●日暮れ
館は夜の帳と蔦に抱かれ、撃退士たちを待っていた。
勝手口側の門前には残された庭師のワゴンの他に、通報を受けた警察と、救急車が二台来ている。
「こんな蔦は一刻も早く駆除したい所だけど、まずは救出からだね」
高峰 彩香(
ja5000)がペンライトを片手に暗さを増してゆく空を見上げる。
皮手袋を嵌めながら、〆垣 侘助(
ja4323)が頷き庭へ足を向ける。庭師の家に生まれた彼にとっては、暗がりの中でも庭の方が動きやすくすらあるだろう。長身のネコノミロクン(
ja0229)がそれに続く。
三人は門扉を潜ると塀伝いに庭へ向かった。
「ボクたちも行きましょう」
女子と見紛うような清清 清(
ja3434)が長く手入れの行き届いた青い髪を翻し、勝手口の中へと視線を転じる。
月島 祐希(
ja0829)にとって京都で繰り広げられている大規模な作戦に向かった以外では、これが初めての依頼だ。決して口には出さないが、胸の内でひとを救える撃退士になるのだという想いが一層強まる。それに続く黒百合(
ja0422)はこの中でも一番若く華奢な少女だ。
警官らは自分の子供と歳の変わらない若い撃退士たちにひっそりと戸惑いの視線を送っていたが、門を潜り館の内部に向かう三人の足取りに迷いはなかった。
●館
普通の個人宅の玄関よりも広い勝手口を入る。この辺りは電気系統も生きており、明るい。
「この辺には蔦はないわねぇ」
黒百合が手近な蔦の見受けられないドアから開けて行く。キッチンは夕餉の支度の途中だったらしい。野菜がまな板の上で途中まで切ってあった。照明のついていない部屋には、手にしたライトで時子が逃げ込んでいそうなテーブルの下などに光を射し込み、彼女がいないかを確かめる。
部屋を確かめながら廊下を歩き進めて行くと、やがて正面玄関に辿り着いた。
「…蔦が出て来たな」
祐希が呟く。そこは煌々と灯りが点き、館に見合うだけの豪奢な大理石の床や品のある花瓶があった。ただし、床は半分近く蔦で覆われ、玄関の扉も開いたまま一面に蔦が絡まっており、花瓶は既に倒され花が散乱していた。
蔦を辿り、玄関の奥の二階に続く階段ホールを清が見上げる。
「二階へ行ってみましょう」
蔦は階段の手摺や端にも絡みついていた。赤い絨毯が所々棘で裂けている。なるべく蔦を避け、階段へ足を向けた。一歩階段の踏面に足裏を置くと、さすがに館が古いため、ぎしりと木が鳴りそうな感触が伝わってくる。
ず、る。
それに反応したのか、近くの蔦が僅かにうねった。それでも幸いに絨毯が足音を吸い、大きな足音にはならない。蔦はずる、ずる、と微かに前後に蠢くだけで、蔦を避けて足場を選ぶ三人の足までは辿り着かなかった。
二階は、暗かった。
そして壁という壁、天井という天井に、蔦が幾重にも覆っている。
階段の吹き抜け部分の灯り以外に光はない。
手にしたライトの光が、ぐるりと回り、やがて暗い廊下の奥を射す。
三人を招くように、蝶番の軋む音がする。
一番奥の部屋の扉が、蠢く蔦に揺らされていた。
●庭
庭へと入った一行も、持参したライトのスイッチを入れた。
木々もある庭は、屋敷の周りの街灯からの灯りも遠く、一際暗い。
(ん…良い庭だ)
それでもライトを射し、木々の配置、歩く者の目線を考え植えられた植物の高低差を一望すると、侘助は庭が蔦に浸食される前の光景を思い描いた。今は蔦と闇に侵されていても、同じ庭師の目から見ればどれだけ緻密に季節ごとの彩りまで含め計算して作られ、愛されていたかが分かる。
「村上さん、時子さん」
細かな砂利を敷き詰めた小路を踏み、ネコノミロクンが声を掛けながら目を凝らす。彩香も足元や物陰へと細心の注意を払いながら、その声に反応がないか耳をそばだてた。
すると煉瓦を積み上げた花壇の一角に、ほんの数本の蔦先が見えた。彩香が花壇に立てられた品種を示すプレートへと光をあてる。
秋薔薇だ、と侘助が品種名を見て短く告げた。その言葉通り、花壇の中に今は花はなく、あるのは土だけだ。
この秋薔薇の蔦でないなら、例の蔦か。
彩香が蔦を辿って灯りを滑らす。蔦の根元は遠いようだ。そう確認すると、しゃがみ込み、ライターの火を近づけてみた。普通の蔦ならば火から逃れる術などないが、この蔦の先は熱を近づけられると、ずる、と僅かに後退した。
蔦が生きている。
この蔦だ、と全員が確信を持つ。
彩香は更に蔦を辿り、もう少し蔦の太い部分に火を近づけてみた。するとやはり熱は探知するらしい。再び蔦は逃げたがるように蠢く。しかし蔦に直接火を当てても燃えることはなかった。
「やっぱりただの火じゃ燃えないみたいだね」
蔦の性質を把握すると立ち上がり、彩香は蔦の這って来ている源の方へと視線を投げる。
自分たちが見つけたのは、蔦の流れから枝分かれした細い末端のようだ。
三人は捜索を再開した。次第に蔦の太さも本数も増して行く。
やがて、屋敷の正面玄関に繋がる大きな通路に出た。
下の砂利が見えないほどに、うねった蔦が路を覆い尽くしている。時折蔦の下で砂利が擦れる小さな音がする。
「薔薇は敷地外に出るつもりはないのかな? 迷うことなく屋敷に向かっているようにも見えるけれど」
蔦は開いた正面玄関のドアまでずっと続いている。律儀に玄関から入るなど、やけに人間臭い蔦だとすらネコノミロクンは思う。
「片方は正面玄関で、もう片方は……。あっちは暗そうだね」
正面玄関とは反対の蔦の先を辿り、彩香が庭の隅へとライトの光を向けた。花々というよりも木々が多い一角だ。ライトの光も幹に当たってしまい、奥まで届かない。視界が悪い。
何故、蔦はそんな場所に伸びている?
全員の足取りが自然と早まった。
蔦が、その振動に反応してうねる。
ネコノミロクンの夜に溶けそうな暗い金髪が、風もない中で宙に靡いた。
「生命反応あり! あっちだ」
場所さえ絞れば、ネコノミロクンにとって生きる者を見つけるのに視界など必要ない。
木々の奥、真っ直ぐに見つけた命の在り処を指差す。
居場所さえ分かれば早い。彩香がその方角を目指し踏み込む。
すると木がざわめいた。否、正しくは、木々に巻き付いていた蔦が一斉にうねった。
垂れた蔦が、行く手を阻み壁を作ろうとする。奥がいっそう暗く閉ざされていく。けれども確かに、その奥に、蔦に身を取られ幹に身体縛り付けられた村上の姿が見えた。
彩香が苦無を握る。その指先が赤みがかった金の光を纏う。
「邪魔な蔦は全部まとめて薙ぎ払うよ!」
迫る蔦を苦無が薙ぐ。そして行く手を遮ろうとする蔦の壁に向け、意識を据える。
苦無の纏う光が濃く、大きくなってゆく。
炎が風に乗り乱舞するかのような強い一撃を放つ。何本もの太い蔦が耐えられずにぶちぶちという音を立て、引き千切られて地に落ちた。それでもさらに次の蔦が伸び再び行く手を塞ごうとするが、侘助が皮手袋越しに蔦を掴み、苦無で掻き切る。更にネコノミロクンがサバイバルナイフで引き裂く。
その間にもう一度彩香の握る苦無には強い光が満ちていた。もう一撃、今度は村上の近くの太い蔦の束へと向かい、衝撃派を叩き込む。先ほどよりも大きな千切れて裂ける音がする。
蔦が伸びる速度が遅くなり、道がこじ開けられた。
その瞬間を見逃さず、三人が庭師の縛り上げられた木を目指し駆け込む。
「村上さん!」
蔦は村上の肉体に沈み込むほど強く巻きつき、服を裂き、皮膚の下のじくじくとした場所へ棘を食い込ませている。村上の意識はない。手足は弛緩仕切っている。それどころか蔦が動くのに合わせ筋肉が引き攣れるのか、蔦が動く時のみ、手足が微かに揺れた。
それでも生命反応はあったのだから生きている。ネコノミロクンは確信を持って彼の命を繋ごうと呼びかけた。枝の隙間から零れ落ちて来たかのように、ネコノミロクンの癒しの光る羽が舞い降りる。
その間にも、蔦が再び村上を奪い返そうとうねり出す。
侘助が苦無を振るいながら口を開く。
「蔦は、屋敷に一直線に向かっていたんじゃないな…棘の向きから見て、この庭師を追いかけて来たんだろう」
「だから、玄関から――――」
玄関を通るなど、棘の這うルートが人間臭い、と感じて当然だったのか。
蔦は、階段を降り、玄関から逃げ出した村上を、此処まで追って来たのだ。
「これだけの蔦全部に対処してはいられないね。早くその人を運び出そう」
彩香は再び、苦無を光らせ退路を切り開いた。
●時子
扉が閉じられないほどの大量の蔦が部屋から這い出していた。
廊下とは比べ物にならない。
そこに、蔦を切り裂きながら館の二階へ上がった三人は踏み込んだ。
室内を素早く斜めに走り、様子を探るライトの光。
もはや蔦に覆われ小花をあしらった壁紙も見えない。
小さな慎ましいシャンデリアも、一輪挿しも。幾重にも絡みつかれ輪郭を失っている。
何もかもを飲み込んで縦横無尽に巣食う蔦。
それが、どくん、と一定のリズムで波打っている。
部屋ごと、鼓動のごとく脈打っているかのようだ。
充満する植物独特の緑の匂いと、血液の匂い。
何処かに蔦の根元があるはずだ。
足場を選ぶ余地の無くなった今、踏み潰す覚悟で清が部屋に踏み込み更にライトを向けると、その手を狙い蔦が鞭のごとく強くしなった。
「棘程度で、怯むはずないでしょう」
ライトを手放すはめになったが、代わりに清はその蔦を避けもせず自ら鷲掴む。引き千切る。
祐希がトワイライトの淡い光を生み出した。
浮遊する灯りの下に浮かび上がった光景。
これは、助けられない。
全員がそれを悟った。
どくん。
時子の肉体は、庭を一望出来る窓の直ぐ傍らの壁に右肩を預け、寄りかかっていた。
どくん。
正しくは、壁に蔦で磔にされていた。
顔面の内側にも蔦が這っている。皮膚の下の血管が浮き立つかのように細い蔦が透け、頬の皮膚を内部から裂いた棘が端を覗かせている。顎が外れた口から、そして眼球があったはずの二つの目の窪みから太い蔦が這い出し、壁へ、天井へ、そして三人の足元へ、ゆっくりとゆっくりと、棘のある毒々しいほどに艶やかな緑の蔦を伸ばし続けている。
そして何より、時子の白いワンピースを裂き、左胸が露わになっていた。
乳房の原型はない。内側から外へとへし折られた肋骨が突き出ている。その奥に、心臓が見えた。
どくん。どくん。
今も動いている。
ただし、一つ鼓動をする度に、其処にびっしりと根を生やした薔薇の根は嬉しげに養分を吸い取り脈打ち、室内の蔦もそれに合わせて波打っていた。
完全に寄生している。もう助けられない。
始末しなければならない。
清は瞬時に時子だった存在を排除対象へと切り替えた。
その横で黒百合が呼気を漏らす。
ふ、ふふふ。もうここに守るべきものはない。いるのは喰らって良い獲物だ。
「ふふふぅ、花を咲かせる事も無く散り果てないさいよぉ…!」
金の瞳を愉悦に輝かせ、一気に光纏する。
「二階の一番奥、…本体はこっちだ、寄生してる!」
祐希は直ぐに外の三人に連絡を投げた。もう時子は助からない。薔薇の養分でしかない。
せめて庭師は無事でいてくれと願い、片手に六花護符を握る。
一直線に時子本体へと狙いを定める黒百合。その行く手を遮ろうとする蔦を祐希は護符から生み出した光で穿ち、援護に回る。しかし蔦の鳥籠内にいるようなものだ。蛇が頭をあげるかのように床から身を起こした蔦が、祐希の足に寄り添い、そして棘を立てながら、その身に強く巻きついた。二本、三本と螺旋を描き祐希の身体を締め上げに掛かる。
「……ッ」
瞬く間に締め付けは強くなる。骨が軋む。肺が潰れそうな痛みを覚える。
更にもう数本の蔦が床から頭をもたげ、大きくしなる。繰り出されるのは鞭の一撃。
「吹き荒ぶ北風も―――、」
それを防いだのは清だった。蔦と祐希の間に割って入りながら詠唱と共に左腕を青色に輝かせ、北風と太陽の画が浮かび上がったアイアンシールドを翳す。鞭を全て受け止め、跳ね除けた。
「趣味の悪い庭園を作ったこと、脳味噌あるなら悔いやがれ。……なのですよ」
言い放ち、そして祐希に振り返りざまにみせたのは笑顔だ。
守って見せる。仲間すら安心させたいという想いがあった。
祐希はその清の笑みに込められたものに、ぐっと歯を食いしばった。
これが初めての依頼に等しい。それでも覚悟ならば祐希にもある。
鞭の攻撃を清の盾が防ぐ間に、食い込む棘の痛みと戦いながらも、サバイバルナイフの柄に手を掛ける。
身動きをとれば棘が食い込む。そんなもの、知ったことか。痛みを堪え、自らの手で、蔦を切り裂く。
清の盾に守られながら、再び六花護符を握りしめ黒百合の背を確かめた。迫る蔦を撃ち落とす、援護。
喰らえ―――、少女は黒髪だけでなく一瞬黒い焔まで纏い、笑みながら時子の心臓に獣の牙を剥いた。
まるで慟哭のような勢いで炎が生まれ、時子の心臓へ一直線に奔る。
「あはははぁ! 熱い、熱い、熱いぃ!? 植物に痛覚や断末魔を上げる口が無いのが残念だわぁぁぁ!!」
黒百合の言うとおりだった。悲鳴も、何一つなかった。
ただ、時子の腕が一斉に枯れて行く蔦に引き攣れて持ち上がり、……白い指先が窓ガラスを撫でた。
愛しい人を、求めるかのように。
●庭師
蔦という蔦が朽ち果てる。
それが雄弁に終焉を伝えた。
再びそれぞれは裏の門へと集まる。
失血も激しかった村上は、ネコノミロクンに付き添われ、そして救急隊員に引き渡された。
意識はなかったが、時折唇が動き、何かを発しているようだ。
時子を想うのだろうか。恐れているのだろうか。
「薔薇の花言葉は、あなたを愛する、らしいですよ?」
清はそっと担架の上の村上に、柔らかな微笑みと共に囁く。
時子は右肩を壁に押しつけていた。蔦が朽ち果て壁から剥がれ落ちると、其処には壁に爪でもがいた跡もあった。
時子の肉体に宿り這い出した蔦の力に従うなら、時子の身体は壁を背にしていたことだろう。それでも彼女は身を壁へと向けようとしているようだった。
少しでも村上から蔦を遠くへ。早く逃げて。
意識の持つ間、時子がそう抗い、扉へ背を向け続けたからのように見えた。
もしくは最後まで、庭を見たかったのだろうか。
喰らう村上の背を見たかったのだろうか―――。
「さ、戻ろうか!」
大きく息を吐き、彩香が言った。夜はもう深い。
「ん…いや、皆は先に帰ってくれて構わない」
侘助だけが、それに首を横に振る。元の状態に戻そうと、荒らされた夜の庭へ戻って行った。
きっとまた薔薇は咲き、これからもここは薔薇の館と呼ばれるだろう。