●
赤い夕日が海に沈み、その身を半分ほど隠した頃。
茜色に染まる景色のなか、浜辺の白砂を踏みしめて走る撃退士たちの姿があった。
「海岸の美化清掃も海のオトコのお仕事だよな」
駆けながら、マクシミリアン(
jb6190)が努めて明るく口を開いた。一瞬目を眇め、懐かしそうに海を見る。
「……けれど。結構やりにくい依頼よね」
長いローブに緑髪が印象的な蒼波セツナ(
ja1159)が、落ち着いた声音で返す。
同時に重いため息が上から聞こえた。セツナが見上げると、黒翼を羽ばたかせ飛翔するエイネ・アクライア(
jb6014)の姿がある。
「分かたれた恋人達、でござるか……。うぅー、悲恋は好きではないのでござるよぅ」
はぐれ悪魔の彼女は表情豊かな眉をくもらせる。
ウミネコ型三体、人型一体。計四体のディアボロから、一般人の少女とフリーランスの撃退士を救出すること。それが今回の依頼であった。それだけならどんなに良かったか、とエイネは思わずにはいられない。まさか襲撃するディアボロのうちの一体が、魂を抜かれた少女の恋人だったとは。
「囚われた躰と心の望まれない再会……ということか。解き放てるものなら、双方とも解き放ってあげたいが……」
「……殺すのが俺達にできる供養だ。面倒だが」
呟いたのは黒いローブ姿の青戸誠士郎(
ja0994)。並走する由野宮雅(
ja4909)が肩をすくめてそれに返した。一括りにまとめた長い銀髪が風になびいている。
「でも、少女の心的負担がちゃんと軽減されるようにフォローしてから、ですよ」
眼鏡を上に押し上げ、神酒坂ねずみ(
jb4993)が釘をさす。全員がしっかりと頷いた。
かつて少女の恋人であったとしても、ディアボロとなった以上、もはや人間ではない。それは動く屍なのだ。
どんなに心から望んでも魂は戻ってこない。となれば、これ以上被害が増える前に滅ぼすしか、道はなかった。
「では、手筈通りに。あとは状況に応じて適宜対応、ですかね。射程圏内入ったら合図しますんで」
ねずみが淡々と告げる。
彼らの立てた作戦とは、班別行動だった。まず初撃は、全員でウミネコ型ディアボロに奇襲をかける。次にウミネコ攻撃班、フリーランス撃退士補助班、少女保護班に分かれて行動する。特に少女保護班であるマクシミリアンには、かつて少女の恋人であった人型ディアボロ――グールの討伐を納得してもらえるよう、説得する大役があった。
それで説得に成功できたなら良い。討伐にかかることができる。
「もし、説得が失敗したら」
ねずみがセツナと誠士郎に目を向ける。二人は心得たように頷いた。
「まあ、ここは魔女らしくやりましょうか。……無慈悲なのも魔女の本質の一つだからね」
「……叶わぬときはせめてディアボロと化した躰を、その魂を『終わらせ』よう」
ローブを着こんだ黒魔術師と、死神然とした男は、決意を胸に秘めゆっくりと頷いた。
岩場が目前に迫って来る。その突端の下で、戦闘するディアボロと撃退士の姿を視界に捉えた。
「あれが女の子の恋人、だったモノでござるか……」
エイネが苦しそうに呟いた。岩場の前でウミネコが三体飛翔し、撃退士を攻撃している。その後ろで、何もせず様子を眺めている人型が、グールだ。
「人のいたぶられている様を眺めるなんて、まったく趣味が悪いぜ……」
マクシミリアンがひとりごちる。
ねずみがヘッドセットを取り付け、ぶるりと身震いひとつ。
「今ですっ。 ウ ミ ネ コ 死すべし!」
合図を機に一斉に速度を上げる。各々の目指す方向へと、砂塵を蹴って駆け抜けた。
●
「いざ参る!」
声と共に、誠士郎がチャクラムを投げつける。月のように淡い燐光を放つ丸い円盤――飛輪は、目にも止まらぬ速さで、撃退士を襲撃していたウミネコの横腹を痛打した。金切り声をあげ、魔鳥がもんどりうつ。
円盤は弧を描いて戻り、誠士郎がそれを掴むと、素早くセツナが前へ躍り出る。詠唱するは、炎の魔術。
まず唇。次に声と遅らせて発音し、最後の一小節だけ同調させる。
「(残虐なる火刑) ギルティフレイム」
唱和とともに二つの魔法陣が重なり、やがて巨大な火球が生まれる。火球は飛び交う魔鳥達のもとへ、光より早く。一瞬の後に、耳をつんざくほどの叫びが浜に響き渡った。三羽とも直撃し、羽ばたくことさえ覚束ない。
その隙を逃さず、飛びだしたのはねずみだ。
「能除一切苦ぅ〜」
楽しそうに声をあげ、アサルトライフルを撃つ。狙うは誠士郎が攻撃したウミネコ。アウルの力を込めた弾は、ねずみの光纏色と同じく、虹色の斑模様に輝く。軌跡を描いたスターショットは見事命中。魔鳥は鋭い悲鳴をあげて事切れ、地面へと落下した。
「負けていられぬでござる!」
岩場の方で声がしたかと思うと、エイネが上空から猛スピードで降下する。
いまだ迎撃態勢を取ることができない二羽の魔鳥。そのうちの一羽の頭上へ、愛刀“弥都波”を振り下ろす。刀に絡むのは、放電する紫の雷。
「食らえ!」
轟音がし、地面が震える。雷閃の一太刀に、魔鳥はしたたかに地面へ打ち付けられていた。羽を広げたまま、痺れて身動きが取れない。
「面倒だ全く面倒だ」
一服していた雅は眉をひそめて呟いた。煙草をくわえ、流れるような動作で素早くアサルトライフルを射撃する。
一瞬の出来事だった。麻痺した魔鳥の胸に弾は貫通し、あえなく果てる。
「全く面倒だ」
雅は煙草をつまみ、紫煙をくゆらせた。
「よし、このスキに飛び込むぞ」
マクシミリアンは口の端を上げた。仲間たちのおかげで、今洞窟の前に立ちふさがる者はいない。一つ深呼吸をして集中し、五感の感覚を高めていく。目指すは洞窟にいる少女のもとへ。一目散に駆けだした。
「でかしたのでござる! ウミネコはあと一羽でござるよ!」
エイネの元気な声が砂浜に響く。岩場の頂上まで飛び上がると、素早く祖霊符を発動する。砂浜では残り一羽となったウミネコが、迎撃態勢を整えたところだった。
ぐるりと旋回し、勢いよく舞い降りてくる。
「来るわ」
セツナが低く呟いた。後ろに立つ誠士郎は静かに頷く。
弾丸のように滑空する魔鳥。その敵の位置をはっきりと捉え、セツナは鮮やかに身をかわす。ウミネコの翼は虚しく空を切り、後方に佇む誠士郎のもとへ。防御姿勢を取った誠士郎は、避ける気はなかった。突進する魔鳥の、その体躯を腕で受け流し、傷一つ残させない。悔しそうな魔鳥の鳴き声が空に響いた。
「では。俺は、先に撃退士さん達を補助してきますね」
何事もなかったかのように淡々と告げる。誠士郎は足に紫のアウルの光を集め、目にもとまらぬ速さで洞窟へと走り去った。
マクシミリアンは、岩場を沿って進みながら問題のグールを目で追っていた。腐乱していることもなく、その青白い肌を除けば、ほとんど生身の人と変わらない。年は十五、六といったところか。優しそうな少年の面影がまだ表情に残っている。
(おまけに、襲撃をしないのも質が悪い)
思わず眉をひそめる。動きが鈍重なためか、グールは砂浜を徘徊するだけで、まだ何もしようとはしなかった。
こんな状況では、少女は混乱するに決まっている。
「せめて……何かとっかかりがあればいいんだが」
「何ですか、とっかかりって」
独り言に返事を返され、驚いて目を上げれば、洞窟の入り口に立つ誠士郎の姿がある。マクシミリアンは目を見開いたが、その意図を察して肩を叩いた。
「護衛、ありがとよ。にしても、俺より早く来られちゃねえ」
誠士郎はにこりと笑い、洞窟の奥へ目線をやる。マクシミリアンは顔つきをあらため、中へと入った。
暗い洞窟のなかには、体中に傷をつくる不精髭の男――フリーランスの撃退士と、十五、六歳ほどの少女の姿がある。
大きな目に涙を浮かべてこちらを睨んでくる少女に、マクシミリアンは苦笑混じりに手を上げた。
「よう、怪我はないか? 助けに来たぜ」
「お願い、どうか、彼を殺さないで……」
少女の震える声音に、早速きたか、と内心でひとりごちた。
●
ウミネコが首を上空へと向け、垂直に急上昇する。その先にいるのはエイネだ。
「素早さなら、負けておらぬぞ!」
矢のように飛んでくる鳥を、エイネは空中でくるりと回転し避ける。露わになった額には小さな角が二本。にやりと笑んで、ウミネコの背後を狙い刀を振るうが、しかしそれも回避される。旋回するウミネコに向け、雅が続けざまにライフルを撃つ。弾は左翼に当たり悲鳴をあげた。ふらふらと揺れるウミネコに、セツナが炎を放つが、これには辛うじて上体を傾けかわされる。
「不生不滅!」
間髪入れず、ねずみが飛び上がりライフルを放つ。弾は危うげに飛翔するウミネコの横腹に命中した。悲痛な鳴き声とともに、地上へと真っ逆さまに落ちていく。
「やったでござる!」
「あとは――グールね。洞窟へ様子を見てくるわ」
エイネの声に、冷静にセツナは返し、洞窟へと駆け出した。
「様子はどう?」
駆けてきたセツナに、誠士郎は首を振る。
「いいかい、落ち着いて聞くんだよ。君の彼氏に見えるアレは残念ながら彼じゃあない。彼のカラダを使って悪さしてる連中なんだ」
「いいえ、優也です! 酷いことしないで……」
お願いだから、と彼女は首を振る。少女の背中に手を回したまま、マクシミリアンは肩をすくめた。
先ほどから同じ調子で、どんな説得にもまるで耳を貸そうとはしない。
誠士郎とセツナは目を見かわした。説得に失敗したときには悪役に徹し、独断専行に見せかけてグールを倒すこと。それが、もう一つの策だった。
「埒が明かないわね。もういいわ」
決断したセツナが冷徹に言い放つ。呆然とする少女を残し、洞窟の外へと歩き出す。
状況を理解し、追いすがろうとする少女をマクシミリアンが抑えた。
セツナは声に耳を貸さず、外へ出てグールを探す。そのときだった。
「危ない!」
ねずみの鋭い声がし、銃声が響き渡る。岩場の死角となった場所から、不意にグールが飛び出してきた。仲間がいなくなったことで凶暴化したのだろう。鋭い爪を振りかざし、猛然と襲撃をかけてくる。
初動が遅れた雅とエイネが、急ぎその後を追っている。
ねずみの放った弾は、グールの腕を掠め飛び、その爪の切っ先をわずかに逸らした。セツナは冷静に回避しようと後ずさる。が、覆いかぶさる敵から逃れることができなかった。
瞬間、左肩に激痛が走る。グールの鋭い爪が肉を抉っていた。眩暈を起こしそうになりながら必死に耐える。
「セツナ!」
誠士郎が走り寄る。
雅は舌打ちをした。加速したその足で飛び上がり、ライフルから持ち替えていた刀“飛天”でグールに斬りかかる。しかしグールはすんでのところで太刀をかわし、たたらを踏む。
続けざまに、憤ったエイネが雷閃をくりだした。雷撃を避けることはできず、グールはその太刀を肩に浴び、悲痛な呻き声を響かせた。次いで訪れる全身の麻痺に、その動きを封じられる。
「優也……」
洞窟のなかでは、少女がただ立ちすくんでいた。
セツナの負傷と、彼の負傷。目の前で起こった出来事に、少女は混乱する。
彼を呼ぶその声には先程のような力はなかった。戸惑いに揺れる少女の瞳をマクシミリアンは見逃さず、両肩を強く掴む。
「君の彼は、こんなに残酷な奴なのか? 簡単に人を傷つけられるような奴なのか?」
外からはグールの――彼の咆哮が聞こえる。少女は目をそらそうとするが、マクシミリアンは離さない。
「本当は君もわかっているはずなんだ。……そうだろう?」
こらえようとした涙が、ぽろぽろとつたい落ちる。一目見た瞬間、本当は誰よりもわかっていた。わかっていたけれど、認めたくはなかった。少女は彼を思い出す。優しかった彼の笑顔を。
「彼を、解放したいんだ」
真摯な言葉に、少女は震えて俯き、やがてゆっくりと頷いた。マクシミリアンが微笑む。
「よしよし、いい子だ。あとはここでじっとしているんだぜ」
「……俺たちが、彼を『終わらせ』ます」
「災い転じて福となす、ってところかしら」
呼応するように呼びかけたのは、洞窟の出口にいた誠士郎とセツナ。動きを封じられたグールに相対する。
ため息交じりに、まず動いたのはセツナだ。負傷する左肩を庇いつつ、詠唱を行う。燃え上がる炎の剣がグールを貫き、悲痛な唸り声をあげる。
間を置かずよろめくグールに、誠士郎が対峙した。両手に持つは一対の曲剣。身体に纏う紫のアウルの光がいっそう強く輝き、放つ闘気は尋常のものではない。
グールと目が合う。青ざめた顔に、落ち窪んだ瞳。けれど“優也”であった頃の優しそうな面影を、そのままに留めている。悲しい唸り声が響き、わずかに眉をひそめるが、しかし誠士郎は揺らがなかった。
「囚われの躰と魂に無情の終焉という慈悲を……」
グールの頭上に飛び上がる。出来るだけ苦しまないように。この一振りで終わらせると決めていた。
「南ァ無阿弥ィ陀ァ仏ゥッ!」
巌のごとく重い一撃が、グールの頭上に振り下ろされた。
●
「優也殿を……拙者の炎閃で荼毘にふしたいのでござるが……」
エイネの一言に少女は頷き、少年の遺体を火葬することになった。
少女は泣きながら彼のことを話してくれた。
ディアボロになった少年、優也は天魔によって両親を失い、身寄りがないところを、親友だった少女の両親が引き取ったのだという。少女はずっと彼に片思いをしており、ようやく想いが実った矢先のことだった。遊びに来た海で天魔の争いが起こったのだ。安全な場所に逃げ延びたにも関わらず、取り残された子供を彼が見つけ助けようとした。“すぐ戻る”。そう言い残して、彼はそれきり戻って来なかった。
「馬鹿だと思います。一般人が、天魔にかなうはずないのに……自分のような境遇の人を、これ以上増やしたくなかったんでしょう。私の知るなかで、誰よりも優しくて、誰よりも天魔を憎んでいた人でした」
一瞬口をつぐみ、泣きはらした目でこちらを見据える。
「沢山迷惑をかけて、ごめんなさい。そして――優也を解き放ってくださって、本当に、ありがとうございました」
深々と、頭を下げた。
燃え尽きたあとに残った遺灰は、そのほとんどを海へと還し、一部を少女が持ち帰ることになった。
「あの者、大丈夫でござるかなぁ……辛い死を乗り越えて、前に進んでほしいものでござるが」
「……そうだな。でも、きっと大丈夫だろう。あの子なら」
エイネの言葉に、マクシミリアンが煙草を吹かしながら呟く。セツナ、誠士郎、ねずみも静かに頷いた。
最後尾を歩く雅が、ふと夜空を見上げる。澄んだ星空は美しく、波音が心地よく響き渡る。
「全く。人ってものは……面倒な生き物だな」
そうぽつりと呟いて、ひとつ小さなため息をこぼした。