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澄みわたる蒼空に、一羽の鳶が飛んでいる。
両翼で風を切り旋回すると、口笛のような音を立て一声啼いた。
深山の麓に輝く黄金を、豊穣の季節を、高らかに歌い上げている。
「やはり熊野の地は美しいですわね」
耳を澄ましながら、玖珂 円(
jb4121)が呟いた。
見はるかすのは、足元に広がる金色の海。山の勾配に沿って作られた棚田に、たわわに実る稲穂がある。風が吹くたびにそれらが一斉に寄せては返し、まるで本物の波のようだ。
「何故でしょうな……ひどく懐かしいような、そんな気がするのは」
目を細めるのはヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)。私悪魔でございますが、と突っ込みを入れつつ、周囲の山並みへ目を移す。
空の蒼と山の緑、そして稲穂の金色のコントラストが鮮やかだ。
思わずといったように、隣で姫咲 翼(
jb2064)がシャッターを切った。
「絶好の日和ですね。当日までに間に合うか、本当に心配でしたが」
今回の依頼人である観光協会職員、吹野が呟き撃退士達を見やる。
「まさかこんなに企画をご提案頂けるなんて、予想以上でした。準備尽くしで気が狂いそうな程でしたよ……」
嬉しい悲鳴ですが、と彼女は笑う。
でも、と天菱 東希(
jb0863)が声をあげた。
「このイベントで村の良さを分かってもらって、繰り返し足を運んでもらえたり、その内定住してくれる人とか増えるといいッスよね♪」
できる限りのお手伝いをさせてもらうッス、と拳を握りしめる。神崎 律(
ja8118)もそれに頷いた。
「その土地らしさの強調と保全にもなるの。村おこし、がんばってほしいの」
「村おこし、ですか…いえ、やるだけやってみますよ」
律の言葉を受け、隣に佇む兄、神崎 煉(
ja8082)が相槌を打つ。
「皆さん……」
吹野は言葉を失った。
“一過性のイベントで終わるのではなく、出来るだけ長くこの地で息づくような企画物を“。
そんな想いから、数々の催し物は考案されていた。撃退士達のこの真意が、今はただ何よりも嬉しい。
「――必ず、成功させましょう。感謝の言葉は、その後でたっぷりとお伝えします」
撃退士達は笑みをつくり、それに応じた。
意気を新たにする面々のなかで、御神島 夜羽(
jb5977)とグレイシア・明守香=ピークス(
jb5092)は複雑な胸中を押し隠していた。夜羽は、鞄にしまい込んだあるモノのせいで。そして明守香は今回の依頼について。
(何の気なしに受けてみたのはいいけれど…)
明守香は思う。食物が名物の土地柄では、良案を出すことができず、歯痒い想いをしていたのだ。
とは言え、引き受けたからにはすべきことをしないと格好がつかない。
「ならば……皆が出す案のサポートで手助けする感じよね」
そういうのならばあたしでもできるかしらね、と肩をすくめ、千枚田を見下ろした。
黄金の海がさざめいて揺れる。
各自様々な想いを胸に、いよいよイベントが始まろうとしていた。
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青空に空砲が放たれる。午前九時、開会だ。
会場には地元民はもちろん、多くの観光客も集まっていた。予想以上の人出に実行委員は大わらわだ。
まずは千枚田が一望できる高台へと客を誘導していく。
頂上まで登ると、大きな歓声が沸く。棚田の景色に見とれる客達の声だ。吹野がその様子を見守っていると、真横からもどよめきが上がった。
そこには棚田を背景に、浴衣や着物に身を包んだ艶やかな美少女三人――円、明守香、律の姿がある。
浴衣に合わせ、明守華も円も髪をおろしており、ぐっと女らしく儚げに映る。
普段から和装の律は佇まいも堂に入っており優雅だ。しかし皆なぜか、その両手には妙なマスコットを抱いていた。
「棚田の撮影、いかがですか?」
「一緒に並んで撮影も大丈夫ですので、お気軽に声をかけてくださいね」
明守香と円がにっこりと声をかけると、おおっ、と歓声が轟く。
「ゆるキャラの名前も、良かったら考えてみませんか?」
円がマスコットを持ち上げる。それは稲穂を手にした、みかん頭のキャラクターだった。顔はよく見れば、目が“く”、鼻が“ま”、口が“の”の字でできている。名物の柑橘類と稲、そして熊野を強調したご当地キャラだった。
しかし“ゆるキャラ”はそれだけではない。実は和装の美少女もセットで“ゆるキャラ”なのだ。
吹野は苦笑する。
デザインの得意な律が、この原案を描いたのは企画会議の席だ。
ゆるキャラ、と聞いて兄のことをちらりと見やり。
『ううん、なんでもないの』
とだけ言い、可愛い二等身キャラと、それを抱く美少女の絵をさらさらと描いた。
『ターゲット層は広い方がいいの』
と、ひとり頷く。
描いた美少女は長い黒髪に和装姿。千枚田の日本的な雰囲気や、当日の宣伝のことを考慮したデザインだった。
『これならコスプレしやすいの』
にっこり笑う。他意はない。
しかしマスコットと美少女を“ゆるキャラ”にしたことで、ゆるさと萌えを同時に楽しめ、着ぐるみ製作費まで節約した律の手腕たるや、末恐ろしいものがあった。
これを叩き台とし、二等身キャラのデザインはヘルマン・円の案を合作して本決りとなったのだ。
「なにあれ。きもかわいい」
マスコットに気づいた若い女子も騒ぎ出す。
“ゆるキャラ”の節操ないほど広い守備範囲が功を奏し、撮影会場はたちまち大盛況になる。
「はいはい、順番に!」
場を取りしきるのはカメラマンの翼だ。群がる客を何とか並ばせ、慣れた手つきで撮影していく。
三人の少女は次々と呼ばれ、息つく暇もない。
『百聞は一見に如かず、と申しますし、なんとかして一度足を運んでもらうには、違うもので釣ることも必要なのではないかと思いまして。私で釣れるかは疑問ですが……』
吹野は円が企画会議で言った言葉を思い出し、笑いが込み上げた。
釣れる釣れる。大漁どころの騒ぎではない。少女達の“ゆるキャラ”のおかげで、アイドル撮影会のような騒ぎだ。
「有難いです、本当に」
そうそっと呟いた。
撮影会のおかげで、隣にあるみかん即売会のイベントブースも賑わい始めている。
参加者不足を懸念していた早食い競争も無事席が埋まり、定刻に試合開始のゴングが鳴った。
『三番は既に三十個食べきりました! 早い早い!』
アナウンスにつられて、撮影を終えた客達が続々と観覧に訪れる。
男たちがぺろりと平らげるたびに歓声があがり、その横で煉がせっせとみかんを補充していた。
「盛況で本当によかった」
参加者にならずに済んだ彼は、こっそりと胸をなでおろした。
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次に吹野が訪れたのは、みかん狩りコーナー。
『せっかくの美味しいみかんでございますから、そのままを味わえるコーナーも欲しゅうございますね』
というヘルマンの案と、東希のアイディアを合わせた企画だ。
みかん畑の一部を開放したそこでは、多くの親子連れが賑わっている。
「あまーい!」
子供の無邪気な声が畑に響く。その場にいた誰もが笑みを漏らした。
すぐ傍では小学生達がみかんの枝にぶらさがって遊んでいる。
「気をつけて。落ちると危ないッスよ」
声をかけたのは東希だった。微笑んで子供達と目を合わせる。
「それに、村の人が大切に育てたみかんの木ッス。優しく扱ってくださいッス」
「はあい……」
しゅんとする子供達に、いい子ッスね、と熟れたみかんを手渡した。
「色んな気配りをありがとうございます。村内の美化まで考えてくださって……」
吹野が声をかけると、東希は首を振る。
みかんの木が荒らされないように見回ったり、ポイ捨てされたゴミを回収したり、彼の仕事は実に細やかだった。
村内の要所に分別ごみコーナーを設置し、定期的に収集・処分することを提案したのも彼だ。
誰もが快適に過ごしてもらえるように。そう図られた心配りには、見習うべきところが多くあった。
「一人でも多くの人の笑顔が見れたら、それだけで報われるッスよ」
まさにスタッフの鏡である。
「天菱さん! 迷子がいるみたいなんですけど」
「了解ッス。拡声器あるッスかね?」
スタッフが東希に声をかけ、慌ただしく去ってしまう。既に彼は裏方の中心的存在になっていた。
「職員も形無しね」
吹野が苦笑した。
みかん畑の下方の道には、白いテントが設置されている。そこにいるのはヘルマンだった。
「おや、おいででしたか」
穏やかに笑んで、吹野を迎えてくれる。
彼の企画案は、実に壮大なものだった。
『棚田オーナー制や週末農業体験ツアー等はございますかな…? 農業に興味のある都会の方が、休暇を利用して農作業を愉しめるようなプランも有用でございましょう。社員旅行になっている会社もございます。また、古民家再生の宿も人気でございますな』
とのたまったのだ。
最初は度胆を抜かれたものの、休耕地も増えた棚田を思えば、企画に否を唱える者はいなかった。
役場や地主、旅行会社まで巻き込み、急ピッチで事は運んだ。古民家再生は当日までに間に合わなかったものの、棚田オーナー制と農業体験ツアーは新設することができたのだ。
それだけではない。広報の為HPも立上げ、土地の環境整備も行った。
棚田やみかん畑を入念にチェックし、下刈や畦道整備、田の中の雑草除去まで。ヘルマンを主体に皆遅くまで(ヘルマンは不眠不休で)働き、隅々まで美しい棚田を作り上げたのだ。
あとは実際にこの風景を見てもらい、希望者を募るだけ。テントでは、今まさにその受付を始めたところだった。
「……本当に大丈夫でしょうか。頑張ってきたはいいけれど、参加者が一人もいなかったら」
スタッフが、おずおずとヘルマンを見上げる。短期間でここまでの企画を推進した彼は、今や一部の職員から師と仰がれていた。ヘルマンは柔らかく微笑む。
「失われゆく心安らぐ光景と、美味しいものを味わえる…今の人々が望む“郷愁を満たすもの”がここにあるのではありませんかな? ――ご自身の村に、どうぞ自信をお持ちください」
「「師匠――!」」
テントのスタッフが一斉に叫ぶ。
何やら男臭いその集団に、吹野は後ずさりしつつ笑った。
士気は最高潮。これならきっと、上手くいく。
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棚田を抜け村の集会所まで来ると、良い匂いが漂ってくる。
名産品を使った菓子やジュースの試食販売コーナーだ。撃退士達の考えた料理の数々に、客は舌鼓を打っている。
そこで異様な存在感を放っていたのは、夜羽だ。なぜか巫女装束を身にまとい、不機嫌そうに試食を勧めている。
「るせェ…この格好にツッコむんじゃねェ」
(あの野郎ォ…いつか指の爪全部折ってやる)
何か言いたそうに彼を見る客をじろりと睨み、内心でほぞを噛む。この衣装は彼の所属クラブの長に押し付けられたものだった。中性的な容姿によく似合っているが、むろん当人は不本意この上ない。
しかし手に持った菓子は気に入ったらしく。
「まあ…美味ェけどよ」
と続けた。色んな意味で強烈なコスプレに、客達は怖々と菓子を手に取っていく。
夜羽が勧めているのは、律が考案したミルフィーユ状の焼き菓子。米菓に興津早生、シークヮーサーの果汁入りクリームを挟み、ずらしながら重ねる。千枚田に見立てたご当地菓子だった。
その名も“千枚田みるふぃーゆ〜うちの田んぼでみかんがとれました〜“である。
パッケージにも千枚田の写真とゆるキャラを取り入れ、郷土色を強調した逸品だ。爽やかな味わいと、土産にもってこいの外観に、たちまち人気菓子になった。
『とりあえず会場で売ってみるの!』とは律の言だが。
「もう地元銘菓決定ね」
吹野が微笑んだ。
ドリンクブースでは早食い大会の仕事を終えた煉が精を出している。
まずはピッチャーに砂糖と蜂蜜、新鮮なシークヮ―サーの果汁を入れる。そこに少量のお湯を注いでかき混ぜ、水を足し冷蔵庫で冷やす。注文が入るとグラスに氷を入れ、ジュースを注いで提供した。
売り場にはみかんジュースもあり、同様に作っていく。
この日の為にレシピをリサーチしていた煉の手際は、実に鮮やかだった。
「シークヮーサーにはビタミンCが多く含まれます。さらにレビノチンという栄養素も含まれており、これはがん予防にも最適と言われています。また、高血圧を抑える役割も果たしてくれます」
振舞いつつ、すらすらと話す。柑橘類の効能を書いたプラカードも設置し、これを見聞きした健康志向の客達は、次々とジュースを注文していた。
「おや、良い匂いでございますな。ふふ、私も手伝ってかまいませんでしょうか?」
「俺もッス!」
現れたのは、ヘルマンと東希だ。二人もブースに入り、お菓子作りや販売に加わる。
ヘルマンはオレンジケーキを、東希はオレンジタルトに蜜柑カステラ、シークヮーサーのジュレや絞り汁を提案していた。どれも村民が味見し、太鼓判を押す出来映えである。
「シークヮーサーの搾り汁いかがッスか。から揚げや焼き魚にかけても美味しいんスよ!」
「オレンジケーキは少し焦げた所が美味しゅうございますよ。お店では売っておりませんがね」
東希とヘルマンの声が響く。客が詰掛け、フードコーナーはいよいよ忙しくなってきた。
「あたし達も入るわね」
不意に声がかけられ、東希が振り向けば、明守香ら四人の姿が。
気が付けばもう夕方。撮影会が無事終了し、こちらへ加勢に来たのだった。
「…村に執事さんっていうのもなかなかオツなの」
律が興味深そうにヘルマンをじっと見ると、彼は微笑んだ。
「ありがとうございます。皆さんも、助かります」
「さあ売り切ろうぜ!」
翼が販売ブースに回る。明守香、律、円の三人はもちろん売り場近くで宣伝役に。明るい声が飛び交い、終始和やかに、見事全商品を売り尽くしたのだった。
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「イベントが無事成功して、ほっとしました」
円がぽつりと呟く。仕事を終え、吹野にたっぷりとお礼の言葉を浴びせられた彼らは、高台で千枚田を見下ろしていた。手にはもちろん、よく熟れたみかんがある。
夕日が落ち茜色に染まる田に、赤蜻蛉が飛んでいく。
「この光景がいつまでも在ってくれれば……幸せですな」
静かな声でヘルマンが口にした。撃退士達はゆっくりと頷く。
吹野は遠くからそんな彼らを見守っていた。手には煉から受け取った柑橘類のレシピがある。
『私が調べた限りのレシピです。もし良ければ使ってください』
そう差し出されたこのレシピも、今日の催し物も。村おこしを本気で考えてくれた、彼らの想いの結晶だ。
それを未来へ繋いでいく為に、今度は自分たちが全力を尽くす番だった。
吹野は晴れやかに笑う。沢山の勇気を分けて貰った気がして、胸が一杯になる。
「出逢えて良かった。本当に本当に、ありがとうございました――」
高台にいる撃退士達へ、深々と頭を下げた。
夕風が稲穂の海を渡り、やがて過ぎていく。
豊穣の季節に、想いの穂が新たに実をつけたようだった。