降り積もる雪は音を消していく。
陽は落ちて徐々に辺りから光が失われていった。
生徒達はそれぞれの思いで、イングリッドの問いかけを咀嚼し飲み下す。
この凍てつく沈黙を破ったのは間下 慈(
jb2391)だった。
「ズルい言い方ですね、先生」
「…ふ。それがわかっているなら抜けても良いんだぞ?」
「まさか」
間下は不敵な笑みを浮かべ他の仲間達を見る。
戦意の衰えた者はいないようだ。
「片倉さんが死ねば、もっと多くの犠牲に繋がります。
あと2名…じゃ済まないんです。だから、奴はここで撃ち退けます」
全員を代表して君田 夢野(
ja0561)が宣言する。
「皆、それで良いの?」
片倉の問いかけにViena・S・Tola(
jb2720)とインレ(
jb3056)は揃って黙したまま頷く。
ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)は「やあ、怖い怖い」と笑いながらも、
それ以上話に異論を挟む様子はない。
「九十九(
ja1149)、君はどうする?」
聞かれた九十九は溜息を一つ。
気だるげに、しかししっかりした声で答えた。
「残る義理もないけど『護る』意味を知る事はうちの義務なのさぁねぃ。
それに、お仕事の内容が変わろうともやれるべき事はやるのがうちの主義さぁねっと」
簡単なお仕事だったはずなんだがねぇ…、とは心の中でのみ呟く。
「よし。そうと決まったらミーティングをしよっか。
普通にやったら勝てないからね」
キイ・ローランド(
jb5908)は朗らかに言う。
時間は余りない。時間制限も見えない。
それでもやる必要がある。
この時の短い会話が、後の戦闘の命運を分けることとなった。
●
行軍は続く。
片倉を中心に据えて守りながら、警戒を怠らず山の麓を目指す。
速度が出ない為、追いつかれるのは時間の問題だが、
全速力で走ったところで結果はそこまで変わらないだろう。
であれば、相手の攻撃を少しでもかわしたい。
「…そういえばですけど」
右側面にいた間下がぼそりと呟く。
何事かと思い、他の者はその言葉を止めなかった。
「片倉さん、イングリッドさん…人間だった頃の六万さんとの面識、あります?」
「無いはずだけど…何故?」
「いや、彼って元撃退士だったりしないかなーとか、思っただけです」
彼の今までの物言いや行動を見て、間下はそう考えた。
敵意を向ける方向を考えるなら、少なくとも関係者ではないだろうか。
「少なくとも、六万秀人という名の撃退士はいない」
答えたのはイングリッドだった。
視線は足元を向きながらも、眉根を僅かに寄せている。
「だがどこかで見た顔だ。帰ったら心当たりを探してみよう」
イングリッドの表情には感情がなく、声はよく通るが覇気が無い。
積極的でもなければ消極的でもなく、ただ仕事をこなすだけのような口調。
その記録を掘り起こして出てくる物に、予感があるのかもしれない。
「そう、帰ったら」
君田が足を止める。釣られて他の撃退士も足を止めた。
周囲の茂みに以上は無し。しかし木々がざわつくのような音を聞いた気がした。
立ち止まった時には気のせいかと疑ったが、葉が擦れ合う音は徐々に撃退士達に近づいてくる。
武器を構える撃退士を囲み、音は自身を隠そうとはしなくなった。
周囲を囲むように音だけが反響している。
「敵は……3……いや、4」
九十九が索敵のスキルを使い闇の中に潜む影を探し当てる。
この動きとサイズは燈狼だろう。
撃退士の射程を把握した上で近寄ってこようとはせず、
周囲をぐるぐると回り続けている。
「撹乱か……。これは…」
「間下! 避けろ!」
茂みの陰を縫い接近していた六万が、間下まであと5mの位置に迫っていた。
九十九が叫びでぎりぎり間下は後ろに転ぶように回避を試みるが、
伸びるような剣閃は間下の腹部を捉える。
一撃と見えたその時には2回の斬撃が間下を切り裂いていた。
その顔には短い双眼鏡のような装値、ノクトビジョンを装備していた。
隣に居たインレが武器を取り出そうと動くが間に合わない。
流れるような動作で刃はインレに牙をむく。
「そうはさせないよ」
一歩引いたインレを守ったのはハルルカの大剣だった。
さしもの六万もこれを受ける気はなかったのか、素早く刃を返して身をかわす。
初撃を凌いだ頃合を逃さず、君田とエイルズが飛び込むように六万を遮る。
3者が切り結び始めたのを確認し、キィは片倉とイングリッドに視線を投げた。
2人は頷いて、キィから受け取った煙幕手榴弾を空高く放り投げる。
爆発は彼らの頭の上で起こり、煙幕は地上には届かない。
撃退士達には影響の無いこの行動で、六万の動きは一瞬明らかに鈍った。
「そう来たか…!」
続けざまに一歩離れていたインレやヴィエナ、片倉とイングリッドが、
六万の周囲に目掛けて制圧射撃を加える。
舞い上がる雪で更に視界が奪われたところに、九十九は強く引き絞った矢を放った。
放たれた九十九の矢は六万の足元に着弾。
動き回る相手に命中こそしなかったものの、六万は一瞬態勢を崩してしまう。
「殺しに来ておきながら、死ぬ覚悟が出来てないとは言わせないぞ」
君田が吼える。ツヴァイハンダーが唸りをあげ六万に迫った。
正面には君田、側面にハルルカ。
2本の大剣は風を巻き起こしながら、徐々にシュトラッサーを追い詰めていく。
エイルズは2人の間隙を縫って背面へ。
囲まれまいとする六万と円を描きながら剣撃は続く。
六万の剣は牽制と払いに特化して軽いが、それでも触れれば致命傷になりかねない。
エイルズはトランプマンを消費しながらも距離を保つ。
密着した3人に支援する残り6人。
間下を引きずって後ろに下げたキィは出遅れたものの、
一歩下がって状況を俯瞰することができた。
状況は概ねキィの想定通りに推移している。
燈狼は囮の任務、ヤタガラスは視界確保の任務にあたり、
両者とも決して距離を縮めてはこない。
目を潰すためにサーバントを狙う案はこれで潰えた。
想定通りであれば作戦も上手く行くというのが通常だが、
それでも撃退士側には六万を甘く見る思考があったのかもしれない。
はっきりと非常に良くない状況だった。
切り結ぶ3人の実力は折り紙付きだが、それでも3:1。
劣勢に見えて密着を崩そうとしない六万相手に、他のメンバーは射撃による援護を加えにくい。
動き回る六万を狙うには3人が壁になってしまっている。
戦闘特化のシュトラッサーが相手では、分断されているのと変わらない。
「そんじゃ、お前が先に斬り殺した4人分の恨み‥‥食らいなッ!」
君田がスローハンド・ベンドを放つ。
静から動へ。急激な軌跡を描いた超音速の剣を、
六万は半歩下がり僅かに身を傾けることで回避した。
身をかわしてのすれ違いざま、刃は二度君田の上半身を撫で付ける。
君田は血をしぶかせて地面に伏した。
六万の視線はハルルカへ向かう。
ここに来て同じ剣はまずい。
六万は剣の扱いだけに人生をかけているような化け物だ。
その長所も欠点も把握している。
君田やハルルカとて十分な教育受けた撃退士だが、
仮に同じ腕前としてもシュトラッサーの速さには追いつけない。
ハルルカは武器をプロスボレーシールドに変え、防御の構えに移った。
しかし時間稼ぎ程度にしか変わらない。
盾の死角をすり抜けた六万は、刀で鎧の繋ぎ目を貫通する。
その場に崩れ落ちるハルルカ。
代わりに六万の後方には、エイルズが陣取っていた。
「これでどうです!」
エイルズの袖から無数のトランプが放たれ、六万目掛けて殺到する。
完璧なタイミングでの『クラブのA』。エイルズはそう確信していた。しかし…。
「……」
「!」
六万は振り向きもせずに横跳びでこれを回避。
まるで背後に目があるかのような動きだった。
シュトラッサーとしての力、あるいは修練の果ての心眼。
エイルズの思考は一瞬の間に終わる。
六万は足を入れ替え背面へ向き直ると、必殺の刃を走らせた。
一瞬で三筋の軌跡が見える。
うち二つまで見切ったエイルズだったが、最後の一つをかわしきれなかった。
数度の攻防でトランプマンを使い切っていたエイルズはこれを受け止める術がない。
包囲から30秒。4人が倒れ、前衛は繰り上がってキィ、インレ、ヴィエナに。
六万は正面のキィに狙いを定め、撃退士の中央へと鋭く足を踏み出す。
このとき、撃退士達は準備していた二つ目の布陣を完成させていた。
「!!」
六万は何か気付いて刀を防御に引き戻す。
鞘も取り出し、即席の二刀流と化した。
更に六万は逃げようとするが…。
「足を止める暇はないですよ」
回避でなく防御に走った六万を更に釘付けにするため、九十九がだめ押しの一撃を撃つ。
六万は九十九の矢を回避せずに斬撃で切り払い、完全に足を止めてしまった。
その直後に六万の体を両側面から何かが切り裂いた。
「この…!」
体を切り裂いた何かを振りほどきつつ後ろへ後退する六万。
六万は攻撃の正体に気付き、両側面に展開する2人にそれぞれ視線をやった。
右にインレ、左にヴィエナ。2人は仲間が稼いだ時間で六万を挟み込むように布陣していた。
2人の手は中空に開かれ何も握っていない。…否。
「流石に……一筋縄で参りませんね……」
ヴィエナは手繰り寄せるように武器をしまう。鋼糸だ。
インレも同じ物を持っている。
仲間が密着していたために牽制目的で振り回すことが出来なかったが、
陣形が組み変わったことで二つの刃が完全に機能していた。
元から極細で光を反射する程度にしか視認できないものが、
闇の中に沈んで余計に見えなくなっている。
加えて六万はナイトビジョンを装備した為に視界が狭く、
普段より詳細に物が見えていない。
だから直前まで六万の回避が遅れたのだ。
ヤタガラスの視界さえ確保できていれば事前に察知できたかもしれないが、
煙幕はいまだに晴れず敵の動きは見えていない。
全てを意図して組み合わせたわけではなかっただろうが、
結果として六万には最悪の組み合わせとなっていた。
「見事だ…」
六万はうめくように呟いた。
襲撃者の装備や作戦をほぼ全てを読み切った上で、
有り合わせの装備だけでここまで一方的な展開を作り出したのだ。
六万は戦場全体を見回す1人に目星をつけ、その顔を記憶に焼き付けた。
攻撃開始の瞬間、配置に意識を配っていたのは彼、キィだけだ。
「若人を護るが年長者の務め。やってやるとも」
インレとヴィエナは徐々に距離をつめる。
九十九は合わせて射線を確保。
一歩後ろから視界の広いキィが油断なく周囲を警戒し続けた。
イングリッドと合わせて庇護の翼を使えば全員が射程に入る。
今この状態からなら六万のどんな攻撃も凌げるだろう。
六万には打つ手がないのか、じりじりと後退を繰り返していた。
「六万…」
ヴィエナはそっと武器を構えていた手を下ろす。
インレは驚き彼女を守ろうとするが、戦意の無さに気付いたのか六万も動かない。
「何故貴方はそんなにも…ご自分を怨んでおられるのでしょうか…」
六万の目が険しくなる。
それは怒りに見えたが、焼け付くような悪意はなかった。
「その怒りは…殺意は…全てご自分へと向けられている様に思われます…
何故…そんなにも悲しい瞳をなさっておられるのですか…?」
六万の答えはない。
しばしの沈黙と静寂の後、六万は刀を鞘に納めた。
「知ってどうする?」
「それは…」
ヴィエナは言葉を選び、しばし黙した。
品の無い知的好奇心のつもりはない。
だが救うと言ってしまえば傲慢だろう。
肝心なところで役に立たない心を煩わしく思いながら、きゅっと口をきつく閉じた。
答えの無いヴィエナから六万は視線を外し、次にインレを流し見る。
インレは変わらずヴィエナを守り立ち、構えを解く気配はない。
背後のヴィエナを気遣いながらも、視線を向けることは一度もなかった。
六万はゆっくりとした動作で、紐で固定してあったナイトビジョンを目元から額へとどける。
「……俺に残っているのは怨念だけだ。今更何をしても無駄だ」
話は終わりとばかりに六万が口笛を吹くと、
今まで伏せていた燈狼達が一斉に撃退士達に襲い掛かった。
比較的燈狼は非力な存在だが、足は早く最初の一撃はかわしきれない。
狼は捨て駒。片付けるのは容易い。
だが六万にはその処理に追われた数秒で十分だった。
閃光手榴弾を炸裂させ視界を奪うと、撃退士達の射程外まで一瞬で引き下がる。
六万は追うことは出来なかったが、戻ってくる気配はない。
一部始終を見送り、インレはようやく息をついた。
「追いかけるか?」
「んー…止めよう。逆襲されかねないし、追いつけないと思う」
「そうだな」
もう少し被害が少なければそれも可能だったが、無い物ねだりだろう
撃退はしたが、追撃にまで頭を回す余裕もなかった。
「ヴィエナ。おぬしなぜ、あんな問いかけを?」
「……さあ……」
以前に見た彼の瞳を無碍に出来なかったからかもしれない。
あんな目をする人間は久遠ヶ原に何人も居た。彼も同じだ。
深く積もる暗く冷たい雪は、溶けることなく彼の心から熱を奪い続けている。
自身の強い敵意と殺意以外では、最早暖も取れないのだろう。
物思いに沈むヴィエナ。彼女の手を、インレがそっと包むように握りしめる。
「考えてはいかん。取り殺されてしまうぞ」
「覚えておきます……」
手には柔らかい熱が通っている。ヴィエナは一時、雪の寒さを忘れていた。
敵であれば言葉をかわす必要はない。
無駄なことなのだとわかっている。
それでも声をかけてしまったのは、助けたいと願ったからか。
どんな結末にせよ、結末を迎えることは救いになる。
「今のうちに山を降りよう」
「……そうだね」
九十九に答え、キィはインレに目配せする。
インレはヴィエナの手を引いて、元の隊列に戻っていく。
それぞれが倒れた仲間を抱え起こし、一行は山を降りた。
怪我人多数なれども死者は4人。
使徒1人相手に完勝といって良い成果だった。
●
以後も秋田への攻勢は続いたものの、
天使軍幹部を相次いで撃退したことで、情勢を大きく改善した。
片倉を狙った六万も、以後しばらく戦場に姿を現さなくなる。
後にこの日のこの戦闘は、天使との戦闘における大きな転回点となった。
六万が片倉をどうしても殺害したかった理由には、まだ続きがあったのだ
それはまた、別の報告書で記述することとする。