●銀の鳥籠攻防戦
「わー、綺麗な銀の鳥篭……それに綺麗な歌声。うん、リリーはもっと見てたい、聞いていたいなー♪」
目的地に近づくにつれて木々で被われていた視界が拓け、不思議なオブジェが姿を現す。それは鈴蘭(
ja5235)が言うように、どう見ても猫足の様なスロープがついた巨大な銀の鳥籠だった。そして、鳥籠の中には呪歌を奏でる鳥と外には番犬代わりの虎が徘徊している。
「まったく……ひとの許しも得ずに好き勝手なものをこさえてくれる」
言外に『迷惑だ!』との感情を織り込ませながら九神こより(
ja0478)が言う。美しい山野に不似合いなオブジェなど早々に撤去してしまいたいほどだ。
「天使に風情など期待するだけ無駄。綺麗な歌声かもしれないけれど、そろそろ黙ってもらいましょう」
感情のこもらないフラットな口調で氷雨 玲亜(
ja7293)が言う。その氷青の瞳も冴え冴えと輝き、強い感情を見て取る事は出来ない。
「時間です。行きましょうッ!」
普段……特に学園生活を営む際には必ずつけている眼鏡を外して彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)が言う。その眼鏡に特別な『力』があるわけではないが、もはや『きっかけ』としてどうしてもせずにはいられない行為となっている。だから、途端に雰囲気ががらりと変わる。
「私は準備出来てます。皆さん……えっと若菜さんと紫ノ宮、いけますか?」
天羽 マヤ(
ja0134)は自分より年少の若菜 白兎(
ja2109)と紫ノ宮 莉音(
ja6473)にもごく自然に丁寧な口調で尋ねる。
「だ、だい、大丈夫なのです!」
名指しで声を掛けられた白兎は武器である身長よりも長い武器を胸に抱え、黎明の空を切り取ったかのような淡い青の瞳を見開いて答える。
「僕もとりあえず準備出来てますんで、いつでもいけますよ。ね、白兎さん」
「はい!」
緊張感を感じさせないゆったりとした口調で返事をした莉音は傍らの白兎にニコッと笑いかける。
「後方からのフォローは自分に任せて。何があっても絶対に孤立なんてさせたりはしない。安心して!」
うなずきながら言う水川 沙魚(
ja6546)にマヤと彩も小さくうなずく。
「それじゃあ……」
「行きます!」
曲線を描くスロープの1つへと向かって白兎と莉音が走り始める。それがこの場での戦端を開く行動となった。
鳥籠内の鳥女に変化はなかったが、護衛であり番犬代わりでもある6体の虎サーバント達は即座に反応し、走る2人に向かって走り出す。全部の虎たちが1つのスロープへと誘導され、白兎や莉音と一緒に駆け上り始めると身を隠していたマヤと彩が立ち上がり走り出す。
「行く!」
「この隙に突破します。援護よろしくですっ」
彩とマヤの走りは先に走り出していた白兎や莉音よりも確実に速く、2人と追っていた虎のうち、後方にいた4体がスロープを飛び降りマヤと彩の方へと向かい出す。虎達の動きが判明すると、残る4人の撃退士達も茂みから戦場へと身を躍らせる。ここからは時間との勝負でもある。なんとしても天使軍の増援が着く前にこの歌を止めなくては京都での戦いが不利になる。それは犠牲となる命の数が格段に跳ね上がる事であり、人の衰退と天使軍の増強という結果をもたらす事にもなる。
「さ、させへんよ」
さらにもう1体……3体目の虎サーバントが身を翻したのが視界の端に入ると、走っていた莉音も反転した。虎サーバントは身体を長く伸ばし跳躍の姿勢にはいっている。このまま地面に飛び降りて鳥籠へと走る撃退班を追うつもりなのだろう。
「やああぁああ!」
迷っている時間も躊躇う余裕もない。ここが高みだと重々理解しながら莉音は飛んだ。若干ぎこちない姿勢ながらも薙刀の切っ先が無防備な虎サーバントの背を払う。
「わ、わたしだって頑張るんです〜本当はおっきくって強いんです〜!」
同じく足を止めて振り返った白兎はツーハンデッドソードを振り回し残る2体の虎サーバントへと威嚇するように迫り、見た目とは違う強い一撃が虎の前肢にヒットする。1体でも多くの敵を足止めしようと必死にアピールする。
「進む! 絶対に……たどり着いてみせる!」
巨体を感じさせない軽快な走りで虎サーバントが駆けてくる。それを吹き付ける風で感じながらも彩は止まらない。迎撃体制は取らず後も見ずに必死にスロープを駆け上がっていく。その先にある銀色の籠の中に動きはない。
「これ、途中で転んだりしたらきっと大変なことになりますよね……?」
彩の後を走りながらマヤが言う。人間が駆け上がる事など想定されていないスロープには、当然ながら手すりも落下防止の壁もない。足を踏み外したり転倒してスロープから落ちれば地面に墜落するだけだ。
その直後、背後まで迫ってきた虎サーバントがバランスを崩してスロープから落下する。
「リリーのナイスショットだね。ご褒美は何が出るのかなー♪」
狙って仕留めたのは後方でまだロングボウを構えたまま笑みを浮かべた鈴蘭だった。どことなく不自然にそれらしく歓びを表現しているような挙動で、どこまでが本当でどこからが恣意なのか判断し難い。だが、鈴蘭の一撃で撃退班に追いつきそうであった虎サーバント1体は落下し、2体が2人に迫っている。
「させへん」
一瞬前までは充分に射程内だった場所なのに、今狙おうとすると距離がありすぎる。瞬時にそう判断するとこよりは小さく悪態をつきながらスロープへと駆け寄っていく。
「邪魔はさせない」
初めからこよりよりも前に出ていた玲亜から薄紫色に輝く光の矢がスロープを駆け上がる撃退士を追う虎サーバントを直撃する。身体をのけぞらせて身をよじるサーバント。
「日常を壊された人の痛みを知れ」
更に沙魚から放たれた光の矢が苦悶に足を止めた虎サーバントの足を射抜く。
「がるるるぅうううああああ!」
1体の虎サーバントが咆吼を放つと、途端に残り5体のサーバント達も唱を合わせるかのように高く低く咆吼を放つ。空間を振るわせる多方向からの振動が不可視の糸の様に撃退士達の身体に絡みつく。
「み、みなさんがっ!」
「皆がやられたっ」
「早々に使ってきたわね」
スロープ上で敵2体を足止めしていた白兎と、一緒に着地した敵に対して間合いを取ったばかりの莉音。比較的後方にいた沙魚と玲亜は敵の攻撃を回避した。だが、先行して走っていたマヤと彩、そしてこよりと鈴蘭が何かに全身を絡め取られたかのように動けなくなってしまう。その間に無傷の敵がマヤと彩へ追いつこうと速度を速め、傷ついてスロープに倒れた敵が起きあがる。更に地上に落とされた虎サーバントも身軽に反転してスロープの起点へと走っていく。
「まずい、追いつかれる」
沙魚の視線の先には動けない撃退班の2人、その背へと虎サーバントが迫っていく。
「きゃああっ」
2体の虎に交互に攻められ悲鳴をあげる白兎だが、それほど手酷いダメージは負っていない。それよりは地上で爪に引き裂かれた莉音の傷の方がずっと深く、真っ赤な血が左腕を赤く染める。
「えげつないなぁ」
抑えた右手の指の間からも鮮血が溢れて滴る。だが、2人とも年は若くても足止めを任された撃退士だ。やられ放しでいるわけはない。
「地上に降りたからにはこっちのもんや。高度0なら怖ないんやから」
棒術の様に薙刀を振り回した莉音は切っ先とは逆の柄の部分で虎の腹を思いっきり突く。
「女の子相手に牙とか爪とかって……失礼なの。怪我して跡が残ったりしたらどうしてくれるですか……」
怒りに頬を紅潮させた白兎の巨大剣が血塗れた牙を剥きだす敵へと真一文字に振り下ろされる。まだマヤや彩や鈴蘭、そしてこよりは動けずにいる。
「氷雨、先頭を狙えるか?」
「可能性じゃない、やるわ」
間髪入れずに玲亜が、そして沙魚が淡い紫色に輝く光の矢を敵へと放つ。それは輝きながら美しい軌跡を描いて飛び、マヤの背へと爪を立てようとしていた虎の背に次々に命中していく。悲鳴をあげて虎がスロープから転落していく。
「解けた!」
その途端、つんのめるように前にバランスを崩した彩は転がりながら身体をひねって向きを変え、迫る手負いの虎サーバントへと迎撃体制を取る。
「やはり後顧の憂いを断ってからでないと鳥籠に辿り着けないかッ!」
繊細な装飾が施された優美なケーンが彩の指先でクルクルと旋回し、迫る敵の鼻面へと思いっきり叩きつける。
「パラダインさん!」
同じく行動の自由を取り戻したマヤも身を翻して追ってくる虎へと向き直る。同時に闇色の霧がマヤの持つ大鎌へと集まり、一閃した敵の視界を覆う。虎サーバントは前肢をあげてもがくが、それで視界が元に戻ることはない。
「今のうちです、パラダインさん」
「うん、行こう!」
再び走り出す彩、そしてマヤの2人。彼女たちを追う3体目の虎サーバントはまだスロープの起点に達したばかりだ。
「どうしてもステージクリアしたいんだから、邪魔させてもらうよー。ゴメンね虎ちゃん」
「死闘だもん、しょうがないってわかってるよね」
スロープへさしかかったばかりの虎サーバントへは、今やっと動けるようになった鈴蘭とこよりが遠距離攻撃でその動きを妨害する。
「ここをクリアしないと次に天使さんがどんな遊び場を見せてくれるのかわからないもんねー」
「だから私達の邪魔はしないで欲しいんだ」
鈴蘭もこよりも午後のひととき、楽しいティータイムで交わしているかのような軽口をつむいでいる。だが、身体にまとう闘気と双眸に宿る真剣な光りは間違いなく撃退士のものだ。
莉音はスロープへと戻ろうとする虎サーバントの進路を塞ぐ様に立ちはだかる。
「絶対に通さへん。堪忍してや」
言葉とは裏腹に鋭い切っ先が虎サーバントを襲う。その動きに軽く跳躍しつつ後退した敵は低くうなり声をあげて威嚇するが、勿論莉音に通じるわけもない。
「あ、駄目です! 絶対に行かせません!」
しかし、白兎の叫びも虚しく相対する2体のうちの1体が白兎の頭上を越えてスロープを駆け上がっていく。おそらくは鳥籠下部に肉薄した撃退班を追うつもりなのだろう。頭上を飛び越した敵の腹を白兎は刃を突き立てる。だが、すぐにもう1体に飛びかかられ小さな身体が2体の虎サーバントで見えなくなってしまう。
「きゃああっ!」
「若菜さん!」
「駄目ッ! 振り向かないで走ってッ!」
「は、はい!」
止まりかけたマヤを制止した彩は更に加速する。銀色の鳥籠に取り付き、息を整えるとその巨大な銀の格子を登り始める。
「待ってなさい、です」
すぐに追いついたマヤも彩のすぐ隣の支柱をよじ登る。巨大な鳥籠の格子も大きく、ジャンプと懸垂を繰り返すか、長く伸びる左右の支柱を腕と足の力だけで登っていかなくてはならない。
「もうちょっとかな? 彩ちゃんとマヤちゃんがもうちょっと高く登って鳥女ちゃんに手が伸ばせるようになるまで、もうちょっとだけリリーと遊んでよ」
鈴蘭が放ったロングボウからの矢がリズミカルに走る虎サーバントの後ろ足に命中する。ネコの様な短い悲鳴をあげて転がるサーバント。
「待ちに待った好機! でかした、鈴蘭」
倒れ込んで動きの止まった敵へ軽々とこよりの矢が命中する。
「皆、急ぎましょう。あまり時間を掛けていると遊んでくれるお友達が増えてしまうわよ」
「それは歓迎出来ないな」
玲亜と沙魚の遠隔攻撃が倒れた仲間を踏み越えてスロープへと走る別の虎サーバントを直撃する。
撃退士達の攻撃に虎サーバント達は本来の目的である呪歌の紡ぎ手を守る事が出来ず、それどころかダメージを蓄積しボロボロになっていく。おおむね有利な展開で戦っている撃退士達だが、敵の増援が到着すれば形勢は一気に逆転する。その前に京都を眠りの呪いから解き放たなくてはならない。
「終わりよ」
玲亜が放つ薄紫の矢が虎サーバントの胸を射抜き、力を失った巨大な地響きをたてて落ちていく。
「……まずい」
その時、沙魚は遠くの空にポツンと黒い小さな点を見た。何かが空から迫ってきていると判断するのに時間はかからない。
「マヤ! 彩! 急げ!」
「おっと、2人の邪魔なんて無粋はさせへんよ」
「行かせません!」
土まみれになった莉音と白兎が得物を振るい、それぞれ目の前の敵を惹きつけ足止めする。
「申し訳ありませんけど、『とりま』『なるはや』らしいので。一気に終わらせますよっ」 大鎌を振りかざしたまま止まり木を走るマヤ。その逆側から彩が迫る。それでも心地よさそうに歌う鳥女サーバントは動かず歌い続けている。
「Take a break neighbor!」
彩の拳が喉を突き、マヤの刃が身体を斬る。その途端、あれほど続いていた歌が消えた。そして美しい羽を乱舞させながら鳥女サーバントの身体が落下していく。
「やった! ステージ1クリアだね!」
歓喜の声をあげる鈴蘭。けれどこよりは構えていた弓から力を抜き、空を見上げる。
「来る。長居は無用だ。急いで降りてこい!」
最後のフレーズは鳥籠の上にいる彩とマヤへと向けて叫ぶ。
「Ha、下りを考えてなかったっすね。怖ッ」
サングラスを掛ける時、ちらりと下を見てしまった彩は不意に足がガクガクと震える来るのを感じる。
「パラダインさん、大変ですっ。あれ、あれを見て下さいですよー」
マヤの示す空の彼方にはハッキリと異形の姿が見て取れる。天使軍の援軍に違いない。
「あれとは遊ばないの? リリーはまだまだ遊び足りないかも?」
屈託のない笑みを浮かべて鈴蘭は接近してくる敵を指さす。その姿はもう豆粒ほどに大きくなっている。
「退くわよ。さすがに今は相手してられないわ」
乱れた紫色の髪を掻き上げ玲亜が言う。まだまだ余力は残っているが、ここに残って戦い続ければいずれ力尽きて倒される。
「撤収しよう。ここでこのまま敵の増援と戦ってもこちらにメリットは少ない」
「そうやね。まだ助けを待っている人が沢山いるかも知れへんし。そっちに行った方がえぇかもしれん」
「は、はい!」
やっと目の前の虎サーバントを倒した莉音と白兎は泥だらけの服をぱんぱんと手で払い、互いに顔を見合わせて僅かに微笑む。緊張を強いられる戦いだったが、なんとか自分の務めを果たせた様な気がする。
マヤと彩が合流すると、撃退士達はすぐに元来た森へと撤収する。最後尾となった沙魚は足を止め戦場を振り返った。そこには銀色の鳥籠はそのままに動かない敵の屍があちこちに散乱している。勝者と敗者、生者と死者。戦いの帰結はいつも厳しく揺るぎない。
「天魔にも日常はあるのかもしれない。それでも私は人の日常を守る。そう誓ったんだ」 小さくつぶやくと市街地がある東へと向かって走り出した。