●
青年は恋をした。
美しい黄金の髪、思わず触りたくなる白い肌。
青白い尾びれはそれが人間ではないと知らせていた。
それでも清廉な歌声に、青年は人魚姫に恋をしていた。
時計の時刻は16:30を示している。
「…交通規制?何でだよ」
海へ行こうと進めた足は止められる。危険なのだ、と。
平凡な一般人である青年には天使や悪魔の情報は多くはない。
危険ならば、”彼女”を助ける必要があるのではないのか―。
青年はそれでも海に足を進めようとした。
「―待ってください」
静かな少女の声に青年は振り向いた。
どこか少年にも見える風貌の少女、如月優(
ja7990)は青年に話しかける。
優は青年を安心させるように言う。
「驚かせてすみません。海に天魔が現れました。―この先は危険です」
「…その海に助けたい人が居るんだ」
青年は優の言葉にも首を振る。優は小さく息をつくと鞄の中から写真を取り出した。
写っているのは人魚の姿。青年は驚いた瞳を優に向けた。
もちろん写真に写っている人魚は本物ではない。合成である。
「海には私の知り合いが撃退に向かってます。安心してください」
「撃退士……?」
それは青年にも聞いた覚えがあった。もちろん詳細は知らないが。
「はい。私は貴方に聞きたいことがありましたから」
ぴらり、と優は人魚の写真をかざして。
「人魚の噂を集めてるんです。あちらでゆっくり話をしませんか?」
優が指差したのは近くにあった喫茶店だった。
「…了解。皆、例の青年は優と一緒に喫茶店に行ったみたいだよ」
龍崎海(
ja0565)が通信機から聞こえた言葉を復唱した。
空は快晴。未だに青く澄んでいた。
砂浜を歩く7人の撃退士は報告があった岩陰に向かっている。
避難勧告を出しているため、撃退士達以外に人影は見えなかった。
「単純に敵を倒すと言う訳に行かない様ですね……」
雫(
ja1894)は携帯電話に登録された仲間達の連絡先を確認して鞄にしまう。
「だな。被害が出てるんじゃ仕方が無いか…」
佐藤 としお(
ja2489)は息をつきながら歩く。
「害意ある天魔は放っておけませんから……」
(けれど、どうかせめて彼の思いだけは、美しい思い出のまま残せますように)
東城 夜刀彦(
ja6047)は歩きながらも海を見つめる。
「そうじゃの。……恋は盲目とは言うが、無碍には扱いたくはないものじゃ。」
その容姿からは似合わない老成した言葉が漏れる。 叢雲 硯(
ja7735)は歩きやすいスパイクシューズを履いている。
「盲目になってまともに相手を見ることも出来ないってなら、その相手をさっさと消しちまっても問題ねぇだろ」
硯の言葉にぶっきらぼうに、千堂 騏(
ja8900)はそう返した。
不意に聞こえた歌声に7人は足を止める。
きっと、報告に聞いていたあの声だろう。
「人魚とはまた、メルヘンと言うか、何と言うか。 ……ま、敵なら排除するだけなんですけどね」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は歌声に目を細めては呟いた。
●
歌声は聞こえる。岩陰に着いたが主の姿は見えなかった。
海に遮られている。――だが、海すらも鬼道忍軍の二人には道だった。
騏は鬼道忍軍の二人に人魚捕獲用のロープを渡す。ぎりぎり3000久遠内で借りたものだ。
「ありがとうございます」
夜刀彦は礼を言うと海へ歩いていった。
後ろからエイルズレトラも海へ駆け寄れば、その足は海に沈むことはなく―海の上を歩く。
人魚を探すために二人は慎重に、岩陰へ進んでいく。
海の上を歩く二人を見ながらとしおはあらかじめ登録していた優にかける。
コールの音が4回。優は電話に出た。
「彼はどうしていますか?」
【……問題ありません。戸惑ってはいるようですが】
「そうですか。…彼のこと、よろしくお願いします」
電話越しに聞こえた言葉にほっと、としおは通話を切る。
「ギアアアアアアアア…!!」
悲鳴が聞こえた。それは先ほどの鮮麗された歌声とは程遠い、声。
海は阻霊符を展開させて十字槍を出現させた。
岩陰に居た人魚に思わず二人は目を奪われそうになる。
其れほどまでに、人魚の後ろ姿は美しかった。
静かに息を吐いて、エイルズレトラは夜刀彦と目を合わせる。
エイルズレトラは岩陰を大きく回りこんで人魚に接近する。
微かに見えそうになった人魚の顔は髪の毛で隠れていた。人魚はエイルズレトラの姿を確認すると牙を見せる。
大きく裂けた口から牙と下を出し、海へ入って、顔を出し襲い掛かってくる人魚。逃げるようにエイルズレトラは陸へと走り出す。
「東城先輩!」
「わかりました!」
ロープを持った夜刀彦はロープを手に人魚の前方に居た。
エイルズレトラが夜刀彦の元へ駆け寄り―人魚の頭が夜刀彦の足元にたどり着いた。
「ギャアッ」
ぐるりとその首にロープを巻きつけて水面からひきずり出す。
すかさず身体にも巻きつけては騏の方へ、ロープの端を投げた。
騏はロープを掴むと思い切り引っ張る。砂浜へ人魚を出す為に。
人魚も引きずられまいと抵抗をする。じりじりと、陸へと引きずられる人魚は耳障りな声を上げた。
逃げられるわけにはいかない。としおはアウルを練り上げては人魚へと打ち込む。
これで人魚がどこへ逃げようとも、としおには位置が手に取るように判る。に、と笑った。
逃げようと暴れる人魚を牽制する為に雫は握る拳銃―オートマチックP37を撃つ。弾は人魚を掠って海へと消えていった。
エイルズレトラの影から伸びる複数の影の手は人魚を縛り、拘束するように動く。
人魚が悲鳴を上げながらも縄と影、両方から逃れる為にさらに暴れる。
「逃がしませんよ」
夜刀彦は召炎霊符を掲げる。アウルが呼び出した炎が人魚を焦がした。
「おらぁ!!」
掛け声を上げながら騏はロープを引っ張る。影にも縛られていた人魚は今度こそ、陸へと引きずり出される。
硯は陸へと上がった人魚に身の丈以上あるハルバードを振り回す。
逃げることも出来ない人魚はギャア!!と悲鳴を上げた。陸へと上げられた魚のように、跳ねる。
海も十字槍を構えては人魚に振り下ろす。
人魚は影の拘束から抜け出すと、ロープをものともせずに一番近くに居た硯を尻尾で撥ねた。
「っ…!!」
その速さに避けることも出来ずに攻撃を受けて硯は小さな悲鳴を上げる。
「…そこ、いただきっ!」
としおがアサルトライフルを持ち人魚の額に向けて放つ。弾は人魚の金色の髪を掠って髪の毛だけを攫った。
雫が自分の闘気を開放させて銃を放った。人魚は痛みに身をくねらせる。
海上から影で出来た棒手裏剣を放つエイルズレトラ。
夜刀彦が大太刀―【蛍丸】その名の通り美しい刀身を持つそそれを握り走り出す。
アウルを脚部に込めて。
蛍丸は人魚の身体を抉る。反撃を受ける前に夜刀彦は後ろへ下がった。
騏は先ほどまで握っていたロープを放す。このロープにはもう何の用も無い。
パイルバンカーを装備した腕で人魚の顔面を殴った。
「うっとうしい歌は歌えないようにさせてもらうぞ」
その歌になんの効果は無くとも、好きに歌わせるのは癪だ。騏は呟く。
●
「わしの目の黒いうちは、仲間はやらせはせぬぞ!」
先ほど人魚にやられた傷なんて怪我のうちに入らない。そう硯は言う。
ワイルドハルバードを構えて振り回す。
そんな硯に「無理をしないでください」と回復の手を伸ばすのは海だ。
人魚は鋭い爪を振り上げては騏を引っかく。爪は軽く騏の腕の肉を抉る。
としおがアサルトライフルを放ち、雫がオートマチックP37で後方から射撃を行う。
攻撃を直接受けずとも、人魚の周りに打ち込まれる弾は人魚の行く手を阻む。
「人魚が人類の夢とは言え、その顔で人前に出られては百年の恋も夢も醒めると言うもの。人知れず人魚姫の伝説の様に……泡の様に、消えろ!」
エイルズレトラが作り出した棒手裏剣は人魚を穿っていく。
人魚は悲鳴の代わりに、歌を歌った。
岩陰から聞こえた美しいその声だ。
「うそ…だろ…」
その声は、人魚に誘われ、恋をした青年のものだった。
●
少し、時間はさかのぼる。
喫茶店に入った優と青年は入り口に一番近い席へ座った。
青年は話す。
「俺が、彼女と出会ったのは少し前だったよ」
想い出を話す青年は凄く嬉しそうで。
彼の想い人を、今自分たちの仲間が殺しているのだ。
海に近づかせるわけにはいかない。一般人である青年を危険に巻き込むことなんて出来やしないのだから。
話を優が聞いていると青年はふと顔を上げた。
「…どうしたんですか?」
「声が、聞こえる」
青年はぽつり、そう呟いては素早く立ち上がり、レジにお金を置いて走り出したのだった。
優は通信機で青年が海に向かったことを言う、が戦闘をしているらしい仲間達は出ることはなかった。
「…すみません。止められませんでした」
青年を追いかけてくるのは優だ。その表情に少しの申し訳なさを出して。
動かない人魚に近づこうと足を進める青年。
「…なぁ…なんで殺したんだよ…」
夜刀彦はぎゅ、と拳を握る。出来るなら青年に見せたくはなかった。
天魔であっても、恋をした人が死ぬのを見るのは辛いことだと思ったから。
――それが、自分たちが殺したものであっても。
騏は面倒臭そうに頭を掻く。その腕に着いた引っかき傷に顔を顰めると海は駆け寄る。
その腕に治癒の光を灯した。
「殺したことは否定しません。…ですがあれを放置していたら貴方もどうなっていたか……」
としおは言葉を捜す。慰めようにも、言葉が見つからず――。
「人を襲ったって?…俺は…あんた達みたいに強くはないけど…」
それでも青年は、人魚を愛していた。
たとえその顔を見たことは無くても。
天魔を助けることなんて出来やしない。一般人である青年もそれは判っていた。
この堪えきれない気持ちはどこへやればいいのだろうか?
硯は一枚、人魚のうろこを拾うと青年に渡す。
(いずれ吹っ切れる時までの手慰みにはなるじゃろう……)
青年は顔を歪めては涙をこらえるように俯いた。
ただ一言、つっかえながらも撃退士達に告げる
「……助けてもらったなんて、思ってない、から」
青年は後ろを向いて海から走りさっていく。
撃退士達に残ったのは、複雑な感情。
「…帰りましょうか」
赤に染まる空に誰かが呟いた。