●風は夜渡りて
「うんうん、順調だね」
窓を、その目から発射されるレーザーによって溶かしている、異形の風船。
それを見上げるヴァニタス‥‥久宮 陽子は、満足げな微笑を浮かべている。
「後はこのまま、何事もなく見つかればいいんだけど――」
言い終わる前に、前方にあった風船は、丸で針でも刺されたが如く、パーンと音を立てて割れる。
「‥‥そんな都合のいい事はないよねー。やっぱり」
「おお、お見事です」
顔に、何時もと変わらぬ微笑を浮かべ。石田 神楽(
ja4485)は、蒼光の魔弾の射手――九十九(
ja1149)に、命中したとのサインを送る。天界の力を宿したその一矢は、奇襲の効を奏し。回避の間もなく、自分たちの方に漂い来るダミーバルーンを撃破したのである。
「さてェ、それじゃ進もうかねェ」
神楽と違う意味での笑み‥‥邪悪な微笑みを浮かべながら、黒百合(
ja0422)は走り出す。
「よっ。いらっしゃい」
撃退士の姿を見ても、陽子は然程驚いた様子はない。
セーラー服のスカートを靡かせ、腕を組んで余裕の様相で待ち構える。
その姿を確認した瞬間、激昂する撃退士が一人。
「貴様‥‥あの銀行の!」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)が、ビシリと陽子を指差し、叫ぶ。
「貴様さえいなければ、無実の人々が負傷することもなかったんだッ!」
大剣を抜刀するラグナを、片手でカイン 大澤 (
ja8514)が制止する。
「俺たちの目標を忘れるな」
「っ‥‥」
その言葉に、ラグナは大剣を鞘に収める。
カインはそのまま、陽子の方に向き直る。
「‥‥俺としては、戦うの面倒くさいし、ここは引いてくれないかな? 不利じゃね?」
「ふ、ふふふ、あはははは! 何それ!?新手のナンパ文句?」
大笑いし始める陽子。それを隙と見たのか、黒百合は神楽を背負い。突入の準備を始める。
「もしくは、ここに居る一般人を全員開放するなら相手するけど、どかな?」
「あー、おっかしい」
可笑しくて仕方ないという感じで、お腹を押さえる陽子。
「あんたたちが相手をしたくなくても、あたしには『相手をさせる方法』がある。何のために中の人間逃がさなきゃいけないの?」
説得とは、相手が望む物を自分がチップとして持っている場合のみ、成立する物である。
残念ながらこの場合、その条件はクリアされていなかったのだ。
「今のうちですね」
「はいはい、しっかり掴まっててねェ」
この隙に、壁走りを起動。三階へと突破を試みる黒百合、神楽ペア。
だが、この行動はあまりにも目立ちすぎた。対峙している陽子には、隠蔽の欠片も試みようとはしていなかった彼らを見逃す理由は一つもない。
「ねぇ、どこにいくのー?」
「っ!」
上を取られた。そう感じた瞬間。とっさに銃を抜き迎撃を試みる神楽と、横に体を捻り回避を試みようとする黒百合。
だが、普通に身一つで壁を走っているのなら兎も角。人を背負ったままで回避するには、陽子の攻撃は余りに鋭かった。空蝉で回避してもいいが、そうすれば背負った神楽は――
神楽の銃弾はとっさに抜銃したにも関わらず驚くべき精度で陽子の頬を掠め、陽子の踵落としは黒百合の腹部にめり込み、地に叩き落す。
「あっぶなー。油断ならないねー!」
自らの頬の傷を、陽子が拭う一方。
「‥‥大丈夫ですか?」
自らも衝撃で背を打ったが、神楽の顔の微笑みは、何時もの如く維持されている。
「よくも、やってくれたわねェ‥‥!」
その彼に引き起こされた黒百合が、キッと陽子を睨む。
「‥‥っと!」
着地前に、再度空気を足場にするかのように跳躍する陽子。着地すべき地点には、狗月 暁良(
ja8545)の拳が叩き込まれ、小さなクレーターを作っていた。
直後、カインの大剣が薙ぎ払われる。
「ったくめんどくせーな‥‥なら、‥‥力づくで排除してやる!」
回避を読んでの、その先へのクロスボウ連射。だが、発射されたボルトは、陽子の顔の前二寸ほどで、停止する。
この連撃で陽子がその場‥‥廃屋の入り口から移動した事実に乗じ、ラグナたち残りの撃退士は一階より内部へと滑り込む。
「あ、ひっどーい!無視するの? ‥‥っと!?」
そちらに陽子の注意が向いた瞬間、背後から暁良の拳が背筋に叩き込まれ、前に少しつんのめる。
「‥‥いいよ。遊んであげる」
全身に、吹き荒れる風を纏い。陽子は暁良の方に向き直った。
●圧倒的力による掃討
一階。
「おらぁ!」
ヤンキーらしき叫びが響き渡る。
「そこですか‥‥!」
駆けつけた姫宮 うらら(
ja4932)が見たのは、パールを持ち、自身と全く同じ姿の者を殴りつけているヤンキーの姿。
「これは‥‥?」
どちらが本物であるか、判断に一瞬戸惑う。武器を持っている方が恐らく本物だろうが‥‥念のために声をかける。
「助けに来た撃退士です‥‥そこを退いて下さい!」
二人とも反応する。だが、一人のみ、ヤンキーは後ろへとたたらを踏むように後退する。
「了解しました‥‥っ!」
飛び込むと共に、手に持つワイヤーを、横に振るう。
それは丸で動物の爪のように、目の前の「ヤンキー」の腕を引き裂くと共に、壁に爪痕を刻み込む。
ドロッ。
切り落とされた「ヤンキー」の腕が地に落ちると共に、それはゼリー状の物体と化す。
「っ!?」
切り口から、液体がうららに向かって噴出する。自ら液体の勢いに身を任せ後ろに飛んだうららだが、多少液体が体に付く事は避けられなかった。
焼け付く様な痛みが、走る。見れば、液体が掛かった部分の服装も多少、溶けている。溶解液の類だろうか。
「スライムらしい攻撃だな!」
その背にヤンキーを庇うようにしながら、念のために冥魔認識を起動するラグナ。
――確かに人間で、間違いない。
「大剣ばかりが私の取り柄ではないぞッ!」
そのまま払うようにして手を横に振るう。忍術書が、ぱっと空中に浮かぶようにして展開される。
「切り裂け、風の刃よ!」
放たれた風は、うららへ追撃しようとするスライムを横から切り裂く。
「そうだそうだ、やっちまえ!」
野次を飛ばす後ろのヤンキー。しかし、キッとラグナに睨まれ、「ひっ」と言う小さな悲鳴と共に引っ込む。
「私はお前たちも正直好きではないが‥‥天魔の暴虐を許してならんと、守っているのだ。‥‥死にたくなければ大人しく動かない事だな」
そこまで深手には至らなかったのか、すぐさまくっつくようにスライムは元に戻るが‥‥ラグナが稼いだこの時間は、うららが「先手」を取り戻すには十分。
「この程度の痛みなど‥‥! 姫宮うらら、獅子となりて参ります‥‥!」
そして、獅子の剛爪は、今度こそ目の前のスライムを、三つに引き裂いたのである。
一方、真っ直ぐに2階を目指した神城 朔耶(
ja5843)は、階段の手前で、ふわふわ漂う風船を目にする。
「‥‥先手、頂きます!」
敵の出方は不明。ならば先手で全ての可能性を封殺してしまえばよい。
巫女の周囲に展開された魔方陣は、風船が反応する前にその動きを捉え。全ての特殊能力を封殺する。漂いながら、精一杯の反撃‥‥各所の目から放たれる光線で朔耶を打ち据えるディアボロだが‥‥魔術に強い彼女にとって、元から攻撃に不向きであるこのディアボロの攻撃は、そよ風程度しか感じなかったのである。
「しかし‥‥」
風船は、彼女には脅威足りえなかった。だが、それをその場から排除するとなると、別である。
囮になるべく、回避を高められたディアボロを、朔耶は捕らえられなかったのである。
「せめてもう一方、いらっしゃれば‥‥」
相方‥‥ラグナとの、行動方針の齟齬が、仇になった。
一階の掃討を優先するか。それとも二階への突破を優先するか。定めておくべきだったのだろう。
そして、バルーンに気をとられている隙に。その背後に、もう一体、スライムが忍び寄る!
「くぅ‥‥っ!」
硬化した触手で切られ、前に倒れ伏す。何とか地を横に転がり、鎌の様に振り下ろされる触手を回避するが‥‥
「大丈夫ですか!?」
獅子の爪痕が地に刻まれ、硬化した触手を切断する。既にスライムフェイカー二体の排除を終わらせたうららが、すたっと朔耶の前に着地する。
「今のうちに回復を‥‥ッ!」
ついてきたヤンキーたち共々、背に朔耶を庇い込むラグナ。
「ええ、ありがとう御座います」
柔らかな光が、朔耶の身を包み、癒す。熟練の回復手でもある彼女は、一瞬にして自分の負ったダメージを、ほぼ完治させた。
状況は逆転した。1階に居る残りのディアボロ2体が撃破されるのも、時間の問題だろう。
●救出、そして‥‥?
一方。三階。
窓から黒い影が転がり込む。
「今度は突入成功、だねェ」
転がって勢いを殺し、そのまま立ち上がる黒百合。服についた灰を叩き落としながら、周囲を見渡す。
「そうですねぇ。いやはや、もう少し楽に入りたかった物ですが」
笑顔を崩さず、神楽もまた銃を低く構え、周囲を索敵する。
見える範囲で敵影はない。
ガタッ。
物音に、二人は顔を見合わせ。その部屋へと急行した。
ドアを蹴破る。そこには、壁に寄り、鈍器を構える一人の男と。異形の風船が居た。
「そこから退いてもらいましょうかァ‥‥!」
凄絶な笑みを浮かべ、黒百合の手から、血の様な赤い糸が放たれ、振るわれる。
――狭所であり、突入直後では十分な周囲確認が出来なかった事。一般人が付近に居り、それを気を使いながら振るう必要があった事。この二点が影響してか、糸は釣り照明に僅かに引っかかり、素早く下降した風船に回避されてしまう。
「早急に倒さないと、」
神楽の腕に、その銃が同化する。
黒い蔦の侵食が銃から伸び‥‥肩まで、神楽を飲み込む。
「いけませんね」
銃声。
一発に聞こえるその音は、実は三発の銃弾を空に作り出し。それぞれ微妙に違う軌道を描き、風船に襲い掛かる!
「ちょっと、危ないじゃなァい?」
目標を外し、壁に当たり跳ね返った一発を黒百合が持ち前の速度で、スライディングするように回避する。
「でも、動きを止めてくれたのは感謝するわァ」
残り二発の銃弾は、見事に風船に直撃。壁にたたきつける。跳ね返った風船は、しかし空中で急停止。
よく見れば‥‥その周りには、紅のワイヤーが巻きついている。
「死にたい人間はおいでェ、ぶち殺してあげるからァ‥‥」
その表情は、地に座り込んだ広機を恐怖させるのに十分であった。
「すみませんね。ここら辺に残った敵を炙り出すのに必要でして」
にこにこ笑って広機に話しかける神楽。恐怖を呼ぶような黒百合の表情とは、まさに北風と太陽である。
「あ、もしもし?はい、‥‥了解です。 ‥‥一階の掃討は完了。今から二階へ向かうとの事。ヴァニタスは表で交戦中のようですね」
スマホを通じ、神楽は戦況を確認する
「なら、この階はもう誰も来ないようだし、私たちも二階へ行こうかしらねェ」
「そうしましょうか。‥‥では、少々此処で、静かに、お待ちください」
広機に笑いかけ、神楽は扉をバタンと閉じた。
●風は空へ昇りて
「ちっ‥‥ちょこまかと‥‥!」
ブラストクレイモアの一撃が陽子の頭上一寸ほどを掠める。直後、後ろから飛来する矢がその直ぐ横を通り抜ける。
「やっぱり、そう簡単には当たってくれないねぃ」
キリキリと弓を引き絞り、再度狙いを定める九十九。だが、その上方から降りてきた影を見て、すぐさま弓の狙いをそちらに向ける。このディアボロに備える事こそが、彼が此処に残った目的なのだから。
青い光が、腕を伝い、弓に流れ込む。それは弓全体に行き渡り、矢を破魔の光と化す!
一撃。
風船が、前衛に居たカインと暁良の注意を引き付けられる前に。
光の矢は、それを貫通し。粉々に打ち砕いた。
「あっちゃー、あれは当たっちゃったら、あたしも痛いだろうねぇ」
「俺の拳も、当たれば痛いぜ!」
眩しい光を纏った拳が、正面から叩き込まれる。目の前の陽子の姿が掻き消えた事に、彼女の速度を既に交戦によって知っていた暁良は驚かない。
しかし、驚くべきだったのは。振り向いた時‥‥「陽子が二人居た」と言う事実だ。
「変化が出来る敵の連絡はさっき来た。多分、どっちかが変化したヤツだろう」
「なら、両方潰せばいいだけだ!」
カインの言葉に、顔を見合わせ。彼と共に飛び出す暁良。
「狙撃されるとやばいからね‥‥まずはあんたから、っと!」
片方の「陽子」が跳躍する。
カインの振るう大剣が、目の前の「陽子」を叩き潰し、元のスライムへと変える。
だが、空中で宙返りする陽子はそのまま暁良の頭上を越え。加速度を付けた降下キックが狙うは、未だ光を纏う九十九!
「まずいのさ‥‥ね!」
光側に技術を寄らせた彼が、これを回避できるはずはなく。あるいは自らの持つ回避の風を使用していれば、違ったのだろうが‥‥あまりの衝撃に、地面へと叩き込まれる!
「お、連絡か‥‥ふんふん。そこに隠れていたのね」
「油断大敵だぜ!」
一瞬何かに陽子が気をとられた隙に。暁良のアッパーが、反動で再跳躍した陽子の下腹部を捉える。と同時に、カインのクロスボウから打ち出されたボルトが一本、その右腕に突き刺さる!
「あいたた‥‥言うだけあるね。‥‥けど、丁度いい!」
足に力を入れ、跳躍する陽子。空気を踏むようにして目指したのは、三階の窓!
それを見たカインは、急いで連絡する。
「ごめん‥‥ヴァニタス、3階に向かった!」
二階に下り、掃討が終了したのを見届けた神楽と黒百合は急いで引き返すが、時は既に遅し。
――一般人が居る階を空けたのは致命的なミスだった事を、撃退士たちは思い知る事になる。
●幕間〜復讐は成され〜
がちゃりと、扉は開け放たれる。
「おい、もう終わったのか――っ!?!?」
入って来た者を見た瞬間。広機の顔は、丸で幽霊でも見たかのように変わる。
「‥‥あたしの足をあんなにしたお礼、しに来たよ」
快活な筈のヴァニタス。陽子の表情は、この時だけ、闇のように暗い物に代わっていた。
「あんた‥‥死んだはずじゃ‥‥待て、俺は言われただ――」
「あたしが止めて欲しかった時。止めてくれた?」
ぐしゃり。片足を踏み潰す
「ぐぁぁぁぁ!? ぁ‥‥」
「やめてくれなかったよね。刃物使わないだけ手加減してると思って欲しいな」
ぐしゃり。反対側の足をも踏み潰す。
「っ!!」
駆け込んできた撃退士たちの目の前で。サッカーボールのように蹴り飛ばされた広機の頭部は、窓の外へと飛んでいく。
「ふ‥‥ふふ、いい度胸だわ。あたしの前でこんな殺し方するなんてェ」
「討たせてもらいましょう。この場で」
だが、神楽が銃を構えられる前に。黒百合が鋼線を構えられる前に。暴風が部屋の中を吹き荒れ、彼らを窓から建物の外へと投げ飛ばす!
「いい気分だから、邪魔しないで欲しいな。‥‥またチャンスがあれば、遊んであげるよ!」
そのまま、空を歩くが如く。ヴァニタスの姿は、天辺へと消えた。