「……なるほど。糸は耐火性にも優れているみたいだね」
エリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)は淡い金髪の下からのぞく緑の瞳をじっと凝らし、ディアボロが張った糸網を検分する。
エリアスはアウルをこめたピンセットで軽く糸をつまんでみる。触れた部分から瞬時に吸着し、ピンセットを糸に持っていかれた。あきらかに不気味な糸だが、彼の頬は高潮し、瞳は好奇心で煌めいている。
「近づくと危ないですよ――わっ」
長い銀髪を高い位置でひとつに束ねた少女、フィン・ファルスト(
jb2205)は言ったそばから、その場に蹴躓き、罠に向かって頭から突っ込みそうになる。
それでも罠の餌食にならずにすんだのは、黒髪ポニーテールの少女と眼鏡の少女がそれぞれフィンの腕を捕まえたからだ。
フィンは鼻の先まで迫っていた罠から離れ、ほっと息を吐く。
白井洋子の依頼により蝶のディアボロ討伐に乗り出した撃退士達は、現場に急行するなり、真っ先に罠の破壊を試みた。
――が、その頑丈さゆえ、糸網の破壊には時間がかかるとわかり――とりあえずは敵本体を待ち伏せすべく、彼らは問題の罠を囲んでいた。
「それにしても、まさか被害者がこんなことになっているなんて……ご家族が見たら……さぞかしショックを受けるに違いありません」
六道琴音(
jb3515)はふちなし眼鏡の奥にある、まなじりの落ちた優しげな瞳で、罠を見据える。
肩まである髪と同色の黒い瞳に映っているのは、大きな繭のような糸の塊。
琴音は触れることすら出来ない繭に向かい、
「敵を倒したらすぐに助けますから、待っていてくださいね」
と、そっと語りかける。
町民が迅速に避難したことより、今川智と猫以外被害者はいないもの――罠はまるで餌を逃がすまいとばかりに、被害者の表面を覆っていた。
時折、繭から唸り声が聞こえることから、今川智はかろうじて生きているようだが、恐怖のせいか、智はあまり言葉を発しようとはしなかった。
「糸は敵のアウルから出来ているようだな。敵本体を破壊すれば罠もおのずと解ける――かもしれん」
ボブスタイルの銀髪に金の瞳の少女――ヴィルヘルミナ・ヴィッテンブルグ(
jb2952)は、幼い容姿に反して、老成した口調で独自の見解を述べる。ディアボロに対しては、はぐれ悪魔さながらの観察眼があった。
「糸を吐く蝶か……繭を作るのは、蛾と呼ぶのが一般的ではなかったか? 『蝶』と『蛾』の区別はかなり適当らしいが」
ひざ下まである銀髪に深紅の瞳を持つ、ルナリティス・P・アルコーン(
jb2890)も、幼い容姿とは裏腹に落ち着き払った声で言う。
ヴィルヘルミナは同意するように小さく頷く。
「ああ、そうだな。……知らずに作ったのか、己の容姿にコンプレックスでもあるのか――はたまた、餌を食って太った蝶を喰らう己こそが蜘蛛であると言いたいのか……興味は尽きんな」
「結局は、敵を倒すしかないってことかぁ……て、あれ? そういえば、通報者の人って無事なんですよね?」
危うく罠に自ら飛び込みかけたフィンが、欧州生まれの証ともいえる、青い目を瞬かせながら周囲に訊ねると、ルナリティスが事務的に告げる。
「罠の位置を確認する為、通報者と電話で少しばかり話をしたが、特に問題はなかった」
「餌とみなした対象に直接襲いかかることはないってことか……」
通報者が無事とわかり、安堵の空気が流れる傍ら、エリアスは新しい発見をすかさずメモに書き留める。
そんなエリアスの存在に慣れたのか、誰も気にすることなく話は進められる。
「あとは事前に相談した配置で待つだけだよね? あたしは近距離戦のほうが得意だから、正面から迎撃したいけど――敵はどっちから来るのかな?」
砥上ゆいか(
ja0230)は、幼さが残る顔に疑問符をつけ、小首を傾げた。黒く艶やかなポニーテールが揺れる。
ヴィルヘルミナも顎に握り込んだ手を当てて考え込む。
「路地に隠れて待ち伏せたいものだが……大通りと路地裏――敵がどちら側から来るかで配置も変わるな」
「なるべくこちらの都合の良い位置で戦いたいですけど……」
琴音は言いながら、頬に手を置いて溜め息を落とす。
「じゃあ、こんなのはどうです? コインの出目で決めるというのは」
一通りメモを書き終えたエリアスが会話に加わるなり、ポケットから故郷の通貨である10コルナ硬貨を取り出した。
「ライオン像が描かれている面が出れば表、数字の10と時計の歯車なら裏です」
遊び心でエリアスが弾いたコインは、地面で弧を描き、道の上を滑るようにして転がる。
皆の視線を集めたそれは、勢いを徐々に落とし――どちらの面を示すことなく動きを止める。
舗装された地面で器用に立つコインを見て、一同は空を見上げた。
夕暮れ時、無人の寂しい町並み。
まだ明るい空は、夜を迎える準備として、朱色のカーテンを広げていた。
暗くなってからでは、獲物が見えにくいためか、蝶の姿をしたディアボロは、早くも輝く鱗粉をまき散らしながら町の上空に現れる。
蝶は自身が張った罠に止まっては、餌を確認し、羽ばたく――という作業を繰り返していた。
ただ本能的な作業として罠の確認をし、餌が無い事になんの疑問を持つこともなく、罠を梯子する蝶。
そしてまた一つ、罠のある場所へと移動しては、高度を下げる。
蝶は細い路地裏の上空から回りこみ、罠に向かってゆっくりと降下してゆく――。
だが、その時。
唯一餌がかかっている罠を目前にして、無数の人影が視界を遮った。
壁のように立ちはだかる撃退士達。
知能が低いながらも、『邪魔者は敵』と認識した蝶は、眼下に現れた少年少女を排除すべく、戦闘態勢に入った。
蝶が現れるまでは建物の二階に潜み、そして敵の出現と同時に二階から飛び降りた撃退士達。
被害者の盾となり、かつ敵を囲むような形で配置を組んだ彼らは、それぞれ武器を手に構える。
「アンタはここで、終わっとけぇっ!」
蝶の背中を陣取ったフィンが、両手で拳銃を構え、トリガーを続けて二度引いた。
まるでスターターピストルのように、先陣を切ったアウルの弾丸は、蝶の羽を傷つける。
致命傷にはならなかったもの、敵が高度を落としたことで、今度は正面に立つ琴音が仕掛ける。
琴音のネックレスから放たれた無数の光。
輝く矢の雷撃は、敵めがけて一直線に飛んだ。
だが、蝶も攻撃をただ甘んじて受けるわけではなく――瞬時に身を護るようにして、羽を閉じる。
光の矢は蝶の表面にぶつかるなり、弾けて消えた。
琴音の攻撃が終わっても、羽を閉じたままじっとする蝶を見て、次にエリアスが魔導書を開く。
操るは、狩人の魔弾。
破壊のために生み出された薄紫の矢は、敵の機動力そのものである、羽の付け根を狙った。
だが、花のつぼみのように固く閉ざした羽を貫くことはできず、光はあえなく砕け散る。
攻撃が通用しないのを見て、エリアスはいったん曲がり角に身を隠すと、新たな武器を用意する――と見せかけて、懐から取り出したのは、チープなインスタントカメラだった。
蝶の背後でたかれるフラッシュの嵐に、皆は無言でエリアスを注視するが――いつの間にか蝶が防御を解いていることに気づき、少女達は再び身構える。
上昇した蝶は、周囲の空気をかき混ぜるようにして羽を大きく動かした。
蝶の眼下に突如として発生する小さな辻風。
琴音は慌てて叫ぶ。
「私が敵の攻撃を受け止めます! 皆さんは下がっていてください」
背後を護るようにして構えた琴音の手に、天使と悪魔の片翼が描かれた盾が現れる。
蝶が発生させた竜巻は、ゆっくりと周囲を巻き込みながら琴音に向かっていった。
建物のえぐれる音が響き――小さな旋風は琴音をも巻き込んだのち、霧散する。
「きゃあっ」
「やらせるものか……!」
ルナリティスは巨大な翼を広げて急上昇する。
「折角羽化した所だが、誰がお前の仕事を完遂などさせてやるものか。我々の手で叩き落としてやる」
高く舞い上がったルナリティスは言って、蝶の上空から銃弾を数発撃ちこんだ。
無数の弾丸に羽を撃ち抜かれた蝶は動きを止める。
ゆるやかに落ちる蝶に対し、真下で構えていたゆいかは、高く跳躍すると同時に大剣を振るった。
「やあっ!」
紺碧の波打つ刃が、蝶の腹を切り裂く。
蝶は慌てて羽を閉ざそうと身を縮める――が、そうはさせまいと、路地の曲がり角からヴィルヘルミナが躍り出る。
「虫けらは地べたの方がお似合いだ」
そう冷たく言い放ったヴィルヘルミナは、霊符をかざす。
霊符は凄まじい氷の刃を蝶めがけて放ち――蝶の触覚と羽の一部をもぎとった。
恐怖なのか、憤怒なのか、蝶は身をよじって暴れる。
もはや上手に飛ぶことが出来ない蝶は最後の抵抗とばかりに暴れ――ゆいかや琴音にぶつかりかけたその時。
「危ない!」
フィンがその手の拳銃を双剣に替え、凝縮したアウルを蝶に叩き込む。
二つに裂けた蝶は少女達にぶつかる寸前で地面に落ちた。
戦闘を終え、蝶がその使命を遂げることなく亡骸と化すと、負のアウルで作られた罠は光の粒となって消えた。
だが解放されてもなお、被害者の今川智はその場に座り込んだまま、すぐには動けなかった。長い間拘束されていたせいか、足が動かないと言う。
「……はは……かっこわりぃ……」
智は気合いでなんとか立ち上がろうとするが、なかなか動かない足を見おろしては自嘲する。
あまり状態の良くない智を見て、ヴィルヘルミナは速やかに治癒を始めた。
智は「あ……」と、何かを言いかけては、口ごもる。
「良い友人を持った事に感謝するといい。すぐに走って助けを呼ぶのは意外に出来ぬ者が多いからな」
ヴィルヘルミナの言葉に、琴音も微笑みながら頷く。
「今川智さんを無事救出できた事、白井洋子さんに早く伝えてあげなくちゃいけませんね」
「噂をすれば――」
人の足音に気づいたルナリティスがぽつりと呟いた、直後。
路地裏の曲がり角から、通報者であり被害者の友人である――白井洋子が現れる。
「――智ちゃん!」
智は危険地帯に飛び込んできた友人の姿を見るなり瞠目し、今までとはうってかわった元気さで怒鳴り声をあげた。
「ばっ、馬鹿じゃないのっ! なんであんたがここにいンのよ!」
「だって……気になったから――それより、もう大丈夫なの? 少し痩せたよね」
「あんたは……いつもあたしばっかり追いかけて……何やってんのよ」
知り合いに会ったことで、ようやく気が抜けたのか、智は力のない言葉を放つと、はらりと涙を落とす。
「心配されるのが……こんなに嬉しいなんて……あたしこそ馬鹿みたいじゃん」
智が本音を漏らすと、洋子は穏やかに言った。
「あたしだけじゃないよ。智ちゃんのおばさんも、ずっと心配してご飯食べられなかったんだよ? 帰ったら、ちゃんと『ただいま』って言ってあげて?」
「……そんな恥ずかしいこと言えるかよ……もう何年も言ってないのに」
智は照れくさそうに口を尖らせるが、その目には大粒の水滴が溜まっていた。
素直になれない智を見て、焦れったくなったフィンは思わず口を挟む。
「憎たらしい奴でも無関心な人でも、大切な人でも。今の世界、何時会えなくなるかわかったもんじゃないから……友達は大切にしないと、ね?」
「そうそう。学校をサボったりするのは別にいいンだけど、友だちを心配させちゃダメだよ?」
フィンの言葉に同調して頷くゆいかだが、ふと自分の言葉にひっかかり――。
(あれ? サボっちゃダメかな。んー、あたしも時々サボるからいっか。いいよねっ)
自分基準で納得する。
「……あの、少しだけ席を外してあげませんか?」
ハッピーエンドの空気が漂うのを見て、琴音が声を潜めて言うと、皆はそれぞれ無言で同意し、一時的にその場から移動しようとする――が。
歓喜に満ちた顔で昆虫採集をするエリアスだけは声をかけることができず、そっとするしかなかった。