●決意と共に
日差し和らぐ秋の入り口。
蝉の大合掌も声を枯らし、柔らかい風に季節の移ろいを感じ始める。
そう――此処は本来、爽やかな風が吹くただの広い公園だった筈なのだ。
「随分本格的なのだねぇ」
10mはある巨大な門扉をくぐり、呆然と呟いた御伽 炯々(
ja1693)。
西の平屋の影へと身を潜めた一同は、周囲を警戒しながら北を目指した。
「またオフュークス、か。今回も荒れそうだな」
「白羊、金牛‥‥双児宮。姿を見せてるのは双子の片割れ『カストル』、か」
神凪 宗(
ja0435)はかの悪魔の名を呟き、小田切ルビィ(
ja0841)はひと月前の戦いを想い起す。
続いて、凛然と前を見つめたまま桐原 雅(
ja1822)が言葉を繋げた。
「もう一人は何処かに潜んでそうだね‥‥警戒していこう」
「む――避けろ、清清殿!」
と、話の途中で声を上げる宗。
2本3本と飛来する火矢に身を翻すのは、燐灰石の様に煌めく髪と蒼の衣服が鮮やかな清清 清(
ja3434)。
地面に刺さり灰となった矢を見、炯々はバンダナを縛り直して気を引き締める。
「うむ‥‥気合入れないとね」
敵は双子のみではない。この火矢も、彼らを脅かす一手と成りうるのだ。
道すがら史跡を観察していた月輪 みゆき(
ja1279)は、やけに統一された雰囲気に首を捻った。
「国府に火矢。銅剣はもっと古いけど、古の日本みたいですね。なんだかタイムスリップ‥‥きゃあっ」
みゆきは眼前に迫った火矢に気づき身を屈める。嫌だ、熱いのかな。
だが矢は彼女に当たる事なく、みゆきの頭上に翳された盾に阻まれ弾き落とされた。
「大丈夫ですカ?」
「あ、有難うございます、フィーネさん!」
微笑うフィーネ・ヤフコ・シュペーナー(
ja7905)。陽を背にした姿は、戦場に不似合いな程嫋やかな美しい女性であった。
「昔の日本、か‥‥オフュークスの奴、宗旨替えでもしたのかね」
女子2人を他所にルビィが笑い、一方で、柊 夜鈴(
ja1014)は愛用の槍に視線を落とした。
夜鈴も、星座の悪魔に関わって苦難も勝利も味わった経験者。
トラウマの様に蘇る敗戦は彼の奥底に暗い影を残し、故に夜鈴は槍を強く握り決意を新たにする。
絶対に負けはしない――と。
●緊褌一番、凛として
移動する事2分、漸く平屋の北端が見えた。
宗と雅が平屋の影から中央の広場を覗くが、確かに騎馬の男が一人のみ。
「戦闘の前にもう一度」
そう言うと、清のアウルが月白の波となり辺りに広がる。
漣の様に寄せて返す光に淀みはなく、それは周囲に敵が居ないという事。
「――いませんね」
と、清が目を開けたその時。
「伏せて!」
ドガアアアッッ!
雅の叫びが早いか、轟音が早かったか――鴉羽色の長い髪が、突風に煽られて宙を舞う。
平屋の影に向けて風の塊が襲いかかり、平屋の壁の一部が音を立てて崩れた。
「いやはや、とんでもない威力だねえ」
炯々の頬を冷や汗が流れ落ちた。注目すべきは威力だけではない――攻撃が当たらない様に放った事。
隠れても無駄だと言っているのだ。
最早、待ったは効かなかった。
『ハァッ!』
馬の足が土を蹴ると、それを合図に夜鈴と炯々が飛び出した。
アサルトライフルをフルオートで打ち鳴らす夜鈴。線を描く様な弾幕に追われ馬が駆ける。
その数歩先を狙って炯々の銃口が火を吹くが、装甲の前に掻き消えた。
「ボクが動きを止めます」
清が洋弓を引き絞る。狙うは――地面。一条の放物線が地面を抉って爆ぜ、進路を阻まれた馬が足を上げて嘶く。
――瞬間。カストルは視界の左端に『それ』を見た。燭台の影に流れる銀糸と黒い光。
「纏めてふっ飛ばしてやるぜ!」
不意をついたルビィの封砲に騎士の視界は黒に飲まれ、馬は再び嘶いて暴れ回る。
だが即座に馬を制す騎士の何と手慣れたものか。まるで己を制す様に、騎士は容易く体勢を立て直した。
――神話通り、馬術の名人って事だね。
星座神話を思い出し、雅は考える。
だが、平屋を吹き飛ばす程の威力を見せた、あの剣は何だ。拭えない、奇妙な違和感。
間合いに入れなかった雅は右方に回り、それを観察する。
「あの剣‥‥本体は西洋風なのに、青銅剣だけ明らかに浮いてると思うんだよ」
同じく騎士の右面で機を伺うフィーネは、まるでタイムスリップと言ったみゆきの言葉を思い出し、はっとした。
「逆に彼が異質なのカモしれまセン。余所者の彼らが幻を描く為ニ、日本のモノが必要だとすれバ‥‥」
「日本の剣、神話‥‥まさかっ――天叢雲!?」
ひゅう、と風が集まる音がした。みゆきが呼んだ名に応える様に、金髪の騎士がニィと嗤う。
「避けろぉぉお――ッ!」
夜鈴の叫びと同時に襲い掛る、圧縮された風の刃。
宗と雅は横っ飛びで、フィーネと清は咄嗟に掲げた盾で致命傷は避けた。
が、インラインスケートの所為で踏ん張りが効かなかった炯々はその体ごと正殿の壁に叩きつけられた。
「天叢雲か‥‥厄介だな。落馬させて、あの剣を壊すぞ!」
宗の声と共に全員の視線が青銅剣に集まり、頷きあった。
「まずは足を削ぐ‥‥っ」
風神の槍に持ち替えた夜鈴が鋭く馬の足装甲を狙い、次いで、槍と交替する様に清と炯々の光弾が炸裂する。
攻勢の中、騎士を注視していたフィーネが気づく。カストルの腕に小さく散る、プラズマの様な光。
危ない。そう思った。次の瞬間、雷を纏った馬が駆け――雅が微笑う。
「馬なら絶対突撃があると思ってたんだよ」
剣を構えて一直線に強襲する騎士。真っ直ぐから対峙して睨む雅。
「ッたぁぁあああ!!」
軽いステップで突撃を避け、横面からレガースのついた右足を大きく払う――!
ヒィィン、と悲鳴をあげて馬が崩れ、金髪の青年は大きく投げ出された。
落馬した騎士を逃すまいと宗の操る影が身を縛り、フィーネとルビィが同時に斬り掛かって防戦を強いた。
そして。
「その牙、折らせて貰おう」
背後に回りこんだ夜鈴が黒炎の槍で叢雲を弾き飛ばす。
風を帯びて宙を舞う神の剣。それを捉えたのは魔の剣。即ち、みゆきのマビノギオンの剣――。
「剣には剣を、です!」
●浅き夢幻《ゆめ》みし、月の瞳
異変はすぐに訪れる。
きらきらと降り注ぐ剣の破片を受け、突然膝をつくみゆき。
強制的に恐怖を植え付ける様な、禍々しい光に侵食される体。
「体が急に、重く――でも、幻術は消えてない‥‥」
目が霞む。思う様に体が動かない。それでも、彼女は辺りを見回して観察を続けた。
「‥‥何処かに勾玉と鏡が?」
清が呟くが、悠長に考える時間はない。再び馬に跨った騎士が、今度は光刃を手に、みゆきに襲い掛る。
斜線上で槍を上段に構え、庇う体勢の夜鈴だが、実体なき剣はそれを容易にすり抜ける。
――透過!? いや、叢雲に代わる能力か!?
切り落とした訳ではない、何もなかった様に通り過ぎたのだ。
だが、アウルで包まれた槍に触れた場所の光は薄らいでいる。つまり完全に透過する訳ではなく、消耗しているのだ。
「ならば――出番だ、アンデルセン」
点ではなく、面で受けてやろう。清が足を踏み鳴らすと瞬時に現れる、縞瑪瑙の様に輝く黒壁。
無尽光の壁に触れると、如何な光刃と言えど霧消してしまった。
動きが止まれば反撃の時。
騎士の背後から頭部への回し蹴りを叩きこむ雅。更には炯々の光弾が背中に刺さる。
「そういえば、三種の神器と言えば宝鏡奉斎の神勅がありますね」
と、清が思い出した様に言うと、炯々が正殿の方を見て頷く。
「鏡を祀る‥‥ありそうだね」
戦力の分散は痛いが、次々と降り注ぐ火矢も鬱陶しい。
宗は火矢を避け転がる様に棒手裏剣を投げると、叫んだ。
「二手になるが仕方あるまい。中の調査を頼む!」
ぎぎぎ、と扉の軋む歪な音が響く。
船形錠で鎖していた扉は開かれ、正殿内に浮かぶ日向の路。
その路の先、奥の祭壇で光を受けて一際輝く鏡は探すまでもなく。その横に居る人影もまた、探すまでもない。
蒼い髪の痩身の男――拳闘士『ポルクス』。
「不意打ちかと思ったが‥‥正々堂々って事かい。上等だぜ」
ニヤリと笑うルビィ。纏めて吹き飛ばすのが彼の常、紅く迅る光と共に鬼切が猛る。
室内で放つ封砲は床を抉り飛ばし祭壇を襲うが、拳士は鏡を手に大きく右奥へ跳躍した。
負けじと拳士も拳を振るう。その手に纏うのは小さな、竜巻。
轟音――。
「あっぶねぇ‥‥!」
三枚の盾で攻撃は何とか防ぎきったが、勢いを殺せず3人は僅かに体を押しやられた。
だが、怯みはしない。遠心力を乗せたクレイモアを振り下ろすフィーネ。それを追い放たれる、清の蒼い光箭。
「――片手じゃ戦い難いでショウ?」
「さっさと救われて下さい」
ガードしても脇腹にめり込む刃。清の矢は拳士の頬を掠め背後の壁を撃ちぬき、更に炯々が続いて2発3発と続く。
2人の弾で建屋の隅に追い込めば、二度、鬼切が黒い涙を流す。
遂に片手では無理と踏んだか、ポルクスは八咫鏡を放り、両腕を交差して封砲を正面から受け止めた。
かららら、と高い音を立てて炯々の足元に転がる銅鏡。それを壊せば、もしくは――。
「御伽サンこっちハ抑えておきますカラ、鏡を!」
「これが八咫鏡か‥‥どれどれ」
炯々が覗きこんだ瞬間、景色が白く塗り潰す眩い光が迸った。
「はっ――、はぁっ――、ちょっと、ミスったね‥‥」
肩で息をし、口元の血をぐいと拭う雅。
宗と夜鈴の徹底した攻撃で今や装甲馬は地に臥し、残るは金髪の騎士『カストル』のみ。
「くそっ、鬱陶しいな‥‥!」
身を捩る夜鈴の腕を、焔が焼いた。
もう何度目か。降り続く火矢の攻勢は緩む事なく、例え刃を避けても火矢の餌食というのは精神的に辛い。
盾となれる3人は正殿内、尚且つ外には回復の手段もなかった。
――ジリ貧。
嫌な単語が、全員の脳裏に浮かんでは消える。
そんな時、みゆきが異変に気がついた。正殿から銃声がした瞬間、建物が揺らいだ様に見えたのだ。
(目の錯覚‥‥?)
そして、再び銃声。錯覚なんかじゃない――!
「幻術が消えるかも知れません! 気をつけて!」
そう叫んだ瞬間、遠くで炯々の声がした。
「――当たれぇぇッ!」
炯々の意識は光に漂っていた。
八咫鏡は天照鏡。覗く事は太陽を直視すると同義である。
見えぬ瞳で目標定まらぬままに銃を撃ち続け、3回目に漸く破壊した頃。その間に清らは、大きく消耗していた。
迷惑かけてしまったなぁ。と、ぼんやり思った。そのまま炯々の意識は深く落ちる、筈だった。
「ぃ、‥おい! しっかりしろ、御伽!」
ぱちん、と乾いた音と鈍い痛み。
神器破壊の反動で眠りに落ちかけた炯々は、ルビィの平手で目を覚ました。
「あれ‥‥?」
未だ残光の残る目を擦り、辺りを見渡す。
其処にはもう旧時代の風景はなく、建屋の足が点々と残る草原。現代の風景。
「鏡がビンゴだった。‥‥さぁ、後はあいつらをぶっ倒して帰るぜ!」
●福音よりも‥‥
風雷が吼える。
兄弟は呼応する様に剣と拳で天を突いた。
途端、奔る風を纏った拳と共に拳士が駆け、一陣の風と言うには余りに暴力的なパンチが放たれる。
夜鈴とみゆきが左右に押し飛ばされ、軽い体が宙を舞う。
「きゃあああっ!」
「く――祈れ、シャルル!」
清の左腿で廻る木星が翠に輝いてみゆきの体を淡い光で癒し、無防備になった清に今度は騎士が雷突を放つ。
だが、その雷が清に届く事はない。
「そう簡単にっ――、行かせないんだよ!」
双子ならきっと密に連携すると読んだ雅が、徹底的にカストル逃がさない。
胸部に突き刺さる回し蹴り。遠心力に突撃の強さを載せた衝撃に、騎士の体は後方へと吹き飛んだ。
再び訪れる機。地を這う騎士の足を鎖鎌の分銅で絡めとり、宗は力のままに中空へと釣り上げる。
そして自身もそれに向かって高く跳躍し――。
「堕ちろぉぉおッ!」
飯綱落とし――!
カストルの体が地面に叩きつけられ、大きく跳ねた。ぐらり、視界が歪む。
それを見たポルクスは、兄を助けるため駆け寄ろうとした。だが、行く手をルビィが阻む。
蹈鞴を踏んだ拳闘士を狙う炯々のP37。逃げ場を絞られた隙を狙って、フィーネの大剣がポルクスの腕を切り飛ばす。
『アアァァアァアッ――!!』
嗚咽、叫喚。共鳴する様に双子が同時に血の涙を流し、撃退士達に動揺が走った。
「な‥‥痛みを共有しているのか?」
「双子だし、有り得そうだな‥‥くそっ」
宗の呟きに、歯を噛み締める夜鈴。縁ある二つの魔物、それは2人に苦い思い出を呼び起こす。
絆を甘く見て敗戦したあの戦い。しかし、いつまでも痛みを抱えては居られない。前に進まねばならない。
「そろそろ乗り越えさせて貰う!」
夜鈴の槍が、黒焔を上げてカストルの腹に突き刺さった。黎い飛沫が夜鈴の頬を濡らし、滴る。
絶叫、悲鳴。2つの口から吐き出す金切り声が、胸を締め付ける。
片方が苦しめば共に苦しむ、美しく悲し無二の絆。‥‥まるで、人間の様な。
だが、それでも――彼らは、ディアボロなのだ。決して戻れない、ステュクス河の向こうの存在。
「辛い思いはもういいだろ、兄弟仲良く星に還りな。――闇を照らせ、アーク!」
「斃す事が唯一の救い‥‥降り注げ、カプリコーン」
浄化の光を纏って閃く、鬼を弑した禍しき刃。同じくして、涙の如く疾る榛色の彗星がポルクスの体を打ち伏せた。
『ニイ、サ、ン――‥‥』
弟が最後の力で掲げた勾玉が白緑に輝き、兄の意識を揺り動かす。
あまりに残酷な愛。彼が目を開けたその時見たモノは、既に動く力の無い弟の姿――。
耳を劈く程の喚き声を上げ、カストルは胸に孔の開いたその身を雷に変えた。
全てを焦がす雷を纏い、雅と炯々へと突撃する満身創痍の騎士。
「させまセン!」
2人の前へと踊り出るフィーネ。盾を喚び出し、狂気に突き動かされる魔物の瞳を見据えた。
――祈るだけだったこの腕でも何かを護れると知り、彼女は盾を取った。
未だ信じるモノは見つからない、けれど、一つだけ知っている。
神は人を護ってはくれない事――。
「私が‥‥皆サンを護りマス!!」
●悪魔遊享曲
ぱん、ぱん、と手を叩く音が聞こえる。
それは此処ではない何処か。双子の骸からか、風のひと吹きか。
『今日も素敵なショウでしたよ、『刃』達。彼らは大いなる神の血を受けたが為に苦しみを背負う、悲しい運命の御子達。 一緒に殺してあげるなんて。ああ、とても美しいですねぇ』
「どういう――」
炯々は空へ向かって声を上げた。
『弟の持つ勾玉を破壊しなかったのでしょう? 魂の根源、魂の繋がり。生と生を融和する石』
まぁ、お陰で狂化を見られませんでしたけどね、とオフュークス。
不死の伝説。人としてあるべき死を得られぬ禍つ魂。
「でハ、苦しまずにあるべき路へ帰ったのですネ」
「‥‥まさか日本神話と星座神話が混在してくるとは想いませんでしたね」
少しほっとするフィーネと、少し呆れるみゆき。
『麗しの我が君メフィスト様はマンネリを忌み嫌う御方。瑣末な悪魔としては、ご機嫌を損ねると大変でして』
「そいつもこの『ゲーム』を観てるって事か‥‥いい趣味してるぜ」
悪魔の享楽に命懸けで付き合わされている、という事実にルビィが吐き捨てる。
『勿論。この地という遊技盤と12の駒を下さったのは我が君ですからね』
「――成程。少しずつ裏が見えてきた」
6度の戦い経て、見えて来る事。星座、土地、何より、こいつら悪魔が本当に余興として見ている事。
平和な世界を志す宗としては、不快な話だ。
夜鈴は無表情のまま、空を仰いだ。居場所も解らぬ、その悪魔を睨んで。
「いい加減、声だけじゃなくて此処に出てきて欲しいな」
『くすくす‥‥時が来れば必ずお目にかかりましょう。それでは――』
「その時は、ボクが救ってあげます」
清の言葉は、秋の風に流され空に溶けた。