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数日後の放課後、まだ外の明るい空き教室で依頼を受けた内の数人と葵が顔を合わせた。
葵は取り敢えずペンとメモ帳を用意し、それを手に教室に向かう。
数度深呼吸をした後、気持ちに弾みをつけて教室の扉を開け、ぺこりと頭を下げる。
「中等部2年の葵です。よろしくお願いします」
緊張した面持ちの葵に、早速、二階堂 かざね(
ja0536)がチャームポイントのツインテールを弾ませて顔を上げた。
笑顔を浮かべると、ずずい、と机に広げていた自分も大好きなお菓子を気さくに勧める。
「お近づきの印にお菓子でもどうぞー」
その隣で机に肘をついていた黒田 圭(
ja0935)も頬杖を外し、丸めていた背を伸ばす。
「インフィルトレイターの黒田 圭。 名前・苗字どっちでも適当に呼んでくれ、宜しくな」
圭は恐らく学園内でも歳上の部類だろう。誰が属していても不思議ではない学園ながら、葵は少しばかり背を正す。
「ダアトの雨宮 祈羅だよ! よろしくね!」
雨宮 祈羅(
ja7600)は後輩が可愛くて仕方ないという様子で、葵に満面の笑みを見せた。
祈羅は初対面の相手に対しても気後れとは無縁の性格らしく、おいでおいで、と近くの椅子を引いて葵を招く。
「挨拶が済んだら本題だ。ジョブ説明……あくまでそれぞれ個人の感覚だ。 参考に留めてくれ」
圭が1枚の紙を席に着いた葵の前に置く。それは葵が事前に答えていたアンケート結果だった。皆がそれを覗き込む。
「そうですねー。アンケートとか見せてもらった限りでは、前線でバリバリ戦うというよりも軍師的な立ち位置が似合いそうだと思うのですよー」
かざねがお菓子を齧りつつ、ふむ、と結果を改めて見て意見を述べる。
アンケートを見る限り、前線向きの結果ではないというのは3人共通の認識だった。
「阿修羅は好戦的なジョブなので、お役にはあまり立てないかもなのですが……」
それでもそれぞれのジョブがどのようなものなのか把握するのも重要なことだ。かざねの阿修羅講座はじめますよー、の声に、葵が持って来たメモ帳を開いて書き留める準備をする。
「阿修羅は基本的にパワーが売りの前衛タイプだとおもうのです。 攻撃に特化しているので、前線を切りひらくということでも役立つジョブだとおもうのですよ!」
かざねが説明する脇で圭が葵から一度ペンを借り、アンケート結果の用紙を裏返して布陣を描いて行く。
前衛の位置を示し、ここが阿修羅に向くポジションだ、と示す。
「あと、移動とか、一般人をその場から遠ざけるスキルとかもあるので、俊敏性とか、周りの危険回避にも役立つ感じもあるんですよー。派手な技も痛快だし! 熱血ガチバトルを望むなら、阿修羅です!」
圭がペン先で示す箇所とかざねの解説を聞き、葵は幾つも頷く。
そしてかざねが「弱点は魔法だ!」とデメリットも熱く語る。圭が脇に弱点は魔法、と書き添えた。
「あー…、俺はインフィルトレイターだ。高い命中率で中距離・遠距離から物理攻撃を叩き込むクラスだ。回避や防御は前衛に比べると劣るから、距離感が非常に大切になる」
圭の持つペン先が、今度は後衛を示す。敵と想定する丸印との間の距離をペンを往復させて強調した。
「メジャーな武器は銃と弓。スキルは能力強化から、地味に便利なスキルまで多種多様。器用にそつなく色々とこなせる…いうなれば“戦場の便利屋さん”だな」
インフィルトレイターの特徴を掻い摘むと、圭は軽く呼気を逃がしてペンを葵に返す。
嘆息は歳の離れた葵と目線の高さが違い過ぎなければ良いという、心の中の僅かな懸念の表れだった。
「うちはダアトだけど、後でダアトの説明してくれる子がいるから、鬼道忍軍の説明をしとこうかな」
今度は祈羅が身を乗り出す。恋人のジョブが鬼道忍軍なだけあり、詳しく把握している様子だった。
先ほど書き出された布陣に矢印を引き、例えばここがディバインナイトで、とまずは未だ列挙されていないジョブの一般的な定位置と特色を言い添えながら説明を始める。
「その中で、ポジションはココ、って決まってないのが、逆に鬼道忍軍の一番の特徴かな」
俊敏性、隠密性。並べられる特徴に、このジョブについては、葵は深い頷きを返した。
鬼道忍軍に属する人物が闇に溶け、屋根の上から上へと駆け抜けた素早さは目の当たりにしたことがある。
「でもね、」
一通りのジョブを簡単に説明し終わった後、祈羅はかざねの持って来たお菓子を摘まみながら葵に微笑みかけた。
「阿修羅なのにスナイパーライフル装備して、なぜかインフィっぽくなってる子もいるし。インフィなのに近接攻撃で鋼糸使ってる子もいるし。ダアトなのにメイン武器がパイルバンカーで、物理専攻になってる子もいるし」
列挙し始めたらキリがない。
「実技で使ってる教室や進級してから使う予定の校舎を見学できるように手配しておいた。参考にしてみたらいい」
圭が再び頬杖をつきながら提案する。
「見て来てご覧よ。きっと阿修羅とかディバインナイトだとか、ジョブは決まってても、みんなそれぞれ違うから」
こうして葵は教室から送り出された。
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迎えに現れたのは亀山 淳紅(
ja2261)と神和 雪見(
ja3935)だった。
「高等部2年ダアト、亀山淳紅や。よろしゅうな、葵君!」
明るい関西弁で淳紅が人好きのする頬を赤らめた笑みと共に挨拶をする。
「ふふー、男子ダアトは結構少なくてなぁ、自分的には超期待」
そして葵とは面識のある雪見は微笑んで、葵に薄い冊子を手渡す。
「簡単にですが、それぞれのジョブの概略をまとめたものがあったので」
二人とも年上だが、垣根を作らず接してくれる淳紅と交流の多い雪見。
葵は心強く思いながらその冊子を受け取った。
早速、淳紅を先頭に購買へと歩き始める。
「皆さんのお話は聞きましたか?」
既に教室で幾つかのジョブについて聞いた感想を、雪見がやんわりと葵と歩調を合わせながら訪ねた。
彼女は葵が初めてこの学園に来て以来、寄り添い葵を気遣ってくれている。
「まだ…、実感までは行きませんが、それぞれの特徴は分かりました」
葵が思い出すのは、圭が描いた戦闘時の基本的な配置図だ。
改めて自分が答えたアンケート結果が、かざねの言うとおり自分の向き不向きのヒントになっているように思えた。
「そのジョブになった自分を想像してみたらどうでしょうか」
思案気な表情になった葵に、雪見が思考の道案内をするようにそっと提案を添える。
「雪見さんのジョブは、なんですか?」
ジョブについて訊ねたことがなかったことに気づき、購買がすぐそこまで見えて来たところで改めて問う。
「私はアストラルヴァンガードです。選んだ理由は仲間と共に戦い、守る力となればいいな、と思ったから」
見えて来た購買には、どこの学園にもありそうな数種のパンの陳列棚のすぐ近くに、様々な武器が置かれている。
大きな斧が壁に掛けられているのを見て、改めてここはそういう学園なのだと葵は唇の端を引き結んだ。
実感はないが、自分も一度、死にかけている。そんな経験者がこの学園には山ほどいるのだ。
否、実際に依頼で命を落とした者も―――。
「でもお恥ずかしい事に、戦闘依頼の経験はあんまりないのですよ…」
それでも、自分の経験値をそっと教えてくれる雪見に、どこか肩が軽くなる。
葵は、俯かずに購買へ踏み込んだ。
淳紅の案内で、近寄ったことの無い魔具の並ぶコーナーへと立つ。
「ダアトは、まぁ言うならあれや。“対魔法のスペシャリスト”って感じやな。ただ、物防も最初は一般人並に弱い、生命力も移動力も低い……、唯一強いんが魔法や! 基本は遠距離からの攻撃支援…ってとこやね」
淳紅は基本的なタイプのロッドを一本手に取ると、葵に差し出す。
葵にとって魔具に触れるのは初めての体験だが、刃物関連の武器よりもロッドは抵抗なく手に取ることが出来た。
幾度か手の中で握り、持った重みなどを確かめてみる。
「気持ちで決まらんかったら、魔具との相性で決めるんも一つの手やね。自分自身わからんでも身体は使い慣れたもんを自然に選んでくれる」
確かにそれは頷けた。ディアボロやサーバント……勿論、授業の資料で見たことはあるが、それらと対峙した時、手に刃物を持って直接刃を彼らの胴体に食い込ませている自分は想像がつかない。
けれど同時に、魔法攻撃というのも、ゲームのような平面の画面上のものしか想像がつかない。
「ほんなら、もう少し具体的に訓練所を見に行こか」
歌うように笑顔と共に提案する淳紅に、葵は頷いた。
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訓練所の中からは荒い息遣い、そして刃の競り合う音が絶え間なく響いていた。
扉越しからも緊張感が皮膚にまで伝わってくる。
鍛錬とはいえ中で行われているのは本格的な実戦を見据えての立ち合いだ。
中では、アーレイ・バーグ(
ja0276)が葵たちの到着を待っていた。
訓練とは思えない真剣な表情で刃を交え鬩ぎ合う生徒、スキルを行使して敵に見立てた相手の懐に瞬時に潜り込み拳を叩き込もうとする生徒。
恐らく阿修羅だろう接近戦を繰り広げながら、ショットガンを手にしている者もいる。
これほどの光纏状態で常人以上の力を振るい、敢えて相手の死角を突き、紙一重で身を躱す……そんな光景は見たことがなかった。
購買で見かけたものより重く、そして使い込まれた斧が何度も風を切る。
葵はその光景に圧倒された。正直に告白すれば、足が竦んだ。
そして淳紅が説明していたように、炎を一直線に迸らせ突破口を開く生徒もいた。
――――炎。
実際にその炎が此方まで届くことはない。熱波だけがごうっと駆け抜け、皆の髪を揺らす。しかしその時だった。
竦んだ足を引きずってでも、意地でも、守らなければ。
そう物語るように葵は動き、反射的に足が雪見の前へと出、身を挺して雪見を庇おうとする。
その原動は、記憶の片鱗か。
雪見は自分の前へと踏み出した葵の細い背中に驚き、そして気づいた。
葵の指先は震え、それに負けぬようにと拳を握っている。
その一連の様子を冷静に見届けてから、アーレイは葵へと向き直ると口を開いた。
「そもそも、撃退士にならなければいけないなんて義務はないんですよ?」
アーレイが第一声から口にするのは、核心を突く一言。
「撃退士は非常にブラックな職業です。学校にいる間はお給金は無いようなものですし、死亡率も極めて高いです」
それでも撃退士になりたいというなら止めはしませんが、と言葉を繋ぎながら、アーレイは肩を竦めた。
「貴方はこの学園に来てたったの半年です。つまり半年分の学費を返納すれば足抜け出来ます。きちんと勉強して高校に受かれば、高校までは施設が面倒を見てくれますし、高校卒業して就職すれば学費の返納は大した額ではないですから、普通に幸せな人生が送れます」
戦うのに向いていないのは、教室での説明でも、そして購買でも、そして正しく今、ここでも実感した。
葵はそこで自分の指先が震えていることにも気づき、爪を掌に食い込ませて拳を固める。
「どちらが良いか、考えるまでもないと思いますが」
アーレイの敢えて覚悟を試す問いかけに、臆している自分が悔しくて仕方がない。
せめて声が震えないようにと、唾を飲む。不恰好になっても、息をゆっくりと吸う。
もう臆すな。臆すな。悔しい。前を向け。
たくさんの覚悟を見てきた。たくさんの思いやりに触れた。もう、自分の番だ。
「それでも、守りたい人たちが、できたんです」
雪見がそっと、葵の背中をさすった。
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教室へ戻る頃には、廊下はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「ダアトは確かに…、その場で‘守る’ことには、至極向いてへんジョブかも」
寂しそうに、淳紅が呟く。
赤く染まりやすい彼の頬も、葵の頬も、皆今は夕陽のオレンジに染まっている。
「自分を庇って、一緒に依頼をこなす人が倒れたことも何回かあった。そんな時でも、ダアトができるんは“相手を攻撃すること”や」
自分の心の内側をなぞるように、切なげな響きが靴音と共に廊下に響く。
やがて元の教室が見えて来た。淳紅が自分の気持ちごと切り替えるように、勢い良くその扉を開く。
そこにはまだ全員が残ってくれていた。
「おかえりー。まー座って、座って」
祈羅がまた笑顔で椅子を引いて招いてくれる。
「疲れた時はお菓子です!」
かざねが幾つめか分からないマドレーヌを美味しそうに齧りつつ、葵にも差し出す。
葵は様々なことに直面した分、疲れを取り繕えずに引いてもらった椅子に崩れるように座り、マドレーヌを受け取った。
その様子に、実際の場所を見て回って来た疲れと同等の収穫があったのだろうと皆が察する。
「お疲れ様」
圭が労いの言葉と共に、葵の前にジュースの缶を置いた。
気付けば喉はカラカラだった。礼を述べると、プルタブを引いて直ぐにそのジュースを喉を鳴らして飲む。
半分ほど一気に飲んで、そしてどっと、息を吐き出した。体の隅々まで染み渡っていくようだ。
年相応の葵の一面を見て、自然と圭から笑みが漏れる。
「頑張ってきたみたいだな」
葵は気持ちを表す言葉を直ぐには見つけられずに、それでも圭に笑み返す。
手応えはあった。最初にこの教室で説明されたことがどういうことなのか、目で見て確認も出来た。
「何か、気になるものはありましたか?」
急かさないおっとりとした声で、雪見が訪ねる。
結論を急ぐより、後悔をしないように考えて欲しい。その過程も、経験も、きっと尊い。
祈羅がそんな想いに同調するように口を開く。
「葵ちゃんは急ぐ必要ないと思う。ジョブ決めても、可能性はたくさんあるんだし」
相変わらず後輩が可愛くて仕方ないという笑顔を浮かべる。
そして祈羅はかざねと視線を合わせると、共に口角を上げ、
「“Think out of the box”、ジョブで自分の可能性を限るなって話!」
二人でどっさりと、紙の束を葵の前に積んだ。
「今までの報告書です」
かざねは自分自身の過去のもの、祈羅は友人たちの様々なバリエーションの報告書を掻き集めておいたのだ。
突然の紙束に目を丸くする葵の肩を、淳紅が元気良くポンポンッと叩く。
「悩めるときにいっぱい悩む! 頑張れ、青少年っ♪」
今日一日で体験したことを零さないように、ちゃんと全てが身になるように。
先を歩む人たちが、集め、一つ一つ示してくれる道標を見落としてしまわないように。
疲れこそ滲んでいるものの、葵の返事は先輩たちの前ではっきりと頷いた。
「はい。たくさん、悩みます」
こんな人たちを、守れるジョブにつきたい。
気持ちは固まり始めていた。