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「子猫、マジマジと見ンのは初めてだがよ…。随分と、ちまっこいモンだねェ?」
毛布が敷き詰められたダンボール箱の中を覗き込んだ仁科 皓一郎(
ja8777)が呼気に乗せて呟く。
言葉の通り、体温を求めて寄り添うその3匹の身体はあまりに小さい。
(責任を持って保護をしないとな……)
実際の子猫を前に、水簾(
jb3042)はその儚さと世話をする責任を痛感した。
(……こんなか弱い生き物…魔界にいれば、一日と生きていけないだろうに)
弱肉強食。階級よりも力がものをいう。ギィ・ダインスレイフ(
jb2636)のいた世界はそういう場所だ。
ギィはこの依頼を受けたものの、この小さな命を守る方法など知らなかった。
眼を離したらいけないのだろう。
手を尽くして世話をしなければならないのだろう。
しかし、具体的にはどうしたら良いのか。
「さて、にゃんこのお世話しますか!」
そこに頼りがいのある明るい声を発したのはルーネ(
ja3012)だった。
「また猫の世話をするとは……」
その隣で凪澤 小紅(
ja0266)も呟く。
こんな生まれたてではありませんでしたが、と言葉を足すが、二人とも別の依頼で猫の世話をした経験者だ。
経験者の存在に、他のメンバーの肩から少し力みが抜ける。
「俺にはどうにも似合わねぇが、ま、無闇に物騒なのよりは良いってもんだな」
初対面では粗野な印象の拭えないガルム・オドラン(
jb0621)も、無意識の内に詰めていた息を緩やかに吐いた。
癖で指が煙草を求めてポケットへと伸びそうになるが、その指先を僅かに泳がせた後握りこむ。
それを見つけた皓一郎が禁煙組か、と仲間を見つけて笑った。
「もう少しダンボールを貰って来よう。世話をする時に下が汚れても良いように。それからストーブもあると良いな」
適確に方針を示す小紅の口調には、温みと意志が籠っていた。
「酒場の裏に大量にあったな。あれ貰って来るか。ストーブも運ぶのはやる」
ガルムが直ぐに腰を上げる。
武骨な指先は未だ子猫の触れ方を知らないが、物を運ぶだの、力仕事は引き受けるつもりだ。
彼らは経験のある小紅とルーネを分けた2つの班を作り、1日ごとに交代で猫の世話と里親探しをすることに決めた。
小さな命が、消えないように。
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やるべきことは山積みだ。
湯たんぽにもミルク用にも、湯を何回も沸かす。
夜行性に合わせ、夜中に何度もミルクをやらなければならない。
更にミルクをやるだけでなく、ゲップや排泄を促してやるところまでで1セットだ。
そして母乳を満足に吸えなかった子猫は免疫力が低い。
確りと室温や衛生面には気を付ける必要があった。
その他に里親探しという全く別の作業もある。
「動かないで〜……そのまま、そのまま……!」
ルーネがデジカメを構え、床に這いつくばったり、かれこれ30分はじりじりと子猫と対峙していた。
シャッターを押すタイミングに視線をずらしたり、なかなかコレという写真を撮らせてくれないのだ。
里親募集のビラに載せる写真なのだから、ちゃんと撮ってあげたい。
ルーネは根気良く撮影し、満足のいくものが撮れる頃にはすっかり疲弊していた。
しかしここで力尽きている場合ではない。
「ポスターとビラ作ってきます!」
気合を入れ直し、学園にパソコンを借りに寮を出る。
校舎への緩い坂道を登りながら、悪戦苦闘の履歴を1枚ずつ見て行く。
この写真はこの子が顔を隠しちゃってる。
この写真はこの子が少しぶれてる。
上手く撮れていない写真ばかりが大量に続く。
それと同時に、1枚見るごとに、胸につもって行くものがある。
使わない写真を消そうとしていた指は、結局それをしなかった。
「……よし!」
最後に粘り勝ちで撮った1枚が表示され、ルーネは顔を上げる。
この写真をメインに、里親募集の文字を大きくして、飛び切り目立つようにしよう。
その下には注意事項を確り書き込まないと。
年齢や、引き渡し時期、引き取り手への条件。立候補してくれるなら誰だって良いという訳じゃない。
この子たちをちゃんと大事にしてくれる人に、巡り合わせてあげるんだから!
頭の中で構成を組み立てながら、ルーネは紅い髪を弾ませ校舎の中に入って行った。
「……君は、上手くミルクを飲めないんだな…」
夜。水簾が掌にブチの1匹を抱き、心配そうに呟いた。
時計は深夜2時を過ぎたところだ。寮内も静まり返っている。
1匹、特に哺乳瓶を上手く咥えられず、顔を汚すばかりの子猫がいた。
何度も拭ってやり、また哺乳品を口元に導いてやる。
夜中でも鳴かずに寝ている時はミルクを与えなくて良いらしい。
逆に、みぃ、みぃ、と今も鳴き続けているということは、腹は空いているのだろう。
それを裏付けるように子猫は母乳を求める仕草で、水簾の手を何度も小さな手で押す。
尖った爪がチクチクと水簾の白い手に傷をつけた。
痛みは構わない。それより、同じ班になった小紅のアドバイスで指にミルクを垂らしてみるなど努力を続ける。
それでもなかなか舐めてくれない。
「定期的に獣医に連れて行こう。この子は食が細いし、注意しないといけないな」
メンバーの中で的確な指示を出す小紅も、流石に心配げに眉を顰める。
「お前たちは良い飲みっぷりだったのになァ」
他の2匹は食欲旺盛で、自分の分を飲み終わってもなお、もっとくれと鳴いている。
湯たんぽの湯を入れ替えた皓一郎が、俺も煙草我慢してンだ、と冗談交じりにその2匹を宥める。
熱すぎないかを確かめてから毛布で包み、2匹の脇に置いてやった。すると普段から一番動く黒猫が皓一郎の指に額を押し当てて甘えてくる。こいつなら撫でるくらい大丈夫だろうか。皓一郎は掌の上によじ登って来るのを受け入れた。
「お前は良く動くモンだねェ…見てて飽きねェわ」
一緒に生まれた兄弟の中でも個体差があるのは当然のことだ。
この3匹の中では黒猫が一番逞しい。そしてブチの片方は弱弱しい。
水簾は何度も指にミルクを垂らし、舐めさせようと努力した。
「―――頑張れ…」
やがて、ざらり、とした微かな感触が指先に触れる。
初めは一回だけ。それから少しずつ、不器用だが舌先を出す事を覚えてくれる。
「……可愛い…」
堪らない安堵と共に、思わず呟いてしまう。
「その、猫とかの小動物は好きなんだ」
水簾はそんな自分の一面を照れ隠しで誤魔化すように、メンバーと共有することにした猫のお世話ノートに、細かくこの一番頼りない猫の事を丁寧に書き込むのだった。
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ビラとポスターが出来上がり、メンバーはそれぞれ動き始めた。
ルーネ自身、猫好きへのアピールに自分の頭に愛猫を乗せてビラを配った。
ギィは学園を出て町へ足を伸ばした。目的はペットショップだ。
彼の今までの人生を思えば縁など無いに等しい場所。それでも、ビラを持ち直すとその扉を開く。
目映い透明なガラスケースに、ころころとした子犬や子猫が何匹もいた。
安心しきって眠っている子犬もいれば、おもちゃに夢中な子猫もいる。
「いらっしゃいませ」
ギィは普段から口数は多くない。愛想が良いという部類でもない。
それでも店内に視線を巡らせ、レジの近くに今まで売れて行ったペットたちや同じく里親を募集している動物の写真があるのを見つけると、雄弁ではないがその口を開き、ビラを置いて欲しいと頼み込んだ。
店員は「力になれるか分かりませんが」、と前置きをした上で、ビラを受け取った。
そしてギィに、待ってくださいね、と声を掛けると、小袋を幾つか入れ、ビニール袋を差し出した。
「子猫用の餌の試供品です。まだ食べられないと思いますけど、良かったら持って行って下さい」
サンプルはドライフードだった。思わず子猫用と書いてあるのを確かめてしまう。
記憶にあるあの子猫たちの口より、一粒一粒の方が大きいのだ。
ミルクさえ上手く飲まないと、ノートに書いてあった。
いつかこんな大きく硬いものが食べられるようになるのか。
ギィには子猫の成長を具体的に想像出来なかったが、礼を言って受け取るとペットショップを後にする。
外に出ると驚くほど寒かった。
背後で閉まる扉の気配に、店内が温かかったのだと気付く。
整えられた室温と、耳端が痛む外の冷たい風の落差。
あの子猫たちはこの厳しい寒さの中で生み落とされた。
風を遮るガラスケースなどあの子猫たちにはなかった。
元気に溢れ、じゃれて遊ぶ姿は、未だ想像もつかない。
命の灯は、奪うのは容易くも、育むのはこんなにも難しいのか。
放っておいては消えてしまう。誰かの手が必要なのだ。
それがこの手なら―――。
風の冷たさを感じれば感じるほど、次のあてを探して歩くギィの足取りは普段よりも早いものになった。
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小紅は動物病院で経過を見てもらう為なら自腹を切って経費を払う覚悟をしていた。
しかし幸いに、拾って来た張本人や寮生、そしてメンバーの努力の甲斐があり、里親探しをしている話を聞きつけた学生などのカンパが日を追うごとに集まり始めた。
一見、依頼でもなければ共通項を探す方が難しいようなメンバーが揃ったのが、逆に幸いしたのだ。
ガルムは歳に見合い、酒場や大学部で里親の話を広めた。皓一郎は効率的に駅前など人の多い場所を狙い、スキルで注目を集めた上で紳士的な振る舞いを見せビラの束をあっという間に配っては追加してみせた。
個性豊かなメンバーだからこそ、様々な場所と人脈にビラを配れる。
お蔭で、カンパで集まった久遠で定期的に動物病院に通うことが出来た。
もちろんここにも小紅が頼み、3匹のポスターが貼られている。
「うん、体重が軽い子もいるけど…、標準の範囲内だ。みんな順調だね」
細かい様子を診てから獣医が頷くと、小紅と水簾がほっと肩から力を抜く。
すると獣医は水簾の手に細かい引っ掻き傷があるのを見つけた。
「子猫は母猫のおっぱいを飲むときに手で押して、母乳を出やすくする習性がある。随分やられたね」
それだけ水簾が熱心にあの食の細いブチ猫にミルクをちゃんと与えていた証だ。
獣医は水簾の手に一匹を乗せた。
水簾はそっと両手で大切に抱く。
子猫たちを抱くのは随分慣れた。最初よりも掌に重みが掛かる。
目鼻立ちもはっきりし、ルーネが先日写真を撮り直したくらいだ。
その時は以前にも増して動くようになり、動かないでと懇願する彼女と手伝いに苦戦するギィに皆で笑った。
成長していると実感する。
まだ小さいが、出逢った日から比べたら、大きくなってくれた。
「爪の切り方を教えるよ。いいかい、神経に気を付けて……」
獣医の指導を受ける小紅と水簾の瞳は真剣そのものだ。
気を抜いたらいけない。
この子たちの家が見つかるのはもうすぐかも知れない。まだかも知れない。
どちらにしても、責任を持って守ると決めたのだから。
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「良い立候補が出たぞ」
とうとう良い里親を見つけて来たのはガルムだった。
今までも立候補はあった。しかし気の強い犬を飼っていてこちらから断ったり、世話の内容をじっくり説明すると向こうから辞退するなどの繰り返しだった。
それでもガルムはビラを配ったりするのは得意でない分、小まめにノートを確認し、分かって来た猫たちの個性やルーネに世話の方法を確りと聞いた上で、里親を探していたのが良縁を引き寄せた。
全員に召集が掛けられ、寮の部屋で相談する。
黒猫は今日も皓一郎の手によじ登りたがっている。一番小さなブチはギィの膝の上でぐっすり寝ている。
「どんな家族構成ですか? ペット可の住まいかな」
ルーネが里親の条件を訊ねるのを、やっと子猫の扱いに慣れたガルムが元気なブチを抱き上げて答えて行く。こんな子猫をあやしている姿をガルムの旧友に見られたら笑われそうだ。
「商店街に、布団屋があるだろ」
もうすぐページが終わるノートを捲っていた水簾が、思い当たって手を止めた。
一軒家で自営業。その為家を空けることも殆どない。過去に猫を飼い、出産に立ち会った経験もある。
看板猫が寿命でいなくなってから、もう随分経つんだけどね、ずっと寂しくてねえ。
そうガルムに語った中年の店主も、その家族も、皆温かそうな人柄だった。
「――面接に来てもらおう」
話をじっと聞いていた小紅が決断する。
条件は揃ってる。あとは猫との相性だけだ。
すっかり慣れた猫たちは、チビでさえギィが貰って来たドライフードも、ふやかせば食べられるようになって来た。
猫たちの準備も整いつつあった。
●ありがとう
水簾は、最後に一匹ずつ丁寧に爪を切ってやった。
いつの間にかメンバーの中で水簾が一番爪切りがうまくなっていた。
子猫たちがいつも安心して眠る愛着のある毛布を、小紅が毛を払って畳む。
ギィは残っていたドライフードのサンプルを袋に纏める。
ストーブを戻す場所をガルムが確認する。
皓一郎はシャツの袖を捲り部屋のダンボールを片づけていた。
あのあともう一軒、里親が見つかり、それぞれの猫の行き先はすべて決まった。
黒猫は皓一郎に貰われて行くことになった。懐いていたのを知っているメンバーから異論はなかった。
だから、今日で最後だ。
ふと、残ったビラを整理していたルーネが手を止める。ビラの写真を黒い瞳が暫く見つめる。
それから弾かれたように動き出して、自分のカバンを引き寄せると中を漁った。
取り出したのはあの悪戦苦闘を強いられた時のデジカメだ。
「皆で写真撮りませんか!?」
デジカメには出逢った時からの子猫たちの写真が1枚も消されずに残っている。
最後を飾るのは、今回も飛び切りの写真が良い。3匹揃うのはこれが最後なのだから。
シャッター押してください!と呼びつけられたのは良知だ。
「なんだか家族写真みてーだな」
デジカメを構えてディスプレイを覗くと、思わずそんな感想が零れた。
猫を抱き上げ、毛布や、ノートや哺乳瓶もそれぞれが持つ。
またブレた、もう1枚だのと賑やかな撮影会も、やがて全て終わる。
「…俺も、猫を飼ってみるか、な…」
ギィの呟きを残し、部屋の扉は静かに閉まった。
後日、ルーネが全員にその写真を送信した。
ノートを持ち帰った水簾が、最後のページにそれを貼ったのは、寒さの和らいだ日のことだった。