凍てつく空気は天候のため。
しかしそれ以上に殺意を含む視線が当たりを底冷えさせている。
恐怖を抱く者ならば、その視線を避けることだけを考えるだろう。
(ふん…甘言だな…仮に彼奴の言葉に従って戻ったとしても
未来(さき)は己が意思も誇りも尊厳もない家畜が如き運命しか無いであろうに…)
ケイオス・フィーニクス(
jb2664)は腕組みし泰然と構えたまま、
殺意の視線を受け止めるように立っていた。
撃退署の引率者は既に戦意の半ばを失っている。
今意志を見せる者があるとすれば、久遠ヶ原の学生だけだ。
ただ、口にするには勇気が必要だった。
意志を持った一言は、容易に人の心を変えてしまう。
久遠 栄(
ja2400)は握り締めた手が汗ばむのを感じていた。
(ここで無駄死にするつもりは無い。どうすれば被害が一番少なくなるか…)
譲歩を引き出さなければならない、ということは全員わかっている。
彼の言葉を信じて後ろから切られてはたまらない。
だが何を喋るかは重要だ。
6人の中で意を決して口を開いたのは間下 慈(
jb2391)だった。
「撃退士を殺せば『見せしめ』は充分ですよね」
言葉を発した者に視線は集中した。
間下は雰囲気に飲まれぬように自分を奮い立たせる。
(今は目の前の命を救う。それだけ)
六万が言葉の続きを聞く態勢になったのを確認し、間下は言葉を続けた。
「僕らを殺してなお、突破しようとする方さえ殺せば…貴方の職務は達成される。
ですから…後ろの住民さんへの攻撃は、僕たちを殺してからにして頂けないですか?」
視線は険しいままだ。表情は読めない。
間下は言葉を続ける。
「貴方達にとっての『資源』は僕らにとっての『人命』…
危険に晒すメリットはお互いにないと思いますが」
天魔の攻勢の理由は端的に言えば資源の収集だ。
ゲートの作成と人間を集める事に執心することからもそれは明白。
ならこの提案は彼らの理にも適うはず。
しかし、交渉としてはそれだけでは足りなかった
「確かにそれはデメリットだが少々なら誤差だ。
だが、お前達にはそうでもないらしいな」
心臓をつかまれたような気配を感じた。
守るつもりが、危険に晒してしまったかもしれない。
このメンバーにとって、人の盾が相手に有効だと教えてしまったのだから。
ただ間下には、そうは成らないだろうという確信もあった。
「まあいい。時間はくれてやる。線引きは明確でなければならん」
六万の視線は動きかねた民間人に向いていた。
元からそういう意図はないらしい。
怒りを引き出すこともなく、意図を明確に確認できた。
交渉は成功しなかったが、失敗でもないだろう。
胸を撫で下ろした間下は残った仲間に合図した。
久遠、浪風 悠人(
ja3452)、浪風 威鈴(
ja8371)、
の3名が民間人の前に進み出る。
「巻き添えにならないように15分間だけ戻ってください。
終われば迎えに行きます。誰も来なければ…御家族と一緒に居てください」
久遠は全員に聞こえるように明朗に言葉をかける。
彼の言葉を素直に受け取る精神状態ではない者もおり、
人々に戸惑いが広がっていた。
「後悔だけはしないで下さいね」
「自分の……命……だから……」
後悔しないように。そう言われて、後悔のない選択を出来る者が何人居るか。
ただ選ばなければならない状況に変わりは無く、
選択の自由は本の少しだけ広まっている。
大人しく戦場から離れることを選んだ。
その中庸の選択肢をどう受け取られるかはわからないが、
少なくとも、撃退士が全滅しても逃げる時間はあるだろう。
塊になって去っていく民間人の流れを、撃退士達は一様に見守った。
Viena・S・Tola(
jb2720)はその中で、
引率で来ていた二人が暗い顔をしているのを気にしていた。
「何故…何も言わないのですか…?」
2人は揃ってびくりと体を震えさせる。
その感情は、恐れに見えた。
責められる覚悟はあったのだろう。2人は何も言葉を発しない。
「犠牲なくして…平和はございません…。
ですがその犠牲…どの様にお使いになるのが良いか… 」
ヴィエナの視線は一塊になる民間人の背に向けられたままだ。
彼女は進発の時には気付かなかった。
そこには、過去も未来も残されていないことを。
彼らが繋いでいたはずの小さな手すらも、そこにはなかった。
「手を離した時点で…二度と手に出来ぬものと同等…
後悔をしても…全て遅いのです…」
不本意だっただろう。辛かっただろう。
だが、心の弱さを理由に甘んじ、
多くの決意と覚悟に傷をつけていないか?
それでは本当に無駄になってしまう。
人の光を捨てるなど、本物の覚悟を持つ者でなければ赦されない。
「わかるでしょう…? 二度目はないのですよ…」
2人は俯いたまま、ヴィエナの言葉をじっと聞いていた。
拳を握り締め、唇を噛み、それでも、
返す言葉が見つからない。
ヴィエナには必要以上に責める気はない。
だが、自責の念は言葉を重くする。
「覚悟は済んだか?」
背後で金属のこすれる音がした。
雪で音が消えた中、その音は禍々しく響く。
撃退士達は各々の想いを抱えたまま、全員が振り向いた。
「周りくどいのだ。何も言わず我らを亡き者にすれば事足りただろう。
なぜそうしない?」
ケイオスは変わらず正面にたったまま、六万に問いただした。
「天使の走狗となってなお、まだ義侠の士でいるつもりか?」
「黙れ。無駄話はここまでだ。死ね」
ケイオスの言葉を遮り、六万は手を振るう。
指示と同時にサーバントは一斉に撃退士に飛び掛った。
●
サーバントは一斉に動き出す。
まず最初に接触したのは燈狼とヴァルキリー。
ケイオス、威鈴、悠人、栄の4人が燈狼と切り結び始める。
それを上空から援護しようとするヴァルキリーに対して、
間下と引率のアストラルヴァンガードが牽制攻撃を仕掛けた。
ヴィエナは引率のディバインナイトと共に戦場を回りこみ、鬼蜘蛛へと攻撃をしかける。
空を飛ぶヴァルキリーの援護射撃は予測の通り、
すぐさま前列へと光の矢となって降り注いだ。
「それ以上させるかっ」
間下は前に出たヴァルキリー目掛けて素早く三点射。
銃弾は狙い違わずヴァルキリーを捉えるも、
ヴァルキリーは盾から発生させた無色の障壁で銃弾を防ぐ。
その影からもう1体のヴァルキリーが槍の形をした光弾を振り下ろす。
「頼みます!」
「おう!」
間下が下がり、引率のアストラルヴァンガードがシールドを展開。
大型の盾が戦乙女の槍を受け止める。
ダメージを受けたが、回復能力のあるクラスなのでまだ持ちこたえられるだろう。
間下は気を逃さず銃を乱射。ヴァルキリーの動きを止めにかかる。
片方の仲間を盾に撃ち合いを繰り返す両者。
状況は膠着、とは言えず。
撃退士側により被害が大きく、回復でギリギリ保っている状況だった。
「でも…これで二人で踏ん張れば! 」
仲間が状況を打破してくれる。
間下はちらりと周囲で戦う仲間を見やった。
十字手裏剣が空を裂き、燈狼の群れへと飛来する。
幾つかは狼に命中したものの、幻を纏う狼に全弾命中とはいかなかった。
「実数以上か…」
悠人の額から汗が滴り落ちた。
幻影の能力はわかっていたが、重なって視界を塞いでいる。
既に一匹しとめたはずだが、欠片も減ったような気がしない。
「悠人!」
威鈴の声に我に返る。
幻影を纏った狼達が一斉に悠人目掛けて襲い掛かっていた。
狙いは複数。脚、肩、腕、腹、首。
「このっ!」
悠人はその幾つかの幻影を鋼糸で切り裂いたが、
本命である敵を迎撃しきれず、肩と右手、そして腹に食らいつかれる。
倒れまいともがくが、狼達の牙に翻弄され、
今にも引きずり倒されそうになっていた。
「悠人を離せぇ!!」
栄はダークショットで悠人にまとわりつく燈狼に放つ。
苦しみ動きまわる悠人に当たる可能性もあったが、
緑に光る目がその動きすらも見切る。
一匹、二匹、苦悶の声を上げて噛み付いていた狼は投げ出される。
最後の一匹は強引に悠人が蹴り返す。
すぐさま栄は悠人の側に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「なんとか…」
無防備になった2人に他の燈狼が迫るが、
予測していた威鈴がアサルトライフルの掃射で近寄らせなかった。
3人は合流すると、互いの背を預け三方に向く。
「とにかく倒れるなっ! 立ち続けていれば勝機はあるさ!」
数はまだ減らない。ここを制さなければ、他の仲間も危うくなる。
「俺達は、負けられない…。
生きて、皆を助けるんだ!」
栄が銃を構え、集まる燈狼を牽制する。
狼たちが飛びかかろうとする一瞬、その上方を飛び越える影が一つあった。
1人戦っていたケイオスだ。
「ならば掲げよ、汝らの魂を」
ケイオスは燈狼の周囲に着地すると、右手を空に掲げた。
黒い魔力がその手の中で球体になる。
恐れた燈狼達が周囲に群がるがもう遅い。
「氷獄よ!」
ケイオスの右手に収束された魔力は。極寒の冷気となって周囲に放たれる。
こうなれば幻影も実体も区別が無い。
燈狼は諸共に次々に倒れていく。
「己が心を偽り、知己を見捨て。その果ての結末には聊かこれは理不尽であろう」
ケイオスが拳を握り締めると、周囲の冷気は何もなかったかのように霧散する。
視線の先では六万が険しい視線のまま撃退士達を睨んでいた。
「退くわけにはいかんよ…。
それに、我は汝等を早々に打ち払い、彼の地に残りし者たちを救いにいかねばならぬようなのでな」
ケイオスは指輪から焔を燃え上がらせ、残った周囲の燈狼を睨み据えた。
●
ヴィエナの呪縛陣は鬼蜘蛛を完全に足止めしていた。
体の大きい鬼蜘蛛は効果を最大限に受けている。
仲間のタウントも成功しており位置取りは完璧だ。
しかし、戦況は膠着していた。
「っ…」
ヴィエナは痛む右腕を押さえる。
蜘蛛の素早さを甘く見ていたわけではないが、
慢心がどこかにあったのかもしれない。
呪縛陣をかける時に相打ちで牙の一撃を受け、
その時受けた毒が体を蝕んでいる
吸魂符で回復を挟んだが、拙い状況だ。
脚の2本は潰したが残りを潰す前に最後の呪縛陣が消滅するだろう。
消えゆく魔力の波動を感じながら、ヴィエナは鬼蜘蛛の突進に備える。
緊張の最中、ヴィエナの視線の先を影が過ぎった。
「おおおおおお!!」
動き出す前の鬼蜘蛛に食らいつき、動きを止めたのは撃退署の署員だった。
スキルの不動を使い、正面から蜘蛛を押さえ込んでいる。
「俺だって……、俺だって…見捨てたくなかった!」
意気消沈していたのが嘘のようであった。
忘れていた勇気を取り戻している。
「すまねえ……。俺はもう逃げたりしない…だから…!」
「その言葉……努々お忘れなきよう…」
二度とその覚悟、勇気を手放さぬよう。
ヴィエナは痛みに耐えながらも微笑みを浮かべた。
攻撃は脚狙いに切り替える。
彼が足止めする間に少しでも鬼蜘蛛に傷を与えなければならない。
それでも蜘蛛を止めるには足りなかったが、
救援はギリギリのところで間に合った。
鬼蜘蛛の後方の足が銃弾で穿たれて崩れ落ちる。
ヴィエナの位置からは見えないが、威鈴の放った物に間違いない。
銃弾は幾度も方向を変えながら鬼蜘蛛の脚を穿つ。
「なら、私は…守ってみせる。私は……後悔したくない…」
鬼蜘蛛は方向を変えて銃撃の主を探そうとするが、
動きを抑えられた上に脚がまともに動かず、一方的に撃たれるばかりだった。
「たとえ……全ては叶わなくても……この手に届く範囲ぐらいは…!」
銃撃は激しさを増す。雪が煙となって舞い、鬼蜘蛛は翻弄されるまま。
その鬼蜘蛛が崩れる脇を抜け、正面に悠人が躍り出る。
「ああ。選んだことを後悔はさせない!」
悠人の鶺鴒から光の矢と化した封砲が放たれる。
何重にも攻撃を受けていた鬼蜘蛛はその攻撃を受け止めきれない。
放たれた光は鬼蜘蛛の胴体を見事に貫通していた。
●
既に戦闘の趨勢は決した。
何の事情があるにせよ、六万が戦闘に参加しないのであれば
この状況はどうあっても覆らないだろう。
戦乙女はちらりと六万に視線を移す。
六万は刀に手をかける気配もない。
最後まで不安要素の一つではあったが、それもなくなった。
代わりに彼は視線を戦乙女に送る。
戦乙女は小さく頷くと、南の空へ向けて撤退を始めた。
六万はやはり刀を抜くでもなく佇んでいる。
「…思ったよりも骨があったな。
お前達の勝ちだ。ここは好きにしろ」
背を向けて歩き出す六万を、撃退士達は追わなかった。
サーバントとの戦いはぎりぎりだった。
もはや余力はほとんど残っていない。
そんな中、間下が一歩前に出る。
彼にはどうしても確認したいことがあった。
「あなたは、どうして『そっち側』なんです?」
間下の言葉に六万の足が止まる。
交渉の時から疑問だった。
彼の怒りの理由は、弱者に降りかかる理不尽が理由ではなかったのか。
「…独り言です。失礼しました」
足を止めた理由は、きっと答えが合っていたからだろう。
彼自身、本来あるべき場所にないのだ。
冷たい風が両者の間を吹き抜ける。
「一度掲げた言葉は、決して曲げられん。
例え力及ばず敗北したとしても言い訳にはならん」
六万は小さく、だが確かに答えた。
右手は強く刀を握り締め、左手は虚しく空に開かれたまま。
その手は何を握っていたのか。
ヴィエナには、それが何か大事なものであるように感じられた。
きっと彼も、失ったのだろう。
「そうか。貴様の魂もまた…」
捕らわれているのだな。
ケイオスの言葉の含むところに、六万は何も答えなかった。
「弱者に希望を見せた罪は重いぞ。
泥を舐めて後悔するのだな」
殺意が消えていたのは一瞬。
言い捨てると六万はガードレールを越え、雪の積もる林の中へと姿を消す。
呆気ない天使の撤退に、彼らが勝利を確信出来たのは少し間を置いてのことだった。
●
最終的にそのルートは再びサーバントによって封鎖される。
だがその前に多くの人が迂回路を使用して仙北への脱出を果たした。
戦域の変遷により46号線のサーバントはその後移動を開始し、
途上で接触した多くの民間人が被害にあった。
撃退士達の働きはその途上の人々を予め大幅に減らす事に成功した。
その意味で、彼らは多くの人々を救ったと報告して間違いないだろう。