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現場に急行した麻生 遊夜(
ja1838)は、舌打ちをひとつ零した。
眼前に立ち並ぶ民家は複雑に入り組んで密集し、路地は迷路のような様相を呈している。時折遠い口笛のような風がそこから吹いて、道の狭さを伝えていた。身を隠すには絶好の場だ。
「密集地でとは厄介な…急がねば!」
急く声に、来崎 麻夜(
jb0905)が頷く。
「敵が一体なのがせめてもの救い、かな 。押さえてさえいれば被害は止めれるわけだしね」
肩を竦めて言いながら、黒き骨組みの翼を顕現させる。そして遊夜を見上げると、彼の腕にそっと自身の腕を絡めた。甘やかな恋人のような仕草で。
隣に立つヒビキ・ユーヤ(
jb9420)もこくりと頷いた。「敵を、足止めすれば、これ以上の、被害は出ない。あとは如何に早く見つけ出せるかが問題 」と。幻想的な翼を広げ、彼女もまた遊夜の腕に優しく腕を絡める。
遊夜が苦笑混じりでふたりを見つめる。彼の、愛しくも大切な家族を。
「すまんな、何時も通り頼む」
微笑みを浮かべ伝えた言葉に、「じゃぁ、行こう?」と麻夜が、「ん、ユーヤ、行こう?」とヒビキが首肯した。
大切な存在がいるからこそ、見捨ててはおけない命があるから。
見上げれば、深く清い、澄み透った青。
その青の深みへと、三人は風を切って飛翔した。
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北の裏路地。
礼野 智美(
ja3600)は胸が潰れそうな想いで、道端に倒れた少女に駆け寄った。美しい黒髪が地に広がるのを、気にも留めず膝をつく。急いで少女を抱きかかえると、その胸には白矢が深々と刺さっていた。息はある――けれど、か細く、弱い。
「大丈夫か!」
「おい、しっかりしろ!」
智美の声と、屋根から飛び降りてきた千葉 真一(
ja0070)の声が重なる。少女は瞳に涙をためながら、それでもとこちらを見つめた。
中学生くらいの少女だ。十中八九――翡翠館の子どもだろう。
「いま手当を」と。処置を施そうとした智美を、少女は拒んだ。
「いいの……それより、ナオとダイチを救っ…て……」
けれど、と呟いた智美に、少女はなおも首を振る。
「お願い…隠れてるの…公園に……。わたし…囮になった…けど…駄目だった…行って、しまった」
「――冥魔だな。わかった。俺達が助けに行く。だからもう喋るな」
真一の必死の説得に、少女はほろほろと涙を零した。
どうか救って、と。掠れた声で言い。やがて瞳の光が急速に失われる。少女を抱く智美の顔が、痛むように歪められた。
「くそっ!!」
無情な空に、真一の怒声が響き渡る。
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遺体を発見した、と。智美・真一が属する地上A班から報が入った。
翡翠館の子の遺体が、路地で一名。そして――公園で二名見つかったと。冥魔の目撃情報は公園付近で途絶えており、依然として不明。捜索を継続するとのことだった。
『こちらも三名。地域住民の遺体を発見しました。冥魔の姿は無く目撃情報もありません。捜索しつつ北上します』
住民の遺体を前に、天宮 佳槻(
jb1989) が冷静に報告する。雫(
ja1894)は辺りを見渡しながら、微かに瞳を翳らせた。
残された住民達の無事を信じていた。けれど現実はいつだって残酷で。
『B班。一般人だ。北方向から来る』
複数通話から遊夜の声が入る。目を向ければ、住民の男が走り寄ってくるのが確認できた。
「た、助けて!」。パニックに陥った男に、佳槻は静かに声をかける。
「大丈夫ですか。冥魔を見たのですか?」
「いいや。でも逃げていく翡翠館の子どもを見たんだ。だから思わず――逃げ出してきた」
俯く男を前に、雫と佳槻は目を見交わした。「その子はどこに」と問えば、「西に」と返る。
「わかりました。物陰に隠れていてください。決して動かないように」
佳槻がそう言い置き、雫が報告を上げ。風の鳴る路地を、二人は駆けだした。
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路地に一般人を発見した上空班は、麻夜を派遣していた。
「この付近はまだ安全だけど、危ないから隠れててね?」と。麻夜は阻霊符について説明し、隠れることが身を守る最善策だと住民に諭す。
「早めに倒しちゃうからちょっとだけ我慢してねー」
微笑めば、住民は安堵の表情を浮かべた。
一報が入ったのは丁度その時だ。
『こちらB班。翡翠館の子どもが西へ逃げていったと情報が入りました。冥魔出現の可能性が高い為、急行します』
次いで二報目が、すぐさま入る。
『敵発見! B班の情報通り、子どもを追いかけて西に向かっている。A班はそこから八時方向に、B班は十一時方向へ頼む! 敵現在地B班の方が近いぞ!』
愛しい人の声を耳に、麻夜はくすりと笑んで見せた。
「了解♪」
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「敵がいたら、急降下する、良いよね?」
その言葉通りに。遊夜を抱くヒビキは、最早垂直落下の勢いで高度を下げていた。髪を風に煽られながらも、遊夜は敵影を追い、情報共有を続ける。
敵は悠然と路地を駆け、逃げる子どもを捕捉していた。もう射掛けることができるのに、それをしない。明らかに狩りを楽しんでいるようだった。
遊夜の顔が歪む。二度目の舌打ちは、風音に消えてゆく。
気付けば翼を広げた麻夜が合流し、遊夜に寄り添っている。速やかに屋根に下りると、遊夜はヒビキに“手引きする追跡痕”を撃ち込み、信頼した眼差しをふたりに向けた。
「先に足止めを頼む、俺もすぐに行く」
「はぁい♪待ってるよー」
「ん、早く来てね?」
クスクスと喉を震わせ、麻夜とヒビキが笑んで応えた。
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カスミを抱いて走って走って。気付けば袋小路に迷い込んでいた。
聡美さんだったモノが出口を塞ぐ。弓を引いて笑っている。
鳴りやまない絶望の音。僕達は殺される――
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冥魔――山羊のケンタウロスが矢を放つ、その瞬間。
銀の影が躍り上がった。紅い光を放つ大剣を手に持ち、渾身の力で振り払う。ドオン、と重い衝撃音。一瞬後には、冥魔は真横に弾き飛ばされている。後に残るは、邪神を身に宿したが如く少女がひとり――雫だ。
袋小路に追い詰められた子ども――ツバサとカスミが唖然としてそれを見つめる。すると、翼をはためかせ現れた少年にふわりと抱き上げられた。「怪我は?」。素早く訊かれ、ツバサは反射的に首を振る。「カスミも」と言い足せば、少年――佳槻は静かに頷く。
「来る!」
雫の張りつめた声がし、振り向けば冥魔が怒涛のように攻めて来る。掲げた両手には禍々しい光球。
佳槻は即座に無数の小盾を顕現させた。その盾で自身を守り、己も盾となって子を庇う。雫も躊躇なくそこに加わった。
光球が走る。炸裂する。そして――爆音。
ぐ、と唸るふたりの声。衝撃は大きく。揺らぐ意識をそれでも留めて。佳槻は流血をそのままに子ども達を見やった。怯えきった顔。が、怪我はない。無事だ。
冥魔も八卦水鏡による衝撃を受けたが、攻めの姿勢は崩さなかった。生み出すは再びの光球。佳槻、雫が防御の構えを取る、その時。
「変身っ!」
何処からか明朗たる声が響き渡った。
青き空に舞う真紅の影。マフラーが風に靡き、真紅のバトルスーツが煌めく。それは軌跡をなして旋回し。
「ゴウライ、反転キィィック!」
重い蹴撃を見舞う。吹っ飛ぶ冥魔と反対に、紅き影は鮮やかに着地し、右拳を高々と振り上げた。
「天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!!」
その姿、まさしくヒーロー。ツバサは瞳を見開いた。
立て続けに空に影が差す。燃え盛る金炎を纏う者――智美だ。護神姫流の継承者であり、「戦巫女」である彼女の一撃は、瞬速かつ正確無比だった。炎の残像が見え、一瞬後には痛烈な一撃が見舞われている。
二度の衝撃を受けた冥魔は、その痛みに叫んだ。タスケテエエ、と女の声で鳴く。智美は奥歯を噛みしめた。
「どこまで人を愚弄する――! 護るべき幼い子どもを。どうしてこんな惨い目に遭わせるのか!」
答えの代りに、冥魔は山羊の蹄を蹴った。身軽に屋根に駆け上がり弓を引く。闇色のそれが智美、ゴウライガこと真一に向かい来る。智美は躱したが、真一は肩に衝撃を食らった。
笑う冥魔。そこに――鳴る風切音。急降下するは、ヒビキだった。ギガントチェーンを振り下ろし、脚を振り上げて強打を見舞う。が、これは辛うじて回避された。
「外した、でも」
こうじゃないと面白くない、と。ヒビキは喉を震わせ笑う。
「さぁ、遊ぼう?」
片手を差し伸べ、小首を傾げて告げた。
同時にクスクスと、別の声が重なった。やがて空から羽が降り始め、冥魔を包んでいく。
「見えなければ、他の人のとこに行かないよね?」。
麻夜だった。妖しき浸食の羽が、緩やかに耳目を塞いでいく。冥魔はたじろぎ民家から崩れ落ちた。
「さぁ、夜に嫌われるといいよ!」
闇色の少女は妖艶に笑んだ。
暴れる冥魔の肩にはいつの間にか紅い血が流れている。本物ではない、遊夜の撃ちこんだ「手引きする追跡痕」である。ヒビキらの交戦中に彼も到着していたのだ。
屋根の上。スナイパーライフルSB‐5を構え遊夜がニイッと笑む。
「これでもう逃がさん…腐れて華麗な華を咲かせると良い」
狙いを定め――放つ。冥魔の悲鳴が轟いた。光弾は過たず山羊の腹部を撃ち抜き。弾痕が蕾を形作る。毒々しき花を咲かす、それは終わりの始まり。――腐爛の懲罰。
冥魔が啼く。タスケテエエ、と。
塀の裏に身を潜めた子ども達――佳槻がふたりを隠したのだ――が苦悶の表情でまた耳を塞いだ。
「聡美さんの声…」と。ツバサが目に涙を溜めて呟く。雫は視線を冥魔に注ぎながら、素早く問い質した。
「聡美さん。翡翠館の女主人ですね? もしや――あのディアボロが?」
ツバサは震えながら頷いた。
+
極彩色の光と音が路地に響く。
冥魔は強かなダメージを各人に与えたが、既に取り返しのつかない傷をその身に受けていた。
認識障害と腐敗の混濁。両目は遊夜に潰され、佳槻の術によって身動きさえも封じられ。
タスケテエエ、と。何度目かの悲鳴が蒼空に消えていく。
「ふふ、今宵もボクの嫉妬が疼くよぉ」
嫉妬の悪魔の名を冠した鎖鞭を、麻夜が振るう。同時にヒビキが硬貨を打ち付ける。「私と遊ぶの、他の人を見ちゃ、嫌だよ?」と。クスクスと二人の笑い声が響き渡る。
イヤアアアア。最早笑みを失くした冥魔が声を震わせていた。命運はすでに尽き果てようとしている。
「解き放つ」
――この辱めから。
毅然と顔を上げるのは、智美。そして雫。身体中に紅い紋様を、禍々しき魍魎を浮かび上がらせ。己が剣で――穿つ。まさに烈風の如き一撃、二撃。そして。
「聡美さんの願いを踏み躙る行為、俺は許さん!」
強き感情を声に載せ。真一が飛び上がる。智美の施した「絆」の力が、太陽の輝きが脚部に宿る。放つは渾身の――
「ゴウライ、反転ドリルキィィィック!!」
冥魔が空に飛んだ。響き渡る断末魔の叫び。それさえも、軌跡を描く白き光弾が撃ち消して――
「さよならだ、良い旅を」
ライフルの硝煙が揺らぐ。
黒と赤の翼を広げた「天騙る者」――遊夜は、冥魔を静かに見下ろし呟いた。
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「何か知っている事があったら教えて貰えませんか?首謀者に対して報いを与える為に」
戦闘後。雫が問い、ツバサは顛末を苦しげに話した。首謀者は十五、六歳の少年の冥魔。「家族の幸せが大嫌い」と言って聡美さんを殺したのだという。
佳槻は、首謀者に対して前々から抱いていた疑問が、その言葉であっけなく解けたように感じた。
――何故殊更人間性を嗤う様な事をしなければならないか。
それは、否定する事で劣等感を覆そうとする想い。自身の渇望の否定だと。
風は鳴る。ひゅうひゅうと。
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今回の事件での犠牲者は、近隣住民が七名、そして翡翠館の子が――四名だった。
孤児で残されたのは、十二歳のツバサ、四歳のカスミ、そして五歳のユウの三人である。
戦災孤児である彼らは二度目の被災だ。幼い二人は泣き喚いたが、ツバサはじっと堪えていた。
「やっぱり、神様なんていないんだ」
漏らした声を、雫が聞き取った。そっと彼の前に立ち視線を合わせる。
「貴方の言う通り、神様なんていないと私も思います」
きっぱりと告げられた一言に、ツバサの顔が歪む。雫は構わず続けた。
「誰かを救いたいなら、祈るのではなく行動した方が良いと思います。貴方が年下の子を連れて危険を承知で一緒に逃げた様に」
「でも」
どうしようもならないことも、同じ数だけあって。
ツバサは拳を握りこむ。あらゆる不幸が、否応もなく自分を打ちのめす。なんて理不尽なこの世界。やり場のない怒りが、憎しみばかりが募っていく。
「こんな世界なんて――」
呟いたツバサの頭上から、ふと静かな声がかかった。
「憎んで殴るだけが戦いじゃない。生きていく事自体が今の世の中そうなんだろう」
見上げると佳槻がこちらを見つめている。彼は淡々と、低い声音で告げた。「神様なんていないし、いたとしても役立たない。だから、人が生きてどうにかするしかない」と。
「――憎むなとは言わない。それもまた生きている事。一人にならない事は生きる事そのもの」
ツバサは目を見開いた。聡美さんの言葉と呼応して響く、その言葉。無性に切なく恋しくて、気付けば涙が溢れている。
わんわんと泣きながら、ツバサはふたりの言葉をようやく受け入れた。
厳しいけれど、それが真実なのだと、ふとそう思えた。
遊夜がツバサの頭を優しく撫でる。
「良かったら、俺達の所に来ないか? 神はいない、だからこそ理想に溺れてでも手を伸ばせ!」
強く告げられた言葉に、ツバサは思わず顔をあげた。麻夜とヒビキが、柔らかに頷いてみせる。
「大丈夫、ボク達も同じだったから…一緒に、行こう?」
麻夜が微笑む。
ひとりぼっちの寂しさ、そして家族の暖かさを知っているから。だから手を差し伸べる。苦労なんて三人は百も承知だった。それさえも呑みこめるほどの幸せがそこにあるから。そう信じるから――。
「でも、貴方達の、意思は、尊重する、よ?」
ヒビキは「どうする?」と青い瞳で問う。ツバサはしばしの沈黙の後、決心した。「よろしくお願いします」と頭を下げる。
ひとりぼっちにならない術を。まずはここから――。
笑んだ遊夜に智美がそっと近寄り。「必要資金なら、ある程度援助出来ると思う」と囁いた。智美は裕福な家の出なので、それが出来るのだ。
「いいのか」
「家族は引き離したくないし」
告げた智美の脳裏には、姉妹の顔、兄弟姉妹を持つ友人の顔が過ぎっていた。
「……恩に着る」
真面目な顔つきで遊夜が言い。智美は柔らかに微笑んだ。
笑いさざめく仲間達を見ながら、真一がツバサの肩に手を置く。
「例え力が無くとも君達を護ろうとした聡美さんの想いを忘れるな」
言葉を深く受け止めて。ツバサはしっかりと頷いて見せた。
幼い姉妹達。新しい家族。手を差し伸べてくれた人達。ひとりぼっちではない。強くなる。
この手で、現実を変えるから。
さあ、神様との訣別を。
〈終〉