●死の街
澄みきった蒼銀の月が宙から地を照らす。
病的なまでの其の蒼白さは、不気味なまでの静寂を決め込む街を、より一層寒々しく輝かせる。
辺りに満ちた鼻腔を擽るその香りは、蠱惑的なまでに昇華された甘き死を孕む。
駆け抜ける風の咆哮は、救われなかった者達の呪詛のように激しく胸を掻き立てた。
蒼く輝く次元の輪を抜けた先に辿り着いたのは、そんな死が濃密に漂う街の一角。
先頭に立つ悪魔、エレオノーレ(jz0046)は空から月を切り取ったかのような銀髪を靡かせ、その先にある何かを見通さんと睨んでいた。
其の背後には、今回の作戦の為に集った蛮勇を誇る二十五名の撃退士達。
危険な任務であるにも関わらず、彼らが参加を志願したのには、それぞれに理由がある。
約束、使命、憐憫、憤怒、憎悪――。
何れにせよ、理性を越えた何処かで自身の持つ琴線に触れるものがあったのだ。
そしてその筆頭が、今回の事件の首謀者である『絶対零度の狩人』悪魔アルトゥール・フォルターと浅からぬ因縁を持つエレオノーレである。
「ではの、エルはアルトゥールを討ちに行くのじゃ。君達は手はず通り、な。殲滅と……少女の事、頼んだのじゃよ」
エレオノーレは撃退士達に後を託す旨を告げると、僅かの逡巡の後、宿敵を求め夜の闇へと消えていった。
其の意味する所を理解した撃退士達に、重い空気がのしかかる。
そんな空気を吹き飛ばすように、あえてあっけらかんと雀原 麦子(
ja1553)が陽気に声を掛けた。
「さあ、愛と勇気とガッツで乗り切りましょ♪」
こんな時に、ではなく、こんな時だからこそ。
待ち受ける敵の総数は不明、先遣隊は悪魔により全滅、護るはずの少女は犠牲に、集まった撃退士の数は緊急の為に少数。
そんな絶望的な状況だからこそ、少しでも士気を高め、悪夢に終止符を打ちたい、と。
足りない数は戦術と固い連携でカバーするのだ、と。
各班の点呼が始まる。
その合間を縫い、麦子は全班の連絡係に声を掛け、ミーティングを行った。
「貴方達がこの作戦の鍵を握る六つ目のチームよ。全体を考えた戦術を……なんて言わないけど、困ってる仲間を助け合って生き延びましょ♪」
今回の作戦は、所謂殲滅戦に相当する。
敵は個々としては弱く、撃退士にとっては対した脅威にはなり得ない。
だが、厄介な事に身体の自由を奪う花粉に、圧倒的個体数を以て人海戦術をとってくるのだ。
数という暴力の前に、個とはあまりにも無力でしかない。
それらを覆すには、綿密な協力と連携、正確な情報統制が必要になってくる。
そういった意味では、チームの情報操作に関わる連絡係は勝利の為の重要なファクターなのだ。
そして、其れを成す為に下妻ユーカリ(
ja0593)が提唱した情報統制のシステムは秀逸と言えた。
唯、情報を流し続ければ良いと言う訳ではない。
其処には優先度の低い雑多な不純物も混ざる。
リアルタイムで奔流し続ける情報の波から、真に必要な情報を拾い上げるには、それ相応の時間と労力が伴うのだ。
其れは今回のような作戦で用いる上では、致命的なタイムラグになりかねない。
それ故に、最優先事項を決め打っての戦況状況の共有化のシステム確立は戦略的にも大きな成果なのだ。
エクストリーム新聞部に所属する彼女ならではのノウハウと言えた。
「おっけ、これでよーし!」
共通事項を再度確認し、それぞれの班へと戻っていく。
現有戦力で出来うる限りの対策は講じられた。
後はぶつかり、己の力を信じるのみである。
AからEまでの五班に分かれた撃退士達は、それぞれの担当地区へと向かい、ローラー作戦を開始した。
その先にある悪夢を終わらせる為に。
●疾風迅雷、闇を切り裂く
効率的に殲滅する為に取られたのが、街を九つのマス目に見立てたエリア化と、それぞれに割り振った戦力の分散である。
右回り、左回り、中央の三方向に戦力を分担、配置し、足並みを揃えて街の最奥を目指す手はずとなっていた。
中央進軍を割り当てられたA班は、一閃組の策士、鳳 静矢(
ja3856)の発案によるフォーメーションを組み、慎重に歩を進めていく。
アルラウネ最大の武器である麻痺花粉の被害を抑える為のこの隊形は、静矢の全員無事で任務を終えたいという意思の元に考案されたものだ。
彼には、彼の無事の帰りを待つ愛する恋人がいる。
この任務の後、結婚式を挙げると約束しているのだ。
こんな所で無理をして、彼女を悲しませる訳にはいかない。
そう思う反面で、やはり自分と同じ班になった面々の身の安全も考えずにはいられないのであった。
「(もしもの時は私が身を挺してでも護らねばならないな)」
胸の内に密かに決意を固め、街を行く。
だが、そう願うのは何も彼ばかりではない。
その隣を共に歩む一閃組局長、獅子堂虎鉄(
ja1375)もまた、今回の危険な作戦に参加した隊士全員の無事を願う一人である。
無論、その中には挙式を控える戦友、静矢も含まれているのだ。
そして其の思いは隊士達だけには留まらない。
幸い、顔見知りばかりが固まり、比較的連携の取りやすいこの班に所属するメンバーは勿論、この街のどこかで今も尚苦しんでいるディアボロと化した少女。
其れすらも救済したいのだ、と。
例え其れが、終焉を意味するものであったとしても。
勝てるかどうか、討てるかどうか、其れはその場で直接刃を交えて見なければ解らない。
しかし、決意と覚悟を持つ事なら、誰にでも出来るのだ。
そこに至るまでに押し殺さなければならない数多の感情を犠牲にして。
そう言った意味で、アイリス・ルナクルス(
ja1078)は数え切れない死を渡り歩いて来た分、幾許かましと言えるのだろうか。
否、どれほど生と死を見つめようとも、『死』と言う概念に慣れると言う事は、少女の身には有り余る重さなのだ。
其れを為し得るとすれば、苛烈で痛切なまでの強力な自己暗示。
自分を、自分ではない自分へと変革させる為の儀式。
其れを経て、漸くにして少女は至る。
悲劇に終止符を打つ為の戦闘機械へと。
口ずさまれる詩が、闇夜と混ざり、溶けていく。
生の気配が消え失せたこの街には、其れがとても寂しく響いた。
時折街灯に照らされ散見されるのは、破壊の爪痕。
そして、最早物言う事すら叶わぬ糸の切れた虚ろな人形の残骸。
嘗て確かにあった平和は脆くも崩れ去り、今は嘆きと苦痛のみが支配する。
そんな惨状を、瞳に焼き付けるように見据える者もいれば、目を背け、見なかった事にする者もいる。
居たたまれない思いを胸に進む撃退士達は、街の中央に向かえば向かう程、その悲劇を目の当たりにするのだ。
その数は、人のいた数だけ比例し、増えてゆく。
たった一つの命。
それ程に、重いものなのだ。
だが、やはり桜宮 有栖(
ja4490)はそれらの感情を心の根底から思い描く事ができなかった。
喪失した感情は、残酷なまでに少女の想いを踏みにじる。
過去の自分を重ね、周囲の顔色を窺い、上辺だけの表情を作り上げる。
街灯の届かぬ場所に向けられたランタンが暴き出す悲劇を、そうやってやり過ごしていく。
時折、広い場所に出ては阻霊陣を使い、敵の有無を確かめる。
淡々と己に割り当てられた役割をこなす事で周囲と自分との差を隠すのだ。
そんな人形としての自分に、あざとさを感じながら。
撃退士達の想いはどうあれ、A班としての作戦は順調に進んでいた。
道端に不意に転がっている黒く焼け焦げたアルラウネの残骸を見るに、エレオノーレは中央ルートから最後にアルトゥールが目撃された場所へと向かったらしい。
その度に鷺谷 明(
ja0776)がスマホを使い、現在の戦況を更新してゆく。
表示される情報を見るに、他班はどこも戦闘中らしい。
先行したエレオノーレが何体か討ち滅ぼしているとは言え、ここまで順調なのはある種の不気味さを感じずにはいられなかった。
果たして、その予感は当たる。
其処は死が支配する街の中央部。
闘争のメイルストロムの中心点。
生者を求めて、熱き血潮を求めて、魔が集う戦場。
ゆっくりと、渦を巻くように四方からアルラウネが結集しつつあった。
「ふん、そう簡単にはいかんか」
明の身体から、宵闇を溶かしたような光纏が溢れ、零れ落ちる。
他班に援軍要請は出したものの、どこも交戦中故、期待は出来ないだろう。
ならば、このまま突破するか、一時後退しつつ防戦するか、だ。
「犠牲になった人達の為にも、こんな夜は直ぐに終わらせよう! その為に今日は全力でいくよ!」
滅炎 雷(
ja4615)の気概と共に行使されたアウルの力、光纏に反応して、胸元のペンダントが青白く輝きを放つ。
「そこは私の距離ですよ?」
冬の街に咲いた季節外れの桜が淡い燐光を放ち、闇夜に揺れる。
有栖の手から放たれた討魔の矢が、ディアボロの額を撃ち貫いた。
「敵は……私が……仕留め、ます……。悲劇……に、終焉……を!」
赤黒い血のような光纏がゆらゆらと吹き上がり、身の丈を越える大剣を構え、アイリスが告げる。
その瞳と同じ血の色を求めて、敵へと肉薄していく。
斬ると言うよりも、叩き付け、押し潰すという力の暴風。
ほんの一振りで肉塊と化すアルラウネを尻目に、次の獲物を求め、駆け出す。
「アイリス殿、少し出過ぎだぞ! 王虎雷纏!」
闇を焦がす金色の火花を散らし、雷獣の如き力の奔流が虎鉄の全身を駆ける。
「静矢殿、援護するぞ!」
きりきりと弓弦を引き絞り、進路上の敵へと狙いをつけてゆく。
そのタイミングに合わせ、静矢が大太刀を手に、アイリスの援護へと向かう。
紫に染まった刃と、雷の矢が交差し、群れ蠢く魔に襲いかかる。
紫電一閃!
立ちはだかる敵を薙ぎ、討ち滅ぼす。
されど、多勢に無勢。
危険な状況下であるには違いない。
完全に包囲される前に一番手薄な場所を突破しなくては。
撃退士達は各々の武器を手に、死地を脱するべく駆けだしていった。
●歪曲された少女の幻影
駐車されていた車のヘッドライトが不意に点灯し、闇に潜む者達を暴き出す。
「先輩、ナイスっす! うおりゃーっす!」
体育会系らしい羽生 沙希(
ja3918)の気合いの入った一撃で、また一体が無に帰してゆく。
その様子を見つつ、割れた窓から麦子がサムズアップしてみせた。
純白の翼のような光纏を広げる沙希の姿は、とても美しくはあるのだが、
「ひぃー、花粉は来ちゃ嫌っす!」
等と、盾とさらしを必死にパタパタさせて顔を守る仕草は、どことなく滑稽である。
そしてお約束のように花粉を貰って麻痺してしまう辺り、予定調和なのだろうか。
「沙希さん、危ないですよ?」
そんなマスコット的少女に、これまたワンテンポ遅れ気味なほんわかとした少女、神月 熾弦(
ja0358)が盾を持ちフォローに入る。
蔓の攻撃を盾で凌ぐ度に、服の上からでも解る程の大きくたわわに育った胸が、たゆんたゆんと揺れた。
「あっぶなーい!」
麻痺した沙希を救うべく、ユーカリの擲つ苦無が雨の如くアルラウネへと襲いかかる。
其れを投げた当の本人は、電信柱に抱きつき、得意顔である。
その威風堂々とした張り付きっぷりたるや、どこぞの子守熊を彷彿させるものがあった。
それにしてもB班、軽快なノリである。
緊急時とは言え、どことなく似た者同士が集まるものなのだろうか。
少女達のゆるふわな仕草を、微笑ましそうに見つめながら、石田 神楽(
ja4485)は黙々と敵を撃っていった。
赤い瞳に裂けた瞳孔、黒色光を纏い笑う姿は、悪魔を彷彿とさせるものがある。
そして、其の射撃には迷いが無い。
撃つべき敵が見えている、と言うのだろうか。
瞬時に判断される優先順位は的確であり、また、確実に急所を撃ち抜いていた。
なんだかんだと言いつつ、即席の割にチームワークは良好なようだ。
時に騒々しくも、陽気で笑い声が絶えないB班であった。
その頃、C班はB班よりも更に外側、街の外周に沿うように索敵に当たっていた。
どんな時でも手放す事のない愛しのバナナオレを飲みながら、ユウ(
ja0591)は歩く。
その瞳は冷たく、この場に満ちる死の気配を見つめ続けていた。
胸に去来するのは、過去の残響。
血塗られた植物園で掬えた命の輝き、そしてもう二度と見る事の叶わぬ在りし日の笑顔。
せめてハジマリを紡いでしまった自分が、其の最期を見届けねば、と。
ユウと同じような想いを、アトリアーナ(
ja1403)も抱いていた。
全てに見捨てられた養護施設で、痛みに耐えながらも護り通した尊い希望。
今も尚、鮮明に思い出すのはあの時の笑顔。
ありがとう、そう言ってくれた言葉が心に響く。
故に、見届けねばならない、その最後だけは。
だからこそ、ぎゅっと唇を噛み、感情を押し殺す。
そうでもしなければ、きっと討てない。
言葉じゃもう、どうにも出来ないのだ。
最後に残された救いがそう言う事ならば、躊躇する訳にはいかないのだ、と。
押し黙り、黙々と歩を進める二人の背後を、大上 ことり(
ja0871)がトコトコとついて行く。
物言わぬ二人をおろおろと見つめながら、優等生タイプのことりは独り密かに悩むのだった。
明らかに只ならぬ様子の二人に、何と声を掛けるべきか、どうすれば仲良く出来るのだろうか。
ディアボロの接近に注意しつつも、ぐるぐると考えてしまう。
その間の百面相たるや、筆舌にし難い。
真面目で純粋な分、余計な気を揉んでしまうのだろう。
そんなことりの様子を横目に、久遠 仁刀(
ja2464)はやや苦笑気味である。
仁刀にしても、ことりの事を笑えない程には真面目である。
今回の事件に対して、何らかの因縁を持つユウとアトリアーナの為に、盾になる事も辞さない覚悟を抱いていた。
それは、二人に極力万全の状態で決着をつけさせたいという、彼なりの優しさであり、男気であった。
実はC班の四名の中で一番小さく華奢なのは仁刀だったりする。
猛るちびっ子、健気である。
しかし、そんな微笑ましい時間も終わりを告げた。
仁刀が刀を手に、先頭に出る。
建物の陰から敵が二体、ゆっくりと近づいてきていた。
ユウが阻霊陣を展開すると、道端の壁からも二体、押し出されるように現れる。
其れは懐かしくも憎らしい仇敵、アルラウネであった。
「さぁ、おいで……壊れた人形がいつかのお礼をしにきたよ」
ユウの表情が、残酷な笑顔に歪む。
「四体、か。一旦下がるべきだな。 無理せず確実に倒して行こう」
敵戦力を冷静に判断した仁刀が、安全策を取ろう、と仲間に意見する。
だが、行動に移すよりも早く、この退廃に彩られた街の主となった小さな女王が、生の気配に誘われ其の姿を現した。
絶望を紡ぐ歌が響き渡る。
其れは全ての生あるモノへの呪詛。
報われる事の無かった壊れた祈りの欠片。
聞く者全ての胸を掻き乱し、悪夢へと突き落とす怨嗟の念。
こうして、因縁の再会は戦場にて為されたのだった。
「C班が例の少女と交戦状態に入って逃走中だって! 麻痺花粉貰っちゃって結構ヤバいみたいだよ? 援護、いっちゃう?」
C班の危急は、即座に全班に伝えられた。
だが、D班とE班は遠すぎて間に合わず、A班は中央で戦闘中。
向かえるのはB班しかいなかった。
ユーカリが班員に、支援に向かうべきか問う。
返って来た答えは、応、である。
「心に絶望が入り込む余地があるならまだ大丈夫っす! 諦めなければまだまだいけるっすよ!」
スポーツドリンクを飲みながら、沙希がどーんと胸を張る。
「元々、ある程度の段階で合流して戦う手はずですし、危険な状態なら支援しないと、ですね」
熾弦も、温存していた回復スクロールの使用も辞さない、と救援の意思を示す。
「元より、覚悟はできています。……はやく、楽にしてあげましょう」
あくまでも笑みを崩すこと無く、神楽も請け負う。
「いょーし、じゃあ、救援に出発しましょ♪」
麦子は相変わらずハイテンションである。
皆の意見が一つに纏まった所で、B班の面々はC班と合流すべく、移動を開始した。
●悪魔来たりて
「実質は消耗戦……ただの草刈りとも言ってはおれんか」
襲いくる蔓を、刃を立てて受け流しながら、器用に切り落とす。
捌ききれなかった衝撃を甘んじて受けながら、返す刃でアルラウネを一刀両断してみせた。
動かなくなった敵を、蔑むように見下ろしながら、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が所感を述べる。
騎士たる己に誇りを持ち、卑怯な手法を嫌う正道の女傑は、今回の事件の首謀者の執った手段は、嫌悪すべき部類に入るものであった。
対して樋渡・沙耶(
ja0770)は全く別の心証を抱いていた。
「(悪魔は、誰でも、意識を残したまま、身体だけを、人を眷属に、出来るのかな……)」
円舞を踊る様に、薙刀の切っ先を舞わせ切り裂き、柄を回し鞭を絡ませ。
「(感情とか道徳、抜きにして、そんな力が、あるのは、興味深い……)」
間合いを詰め、必殺の一撃を最小の動きで叩き込んでゆく。
淡々と身体では戦闘作業をこなしながら、頭の中では科学者の卵として、溢れ出さんばかりの知識欲が渦巻いていた。
そんな二人とは、また別の感慨を持つのが雫(
ja1894)である。
普段はあまり感情を表す事のない少女だが、何故か今回ばかりは違った。
その名と所業を耳にして以来、心の中に憎悪が澱み、しかし何も為す事が出来ない無力な自分を悔やみ、打ち震えていた。
ただ、機械的に繰り出される槍の穂先はそれ故に。
自身の感情を抑える為に、衝動を抑える為に。
それぞれの想いを切っ先に乗せ戦う前衛陣とは別に、D班の後衛陣は落ち着いている。
風向きを読みながら、花粉を警戒しつつ鴉乃宮 歌音(
ja0427)が敵の動きを牽制する。
常に意識するのは最悪の状況を想定した退路の確保。
生き残る事を最優先事項に、警戒を厳にしていた。
もう一人の後衛、影野 恭弥(
ja0018)もクールで自分のペースを保っていた。
折を見ては阻霊陣を使い、周囲に透過している敵がいないか索敵する。
仲間が花粉で麻痺しても、決して助け起こそうとしには行かない。
感情にぶれる事無く敵の殲滅を優先し、二次被害を抑える。
冷静で、慎重で、チームの中では一番、生き残ると言う事に関しての素質に長けていた。
だから、では無いが、その異変に最初に気がついたのは恭弥だった。
「……あれだけ居たアルラウネが此処にきて少なくなってないか?」
奥に進めば進む程、その数を増やしていたアルラウネが、ある区域を境に姿を消しつつあった。
粗方、殲滅し終えたのだろうか?
しかし、違和感は残る。
戦況を確認すれば、A班は中央で後退しつつ防戦中。
B班は変異体に襲われ救援を求めており、C班が其れに向かっていた。
E班も自分達よりも外周で戦闘中であり、明らかにD班の居る地区だけが浮いていた。
しかし、その疑問は直ぐに解ける事となった。
「よぉ、雑魚共。群れて俺様の出迎えか? 殊勝な心がけじゃねぇか」
赤い長髪を夜風に晒し、異質な何かが単独でD班に近づいて来る。
特徴的な外見、纏った只ならぬ威圧感、そして、その背に誇る悪魔の証。
狩人を謳う背徳の悪魔、アルトゥール・フォルターが其の姿を現したのだ。
「外道……許せない」
其の姿を一目見て、雫の憎悪が溢れ出す。
「……間が悪いな」
フィオナの侮蔑の眼差しが彼の悪魔を射貫く。
だが、其処までだ。
力では絶対に敵わない。
故に、悔しさを噛み殺し、逃げなければならない。
生き残らねばならないのだ、明日の為に。
撃退士達は踵を返すと、持てる全力で逃走を開始した。
歌音が逃げながら振り返り、アルトゥールに向けて出鱈目に撃つ。
僅かでも怯ませ、逃走の助けになれば、と。
しかし、其れは悪魔の神経を逆なでするだけでしかなかった。
「はぁ? 雑魚の癖に俺様に反抗するたぁ気にいらねぇな。お仕置きだ、逝っちまいな!」
アルトゥールの掌に、槍を模した氷塊が形成されて行く。
急速冷結された氷槍が、悪魔の意思によって撃ち出され、歌音の胸を穿ち、血をぶちまけた。
「カハッ!?」
歌音の口からも血が溢れ出し、あっと言う間も無く意識を失う。
たった一撃。
それだけあれば撃退士を戦闘不能に追い込む事など、この悪魔に取っては造作もない事だった。
倒れた歌音を、仲間達が抱え必死に走る。
背負った恭弥の背が血で濡れ、赤く染まっていった。
「ざまぁねぇなぁ、雑魚共ォ! もっと逃げろ! 怯えろ! 泣けよ! 喚けよ! 俺様を楽しませてみろよォ!」
降りかかる悪魔の嘲笑を背に、安全な場所を求めて撃退士達は逃げ出した。
「くらえ、光刃閃光シュリケーン!」
ニンジャ大好き男の娘、犬乃 さんぽ(
ja1272)のかけ声と共に、手裏剣状の魔法弾が撃ち出されてゆく。
撓る蔓の鞭を焼き切りアルラウネに隙が出来た所を、白翼の燐光を散らしながら桐原 雅(
ja1822)が間合いを詰め、必殺の蹴りで首を刈り取るように繰り出す。
友人同士の息のあった連携で、テンポ良くディアボロを沈めていった。
普段は独りで居ることを好む秋月 玄太郎(
ja3789)も、戦闘とあればそうもいかない。
苦無を手に自班のメンバーの動きをトレースし、クロスファイア気味に擲ち、逃げ場を奪う。
「怨嗟と苦悶に染まった素敵な夜だわぁ……地獄の門を開けるには最適ねぇ……ふふ、ふふふ」
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
黒百合(
ja0422)の手にしたサバイバルナイフが、鮮血で染まる。
しかし、執拗に刺す動きは止まらない。
アルラウネの喉を、眼球を、楽しげに抉り出す。
「ねぇ、貴女もそう思うでしょぉ? ……ふふ、あはは。本当に、素敵だわぁ……」
恍惚、といった表情そのもので、少女は微笑っていた。
そうして、次の玩具を求め、夜へと駆けるのだ。
雅が危急を告げる第一報に気がついたのは、D班潰走後暫くしてからであった。
E班の面々が周囲の敵を大方殲滅した後にもたらされた悪魔出現の情報は、撃退士達の判断を迷わせた。
悪魔が現れたのはE班の近く、内周側である。
このまま先に進むのか、一旦後退するのか。
万が一悪魔が逃げたD班を追っているならば後退するのは危険であり、逆に待ち受けているのだとすれば進むのは危険である。
エレオノーレが悪魔の対応に向かってはいるらしいが、いつ接敵するとも知れない。
分かれる意見を折衝しようと時間が取られたが、其れが致命的なタイムロスとなってしまった。
「愉快そうな話してるじゃねぇか、雑魚共よォ。俺様も混ぜろや、なぁ?」
悪魔アルトゥールの到来である。
逃げる事しか考えない撃退士達を小馬鹿にした物言いで焚きつける。
「お前、ロクな死に方しないぞ……。それも、近いうちにな」
玄太郎が負けじと睨みを利かせ、言葉を吐き出す。
黒百合は唐突に現れた復讐すべき相手に、歓喜の震えが止まらない。
手を出したい、だが、今は敵わない。
いつかその下卑た笑みを恐怖に変えてやるのだ、と。
しかし、結局どう足掻こうとも、今の力では悪魔には勝てないのだ。
撃退士達は悔しさを噛み締め、負け犬の如く逃走する事を選ばざるをえない。
だが、それでも大炊御門 菫(
ja0436)は迷っていた。
逃げなければならないのは解るし、戦えば自分以外を巻き込み危険に晒すのも解る。
そこまで子供では無いつもりだが、心が、矜恃が彼の敵を許すことなど出来るはずがなかった。
だと言うのに、無力な自分は戦う事すら選び取る事ができない。
嘗て、シュトラッサーと対峙した時もそうだった。
敵を前に、みすみす手を出す事無く逃がすという選択――実質、見逃されたと言う事実が胸に突き刺さり、今も尚、菫を苛むのだ。
自分の力はいったい、何の為に?
ただ、指をくわえて見ているだけの存在なのか、と。
逡巡、戦闘ではその僅かな時間が命取りとなる。
気がつけば、歪な笑みが菫の目前まで迫っていた。
「いい声で啼けよ、雌豚ァ!」
反応する事すら許されない悪魔の一撃が菫を襲い、軽々と其の身体を吹き飛ばした。
無様に地面を跳ね転がり、コンクリートの壁に激突して、やっと止まる。
見開かれた瞳孔から、血の涙が零れ落ちる。
全身の骨がイかれ、へし折れ、内臓に深刻なダメージをもたらす。
声が、出ない。
ひゅ、ひゅ、という空気の漏れるような音だけが、口から出るのみだ。
あまりにも無力。
力の差はこれほどに顕著なのだ。
だが、その力は只の暴力である。
信念の伴わない力は、破壊しか生まず、力の伴わない理想もまた、妄想でしかない。
本当の力、何者にも屈しない力というのは、自分の中で見つけ出し、自分の中で育むしかないのだ。
またしても無力感に打ち拉がれたまま、菫の意識は墜ちていった。
あっと言う間の出来事に、E班の面々は固まった。
このまま菫を助けにいけば自分達の身も危ない。
助けるべきか、見捨てるべきか。
苦悩するE班に、選択肢が迫られていた。
●炎と氷と
「アルトゥール・フォルター! 積年の業、ここで落としてゆくのじゃ!」
夜を昼に塗り替える煉獄の炎が、赤々と燃ゆる。
エレオノーレの放つ炎の渦が、アルトゥールへと襲いかかり、弾けた。
アルトゥールの眼前に、氷の障壁が作り出され炎を防いだのだ。
「何をしておる、はよう菫を連れて逃げるのじゃ!」
エレオノーレの怒号で、状況を整理したE班は菫を抱え、戦線を離脱した。
「久しぶりじゃねぇか、グズエル。元気にしてたか? 愉しいだろなァ、今の生活はよ!」
アルトゥールの周囲に無数の氷剣が作り上げられ、月光を浴びて燦然と隊列を組む。
「家畜共と馴れ合うって言うのはどんな気分だ? 俺様に教えてくれよ、なァ!」
まるでオーケストラの指揮者のように、氷剣を操り、エレオノーレへとけしかける。
「人は、家畜などではないのじゃ! 汝のような愚かな者ばかりじゃから、いつまでも不毛な戦いが終わらぬのじゃ!」
はぐれ悪魔の周囲を護るように炎の渦が顕現し、氷の剣が其れに当たって砕け、消えてゆく。
が、溶けきらなかった一部が炎を貫き、エレオノーレの服を、肌を、浅く切り裂いていった。
「愚者はどっちだ? てめぇの価値観なんざ知ったこっちゃねぇ。だが、あの方を裏切ってまで家畜共に付く利点はなんだ? 何もねぇだろうがよォ!」
吼える悪魔の手には、氷の大剣。
永劫の眠りを約束する凍結の呪縛。
その切っ先を突きつけ、エレオノーレへと肉薄する。
「そんな単純な計算もできねぇから、てめぇはグズなんだよォ!」
その気迫を前に、エレオノーレも覚悟を決める。
今ならば誰も巻き込まない、と。
掌に圧縮された炎が集う。
「汝だけは、この身に代えてでも討ち取るのじゃ!」
自分すらも巻き込む覚悟で、最大火力の一撃をアルトゥールの剣に合わせ、撃ち抜いた。
炎と氷と、熱気と冷気と、憎悪と憤怒がぶつかり合い、混ざり合い、爆ぜた。
かなり疲弊したものの、A班は中央の制圧に成功した。
本来ならば休息を取り、仲間と合流した上で最後のエリアの制圧に向かいたかった、が。
「悪い知らせがある。北はB班C班が合同で変異体と戦闘中、九名では手に負えないらしい」
明が携帯端末を操作し確認した戦況は思わしくないものであった。
「南には悪魔が現れたらしい。D班とE班に戦闘不能者が出たそうだ。そして、エレオノーレ君も戦闘不能に陥ったらしい」
D班とE班が合流し、負傷した仲間を治療中、大きな爆発が起こった。
偵察を出した所、其処には血塗れになったエレオノーレだけが倒れており、アルトゥールの姿はなかったと言う。
現在、負傷の酷い者は固まって休息し、比較的動ける者はこちらのエリアに向かって進軍しているそうだ。
このまま合流し、合同で最後のエリアの掃討に赴くべきか、それとも変異体救援に向かうべきか。
問いかけられた選択に対して、撃退士達は救援を選んだ。
仲間が危険な状態であるのに放っておく訳にはいかない。
D、E連合班にA班の行動を伝えると、息つく間も無く北へと進路を取る。
因縁に決着を付ける為に、現実から目を背けず向き合う為に。
ディアボロ化した少女の魂を救済する為に。
全ての因果を解き放つべく。
●終焉を紡ぎし輪廻の旋律
ユウとアトリアーナを庇った仁刀が、強烈な鞭の一撃を刀の鞘で受ける、が捌ききれずに豪快に吹っ飛ばされた。
地を転がるのはこれで何度目だろうか。
彼の儀礼服は血と泥に塗れ、見る影もない。
口内に溜まった血と唾を吐き出し、刀を支えにふらふらになりながらも立ち上がる。
もうすぐ増援が来る。
それまでは何としても持ちこたえるのだ。
男としての根性、撃退士としての意地を総動員して耐える、耐える、耐える。
その心意気を汲み、あえて仁刀の援護には向かわず、ユウとアトリアーナは変異体へと攻撃を加える。
しかし、いくら魔法弾を撃とうと、斧で切り裂こうと、その勢いは衰える事がない。
そして二人にとって、一番残酷なのは、
「痛いっ、痛いっ、痛いよぉおおお! どうしていつも、いつも、いっつもわたしばかりなの!? 嫌だよ! 死にたくないんだ、死にたくないよ! もう放っておいてよ!」
意識を残された少女の、痛切なまでの叫びである。
嘗て、この少女を護る為に戦った過去を思う。
そして今、この少女を殺す為に戦う現実を憂う。
今までやってきた事はいったいなんだったのだろうか。
全てが無駄で、余計で、この少女の苦しみを増やしただけだったのだろうか。
それでも終わりを紡がなければならない。
これからも未来に生きる人々の為に。
もう生きてはいない少女を狩らねばならないのだ。
だとしても、その感情は、その叫びは、生きた少女の切実な願いであり、祈りでもあり。
故に、どれ程の鉄の心を気取ろうとも、じわじわと胸に染みてしまう。
痛い、痛いと染みてしまう。
その痛みを、共に戦う友として、ことりも感じてはいる。
確かに、少女は人間であった。
だが、もう元には戻せないのだ。
だからこそ未来の為に、守る為の力と成す為に、犠牲を糧に生きていかなければならないのだ。
握るグリップに力が籠もる。
B班の面々も、麻痺した仲間を退避させ、攻撃に参加し、被弾の多い仲間を熾弦がスクロールで回復させ、と目まぐるしく動くが、有効打を与えるには至れない。
できる事なら、せめて余り苦痛の感じる事が無い、安らかな眠りを。
そうは願えども、やはり通じない。
心のどこかに、躊躇があるのだろうか。
そうこうしている内にも、強力な蔓の一撃が戦線を薙ぎ払い、仲間を傷つけていく。
如何ともし難いジレンマを抱えながら、苦しい撤退戦を強いられていた。
戦場を桜と雷の二条の矢が駆ける。
今しも振り下ろそうとされていた蔓を穿ち、吹き飛ばした。
「遅くなってすまない、神楽隊士!」
射線の元を辿れば、弓を構えた有栖と虎鉄の姿が其処にあった。
「リアさん、……大丈夫、です……か?」
紅玉の瞳を震わせ、負傷したアトリアーナへとアイリスが駆け寄り、助け起こす。
「久遠先輩! 怪我は?」
ボロボロになっても戦い続け、立つのもやっとな久遠を、雅が駆け寄り支える。
他班の援軍が間に合ったのだ。
一部の戦線離脱者は出たものの、総勢二十余名に及ぶ撃退士が一同に会した。
アルラウネ変異体を四方から取り囲むように、前衛陣が配置につく。
後衛陣が射線を確保し、援護射撃を開始した。
数の暴力。
其れは当初、撃退士側が晒されていた状況であったが、今は立場が逆転した。
力で、手数で、変異体を押してゆく。
「君を救うには殺すしかないんだ……、許せ!」
「今……終わらせます……、I desert the ideal!」
「街の人達の平和な暮らしを取り戻すんだ……この世界から消えろっ!」
矢、苦無、手裏剣、銃弾、魔法弾、ありとあらゆる殺意の意思が降り注ぐ。
大剣、戦斧、槍、太刀、拳、ありとあらゆる殺意の意思が叩き付けられる。
それでも、少女は倒れない。
全ての痛みを背負い、憎悪を背負い、世の不条理を叫び続ける。
「どうしてわたしなの? なんでわたしだけなの? こんなの、酷すぎるよ! わたしはそんなに悪い事をしたの? 殺されなきゃならない事をしたの? どうしてよ!」
嘆きの鞭が振りかざされる。
其れは、今の今まで仲間を庇い続けて傷を負っていた静矢にぶち当たり、地面へと叩き付けた。
骨が砕け、皮膚が裂け、熱い血潮が噴き上がる。
地に、赤い水たまりを作りながら、静矢の意識は墜ちていった。
虎鉄の叫びが木霊する。
隊士全てを護ると誓った、だがこの様だ。
静矢の抜けた穴を埋める為、彼の身体を安全な場所へ避難させる為、刀を手に駆ける。
しかし、少女の絶望は容赦が無い。
返す蔓で、静矢に駆け寄った虎鉄を、軽々と弾き飛ばす。
やはり、心の何処かで憐憫を抱いてしまっているのだろうか。
其れが、少女を殺す、と言う意思を妨げているのだろうか。
ならば、と明が銃口を少女の顔へと向ける。
汚れ役は甘んじて自分が受けよう、と。
情けを掛ける事だけが情けでは無いのだ。
此処で討てなければ、永劫苦しむのは少女に他ならない。
例え非情と蔑まれようとも――。
明の銃弾が、少女の瞳を貫く。
「――――――ッ!」
瞬間、声にならない絶叫が少女の口腔から漏れる。
戦術的に、一番正しい判断を下したのだろう。
其れを見た恭弥が明に習い、残された瞳を撃ち抜いた。
「アアアアアアアアアアアッ!」
両の眼から血を滴らせ、アルラウネが大きく仰け反る。
「今だ、畳み掛けろ!」
恭弥の叫びに反応して、撃退士達が駆ける。
少女の命を刈り取るべく、その喉を切り裂き、胸を貫き、腹を割り、足を切り落とす。
化け物に生きる価値など無い、と言わんばかりに。
「……Dau restul la ea」
アイリスが頭部への斬撃を叩き込み、漸く完全に動きを制止させるに至らしめた。
地に落ち、少女だったモノが苦しそうに何事かを呻く。
其れは憎悪か、憤怒か、後悔か。
聞き取る術は最早無い。
ユウが少女に近寄り、名を尋ねた。
されど返ってくる答えは、言葉にすらなっていなかった。
これが、戦いなのだ。
余計な手心を加えようとすれば殺される。
その逆も然り。
少女の名を知らぬまま、ユウは立ち上がる。
手には葬送に、と用意した小さな剣。
「せめて最後を見届ける。その魂に死という安らぎを――さよなら」
そして少女は、物言わぬ人形と化した。
アトリアーナが少女の傍で耐えきれずに頽れ、落涙する。
「……こんなの、あんまりなの……」
せめて少女の生きた証を、と遺骸に手を伸ばす。
見れば、ぼろぼろになってしまった髪の毛に、赤いリボンが絡まっていた。
アトリアーナは其れを大切に解くと、そっと胸に抱きしめ、また涙する。
その心に、ひとつの終焉を刻み込むのだった。
「辛かったでしょ…お休みなさい」
麦子の顔から、笑顔が消えた。
「……おやすみなさい」
アイリスが、少女の瞳があった場所に布を被せ、弔う。
「ごめんなさい」
救えなかった、護れなかった、希望となり得なかった。
在りし日の自分であれば、きっとそう言っただろう。
有栖は、少女であったモノの亡骸に手を触れ、そう呟いた。
誰が悪い訳でもない、仕方がない事なのだ。
これが、悪魔のやる事である。
「この子は人間だ。侮辱は許さんぞ!」
虎鉄の慟哭が、闇夜に響いた。
後日、作成された犠牲者名簿にて、ユウはその名を見つけた。
其れは、冬の小さな精霊の名。
「命に冷たいわたしだけど。ユキ、あなたの死はわたしが背負ってあげる」
久遠ヶ原に雪が降る。
しんしんと、優しく、静かに。
どうしようも無く掻き立てられる哀切は、冷たさの所為だろうか。
そっと囁きかける雪の旋律を胸に、ユウは次の任務へと赴いていった。
「お疲れ様です、アルトゥール様。……、その怪我はまさか人間共に?」
少女が驚いた様子で、負傷したアルトゥールを迎えた。
「あぁ!? もう一回言ってみろ、雌豚ァ! 誰が家畜如きにやられただって? ぶち殺されてぇのか!?」
負傷した腕を庇うように、左腕で少女の首を締め上げながら、アルトゥールが恫喝した。
どうやら、彼の逆鱗に触れたらしい。
「も、申し訳、ありません。で、では、その怪我は何者に……?」
少女が苦しげに悶えながら謝罪し、子細を問う。
「ふん、グズエルの奴がいっちょまえに噛みついて来やがった。まぁ、半殺しにしてやったけどな!」
少女を解放し、憎々しげにアルトゥールが答えた。
その言葉に、少女の顔はますます驚愕に染まる。
「あのエレオノーレがアルトゥール様に楯突いたのですか!?」
その反応を、面白そうに見つめながら、アルトゥールが会話を制した。
「気になるか? だが、おしゃべりはここまでだ。おい、リルティ、あれの準備は終わってるだろうな?」
残忍な笑みを浮かべる悪魔に、少女の姿をした悪魔リルティは、完了の旨を告げた。
「お遊びはここまでってやつだ。あの方の為にもそろそろ本腰いれてやってかねぇとな? ……お前にも充分に働いてもらうぞ、リルティ」
地図上に記載された文字を前に、アルトゥールの嘲笑が響く。
其れは、新たな惨劇の幕開けを意味するものなのだろうか。
今は未だ、其れを知る術は無い。