●宵闇の街
薄暗い照明が、店内に柔らかく灯りを点す。
渋いJAZZが流れ、珈琲豆の香ばしい匂いが漂う店内は、店主である初老の男の厳めしさも相まって、大人の世界、といった雰囲気だ。
窓の外から垣間見る宵の口の久遠ヶ原は、未だに学生の姿がちらほらと見られるものの、徐々に数を減らしてきている。
逆に増えてきているのは、仕事帰りといった風の大人達や、遊びに行くところだと言わんばかりにちゃらちゃらした若者達。
街の昼と夜の住人が入れ替わろうとしていた。
「お待たせしました。ご注文のサンドイッチと珈琲になります」
可愛らしい女性の声で現実に戻った古島 忠人(
ja0071)は、窓の外から店内に視線を戻すと、どこかしら憂いを帯びた表情を作り微笑んだ。
「ありがとう、おねーさま。……俺、この街初めてでさ。いろいろ不安なんだ……」
それはもう、年上のお姉様に甘える美少年といった空気を作り出しつつ、一応の本来の仕事をこなそうと試みる。
本人が美少年かどうかはさておき、あわよくば店員とお近づきになってムフフな本心もさておき。
「ああ、それでしたら、うちの店長が詳しいですよ。ね、店長? それでは、私はこれで」
しかし麗しのおねーさまは営業スマイルで軽く躱すと、忠人を厳つい店主に押しつけ、さっさと戻ってしまった。
イケメンだったら勝てた。
ガックリしながらも、一応任務故に聞かねばならない、と忠人は思い直し、渋々新米撃退士役を続ける。
「撃退士になってはみたけど、実際TVや漫画に出てくるようなモンスターと戦うなんてめっちゃ怖いわぁ」
そう言いながらも、会話の端々に女性店員の個人情報を得ようと、こそこそと尋ねてみる。
だが、店主も慣れたもので、巧みな話術で肝心な部分をはぐらかし、中々目的の情報を得させてはくれない。
そもそも女性店員の情報を得る事が今回の目的では無いのだが。
結局、忠人は何の成果も得られぬまま、喫茶店『モルヒネ』を後にした。
街の隙間に出来た掃き溜め。
そう言っても過言ではない程に、其の場所は荒んでいた。
ゴミが散らかり、下卑た落書きが壁を埋め尽くし、お世辞にも上品とは言えない種類の人間達が屯する。
可視化された久遠ヶ原島の影の部分のひとつが、この『路地裏』である。
そんな場所に、不釣り合いな男が一人。
大澤 秀虎(
ja0206)である。
明らかに周囲と異質な空気を纏う秀虎は、手にした金銭をちらつかせ、ゴロツキとの交渉に当たっていた。
「(まさか俺が探偵まがいの事をすることになるとはな)」
厭らしい笑みを浮かべ取り囲む巨漢の男達を油断無く見回しながら、嘆息する。
想定の範囲内であったとは言え、金銭だけを奪わんとするゴロツキのテンプレなまでにお決まりな対応には辟易せざるをえない。
秀虎に向かって振り抜かれた拳を捻りあげ、投げ飛ばす。
吹っ飛ぶ仲間を呆然として見送る暴漢の懐に一跳足で飛び込むと、そのまま足を払い転がせ、急所を踏み潰した。
目の前の事態に漸く理解が追いつき、男達が臨戦態勢に入るが、既に遅い。
それでなくても撃退士と一般人とでは身体能力に絶望的なまでの差がある。
為す術も無く的確に人体の急所を突かれ、次々と意識を失い、或いは戦意を削がれていく。
一分と経たずにその場にいた暴漢達は制圧されてしまった。
「再度、質問する。嘘をついたり、10数える間に答えなければ指を折らせてもらう。最もお前の指とは限らんが、10、9、8……」
其れでも尚、秀虎は容赦しない。
まだ意識のある男を取り押さえると、腕を捻り上げ、尋問をかける。
しかし期待していたような情報は得られなかった。
秀虎は多めに金銭を押しつけると、路地裏を後にする。
「手間を取らせた」
何が起こったのか理解できない男達だけが残される事となった。
そんな傷つき呻く暴漢達の前に、トコトコと駆け寄ってくる影がひとつ。
秀虎が戻ってきたのかと硬直し、身構える男達。
しかし、やってきたのはメイド服に身を包んだ愛らしい少女である。
殺伐とした路地裏に南村角 晃(
ja2538)たんが現れた!
可愛らしい顔を心配そうに歪め、男達に応急手当を施していく。
「大丈夫ッスか? 暴力はダメッスよ?」
そうして、男達にメッ、とするのだ。
まさしく天使である。
この後、メイド少女(実際は男の娘である)に萌えた暴漢達が更正、社会復帰し立派なヲタクになるのだが、其れは別の物語である。
「あっらぁ〜。貴方、似合うわぁ〜。ねぇん、これもどぉかしら?」
怪しい光沢を放つ黒革のジャケットを手に、これまた怪しげな動きと口調で接客する短髪色黒のオネェ系店員。
その相手をしながら、黒・言蕾(
ja0353)の許容値はかなり限界に達しつつあった。
時折、偶然を装ってお尻をなで回す手が、身の危険を感じさせずにはいられない。
既に言蕾の全身はラバー製の服で上下共にコーディネートされ、完全にあっち系の風体である。
「やぁん、ス・テ・キ! やっぱりコーディネートはこーでねぇと、なんちゃってぇ〜。うふふ、どぉ? 今日はその衣装でおねぇさんとデェトなんてぇ」
されど、最早忍耐力の飽和である。
ツッコミを入れなければ死ぬ!
言蕾はそういう体質であった。
「いやいや全力でお断りですヨ。そもそもおねぇさんではないでしょう! 男性同士であるが故に」
生来のツッコミ気質が本領発揮である。
しかし、そのツッコミは同時に相手の禁句をもついた。
「んだとゴルァ!? 誰が男だもっぺん言ってみろやクソガキィィィッ!」
オネェ系店員が猫をかなぐり捨てて本性を現す。
今、ボケとツッコミの死力を尽くした戦いが始まりを告げた。
ラバー製品専門服飾店『ケツの穴』は今日も平和である。
「魔術書、ねぇ。悪いねぇ、うちの店には置いてないなぁ」
古書店『萬年堂』の店主の答えに、桜木 真里(
ja5827)はガックリと肩を落とした。
いかにも残念そうな様子を醸し出しつつ、真里はそっと店主の様子を窺いながら、続ける。
「そう、ですか。俺、撃退士なんですよね。其れで皆を護れる力が欲しくて、強くなりたくて。少しでも勉強しようと思って魔術書を探してたんですよね」
最近失踪した撃退士達は、この区画に集中していると言う。
もしかしたら、自分の身分を明かす事でこの店主が何か尻尾を出すかもしれない、と。
だが、店主にその様な挙動を認められる事は出来なかった。
「……そうかね。若いのに、偉いなぁ。君らのお陰で、わしらが平和に暮らせておる。感謝しとるよ」
其ればかりか、逆に応援されてしまう始末である。
ならば、と、
「店主さん……最近……変わった……ことは……ない……ですか……?」
同じく店を訪れていた華成 希沙良(
ja7204)が視点を変えて尋ねてみた。
もしかしたら、何か目撃しているかも知れないという淡い期待を込めて。
だが、こちらに関しても期待しているようなものは得られなかった。
「変わった事、かね? そうさな、近所の野良猫が子猫を産んだ事くらいだねぇ」
どうやら、此処は事件には関係ないらしい。
真里は店主に礼を言うと、次の調査場所へと向かった。
希沙良は読書好きと言う事もあり、もう少し居残って本を購入して行くことにする。
「ふむ、お嬢ちゃんは本が好きかい? ああ、じゃあとっておきの本があるよ、待ってなさい」
気の良い老店主と、内気な少女の穏やかな時間が流れる。
その光景は、まるで仲の良い祖父と孫のよう。
ゆるゆるとした読書談義が続いていくのだった。
●不穏の正体
バー『奇厳城』では怪しげな仮面が配られ、参加者達が奥のイベントスペースへと誘導されていた。
その中に、秀虎、晃、真里の姿が確認できる。
「これから何が始まるんですか?」
真里が近くの客達に質問するが、返答が曖昧で要領が掴めない。
要するに、ぶっつけ本番で事に当たるしかないと言う事である。
少し離れた場所では、晃が腑に落ちない様子で考え込んでいた。
「(こんな場所に子供が来ているのは絶対変ッス。それなのに普通に入れるなんてどういう事ッスか?)」
不審なのは其れだけでは無く、時折晃をジロジロと嘗め回すような視線をすら感じる。
正体の解らぬ不快感を覚えつつも、今は座して待つしか無かった。
その横では秀虎がご主人様然として構え、じっとステージを凝視している。
これが防波堤になって、晃に何の危害も及んでいないのかもしれない。
「お待たせしました。本日のメインイベント、オークションを開催いたします!」
そんな異質な空気の中、司会者の男性がステージ上でマイクを握り、イベントの開始を告げた。
熱狂する観衆達。
その全てにつけられた仮面が、不気味さを増長し、恐ろしい何かを連想させる。
「それでは、早速ですが今宵の超目玉商品と、その出品者達を紹介いたします。さぁ、拍手でお迎えください!」
司会者の合図で、全身黒タイツに怪しげな仮面をつけ、特徴的なムダ毛を露出した四人組が現れた。
そうして、ステージの真ん中にドドンと一組の黒いニーソックスを展示する。
「K学園からいらっしゃった匿名希望のHHさん達です。そしてこのニーソはなんと、あのはぐれ悪魔、E嬢から直に奪ったものであるとか? ロリコンの皆さん、必見ですよ!」
ロリコン、の一言に秀虎がぴくりと動いた、ような気がした。
晃は脱力した。
そしてよくよく耳を澄ませば、トンデモナイ声が聞こえてくるではないか。
「おい……あの幼女メイド、商品かな? いくらで買えるんだろう」
「いやいや、流石にレンタルじゃないか? 問題は何をどこまでデキるか、だな」
「ハァハァ、メイド幼女イイ」
どうやら此処は、変態紳士御用達のイベントだったようだ。
項垂れる晃とは対照的に、真里は笑い転げていた。
興味本位で価格のつり上げ競争に参加し、絶妙のラインで退いていく。
新しい遊びを見つけたようである。
忠人は覚悟した。
そして理解する。
これが、肉食動物に遭遇した草食動物の気持ちである、と。
ただ一つ理解できた真実は、絶対に背中……もとい、ケツを見せてはイケナイという事。
それ程までに、目の前のオネェ系店員は充分な威圧感をもっていたのだ。
「ぼくぅ、イケナイ子ねぇ。こんな時間まで夜遊びだなんてぇ。おねぇさんが、イケナイ遊びを教えちゃうわよぉ?」
捕まったが最後、得物を逃がさぬ捕食者の貫禄を見せつけ、『ケツの穴』店主は忠人を店内の隅へと追い込んでいく。
「き、貴様ー! 俺はこ、これでも撃退士なんやぞー!?」
精一杯虚勢を張ってみるものの、膝ががくがくと笑っていては台無しである。
そして、そんな脆弱な牙では猛獣に敵うはずがない。
店主がボタンをぽちりと押した。
シャッターが自働で降り、本日は閉店の運びとなった。
万事休す!
「撃退士なら……、ハゲシクしても、イイわよねぇ?」
忠人の長い夜がハジマッタ。
「店主、この薬は? これは何の効能があるんですかね?」
言蕾の瞳がきらきらと輝いていた。
雑貨屋『頓珍漢』に並ぶ怪しげな薬品の数々に興奮を隠せない様子である。
「それは『超凶悪下剤』アル。チンはソレでライバルを蹴落としたアルヨ。ホントアル」
言蕾の質問に、これまた薬品にも負けない胡散臭さを醸し出す店主の男が、胡散臭げな言葉遣いで答えていく。
男女兼用ホレ薬、超強力媚薬、絶倫精力剤。
ほれぼれとする程、まともな商品が無かった。
それでも言蕾は信じるのか、信じていないのか、面白半分に購入していく。
いったいナニに使うと言うのだろうか。
一通り商品を購入しほくほくした後、言蕾は金銭を握らせ、店主に耳打ちした。
曰く、何か珍しい情報は無いのか、と。
店主の瞳が怪しく光る。
「チンは知ってるアル。コレ、取っておきの情報アルヨ。これはチンがまだ王様をやってた時の事アルが……」
どうやら店主はボケサイドの人間だったようだ。
言蕾の雷よりも早いツッコミが炸裂する。
「じゃ、じゃあこっちはどうアルか? これはチンがまだ戦闘機乗りをやってた時の事アルが……」
どうやら、ボケとツッコミが化学反応を起こしたようだ。
全てのボケにツッコミを入れきるまで、言蕾の夜は明けないようである。
「あんたみたいなお嬢に俺の拉麺が解るかい? それ食ってとっとと帰りな」
頑固そうな親父が、希沙良の前に粗野な仕草で拉麺を差し出した。
こってりとしたスープが濃厚な豚骨の匂いを漂わせ、空腹の胃袋に切実に訴えかける。
そんな頑固店主に似たどことなく頑固そうな拉麺を、希沙良は美味しそうに食べ始めた。
「……美味しい……ですね……。……何かコツ……ある……の……かな……」
ほぅ、と息を吐きながらつるつると麺を啜る美少女を、少し照れくさそうにチラ見する親父、ツンデレである。
「よせやい。褒めたって何も出やしねぇよ。……チャーシュー一枚オマケしてやらぁ!」
そう言いながらぶっきらぼうに肉塊を拉麺にぶち込む、素直になれない『虎威揚印』店主。
その様子を微笑ましく見ながら、希沙良は世間話をするように切り出した。
「……お得意さん……に……変わった……事……ありません……か……」
しかし、ここでも期待したような成果を得られる事はなかった。
「あぁ? 変な事だ? この辺の客は変人ばかりだからな。俺も他人の事を言えた義理じゃあねぇがよ。特にねぇな」
「(……とても……残念……です……ね……)」
それでも此処の拉麺は存外に美味しい。
時間ぎりぎりまでどんどん食べる希沙良であった。
閉店間際の『モルヒネ』店内で、晃が強引に食い下がる。
既に店内に女性店員の姿は無く、店主と晃の二人だけだ。
「いや、俺、実は撃退士なんスけど、上手くいかなくて……。だからこうしてバイトとかもして、お小遣い貯めてるんスけど……」
だが、晃が撃退士であると解った瞬間に店主の様子が一変した。
「そうか、君は撃退士か。……なら、力が欲しいかね?」
店主が値踏みする様な視線で晃を見つめる。
何かを試すように、何かを見透かすように。
その気迫に、一瞬たじろぐが、晃は努めて冷静に問い返した。
「力って何ッスか?」
「撃退士としての『力』だよ。ついてくるかい? 其れだけで君は強くなれる。素晴らしい『薬』があるんだよ。夢のような、ね」
その答えに晃は確信する。
この男が今回の事件の主犯である、と。
「う、うーん……ちょっと考えておくッス。近いうちにまた来るッスよ」
今はこの事を杠 虎鉄(jz0072)に知らせなければならない。
曖昧に返事を濁すと、晃は『モルヒネ』を後にした。
其の背に、男の声がかかる。
「……ああ、待っているよ。しかし、この事は誰にも秘密だ。解るね?」
どこまでも底知れぬ其の言葉に恐怖を感じながら、晃は逃げるように駆けだしていった。