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街の中は赤とピンクに彩られ、甘い匂いが漂い出す1月下旬。
やれ先に。やれ先に。スタートダッシュを仕掛けよう。乗り出せ漕ぎ出せチョコレート戦争。
転移装置に集合した撃退士達は、依頼書を読みながら転移先の安定を待っていた。
「バレンタインのチョコレート?‥‥ふむ、今回はリア充の手伝いで御座るか」
何か黒い感情を含んだ笑みで虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が呟く。
爆破側の筈の彼が此度の依頼に協力する理由とは。
――まぁ祭りは開催してこそで御座るからな!
成程、真理だ。
だが素直な羽生 沙希(
ja3918)は虎綱の魂胆など思いもよらず。
「社員さんの為にも世の恋人さん達の為にも頑張るっすよ!」
「うんうん、私も義理チョコ配りたいし‥‥頑張ろうね♪」
ぐっと拳を握り、ガッツポーズで気合を漲らせる沙希。体育会系だ。
狐耳のカチューシャを一撫でして、七尾 みつね(
ja0616)も合わせてガッツポーズ。こっちは可愛らしい。
「私は敵を狩れればそれでいいが。‥‥牧野は大変そうだな?」
意味ありげにちらりと目をやる水無月 神奈(
ja0914)。目線の先には、目に見えてテンパる牧野 穂鳥(
ja2029)だ。
「い、いえいえいえっ!! 私でなくても2月にチョコが消えたら大問題ですからねっ! ね!?」
どうやら神奈は穂鳥の恋愛事情について既知らしいが。
見事に顔が紅く染まった今や、事情を知らない人でも幸せそうなのは窺い知るに容易い。
「まあ‥‥貰う宛はないが、俺もチョコは無事であって欲しいかな」
甘党だからな、と御影 蓮也(
ja0709)は付け加える。そう、甘党にとって2月14日は別の意味で一大イベント。
普段はお高く手が出ない様な商品が、14日を過ぎると随分安く購入できるのだから。
と、穿った楽しみ方だがこれは決して貰えない寂しさを紛らわすものではない。多分。
「ふーん。まぁ私は混入事件のあった後のチョコなんて遠慮したいけどね」
トリガーに指を通してをくるくるとリボルバーを回す風雪 和奏(
ja0866)は非常に現実的。
事件が知れたら確実に誰も買わないだろうけど。それを食い止める為に撃退士が此処にいるのである。
――周りの喧騒を余所に福島 千紗(
ja4110)は一人俯いて、握りしめた手に力を籠めた。
(……私なんか、で…役にたてるの…かな?)
初めての依頼。その緊張が、元より引っ込み思案な彼女を更に縮こまらせている。
「座標安定しました。どうぞ、行ってらっしゃいませ」
係の生徒に促され、撃退士達はその体を眩い光の中に埋めていく。
きっと自分にもできる事がある――。そう信じて、千紗もゆっくりと光に溶けた。
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『さて、某は貯水タンクを見てくるかの。なぁに、すぐに戻る‥‥で御座る』
盛大な死亡フラグを打ち立てて、虎綱は旅立った。
俺、この依頼が終わったらリア充爆破してやるんだ、で御座る――。
最後に見せた笑顔。室内なのに何処からともなく、ひゅうと吹く風。広げられた扇子に書かれていた『水遁』の文字。
『虎綱は犠牲になったっすよ‥‥。無茶しやがって‥‥っす!』
そう、彼は事件を解決するために単独で敵地に乗り込んだの!
ピピピピピ ピピピピピ
「虎綱君! 生きてたんだね、よかった〜♪」
『ふ‥‥。フラグは叩き折るもので御座るからな!』
みつねは、ほっと一息ついた。
中々連絡の来ない虎綱を心配した和奏だったが――何故か死亡フラグを回収するルートを熱弁していた。
お陰で、その話を聞いていたみつねと蓮也は戦々恐々。連絡が来て一安心である。
『貯水タンクも、他の工場外設備も異変はないで御座るなぁ。何となく暗くじめじめした所と思ったで御座るがのー』
「こっちも和奏ちゃんが原材料調べてたけど、混入物はないみたいだね〜」
虎綱も和奏も、どうやらスカの様だ。
否、単騎偵察中に敵が‥‥なんて展開になる位なら、無駄骨で良かったのかも知れない。
「やっぱライン内、だな」
軽く頭を掻いて携帯を取り出す蓮也。ま、そう簡単には終わらないらしい。
「はい、牧野です」
一方包装区画にいたB班。
沙希が阻霊陣で封鎖を行う一方、穂鳥と神奈は穴という穴を点検していた。
相手はゲル状。例え阻霊陣で透過を阻止しても、普通に流出すれば意味はない。
『貯水タンクは異常無いらしい。やっぱラインを動かして何処で混入しているか、からだな』
「そうですか‥‥では予定通り最終工程から順に調査ですね」
すぐに機械を動かしたとしても、包装工程に来る迄は少し時間がかかる筈だ。
通話を終えた穂鳥は神奈と沙希にメールで連絡し、脱出ルートを更に潰すべく踵を返した。
チョコレートを奪われる訳にはいかない。
恋する女子にとって2月のチョコレートは、最強の武器なのだから。
コントロールルーム担当の千紗は、手持ち無沙汰に一人で椅子に座り込んでいた。
「ば、バレンタイン‥‥かぁ」
ふと見慣れた顔が頭を過る。――自分も渡すんだろうか、渡していいんだろうか。あの、優しい人、に。
徐々に熱を帯びる頬。千紗は冷えた手を顔に当てて、心を鎮めた。
――今はそんな事を考えてる場合じゃない。
ぶるんと顔を振り、コントロールルームのモニターから工場を見渡す。
「…私、頑張ります」
だから、見ていて。
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「やっほー、和奏だよん。お待たせ、ライン動かしてオッケーだよ」
『う、うん‥‥。えと、型は大型で‥‥それじゃ、動かします‥‥ね』
工場全体が唸り声を立て、巨大な機械が動き出す。
まずは全工程にチョコが行き渡り、完成品が出来上がる所までは放置だ。
「まぁ、包装中に侵入するというのは考えにくいが‥‥」
神奈は大太刀に手をかけたまま、機械の影や死角を丁寧に調べていく。
流動物ならどこにでも潜んでいる可能性はある。奇襲だけは避けたい。
ちら、と阻霊陣で動きの取れない沙希――心許せる友人の姿を見、また周囲に意識を張り巡らせる。
――私や牧野はともかく、動きが取れぬサキには致命的かもしれないからな。
「神奈ー、穂鳥ー! 完成品が来たっすよー!」
そんな神奈の心配は露知らず、笑顔で手を振る沙希。流石体育会系、声がでかい。
集まった彼女らが目にしたのは巨大な袋であった。
「ご、5kgは流石に凄い量ですね‥‥」
「確かに多いが、既に割ってあるのは好都合だ」
簡素なビニールに詰まった、割れた板チョコ――所謂『割れチョコ』。
だが5kgって。一般に市販されている物が大体500gである。‥‥流石業務用。
その中に、成程黒い物体が確かに混ざっている。というかクランチチョコのナッツかという程大量。
「――水無月だ。包装区画では混入物を確認した」
『はい、冷温区画でも入ってました〜』
その冷温区画では、蓮也と和奏が凍えながらも検分に当たっていた。
「寒‥‥! み、御影さん、もう閉めていいよね‥‥っ!?」
「あ、ああ。確認はできたし大丈夫か」
ラインは密閉されてるとはいえ、検査ハッチを開ければ寒いのである。
上着のある蓮也ですら冷気に体が震える程だ。薄着の和奏は推して知るべし。
唯一セーター着用でぬくぬくのみつねは、阻霊陣を敷きつつのほほんと連絡係だ。解せぬ。
「チョコ、そのままだけど‥‥阻霊陣が効いてれば大丈夫だよね〜?」
『私達が調査に来るまで留まっている位だし、恐らく逃げないと思うが‥‥』
では次の調査を終えたらまた連絡する、と言って通話は切れた。
2つの班が交互に動けばライン上に死角はできない筈。
B班が次に加熱区画を検査し、その後A班が材料の投入区画へ、という塩梅だ。
阻霊陣も、1枚で工場丸ごと包める所を、A班はみつねが、B班は沙希が。
そしてコントロールルームの千紗で3人掛りという完全体勢。隙がない。
「まぁ、俺達は暫く待機だな」
「にしてもハッチが終点しかないなんてねー。冷やす前のチョコも調べたかったのに」
頭をかりかりと掻いて、和奏は手近な椅子に座り込む。
検査用のハッチは区画終点のみだった為、冷えて固まった物しか調べられなかったのだ。
「んー、B班に頼むかなぁ」
「――む、いないな」
一転、巨大な湯煎器のある加熱区画。
ラインの稼働を止めても、篭る湯気と匂いは中々強烈。
穂鳥と神奈は金属製のバット――野球のアレではない――にチョコレートを流し込み、まずは液状のまま目視で。
その後、和奏の提案通り、冷やし固めて調査を行った。曰く『冷蔵庫くらい休憩室にあるだろうから』――と。
「完成品の混入量を考えると、このバットでも十分混入する筈ですしね」
「って事は、ここから冷やすまでの間のどこかっすねー! 絞れてきたっ、‥‥す?」
沙希は考えこむ2人の方を向き、何かに気づいた。
阻霊陣は手を通して発動する。従って地面に使用した場合、術者は低姿勢にならざるを得ないのだが。
ハッチの内側。立っていたら見えないであろうその場所に、黒い何かが蠢いている。
「あーっ! 神奈、そこにいるっすよー!!」
時、既に遅し。
「ぶ、分裂で御座るか!?」
貯水タンクの調査を終えた後、虎綱はコントロールルームで暖を取っていた。
銀色の髪が顔に張り付き、顎から雫が滴る。ずばっと開いた扇子(何故か濡れていない)には『濡鼠』。
――どうやら、落ちたらしい。
『はいっす‥‥私が大声出したから、きっと驚いちゃったっすよ‥‥』
ハッチの内側に凝っていた黒い物体は、外に飛び出し飛散、一部はラインの奥へと逃走したという。
だが二重三重に阻霊陣を敷いている上、予め排水口の類は塞いである。
つまり物陰に隠れるしか選択肢はない。
「ふむ、ではライン内は封鎖したまま、先に工場内の索敵で御座るな」
あい分かった、と通話を終えようとした矢先――。
『虎綱、その部屋に課長さんから借りた掃除機がある筈っす! それを持ってきて欲しいっすよ!』
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ぢゅるっ。
にゅるるる。
次々と吸い込まれる黒い物体。
沙希が借りた清掃用の強力な掃除機は、流動物の回収には効果覿面。
阻霊陣を取っ手に付け常に誰かが持つ事で、中に封じたまま持ち歩く事に成功した。
更に――完全なる偶然だが、今回集まったメンバーは感の鋭い者が多かった為、索敵も驚きの速さ。
A班と、合流した千紗の4人は五感を総動員して、逃げるゼリーを吸いまくる。
「いやー楽ちんだねー♪ こんな細切れゼリー、手作業で回収とかやってらんないし」
「…触ったら、気持ちよさそう?」
ぷるる、と震える黒ゼリーを眺めつつ、呟く千紗。
ひんやりぷるぷるもっちり。確かに気持ち良さそうだが、残念ながら触るな危険。
「しっかし‥‥俺達、天魔らしきモノを退治しに来たんだよな?」
依頼内容『清掃』。まぁ確かに、間違ってないけどさ。
数十分後。
「遅れてすみません! こっちも全部捕獲し終えました」
倉庫に駆け込むB班+虎綱。こちらは沙希が『探しモノは苦手っすー』という事で人手が1人少なかった様だ。
‥‥4人中3人が得意なら誤差だけども。
ともかく工場内を隈無く哨戒し終え、倉庫に集結した撃退士達。
掃除機に入れっぱなしという訳にもいかないが、無策に開放しては意味が無い。
蓮也の提案で、広い場所――しかも密閉空間である倉庫で纏めて叩く作戦となった。
「いやはや、広いし壁に囲まれておるし、お誂え向きの場所で御座るな!」
「これだけ手間をかけさせたのだから、是非手応えのあるディアボロであって欲しいものだが」
神奈の本音がちょっとだけ漏れる。
彼女は悪魔への復讐の為に望まぬ道を選んだ――小物相手に思う所があるのは仕方ない。
「‥‥これ、壊すしか‥‥ない、かな‥?」
床に並んだ掃除機2つ。中にはびっしりゼリー詰め。
一同は顔を合わせ、大きく頷いた。
「破ッ!」
蓮也の打刀が真一文字に閃き、掃除機が裂ける。
中からずるりと黒いゼリーが弾け、一目散に地下へ溶けこむ、が。
「逃がしませんっ!」
すかさず穂鳥が阻霊陣を敷き、部屋中の物質に反透過の膜を張り巡らせた。
倉庫の分厚いコンクリ床を通過する前に阻害されて、飛び出し、弾ける黒ゼリー。
「ぶ、分裂‥!?‥‥当たって‥っ」
分裂し小さくなったゼリーに千紗が魔法弾を打ち付けると、黒い煙を上げて蒸発した。
逆に虎綱の投擲は、ノーダメージどころか更に細分化させただけで。
「某の苦無が聞かないで御座るッ!! 援軍求‥‥アッー!」
フライングゼリー。筋力のないそれがどうやって跳ねるのかはこの際置いておいて。
苦無が切り裂いた‥‥いや、切り分けた2つのゼリーが、虎綱の顔面目掛けて飛ぶではないか。
「虎綱、伏せるっす!! ――これでも食らうっすよ!」
ぶしゅうううう、と虎綱に飛びかかる2つのゼリーに何かを噴きつける。
沙希の鞄の中から出てきたのは、運動用のコールドスプレー。
効果があったのか不明だが、それでも動きは鈍ったように見える――ならば、神奈が斬り捨てるに充分。
次いで、みつねはアウルの力を苦無に籠め、出口に向かうゼリーに魔力を纏った苦無を射つ。
「物理が効かないなら、魔法にすればいいよね♪」
残ったゼリーの破片は1つ。
それはざざざ、と音を立てて床を這い、うろつき回る。まるで何かを探すかの様に。
「探してるのは、これかな?」
それは和奏の足元にあった。いや、足の真下か。それは――排水口。
にこっと、可愛らしい笑顔で。まだ幼さの残るその手には幾分大きな、リボルバーで。
「――残念でした!」
最後の欠片は、黒い煙と共に消えていった。
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「‥‥よし、混入物が消えたぞ!」
倉庫での戦闘を終えた一同は再び工程ラインを動かし、残ったゼリーを押し流す。
30分程経過した所で、蓮也は漸く割れチョコから黒いゼリーが消えた事を確認した。
みつねと神奈、虎綱が工場を見回り、和奏が阻霊陣を、千紗と穂鳥が魔法で混入チョコを片っ端から消し炭に。
それぞれ作業を終え、後は最終確認。つまり。
「で、では試食するっすよ!!」
ごくり。
もしまだ中に潜んで居たら自分は溶けて消えるかも――。
(覚悟を決めるっす‥‥!)
沙希は恐る恐る、割れチョコの欠片を口にいれた。
緊張。短くて長い間。
「あ‥‥甘くて蕩けるっす! 凄く美味しいっすよー!」
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「‥‥いい子だったなぁ」
撃退士達が帰投した後――。
大嶋は、机に頬杖をついて呆けていた。頬は軽く赤らんでいる。
机の上には、自社製だが特製なチョコレートが一つ。
『ちゃんと試食もしたからもう大丈夫っす! 完成1号を課長さんにプレゼントするっすよ!』
偏見のない眩しい笑顔。大嶋にとっては久しく見ない、純粋な好意。
「おぢさん、キュンと来ちゃったなぁ‥‥」
ほう‥‥と、熱っぽい溜息を吐いて目の前のチョコを眺めた。
後日、無事操業を再開した工場から、撃退士各員へお礼のチョコレートが届いた、が。
その中の1つだけ、熱烈な手紙が入ってたとか、何とか――。