●noon
それは恋人達の願いか、それとも女神の計らいか。
冬の空は天色に澄み渡り、白花色の雲が細く流れる。――快晴。
「よっし、お姉様の頼みなら希頑張っちゃいますねぃ!」
「怪我はするなよ、優希」
縦巻きロールのリーダー帶刀・ローザには前回お世話になった為か、大張り切りの大崎優希(
ja3762)と、それを見守る鳳 静矢(
ja3856)。
こちら冷製スイーツ班。
まずは薄力粉を篩ってバターや卵を混ぜ混ぜ。オーブンにシュー生地を入れたら後はお任せ。
その間に、生クリームに苺ジャムを混ぜてホイップすればあっという間にピンク色の生クリームがボウルに溢れる。
「あれ、なんかクリームできるの早い?」
かくりと首を傾げるのは、一緒に作業していた七海 マナ(
ja3521)。
「ジャムを混ぜると簡単なのですゆー♪」
へぇぇ、と感心しながら、マナは湯煎したチョコレートに生クリームを入れガナッシュを作り始める。
作るのは先日覚えたばかりのトリュフだ。ガナッシュの一部には砕いた胡桃を入れ、冷蔵庫へ。
固まるまでは1時間。――静矢さんとこでも遊びに行こうかな。
揚げ鍋の前で、静矢は悩んでいた。
ドーナツの生地をケーキミックスにするか、強力粉で1から作るか、を。
「一長一短だな…。手軽で安上がりか、完全手作りか…よし」
「静矢さん、相変わらず主夫だねぇ…」
後ろからひょこと現れたマナは、ケーキミックスに手を伸ばした静矢を見て苦笑した。
外見からは中々想像に難しいが、料理が得意な静矢はさくさくと手を動かす。
「誰でも作れる物の方がいいと思ってな。母親の味と言う奴だ」
成程、定番メニューとはそういう物かもしれない。
逆に『数量限定』に弱い人にお勧めなのはカルム・カーセス(
ja0429)の作るチーズケーキ。
並べたホール型に砕いたビスケットを敷き詰め、檸檬の効いた生地を流し入れていく。
「うちのお姫様がチーズケーキ好きでな。俺の必殺技だ」
クールな紅い瞳を細め、口元を綻ばせながら。愛する人の為に作るという幸せが最高のエッセンス。
4ホールをオーブンに入れ、カルムはそのまま冷蔵庫へと去っていった。
「…ん。いい匂い、なの」
カルムのオーブンの隣では、アトリアーナ(
ja1403)のココアスポンジが香ばしく焼きあがっていた。
家で下拵えもしてきたし、あとは一気に盛るだけだ。スポンジを冷ます間に栗の甘露煮を刻み、生クリームにはマロンペーストを。
心が踊る。自然に笑顔が溢れる。きっと、今日はいい日になる…そんな気がした。
「…いつもより美味しくできる気がする、の。…美薙、だいじょぶ?」
――そう上手くは行かない人もいて。
アトリと同じテーブルで作業している鍔崎 美薙(
ja0028)の料理は、中々のカオス。
常識的な可食物+レシピを物ともしない、圧倒的戦闘力。
「うむ、まずは鍋で溶かすのじゃな。強火ならよく溶ける筈じゃ♪」
漂う甘ったるい焦げ臭。更に、サクサク感を出すためふ菓子を投入。強火にふ菓子で減る水分に負けず、ぐりぐり混ぜて一口味見。
「むぅ…ちと苦いのう。甘くするのじゃ」
レシピを一度踏み外すと、独自見解が加速する。
がっしと砂糖を一握り。アトリが制止する間も無く鍋に投下し、粘土の様に固くなったそれをハート型に押し込んだ。
――み、見た目は普通…かもしれない、の。
しかし満足気の美薙は懲りずに沢山作るのだった。
あっという間に時間は過ぎるもの。
チーズケーキが焼きあがり、ドーナツはチョコやシナモンで彩られる。
早々に苺シューを作り終わった優希が次に作ったのはハート型のフォンダンショコラ。
マナのトリュフも出来上がり、14時を過ぎる頃には冷蔵庫がスイーツで溢れていた。
その頃華水庭園の中。
緊張で1時間フライングした青空・アルベール(
ja0732)は俯き加減で庭園の中をふらついていた。
エスコートってどうやればいいのだ…? とゆーか、本当に貰えるのかな…。バレンタインに振られる、なんて話も聞くし――。
頭の中に色んな疑問が浮かんでは弾け、思考を塗り潰していく。沈む、沈む。
転がりだしたマイナス思考は連鎖し、遂に溜息と共に弱音が漏れる。
「萌は可愛いし、正直私なんか釣り合わな」
「ブレェェン☆バスタァァァ!!」
決まったー、十八 九十七(
ja4233)選手の華麗な脳天砕き――!
生垣の影から現れた彼女は躊躇いもなく大技をキメ、ドヤ顔で青空を見下ろしつつ手に持ったC4的な何かを握りしめる。
うん、それ、チョコにしては硬いし熱すぎると思うの。どっちかというと人の方が溶けると思うの。
「つ、九十七…ちゃん!?」
「イチャつくんでしたらよォ、相応の態度と覚悟で望まんかァァァい!」
「…あ、小田切さん!」
予定時刻より少々早く庭園に姿を見せた小田切ルビィ(
ja0841)を見て、湧は思わず声を上げる。
「よ! 相変わらずオアツイね、御両人。今日は園芸部の一員として助っ人するぜ」
ルビィはひらりと販売台の内側に入って、あれから音信不通ってのも不義理だと思ってさ、とはにかんで見せた。
綺麗めなビニールエプロンを一つ首に通して、晴れ渡った空を仰ぎ伸びをするルビィ。
庭園の準備は万事良好。さぁ、恋の舞台の幕が開ける。
●afternoon
「この色、私好きなのです〜♪ 一つ頂きたいのです!」
アイリス・ルナクルス(
ja1078)が選んだのはチョコレートコスモスの鉢。
黒みの濃いその色も匂いも、まるでチョコレートの様、という風変わりな花である。
花を眺めるアイリスに、おまけチョコを渡しながら微笑む紗枝。
「その子は花言葉はね、『恋の終わり』っていう悪い意味もあるけど、一方で『移り変わらぬ気持ち』っていう素敵な意味もあるのよ」
「はむ…。移り変わらぬ、気持ち…ですか」
――恋じゃないけど、確かに私にぴったりかもしれないのです。
カフェへ向かう彼女の手元で、ゆらりと花が風にそよいだ。
「よう。やっぱお前らも気になったのか?」
「あったり前よぅ、苦労して咲かせたお花だもの。…2つともね♪」
湧と紗枝を見てウィンクひとつ。
レシュノルティアを購入した雀原 麦子(
ja1553)は、おまけチョコを肴にまたビールを呷った。
「湧も紗枝も幸せそうで何よりなのだ!」
「青空の人は他人の事言ってられないと思うんスけどねぃ」
あはは、と微笑む青空の瞳はもう曇ってはいない。文化祭から3ヶ月。もう一度、確かな気持ちを伝えたい――。
「んー、じゃあ…もも色の花が欲しいな」
「――あ、こっちも花束お願いできるかな?」
オリオン・E・綾河(
ja0051)は手をひらひらと振って柔らかく笑んだ。
「あ、すぐに用意するからちょっと待ってくれよなっ!」
と、今や立派に園芸部員となった湧とルビィが対応に当たっていく。作業も手馴れたものだ。
湧は青空とオリオンに、出来上がった花束とおまけチョコを手渡し、ありがとうな!と白い歯を覗かせた。
賑わいを見せる即売会の端っこで、麦子にこっそり声をかける影が一つ。
「…これ、最後に取りに来るからとっておいて欲しいの」
荷物になる程ではないが、これから部活の仲間と遊ぶのだし。余計な物はないほうがいい、色んな意味で。
「ん、あたしは部員じゃないけど…まいっか、じゃあはいコレ。おまけのチョコらしいわよ♪」
ぺこ、と頭を下げて小走りで去る銀髪の少女を見送り、麦子はまた一つ、つぼみを見つけた気がした。
――冬に花を眺める、というの自体意識した事なかったな。
そんな事を考えながら、佐倉 哲平(
ja0650)は人が少ないうちに、とガーデンの散策を始めた。
夜の花もまた風流だろうが、今日は特別な日だというし。流石にそこまで野暮ではない。
しかし。哲平が思う以上に、バレンタインとは彼方此方でドラマが繰り広げられる日なのだ。
「…なんだか、恥ずかしいね〜」
12本のチューリップの花束を受け取った森浦 萌々佳(
ja0835)の言葉に、青空は何も答える余裕がなかった。
彼女が持っている、明らかにチョコと判るハート型の箱が気になって仕方ない。
貰えるのかな…。もしかしてダミーとか。いやでも私一応恋人だよね? …一応。
想いが強いだけにマイナスへの振れ幅も大きいのか、段々と不安で涙目になる。
(どうせ私なんかヒーローよりヒロインだし、萌の方が強いし、流石に愛想つかされても仕方のない感じか…)
「ピンク色のチューリップの意味って、知ってる〜?」
「え?」
花言葉なんて知らずに、萌々佳だから桃色で、可愛いチューリップにしたけど。
酷い意味だったりしたら、どうしよう。一人で落ち込み始めた時、萌々佳が背中越しに青空の背中にこつんと頭を預ける。
「誠実な愛、なんだよ〜。…すーちゃん、ロマンチスト〜」
「え。…え、えぇ!?」
落ち込んでいた気持ちが吹き飛び、青空の顔が真っ赤になった。
そして。背中越しのまま、萌々佳の手が青空の胸元に伸び――差し出されたのは、ピンク色のハート箱。
「ねぇ…受け取って、くれる〜?」
心臓が跳ねる。萌々佳の素直な気持ちが、今目の前にあるのだ。
ぎゅ、と目を瞑って青空は意を決し、ハートの箱ごと萌々佳の手を胸に引き寄せる。
「あのね…大好きだよ!」
頬に柔らかく温かい感触。それが萌々佳の唇と判るまで、数秒。
「あ、あの! ありがと! …私も。ずっと大好きだよ、萌」
2人の間でピンクチューリップのダズンフラワーがふわりと香った。
花束に込められた意味がもっと大きく、そしてロマンチックな事に気づくのは、後の話。
その頃の家庭科室。
「こ、こんな感じ…という事にしとこう。――まずい時間がない! よし次っ」
七種 戒(
ja1267)が挑戦するのはブラウニー。あまり難しくないお菓子の筈なのだが。
ものぐさが災いしてか、待ち合わせの30分前に家庭科室に飛び込んだ戒。
「次はチョコと粉類を入れて…って粉篩っておくの!? い、一杯混ぜればいいよね!?」
ざばばば、がしゃがしゃ。
最早、知人の鳴上悠(
ja3452)ですら遠くから生暖かく見守るレベルだ。
「後は焼くだけ…! うににに、時間ないから温度上げてしまおう…」
(うわー…死亡フラグしかないなぁ)
完成品は、推して知るべし。
「上手くいきませんね…。教えて頂いた通りにやった筈ですのに…」
セシル・ジャンティ(
ja3229)は沈痛な面持ちで手元のガトーショコラに視線を落とした。
折角だから故郷フランスの物で…と思ったのだが、天井が綺麗に割れないどころか――膨らまなかった。
固く萎んだ一欠片を口に入れてみると、味は悪くない。けれど。
(こんなの、オリオンに渡せません…)
「うう、お力になれなくてすみませんです」
一緒に作業していた逸宮 焔寿(
ja2900)も、一緒にしょんぼり。
メレンゲの泡立て不足か、チョコを入れた後に混ぜすぎたか。経験者でも失敗しがちなケースだ。
しかし時間は無常。パーティーは大盛況で、カフェも大忙しで。
「誰か3番卓にフォンダン2つー!」
「いえ、私の力不足ですわ。…さ、落ち込んでる暇はありませんね」
じわりと込み上げる涙を飲み込んで、優しく微笑んだセシルはフォンダンを手にカフェへ向かっていった。
●Tea Party
小ざっぱりとした爽やかなカフェで、濃密な甘い空気を醸しだす卓がある。いや、正確には1人だが。
「はーい晃ちゃん、クッキーだよー」
小等部6年の七瀬 晃(
ja2627)と高等部2年の月子(
ja2648)の歳の差カップルだ。
先程は紅茶をフーフーして飲ませたと思えば、今度は口にクッキーを咥えて、ついと差し出す月子。
「つっきー、自分で食えるってば」
対する晃は意外と常識人。ほんのりと紅潮する顔を逸らし、苺シューやドーナツを平らげていく。
お腹のスペースは準備万端。後は気の済むまで食べるだけ。
手書きのメニューを見て次は何食べようかな、と悩んで見せるが、月子は依然としてクッキーを咥えたまま待っている。
――仕方ないなー…。
さく、と乾いた音がやたら大きく聞こえた気がした。
「予想通りというか…凄いね、久遠先輩」
月子達を眺めつつ、セシルが届けたばかりのフォンダンショコラを口にいれる桐原 雅(
ja1822)と久遠 仁刀(
ja2464)。
「彼方は彼方、此方は此方、という事だな――そうだ、先日の戦闘の事だが」
と、一も二もなく戦いの話を始める仁刀に、雅は苦笑しながら相槌を打つ。
相変わらずだなぁ、先輩。強さへの飽くなき渇望。真直ぐに前を見つめる瞳は、余所見をする事もなく。
「でも、前衛としてはあのラインを死守しないと――。って、ボクまで夢中になっちゃった」
あはは、と笑う。
「辛い戦いだったね、心も体も…。来年の今日にはまた笑って――今度はお互い相手が居れば、幸せだね」
「そうだな…」
きっと。彼はこれからも辛い戦いに身を投じる。
支えてくれる『誰か』が早く現れるよう、雅は一人の友として心から願うのだった。
さて、少し離れた大卓では賑やかな集団がある。
『姉』である戒を中心に、『妹』のアトリ、アイリス、そして鳥海 月花 (
ja1538)の4人と。
「ごめん、中々抜けだせなかったー!」
カフェを手伝っていたマナを入れて、5人。部活の仲間同士で友チョコの交換会だ。
「それじゃ、まずは私なのです〜」
ザッハトルテ、まるっと1ホール。しかし。
「き、切り分け忘れたのです! 流石に剣じゃまずいですし――」
「…ルナ、ボクの使って、なの」
花々を臨むカフェで、ザッハトルテをグレートソードで切り分ける少女…はシュールすぎる。というか潰れそう。
幸い、アトリが食器類を準備していたので、アトリのマロンショコラケーキも同時に切り分け、全員に配っていく。
「このザッハトルテ、とてもしっとりしていて上品ですね」
「リアのもすっごいおいしい♪ って、あれルナさん僕のは!?」
コーヒーを啜りながら柔らかく笑む月花。どうやらマナへは特別仕様のガトーショコラがあるようで。
もぐりと一口――ん。薔薇の花が入ってる!?
中にはエディブルローズ。食べる事でより一層美しく…男の子だけど。
「何だか、お二人の後ですと恥ずかしいですね」
「あ、僕も似た感じのだねっ」
月花が配ったのは一口サイズの3色チョコクランチ。ビター、ホワイト、ストロベリー味とお馴染みのセットだ。
一方のマナは、カフェ用に作った基本トリュフからもう一工夫――胡桃、ナッツ、抹茶の3種を加えた4個セット。
「うわぁい、さんくー!」
「ふふ。…2人とも本当に似てる、の」
スイーツをつつきながら盛り上がる一同。まるで女子会。ほぼ女子会。
さて残る戒だが。妹達の愛に囲まれハイテンションと思いきや、足元の紙袋の中身を思うと溜息が溢れる。
「しかし皆地味に料理上手いのね…。あ、あんま上手く出来んかったのだ…」
表面が少し焦げたブラウニーをテーブルに置いて、戒はしょんぼりと項垂れるのだった。
●Evening
陽が傾き、カフェの客足も落ち着いてきた。
「カルムちゃん、お客さんよぅ。黒い髪の可愛いコ♪」
すまん、と軽く謝罪して、チーズケーキ片手に客席に向かうカルムを、笑顔で見送る麦子。
ここからは恋人の時間。沢山のつぼみが開く時間。引き止めるのは野暮でしかない。
「そろそろケーキも足りなくなってきましたね」
プレゼント用のチョコを作り終えた雫(
ja1894)が冷蔵庫を覗いて、呟く。
「やっと作れますね!」
にっこりと焔寿が微笑んだ。昼に作った在庫が漸くなくなった――それは焦るんじゃなくて喜ぶ所。
『オッケー! チェリー本気だしちゃうから☆』
御手洗 紘人(
ja2549)こと、今日はメイド仕様のチェリーがスカートを翻して準備を始める。つまり、冷蔵庫が開くのを待っていたのだ。
それに。そろそろ厨房を離れて恋人の元へと向かう子も多い。それなら、穴を埋めてあげるのが粋ってもんでしょ?
たまには、魔法少女らしく。皆の恋の応援しようかな、ってね☆
「あ、カルム! 約束通りきたよ〜!」
夕暮れ時。カフェに現れたのは天河アシュリ(
ja0397)。
いつもよりも少しだけ甘めで可愛らしい服装。見慣れないアシュリに、カルムは早くもどきりとした。
「ほら、お待ちかねのチーズケーキ。…最後の1つなんだぜ?」
クスクスとカルムは笑う。正確には、最後の1つではなく、彼女の為に取置きした物。
幸せそうにケーキと紅茶を楽しむアシュリを見て、作って良かったな、と心から思う。
…と、少しぼうっとしているカルムに、アシュリは一つ悪戯を思いついた。
「カールーム。…んふふ、あーん♪」
「っ――」
一口大のチーズケーキをフォークで差し出すアシュリ。NOと言わせない小悪魔的な笑み。
…NOだなんて言うつもりは、全くないけど、な。お姫様?
一瞬だけ躊躇った後、差し出されたそれに口をつける。
顔が赤く見えるのは夕焼けか、それとも。
夕暮れの庭園。長く伸びる大小の影は、晃と月子だ。
大きな胸を押し付けながら歩く月子。2人の身長差だと腕に当たるどころか晃の顔に直撃である。
「晃ちゃん、一杯食べたねー。もうお腹いっぱいかな?」
月子は晃の肩をぎゅう、と抱き寄せて更に密着する。無論、わざとなのでけしからん。
「わぷ。…んー、歩いたから少し消化したかな」
「そっか、じゃあ食べられるね」
そう言って、彼女は一粒のアマンドショコラを晃の口にぽこんと押し込む。
カリ、と軽い音と共に広がるアーモンドの香ばしい香り。
「お、サンキュー! おいしーな、これ…うわっ」
ラッピングしたチョコを渡しながら、月子はぎゅっと晃を抱きしめ、小さなおでこに口付ける。
「晃ちゃん、ずっと大好きだよ!」
庭園の噴水の縁に座り込む優希と静矢。ピークタイムを過ぎたカフェを抜け出し、漸く落ち着けたといった所だ。
「忙しくて言う暇もなかったが――苺シューとフォンダン、美味しかったぞ」
「静矢さんのドーナツも美味しかったし、また作ってくれますかねぃ?」
ああ、と微笑んで目を細める。…たまにはこういう華やかな集まりもいいな。
「それで…これ、希の手作りチョコだよ♪ えっと受け取ってくれる、かな?」
透明な箱に沢山入った苺チョコ。チョコスプレーでカラフルに可愛く、表情がくるくる変わる優希らしい一品。
「おお、有難う!…じゃあ、俺からも」
静矢はビターココアと抹茶味のマカロン。甘くにもほろ苦い大人な味も、また静矢らしい。
甘いのが好きな優希のために、半分は甘めのホワイトチョコを詰めてみた。
「――結婚式、楽しみだね」
「ああ」
「静矢さん、希はいいお嫁さんになれますかねぃ?」
苺チョコを1つ、箱から取り出して。優希の唇に押し当て、それから静矢は美味しそうにそれを頬張った。
顔を真っ赤にする優希の頭を一撫でして、そのまま肩口に引き寄せる。
続きは結婚式で、な。
見つけた――。
ああ、緊張する。足が震えて、指先が冷たい。だけど。だけど。今日を逃したら伝えられないの。
ずっと気になってたんです。明るくて、楽しくて、皆の輪の中心に咲く向日葵の様な貴方が。
チョコの好みはわからなかったから、宝箱に見立てた箱に、小さなチョコチップクッキーを一杯詰めておいた。
お願い、私に向いて――眩しい向日葵。
「――な…七海先輩っ!」
雪成 藤花(
ja0292)は、生垣の影からまろぶ様に駆け出し、マナの懐に飛び込んだ。
顔は。まともに。みれない。
「え、えっと雪成、さん?」
「あ、あの――先輩の事が、好きです…! 本当は、初めて会った時から、ずっと…。
これ、受け取って下さい。そして…答えは、後で、構いませんから」
「え!?」
それじゃ、と再び駆け出す藤花。マナの体温でほんのりと暖かくなった手をぎゅっと握って、振り返らずに走る。
大丈夫、気持ちは花とチョコレートに目一杯詰め込んだから。
呆然と立ち尽くすマナの手には、宝箱に似せた小箱と、ピンク色のチューリップが一輪、揺れていた。
その一方――話は再び庭園に戻る。
「み、美薙のちょこだと!? 本命!? 本命よね!?」
「勿論じゃ! 偽り無き本命ちょこなのじゃよ」
感動し涙を流す戒。 数多い妹ズの中でも、美薙は特別な存在――らしい。そんな美薙の本命チョコが、今この手に。
「うむうむ、食べるのじゃ姉上♪」
――ハッ。
(美薙の料理の腕は壊滅的…! ど、どうしよう…)
カオスを超えて終末が近づく――味覚的な意味で。
冷や汗たらり。愛ゆえに、と散るのも一つの浪漫だが…美薙の前で崩れ落ちる姿は見せられん!
「た、食べるのは勿体無い…家宝にしよう!」
セーフ! これなら自然のはず…!
「ふむ、遠慮するでないぞ? まだ沢山あるのじゃ♪」
ほれほれと口に押し込まれては抵抗できず。気を失った後に膝枕で介抱されたなど知る由もなし――。
「あれ、七種姉様は撃沈してらっしゃるんですか?」
「うむ。おぬしも姉上の妹縁――凄い形のチョコじゃな」
戒を探してひょこと現れた雫は、倒れた姉の顔を覗き込み両手サイズのホルマリン瓶を戒の上にお供えした。
勿論液は入ってないが、中には心臓型チョコレート、そして流れ出る血…に見立てた苺ソース。
中の構造はおろか血管の一筋まで超精密に再現されている。どうやって作ったのかは企業秘密だ。
「ええ、ハートを鷲掴みするにはコレが一番かと思いまして」
ハートとは心臓…成程、これは正論。
来年はこの娘にチョコを教わろう――と、今から戒の死亡フラグを立てる美薙であった。
陽が沈む――。物悲しいその光は、二つの紫水晶を照らし出す。
「セシル、どうしてそんなに悲しい瞳をしてるの? …俺と一緒に居るのは、楽しくはない?」
長身を屈ませ、セシルの頬をそっと撫でるオリオン。紫水晶の瞳はほんのりと濡れ、煌めいている。
「いいえ、いいえ…! 違うんですオリオン。バレンタインなのに、何も準備出来なくて――本当にごめんなさい」
恋人失格ですね、と涙を流すセシル。それは白い頬を伝いオリオンの指に染みていった。
吸い寄せられる様にセシルの目元に口付け、涙を掬いとって。ぽん、と頭に手を載せ、撫でる。
「ううん、今日をセシルと一緒に過ごせる事が、俺には一番嬉しいよ。…それに、チョコは俺が用意したから。ね?」
薔薇の花束と一緒に、細い彼女の体を抱きしめるオリオン。
また溢れる涙。だけど、これは嬉しくて。愛おしくて。なんて、心地良い鼓動。
愛しい衝動に従い、セシルは彼の頬に口付け――オリオンもまた、セシルの額にキスをした。
「あ…」
ふわ、とガーデンが星屑の様な光で彩られていく。丁度、18時。
「綺麗、ですね…オリオン」
見つめ合う2つの紫水晶。そこにもう、陰りはない。
――セシル。君だけは、幸せにすると誓うよ。僕の、命に代えても。
オリオンとの穏やかなこの世界が、願わくば永遠に――。
素直に、真直ぐ。大切な物は、しっかりとこの手に掴んでいないといけないのだから。
●Night
『直哉先輩っ! 学校の中庭で、イルミネーションがあるそうですよ。――一緒に行きませんか?』
夜の独り歩きは危険だ。桐生 直哉(
ja3043)が誘われた時、真っ先にそう思った。
更にそれが、どこか危なっかしい澤口 凪(
ja3398)である事が、尚更心配だった。
特に最近は何だかふらふらとしていたし。
『あはは、大丈夫です! 私はいつでも元気ですから!』
何だか、放っておけなくて。俺はゴーグルのメンテもそこそこに、夜の学校に来る事になった。
彼女が見たいと言うだけあって、綺麗な庭園に張り巡らされた電飾はまるで地上の星空。
そして、噴水に揺らめくハート模様を眺めてたら、そう、声を掛けられたんだ――。
「あの、これ! こんな日ですからっ…迷惑なら、その――」
「迷惑なんてある訳ないだろ」
平たい箱に入った、フレークサンドチョコ。大きなウサギ型の横に、小さなハート型がちょこんと並んでいる。
そうか、最近ふらふらだったのは…。
「かわいいチョコ作ってくれて、ありがとな」
強張っていた顔が一気に解き解け、いつもの咲き零れる様な笑顔に戻った凪。
直哉がチョコに手を伸ばした瞬間。寝不足がたたったか眩暈でがくんとバランスを崩してしまった。
まだ、ちゃんと渡せて、な…チョコ、割れちゃう――。
「っと、セーフ…だな」
直哉は噴水の縁でなんとか踏ん張り、倒れかけた凪をしっかりと抱きとめる。
本当に、放っておけない子だ。
「ひゃっ!? うわわ、ごめんなさい先輩っ」
「ん、大丈夫。…寮に帰ろうか、俺も凪ちゃんに渡したい物があるから」
幸せの続きは、俺達の家で、ゆっくりと――な?
「アッシュ」
振り返る彼女の髪が揺れる。小さな光が沢山燦いて、まるで光を纏っている様な。
迷いはない。彼女の心に、触れられるのなら。
「アッシュに出会えて、そして一緒に居られる喜びと、日頃の感謝を込めて…良かったら受け取ってくれ」
と、ショコラタルトを差し出すカルム。表面には粉砂糖で書かれた『Ash』の文字。
一緒に差し出された紅薔薇の花言葉は――『熱烈な愛』。知ってか知らずか。激しい恋に焦がれた女神の涙が宿る、情熱の花。
「わ、ありがとう…すっごい嬉しいよ! 私からは、チョコケーキと…こっちは、此処で付けてみせて?」
細長い箱の中には、ミントの葉を飾ったビターな生チョコケーキ。
そしてカルムの黒髪によく映える、小さな銀のピアス。案の定、よく似合ってる。
最後に彼女は、ぎゅ、とカルムを抱きしめ耳元で囁いた。
――チューのプレゼントも、いいかな?
「ハッピーバレンタイン、アッシュ」
「Sweetie、大好きだよ」
日が落ちて随分経ってしまった。
仁刀と雅はどちらも比較的暖かな格好だったが、冬の夜は2人の温度を容赦無く奪っていく。
「寒いね…先輩、腕でも組んでみる? 暖かそうだし」
くすくすと誂ってみたり。気の置けない仲なればこその、何気ないやり取り。
でも――今日は恋人の日だし。いいよね、少し位イレギュラーがあったって。
「今日はありがとうなんだよ、久遠先輩。えっと、これ、美味しいお店の生チョコで……えと、こ、こういうの照れるね」
それが恋じゃなくても、いいはずなのに。バレンタインチョコ、というだけで何だかちょっと、ドキドキする。
「全く……照れられると、こっちも照れるだろ。ま、次は俺からも誘わせて貰うな」
その頃――庭園から遠く離れた、仁刀の寮『練心館』。
「私……何、やってるのかな」
寒空の下、寮門の前に座り込む獅堂 遥(
ja0190)。人気の少ないそこは気温も低く、吐く息は白く夜闇に溶けていく。
そういえばあの時も寒かったな。
夜の公園、ホットコーヒーを握りしめて。ただただその優しさが嬉しかった。
「バレンタイン、だもんね。居なくても不思議じゃない、よね」
そう言い聞かせ、遥はトリュフの入った小さな紙袋とメッセージカードを玄関先に置いた。
胸の奥で疼く何かを感じながら。
「ああ、今日はよく働いた――結局、最後まで手伝っちゃったな」
夜になって漸くカフェも閉まり解放された悠とチェリーは、大きく伸びをしながら庭園を散歩していた。
『もう肩こっちゃって仕方ないよー……悠くんもお疲れ様☆』
2人はメイド服から普段着――チェリーはいつもの衣装だが――に着替えてふらふらとベンチに座り込んだ。
とっても疲れたけど。いっぱいいっぱい、恋の応援できたよね☆
『はい! 頑張った悠くんにチェリーからのご褒美です☆ …なんてね☆』
チェリーの友チョコは、魔法少女らしいポップなデコチョコ。パンダだの、狐だの、可愛い動物の顔が書かれている。
「ん、俺もあるよ。チェリーも今日はよく頑張ったな」
小さなココットで焼いたスフレは悠の作品。ついさっき焼いたらしく、まだほんのりと温かい。
2人は庭園の中でお互いのお菓子を摘み、今日あった事や、見た事なんかを話しながら笑う。
『さてと、これ休憩だもんね…そろそろ戻ろっか☆』
楽しい時間はあっという間。仲良し義兄妹は再び立ち上がり、手を繋いでカフェへ駆けていった。
●Finale
結局、最後までカフェに残ったのは、ごく数人の客と店員。
「皆さん本当にお疲れ様ですー!」
ホットココアを配り、掃除をしていた皆を労う紗枝。
チェリーと悠、ルビィと麦子、そして小等部ながら最後まで頑張った焔寿と雫は、ココアで体を温める。
「最後までトラブルがなくて何より、だね」
終始カフェでダラダラ過ごしていた紫蝶も合流し、打ち上げのような物が始まった。此処まで残れば、もう客も店員も関係なしだ。
「こんな平穏なバレンタイン、逆に違和感を覚えますね」
雫の言葉にルビィが苦笑する。確かに、学園のどこかではきっと爆発音が響いてたのだろう。
「悲喜交交…かと思ったが、意外と悲しみはなかったな…」
哲平が意外そうに首を捻る。悲劇なんて当会場では未実装です。
と、生徒達の雑談に耳を傾けていた紫蝶の目の前に、コトンとカップが1つ置かれた。
「月摘先生も監督お疲れ様…という事で」
家庭科室の隅で、秋月 玄太郎(
ja3789)がひっそりと作っていたらしいそれはウィンナーショコラ。
ホットショコラに生クリームを載せただけの簡単な物だが、まさかの展開に一瞬驚く紫蝶。
「…ん、ありがとう。何もしてないけど、ね」
湯気の立つカップを一口飲む。何だかほっとするような味だった。
その様子をみて玄太郎は、ついとかすかに視線をそらす。
――バレンタインなんてものに興味はまったくないんだがな…。
それでも、手渡したものに喜んでもらえれば、嬉しいものだ。
特に目の前のタイプの女性なら、尚更。
一日、悲喜交々な様子を観察していた玄太郎も、最後はその輪の中に入っていた。
パーティーは終わり、明日からまた日常が始まる。
少しだけ、色鮮やかな、日常が。