●一撃離脱
まるで血を融かしたかの如く緋色に染まった空の下、再び魔の牙城と化した灰色の迷宮にて、天と同種の赤さと熱を帯びた液体が地を穢していった。
「簡単に僕を崩せるなんて思わないでください」
会敵一番、機動力に物を言わせて先手を取ったディアボロの鋭い爪を、イアン・J・アルビス(
ja0084)の作り上げたアウルの盾が防いだ。
しかし、そう見えた次の瞬間には打ち砕かれていた。
天界の影響を受けているイアンと、魔の眷属たるディアボロには互いに互いを屠る為の術が備わっている。
長き戦いによって研鑽されてきたそれらの技術が、ラミアの爪に力を与え、遂には盾をも突き穿つ威力へと至ったのだ。
イアンが咄嗟に反応して身を捻るが、間に合うような速度では無い。
浅く脇腹を切り裂く痛みが身体を走る。
だが、此処で耐えて自分に引きつけておかねば、仲間の後衛職が危ない。
近づく天魔に抗いがたい嫌悪感を与えるオーラがイアンの身体から発せられ、全身を包む。
反発し合う属性を持つイアンが攻撃を一身に受け続ける事は多少なりとも危険が伴うものであったが、仕方の無い作戦であった。
彼のディアボロは神出鬼没にして、駿足。
少しでも出没箇所を限定し、狙い撃ちにせねば討つのは容易ではないのだ。
地の利は明らかに相手側にあるのだから。
「守り抜くのみ、です!」
しかし、其れは敵戦力が明確に知れており、尚且つ味方の援護が確実に期待出来る状況のみに於いて効力を発揮する手である。
現状、敵が何体いるか知れず、更にはこの閉所に足場、視界の悪さ。
あまり良い戦況とは言えるものではなかった。
「おーい、大丈夫か?」
鏡を使った手製の道具を使い、慎重に周囲を警戒しながら進んできた麻生 遊夜(
ja1838)が、漸くにして隙間から顔を出す。
即座にショットガンを構えるが、射線を確保できず、また空間の狭さから取り回しが利きづらい。
遮蔽物を盾に、隙間から一撃離脱の戦法でイアンにちょっかいをかけるラミアに舌打ちしつつも、有効打を与えらずにいた。
「あの……、トワイライトで照らしますね」
そんな薄暗い消波ブロックの中を進む内部班の為に、上を行く警戒班の三神 美佳(
ja1395)が燦然と輝くアウルの光の球を投げ入れる。
一瞬、目が眩むような白光が溢れた後、淡い輝きに落ち着き、煌々とテトラポットの影を照らし始めた。
上にいる美佳からはよく見えないが、中で何かが這いずり廻っている気配は解る。
用意していた呼び笛を吹くと、他のメンバー達に招集をかけた。
だが、その甲高い音は、敵であるラミアにも聞こえるものであった。
起伏の激しいテトラポットの上を、バランスを保ちながら雨野 挫斬(
ja0919)、ソリテア(
ja4139)、黒瓜 ソラ(
ja4311)の三名が駆け寄ってくる。
その最後尾を行くソラを、新たに現れたラミアが襲ったのだ。
ブロックの下の隙間から手を伸ばし、ずるりと中へと引きずりこむ。
バランスを崩したソラが転び、身体中を強かに打ちながら海水で濡れた砂地へと落ちていった。
よろよろと起き上がるソラに、ラミアの牙が食らいつく。
「あぐっ!?」
鮮血が迸り、服が裂けた。
「ソラさん、大丈夫ですか! ラミア、見つけた……! あの時の恨み、絶対許さない……!」
異変に直ぐさま気がついたソリテアが、上から黒く染まった魔法弾を撃ち、ソラの救援にあたった。
しかし、ろくに照準もつけずに撃たれた魔法はテトラポットに阻まれ届かず、ラミアはまた遮蔽物の奥へと姿を隠す。
ソリテアは悔しさに唇を噛んだ。
彼女の光纏は通常の其れとは違い、闇を切り取ったかのような漆黒に染まっていた。
以前にも来たことのある灰色迷宮。
その時の失態が、救えなかった命が、今も尚彼女の胸に蟠っているのだ。
故に、その感情の発露が無尽光の変色と言う形になって見られたのかもしれない。
傷口を押さえながらソラが立ち上がり銃の照準を合わせようとするが、彼女の位置からは既にラミアは射抜けない物陰へと移動していた。
「蛇が相手なだけに、ヘヴィですねっ……!」
こちらも、軽口を叩きながらも、諦めざるを得ない。
ソリテアに援護されながら、また上部へと登っていく。
敵もどうやらじわりじわりと長期戦に持ち込むようだ。
内部の最前線に立つイアンの元には、綿貫 由太郎(
ja3564)も合流し、銃による牽制射撃が行われていた。
イアンが盾で耐え、由太郎と遊夜が銃で牽制し、上からは美佳がトワイライトで光源を作りつつ魔法で援護。
挫斬は上部で援護に当たる魔法少女達の護衛と警戒に勤めていた。
しかし、総じて言えるのは、攻撃が当たらない、当たっても致命打に至らないと言う事である。
其れはラミアに対しても言える事で、警戒が厳しく、火線の厚い防衛網をなかなか突破出来ずにいた。
だが、そんな撃退士達の背後を、ソラを襲った新手のラミアが襲撃する。
遊夜は道すがら、粘土に癇癪玉を仕込み踏んだら音の鳴るトラップを仕掛けていた。
しかし、其の罠は思ったような効果をもたらす事はなかった。
海水を含みしめった砂と浜風が、湿気させてしまったのだろう。
音も無く背後から忍び寄ったラミアが、前方に集中する由太郎と遊夜を、次々とその毒牙の餌食にしていった。
反撃しようと二人は藻掻いたが、やはり遮蔽物の多い閉所。
「くそっ、こいつちょろちょろと!」
「ったく、おっさんひ弱なんだから勘弁してくれよ」
照準をつけてから撃つと言う二動作をこなさなければならない銃器は分が悪く、思った以上に上手くはいかない。
合間を見て挫斬がエレオノーレ(jz0046)に戦況を報告し、可能ならば援軍を頼もうとするが、支配領域内故、携帯電話は使えず連絡はとれなかった。
そんな硬直状態から混戦へと変貌しつつある消波ブロック内部最前線に、殿として後ろに詰めていた久遠 仁刀(
ja2464)も遅ればせながら到着した。
新たにやってきた獲物に食らいつこうと、ラミアが迫る。
だが、仁刀は落ち着いていた。
いつも使用している愛刀は仕舞われ、代わりにレガ―スが装備されている。
その判断は正しかったと言えた。
近距離で敵と打ち合う事に長ける仁刀は、閉所戦闘におけるメリット、デメリットを理解した上で得物の選択をしていたのだ。
そうとも知らず、他の撃退士達と同じく死角からラミアが食らいつく。
しかし、先手こそ許したものの、其処からの対応は流石の一言。
肉を切らせて骨を絶つ。
仁刀の足裏に、無尽光が収束する。
痛みを意地で押しとどめながら、神速へと至る一歩を踏み出した。
「墜ちろ、雑兵!」
瞬間、力の奔流が足裏で弾け、圧倒的な瞬発力を以て迫る不可避の一撃『風花』をラミアへと見舞う。
淡く煌めく光の粒子を舞わせながら、咄嗟に防御態勢をとったラミアの右腕を強引にもぎ取った。
迷宮内に、初めてとも言えるラミアの苦悶の金切り声が響いた。
間髪入れず、由太郎達が隙間から顔を出し、銃を撃つ。
しかし、ラミアは残された腕でそれらを弾くと、怨嗟の唸りを上げながら薄暗い遮蔽物の奥へと逃げていった。
其れと同時に、最前線でイアンと戦っていたラミアも戦闘を停止し、撤退していった。
どうやら撃退に成功したようである。
僅かながら訪れた休息の時に、撃退士達は集まり傷の手当てを行う。
無論、敵を討てていない以上、未だ強襲の可能性は否定できないが、何らかの意図あっての撤退であろう。
今はその時間を最大限に活用し、次の戦闘に備えるのが先決であった。
「あのラミア、シャーシャー言うなら射をくれてやりますよぅ!」
ソラが息巻きながら、さり気なく洒落を織り交ぜる。
其れに対する他撃退士の反応は、……今回は割愛させてもらう。
●受け継がれる想い
テトラポットに吹きつけられていた矢印を辿り、行き着いたその場所には、赤い輝きを放つ魔方陣が描かれていた。
明らかに異質な其れは、怪しげな魔力を放ち、見る者を異世界へと引きずり込むかのような禍々しさを感じさせた。
「これがゲートね。エレちゃんに報告は……できなかったわね」
挫斬がはぐれ悪魔に報告しようとするが、専用の機械を借りてきていない為、不可能であった。
完全に孤立し戦況の解らない中、撃退士達はこのゲートを作り上げた存在について考える。
もしかしたら、この中に悪魔やヴァニタスといった存在が待ち構えているかも知れない。
そうであった場合、自分達の戦力で討てるのだろうか?
一瞬、不安が過ぎるが、同時に今も尚行方知れずな通報者の事を考えると、そうも言ってられなかった。
「悪魔を見つけたら、死んだふりすればいいです。『あ、クマ』を見つけたなだけに!」
少しでも場の空気を和らげようと、ソラの洒落が炸裂した。
体感温度が若干下がった気がした。
「あぁ、ダメですか……」
ソラはしょんぼりとした。
「俺達に出来る事は中にあるコアを破壊する事だけだ。悪魔が直接来ているのに、な……。くそっ!」
仁刀は悔しげに顔を歪めながら、憎々しげに魔方陣を睨み付ける。
其れはソリテアも同じで、普段の彼女からは考えられない程に攻撃的で、どこかしら冷たいものを感じさせる態度をとっていた。
全ては不倶戴天の仇敵、ラミアを討つ為に。
考えていても、答えはでない。
虎穴に入らずんばなんとやら。
いよいよ本拠地とも言える場所への突入だ。
撃退士達はイアンを戦闘に、一人づつゲートをくぐっていった。
「派手なお出迎えですね!」
ゲート内部に突入したイアンを待ち受けていたのは、ラミア三体による待ち伏せであった。
爪が、牙がイアンを襲い、ガリガリと血肉を奪っていく。
しかし、其れでもイアンは耐え、後に来る仲間の為に血路を開くのだった。
その矜恃に、仲間達が応える。
挫斬が温存していた薙ぎ払いによる強烈な一撃を以て、ラミアを吹き飛ばした。
強かに壁に衝突したラミアが、堪えきれずに悶絶する。
「アハハ! 今よ〜! 総攻撃ぃ!」
其の絶好の好機を逃す手は無いと、集中砲火の号令をかける。
仁刀の足裏に再び無尽光の力が収束されていく。
其の爆発的な瞬発力はディアボロ二体の間をすり抜け、よろめくラミアの腹をぶち抜くには充分すぎる威力を有していた。
だが、浅い。
ゲート内部による撃退士側の能力低下は思いの外、深刻であった。
本来ならば致命傷となってもおかしくない攻撃も、威力が軽減されてしまう。
しかし、それならば重ねて畳み掛ければいいだけの事。
一本が駄目なら二本、二本でも駄目なら三本である。
「今のうちに畳み掛けろ!」
仁刀の声に反応して、由太郎と遊夜が銃を構える。
遮蔽物の無いゲートの中、射線も確保されたこの状況下で外す程、彼らの腕は悪くない。
「わるいねぇ、おっさんヒーローなんかじゃねえんだ、他者の命を奪わないと大切なものを守れない弱い人間なんよ」
「これでさようなら、だな」
散弾の雨が降る。
貼り付け状態となった哀れなラミアに、慈悲の如く。
壮絶な金切り声を上げ、遂に迷宮の主が討たれた。
残り二体となったラミアが、怒りに奇声を上げる。
それでも、最早恐るるに足るようなものではなかった。
「動くなってとこですかね」
仁刀によって腕をもがれたラミアの背後に、イアンが回る。
そうして、手にしたファルシオンで其の尾をぶちりと切り落とした。
バランスを失ったラミアが転び、無様に背中を晒す。
その背に、報復に燃ゆる漆黒の魔女が、万感の想いを込め魔法を撃ち放った。
「お姉様……力借りますよ……? Curus=Undine=Forts『The Third Fortune/Arctic Blizzard』……!」
黒氷の錐が暴風雪となってラミアを襲い、撃ち貫く。
全てを凍てつかせる雪風が、そのままラミアの命をも凍らせていった。
残ったラミアは敗北を悟ったのだろうか。
仲間二体の絶命を確認すると、そのまま奥へと逃走していった。
緩やかな一本道を注意しながらも出来うる最速で進んでいった撃退士達は、ゲートのコアと通報者の少年の遺骸を発見した。
鮮やかに一撃で胸を貫かれ、絶命している。
その傷口を見るに、ラミアのものではないのは明らかであった。
即ち、ディアボロよりももっと上位の存在の仕業、である。
少年の顔を見知っていたソリテアが、思わず顔を背け涙した。
前回も救えず、今回も救えず、後悔ばかりが胸を締め付ける。
「……ごめんなさい、そしておやすみなさい」
ぽつりと呟かれた謝罪と労いが、弱々しく空へと消えていった。
「生きていれば、いくらでも変えようもあるのにっ」
「おやすみなさい……安らかに」
他の撃退士達もそれに習い、この場所まで彼らを導いた英霊となった少年に、哀悼の意を表する。
せめて彼の魂に、安らかな休息を。
美佳は立ち上がり、魔法の矢を解き放った。
コアが悲鳴のような唸りを上げ、ひび割れながら欠けていく。
そうして、ゲートはその機能を停止した。
あまりにも呆気ない幕切れ。
ゲートの主たる天魔も現れず、異常な程に脆いコア。
本来ならば絶対にあり得ない事象である。
不可解なものを感じながらも、任務を終えた撃退士達は、少年の遺骸を抱きかかえゲートを後にした。
外に出た彼らを、綺麗な蒼い空が、優しく出迎えるのだった。
●???
「で、ラミアは結局何体用意できたんだ?」
京都近辺某所。
帰還した部下に、アルトゥールは報告を促した。
「申し訳ありません。ゲート作成時に撃退士もどきが既に侵入しており、相手方の対応も早く、300体程度しか作れませんでした」
無慈悲な上司に内心苛立ちながらも、恐怖から其れを押しとどめ、リルティは淡々と経過を報告した。
その数は、当初予測していた500体という数値にほど遠く、また、何体かはエレオノーレや撃退士達に撃破されていた。
作戦としては失敗の部類に入るべき其の報告を、しかしアルトゥールは咎めず、愉快と言いたげに笑うのみであった。
「中々、狩り甲斐があるじゃねぇか。なぁ? 次は俺様も手伝ってやる。準備しておけよ」
思いの外、優しい上司に不穏なものを感じつつも、やぶ蛇を突いては敵わぬ、とリルティは即座に退去する。
一人残されたアルトゥールは、尚も愉快そうに笑うのだった。
「こうでなきゃ面白くねぇ。さァ、止められるもんなら、止めてみろよォ、人間共!」
回り出した『大命』の歯車は止まることなく緩やかに其の動きを加速させていった。