孤境重喜は、学園内で、青空の下をぶらぶらと歩きながら悩んでいた。
「うーん、初対面の人と話すのって少し緊張するな。ネットみたいに顔が見えないのとは違うからなぁ」
耳にはもう「親友」と言っても良いほど、毎日を共に過ごす「イヤホン」が挿さっている。
考え事をしていたからだろうか、注意がおろそかになっていた重喜はドンと誰かにぶつかってしまう。相手の体がトスンと地面に尻もちをついた光景が視界の端に見えた。
慌てて重喜はイヤホンを外し、手を差し出した。
「っと、大丈夫ですか?」
少し年下くらいだろうか、重喜はその華奢な青年に手を差し出した。
青年はニコリと笑ってその手を取って立ち上がる。
「すいません、ちょっと考え事をしてて……ははっ」
重喜の言葉の後に、青年はスラスラと手元の手帳に何かを書き始める。重喜は首を傾げた。
『けが 無い? だいじょうぶ?』
メモ帳に簡単に記された言葉。恐らく彼は喋ることが出来ないのだろう。重喜はそれを読んだ後、青年に見せる様に笑顔で少し体をひねった。
「ほら、大丈夫ですよ、俺は倒れてないですから。悪いのは不注意だった俺の方だし、今のがサッカーなら確実に俺にファールが出てますよ。だから大丈夫です」
そう言うと青年は朗らかに微笑んで、一礼をし去っていった。
重喜もそれに倣って一礼を返す。
「ふぅ……もう、会うことは無いだろうなって思うと、気楽に人とも話せるものだな。母さんに言わせれば、この意識がダメなんだろうが」
重喜の依頼実行日は明日に迫っていた。
●
「いや、あのですね、大変おいしい茶菓子を用意していただいて申し訳ないと言いますか──」
「──さっきから重喜さん、緊張しっぱなしですよ?あ、こちらのお菓子なんかはどうでしょうか?」
「はい、いただきます……」
普段は休憩所として扱われている、座敷の部屋に重喜を含めた様々な顔ぶれの撃退士がちらほらと揃っていた。まだこれから少しずつ増えていくらしい。
自己紹介も適当にすんで、今は木嶋香里(
jb7748)の持ってきた茶菓子を食べながら、みんなで談義中である。
藤井 雪彦(
jb4731)の「友達汁」という奇妙な忍法を出合い頭にかけられたせいか、重喜は少したじたじになっていた。
「はじめまして!俺の名は快晴(
jb9546)。久遠ヶ原学園高等部三年に所属している。以後宜しく頼むぜ!」
ドカンとドアが開かれ、軽快に笑う女性が部屋へ入ってくる。
重喜と、同じくもさもさとお菓子を食べていた天神 十六夜(
jc0792)はそれに驚いて少しむせてしまった。
「さて、まだ来ていない方もいらっしゃいますけど、さっそく依頼に行きましょうか。重喜さん、社交ダンスとか興味ありますか?」
「げふんごふっ……えっと、社交ダンスって聞くと、何かお高そうなイメージが、あるんですけど」
「ふふっ、まずは習うより慣れろです。それでは皆さん行きましょうか」
●
「それでは皆さん、衣装は着ましたか?今回はお試し体験ということで、社交ダンスサークルの方々に手伝っていただきましょう」
きらびやかな貸衣装であるドレスを身に着けている香里が解説を始める。
ピシッとしたタキシードを身に着けている重喜と十六夜。快晴は少し頬を染めながら、香里と同じようにドレスを身に着けていた。
少し離れたところで、その光景を「眼福、眼福」と呟きながら頬が緩んでいる雪彦は見学のようだ。参加しない理由は、なんでも想い人を裏切れないとか。
「社交ダンスは様々な年代の方々と知り合えるのでコミュニティも広がり、ダンスが上手ければ上手いほど異性のパートナーに言い寄られる機会も多くなります。つまり『ぼっち』が解決できるというわけです!」
「ちょっと、露出が多いんじゃ……」
「首元が苦しい」
「快晴さん、それは私なりのサービスです!あ、十六夜さん、シャツを緩めないでくださいっ!ほら、重喜さんも背筋を伸ばす!」
「は、はい!」
てきぱきと香里の指示通りに事が進んでいく。
その後サークルの方々の手解きもあり、基本的なステップなどを簡単に習っていく四人。そして、数時間が経過し──
「では、最後に少し二人組で踊ってみましょうか?では好きなように二人組を──」
「──グフッ」
「重喜!ど、どうしたんだ!?」
香里の話している途中に、いきなり胸を抑え、苦しそうに息をする重喜。慌てて快晴が駆け寄る。
「俺みたいなぼっちには、『好きに二人組を組め』という台詞は、もはや、死の呪文なんですっ……」
「はぁ、心配して損した気分だぜ……じゃあ、俺と組むか?」
「かたじけない」
というわけで、香里が十六夜と、重喜が快晴と組むことになった。
「じゃあ、ミュージックスタートです」
●
ダンス体験が終わり、また休憩所でお菓子を食べながら談義中だ。
「あははっ、面白いもん見たわ」
「雪彦さん、いつまで笑ってるんすか……ついには、俺の顔から火が出ますよ。うぅ」
「そう落ち込むなって重喜ちゃん!いやー、快晴ちゃんとまるで戦ってるかのように足踏み合って、どったんばったんしてるんだもん、笑うなって言う方が、なぁ?」
笑ったら失礼だと分かっていながらも、必死に笑いをこらえているように顔が赤い十六夜と香里。
また違った意味で快晴と重喜の顔も紅潮が増している。
「だ、だって、あんなヒラヒラしたドレスは、俺に合わないんだよっ」
「うんうん、二人とも初々しくてガチガチで、見ていてホント飽きなかったよ!」
「プッ、ククッ……どうやら、重喜さんは、ダンスが苦手な様ですね」
───バタムっ
「悪りぃ、少し遅れた」
新たに合流したのは向坂 玲治(
ja6214)と華奢な体格の青年の二人。しかし、重喜はその青年の姿を知っていた。
「あ!」
『きのうは ありがとう』
青年の名前は九条 静真(
jb7992)と言うらしい。先日重喜とぶつかった青年だ。
みんなでほのぼのとお茶を飲んでいたところに、玲治はズカズカと上がり込み、意地悪気な笑顔で重喜にスマホを見せる。そのスマホから聞こえるのは、とある動画媒体サイトから流れてくる歌だった。
「なっ!?」
重喜の顔が一瞬で固まる。
「あ、あの、玲治さん、どうしてそれを?」
「ん?お前のお母さんが、ね」
「くっ」
その歌声は明らかに重喜のもの。再生数から見ても分かるようにその歌声は秀逸なものであった。
重喜の手を取って、玲治はスクッと立ち上がらせる。
「じゃあ、次行ってみっか!」
●
「楽器ができなくてもアカペラやゴスペルなら出来る。ちょっと前に、アカペラ甲子園みたいな触れ込みでそういった番組もあってたよな?てなわけで俺がお前に勧めるのはアカペラさ」
予め連絡を取っておいてくれていたのだろう、部室棟のアカペラサークルの部屋に重喜たちは訪れていた。
サークルの部員の方々が笑顔でよろしくと迎えてくれる。
「聞いてみればわかると思うが、複数の歌声が紡ぐ音楽っていうのは、どんな楽器よりも心に響いてくる。そして、こればっかりは一人じゃ出来ない。元々素質のあるお前にはもってこいじゃないか?」
「まぁ、そうですね。俺もあの番組は好きでしたよ」
「じゃあ、決まりだな。あ、もう部員の人達にはあの動画聞いてもらってるから問題なし!早速何か歌ってみてくれよ」
部員の人達も含め、いきなりの御注文に少したじたじになる。軽く苦笑いだ。
「そんなこと急に言われても……」
『おれは 歌えないけど しげきは 歌が上手 だから 聞きたい』
「うぅ……みなさん、何てキラキラした目をしてるんすか。じゃあ、少し、時間をいただいても良いですか?」
重喜をリードボーカルとして、部員の人達と重喜が例の動画を流しながら話し合う。どうやら、重喜がアップしている歌のうちから選んで歌ってみるらしい。
そしてその後、十六夜がピアノを弾いて音を揃えていく。玲治達が待つこと一時間弱。
その練習している段階で聞こえてきていた、所々の旋律に聴衆は密かに胸を躍らせていた。
重喜を中心に、部員である4名も揃って玲治達の前に足を進める。
「あまりこれといったアレンジなんかはつけられませんでしたけど、えっと、じゃあ、聞いて下さい」
「1、2、3」という小さな掛け声と同時に、彼らはスゥっと息を吸った。
●
またまた、アカペラ体験が終わり例の休憩所で、少し窮屈な思いをしながら撃退士達がお茶をすすり、茶菓子を食べていた。
「いやぁ、凄かった。俺もちょっとグッと来てしまったぜ。サークルの人達からも勧誘受けてたしなぁ」
「ホントに、重喜ちゃん凄く歌上手いんだね!ボクもうチャンネル登録しちゃったよ♪」
快晴と雪彦に肩をバンバンと叩かれる度に、重喜の体がどんどんと縮んで、もうその顔はショートを起こしそうなくらいに真っ赤だ。
しかもここの談義はもうその話で持ち切りになっている。心からむず痒いのだろう、重喜は何故か正座をしたまま固まっていた。
「どうやら、私たちが最後のようですね」
「まぁ、俺達にはけっこうな準備もあったからな。この人数分だし」
最後にドアを開けて参入してきたのは、艶やかな銀色の長髪が目を惹く雫(
ja1894)と、非常に身体つきの良い巨躯の強羅 龍仁(
ja8161)であった。
龍仁は電子煙草を咥えたまま、重喜の元へと歩いていき、その手をがっしりと掴んで握手をする。
「君が重喜か、よろしくな。俺にも君と同じくらいの息子がいるんだ」
「え、あ、よろしくです」
「予め、君の人柄なんかは静真や、君のお母さんから聞いているよ」
「母さん、マジパねぇ……」
龍仁は気づいていないが、母のことを口に出された瞬間、重喜の顔から少し血の気が引いていた。
「それでは最後に、皆さんで登山に行きましょうか。道具類はもう私と龍仁さんで用意していますから心配せずとも大丈夫ですよ」
●
「まぁ、今回は簡単な登山さ。ゆっくり上って、キャンプで一泊だ」
「撃退士に、登山が簡単かどうかはあまり関係ないですけどね」
「ははっ、そう言ってくれるなよ、雫」
地元でも有名な登山スポットに撃退士の面々が揃う。
「とりあえずキャンプ地まで登って、そこでテントを立てるなり料理を作るなりして今日を過ごそう。山登りは上っている過程や、キャンプ地なんかで出会いがあったりするものさ。またその面々で他の山に出向いても良しだ」
「なるほど、山ガールなんていう言葉もあるくらいですしね」
「そうだ重喜、友達が出来る前に彼女が出来る場合もあるかもしれないぞ?」
「ははっ、龍仁さん、俺にそんなポテンシャルはないですよ」
早速、和気あいあいと足を運ぶ彼ら。
遅くに合流した龍仁や雫、玲治、静真達に今日あった出来事を話しながら、しっかりと整備された参道を進んでいく。社交ダンスで快晴と重喜が転がりまくっていたこと。アカペラでのことや、謎すぎる重喜母の存在のことなど。
今日食べていた茶菓子は全て香里の手作りだということに驚いたり、重喜と十六夜が妙に気が合っていたり、雪彦が悪戯で忍法「雫衣」を使って、社交ダンスの時に着ていたドレスを快晴に纏わせたりと、時間が過ぎるのも早く感じるくらいに、楽しく山登りは進んだ。
山の頂上、そして目的のキャンプ地へと到着。
何時間も足を進ませた甲斐があってか、高みから眺める町並みは、沈んでいく夕日に相まってとても美しいものになっていた。思わず誰からともなく感嘆の溜め息が漏れる。
「じゃあ、夕飯の支度をしましょうか」
ポンと手を叩き雫が合図をする。
料理を作れる重喜と香里、快晴が、てきぱき手順をすすめていく。どうやら今日の晩御飯はカレーのようだ。余った雪彦と龍仁、玲治はテントを張り、静真や十六夜、雫は薪やその他諸々の道具の準備や片付けなどを行っていた。
たくさん笑い、たくさん歩いたおかげか、とてもカレーが美味しく感じる。光源が少ない為、薪の周りを全員で囲み、重喜が歌い、みんなの表情を静真が持参のカメラに収めていった。
●
全員が寝静まった頃、重喜は野原に寝転がり空を眺めていた。
カサリ、と音が聞こえ、誰かがその隣に腰を下ろす。
「あぁ、静真さん、まだ寝てなかったんすか」
笑顔で静真はコクリと頷いた。
片手に持っているのはスマホのようだ。暗闇の中筆談が出来ないから、スマホで意思の疎通を図ろうとしているのだろう。
『きょう 楽しかった ?』
「はい、申し訳ないなっていう気持ちも半々ながら、それ以上に今日は久々に楽しかったですよ」
『しげき 良い人 でも おかあさんは せいかくが卑屈 言ってた どうして?』
「あ、あぁ。あはは、卑屈に当たるのは母さんにだけですよ。どうしても敵わない存在だからね、どこかで反抗したくなるのかも」
クスクスと二人が笑う。
『ぼっち 脱出 できそう?』
「うーん、少し前の話になるんですけど…」
直接の答えを重喜は避けて話し始めた。
「俺は昔、まだ撃退士になる前はサッカー部に入ってて、やっぱそれが好きだったから頑張って努力して、必死に努力した俺はそれなりに実力もついた」
それは、まだ口で言う程『昔』にはなりきらない記憶。
苦い、記憶。
「でも、周りの人達はそうじゃなかった。俺は自分が出来ることを当たり前のように周りに要求して、それに応えられない仲間に高圧的な態度をとっていくようになって、そしたら俺の周りには誰もいなくなっていた」
今なら判る。それがどんなに子供であったか。
「それからいじめも重なって、俺はサッカーを辞めました。そこからですね、一人になったのは」
サークルとかに入ると、また同じことを繰り返しそうで怖いんです。
その言葉を口に出そうとして、飲み込む。
その言葉は今日一日を否定する事に近かったから。
思わず押し黙っていると、カタカタと静真がスマホに文字を打ち込む音が、虫の音と重なって聞こえた。
『でも こうして みんなと 過ごして どうだった? おれ かおり ゆきひこ かいせい いざよい れいじ たつひと しずく どうだった?』
どうだった?
ああ、そうか。飾らない言葉には、飾らない態度で答えていいのか。
「……今日過ごした皆さんとは、またこうやって楽しく過ごしたいなって、心から思いましたよ」
心にはまだ、恐れはある。けれど、
「少しずつですが、俺も変わっていけたらなって思います。ははっ、母さんにはお礼を言わないとなぁ」
星空がとても近い。手を伸ばせば、どれか一つの星くらいは掴めそうだ。
静真がカメラのフォルダに入っている、全員が集合した写真を重喜に見せる。
「あぁ、登頂した時の」
そこに映った全員の顔はとてもいい笑顔で、それを見ていた重喜の表情も軽くほころんだ。
『みんな もう ともだちだね』
「………うん、ありがとう」