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「な、なんですか、この臭いは……!」
開口一番、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は鼻をつまみながら眉を顰め問い質した。
しかし、何の臭いも感じないと言う風に、神月 熾弦(
ja0358)は首を傾げてみせる。
「臭い、ですか……? 特に感じはしませんが……」
だが、その隣にいた佐藤 としお(
ja2489)はしっかりと異臭を察知していたようだ。
「いや、確かに臭いますよ! しかも、この独特の香りは……」
どうやら熾弦の鼻だけが周りとずれていたらしい。
「ああ、確かに少し臭いますね……」
およそ、ワンテンポほど。
そんな仲間達の反応を見て、鷺谷 明(
ja0776)はくつくつと笑いながら白状する。
「すまないな、臭いの元は私だろう」
そう言って取り出したるは数珠繋ぎに括られたとある島の特産品、『くさや』である。
外気に触れた途端に増す臭気に、ファティナは僅かに距離をとりつつ意図を問う。
「何に使うんですか、そんなもの!?」
独逸からやって来た彼女は、最臭兵器に名を連ねそうな其れに慄いた。
欧州にもその臭いの凄まじさから有名な某鰊の缶詰があるが、まさか日本にも其れに類似するような代物があったとは、世界は広いものである。
「あれ、ファティナさん知らないんですか? あれは『くさや』と言って食べる物なんですよ」
そうして、例の如く権現堂 幸桜(
ja3264)が余計な一言を言ってしまうのだ。
其の一言によって粛清される所まで、予定調和である。
「こはるちゃんの癖に生意気です。抱きついてしまいましょう、えいっ♪」
「う、うわぁ、や、やめ……あうぅ……」
ファティナに抱きつかれた幸桜が、顔を赤くして轟沈していった。
いつもの光景である。
そんな仲間達のじゃれ合いを横目に、明は愉快そうな笑みのまま、秘していた作戦について語った。
「いや、今回の敵は犬だろう? 鼻が利くかと思ってな。錯乱効果を期待して、戦闘が始まったらばらまいてみるつもりだ」
そう言ってばれてしまったくさやを、首からぶら下げる。
まるで何かのお守りのようだ。
「……別にやる事自体は問題ないが、あんたはその臭い、平気なのか?」
若干引きつった表情で柘植 悠葵(
ja1540)が尋ねた。
多分、愚問であろうと思いつつ。
そうして、予想通りの答えを明は口にする。
「ははは、私も臭くて鼻が曲がりそうだ」
相変わらずのいい笑顔である。
公園の南側から侵入した撃退士達は明の提起した作戦に従って、時計回りに円を描くように探索の範囲を外周から中央に向かい狭めていく。
地道に足を使う労力を伴う作戦だが、一定の効果は期待できる。
散策路の街灯に沿い、暗がりに足を踏み入れないように慎重に進みながら、怪しい箇所を探っていく。
ナイトビジョンを装備するファティナ、明、幸桜が先頭に立ち、光の届かない場所に目を凝らしては闇に潜む影を追う。
視覚だけではなく、聴覚も使ってより効率的に探し出す為に、鬼燈 しきみ(
ja3040)が阻霊符を展開させ警戒する。
その隣にはランタンの灯りで闇を炙り出す鬼無里 鴉鳥(
ja7179)の姿。
彼女の周囲を揺らめく鋼糸が、月光を受けて怪しく輝いた。
奇襲を警戒して、熾弦も予め盾を顕現させ、周囲を隙なく窺っている。
悠葵は時折足元の小石を拾うと、怪しそうな茂みにむかって思い切り投げつける。
索敵及び陽動を兼ねて行っているが、未だに敵襲の気配はない。
そうやってあらゆる事態を想定し、慎重に慎重を重ねて進んでいく。
既に公園内の半分以上は捜索し終えただろうか。
そう思われた矢先、腹の底に響くような獣の遠吠えが闇夜に響いたのだった。
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「この声、あっちから聞こえますね……。件のディアボロでしょうか?」
としおがいち早く方角を割だし、注意を促した。
「奇襲に注意してください。相手は二体は居るようですし……。ファティナさん、私の後ろへ」
盾を構えた熾弦がファティナをその背に庇いながら、声が聞こえた方向とは別な場所からの襲撃に警戒する。
「うにー……、わんこはすばしっこそうでたいへーん」
謎の擬音をあげつつ、しきみはランタンを掲げて街灯の無い方角に翳した。
其れに習い、鴉鳥も別な暗がりを照らし出す。
八人全員で、互いの死角をカバーするかのように編隊を組み、来るべき戦闘に備えた。
その陣形をかく乱するかのように、周囲の木々がざわざわと音を立てて揺れ動く。
闇夜に、高速で駆ける何かが潜んでいる。
其れをおびき寄せてやろうと、悠葵が石を投げ、明が魔法弾を撃ち込むが、それらはいずれも手応えを得られない。
だが、こちらが敵を補足できずに手が出せないように、敵もまた、隙の無い撃退士達の前に先手を取れず、ただ均衡した状況に甘んじるのみだ。
そんな状況を打開したのは、インフィルトレイターであるとしおである。
しきみと鴉鳥のランタンの灯りで僅かに暴き出された魔犬の姿を、索敵スキルを以て見出したのだ。
「見つけました、魔犬の背に人形が騎乗しています!」
撃退士達は、二体による同時奇襲を警戒していたが、彼女達は共に仕掛けてくるらしい。
しかし、其れも予想の範疇である。
「やはり、ですか。皆さん、手はず通りにいきましょう」
ファティナが捕縛する為の魔法を唱える準備に入る。
先ずは犬を足止めし、少女を討つ。
感傷に浸るのはそれからだ。
「マーキングに成功しました、これで何処から来るのか解りますよ!」
としおが、特殊な形状に練り上げたアウルを魔犬に着弾させた。
最早、奇襲を恐れる事は無い。
としおだけはどんなに遮蔽物に身を隠そうとも、暗闇にその身を溶かそうとも、見出し、射抜く事が可能なのだ。
時折放たれる銃弾は、確実に魔犬に着弾し、そのダメージを蓄積させていく。
魔犬側にとってこのままでは、ジリ貧だ。
そろそろ仕掛けてくる、誰もがその瞬間を予期していた。
そうして、その予測通りに、魔犬達は動き出した。
木々が軋むように揺れ、大気がざわめく。
空高く飛び出した魔犬は、その背に乗る少女を撃退士から守るように、腹を地上に晒しながら強襲したのだ。
「上空、来ます!」
強襲を察した撃退士達は即座にその場を散開。
着地した魔犬に、ファティナが準備していた捕縛の魔法を解き放つ。
「おすわり!」
無数の腕が、魔犬の四肢に絡みつき、その動きを完全に止めた。
が、背に騎乗していた少女までは届かない。
魔犬の動きが止まると同時に、少女は剣を抜き打ち、としおへと迫る。
その首を落とさんと迫った剣を、熾弦の盾が防がんと交錯する。
「くっ……、大丈夫ですか、としおさん?」
すれ違いざまに浅く切り裂かれた腕を庇いながら、熾弦はとしおと共に後方に飛び退いた。
「シヅルさん、大丈夫ですか!?」
「私は大丈夫ですから、ファティナさん達は犬をお願いします」
心配するファティナを手で制し、互いの持ち場につく。
熾弦、としお、幸桜、鴉鳥が少女人形を囲み、ファティナ、明、悠葵、しきみが魔犬と少女を分断する。
各個撃破する算段だ。
自らを包囲する撃退士を、燃える様な紅い瞳で見つめながら、魔犬トトは吠えた。
只一人の主たる少女を求めて。
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「忠犬、か……」
動きを止められて尚、少女の元に向かおうと必死にもがく犬を見て、悠葵は呟いた。
憐み、と言うのだろうか。
その姿に、過去の自分を重ねて。
愛玩動物が嫌いと言う訳ではない。
何故なら彼らは決して飼い主を裏切らないからだ。
人に飼いならされた動物は、人に依存する事でしか生きられない。
その姿が、幼い頃の自分に見えて、どうしようもなく思えるのだ。
与えられた環境に甘んじる事しか出来ず、また、その世界以外を知らないその無知な残酷さに。
だからこそ、解放してやるのが救済なのだろうか?
悠葵は手にした刀に力を込めると、渾身の一撃を以て犬の身を削いでいく。
その度に苦しげな声が上がった。
ディアボロ化したとは言え、元は小さくか弱い犬。
その呻き声からは、過去の姿を彷彿とさせる何かがあった。
だが、明はそんな感傷に引っ張られたりはしない。
「くさやに効果は見られなかったか。残念ではあるが……、さてまあ、愉しくいこうか」
巨大な鉄槌を大きく振りかぶると、笑顔のままでトトの頭蓋目掛けて振り下ろす。
鈍い衝撃音が響き、何かが砕けた手応えが伝わる。
トトの開いた口蓋から、大量の血が吐き出された。
が、倒れない。
「後生ですから……、もう休みなさい!」
ファティナが悲痛な叫びと共に闇を切り裂く雷を解き放つ。
穿たれた雷は魔犬の身体を容易く貫通し、焦げた嫌な臭いを充満させる。
しかし、まだ倒れない。
拘束された四肢を震わし、喉を枯らし、血反吐を吐き、あらん限りの声で主を呼ぶ。
「ごめんねー、でも仕方ないよねー? お仕事だもんねー。ばいばい」
しきみの持つ蛇腹剣が鞭のようにしなり、トトの首に巻きついた。
そうして、そのまま全力で引きしぼり、締め上げる。
喉元に食い込んだ刀身が毛皮を切り裂き、急所を貫いた。
噴水のように血が迸り、紅い雨が降る。
血塗れになったしきみが、もう一度さよならを呟いた。
魔犬が少女を求めたように、主もまた忠犬を欲していた。
剣を繰り、どうにか愛犬までの血路を開こうとする少女の前に幸桜が立ちふさがる。
白銀に煌めく剣とハルバートが鋼の協奏を演じ、月下に火花を散らす。
美麗といっても差し支えない程に整った少女の無機質な相貌が、何故か泣いているように視える。
対する幸桜もまた、悲痛な表情を隠そうともしていなかった。
思い返すのは、とある村で孤児達の為に戦った夜の事。
結局、力及ばず全てを守りきれなかった。
目の前で助けると誓った子供達が無残に殺される中、幸桜は指を咥えて見る事しかできなかったのだ。
その時の無力感が今も尚胸の中に蟠り、後悔を繰り返したくないと願う自分が在る。
目の前にいる無力な人達を助けたい。
救える命を掬いたい。
だが、今、対峙している少女は手遅れなのだ。
どう足掻いてもディアボロにされてしまった以上は狩るしかない。
「アヤちゃん……、ごめん、ごめんね……!」
悔しさに唇を噛みしめながら、其れでも手を止める事はない。
これだけが、最後に残された救済の道なのだから。
少女人形が、回復魔法を唱えようと腕を振り上げる。
その腕の先に在るものは、今、まさに集中砲火を浴び、頽れ逝く愛犬。
しかし、そんな事を許すとしおでは無い。
腕を振り上げた瞬間に、何らかの意図を読み取ったとしおは、銃を撃ち行動を阻害する。
徹底的に少女と犬の絆を破壊していく。
其れが、最終的に二人にとって良い事に繋がると信じているから。
そうして、としおの銃撃によって出来た隙に、熾弦が割り込んだ。
夜空を舞う白銀の鎖が、眩い輝きと共に降り立ち、少女の四肢に絡みつく。
絡みついた鎖はそのまま少女の身体を締めると、嫌な音が響くまで捩じりあげた。
どこかしら破損したのか、アヤの動きが鈍る。
絶好の機会を逃すまいと、鴉鳥が間合いを詰めた。
徒手空拳、その身一つで肉薄してくる鴉鳥を迎え撃とうと、人形の腕が弱弱しく上がる。
だが、遅い。
接触間際に顕現した大太刀から、白刃が抜き放たれる。
「傀儡風情が、舐めてくれるな……!」
神速を誇る討魔の剣が、刹那の煌めきを魅せ、少女の首を切り落とした。
高々と少女の首が夜空を舞う。
そうして、軽い音を立て、ぴくりとも動かなくなった魔犬の元に転がり落ちた。
がらんどう。
ぽっかりと空いた切り口から覗く人形の中には、何も在りはしない。
其処に、どんな想いが詰まっていたのか。
何を求め、何を愛してきたのか。
切り離された少女の身体と頭から蒼い炎が噴き上がった。
燃え盛る炎は、やがて愛犬にも移り、二人を灰へと帰していく。
「……此れが此度の末路、か。似合いだな」
愛刀を拭いながら、鴉鳥は燃え逝く二人を見送る。
何も言うべき言葉をもたず、滅する事しかしてやれない鴉鳥には、此れが二人に贈れる最大限の救済だ。
せめて其の魂が安らかに眠る事を祈りながら黙祷する。
鴉鳥の綺麗な銀髪が、月光を浴びて綺麗に輝いていた。
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察するに、この公園は生前の彼女達の散歩コースだったのだろう。
二人の楽しい思い出が、この公園に繋ぎ止めていたのかもしれない。
灰になってしまった二人を、一緒に混ぜ、埋めてやる。
撃退士達は言葉少なく、彼女達を弔った。
「……こんな不条理を選択を強いて尚、その答えすらも踏み躙った悪魔を許すわけにはまいりません」
義憤に駆られる熾弦の横で、ファティナもまた、哀悼の意を表する。
「杠さんの怨敵、でしたね……。話の通りの悪魔なら、この子達も辛い決断を迫られ苦しんだ犠牲者なのですね……」
そう言って、墓前に『朝顔』の髪飾りをそっと置いた。
その花言葉は『固い絆』。
生前の彼女達の強い結びつきを思いながら。
そうして、悪魔ギネヴィア討伐への意思を新たにする。
自己満足でもいい、今まで犠牲になった者達の魂が救済されるなら。
これからの犠牲者達の笑顔を護れるなら。
「そうですね……、僕もこんな悪魔を許す事なんてできないです。虎鉄先生もこの悪魔に……」
幸桜もまた、心優しいが故に胸を痛める一人だ。
過ぎた事だと言ってしまえばそれまでだが、其れでも忘れる事など出来るはずがない。
人は、思い出を糧に生きていく事が出来る。
たくさんの後悔と、たくさんの苦しみを背負っても尚、前へと進めるのは大切な思い出がたくさんあるからだ。
「いつまでも仲良く……ね」
としおの言葉を最後に、撃退士達は現場を後にした。
静寂が支配する公園を、柔らかな銀月だけが優しく見守っていた。
「帰りましたわよ、アンリエッタ。今回も駄目でしたわ。貴女の『姉妹』に加えるべき娘はなかなか見つかりませんわね」
長い銀髪を揺らしながら、ギネヴィアは帰宅の旨を告げると、お気に入りの椅子に腰かけ、最愛の『娘』を待った。
程なくして紅茶を携えた少女がやってくる。
彼女もまた、ギネヴィアと同じく長い銀髪を揺蕩わせ、深い真紅の瞳をしていた。
唯一違う点を挙げるとすれば、まるで生気を感じない無機質な人形のような表情、といったところか。
「お帰りなさいませ、お姉さま」
そう言って紅茶を注ぐアンリエッタを嬉しそうに眺めながら、ギネヴィアは今日の事を話す。
それらを静かに聞くのみで、アンリエッタ自らは口を開こうとしない。
いつもの光景である。
「ねぇ、アンリエッタ。もうすぐわたくし達の為の『箱庭』が完成するそうよ? 楽しみね」
ギネヴィアには理解できないのだろう。
自らのヴァニタスが抱く、真実の気持ちに。
「……はい、お姉さま」