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「真莉殿本人は元より、時間をかければ家族も危ない。急がねば……!」
急を要する依頼。
フィソス・テギア(
jb6308)は焦りを声に滲ませる。
撃退士・真莉が、とある民家の井戸でディアボロを押さえているとの連絡を受け、現場に夜遅く急行したもの。
フィソスが意思疎通で語りかけても、真莉からは何の反応もなく。事態は時間を追うごとに深刻さを増していた。
救出対象が居るのは、怪談になりそうな堀井戸。
今は使われていないそれは、つるべも桶も取り払われており、ただの深穴と化している。
高さのある入口から穴底をのぞくと、ぼんやりとした光が見えた。真莉の光纏だろう。
真莉がおさえているおかげで、日本人形の髪が井戸から飛び出す気配はないようだが。
ただ、井戸は二○メートルほどの深さがあり、細かい状況までは見えない。
織宮 歌乃(
jb5789)は、奈落のような井戸の底にスティックライトをぽとりと落とす。
小さな明かりの一滴が、流れ落ちて吸い込まれた。
深い。
小さな灯りでは把握しきれず、歌乃はフラッシュライトを持ち上げる。
周囲は民家の灯かりや街灯でそれなりに明るい。
だがどれも、井戸の闇には届かなかった。
(無事助けられたら良いわよね)
高虎 寧(
ja0416)は固唾を飲み込む。
「その辺はうちの力量に掛かっているのよね」
寧は意思疎通を繰り返すフィソスに真莉の現状を確認する。
だがやはり反応はないと言う。
(人形は兎に角、まずは救助だ。仮に手遅れでも、そのままってのは忍びない)
常木黎(
ja0718)は、早速救出の準備にとりかかる。
とりあえずは中に入ってみるしかない――そう結論が出ると、
虎落 九郎(
jb0008)は持参したザイルを差し出した。黎は登山などで使われるそのロープを受け取ると、寧の腰に結ぶ。
救出の担い手は寧である。
「人形型ですか……。攻撃自体単純ではありますが……なかなかに厄介ですね」
着々と救出の準備がすすめられる中、グレイフィア・ヘルネーゼ(
jb6027)はディアボロとの戦闘を脳内でシミュレーションする。
そう、これはただの救出劇ではないのだ。
井戸のディアボロが解放された時、何が起こるのか。
すべき準備は他にもあり。
「――お爺さん、井戸の蓋の予備はありますか?」
陽波 透次(
ja0280)は、遠巻きに見ていた老人に声をかけた。
真莉の祖父はアウル保持者だと言うが、それでも一般人を巻き込むわけにはいかず。
避難をお願いしたもの――せめて遠くから見守らせて欲しいと懇願され、離れた場所に居て貰った。
「悪いが、井戸の蓋の予備はないんじゃよ。風呂場の蓋ならあるがのぅ」
真莉の祖父はうなる。
サイズが合いそうなら――と風呂場の蓋を持ってきて貰うと、わりと良い感じに井戸を塞げた。
いつでも飛び込める穴が開放されているよりは、視界からなくしてしまったほうが良い。
そう思った透次が、折り畳み式の蓋を手にスタンバイしていると、
老人は大きな風呂場のそれを見ながら、「昔は家族がたくさんいてなぁ」と寂しそうにこぼした。
黎が寧の腰にしっかりとザイルを結ぶ傍ら、念には念をと考えたメレク(
jb2528)も、ザイルを近くの木に結び付ける。
井戸の幅はそれほど広くないため、基本は寧のみが突入する形だが。何かあった時、手助けになればとメレクもザイルの先を掴む。
歌乃が黎のアレスティングチェーンをメレクの腰に巻きつけると、メレクは翼を広げ、井戸の真上へと移動した。
そして、いつでも応戦できる体勢が整ったところで。
寧が井戸を降りる直前――歌乃は井戸を再度のぞいた。
真莉に絡みつく髪を先に切ることができれば――と、爪牙斬を飛ばすべく構えるが。
人形と密着している真莉に攻撃が当たることを考えると、安易に手を出すことができなかった。
同じことを考えていたのだろう。九郎もアウルで作りだした槍を構えているが。
歌乃は九郎に、真莉に攻撃が当たる懸念を伝えた。
すると、九郎は渋々といった感じで引き下がる。
そんなこんなで準備も整い、
救助役の寧はひとつ深呼吸をし――井戸の内側をらせん状に駆け下りる。
皆が静かに見守る中、寧は順調に地下深くへと下りていった。
井戸の最深に辿りついた寧は、まず歌乃のスティックライトで周囲を照らした。
ぼんやりと光を放つ撃退士の顔は、真っ青だ。
上空からナイトビジョンで見守っていたメレクも、周囲に状況を伝える。
真莉は気を失ってもなお、人形をおさえこみ続けていた。
恐るべき執念である。
ただ、真莉の行動は逆に真莉自身を救い出す障害となっていた。
ディアボロはまるで普通の人形のように落ち着いているというのに、真莉がしっかりと人形を掴み込んでいるせいで――解放してやることもできず。
人形のふりでもしているのか、凶器の髪も伸びてはいない。
救い出すなら今しかないだろう。
だが寧がいくら引き剥がそうとしても、気を失った真莉は頑として人形を離さなかった。
これはもう、人形ごと連れて行くしかない。
寧は人形ごと真莉を抱えた。
そのまま壁を駆け上がれば、九郎も命綱を引いて手伝う。
運ぶだけなら簡単な作業。
が、あっという間に井戸の出口付近まで駆け上がった――――その時。
真莉の体から力が抜けたと同時に、人形が外へと飛び出す。
――――ウゲェギャギャギャギャギャギャ。
自由を手にし、宙を舞った人形。その髪が、爆発的に伸びて四方に散った。
植物の成長を倍速再生するように、恐るべき勢いで広がる黒髪。
寧は白銀の長槍を井戸の出口にぶつけ、その反動で後方へと離脱した。
ついでに命綱を持っていた九郎も寧のほうに引っ張られる。
飛ぶように移動した寧や真莉のあとを黒髪も追い――。
すかさず黎は、リボルバーを放った。
だが腐敗を与えるつもりが巧くかわされてしまい、人形の髪先が真莉に触れるか否か。
というところで、透次も影手裏剣を飛ばす。
棒状のアウルは生物じみた髪を裂き、さらに人形本体を弾いた。
「ここは真莉殿の帰る場所。家族との思い出もあるだろう。可能な限り壊さぬよう留意して貰えないだろうか」
人形を逃がさないよう皆で取り囲む中、フィソスは言った。
すぐ傍には家庭菜園と、古い趣の家がある。
きっと、たくさんの思い出が詰まっているだろうそれを、壊したくはなかった。
ただ戦うだけでも危険がつきまとうディアボロとの戦闘。さらに護るものが増えれば、不利になる。
それでも彼らは、当然とばかりに肯定した。
護るものが多いほど、燃えるものである。
真莉を井戸から救い出し、息つく暇なく始まった戦闘でも、彼らの陣営に隙はなかった。
寧は近くの九郎に真莉を押し付けて、十字型の手裏剣を敵に放つ。
哄笑していた人形は嗤うのを止めた。
影を縫いとめられ、その場から移動できなくなった人形は、さらに不気味な動きで周囲を慄かせる。
瞬く目は白く、真っ赤な口は壊れたように大きく開いたまま。首は高速で回転する。
――が、ピタリと動きを止めた次の瞬間。生物じみた髪が再び獲物を求めて動きだす。
「祓魔の赤き剣符と祈りを以て、参ります」
歌乃は礼儀正しくも、戦の前に言の葉を添え、太刀を振り下ろす。
人形を直接的に斬りつけるわけではなく――緋色の鎌鼬が放たれる。
「刃に願いを乗せ、緋色の爪牙にて斬り拓きます」
死角から放たれた攻撃。
長い髪の一房が落ちる。
人形は井戸を一瞥した。軌道線状から外れているそれには、透次が蓋をかぶせてある。
逃げ込める穴が、もう『ない』ことを確認すると、人形は顎をパカパカと上下させた。
「髪が伸びる日本人形って……怪談かよ。くそ、こんなふざけた奴に殺させて、トラウマを植えつけさせてたまるかよ!」
九郎は遠距離から目測でアウルの槍を放つ。
槍は人形に直撃しないまでも、右頬近くにある髪を狩った。
少しでも怯ませられたら、という威嚇攻撃。
だが、いくらでも伸び続ける髪が、お返しとばかりに九郎を狙う。
「髪は女の命と言われていますが……人形型ディアボロである貴女には必要のないものですよね?」
黒髪が九郎に襲いかかる直前。踏み出したグレイフィアが、サンダーブレードで切断した。
ついでに麻痺を――と思うもの、目論見は滑り。
人形よりも生物らしい黒髪の勢いは衰えない。
――――切っても切ってもキリがない。
業を煮やしたメレクは、黒とも白ともつかない光をその身に纏わせて飛翔する。
周囲に目をつぶるよう呼びかけて放った、アウルの炎。
敵を焼き尽くさんと投下された炎は、人形の頭天に広がり、髪全体をのみこんだ。
頭を炎上させた人形は、消化しようと髪を振り回す。
炎を纏いさらに凶器と化した髪があちこちに飛び、撃退士たちは慌てて身を屈めた。
彼らのすぐ頭上を、燃え盛る髪が通り過ぎ。枝分かれしたそれの一部が、フィソスとメレクに向かって飛んだ。
咄嗟にメレクは、さらに高く上がって避けるもの。
フィソスは逆に、迎え撃たんとサンダーブレードを構える。
「これはどうだ? サンダァァァブレェェェド!」
炎を纏った髪が、バサリと地面で火の粉を散らした。
そうこうするうち、炎も消えて。
人形は嬉しそうに口をカパカパさせた。
相も変わらず長い髪を振り回し、人形の側面で刀を構えていた透次にも魔の手が伸びる。
髪は古刀にするりと巻きつき、透次はそれを振り払おうとするが――まとわりついた髪はなかなか刀を離さず。
人形との嫌な綱引きが続いた。
が、閃いた透次は、周囲にあらゆる非透過の術をなくすよう呼びかけると――刀の活性化を解いた。
活性化を解いた瞬間、武器はヒヒイロカネに収納される。まとわりついていた髪は掴むものがなくなり――。
引く力が空振りした人形は、後ろに飛んだ。
透過と非透過を利用した易しい反撃。
「ウザったいねぇ」
仰向けに倒れた人形が体勢を立て直す前に、黎は貫通力を高めたリボルバーを数発撃ち込んだ。
髪がぶつ切りになり、露わになった人形の白い顔。
黎は余裕とも嘲りともとれる笑みを浮かべる。
「中々イカした髪形になったじゃん?」
間髪入れず放たれた弾丸は、髪だけでなく人形の両目をも貫通し。
獲物を求めて伸びた髪が、途端に標的を上手く掴めなくなる。
どうやら人形の目は、人と同じく物を認識する働きがあったらしい。
「動きが早いですね。ですが……それは身動きが取れ、尚且つスペースがあるからこそできる動き。身動きを封じられる、或いはそのスペースを潰してしまえばそんな動きもできないでしょう」
グレイフィアはサンダーブレイドで海藻のような髪を斬り払いながら、大胆にも人形に近づいてゆく。
目を失った敵にとっては、近くさえも死角であり。
間近で見るほど、人形は恐ろしい顔をしていた。
歌乃はさらに追い打ちをかけるように、弥都波を振り下ろす。
鮮やかな緋色を纏った太刀は、人形の肩を裂き――割れた傷口から歌乃の緋いアウルが沁みこんでゆく。
「天魔の暴威に抗う、獅子の鮮血です」
呪血は飢えた獅子の如く人形体内で暴れる。
アウルによって内部が破壊されたことで、人形は折れそうなほど体をそらし悲鳴を上げた。
今まで攻撃のためだけに伸ばされた髪が、今度は人形自身を護るようにして包み込む。
「皆さん、避けてください!」
本体が隠れるのを見て、メレクは上空から火炎を投下した。
火だるまの中から慌てて飛び出した本体を、フィソスがサンダーブレードで叩くと。
燃え尽きて灰となることに抗う人形は、がむしゃらに髪を振り回した。
その無茶苦茶な人形の攻撃が遠くの老人にまで及ぼうとした時。
真莉の回復を終えた九郎が、星の輝きを纏わせた大剣でたたみかけ――本体を粉砕したのだった。
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「おお、気がついたようじゃな」
ディアボロとの戦いも終わり。
真莉が意識を取り戻したのは、それから数十分後の話だった。
どこまでも青かった真莉の頬は、九郎が回復術を施した甲斐あって、綺麗に血色を取り戻している。とはいえ、まだ完全復活とまではいかないが。
それでも、遠藤家に集まっていた撃退士たちは、ほっとした顔をする。
「頑張れた処よね」
寧が軽く笑むと、
「よく頑張ったね」
黎も同じくそう言って、布団から身を起こした真莉の頭を撫でる。
「……人形は……どうなりました? 私、途中から記憶が飛んでしまって……」
きょとんとする真莉に対し、「終わったよ」と黎が告げると、
真莉の顔はみるみる崩れていった。
「お姉ちゃん、どうしたの? どこか痛いの?」
焦って傍に寄る弟に、姉はゆっくりとかぶりを振る。
「……違うの。……大切な……ここがなくなったら……どうしようかと思ってた、から…………本当に……良かった……っ」
「何を言っとるんじゃ! 居場所なんてものは、家族さえいればいくらでも作れるものじゃろうが! まったく、心配させおって……」
お爺ちゃんが鼻息荒くして言うと、弟は突然、立ち上がる。
「そうだよ、僕も皆が一緒ならそれでいいんだ! それに、こんな風にお姉ちゃんが怖い目に合うのは、もうイヤだよ。――お姉ちゃんが我慢するくらいなら、僕が撃退士になる! 今度は僕がお姉ちゃんを護るんだ!」
「ちょっと、唯斗、何言って――」
「唯斗ずるいぞ! だったらわしも撃退士になるぅ〜」
「お爺ちゃんは絶対にやめてください」
「爺ちゃんはやめたほうがいいと思うよ」
「なにをぅ! お前たち、年寄りだと思ってわしを馬鹿にしとるなぁ!」
冷めた目で祖父を見る姉弟。
騒がしい居間のちゃぶ台で、撃退士たちは静かに湯呑をすすった。