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睡眠不足による行動力の欠如は、明らかに寮生たちに悪影響を及ぼしていた。
ダラダラと寮に戻っていく学生たち。無論のこと掃除をする気分ではなかったが、玄関付近で響いた一発の挨拶が彼らを睡魔の連鎖から解き放った。
「おはようございます!」
割烹着姿の権現堂・幸桜(
ja3264)が集まったメンバーに元気よく頭を下げる。
「今日は皆で協力して綺麗にしましょうね♪」
格好からして既に、清掃活動への意欲がひしひしと伝わってくるようだ。掃除の監督官ないし男性教師は幸桜のやる気に「うむ!」と大きく頷き、傍で見守る男子生徒に手振りで紹介を始めた。
「非情に喜ばしいことに、今回の感謝清掃の協力に名乗りを上げてくれた“女生徒”たちがいる! 先生が他の学生たちに『助っ人』をお願いしたところ、こうして集まってくれたんだ!」
教師の視線に促され、幸桜に続き、御堂・玲獅(
ja0388)と二階堂・かざね(
ja0536)が前に出る。
「御堂玲獅と申します。今回は“助っ人”として参りました。よろしくお願いします」
「二階堂かざねです! 私も“助っ人”としてやってきましたよー! やる気だけはむじんぞーにありますから、どーんと任せちゃってください!」
長い銀髪を揺らして玲獅が丁寧に頭を下げ、その隣でかざねが自慢げにぽふっと胸を叩いた。
良い意味で場違いな“彼女”らの参加は、結果的に男子たちにやる気エネルギーを充填させたらしい。少しでも良いところ見せてやろうと、寮生たちが掃除用具片手に溌剌とした態度で寮内に走り去っていく。突然やる気を見せ始めた生徒たちにどんな感慨を抱いたのか、感涙した先生も何事か叫びながら走っていった。朝からあのテンションはどうにかならないものか。
「やれやれ…調子が良いんだから」
玄関に消える寮生の背中を目で追いながら、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「それにしても、もう少しちゃんとした段取りを組めなかったのかな。登校前の僅かな時間で掃除なんて、どう考えてもおかしいよ…」
「ふん、まったくだ。実に、効率的じゃない」
そうグラルスに同調するのは、鷺谷・明(
ja0776)という名の長身の青年。しかしその言葉とは裏腹に、彼の格好は動きやすいジャージ姿と処理用のダンボールにゴミ袋という、見るからに掃除に対して万全な準備を施していた。
「ま、今更文句言っても仕方ないよな……」
宇高・大智(
ja4262)が大きく伸びをして欠伸を噛み殺す。それから集まった面子を見回した。
「皆も朝飯まだですよね? それじゃ、さっさと掃除を終わらせるとしますか」
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これは時間との勝負だ。時間内に効率よく作業を終わらせるため、メンバーは各班に別れて掃除を始めることになった。
「ふむ、埃や砂利を集める手法と箒を扱う手際の良さ。或瀬院様は、掃除がお上手なのですね」
作業分担を始めて数分が経過した玄関付近。
下足場のタイルを箒で掃いていた或瀬院・涅槃(
ja0828)は、鮫島・玄徳(
ja4793)の感心した様子の言葉に顔を上げた。
「む? なに、実家が寺なもんでな。この手の掃き掃除はお手のものだよ」
「左様でございますか。この…濡れた新聞紙を細かく千切って一緒に掃き出しているのは、一体…?」
「ああ、こうすると埃が舞わなくなるんだ。他にも、コーヒーのカスや茶殻で試してもいいかもしれないな」
なるほど、と或瀬院の話を飲み込むように黒タイツに覆われた鮫島の顔が上下に動く。埃が立つのを懸念して近場の窓を開放してきたのだが、この分だとそれも杞憂だったか。
と、寮の外から宇高が箒と塵取りを手に戻ってきた。
「塵取りを借りてきた。涅槃、一旦全部集めてしまおう。玄徳は――」
「掃き終わった後のタイル磨き、ですね? ぜひともお任せを。どれ、お二方が埃を掃いている間に私がバケツに水を汲んくると致しましょう」
バケツを持ち上げた鮫島の両手には、タイツ保護用のゴム手袋がしっかり装着されていた。
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場所は変わって、寮の部屋前。
「まあ、偶にはこういうのも良いよな。ついでに宝探しも出来そうだし……よし! 誰の部屋か知らないけど、まずは邪魔な荷物を運び出そうか」
部屋の内装を一通り見渡した大城・博志(
ja0179)が腰に手を当てて部屋班のメンバーを振り返る。
「そうと決まれば早速始めましょう。掃除だけならともかく、部屋の整理整頓まで済ませるなら時間にも余裕なさそうですし……鷺谷先輩、お先にどうぞ」
動きやすいジャージに着替えたエイルズレトラ・マステリオ(
ja2224)が、にこやかな笑みを浮かべて鷺谷に先を譲る。
鷺谷もマステリオと同じく上下のジャージ姿だったが、顔に被さった防塵(ガス)マスクが異様な存在感を放っていた。
「フスー…フスー…(これを撤去するのだな。任せておけ)」
ダンボール片手に男子部屋への突入を敢行する鷺谷。まずは掃除の邪魔になる物を棚や机から下ろし、梱包材を入れたダンボールに詰め込んでいく作業だ。時間が惜しいので、空いた場所から順番に掃除を始めていく。
マステリオは家具の上に積もった埃を床に払い落とし、それを大きなゴミとまとめて塵取りで集めていった。細かい取り残しの部分は、大城がクイックルワイパーで取り払う。
「うん、これくらいで良いかな。大城さん、水拭きをお願いします」
「よしきた」
マステリオの言葉に頷いて、大城はバケツの中に手を突っ込んで濡れ雑巾を抜き取った。
しっかりと雑巾を絞り、床や机など掃き掃除を終えた箇所を重点的に拭いていく。
「フスー…フスー…(仕上げは私だな)」
最後は鷺谷の空拭きだ。同じ要領で、濡れた箇所を空雑巾で拭いていけば終了。後は撤去した物を部屋に戻して整頓すれば、一部屋目は掃除終了だ。
「ここに“お宝”はなかったか…仕方ない、次の部屋に期待しよう」
「このペースで進めれば、時間内には終わりそう…ですかね」
「フスー…フスー…(塵一つ、逃さない)」
清掃活動はまだまだ始まったばかりである。
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窓拭きの掃除は数は大けれど、掃除内容に関しては玄関や廊下に比べると比較的楽に違いない。
窓拭きには、『助っ人』として男子寮にやってきた女生徒二名が清掃作業に順じていた。
「よーし! ピッカピカにしてあげますよー!」
やる気も十分に、腕捲りして窓際に向かったかざねは、雑巾を窓ガラスに押し付け力いっぱい拭き始める。頭の上で結わえられたプラチナ色の髪が二房、かざねの動きに合わせてぴょんぴょんと跳ねた。
「かざねさん。代えの濡れ雑巾と空雑巾、ここに置いておきますね」
物静かにかざねの隣にやってきた玲獅が、掃除の邪魔にならないよう窓淵に雑巾を二枚置く。
「あ、ご親切にどうもです! …っと、そうだ。御堂さん、これどうぞ!」
かざねはポケットからカラフルな包み紙に包まれた飴玉を取り出し、玲獅に差し出した。
「これは…キャンディ、ですか?」
「はい! 甘いお菓子は元気の源ですから、これ食べて一緒に掃除頑張りましょー!」
ツインテール少女の元気いっぱいのエールに、玲獅も穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
玲獅が提案した掃除の順番や方法を元に、かざねと協力して窓の掃除に取り掛かる。単に窓を拭くだけでなく、染み汚れや埃を濡れ雑巾とスポンジを用いて綺麗に取り除いていく。てきぱきした行動が功を証したのか、窓拭きはものの三十分程度で完了した。
「ふぃー。うん! こんなもんかな。これで助っ人としての面目もたっただろー!」
「他の皆さんはまだ掃除を続けていらっしゃるようです。掃除漏れがないよう、私達は支援に回りましょう」
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廊下はグラルスと幸桜が担当していた。班は玄関組と一緒なのだが、臨機応変に対応するということで、後から玄関メンバーが合流するのを踏まえ廊下掃除に徹しているのである。
「とりあえず、廊下のごみを集めて階段まで運ぼう。そのまま階段のごみも集めて、一階で一纏めにする。そこで塵取りを持っている人に回収してもらうのが一番かな」
「ですね。グラルスさんが掃いた箇所を僕が雑巾で拭いていきます。あと汚れのチェックも。取り残しは僕が処理しますから、グラルスさんは掃き残しとか気にせずどんどん掃いちゃってください」
「ありがとう。それじゃ、早速始めようか」
まずはグラルスが箒を使って廊下のごみや埃を掃く。廊下の隅の取り残しは幸桜が空雑巾で拭き取り、掃き掃除が終わった場所はモップと濡れ雑巾で水拭きを進めていった。
途中、幸桜が部屋を出る男子と衝突し、女生徒と誤解されて執拗に謝られるという気まずいハプニングがあったが、グラルスの助け舟もあって何とか事なきを得ている。階段掃除に取り掛かる頃には、先に窓拭き掃除を終えた玲獅とかざねが手伝いに現れて作業は大幅にはかどり、掃除開始から一時間半が経過する頃には一階の廊下にごみの小山ができていた。
「ふう…これでよしっと…」
幸桜が階段の空拭きを終えて、ひとまず階段・廊下の掃除は終了。取り残しの汚れがないか、四人でもう一度掃除した箇所をチェックする。
「うん。すっごく綺麗になったね」
綺麗になった廊下を眺めて幸桜が顔を綻ばせる。
「後はごみを集めるだけか…御堂さん、塵取りをお願いできるかな」
「ええ、もちろんです」
最後にグラルスが箒を手に取り、集めたごみを玲獅が持つ塵取りに入れていく。
玄関の掃除を済ませた或瀬院たちが、階段前にやってきたのは丁度その時だった。
「お。そっちも終わったようだな」
或瀬院の言葉に、かざねが指でVサインを作る。
「はい、もうバッチリです! 玄関の掃除も終わったんですよね?」
質問に答えたのは宇高である。
「ようやくな。こびり付いた靴跡を取るのに少し手間取っちまったが」
「まあ綺麗になったので良しとしようではありませんか。さあ皆さん、ハンドクリームをどうぞ。この寒い季節、手荒れは怖いですから」
鮫島が懐から小瓶を取り出し、女性から順番に差し出していった。
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男子寮、玄関前。
「見違える程綺麗になっているじゃないか! 素晴らしい! さすが、久遠ヶ原学園の学生だな!」
一通りの掃除場所のチェックを済ませた先生が、再び集まったメンバーを見回してそう感想を告げた。
部屋班も掃除を完了させて全員集合した頃には、時刻は七時半過ぎ。登校時間までまだ少し余裕があるとはいえ、早朝からの大掃除に不満を隠せないグラルスはため息を零す。
「先生、今度はもう少し段取りを考えてください。時間が取れないと、やる事にも限度がありますので」
「う、うむ。次からは気をつけるとしよう。ともかく、皆よく頑張ってくれたな! 改築工事の方々もさぞかし快い気分で仕事に望めよう!」
先生はとても満足げな様子だった。
何はともあれ、誰かのためになれる仕事をこなしたという結果は悪いものではない。先生が去った後、或瀬院が顎を撫でながら玄関を見つめる。
「玄関は、風水に於いて気の出入り口と言われているらしい。こうして確りと綺麗にしておけば、良い運気が訪れるかもな」
「それじゃあ私が、甘い運気を皆さんにプレゼントします!」
じゃーん、とバスケットを掲げるかざね。その中には、甘い香りを漂わせる洋菓子がいっぱいに詰まっていた。
「改装のお祝いに私の部活から厳選お菓子詰め合わせをお持ちしたので、掃除が終わったらみんなで食べましょー!」
朝食がまだなのも忘れて、わいわい盛り上がるメンバー。
――と、その輪から外れてこそこそと話す男子が約三名。
「そういえば大城さん。“例のモノ”、机の上に置いたままで良かったんですか?」
マステリオの何気ない質問に、関心を示した鷺谷も口を開いた。
「黒歴史がどうとか申していた書物のことであるな。確か、――」
「ストーップ! 鷺谷先輩、そういうのは口に出すのはよろしくないです。それにマステリオ君も、女性の前でその話題を持ち出すのはちょっとだな…」
大城の焦燥を察して、マステリオはなるほどと頷く。
「ああ、お気遣いが足らずにすみませんでした。ただ、隠しているものをわざわざ見えるところに置いておくのが理解できなくて…“いかがわしい”ものなら尚更」
「ふっ…健全な男子にとって超えるべき試練なのだよ…。一番知られたくない秘密を知られて初めて、少年は大人になっていくのさ……」
何か悟ったような大城の表情に、マステリオや鷺谷はただただ首を傾げるだけだった。