学園にも夜は来る。
太陽が地平の向こうに落ちようと、空を朱色に染め上げている頃。校庭の一角に、数人の男女が集まりつつあった。
それぞれが皆、ものものしい格好をしている。これからここでただ事ではないことが起こるのは、誰の目にも明らかだ。
しかし、その割には緊張感はさほどない。リラックスしているようにさえ見える。気負いがないとでも言うべきか、自分たちの入念な準備に自信があるようだった。
「よし、全員揃ったみたいだな。全員、問題ないか?」
茶髪の少年──梶夜 零紀(
ja0728)が、この場に集まった数人の男女に声をかける。
「準備はばっちりです」
「俺もオッケーだぜ!」
今回組んだ仲間では最年少である佐藤 七佳(
ja0030)と雪ノ下・正太郎(
ja0343)が元気よく頷いた。
「よし。ではもう一度、作戦を確認しておこう。敵は下水道を含めた地下を掘り進みながら、この周辺の地下を徘徊している。文字通りの相手のホームグラウンドだ、地下に降りるのはなるべくなら避けたい」
「確かに……虎穴に入らずんばとは言いますけど、入らなくていいのなら、それに越したことはないですよね」
「七佳の言う通りだ。無理に危険を冒すことはない。そのために、この場所を選んだのだからな」
碓氷 刹那(
ja1466)はそう言って、足の先で数回地面を叩く。少し、柔らかい。地面の下に、土竜型ディアボロが掘った穴が通っているのだ。すでにそのことを、彼は調査済みだった。
「小屋をひと飲みにするほど巨大な、ともすれば用務員の方が犠牲になっていたかもしれないほどの相手だ。速やかにこの場所へ土竜型ディアボロを誘い出し、これ以上の被害が出る前に駆除する」
「……そこで、俺たちみんなで用意した道具の出番というわけだな」
零紀の言葉を継いだ御影 蓮也(
ja0709)が、金属製の筒に見える強力なハンドライトを弄んで、ポンポンと掌に叩きつける。
ライトだけではない。用意したものは他にもある。持ち運びのできるラジカセや、少し腐りかけた鶏肉、堆肥のような使い道の謎めいたものまで、色々と揃っていた。
「まずは用意した囮を使って地下からディアボロを誘き出し、その後みんなで囲み逃がさないようにしてボコる……シンプルだけど確実だね」
そう言ったのは高野 晃司(
ja2733)。ブロンズシールドに取り付けたハンドライトの調子を確認しながらの言葉は、やる気十分だ。
「そういや刹那さん、人数は分けないんですか? 地下班も作ったほうがいいんじゃ?」
「人数を分けると、状況によっては半分の戦力で敵と戦うことになってしまう。敵が弱ければいいが、そうとも限らん。あまり楽観視はしたくない」
「了解、じゃあ行動は全員一緒にってことで」
晃司の案は効率的な意味では一分の理があるものだったが、戦力分散の具というのは撃退士の命に関わる。零紀はやや慎重に事を運ぼうと考えているようだった。
それからしばらくは我慢比べだった。
彼らが囮に使ったのは用意した鳥肉と、それが生きているように見せかけるため、鶏の鳴き声を録音したラジカセだ。
地面の下を徘徊する土竜型ディアボロの気配は、この場にいる全員が感じている。しかし、あたかも皆をあざ笑うかのように、今ひとつのところで地上まで出てこないのだ。
「くそっ、焦れるぜ」
ハンドアックスを弄びながら、正太郎が歯がみする。彼ほど如実ではないものの、他の五人も感じていることはほぼ一緒だった。
すでに日は落ちきった。下校時刻を過ぎ、校舎からの明かりもなくなった今、彼らのいる校庭を照らすのは、遠くの外套と星明かりのみだ。
これだけ暗ければ光に弱い土竜型ディアボロといえども姿を見せそうなものだったが、まだその素振りはない。
「勘づかれたと思うか、零紀?」
「何とも言いがたいところだな。こちらの待ち伏せを読んでいるという雰囲気はあまり感じないが……」
「蓮也、いっそ俺と晃司が地下に潜ってみようか? すでに準備は出来ているぞ」
刹那がそう言うと、傍らの晃司も頷いた。
「いや、もう少しだけ……ッ!!」
まだ早いとばかりに蓮也が刹那たちを手で制止した瞬間、ズズズ……と地滑りしたかのように低い音が地面の底から響いた。
柔らかくなった地面が、まるで海面のように波打っている。地下から巨大な存在が近付いていることは明らかだった。
「かかったぞ! 道具の準備、急げ!!」
蓮也の声が響くと同時に、光纏状態へと変化した仲間たちが弾かれたように散開し、持ち場へとつく。迎え撃つために、幾つもの仕掛けを準備した、その場所へ。
「来ます、来ちゃう! ええと……銃は両手でしっかり構えて撃つのが基本、撃つのが基本……!」
やや頼りなく銃を構えた七佳が叫んだ瞬間、地面の一点がまるでピラミッドのように高く持ち上がり、弾けて崩れる。
土の腐ったような悪臭に混じって、悪寒にも似た独特の気配が、周囲に満ちていく。
「大きい……!」
「掛かった! 逃がさない、一気に決める! ライト準備! 俺と刹那、正太郎で先に仕掛ける!」
「わかった!」
「まかせろ!」
まず、レイピアを構えた刹那が走り出す。それに続く蓮也と正太郎。
それを一呼吸見送って、晃司たちがライトのスイッチを入れた。一条の光が矢のようにディアボロを照らし、射抜く。強烈な光が、夜という名の黒で塗り潰されていたこの一角を、まぶしすぎるほどの『白』によって、一瞬で染め上げる。退化しかけた脆弱な目を灼かれ、苦悶の声を上げるディアボロ。
「ディアボロが怯んだぞ! 狙い通りだ!」
目にも止まらぬ速さと言うべきか。刹那の鋭い刺突が、ビロウドのような毛に覆われた巨体を貫く。
「俺もやる、真っ二つだ!!」
正太郎もハンドアックスを器用に振り回し、刹那に続く。重く厚い刃は、天敵に襲われたこともない脆弱な土竜型ディアボロの肉に容易に食い込み、引き裂いた。
突かれ、引き裂かれ、悶え苦しみ暴れ回る。だがまだ傷は小さなものに過ぎない。五メートル以上あろうかという巨体の体力を奪うには、まだまだ足りていなかった。
「まだだ! 一気に引きずり出すぞっ!」
蓮也がディアボロの喉元目掛けて、メタルレガースで力いっぱい蹴り上げる。ダメージを狙ったものではない。ディアボロを起こし、いまだ半ばほど地面に潜っている身体を引き上げるための蹴りだ。
そのままガラ空きの腹に、地面へと縫い付けるように打刀を突き刺す蓮也。
「蓮也がやったぞ! 取り囲め、体勢を整えるヒマを与えるな!」
自らもショートソードを握り、スマッシュを撃ち込みながら退路を断つべく背後に回り込もうとする零紀。
その斜め後ろには、リボルバーを構えた七佳がぴたりと付いていた。
「はいっ! 援護射撃、いきます! ……あれ? ……あ、セーフティ外さないと撃てませんね」
(ドジっ娘だ……)
チームの紅一点に、一瞬生暖かい視線が集まる。
それを知ってか知らずか、彼女はマイペースにリボルバーのセイフティを解除すると、改めて狙いを付けた。
「今度こそいきます! よーく狙って……撃つッ!!」
銃弾が空を裂く。彼女が狙ったのは、ディアボロの前足。土竜型たるゆえんの、パワーショベルのように大きく強靱な腕だった。
無論、人間一人よりも大きな腕だ。闇雲に狙ったとところで、さほど効果はない。だが彼女の弾丸は上手い具合に──むしろ、半ば偶然に近い──腕の関節部を撃ち抜いていた。
手首を支える骨と腱を貫いたのだろうか、右の巨腕が力なく垂れ下がる。なんとかして持ち上げようともがくもの、上手くいかないことに、苛立ったような唸りを上げた。
ディアボロも、やられてばかりではない。その巨体が動き回るだけで、すでに脅威なのだ。ぶちかまし──体当たりともタックルともつかない動きで、前衛に立つ刹那たちに襲いかかる。
「おっと、やらせはしない!」
前衛の隙間からするりと踊り出し、ディアボロのぶちかましを受け止めたのは晃司だ。防壁陣とブロンズシールドの合わせ技で、がっちりと攻撃をブロックする。
「ほらほらどうした、こっちだぞ! 鬼さんこちら手の鳴る方へ、だ!」
後ろの回り込みつつ、挑発するようにブロンズシールドでディアボロを小突く。盾で味方を守ることこそ自分の役割と心得て、敵の注意を引き付けようとしているのだ。
そしてもちろん、相手はしょせん土竜の化け物に過ぎない。利口ではないのだ、晃司の意図など読めるはずもなく、いいようにあしらわれ、振り回されている。
もっと、そうして注意を引き付けている晃司も必死だ。きっちり守りを固めれば受け止められるとはいえ、少しでもミスればタダでは済まない。その緊張感たるや、彼女──もとい、彼の神経をすり減らすに十分なものだった。
「晃司に負担をかけ過ぎるな!」
「俺も前に出る!」
守りの要として攻撃を引き付けている晃司の負担を軽減させるべく、刹那が飛び出した。レイピアを構え、『フロート・ライク・ア・バタフライ、スティング・ライク・ア・ビー』とばかりに、回避と突きを織り交ぜ、ディアボロの意識を翻弄する。それはあたかも怒り狂った猛牛に挑む闘牛士のようでもあった。
「刹那さん! あんまり無茶は……」
「お前にばかりいい格好はさせない。こいつは、俺の獲物だ」
「ああもう、またそんなことを!」
勝手に動いているように見えて、お互いをかばい合いながら、ディアボロの攻撃をさばいていく二人。巨体が翻弄され、右へ左へとのたうちまわり、ズシンズシンと地面を揺らす。
今、戦いの主導権は完全に撃退士たちの側にあった。
刺すような明るい光の中、少しずつディアボロの動きが鈍っていくのが分かる。自分たちの攻撃が、功を奏しているのだと確信できた。
形勢不利──しかし、それが分かるのは人間たちばかりではない。野生の本能とでも言うべきか、土竜型ディアボロとて、自分の危機は敏感に感じ取っていたのだ。
唸り声を上げて、逃げ道を探すディアボロ。だが前後左右、いずれも撃退士たちに囲まれていて、隙はどこにもない。七佳と蓮也によって、阻霊陣の準備までされている。進退窮まるとは正にこのことだ。
だがこのディアボロは土竜だ。土を掘り進む力を持つ存在だ。己がどこからやって来たのか、野卑で単純な知能であっても、それに思い当たらないはずがない。
ショベルのような巨大前腕で地下を掘り進み、逃げ込む。安全な己の城、己だけの聖域。脱出路はそこしかないと、ディアボロが身体を柔らかい地面の中に沈みこませようとしたとき。
ぐおおおんと、大きくディアボロが哭いた。それは痛みへの悲鳴のように聞こえる声だった。悲しく、辛く、苦しそうな声で、ディアボロは慟哭する。
ディアボロの片腕が動かなかったのだ。これでは満足に地面を掘り進むことができない。混乱したように残った片腕を振り回すが、バランスを崩し転げ回るだけだ。
「や……やりました! さっき撃った弾ですよ! いいところ当たってたんだ!」
踊り上がらんばかりに喜ぶ七佳。自分でもラッキー・ヒットなことは分かっている。だが命中は命中、敵の致命的な弱点に当たったことは事実だ。
「喜ぶのはまだ早い。ここで一気に仕留めるぞ!! もっとライトで照らすんだ、ディアボロを弱らせろ!!」
撃退士たちが一斉に、用意してきたライトのスイッチを入れる。強い光を当て続けられると、人間ですら参ってしまうのだ。視力が弱く身体も光に慣れていない土竜の特徴を持つディアボロが四方八方からライトで照らされれば、その精神的苦痛は計り知れないものがある。
すでにディアボロの動きは、目に見えて緩慢になっていた。
「そろそろ……終わりにしてやるっ!!」
ハンドアックスを振りかぶり、天高くから正太郎が襲いかかる。真っ向唐竹割りとでも言わんばかりに、縦一文字に振り下ろされる肉厚の刃。肩口からディアボロへと食い込んだ斧が、その身を袈裟懸けに切り裂いていく。
「もういっぱぁつっ!!」
ハンドアックスを引き抜き、横一文字に叩き付ける。腹部が大きく裂け、どろりとした内容物が滝のように吹き出し、正太郎を濡らす。
血と体液、そしてはらわたらしきものをまき散らしながら、なおも息絶えないディアボロ。決して頑丈な体躯とはいえない土竜型であったが、大きさ相応の生命力はあるということか。
もはや逃げることは諦めたのだろうが、動くほうの腕を振り回して、七佳に襲いかかる。こいつさえいなければ、そう言わんばかりに。
だが──、
「トドメは俺に任せてもらおうか」
「え……刹那さん!?」
長い白髪を翻し、レイピアを構えた刹那がディアボロに立ち向かう。ひらりひらりと攻撃を華麗にかわしながら、刺突の届く距離へと一気に踏み込んだ。
「これで……終わりだ!」
狙いは心の臓。真一文字に突き出される刃は、裂けた腹から除いていた、ディアボロの命の塊を狙い違わず貫いた。
赤黒い血液が、つうっとレイピアを伝う。ゆっくりと、その巨体が動きを止めようとしたその時──前腕が大きく動いた。シャベルのごとき、硬い土を掘り進むだけの爪を持った腕が。
「危ない刹那さん!」
しかし、ディアボロの断末魔が、彼を襲うことはなかった。咄嗟に放った七佳の銃弾が、ディアボロの頭部を撃ち抜く。
脳。つまり命令器官をやられたことで、ディアボロはようやく、その巨体の動きを止めたのだった。
「ようやく終わったか……」
ディアボロの死骸処理班を待ちながら、零紀が身体をほぐすように背筋を伸ばす。
「うわ、血でべったべただよ」
「洗濯、大変そうだな……」
ハンドアックスで敵を切り裂いた正太郎の身体は血まみれだ。名誉の汚れ──であるが、この生臭い臭いはいただけない。
そんな彼に、晃司が同情的な視線を向けていた。
「あの……刹那さん。お疲れ様でした、すいません……」
その脇では、七佳がしきりに頭を下げている。刹那からトドメを奪ってしまったことを、気に病んでいるようだ。
「……まぁ、仕方ない。今回は運がなかった、俺に」
トドメを刺そうとしていたのは、あくまで個人的な目標のためだ。七佳を責める気など、彼にはなかった。
「後始末は処理班に任せるとしてだ。これからどうする?」
蓮也の言葉に、一同は顔を見合わせる。見れば、正太郎ほどではないにせよ、皆泥やら土やらで汚れていた。この格好でどこかへ行くという気にはなれない──それが、皆の共通見解のようだ。
「じゃ、打ち上げとかはまた今度だな。とりあえず今行くべきところは……風呂だな」
もっともだ、とばかりに彼らは揃って首を振る。一刻も早く、汗と汚れを洗い落としたかった。