逃げ遅れた敵の残存戦力に対処すべく、合流地点に指定された悠奈たちの元には学園防衛戦を終えたばかりの撃退士たちが次々と集まり始めていた。
「やっほぉ、ゆ〜なちゃん♪」
そう言って空から降りて来た白野 小梅(
jb4012)もその一人。地面に降り立つや否や、見つけた悠奈の所へ駆けて行ってギュッと抱擁を交わし合う。
「無事でよかったぁ〜♪ で、やっつける敵はどこぉ〜?」
いそいそと荷から双眼鏡を取り出して、敵情を確認する小梅。その拡大された狭い視界に天使たちの姿を捉え── その姿を当たりにして、「んん〜?」と小首を傾げる。
「……そうなの。戦力とは名ばかりの、怪我人ばかり……」
「それもそうだけどぉ…… あそこにいるのって、オジサンだよぉ? ほら、山形のぉ」
敵の中にキマジエルがいる── 小梅のその言葉に、彩咲・陽花(
jb1871)は「ええっ!?」と驚愕した。彼女と小梅は2年前の一件で、かの中年天使と行動を共にしたことがある。
「どうしよう…… あの人と戦うことになるなんて……」
「…………」
悠奈は沈思した。そして、意を決したように顔を上げて、この場にいる撃退士たちに提案をした。戦いを始める前に、使者を建てようと思う── 悠奈から事情を聞かされた撃退士たちは互いに顔を見合わせた。
「キマジエル──また随分と懐かしい名が出たな」
「あたいとしては殴り合ってもいいけど、まあ、まず話し合いたいって言うなら構わないわよ?」
どこにそんな元気が残っているのか、得物をぶんぶん振りながらラファル A ユーティライネン(
jb4620)と雪室 チルル(
ja0220)が悠奈の提案を了承し……
「これ以上、血を流さずにこの場が収められるっていうなら、それが一番です」
星杜 焔(
ja5378)もまた、緑茶と湯飲みが似合いそうなのんびりとした笑みを浮かべてコクリと頷く。
「みんな……!」
悠奈はぺこりと頭を下げて皆に礼を言った。そして、即席の休戦旗を作り上げると、それを掲げて丘へと近づき、天使に休戦を呼びかけた。
「承ろう」
キマジエルは話し合いを受け入れた。
陽花はホッとした。実際にキマジエルの姿を見、声を聞いたことで、戦いを避けたい気持ちが改めて強くなっていた。
「とは言え、ここからが本番だよ。話し合いをする事は決まったけど、まだ纏まったわけじゃない」
丘の上へ進みながら、狩野 峰雪(
ja0345)がそっと悠奈たちに囁いた。
「世の中には様々な価値観が存在するし、人間と天使ではものの考え方も違う。どちらが正しいとか、間違っているとかはないし、それを変えさせることは若い君たちが思っているより難しいことかもしれない」
「価値観の違い…… 出来るだけ埋められればいいんだけど。アルくんと私たちがそうしたように……」
呟く陽花。悠奈は力強く頷いた。
「一応、最初に訊いておくが…… 降伏する気はないのだな?」
互いに身分を明かして着いた交渉の席── まずルナリティス・P・アルコーン(
jb2890)が開口一番、事務的な口調と表情とで天使たちにそう訊ねた。
「あり得ない! 最後の一兵まで戦って死んだ方がマシだ」
「我らは最後まで義務を果たす。最早、後退の機会は失われたが、必要とあらば一兵でも多くの戦力を味方の元まで辿り着かせる」
キマジエルの左右の天使が反応を示し。その様子をそっと観察していた峰雪は、彼らをそれぞれ『傲岸』と『冷徹』と渾名した、性格に違いはあるが、すごく頭が固そうなことと疑り深そうなことは共通している。人間を見下していることも──
「……我々にあくまで降伏を要求するのであれば、これ以上、話し合うことはないが……」
一人冷静なキマジエルを見て、やはり、交渉を纏めるにはこの天使が必要だ、と焔は改めて感じ取った。
小梅もまた理性ではなく感情で焔と同じ結論に達していた。『傲岸』と『冷徹』を「ムー……」と睨みながら──もし、2人がキマジエルに危害を加えるようなことがあれば、その時は力づくでも『オジサン』は守らなければ。
「……だろうな。まぁ、そんなことは分かり切っていたところだ」
キマジエルの返答を聞いて、ルナはあっさり降伏勧告を引っ込めた。
「では、互いに落とし所を見つける為の交渉を始めるとしよう」
「まず、大前提として、この学園防衛戦の決着はつきました。これ以上の戦いは戦略的に見て意味がありませんし、お互い、もう無駄な血を流さないようにしましょう、というのが今回の交渉において我々が意図するところです」
ルナの言葉を引き取って、峰雪が立て板に水を流す様にスラスラと言葉を続ける。昔取った杵柄だ。
「その意図を証明する為、というわけでもないですが…… 雪室さん」
「ん? ああ! こほん…… ええー、そちらと交渉に入る前に、まず負傷者の治療を行うことを提案するわ!」
チルルの言葉を聞き、しかし、その意図を理解できず…… 「……は?」と訊き返す『傲岸』と『冷徹』。
「構わねぇだろ?」
フランクに『許可を取る』ラファルに、しれっとした澄まし顔で「構わない」と『礼を言う』キマジエル。それまで何かを我慢するかのようにじっと押し黙って交渉の席に座っていた水無瀬 文歌(
jb7507)が返事と同時に席を立ち、急ぎ足で負傷者たちが横たわる一角へズンズンと歩き出す。
「ちょっ、待て! そんな勝手に……!」
「あ? どうせ放置していくつもりの怪我人なら、俺たちが治療しちまってもいいだろ?」
「何を企んでいる、人間ども」
「企むって…… 戦うならこんな回りくどいことする前に殴り掛かっているわよ、あたい?」
頭の後ろに両手を組んで立ち上がったラファルに続いて、あっけらかんとした表情で告げるチルル。天使たちがざわついた。先の学園防衛線──最前線で暴れ回ったチルルの活躍は、この場にいる天使たちも少なくない数が目撃している。
「我々が何かを仕掛ける気なら、交渉のふりなどせずに一揉みに潰しに掛かっている」
「……貴方たちなら、彼我の戦力差を正しく判断できるでしょう?」
どこか投げやりな口調で告げるルナの横で、すまなそうな微笑と共に、焔。天使たちの多くはその言葉に沈黙した。後方の集結地点には、今も撃退士たちが集まり続けている。
「……しかし!」
「あー、もう、うるさーい!」
なおも反駁しようとする『傲岸』に、それまでジッと我慢していた文歌がついにキレた。
「貴方たち、いったい何を見ているんですっ?! 貴方たちの仲間が怪我を負っているのですよ?! 今、最優先ですべきことはなんですか?! 敵だ味方だなどと言っている時ですかっ!」
その剣幕に押されて、「う……」と言葉を詰まらせる『傲岸』。反論がないのを確認した文歌はもうそちらを一顧だにせず小走りで負傷者の元へ駆け寄った。そして、柔らかい暖かな緑の光を風に乗せ、横たわる怪我人たち行き渡らせる。
「さて、今日の俺は『白衣の天使』だな。ハーフ悪魔だけど天使。コレ重要」
ラファルもまた回復スキルの残数全てを大放出する大盤振る舞いで天使たちの治療に当たった。……彼女にとって仇敵の悪魔と違い、天使は『敵』というより『遊び相手』だ。戦いが終われば速やかにゴーホームしてもらえばそれでいいのだ。これが悪魔だったら相手のホームタウンまで出向いて行って灰燼に帰すところだが。
「正直、複雑な気持ちではあるけど、ねぇ」
怪我の程度の軽い負傷者に応急処置を施しながら、陽花。ついさっきまで刃を交えていた相手──とは言え、今は敵対状態ではないし。なら、今はできる限りのお手伝いを。……まあ、私に出来るのは、応急処置くらいだけれど。
頭を振る天使たち。これまで戦いと言えば悪魔との殲滅戦を意味した彼らにとって、人間たちの行動は容易に理解できるものではなかった。
「なに、物は考えようだよ。回復している間は僕たちを──『貴方たちを殲滅できるだけの規模の戦力』をここに足止めできる…… ほら、貴方たちは殿軍としての任務を果たせているわけですから!」
にこやかにそう告げる焔。
天使たちは戦慄した。
「怪我人の回復は終わりました。とりあえず、このまま死んじゃうような人はもう出ないはずです。回復が間に合わず、助けられなかった人は……」
負傷者の血に塗れたまま、報告の為に交渉の座に戻って来た文歌が、言いかけて背後を振り返る。
その視線の先には、回復が間に合わず光と化して空に舞い消えゆく天使たちに祈りを捧げる陽花と小梅── 文歌は憔悴しきった表情で深々と頭を下げると、自身も祈りを捧げるべくそちらへ向かう。
「とりあえず、飯を食おう。飢えて、痛くて、凍えてたら話し合いも何もあったもんじゃないし」
治療を終えて戻って来たラファルが、その場におにぎりと暖かい茶を取り出した。お前たちの分もあるぜ、と天使たちの分も振る舞い、自ら毒見するかのように率先して自身の口へと運ぶ。
「……なぜ、そこまで」
仲間たちの手前、『もてなし』には手を付けず、呆気に取られる天使たちに代わってキマジエルが尋ねた。
「……貴方たちは何の為に戦っている? 天王への忠誠の為か?」
逆に、焔が天使たちに問い掛けた。
峰雪が続ける。
「人は生きる為に戦っている。守る為の戦いだから襲って来る敵とは戦うが、こちらから積極的に戦う事はしない。だから、利害が一致すれば天使や悪魔とだって協力する。今回の戦いも、アテナさんとベリアルさんの協力を得たことによる勝利だしね」
……何? と天使たちがざわめいた。人間が? 天使と悪魔の協力を得た? それは何の冗談だ?
「知らされてなかったのかな? 今回、君たち天王軍は人間に敗北したのではない。人・天・冥の三界に負けたんだよ。戦場で、堕天やはぐれではない天使や悪魔を見かけなかったかい? まだ後詰めに戦力を残していたのに、なぜ本隊は退却したと思う? それは天界の王宮を天姫アテナが奪還したから、慌てて戻っていったんだよ」
焔が理由を説明すると、天使たちは今度こそ騒然とし始めた。
「今後も王権派との戦闘が続くと予想されるけど、こちらにはアテナさんとベリアルさんの助力がある。次も負けはしないよ」
「そも、人間を見下しているのが間違いだ。人が本当に下等生物ならお前らが負けるはずがないだろう? 側で見てきたからこそ、分かる。人の進歩は恐ろしく速いぞ? うかうかしていたら背中を捉えられている程にはな」
峰雪とルナの言葉を得て、なお混乱の収まらぬ天使たち。相変わらず気だるそうな表情と態度のまま、ルナが彼らを更に煽る。
「誇りの為に戦って死ぬ? ばからしい。勝敗の決した後に死ぬ事に意味はない。それを無駄死にと言うのだ。やめておけ」
「貴様──!」
「まだ分からぬか? 天界が二つに分かれたことで、この戦いはお前たちの言う『悪魔相手の絶対正義』から、ただの権力争いへと堕したのだ。既にこの戦争にお前たちの言う大儀はない」
シン──とその場が凍り付いた。まるで時が固まったかのように天使たちは動かない。
「長く幽閉されていたのでもしかしたらご存じない方もいるかもしれませんが、アテナ様は前王ゼウスのご息女にしてベリンガム王の妹君。つまり、もう一人の『王位継承者』です」
「久遠ヶ原としては、そのアテナの意見に同調した。名目的に言えば、エルダー派の実質的なトップとなった」
全ての光の粒が消えゆくのを見届けて──戻って来たチルルと文歌が、困惑する天使たちへ言葉を掛けた。
「……先程、訊きましたよね? 貴方たちは何の為に戦うのか、と。私は、大切なものを守る為。妻と子の待つ家に帰る為に戦っている。それ以外に戦う理由なんてない。あってもそれに比べたら何て言うほどのこともない。……私は先日、天界へと赴き、エルダー派の非戦闘員を救出してきた。……酷い有様だった。まるでこの地に横たわる、多くの負傷兵や空に消えた死者のように…… そのような王を貴方たちは望むのか? そのような王の為に戦って死ぬのが本当に君らの名誉なのか?」
もはや反駁する者もなく── 言葉を亡くした『傲岸』と『冷徹』に代わって、キマジエルが「我らにどうしろと言うのか」とルナに問うた。
「さて、正論は語りつくしたな。では、こちらの要求だ。──貴殿らは我らと共にある天界の第二位──天姫アテナの庇護下に入れ。人間ではなくアテナに降るならば、そちらのメンツも立つだろう?」
「アテナさまは魔界と人間界、双方との和解を望んでおられます」
文歌はそう言うとスマホを取り出し、大規模作戦に際して放送されたアテナの中継映像を天使たちに見せてやった。
天使たちは食い入るようにそれを見つめた。その中に交じり、小梅が周りに気付かれぬよう、ギュッとキマジエルの小指を握った。
「ご覧のとおり、天姫はかなりの人格者── いずれ、父王を殺害し王位を奪った兄から天界を取り戻し、いずれは善き王になりましょう。……その天姫を支える英雄となるのも、戦う理由となりえるはず」
焔の言葉に、だが、天使たちは動かない。
無理もない、と峰雪は思った。彼らには思考を纏める時間が必要だ。
「そちらにもエルダー派、王権派双方がいるだろうから、投降は強制ではないわ。……返答は明日まで。それまで私たちは『よそ見』をするから、原隊に復帰したいのがいたらその間に逃げなさい」
「……私としては、王権派とかエルダー派とか関係なく、全ての天使と仲良くしたいんだけどね」
そう告げるチルルと文歌らにキマジエルが無言で頭を下げて見せ。その両脇に控える『傲慢』と『冷徹』にも既に反駁の声は無い。
「アテナ派に降る為に残った人数は8割と言ったところか。どうしても降れぬ2割ほどが今夜の内にこの地を去る」
撃退士たちの元を一人で訪れたキマジエルがそう報告した。投降する天使の数は、予想していたよりずっと多い。
「いやー、まさかおじさんが交渉の席に出て来るとは思ってみなかったんだよ。でも、おじさんがいたからこそ、ここまでこぎつけられたのかな?」
礼を言う陽花の横で、無言で中年天使の袖に縋ってギュッと掴む小梅。……キマジエル自身は、翌朝、逃げる天使らを率いて戻ることになっていた。
「……行っちゃうの?」
「ああ。私が指揮を引き継いだ。彼らをちゃんと送らなければ」
「……次は、ちゃんと仲良く会おうね」
小梅の頭に手を乗せる中年天使── 陽花は、そんなキマジエルに悠奈の兄、勇斗の事情を話し、その仇という黒い天使について聞いてみた。
「その天使のことは知らないが…… 黒い翼は冥界魔界に堕天した天使に多い特徴ではあるな」
気の毒に、とキマジエルは言った。
「先程、久遠ヶ原は悪魔と協力すると言った。……仇を討つ機会は、もうないと言うことになるのではないか?」