時刻は20時を少し回った頃合だ。
夜が早い季節ではあたりは既に暗闇に覆われており、
街頭や家々の門灯が照らす場所がぽつりぽつりと浮き上がっている。
体勢を立て直した撃退士と自衛隊は再び鬼の潜む領域へと足を踏み入れた。
恐怖が無いといえば誰にとっても嘘になるだろう。
だがそれぞれの使命感により、その感情を口に出す者は皆無だった。
「ん……なんだか嫌な感じ」
若菜 白兎(
ja2109)は意識して息を吐き出す。
白く曇る息を目で追って、再び周囲を見回した。
人の気配がないゆえの静けさが、今は無性に恐ろしく感じる。
自分達はまだ自衛の手段もある。だが周囲の自衛隊はそうはいかない。
作戦の為とはいえ今は阻霊符の使用も控えてもらっている。
よくも黙って従ってもらえるものだ。
(もうこれ以上暴れさせない……犠牲を出したくない)
決意を新たにする。仲間達も皆同様の思いのようだった。
「ゲリラ戦、か。何時襲撃してくるか分からず。まともに戦わぬ相手とは厄介だな」
呟いたのはインレ(
jb3056)。定時の連絡を終え、地図を見て行くべき道を指し示す。
奇襲を警戒し、曲がり角を慎重に越えていく。
迅速に終わらせたいが、そう思うのは向こうも同じ。
目的が合致する以上、勝負は一瞬になるだろう。
「確か日本には辻斬りという行為があったな。その類か」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)も釣られて口を開く。
今の彼女は他の者と同じく自衛隊装備に身を包み、印象的な金の紙も帽子に納めていた。
彼女の言うとおり状況は似通っている。街並みを隠れ蓑に人を切るという行為は正にそれそのものだ。
「古い話です。今は残っていないでしょう」
ミズカ・カゲツ(
jb5543)が記憶を遡りながら答える。
刀に精通しているため、武術の使い手達が今どのような社会的地位にあるのかは良く知っていた。
だからこそ違和感も感じている。
天使はどこからこのシュトラッサーを見出したのか。
ミズカやインレは出発前に死体を検分したが、事前情報以上のことはわからなかった。
つまりは刀一本。刀の切れ味が異様に良い以外に特別なことはない。
こんな時代のどこに、化け物たる要素を持つ武術の達人が隠れていたのか。
「時代錯誤の相手ならなおさら、敗れるわけには行きません。
これ以上犠牲を増やさないためにも、わたくし達が守るのですわ」
シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は勇ましく言葉を使う。
それは形を変えた怒りであり、同時に内心に潜む恐怖のある裏返しだった。
自衛隊の人々や、同期を殺された感情が渦巻いている。
感情は冷静な行動を失わせるが、それを咎める者は居ない。
ただ、怒りは長くは続かない。緊張もだ。
焦れたアステリア・ヴェルトール(
jb3216)はインレの肩を叩く。
「このままでは私が偵察に行きましょうか?」
アステリアは翼を広げて見せる。
遮蔽物の多い街中であれば上空からの監視は有効だ。
しかしラグナ・グラウシード(
ja3538)はそれを手で制した。
「いや、止めておこう。敵に見つかってしまうことのほうが怖い」
現在の状況ではメリットをデメリットが上回る。そう多くの者は判断した。
確かに空中からの偵察は効率はよいが被発見率も高い。
もしも発見できなかった場合は相手に先手を取られることになる。
何よりこちらの位置だけでなく編成に関する情報まで与えてしまう。
大人数で向かう手もあるが、誘い込むことを主軸に据えた方針にはそぐわない。
相手も同じ条件である以上、与える情報は極力抑えたい。
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)はその点も鑑み、
暗視スコープを使い、地上から見える範囲だが屋根の上も捜索していた。
街灯や門灯の影響で遠くの暗闇を見渡すことはできないが無いよりは良い。
時折センサーで連動した門灯が家の前の道路を照らす。
その度に目が痛い思いをしたが我慢するしかない。
一行はインレの指示で周囲を防御力の高いメンバーで固めつつ、
真ん中には防御能力の低い者達を囲う陣形をとった。
奇襲さえ防ぐことが出来れば一矢報いることはできる。
足並みは静かに緩やかに、そして着実に街並みの中心に向かっていた。
●
撃退士達は周囲で一番高い建造物の前に出た。
11Fのマンション。この周辺にしては高級なイメージで、
庭から建物内部に至るまで清掃が行き届いている。
マンションの電灯は避難の後も変わらず点いたままだ。
室内の電灯は流石に消されているが、敷地内を見渡すには支障はない。
「トーチでも必要かと思ったが、これなら問題ないな」
当たりを見回したフィオナはペンライトをしまいこむ。
フィオナは決戦の地はここだろうと予感していた。
どの道、ペンライト程度の光束では周囲を照らすことはできない。
手を塞がないことのほうが重要だ。
一方エリーゼは暗視スコープを外す。
照明を消して回らないのであれば、ここから暗闇を見渡すことはできない。
「居ませんね…」
シェリアが残念そうに呟く。
最初の予想ではここで伏せ、仕掛けてくるものと考えていた。
自衛隊の衣装で擬装している以上、向こうにとってはチャンスのはずだ。
ヤタガラスも見つかっていない。敵が現れるとすればここ以外になさそうなものだが。
「マンションの中でしょうか?」
「少なくとも周囲には居ないようだ。若菜殿、手はず通りに」
「……わかったの」
ラグナに促され、若菜は右手をかかげ、掌にアウルを集中させる。
生命探知のスキルは半径16m以内にいる生命の存在を明らかにする。
マンションの屋上に居るのでなければ、これで六万の動きもわかるはずだ。
だが何事も上手くは行かない。
「……ダメ。多すぎる」
5cm以上の対象は、下水のネズミや電柱に止まる鳩、サイズの大きいものならゴキブリも含まれる。
部屋に置き去りにされたペットもだ。屋根や壁向こうにも幾つも反応はあるが、確証は得られなかった。
これら全てに注意を払うことは到底不可能だ。
人間の潜める場所に居る個体に限っても相当数になる。
「屋根の…上…と、壁の向こうは南側に反応があったの」
それが猫なのか犬なのか、それさえわからない。
だが注意しないよりは良いだろう。
「では私がそちらを警戒しておきますね」
屋根の上が気がかりだったエリーゼが最初に名乗りをあげる。
これからマンションを捜索するのだ。バックアタックをされてはかなわない。
一行はマンションの入り口に視線を集める。
流血の予感。しかしその震えの正体は、彼らの予想とは別の場所から降ってきた。
●
明かりは深い闇を照らすことはできなかった。
エリーゼがその音に気づいたのは屋根の上に注意を向けていたからだが、
地上からという条件では散漫になりがちで、反応することが出来なかった。
何かが投擲され風を切る音。陣形の中央に落ちてきたのは、自衛隊支給の煙幕手榴弾だった。
「!?」
地面に落ちる前に爆発したそれはマンションの庭一帯を白い煙で多いつくす。
エリーゼが警告を発するよりも早く、軽快な跳躍の音が屋根の上から聞こえた。
黒い外套を着込んだ凶手は屋根で助走し、軽々と空中を舞う。
濃い白煙の中でぼんやりと、エリーゼにはそれだけが見えた。
六万は撃退士達の陣形の中央へと飛び込み、着地と同時に若菜へと刀を振り降ろす。
「!!」
声を上げる暇もあればこそ。
落下の速度で振り下ろした第一撃。刀を返して横薙ぎに更に一撃。
ダメ押しとばかりに腹部へと強烈な蹴りが打ち込む。
若菜は血を吐きながら吹き飛ばされ、受身も取れぬまま地面を転がる。
その攻撃にぎりぎり反応できたのはやはりエリーゼだけだった。
「! 敵襲です!」
襲撃と同時に具現化させた深淵の槍「トリュシーラ」を、六万の背中目掛けて投げつける。
六万は予測していたかのような滑らかな動作で右側に体を逸らして回避。
黒い外套を翻し、六万はエリーゼとの間合いを一瞬で詰める。
達人にはこの程度の距離、無いも同然。
すり抜けざまの抜刀でエリーゼを一太刀で切り伏せた。
「よくもエリーゼさんを!」
シェリアもマジックスクリューを使おうとするが、一歩間に合わない。
六万は予備動作に入ったシェリアの顔を掴み上げ、体勢を崩してから刀を左の脇腹へと差し込んだ。
「貴様っ!!」
最後尾に居たフィオナが双剣を抜き放ち、六万に飛び掛る。
六万は掴んでいたシェリアを盾のように掲げ、走るフィオナに向けた。
盾同様に持ち上げられたシェリアを見て、フィオナは攻撃を躊躇してしまう。
必要なら巻き込んでしまうことにも躊躇いはないが、
この相手もそうとわかった上で目くらましのように投げ捨てるだろう。
一瞬、場に静寂。一歩進み出たラグナが憤懣を湛えた眼で睨みつける。
「我が名はディバインナイト、ラグナ・ラクス・エル・グラウシード!
貴殿も剣士と見た、その剣が飢えているのか? ならば、私が相手になってやろう!」
ラグナはツヴァイハンダーの切っ先を突きつける。
彼の身体からは黄金の光が渦を巻いて吹き出していた。
使徒の視線は揺らがないが、周囲に目配りする回数は減っている。
インレ、フィオナ、ミズカが個々に距離を詰め包囲を狭めた。
アステリアは空に飛び上がりつつ煙幕を抜ける。
六万は変わらずシェリアを盾にしたまま、周囲を睨み動かない。
「どうした、怖気づいたか? 使徒殿!」
その声に合わせ、六万はシェリアをラグナにぶつけるように投げ捨てた。
切りかかるフィオナ、インレの攻撃をバックステップでかわしつつ、
縮地で追撃してきたミズカの一撃を鍔迫り合いで受け止める。
「では、一手ご教授願いましょう 」
ミズカが六万とぶつけ合い、視線が交錯する。
六万は鍔迫り合いを外し袈裟懸けの斬撃。
ミズカは辛うじてその一撃を食い止めた。
同じ武器、同じ武術であれば構えから次の攻撃を予測可能だ。
しかしそれは翻せば敵も同様の条件であり、対抗策も持ち合わせているということ。
そして悪い事に例え同じ技量であっても、身体能力に天地の開きがある。
一撃を受ける事ができたのはそれ自体が罠だったからだ。
刀を弾き胴の守りを外すと、六万は流れるような切っ先でミズカの胴を横薙ぎに切り裂いた。
倒れるミズカ。六万の視線は既に次の獲物を探している。
アステリアはこの攻撃の隙間を狙いすましスナイパーライフルで一撃を加えた。
しかし乱戦で狙いがつけられず、放った銃弾は外れてしまう。
距離は取りたいがそうすると乱戦の中に狙いをつけられなくなる。
本来空を飛べない相手にこの戦法は圧倒的優位になる。
俯瞰の情報さえあれば飛べない相手を包囲するのは容易だ。
だが、探索と同じく動きが見えてしまうのも同様だ。
「そこか…」
六万は左手で刀を保持したまま、コートの裏から短剣を抜き放つ。
投擲された短剣はアステリアの左胸に深く刺さった。
本来なら牽制用途程度の武器のはずだが、
アステリアが冥魔の属性に寄りすぎて居た為に致命傷となる。
高度を取ったのが仇となった。例え庇護の翼でもその位置は守りきれない。
何らかの遠距離武装は持っているとは予測されていたが、使い手は達人の域。
何の準備も無しに防げるようなものではなかった。
肺腑から溢れる血を吐きながら、アステリアは地面へと落ちていく。
六万が利き手から武器を手放した隙を狙い、右側面からインレがエクスプロードで薙ぎ払った。
左側面からはラグナ、後背からはフィオナが同時に襲う。
包囲攻撃は既に密度を失っている。
六万がこれをかわして抜け出すのは容易だった。
次に狙われたのはインレだ。
変わらぬ速度で刀を振る。
横一文字の薙ぎ払い。しかしインレは倒れない。
「老人はいたわってほしいものだ」
六万は距離を離し、インレの追撃を避ける。
六万は打倒は無理と悟り、狙いを足へと向けた。
殺せないなら動けないようにすれば良い。
両太ももを斬り裂いて足を潰すとフィオナに向かう。
人数が減ってしまえば勝ち目は無いが、フィオナは余裕の表情を崩さない。
「よくも侮ってくれたな」
フィオナは辛うじてパリィで一撃を防いだものの、
速度を増した2撃目以降をかわしきることができない。
フィオナが膝を屈したのを確認すると、六万はラグナに向かう。
「貴様で終わりだ」
舞うように刃をあてがい、戦闘力を奪う。
刃は翻りラグナの体を切り裂いた、かのように見えた。
「……耐えたか」
ラグナは攻撃に耐え切った。
六万の斬撃は鋭いが、正面からスキルを適切に使えば受け止めきれない事はない。
彼が奇襲に拘るのはこの軽さゆえだろう。
足を止めてしまえば死に近づくのは、撃退士も使徒も代わらないのだ。
「ラグナ、だったか。貴様の名は覚えておこう」
刃は再び、弧を描く。
一度は耐えたラグナだが、いつまでもというわけにはいかない。
注意を引いていた為、不意打ちに使うつもりのフルメタルインパクトも期を逸した。
ラグナが覚悟を決めた時、別の分隊がぎりぎりで救援に辿り着いた。
「撃てーっ!」
号令と共に突撃銃が一斉に火を噴いた。
銃弾の雨はシュトラッサーに傷を与えはしない。
だが目くらましの効果はある。
「!?」
一発の銃弾が六万の頬を掠め、小さく血の筋を作った。
同じ装備で統一した隊員の中にデザインを揃えたV兵器を持つ撃退士がいる。
「ちっ」
六万は跳躍するように間合いをつめると周囲に居た隊員を数人切り伏せると、
再び自らを隠すために闇の中へと消えていった。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ってきた自衛隊員達が撃退士を抱え上げる。
ラグナは満身創痍。他の者は血を流し動くことができない。
急ぎ応急手当が施されたが、本格的な治療が必要になるだろう。
もはやシュトラッサーに一矢報いるどころではない。
「引きましょう。また襲ってくる」
分隊長の言葉にラグナは歯噛みする。
目の前で何人も死んだ。守るはずが守られている。
悔しさに、視界がにじんでいた。
その後、20名以上の死者を出しながら一同は撤退する。
大通りで車に乗って場を後にして、ようやく追撃の恐怖を振り払った。