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その森には恐ろしくも愛らしい猫たちがいる……それは他愛のない噂話の筈だった。顔を合わせた友に『もう聞いた?』とか『あの子も戻らないらしいね』なんて、ちょっと怖いから会話の掴みに使い易いネタ話。それだけの筈だったのに、現実には5人の少女達が森から戻ってこない。だからこそ噂は加速度的に流布を続け、いつまた森へと足を向ける者達が出ないとも限らない。
だから撃退士達はその依頼を引き受け森にやってきた。市街地からさほど離れいない場所にあるその森の奥には本当に猫がいた。噂に違わずビロードの様に光沢のある黒い身体に赤と金に揺らめく瞳を持つ3体の愛らしい猫たちが水辺でのんびりと寝そべっている。だが、草や土を踏みしめる複数の足音が近づいてくると耳や尾を振るわせ、ゆっくりと身を起こした。人間達を見ても怯えたり警戒することなく、『なー』と小さく甘えた様な鳴き声をあげ伸びをする。
それは本当の猫ではない。悪魔の下僕、ディアボロ達であった。だが、近寄ってきた人間達もただの人ではない。
「さぁ、ハンティングの時間だ……せいぜい逃げ惑えよ?」
慣れた手つきで素早くトンファーを構えた御暁 零斗(
ja0548)は3体のうち、もっとも手前に居た1体の横を駆け抜けると他の2体との間に割り込むように身を躍らせ武器を振り下ろした。濁った赤子の泣き声の様な悲鳴をあげるが、黒猫はまだ俊敏に飛び退くだけの力がある。
「めんどくせぇ!」
半身を翻した零斗に半拍おくれて銀髪がなびき、普段は前髪に隠れる宝石の様な双眸が覗く。
「六道さん、先に行く」
「わかりました、鳳さん!」
ペアになって敵1体にあたる事になっている鳳 静矢(
ja3856)と六道 鈴音(
ja4192)だが、先に前に出た静矢は今まで持っていた灯りを放り投げ、しっかりと両手で大太刀の柄を握る。森の中はそれほど明るいわけではなく、転がった照明から淡く光りが周囲を照らしてるがそれが無くても視界は良好だ。
「どの様な姿をしていたとしても天魔は敵!」
目の前の猫は確かに愛らしい。心構えなく目にすれば心を奪われ魅了されてしまったかもしれない。けれど静矢の心の奥底での僅かな揺らめきが表情に出る事はない。『朝、もふもふの子猫がリビングで御腹を見せてゴロゴロしていても無視して外出する』くらいの心構えをしてきたのは伊達ではない。大振りせずに確実に攻撃を当てる事に専念し繰り出す攻撃が黒猫に命中し、先ほどよりも大きな悲鳴をあげて黒猫が転がる。
戦場の端で暁 海那(
ja7245)は具現化した武器を構える。美しい曲線を描く洋弓から放たれる矢が真っ直ぐに残る1体の黒猫へと向かって空を切り裂き飛ぶ。
「ギャン」
短い悲鳴をあげて跳躍して逃げようとした黒猫だが、その腰の辺りに矢が命中する。そのままグルグルと転がった為か矢は外れたが、小さな傷から体液が流れていく。
「初の戦闘……気を引き締めないといけませんね」
自らに言い聞かせるようにつぶやくと氷雨 静(
ja4221)は、真摯でひたむきに見える瞳と表情で敵を見つめる。確かに敵は調べた通りの外見をした猫たちだった。広く万人に好かれる外見。だが、天魔でありディアボロだという事実の前には外見など何になるというのだろう。それでも内心の葛藤を抑えているのか静はぎこちなく微笑みを浮かべると、スクロールを広げて零斗が狙ったのと同じ敵へと攻撃を放つ。
「そんな外見に惑わされると思ったか。ディアボロなんざちっともかわいくないんだから!」
長い黒髪を揺らしてスクロールを広げた鈴音の攻撃は静矢の大太刀に傷つけられ、体勢を立て直そうと身をかがめていた黒猫を狙う。跳躍前の動きを止めたところを撃たれ、敵の動きが一瞬止まる。敵の妨害をし徹底的に強い静矢の攻撃をヒットさせる狙いだった。
「最初はこれを……使うのです。絶対に猫さん達を倒すんです」
カバンの中はら阻霊陣を取り出すと三神 美佳(
ja1395)は効力を発動させる。本当は、内心は嵐の様に思いがぐるぐると渦巻いている。ディアボロがずっとずっと前は人間だったかもしれないこと、でももう助けてあげられないこと、倒してあげなくちゃいけないこと……理性ではわかっていても心は『でも』と思い悩む。それでも美佳は戦場から逃げない。
同様に、若菜 白兎(
ja2109)も逃げる事はせず己の心と真っ向から対峙していた。戦いの最中でさえ、敵である黒猫たちの愛らしい仕草、柔らかそうで波打つ毛並みに思わず抱き上げてすりすりと頬を寄せたい衝動に駆られる。けれど……本当はアレは猫じゃない。猫の皮をかぶった害虫なのだと暗示でもかけるかのように自分に言い聞かせる。
「わたしだって、暁先輩や三神先輩と一緒に戦います!」
けれど振り上げた腕は……降ろせずに止まってしまう。
「白兎……ちゃん!」
頑張れ、と続けそうになった言葉を虎牙 こうき(
ja0879)はあわてて止めた。きっと白兎はわかっている。それに自分にだって葛藤があるのだ。攻撃するために掴んだスクロールを捨て、この手で黒猫たちを抱き上げて思いっきり撫で回しモフモフしたい。かろうじて心を抑え、静の前に立ったもののぎこちない表情が浮かんでいる筈だ。
そんな撃退士達それぞれの胸の中での戦いなど知ってか知らずか、黒猫の姿をしていてもディアボロはディアボロであった。すばしっこく小さな身体で駆け回り致命的な攻撃を避け、また思いがけない方向から飛びかかっては『ネコパンチ』や『ネコファング』を繰り出して来る。1つ1つの攻撃にさほど破壊力がないとしても、累積してくれば撃退士達の傷もおのずとダメージは深刻化してゆく。それでも白兎は手足を縮こまらせて立ちすくんでいる。葛藤が心を縛り身体が動かせないで、ただ目で戦況を追うばかりだが少しずつ視界がにじんで揺れる視界の中で迫る黒猫は大太刀を振るい華麗に回避した静矢から狙いを変え、鈴音へと肉球を振り上げた。
「そんな猫パンチが私に届くとでも!?」
タイミングを見計らって鈴音の繰り出すカウンターパンチ、その双方が同時にヒットしどちらもゴロゴロと地面に転がる。
「今度は此方の番だ!」
鳳凰が翼を広げたかのような大胆かつ優雅な動きで大太刀がひらめく。
「ぎゃあああぁぁ」
悲鳴をあげて黒猫の身体が真っ二つに千切れて落ちる。
「やりましたね! って痛ったぁ」
土を払って立ち上がる鈴音がそっと頬をさする。だが、まだ敵は2体残っている。
「下がれ、半端者が覚悟も無く戦場に来るな!」
海那の怒号に白兎はビクッと身を震わせて振り返った。後列から射撃をしていた海那が白兎の位置まで進み、強引に腕を掴み後へと押す。よろけるように下がった白兎を振り返らずに海那は弓を引く。
「命を奪うの重みを受け止めろ。無理なら俺が背負ってやる。いまさら一つや二つ増えたところで変わらないから……な」
「可哀想なネコさんを助けてあげましょう、ね?」
美佳も一瞬だけ白兎へと泣き出しそうな笑顔を浮かべ、すぐに表情を変えネコ達へと魔法攻撃を向ける。
「猫ちゃん相手だから多少抵抗もあるっすけど……やるしかないっすよ! 御暁先輩、まだやれるっすか?」
「……誰に言っている?」
怪我を負っていてもまだまだ余裕を見せながら零斗がシニカルな笑みを浮かべ、それを見たこうきは屈託無く笑う。
「やっぱそうっすよね。じゃ遠慮無くやらせてもらうっすよ!」
少し汚れてしまった頬をぐいっと拭い、こうきは戦斧を思いっきり黒猫へと叩きつけた。黒猫から激しくもくぐもった鳴き声が高く響く。
「怨むんなら俺と、それからお前をこんなに弱く作った奴を怨むんだな」
転がったネコの背を思いっきり踏みつけて動きを止め、トンファーの連打を叩きつける零斗。
「そこですね!」
狙い澄ました静の攻撃が零斗の足下で倒れもがくネコの頭を潰す。一際激しい鳴き声の後、痙攣し動かなくなる。
「ぎゃあうん!」
残る黒猫が威嚇の声をあげ美佳に迫った。けれど、その可愛らしい肉球の先に小さく鋭い爪が光る。だが、その攻撃が届く前に白兎のスクロールが敵をたたき落とした。
「白兎ちゃん?」
美佳の目に映るのは厳しい目で黒猫を見つめる白兎。仲間達の言葉、必死に戦う姿に白兎の心で何かが替わっていた。今なら……戦える。
「いくぞ」
美佳と海那の攻撃が倒れた黒猫に集中する。それが戦いの終わりであった。
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3体のディアボロを下した撃退士達であったが、彼らはまだ帰り支度をせず……それどころか周囲の探索をし始める。消えて戻らなかった少女達の消息もわからない。その僅かな手がかりでもいいから何か見つけたかった。
「何でディアボロ達はここに住み着いていたんでしょう。何か理由があるのでしょうか?」
美佳はすっかり静まりかえった水辺を見回し何かを見つけようとするが、明確な『何か』を見つけられない。
「なにか……ないかな?」
ディアボロ達もその前は違う命だったから、何か彼らがこの世に遺した物でもないかと白兎はキョロキョロするが、ハッとして走り出す。
「あの、暁さん……さっきはありがとうございました」
白兎は海那の前で立ち止まると年相応の仕草でお辞儀をした。
「ん? あぁ俺の方こそきつい言い方をしてしまい済まなかったな」
「そんなことありません!」
白兎はふるふると首を横に振り全面的に海那の詫びを否定し、また他の仲間達にも迷惑を掛けたと詫びて廻る。
「何か見つかればいいのですが……」
周辺を探索していた静だが、成果がないと判断すると水着に替わるためか、そっと大きな木の陰へと廻る。
「こういった時、光纏って便利だよなぁ」
零斗は小さく肩をすくめて目をみはる。
「俺は周りを探しましょうかね……そ、その、別に水着姿の女性見て興奮してるわけじゃないっすよ!?」
言わなくても良い事まで言い訳の様に口をすべらせつつ、そそくさとこうきは水辺を離れていく。言葉通り、周囲の探索に向かうつもりなのだろう。
「敵が居座っていた泉……念の為に調べてみようか」
魔装を学園指定の水着に変えた静矢が水に入る。
「泳ぐにはまだちょっと寒いかなぁ」
同じく水着に替わった鈴音もそっと足先で水面に触れるが、思ったよりも水温は高く人を拒む程のものではない。
「潜れそうだよ、ここ。ちょっと行ってみるね」
勢いよく息を吸い込み、人魚の様に身体を反転させて飛び込んでゆく。
「暖が取れるようにしておくか」
後かたづけをしていた海那は枯れ枝を拾いはじめる。最後の最後まで消えた人々を、愛するものを失った人達の心を救おうとする者達のために、せめて暖かいスープでも作って待ってやろうと思うのだった。
残念ながら探索の成果は出なかったが、今後この辺りの森での行方不明者は激減することだろう。失った命は戻らなくても未来の犠牲者を出さない事は出来る。暖かいタオルとスープ、そして心の奥底に小さな傷を残しつつ撃退士達は森を後にした。