「あら! たくさん集まってくれたわね。頼もしいわ」
『コロッケパン盗難事件』の犯人を捜し出すべく、集まった撃退士の顔ぶれを見て、熊谷百合は満足げに微笑む。
自分の飼い猫が疑われているだけに、なんとしても真犯人を捕まえたいところである。
「それにしても、ふしぎなこともあるもんだな。コロッケパンを盗んで金を置くなんてな……流石に、久遠は食えないものな。――で、フェラリィちゃんはどういう子で、どんな事をする子なんだ?」
精悍でがっちりとした体格の少年、空城司(
ja0620)が訊ねると、百合はここぞとばかりに自慢する。
「うちのパプリカちゃんは、とにかくおりこうなんです! 小さい頃からきちんと躾けをしているから、部屋を汚すなんて絶対に……」
のっけから長くなりそうな百合の話を遮って、空城は重ねて訊く。
「好物とか」
「好き嫌いなんてしないけど、しいて言えば……最高級のキャットフードかしら?」
「さわってもいいか?」
「いいわよ。上質な毛並を堪能するといいわ」
飼い主の承諾を得て、空城が小さな顎を掻くように撫でると、チャトラ猫は空城の頬をふみふみする。
見た限り、普通の猫である。
「まあ、猫だよな。チーカマ食うか?」
「……このように可愛い猫さんが窃盗などするわけ御座いません! なんとしても猫さんの為に濡れ衣をはらさなくては……!」
空城がさりげなく餌付けしていると、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)は静かに闘志を燃やす。
が、眉目秀麗を覆い隠す猫の着ぐるみは得体の知れない存在と認識されたらしい。
猫は威嚇するように毛を逆立てている。
「それはいいけど……犯人はなんでわざわざ買った後のコロッケパンを久遠と擦り替えるなんて面倒なことを? パンが欲しいなら、それこそ早く出るなり人に頼むなりすればいいのに。しかも買った人に気づかれずになんて、無駄に高度なテクニックを……何か理由があるとか? それが分かれば、事件解決以降も円満に出来るんだろうね。そのためにはまず、聞き込みかな……」
『普通』ながらも、清潔感のある少年――鈴代制治(
ja1305)が考察を述べると、小さなツインテールの少女が前に出る。九十九遊佐(
ja1048)である。
「遊佐はコロッケパンの販売が始まる時間まで聞きこみをします。それとカメラがあるから、これで何かできるかな」
「でしたら私は、囮捜査をしてみましょう。犯人が基本情報のお三方だけとは限りませんしね。新たなる容疑者がいるかもしれません。現行犯で捕まえられるように私も頑張ります」
カーディスが意気込みを告げると、
「けど……高屋魁斗さんはともかく、音成賢信さん……か。うーん、悪い人には見えないけど」
日下部司(ja5638)は難しい顔をして、集合場所の廊下から百合の教室をちらりと見やる。
音成は、口を開けて爆睡中だ。その顔は人畜無害にしか見えない。
明るく真っ直ぐな性格の日下部でなくとも、悪人とは思わないだろう。
「とりあえず、手分けして調べてみるか」
空城が言うと、一同は互いに頷き合う。
「んじゃ、マオもガンバってコロッケパンを食べ――じゃなくて、犯人を考えるね! よぉし! 頑張るぞぉおおおお!」
捜査の方針が決まったところで、熱血少女――並木坂・マオ(
ja0317)は真っ先にどこかへ消えた。
皆がほうぼうに分かれて調査を始める中、マオの行き先は誰にもわからなかった。
***
「すごーく美味しいコロッケパンって聞いたんだけど、遊紗、まだぜんぜん買えた事ないのー。どうしたらお兄ちゃんみたいに買えるかなー」
午前の短い休み時間。
高等部の廊下で事件の情報収集に努める少女は、九十九遊佐だ。
妹属性は最強の神器なり。
見事に油断している相手は、するすると口を開く。
「そうだねぇ。撃退士の人塊を乗り越えるだけの体力と、スピードと……あと一番大切なのは要領かな? 購買のおばちゃんに声をかけるタイミングを逃すだけで泣きを見たりもするしね」
「そんな大変なところをくぐり抜けるなんて、きっとお兄ちゃんは凄い撃退士なんだね!」
「いやぁ、そんな風に言われると照れるなぁ。コロッケパンの争奪戦なら、ちょっと自信あるんだ――あいつほどじゃないけど」
「お兄ちゃんより凄い人がいるの?」
「友達に、伊井太郎ってやつがいて……あ? そういやあいつ、最近コロッケパンを食うとこ見かけないよな――いつも音成と購買行くクセに」
「音成さんと……?」
「ああ。『亀の音成』と『兎の伊井』っつーのも、なかなかおかしな組合せだけどな。それより君、良かったら俺がコロッケパンを買ってやろうか? そのかわりといってはなんだけど、携番教えてほしいな――なんて」
妹効果は少々、効きすぎたらしい。
「ごめんね、お兄ちゃん。遊佐、携帯もってないんだ。じゃ、お話聞かせてくれてありがとう!」
「あ――」
危険を察知した遊佐は、颯爽とその場を去った。
***
「新情報、『伊井太郎』……か」
仲間から回ってきたメールを確認し、日下部司は携帯をしまう。
彼は現在、音成賢信を尾行していた。
居眠り常習犯の音成は、昼休みにようやく動き始めたもの、始終ソワソワしている。
周囲を気にしているということは、見られてはならない何かをこれから行うのかもしれない。
だが、購買に向かうかと思いきや、意外にも音成は人気のない教室に入ってゆく。
音成は息を潜めて教室内を窺う。
するとそこには、先客がいた。
「遅い!」
「ごめんよ〜、これでも起きてすぐに来たんだけどなぁ」
憤慨する小柄な少年に向かって、音成は頭をさげる。
待ち合わせをしていたようだ。
「そんなだから、コロッケパンも買えないノロマって言われるんだよ――ほら、これ」
「ありがとう、伊井君」
伊井と呼ばれた少年が差し出した紙袋を、音成は嬉しそうに受け取る。
「天魔と戦う時とは、別人だよな……」
「なんかさぁ、戦う時は頭がすっきりするんだよねぇ。でも普段は駄目だなぁ。光纏してない時は眠いんだよねぇ」
「まあ、そんなお前に助けられたことがあるから、こうやってコロッケパンを買ってやるんだが」
「うん。ありがとう! またよろしくね〜」
「お前、『自分で買った』なんて見栄を張る前に、努力しろ! 努力を……」
「えー」
遠くで繰り広げられる会話に耳をそばだてていた日下部は、事情を察すると同時にその場を離れた。
要するに、音成賢信はツテを使ってコロッケパンを買っていたのである。
真犯人ではなかったもの、音成の潔白は見るも明らかだった。
***
一方、購買では。
大きな猫がパンを買っていた。
カーディス=キャットフィールドである。
「コロッケパンくださいな〜? 所で近頃コロッケパンが消えるという噂があるらしいですよ。知っておられます?」
瞬時に暗算し、スムーズかつテンポよく学生にパンを売る購買のおばちゃんに、カーディスは声をかけた。
「ほい、コロッケパン。……そうだねぇ。そういう話はちらっと耳にしたことがあるけど、よくは知らないよ」
「時間とか場所とか、ほんの少しでもわかったことがあれば、教えていただけませんか? あと不審な行動をする学生がいれば――」
「さあ、どうだろうね。……ああ、そうそう! ここんとこ、食堂で変な男がうろうろしてるんだよ。あんた、誰か先生に言ってくれないかい? ……こっちも気味が悪くてさ」
「不審な男性ですか?」
「ああ、黒ずくめの格好をしていてね。サングラスまで真黒さ。人の多い時間に見かけるから、忙しくてつい忘れちまってね」
「おばちゃん、ジャムパンちょうだい!」
「あいよ。――じゃあ悪いけど、お願いするよ」
そこで、話は打ち切りになる。
無事にコロッケパンを購入したカーディスは、購買の隅で考える。
(不審な男? 新たな容疑者の登場でしょうか)
カーディスは持参した糸をコロッケパンにくくりつけて、囮に使おうとしていると。
「――あら、私が雇った探偵さん、よね? 購買で張り込みかしら?」
熊谷百合に遭遇する。
「ええ、そんなところです。熊谷さんもパンを買いに?」
百合は、はにかみ笑顔で肯定する。足元には、例の飼い猫が一緒だった。
「私は人が多いところがあまり好きじゃないのよ。うちのドドンガちゃんのためにも、今日は自力で買おうと思っていたけど……やめておくわ。ほら、行くわよ、フランソワちゃん」
百合が踵を返すと、猫もついていく。
すると今度は、入れ違いで空城司がやってくる。
「よお、首尾はどうだ?」
「……私はこれからですが、空城さんは?」
「俺はずっと、フェラリィちゃん見張っている。まあ、猫がパンと久遠を入れ替えるってのも、ちょっと無理があるような気もするが」
「そうですね」
「おっと、そろそろ行かないとな」
購買の出口に寄り掛かっていた空城は、百合と猫を追った。
そしてこの後、カーディスと空城が再び合流した時、とんでもない瞬間を目の当たりにすることになる。
***
昼休みが始まってから二十五分。
久遠の札を銜えた猫が軽やかに廊下を走る。
購買でのパン購入を断念した百合は、結局猫に任せていた。
慣れた足取りで購買へと向かう猫。
その後ろ姿を空城が密かに追いかけている。
これが一般人なら見失っていたに違いないが、仮にも撃退士である空城が機動力で劣ることはなく。廊下を駆け抜ける猫のあとをぴったりとついていく。
猫は何事もなく購買に向かうように思えた。
が、しかし。
猫が一直線で向かったのは、購買出口で待機していたカーディスの元だった。
「本当に猫……だったのか?」
カーディスのコロッケパンに食らいつく猫。
だが、それだけではなかった。
いまだよそ見をしているカーディスの後ろから現れたスーツの男。
猫がパンを銜えた直後、さりげなく横を通った男が、流れるような動作で久遠の札をカーディスの掌に置こうとした――その時。
「あなたが犯人ですか」
ただ突っ立っていたわけではないカーディスが、素早い身のこなしでスーツの男を取り押さえた。
***
「どうして、こんなことをしたの?」
結局、犯人は複数いた。
しかもその不審な男――聞くところによれば、熊谷家の使用人だと言う。
カーディスと空城が男を教室へつれていくと、誰よりも驚いたのが百合だった。
「わ、私は何もしておりません! なんですか、この方達は――百合様、信じてください!」
男が無実を訴えると、百合は困惑の表情を浮かべるが――。
「これを見て!」
遊佐が、一枚の写真を掲げた。
写真には、黒ずくめの男がカーディスの手に久遠を置く、決定的瞬間がおさめられていた。
「これは……どういうこと?」
「実は遊佐もね、待機してたの」
紛れもない証拠を前に、男は肩を落として項垂れた。
「きっかけは……お嬢様が、初めて猫……ポン太様におつかいを頼まれた時でした」
学園にうまく潜入した男は、ぽつぽつと語り始める。
「ポン太様を溺愛されているお嬢様は、おつかいができると信じておりましたが……なにぶん、猫ですので。本当に買い物ができるわけもなく……ですが、嬉しそうにポン太様を待つお嬢様を見ていたら……つい、お手伝いがしたくなり……」
使用人の告白に、百合は信じられないとかぶりを振る。
「そんな……だって、この子はいつも、ちゃんとお金を置いてきたわよ?」
「ですから、私が商品を購入し、ポン太様から金銭を回収しておりました。ちなみに、ポン太様は、ただ何かを持っていけばいい、と思ってらっしゃるようで……ちゃんとお嬢様が指定したものを持っていく時もあれば、全く違うものを銜えていくこともあり。そのような時は、こちらですりかえさせていただきました」
「……な、なんてこと……」
「ほら見ろ、俺の言った通りだろうが!」
教室で遠巻きに見ていた百合の幼馴染、八王子雄介がフンと鼻をならす。
だが百合が涙目で見返すと、雄介は言葉を詰まらせた。
雄介との喧嘩よりも、飼い猫がおつかいできない事実のほうが、堪えているらしい。
「ううう……あんまりだわ。ずっと騙されていたなんて……」
「そ、それよりも……結局、高屋魁人は、なんでいつもあんなにコロッケパンを買ってるんだ?」
なんとなく気まずくなった雄介が話題をそらすと。
「あら、それは私も気になるわ」
百合はあっさり食いついた。
「お前、開き直り早いな!」
「高屋さんには、鈴代さんがついているはずですが……連絡してみますか?」
カーディスが言うと、皆は顔を見合わせた。
高屋魁人を見張っていた鈴代征治は、昼休みが始まると同時に学園外に出ていた。
久遠ヶ原の学生をターゲットに立ち並ぶ飲食店には目もくれず歩く高屋に、鈴代は疑問を持つ。
(昼休みにこんなところまで来るなんて……人見知りで人だかりが苦手? パンを買っているところを見られたくない? ……むむ、謎は深まるばかりですね)
そんなことを考えながら歩いていると、ふいに高屋が小さなパン屋の前で足を止めた。
高屋がパン屋に入ると、征治も店をのぞいてみる。
ガラスドアから、高屋と店員が話し込む姿が見えた。
が、うっかり店員と目があってしまい、征治は慌てて身を隠そうとするが――気づいた高屋が外に出る。
「お前、なんだ?」
「おやおや、魁人の友達かい?」
高屋と一緒に出てきた恰幅の良い女性が、ニコニコと征治に笑いかける。
「ちが! こんな奴、俺は知らねぇ――」
「もう、恥かしがらなくてもいいんだよ! ささ、入りな。こんな時間だからね、お腹も空いてるだろう?」
「母ちゃん!」
高屋の母親に強引に押し切られ、征治は口を挟む間もなく店の奥へと連れて行かれる。
店内にはパン特有の甘い匂いが充満していた。
「今ねぇ、魁人の学校では、コロッケパンが人気なんだろ? うちも対抗して新作のコロッケパンを考えているところなんだよ。良かったら、味見してくれないかい?」
「母ちゃん! みっともないから、やめてくれよ!」
「何がみっともないんだい! 親孝行するかと思えば、ひどいことを言うね。どうせなら、あんたみたいな味覚オンチじゃなくて、普通の学生さんの意見が聞きたいんだよ」
「……はあ」
魁人母の勢いに圧され、イートイン用のテーブルに座らされる征治。
テーブルには、コロッケパンが積まれた。
「うちのコロッケはねぇ、薄めの衣が売りでね。パリっとした衣に、ほんのり甘く味付けした芋を入れてるんだよ。ほら、揚げたてだから、熱いうちにお食べ」
「毎日、毎日……コロッケパンばっかり、うんざりなんだよ」
「とか言って、ちゃんと試作品を食べてくれるんだからね。――全く、素直じゃないんだから」
征治は苦笑すると、こっそりメールをうつ。
――――高屋魁人は事件と無関係、と。
その後、学園に戻った征治は、高屋の母から貰った大量のパンを皆で美味しくいただいたのだった。