗車しているのは当然である。
先頭車両に人質が乗せられていたのは不運だったとしか言いようがないが。
いずれにしても、先の失敗から学ばなくてはならない。
西宮の情報提供に感謝しつつ、具体的な策を練る。
「そうですか、人質が……。全員助けたかったのですが、無念ですね……」
イアン・J・アルビス(
ja0084)は死者を出さずに全員の解放を目的としていただけに、意気消沈した。
哀悼の意を表しながら作戦の手はずを再度確認する。
イアンと共にトレイン対応A班に所属する風鳥 暦(
ja1672)もまた、目的を同じくしていた為、残念そうではあるが幾分かは冷静だ。
「……再生するっていうのが厄介だよね。何か秘密があるんだろうか? まさか無限再生って訳でもないだろうし」
A班は敵増援部隊の食い止めを主任務とする。
デモニックトレインの謎を探るのは、必然的に列車攻撃を担当する事になるB2班のギィネシアヌ(
ja5565)と雅の領分になる。
雪室 チルル(
ja0220)のB1班は、車両内部に突入して人質の救出を担当するのだが、これについても西宮から情報が提供されていた。
「西宮の班は突入した際、車両内部にいた予備戦力に囲まれて壊滅したみたいだよ。これも注意しておいて」
特攻はチルルの得意分野であるが、流石に即堕ちは避けたいところだ。
人質の命運を握っている以上、慎重に越した事は無い。
これに関しては、『鋭敏聴覚』と『生命探知』を用いて人質の位置を把握してから突入する事で合意した。
最初の芦屋通過は、打出駅周辺の敵を掃討し、敵に増援が必要だと思わせる状況を作っている最中で間に合わなかった。
ゲート侵入経路が駅から遠く、到着まで時間がかかった所為もあるが。
今度は逃す訳にはいかない。
イアン達は静かに西宮からの連絡を待った。
炎の雨が降る。
何もかもを灰と化す煉獄の炎が。
止まぬ魔炎は撃退士に降り注ぎ、一人、また一人と仕留めていった。
「走って! 皆さん、逃げてください!」
穂鳥の悲痛な叫びが木霊する。
北へと向かう最中に敵の襲撃を受けたのだ。
ヴァニタスの肩口で切り揃えられた銀髪が、ツーサイドアップに纏められ揺れている。
右が緋色、左が翠の珍しいオッドアイだ。
しかし、その外見と扱う炎は、自分達に近しい誰かを想像せずにはいられなかった。
だが、そんな事を考えている余裕は、今はない。
逃げるのが最優先事項だ。
必死に走るが、どこに居たのか行く道全てがディアボロで塞がれ、どんどん南へ追い込まれていく。
多分、あのヴァニタスが指揮しているのだろう。
どうしようもない絶望感が胸を支配する。
「諦めないで! 自分に出来るベストを尽くして!」
それでも鈴音は仲間を叱咤し、生きようと吼えるのだ。
少しでも足止めしようと、振り返り様に雷撃の刃を放つ。
六道家に伝わる技の一つだ。
避ける事すら許さぬ雷の刃が、アンネリーゼを捉えたが、
「……ぬるい」
彼女の顕現させた炎の渦に飲まれ、掻き消えた。
直後、ヴァニタスの頭上に燃え盛る炎弾が生成される。
「だめっ! 皆、伏せてっ!」
警告を発するが、遅い。
弾けた火球は雨となり降り注ぐ。
反抗した事に対する罰だと言わんばかりに、無慈悲な焔はその熱を以て全てを浄化する。
穂鳥の障壁が、無残に砕けた。
魔法職であるダアトの二人だったが、魔法合戦では同じく魔法を得意とするアンネリーゼの方に分があった。
其れに、周囲をディアボロ達に包囲されてしまった。
逃げ場など、最早何処にもなかったのだ。
「……ばいばい」
炎が爆ぜた。
「これくらいなら、いけなくない?」
破壊された県道を見て、覚羅が言った。
確かに5m程度の大きな穴が開いており、一般人や車などは確実に通行不能だろう。
しかし、撃退士は別だ。
走り幅跳びの要領で飛び越せなくもない。
助走をつけると、全力で跳躍する。
飛び出す時に下さえ見なければ、案外といけるものだ。
まぁ、落ちても海だから、そう大した問題でもないが。
「なんだ、余裕じゃないか。おいでよ、大丈夫だから」
先行した覚羅が手を振る。
それじゃあ、と夢野が続き、神楽も倣う。
そうして、女性陣を振り返る。
が、少女達、暫し不動。
何かに気が付いた神楽が対岸に戻ると、そのまま千鶴を抱え、いつものように微笑んだ。
お姫様抱っこである。
「ちょ、神楽さん、なにすんねん!?」
「いえ、察しが悪くてすみません」
そう言うと、そのままの姿勢で助走をつけ、飛び越える。
此処に来て夢野も悟った。
「……そう言う事か」
「はい、そう言う事です」
「ええから、はよ降ろして!?」
ちらり、と夕乃を見る。
「い、いや、自分はいいっすよ!? ちょっ、本当に大丈夫っすから!?」
つまり、そういう事である。
夢野達が現場に到着した時には、沿岸部制圧班で立っている者は既にいなかった。
嘆く夢野達の前に、アンネリーゼが立つ。
彼らもまた、ヴァニタスの容姿に驚いた。
驚きはしたが、深く考える前に動かなければいけない。
手遅れなら、撤退すべきだ。
しかし、アンネリーゼは倒れた撃退士を一人掴むと、遊撃班の前に放り投げた。
「……殺してない。まだ全員生きてる。君達次第、だけど」
確かに、危険な状態ではあるが息があった。
「人質、と言う訳ですか?」
神楽が問う。
「なかなか卑怯な事をやってくれるじゃないか、ヴァニタスさんは。そんなにボク達が怖いのかな?」
覚羅が挑発し、機を窺う。
だが、アンネリーゼは先ほどから変わらず、無表情のまま淡々と受け流すのみだ。
「……どう受け取ってもらっても構わない。やるの? やらないの? それだけだよ。……逃がすつもりは、もうないけど」
ただ、戦闘を。
ひたすら戦闘を求めているのだ、とヴァニタスは言う。
気が付けば、退路にディアボロ。
会話の間に回り込まれたらしい。
こうなっては是非もない。
千鶴は神楽に目配せすると、奇襲の意図を知らせ、援護を請う。
神楽は頷き返し、ライフルを構えた。
ただ、夢野だけは心が跳ねた。
今、目の前に強敵がいる、ヴァニタスがいる。
この期に及んで問いかける、己の心に。
「(……俺は、戦いを楽しんでなんか……いない! 殺意なんて抱いちゃいないんだ! 夢を……、夢を護りたい、それだけなんだ!)」
ゆっくりと瞳を開き、自分を確認する。
言い聞かせるように心の中で反芻しながら、フランベルジェを抜き放った。
「……おいで」
アンネリーゼの挑発に乗るように、神楽が黒刻で自身を強化し、黒蝕を撃つ。
その背に黒い翼が現れ、瞳が緋色に光る。
放たれた弾丸は、黒い霧を纏い敵へと襲いかかった。
同時に、夕乃も魔法攻撃を仕掛ける。
「……単調」
しかし、ヴァニタスの顕現させる炎の渦を打ち破る事は出来ない。
が、神楽達の攻撃は注意を引く為の囮だ。
その間に千鶴が距離を詰め、サイドを取っていた。
「もろたで……!」
暴力的な速さで迫る迅雷の一撃がアンネリーゼと交錯する。
致命傷とまでは言わないものの、左腕に僅かな傷をつけた後、千鶴は飛び退る。
「横ばかり見てると死ぬよ、こんな風にね」
その隙を突き、覚羅は剣に黒色の光を収束させた。
蓄積された無尽光は、覚羅の持てる全力。
封砲の衝撃波がヴァニタスを襲う。
直撃寸前に再度顕現された炎の渦を吹き飛ばし、全身をずたずたに切り裂く。
トドメとばかりに夢野は駆けた。
「俺達は、負けないっ! 撃退士を……、人間を、なめるなっ!」
全力のスマッシュがアンネリーゼに叩き込まれる。
血飛沫を上げながらヴァニタスは吹き飛び、力なく地に伏した。
●増援
二階にあった部屋はハズレだった。
と、するならば五階にあると言う部屋に件のゲートがあるのだろうか?
リルティの居る棟に侵入したA班は、激しい建物の揺れを感じながら先を急ぐ。
上の階では、どうやら仲間と悪魔の激戦が繰り広げられているらしい。
戦況を確認すれば、どうやら単騎で相手しているそうだ。
撃退士も舐められたものである。
いや、それ程に力の差があると言う事か。
現に、既に何名かは討ち取られ、死んだそうだ。
しかし構っている暇はない。
あくまでも目的はゲートの発見、コアの破壊だ。
其れを為さねば、ただの犬死でしかない。
仲間の危急の報を、ぐっと堪えて五階に辿りつく。
件の部屋までの敵を掃討した後、内部に突入した。
だが、至って普通の部屋だ。
ゲートなんてありはしない。
愕然とする仲間達に、更に悪い知らせが届く。
C班とD班が全滅したそうだ。
全員、戦死である。
と、同時にひときわ大きく建物が揺れ、何かが崩れる音がした。
戦闘の影響で、どこかが崩落したのだろう。
「どうしますか? このままでは僕達も危険です。B班と合流して、遊撃班の応援を要請した方がよくないでしょうか?」
としおが仲間の判断を問う。
彼の悪魔は如何なる手段を用いたか、二十名の撃退士を短時間で殺害する程の強さだ。
ゲートの正確な位置を知る為の目安も、最早無い。
其れに、本当にこの棟の何処かにあるのかさえ怪しくなってきた。
何を指針にして探せばいいのか。
暗中模索するしかないのだ。
「待ってたって、敵の増援が整うだけじゃない。それに、相手だって二十人相手にしたんだから手傷くらい負ってるでしょ? このまま下がったら、ただの無駄死じゃない」
前進すべきだ、と朔桜は言う。
その自信は、奇蹟の模倣者たる魔名から来るものだろうか。
しかし、その主張を百合も推した。
結と神奈も続行すべし、と断じる。
最も、彼女達は悪魔を前に退くと言う概念が希薄なだけだが。
前進派がいる反面、後退或いは増援を待つべきと言う者もいる。
幸桜だ。
彼と朔耶、海の回復スキルは、今までの探索と戦闘で既に尽きている。
ここから先、何かあっては大事だ。
「僕は皆を無事に生還させたいんです! 悪魔だっているのに、撤退すべきです! 危険すぎます!」
あくまでも班員の命を預かるアストラルヴァンガードとしての立ち位置を貫く。
だが、戦況は刻一刻と動く生き物のようなものだ。
戦地のど真ん中での議論は危険すぎる。
「待ってください……、何かが来ます」
生命探知を使って周囲を警戒していた朔耶が、異変を感じ取った。
百合達の近くに、単体で向かってくる存在があると言う。
この局面で考えうる其れは――、
「……こんな所に居たのね、豚共。今、あたしが楽にしてあげるから、大人しく屠殺されなさいよォオオオオ!」
血に濡れた悪魔、リルティの襲来である。
「香櫨園を通過、ただしヴァニタスが乗ってるみたいだよ。どうする?」
雅が受け取った西宮ゲートからの連絡は、想定外の敵増援を乗せていた。
彼の地で猛威を振るったアライグマ型ヴァニタスが、あろう事か電車の上に乗って芦屋に向かったと言う。
「こちらもヴァニタスで消耗している場合ではありません。あちらから襲ってこないならスルーしましょう」
襲ってきた場合は全力で足止めし、デモニックトレインの撃破、人質の解放を優先すべし、と。
果たしてトレインはやってきた、ポチを乗せて。
よくよく見れば、あちらは若干手傷を負っているようだ。
ポチはトレイン停車前にホームに飛び移ると、その場に居た撃退士達数名を薙ぎ払うように蹴り飛ばし、線路へ落とした。
落ちた撃退士達は電車の車輪に巻き込まれ、挽肉となっていく。
そうして、電車は停車した。
「くっ、僕が引き付けます、他の班は手はず通りにやってください!」
イアンがポチの前に進み出る。
しかし、ヴァニタスは其れを無視すると、用は無いとばかりにホームから飛び出し、南方面へと駆けだしていった。
「……逃げた? いや、あっちは確か……、まさか、ゲート破壊班を挟撃するつもり?」
暦が逃走した方角から、ポチの目的を臆測する。
拙い事になった。
電車から溢れる増援を、一時イアンに任せると本陣へと連絡を入れる。
仲間に迫る危機を知らせなくては、と。
イアンは暦を庇うように立ち位置を変えると、A班を鼓舞して増援とかち合った。
「進みなさい! B班の手を煩わせてはなりません!」
A班が敵増援と戦っている間に、B班の雅とギィネシアヌが足止め優先とばかりに車輪に向かって攻撃を加えた。
「BANGBANG!! ヤッハー! 列車を相手に戦う事になるとは思わなかったのぜ」
テンションも高く、ギィネシアヌの銃弾が爆ぜる。
横に駆けながらどんどん車輪を撃ちぬいていった。
しかし、撃ち砕かれたはずの車輪が、僅かな間を置いて再生していく。
西宮から得た情報通りだ。
「待って、あれを見て。再生する時、あの球体を中心に肉体が増殖してる気がするよ。ちょっと狙ってみて」
だが何度か攻撃する内に、雅は再生パターンがある事に気が付いた。
ひょっとしたら、其れが彼の肉体の秘密かもしれない。
「オーケー、俺に任せろ! 全部撃ち砕いてやるぜ!」
ギィネシアヌの銃に絡みつく真紅の蛇が一発の弾丸に圧縮される。
凝縮された其れは、螺旋を描きながら紅き軌跡を伴って列車に纏わりつく不定形の肉体に内包された、球体へと着弾した。
貫通、そして破砕。
と、同時に、その球体周辺の肉が崩れ落ちていく。
「BINGO! あれが弱点だぜ! ここをテメェらの終着駅にしてやるから覚悟しろ!」
攻略法さえ解ればこちらのものだ、と言わんばかりに球体を破壊していく。
列車がどんどん、通常の其れへと戻っていった。
同時進行で行われていた『鋭敏聴覚』と『生命探知』を用いた人質の位置特定も終わったようだ。
どうやら、運転席と前後の車両、そして四両目に押しこめられているとの事。
敵の増援は思った程、乗せられていないようだ。
どうやら、西宮で想定外の物量を降ろしたらしい。
芦屋に戦力を降ろした後で神戸に向かう所を、B2班の攻撃で行動不能にされて出発できなかった、と言う所だろうか。
「人質の居場所と中の敵の物量さえわかればアタイの独擅場よ!」
正統派脳筋特攻娘チルルはB1班に突入の号令をかけると、車両内部へ1番乗りを決める。
中に捕らわれた人々を引っ張り出す間に、敵に邪魔されないよう、車内にて切り結ぶ。
「……ごめん、待たせた」
連絡を終えた暦も増援対応に復帰する。
カオスレートで対極を行くイアンにとって、仲間を護る為とは言え最前線で攻撃を受け続けるのは、正直きつかった。
そういった意味で、暦の復帰はイアンの負担を軽減する。
見ればトレインの車体も、既に三分の二は通常に戻っている。
完全解放までもう少しだ。
●決着
「……かかった」
アンネリーゼの勝利宣言。
倒した、そう思われた次の瞬間には再び立ち上がり、巨大な火球を作り上げる。
ヴァニタスを討つために前進し、後衛と距離の空いた夢野、覚羅、千鶴の三名を対象に其の力を解放した。
火炎の範囲指定型高火力魔法。
初期の位置では届かなかったのか、わざわざ当たる位置まで誘い出された、と言う事だろう。
回避する間もなく、炎が爆ぜる。
次いで、退路を塞いでいたディアボロが後衛二人に襲いかかった。
物量差に物を言わせた袋叩きである。
そうして、一分と経たずして全ての決着はついた。
撃退士の壊滅である。
アンネリーゼの身体に、炎が纏われる。
撃退士によってつけられた傷がみるみる内に覆われ、治癒された。
「……思ったより手間取った」
ヴァニタスは倒れた撃退士の懐から光信機を奪い取ると、チャンネルを開き本陣に連絡をとる。
「……部隊が壊滅の危機。そう、まだ皆、生きてる。でも、このままじゃ死ぬ。早く助けて」
其れだけ伝えると、光信機を破壊した。
アンネリーゼに撃退士を殺す意思は、今回の戦いに限って言えば無い。
必要なのは現状を凌ぎきる事だ。
ある程度の見せしめとして殺すのは効果があるだろうが、其れよりは再起不能になるまでトラウマを与える事を優先する。
戦えない傷病兵となった彼らは、人類側にとってそれなりに負担となるだろう。
病院のベッドや看病の為の人員、医薬品を消耗させ、口頭で伝えられた恐怖は人々に伝播し、潜在的に足踏みを誘発させる。
また、人道主義の人類は、仲間を見捨てる事もしない。
こうして連絡を入れれば、必ず救援をよこす。
本陣とのルートを潰した現状で、これだけの負傷した撃退士を回収するには、かなりの人手と時間がいるはずだ。
そのロスは、確実にアンネリーゼ達にとって好機となる。
「……何を……している……んだ!」
だが、其れを許そうとしない男が一人、立ち上がった。
「……まだ立てるだけの力があったの?」
夢野である。
既に体力は限界を超え、立つのもやっとに等しい。
だが、それでも魂が肉体を凌駕し、奮い立たせるのだ。
ミュージックセラピーで回復し、ヴァニタスと向き合う。
「……これ以上、俺達の仲間をやらせる訳にはいかない!」
夢野の背後には、傷つき倒れた仲間達がいる。
そして更にその後方には、昏睡した多くの力無き人々がいる。
其の全てが、明日を信じ、夢を抱いて生きている事を夢野は知っている。
だからこそ、此処で倒れる訳にはどうしてもいかないのだ。
夢野の剣に、光が集う。
明日を夢見る人々の想いを、生を渇望する未来への願いを、護るべき人々、愛すべき人々、全ての生きとし生ける者達の切なる祈りをその剣に束ね。
今、歌声と為し、天に届けと。
「……いいよ。受けて立つ。再び絶望を味わうといい」
対して、アンネリーゼの掌に炎が集う。
纏め、束ね、統べるは全てに平等なる浄化を約束せし煉獄の炎。
想いを食み、嘆きを食み、世界を食む破滅の灯。
今、希望を砕けと唸りをあげる。
「……響け! ティロ・カンタビレ!」
希望を紡ぐ歌声と、
「……滅せよ」
絶望を謳う炎がぶつかり合い、混ざり合い。
そうして、最後に炎が何もかもを侵食し、燃やし尽くした。
「森野さん、危ない!」
入口で一番悪魔に近い位置に居た百合を庇った幸桜に、悪魔の雷槍が深々と突き刺さる。
ただ皆を護りたい、そう言って笑った少年がとった最後の手段は、己の身を挺して護る事だった。
「幸桜ちゃん、起きて、朝よ! ほら、起きないとおねーさん、ちゅーしちゃうわよ!」
しかし、幸桜が起きる事はなかった。
血が止まらない。
危険な状態だ。
少しでも時間を稼ごうと、ドラグレイが会話を試みる。
「しかし……、いきなり3つのゲートとは派手なものですね♪」
だが、そんな暢気な事をやれる状況では無い。
「家畜風情があたしと対等に言葉を交わそうとつけあがるなよォォオオオオッ!」
逆に、リルティの逆鱗に触れてしまう。
激情に駆られた悪魔の槍が接触する寸前、百合がドラグレイを突き飛ばし、身を挺して庇った。
「ごふっ! あ、愛が痛い……」
百合の腹部を槍が貫通する。
引き抜き際に、悪魔の強烈な蹴りが入る。
その勢いで部屋の壁に激突すると、百合は力なく倒れた。
ドラグレイが駆けよる。
「ゆ、百合ちゃん、しっかりしてください! 美少女を数えるんです! 私は友達が死んだり大怪我したりするのは絶対に嫌なのです! だからっ!」
だが、既に友人である百合も幸桜もこの様だ。
百合の目の焦点が定かではない。
「ざまぁ……ないな……。泣くなよ、笑え――、あたしゃ、美少女の笑顔が好き……なん……」
そうして、動くのをやめた。
人の痛みなど知らぬ、と言った傲慢さで悪魔が玄関を潜り、室内に侵入した。
その周囲では、バチバチと小さな雷が弾ける。
「へぇ、あなたも雷槍を使うんだ? だけど、私のは一味違うよ」
朔桜の瞳が残忍な光が宿る。
今だけは、エルと違う戦場である事を感謝しよう。
奇蹟の模倣者として、愛すべからざる光として、総てを屠る超越の羽撃きたる自分の姿を見せずに済むのだから。
周囲に五つの黒雷槍が同色の焔を伴い展開される。
それらを一つに束ねると、朔桜は廊下を進む悪魔に向けて解き放った。
直撃。
リルティの肩を貫いた槍は、そのまま扉を突き抜け、明後日の方向へ飛翔していった。
「(この悪魔の血……、返り血だけじゃない。やっぱり手負いだ)」
その反応から、朔桜は悪魔の負傷具合を感じ取った。
「この悪魔、手負いだよ! やれば……がはっ!?」
「だからどうしたっていうのよ、ああ? 家畜風情がっ! あんた達とあたしとでは出来が違うのよ! ゴミ! 虫けら! 死ね死ね死ね死ね死ねぇえええええ!」
悪魔が爆発的な加速で朔桜との間合いを詰め、カウンターの一撃を見舞う。
咄嗟に展開された障壁をぶち抜き、腹を抉った。
そのまま首を捻りあげると、撃退士に向けて突出し、盾とした。
朔桜の身体から力が抜け、だらり、と四肢が垂れる。
意識を失ったようだ。
あっと言う間に三名が堕ちた。
「……あと、六匹か。さぁ、次はどいつ? ねぇ、どいつから死にたい?」
下手に動けない。
そうすると、朔桜を死なせてしまう可能性があるからだ。
だが、海は割り切った。
必要な犠牲であると判断したのだ。
諦めてからは行動が速い。
自身の所持する武器の中で一番射程のある絵本を取り出すと、魔法弾を撃つ。
しかし当たらない。
無意識下で朔桜を避けた為か、悪魔を僅かに掠めただけだ。
「小賢しいのよ、家畜!」
しかし冷静さを欠いた悪魔には充分すぎる挑発になったようだ。
朔桜の身体が、撃退士に向かって投げつけられる。
壁に激突しないよう、としおが身体全体で受け止め、庇った。
其の隙に悪魔が海へ迫る。
「死ね、雑魚!」
槍を大きく振り上げたところで、
「あなたが、ね!」
風呂場捜索中に悪魔の襲撃を受け、そのまま個室内で息を潜めタイミングを計っていた朔羅に背後から襲われる。
深々と扇が背中に突き刺さった。
「こい……つ……!」
悪魔が朔羅に向き直る。
致命的な隙を晒したのだ。
其れを逃す神奈ではない。
少女の刀に光が灯る。
魔を討ち祓う天の輝きだ。
齎された恩恵は、脅威のカオスレート+5。
悪魔の其れと対極を為す力は、互いに互いを屠り合う諸刃の剣。
されど少女、神奈に恐れ無し。
魔を断つ事を使命とし、戦いの宿命を宿す彼女には覚悟が在る。
「……消えろ、此処は人の世だ!」
袈裟に斬りかかる。
リルティが反応し、受けようとするが遅い。
悪魔の左腕を斬り飛ばし、そのまま胴を裂き、左脚をも跳ね飛ばす。
「ぎゃあああああああああああ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!」
悪魔の絶叫。
されど、痛みを堪え、崩れるバランスを翼で制御し、人間への憎悪を神奈にぶつける。
リルティの持てる最大火力、断罪せし其の雷槍は、周囲の一切合切を巻き込み、爆ぜた。
狭い室内で悪魔以外のすべてが破壊の衝撃に飲まれる。
威力に耐えきれなかった床が抉れ、五階から一階まで貫通し、崩壊した。
撃退士達が堕ちていく。
真っ逆さまに、地へと。
その様を見送りながら、リルティはまだ残っている床に転げ落ちると、痛みに悶えるのだった。
「家畜なんかに……! あんな雑魚なんかに……! このあたしがっ! 糞っ! 糞っ! 糞っ! なんで、なんでなのよ……! 痛い、痛いよポチ……、痛いのよ!」
悪魔の瞳から、涙が溢れる。
悔しくて、悲しくて、辛くて。
誰もいないから、と独り慟哭する。
だが、其れこそが慢心だ。
純白の翼を血の赤に染め、結が飛翔する。
剣を手に、魔を討たんと、悲願を果たさんと。
悪魔を葬る事、其れだけを縁として生きてきたのだから。
「……泣かないでいい世界に誘ってあげますよ。さようなら、穢れた存在よ」
リルティが気が付いた時には、既に剣が振り下ろされた後だった。
悪魔の首が転げ落ちる。
醜い泣き顔で固まったまま。
結は其れを見届けると、静かに仲間の元へと降りたっていった。
「……嘘、やろ?」
寒々とした室内で、人形のように横たわった其れを、ポチが呆然と眺める。
返答は、勿論、無い。
「……なぁ、冗談やていいや。いつも見たいにツッコミいれぇや……、なぁ」
ふらふらとした足取りで近寄り、落ちたパーツを集めると、必死になってくっつける。
だが、壊れたものが元に戻る道理がない。
「なんでや……、あんなにがんばっとったやん……、どんな理不尽でもがんばっとったやん……」
天魔がゲートを作成する時、その代償としてかなりの力を消費する事になる。
無論、ゲート作成後にその分以上を取り戻せればよいのだが、リルティに限って言えば、其れは叶わなかった。
アルトゥールの命により、兵となるラミアの数を無理やりにでも増やす為、強行に強行を重ね、粉骨砕身して作戦を支えてきたのだ。
やっと『ラインの乙女』が成就し、以前よりも強く、強く、強くなれるはずだったのだ。
それなのに、力を回復する間も無いまま逝ってしまった。
たった独りで。
「堪忍や、堪忍やで……。わいが……、わいが傍におったらよかったんやな。せやけど、わいの事、はよ呼び戻してくれればよかったんやで……、この意地っ張り……」
灰色のケダモノは、少女の残骸を大事そうに胸に抱え、いつまでもいつまでも嗚咽するのだった。
ゲート破壊班は壊滅した。
残されたB班も、上層階にて有りえない程のディアボロの大群と接触。
撤退叶わず全滅したらしい。
沿岸部制圧班も壊滅した。
ただし全員生きていた為、輝瑠の働きもあり、無事に回収された。
デモニックトレイン対応班も被害を出したものの、遂に電車を討ち滅ぼし、人質の解放に成功した。
遊撃班は各地でゲリラ的に襲われ、半数以上が壊滅したものの、死者は少ない。
これも回収の為に人手が割かれる事となり、結局一般人の保護は思いのほか進まなかった。
総参加撃退士205名の内、既に半数が死亡・戦闘不能となり戦線を離脱している。
ゲートの位置特定もままならず、敵の悪魔を討ちとったとは言え、更にヴァニタスが1体援軍に来た状況だ。
消耗の激しい撃退士側に、それ以上攻め続ける力はなかった。
芦屋ゲート攻略部隊は作戦の失敗を告げると、退路を断たれる前に西宮へと撤退を決めた。
多くの一般人をその場に残して。