「うーん、これじゃあ潜入調査は無理そうなのー……」
ディアボロの目撃情報のあった小学校に、予定されている集合時刻より数時間早く到着した星歌 奏(
jb9929)。
彼女は一足早くこの学校に潜入して、小学生や教員を通じ詳しい現状を調べるつもりであったが、着いて見た光景は、学校の周りを警察が取り囲んでいるというものであった。
遠くから見た感じだと学校もがらんとしており、一人で潜入するのはあまり得策とは言えないようだ。
「まぁ、ディアボロがいるかもしれない学校に子供たちを通わせるのは、少し酷な話なのかもしれないの」
これからの時間、どうやって潰そうか。
星歌はとぼとぼと学校の周りを散策していると、この学校の生徒であろう、赤いランドセルを背負った自分と同じくらいの小さな女の子を見つけた。
「なにしてるの?」
「えと、あの……」
多感なお年頃だ、知らない人に話しかけられて少し驚いたようだが、星歌の容姿も助かって少女は落ち着きを取りもどす。
「私の名前は星歌 奏なの。あなたは?」
「わ、わたしは彩音、石橋 彩音です。えっとね、あのね、今日撃退士さんが来るって聞いて待ってるんだ」
彼女が持っているのはこの学校の道筋なんかが記されてあるプリントだった。どうやら授業参観日様に作られたもののようだ。
「あのね、わたし早くこの学校に入りたいんです。わたし生き物係だから、うさぎちゃんに食べ物をあげないと、きっとお腹を空かせてると思うんです」
自分と同年代の、初めて出会った女の子に語りかけるあたり、きっと彼女は必死なのだろう。
「彩音ちゃん、実は私ね──」
星歌は、そんな彼女の熱意を感じ、自分が何故ここに居るのかを話し始めた。
●
日は傾き始め、大きな建物である学校の陰影もハッキリとしてきた。
今回の依頼を担当する六人の撃退士が、その学校の運動場に集まっており、その彼女らに説明を行うのは、目の下のクマや肌のやつれ具合から心労が伺える校長先生である。
「逸早い解決をお願いします。保護者からのクレームや、事後処理の書類がたくさんあって、儂は最後まで協力できそうにありませぬが……申し訳ない」
そんな彼の姿を見て、依頼内容から校長の性癖を少し疑っていた雫(
ja1894)は、考えを改めることにした。
依頼書に書いてあることと大して変わらない内容を説明した後、校長は必要であれば鏡を破壊しても構わない事を告げ、フラフラとこの学校を後にする。
「教育の場だけに、色々大変なのかもしれませんね……それでは、準備を始めましょうか」
ユウ(
jb5639)は背筋を伸ばし、予め準備しておいたものをその場に並べ始めた。厚めの布やカーテンが数枚、そしてガムテープが数個。学校の見取り図は、星歌が持ってきてくれてようだ。
見取り図には細やかに、拙い文字や語彙ではあるが詳細が記されており、鏡の場所やらがどこにあるかがよく分かる。これなら校内をわざわざ詮索せずに済みそうである。
「どうやら、各階にトイレは二つずつあるみたいなのー。男子トイレが二つと、女子トイレが二つって感じなの」
「なるほど。一応二階に出現が集中しているとありますけど、全体を調べておいた方が良いかもですね」
これから手分けして、とユウが言いかけたところで、彼女はふと言葉を止める。
1、2、3……この場には自分も含め6人の撃退士がいたはずだが、何故か5人しかいない。
どうやら玉置 雪子(
jb8344)がいつの間にかいなくなっている様だ。
「あれ?玉置さんはどちらに?」
そんなユウの言葉に、周りのみんなも気づいていなかったのだろう。少し辺りがざわつき始めた。
しかし一人だけ様子がおかしい。恐る恐るといった風に、藍那湊(
jc0170)が手を挙げた。
「えっと、あの、玉置さんだけど、さっき一通り場所の確認が終わったら『大丈夫だ、問題ない』とか言って、一人で校舎の方に……」
「……何をやってるんだ」
藤白 朔耶(
jb0612)が一つ溜め息を吐いた。
「じゃあ、さっそくみんな学校の方に向かうの!でもその前に、みんなに髪留めを配っておくのー」
玉置を除く全員が星歌から髪留めを受け取り、それを自らの髪の右側に留める。
「では、早速行きましょうか」
雫の合図で、彼女たちは用意された道具を手に取った。
●
学校の三階へ移動したのは、ユウと雫だ。
「ユウさん。確か三階は、職員室や事務室、図書室なんかが位置する階でしたね」
「はい、見取り図にはそのように書いてありました」
見取り図のコピーを確認しながら、二人は目的のトイレまで足を進める。
男子トイレと女子トイレに分かれてはいるが、これは天魔を討伐するといった内容の依頼だ。躊躇っている余裕なんてない。
「えっと、雫さん。では、先に、女子トイレの方を確認しましょうか」
「そ、そうですね」
しかし彼女らも、うら若き乙女。出来れば遠回りしたいことだってあるのだ。
「さて、そういえば二階が一番出現しやすいとかの話だったな」
「私達が一番注意しなくちゃいけないと思うの」
二階を担当するのは、藤白と星歌。最も目撃情報の多い、二階のトイレを散策していた。
この階は主に生徒達の教室で占められており、六学年ある内の上級生に分類される学年が使用している様だ。
「校長先生が被害を受けたってことは、男子トイレかもしれないのー」
「でも見回りしてた最中だろ?どっちがどっちということは無いだろうが、まぁいいや。よし、じゃあ男子トイレの方から調べるか」
男子トイレも女子トイレも、入ってる人がいないのならトイレはトイレ。そんな彼女たちもまた、一つの乙女の姿である。
少し薄暗く、学校のトイレ独特の不気味さが漂う。
壁に設置されている鏡は三枚。手洗い場の正面に設置されてある。
「まず鏡に布を掛けて、敵の行動を制限していくのーって……藤白さん?」
「え、あぁ、これ?」
藤白は悪戯気に微笑み、手元に持っている手鏡を星歌に向けた。
「合わせ鏡したら、ディアボロはどうなるのかなーって」
「い、いや、違うの、そういうことじゃないの……」
「?」
星歌は藤白の後ろを指さしている。本当に、本当にうっかり藤白が鏡に映ってしまっていたのだ。
藤白が振り向く、鏡に映る自分の他に、もう一人の「藤白 朔耶」が何故か立っている。もう一度視界を前に戻すが、そこには何もなく、再び振り返ると確かに鏡にもう一人自分が映っていた。
「ご、ごめんなさい」
「とりあえず一旦退くの」
パッと身を引き、トイレから廊下の方へと飛び出す。
実に奇妙な光景ではあるが、二人が飛び出したトイレから怪しく微笑んだもう一人の藤白がぬらっと出てきた。
●
一方そのころ。
一階の散策及び玉置の捜索を担当していた藍那は、非常に困惑していた。
(あ、あれは一体何なんだ……)
玉置に一応髪留めを渡す為、鏡のあるトイレを中心に散策していた藍那は、女子トイレから聞こえてくる奇妙な声が気になり、静かにそこを覗いた。
そこで繰り広げられるのは、鏡に向かって何かの「いけない宗教」のような儀式を行う玉置の姿であった。
おばけマントに身を包み、何やら薄い本を鏡に向かって広げ、どこか鬼気迫る様な迫力で鏡に何かを訴えかけている。
『あなたは他人に変装して痴態を晒すことをしているそうですが、いいですか?本当の痴態というのは殴ったり蹴られてもよがりつつ「ありがとうございます!ありがとうございます!」と感謝することなんですよ?ご褒美を避けてはいけませんっ』
その薄い本の表紙には、ハンサムな青年が麻縄で縛られているようなイラストが描かれていた。
そして次に、彼女は何を思ったのか、身をよじりながらその薄い本の主要な場面であろうページを音読し始める。くねくねしているおばけマントが、何故か自ら進んで痴態を晒していた。これはこれでまた違う形の恐怖である。
『反応が無い……よし、次ですね』
ひとしきりの流れが終わり、玉置はその鏡を黒い靄で覆い、隣の鏡に向かってまた同じことを始めた。
(……きっとこれは、関わったらダメなやつなんだ)
藍那は自分の額に嫌な汗が滲むのを感じる。出来るだけ足音を殺しながら、走ってその場から逃げ出すことにした。
「雫さん、大変なの!ディアボロが藤白さんに変身して出てきたのー!」
『こちらの準備が終わるまで、あと少しかかりますので、出来るだけ刺激しない様にしてください。相手は好戦的な敵ではないらしいですから』
「分かったなの」
星歌は通話を切り、再び視線を元に戻す。
しかし見れば見るほどそっくりだ。違うところといえば髪留めをつけている場所だけ。本物は右側、敵は左側につけている。
本当にこちらから何かしかけない限り、相手も動かないようだ。偽物の藤白は辺りを物珍しげに眺めていた。
「校内だからあまり動けないの。ここは大人しく救援を待つの」
少し焦っている星歌に比べ、どこか楽しそうな表情をしている藤白。そんな表情を見て、星歌は少し首を傾げた。
「何で、楽しそうなの?」
「こうやって三次元的にあたし自身の体をまじまじ見てみたけど、中々良い体してるなって」
「そ、それは良かったのー」
少しソワソワし始める偽物。
自身の体を見渡して、あからさまに眉をしかめた。そして次に、自身に形成されているその豊満な胸をギュムギュムと押したり引っ張ったりし始める。
本物の藤白の顔が赤くなり、汗が滲み始めた。
「な、何をしてるんだ?」
『ウー、ウーーッ』
胸を千切らんとばかりに引っ張り、下品に体揺らし始める。流石の藤白も、もう顔が真っ赤で、星歌に至ってはそんな敵に背を向けてしまっていた。
「星歌さん、アイツは一体、何がしたいんだと思う……?」
答えにくい振りがやってくる。
「……きっと、胸が邪魔なんだと思うの」
藤白の「クッ……」という切り詰めた声が微かに聞こえた。
「たっ、玉置さんがーー!」
今からまさにその偽物に攻撃しようと、藤白が拳を握りしめた瞬間。藤白達の正面、ディアボロの背後からアワアワと混乱している藍那が走ってやってくる。
彼の身に何が起きたのかは知らないが、頭の中が容量一杯で混乱してしまっているというのは見て分かった。前方不注意のままこちらに向かってくる藍那。そんな彼に気づいたのか、偽物の藤白はくるりとそちらに振り返った。
ムギュゥ。
効果音で表すとすればそんな音だろう。直前になって偽藤白にぶつかりそうになることに気づいた藍那は思わずつんのめり、思いっきり偽藤白の体に抱き付いてしまった。
彼の頭から湯気が出ているのがありありと分かる。
「ごめんなさいーーっ、うわぁー!」
それがディアボロだと伝える前に、藍那はまるで風を切るように三階へと走り去った。
『コノカラダハヤダ』
予めインプットされていたかのような言葉を発し、偽藤白は一足飛びにトイレの中に消える。
また鏡に中に消えるつもりなのだろう。壁に設置されている鏡に向かって飛び込もうとした偽藤白。しかし、その瞬間
「……何が不満なんだ?」
顔は笑っているが、目が笑っていない。手鏡を偽藤白の前に割り込ませたのは本物の藤白。
偽物が手鏡の中に入っていったのを確認すると、藤白は思い切りその手鏡を外に投げ飛ばした。
「じゃあ、行こうか」
「笑顔が、怖いのー……」
●
藤白、星歌から連絡を受けたユウ、雫、藍那、玉置は、例の手鏡をぐるりと取り囲んでいる。玉置のおばけシーツ姿には誰も触れないようだ。
話によるとどうやらこの手鏡の中に例のディアボロが入り込んでいる様だ。
その被害を受けたのは藤白。雫は傍から見てみて、彼女の周りの雰囲気が少しおかしいのを感じていた。藍那はあからさまに藤白から目を逸らしているし、星歌が藤白に向ける笑顔がどこかぎこちない。
「あの、玉置さん。その姿のままだと戦いづらいと思いますよ?」
「ユウ氏、大丈夫だ問題ない」
「は、はい……」
こっちはこっちで少しおかしいが、別にディアボロが関係しているわけではなさそうだ。
手鏡は、鏡の面を地面に接されており、今は何も映らない言わば安全な状態にとどまっている。
「とりあえず学校全体の鏡には布を掛けて、出入りできない様にはしましたが、何分素早い敵だそうで、どのような戦闘を行えばいいのでしょうか?」
「まず誰が鏡の前に立つかも考えないといけないね」
ユウの問いに藤白が答える。被害者である彼女の言葉は、少し重みを帯びているように感じた。
「私に一つ考えがあるのですが、良いですか?」
手を挙げたのは、雫だ。
雫と手鏡が中心になるように、周りを残りのメンバーが囲み、ディアボロを取り逃がさないような陣形を組む。
「自分で自分を縛るのは初めてです……」
アウルで紡いだ鎖を自身の体に巻いて、雫は簡単に身動きが取れないことを確認した。
作戦はこうだ。
自身を拘束したまま雫が鏡に映ることによって、鏡からは拘束された偽物の雫が出現するはず、そこを周りの全員が叩くという算段である。
「じゃあ、いきますよ」
自身をガチガチに縛り、忍法「髪芝居」を使い、その綺麗な銀髪を器用に動かして手鏡をめくった。
鏡に映るのは、自分を自分で縛っている雫。
そしてその後方に、全く同じ姿をした雫が映っており、小さな手鏡からぬるーっと怪しげに微笑む偽雫が出現した。
体を縛られたまま怪しげに微笑んでいる偽雫。なんだか、馬鹿みたい。
やっと自分の境遇に気づいたのか、偽雫は体をうねうねと動かしながら、拘束を解こうと必死になっていた。偽物とはいえ姿は自分、雫はそんな馬鹿みたいな偽物に微かに怒りがわいてくる。
「みなさん、大丈夫な様です。今のうちに──」
『ワタシヲシバッテクレテ、アリガトウゴザイマス!!モット、モットワタシヲシバッテ、ナブッテ───』
「あ……」
縛られている偽雫が、いきなり満面の笑みで叫び始めた。そんな光景を見て、何故か玉置の体が固まる。
そしてこの光景を、藍那は覚えていた。しかしこれを他の人に悟られてはいけない。なぜなら、本物の雫の空気が一変したからだ。
全身から溢れ出る凄まじいアウル。あんなにガチガチに縛っていたはずの鎖が一瞬で弾け飛び、雫の携える大剣には紫焔が渦巻き始める。
目にも止まらぬ速さとはこのことだ。
一瞬で雫はその大剣を偽物の額に振り下ろし、何度も何度も、原型が無くなるぐらいに力を込めて切り付けた。
嫌な汗と、震えが止まらない玉置と藍那。
この秘密は、墓場まで持って帰ろう。震える二人は、しっかりとそう胸に刻みつけた。