「ここがあの『笹原砦』── 兄がお世話になったって言う、かつての山形戦線最前線か…… ふーん……」
話には聞いていた『戦場跡』を物珍しそうに見回しながら、永連 紫遠(
ja2143)がある種の感慨と共に呟いた。
その兄らと共にかつて激戦を潜り抜け、今回、久方ぶりの訪問となった彩咲・陽花(
jb1871)が、壁に刻まれた傷に気づいて懐かしそうに指でなぞる。──焼け落ちた兵舎の跡は『砦』に『炎岩人』をポンポン撃ち込まれた時のもの。西門の裏に刻まれた溝は門の鉄扉が破壊されて皆で必死に掘った壕の跡。今、指の下にある壁の傷は、過激なグラビア写真を勝手に配布されて怒った親友・葛城 縁(
jb1826)が、包丁片手に私を追いかけ回した時の傷だっけ(ぇ
他にも、夜通し見張りに立って朝日を眺めた『城壁』や、『小隊』と学生たちの確執を取り払うべく宴を開いた『中庭』等…… この砦のあちこちに刻まれた記憶の残滓が、増援もなく戦い続けた辛苦と郷愁にも似た懐古とを同時に思い返させる……
「……あの戦いがだいぶ前のように思えちゃうね。そこまで昔のことではないはずなのに……」
しんみりと呟く陽花に、縁もまた頷いた。その視線の先には、食堂の椅子に座って小休止を取り始めた『笹原小隊』の隊員たち──
そう。そこまで昔のことではない。だが、かつて命を預けた『砦』も、死線を共にした『小隊』も、取り巻く状況は大きく変わった。──鶴岡市が解放されたことで『砦』は最前線の防御施設としての役割を終え。数々の激戦を潜り抜けた笹原小隊も、揺るがぬ名声を得た代償に、その員数を半減させた。
「……皆、良い人たちだったよね」
──この砦にいた頃の、彼らの笑顔を思い出す。縁にとっても、彼らは皆、長い間、苦楽を共にした友人であり、仲間であった。志半ばで逝ってしまった彼らのことを想いながら、自分の手の平にじっと視線を落とす。
……この手でいくつもの命を救った。同時にいくつもの命を取り零してきた。私がこの手の平で掬えるもの、背負える想いは決して多くはないかもしれない。けど、それでも── 彼らの怒りや悲しみや、喜びや献身や使命感、それら全てを抱いて。彼や彼女らの分まで頑張って、これから先も歩んでいこう。
ギュッと拳を握りながら、縁は決意を新たにする縁。その横で陽花も小さく祈りを捧げ、改めて亡くなった者たちの魂の安寧を願った。
鶴岡の戦いが終わって帰還し、第三分隊の犠牲を聞かされたその日── 陽花は夜中に一人、撃退所の裏庭で、実家でよく舞っていた鎮魂(慰霊)の巫女舞を捧げた。月明りの下、誰に言うでもなく、誰の目に触れるともなく── だって、見られたら照れくさいし、何か言われるのも恥ずかしかったから……
「……ちょっと何かを作ろうか? ちょうどキッチンもあることだしね。こう見えて料理は得意なんだ」
どこか沈んだ雰囲気を察して、柴遠が厨房へと入った。
業務用の大型冷蔵庫の中身を覗き、食材の少なさに眉をひそめる。それでも、チーズとソーセージだけは豊富に残っていたから、手早くパンに切れ目を入れてホットサンドをでっちあげると、出来た端からオーブンへと放り込む。
漂い始めたチーズの焼ける匂いに、食堂がざわめき始めた。やがて、柴遠たちが温かいコーヒーとセットにしてトレイを出すと、小隊の面々が歓声と共にそれを迎える。
「よーし、それじゃあ、私も! 第三分隊の人たちにも約束していた『コレ』を皆に奉納するんだよ!」
そう言って、陽花は何か重たそうな鞄をドンっ! とテーブルの上に置いた。それを視界の端に認めて、ん? と小首を傾げる縁。……嫌な予感。確か、以前にもこんなシーンをこの砦で見たような。
「んふふふふ♪ 今回も持って来ましたよ! 私と縁が出ているグラビア雑誌! さあ、欲しい人はいるかなー? 私のちょっぴり大胆な、そして、縁のかなりキワドイ格好の写真もある! ……かもしれないよー?」
「ぎゃああぁぁ!」
ガマの油売りならぬ陽花のグラビア叩き売り。真っ赤に顔を上げた縁が悲鳴を上げて止めに入ろうとするも、集まった人垣に阻まれ容易には近づけない。
陽花が『売り』のページ(勿論、自分の方ではない)を大きく広げて掲げて見せると、男たちから大きな歓声が上がり、口笛が吹き鳴らされた。顔を真っ赤なやかんにして目をぐるぐる巻きにした縁が意味なさぬ言葉を喚きながら、活性化した散弾銃をどかんと宙に放ちながら、強制的な阻止行動へと打って出る。
「なんというか…… 皆、相変わらずだね」
逃げる陽花に追う縁──しんみりした雰囲気など完膚なきまでに吹き飛んだその光景を見やりながら。小隊の第二分隊長・杉下が学生たちに気づいてそちらに近づいてきた。
その後をついてくる藤堂は、しかし……どこか元気がないように見える。
「悩みでも、あるのかい?」
コーヒー片手にカウンター席──砦の食堂は夜には酒保を兼ねる(かつて学生たちが作った)──に座った狩野 峰雪(
ja0345)がそんな様子に気づいて声をかけたが、藤堂はあいまいに笑って首を左右に振るばかり。峰雪はふぅんと呟いて、とりあえず今はそれ以上踏み込むことは止めた。事情を知っていると思しき縁と陽花は……なんというか、今、忙しいみたいだし。
「そう言えば、杉下さん。小隊がなんでこんな所に? 作戦後の長期休暇中だったんじゃ? ……コバヤシくんトコの分隊以外は」
少しすると、その縁が捕縛した陽花を引き連れて戻って来た。これからの探索に荷物になるから、と隊員たちが雑誌を受け取らなかったからだったが…… 既にグラビアのページだけ切り取られていることを、縁だけがまだ知らない。
杉下はチラと藤堂を見やると、小隊が清水から受けた『松岡捜索の依頼』について話した。もうバレたか、そんなことになっていたのか、と学生たちは驚いて、松岡や学生たちが絡んだ真の裏事情を2人に伝える。
「松岡……! あいつはいったい、何をやっていやがるんだ……!」
初めて事情を知らされて。藤堂は怒りの形相でカウンターをドンッと叩いた。
柴遠が苦笑いを浮かべる。藤堂と松岡の因縁については、つい今しがた、陽花から耳打ちで説明を受けていた。
「なんか…… 松岡先生も藤堂さんも、相手に気をかけすぎて…… なところ、あるみたいだねぇ」
「うん。誰も彼も色々抱えて素直になってない、って感じだよね」
「それでも、心の奥で引っ掛かるものがあるなら、それは未練がある証拠だと思う。お互い、納得いくまで付き合って、胸の内を吐き出しちゃえばいいのに」
「だよねー。本音でぶつかり合ってみないと。……ここで何もせずに諦めちゃったら、ずーっと後悔が残っちゃう」
食堂(酒保)のカウンターで(酒もないのに)繰り広げられる柴遠と陽花のガールズトーク。元々隠す気などない二人の会話は、コーヒー受け取りの列に並んだ藤堂らの耳にも届き…… 周囲の生暖かい視線に晒された藤堂が表情の選択に困っていたり。
(……大人の恋にも複雑な事情があるのね。好きなだけじゃ一緒に居られない、ってことか)
思いつつ、柴遠はほぅ、とどこか物憂げな溜息を吐いた。
恋愛感情ではなく罪悪感かもしれない── 藤堂さんの判断は当然だと思う。彼らを取り巻く環境も、感情も、価値観も、……人生も。何もかもが学生だった頃とは──青春時代とは異なっている。だからこそ、一度本気でぶつかり合う必要があるのだが…… 藤堂に負い目がある松岡は、それをやらずに身を引いた。
白い歯をきら〜ん! と輝かせる教師松岡の笑顔(満面)を脳裏に思い描きながら、柴遠はやれやれと息を吐いた。
藤堂を初め、脳裏に幾人かの顔が浮かぶ。……今回の事態、『責任』の行き着く先を考えると…… これはまた随分と気が重いんじゃないかな、松岡先生?
「なぁんか面倒くさいなぁ。いーじゃん、バカになれば」
背後からそんな可愛らしい声がして…… 気づいた藤堂が背後を振り返った。
後ろに並ぶ厳つい男性隊員を見て(これが今の声の主じゃないよな)と困惑しつつ……下方を指さすその隊員の指先に従い視線を落とす。
そこに小さな堕天使が──白野 小梅(
jb4012)が立っていた。ドーナツの入った箱を首から前に提げた彼女は両手に持ったドーナツをおいしそうにもふもふ食べながら、まるでサマ○トリアの王子の様にピッタリと藤堂に追随している。
動けば動き、止まれば止まり──藤堂が食事のトレーを受け取ってテーブルに移動すると、当たり前のように隣りに座った。そして、そんな彼女をジッと藤堂が戸惑いつつ見つめると、それに気づいた小梅はにぱっと笑った。
「ドーナツ美味しいぉ♪」
「そ、そう……」
「食べるぅ?」
「い、頂くわ……」
藤堂が答えると、小梅は嬉しそうにいそいそと箱から新たなドーナツを取り出して…… 葛藤の後、それを半分に割ってから藤堂に差し出した。
まだ、食事にも手を付けてないんだけど、と思いつつ、期待に満ちたまなざしで見つめる小梅の無言のプレッシャーに押されて口をつける藤堂。「お、美味しいわ」と答える彼女に「でしょ!」と満面の笑顔で、小梅。
そんな2人の所に、2人分のコーヒーを持って峰雪がやって来て、その内の一つを藤堂へと差し出した。柴遠もまた、ホットサンドのトレイを藤堂に差し出した。……せっかく時間があるんだ。身体だけでなく気持ちの整理に費やすのも良いかもしれない。
「やあ。また来たよ」
峰雪はそう言って、藤堂の斜め向かいに座った。
「少しの間、おじさんの戯言につきあってくれないかな? なに、馬鹿なこと言ってるなあ、って聞き流してくれていいからさ。年寄りは寂しいから話し相手が欲しいんだ」
どこかすまなそうに言って、峰雪は笑った。どうにも憎めない笑みであり、藤堂は謝絶することを済まなく感じた。
「すみません。人に話すような内容では……」
「んっ!」
席を替えようと腰を浮かしかけると、横から小梅が再びドーナツを差し出してきた。それを受け取ってる間に峰雪が語り出し、藤堂は席を立つタイミングを失った。
「元気がないってことは、何かモヤモヤすることがあるってことだよね? それって、他人の行動が原因かい? それとも、自分自身の心の中に問題があるのかな?」
「それは……」
「ああ、うん。自分でも判然としてないんだね? わかるよ。君らに比べれば僕も少しばかり長く生きてるから…… 自分自身の心と言っても、その本心を理解するのは自分でもなかなか難しかったりするものね。傷つきたくないから言い訳してしまったり、逃げてしまったり……自分に嘘をついてしまったり」
コーヒーに口をつけつつ、瞑目しながら、峰雪。藤堂はカップを手に取ることもないまま俯き、自分自身の膝へ視線を落とす。
「悩みの原因が他人にあるなら、自分の思い通りにすることはできない。他人の本心を知ることはできないし、故に、疑い始めたらキリがない。その真実を知ることが必ずしも幸せとも限らない。……でも、自分自身のことだったら、自分次第で変えることもできるよね」
君は今、何をしたい──? 峰雪の問いに、藤堂はハッと顔を上げた。松岡の力になりたい── そんな思いが心の中で一瞬、フラッシュバックの様に煌いた。だが、すぐに「自分にはもうそんな資格はない」という自分自身の囁きが、藤堂の肩を重くする。
「したい事なんて…… これから、私は分隊長として、松岡探索の任に就かなければ……」
「すべき事じゃない。したい事、だよ?」
「……私は一度、松岡を拒絶した。今更おめおめと、あいつの力になりたいだなんて……」
「なぁんだ。行きたいんだぁ、本当はぁ?」
横から可愛らしい声が挟まれた。2つのドーナツを見比べ、どちらのテイストを後に食べるか(真剣に)悩みながら、小梅が藤堂たちを見ぬまま言葉を続ける。
「そっか。松岡先生に遠慮してたんだねぇ。だったら、安原先生なら遠慮する必要ないよねぇ」
「え……?」
「だからぁ、お友達の安原先生を助ける為ならぁ、なんの気兼ねもなく行けるでしょぉ?」
だったら、誰に憚る必要もない──そう、自分自身に対しても。
藤堂が無言で小梅を見つめた。堕天使の娘はそれに気づくと悪魔っ娘な笑みを浮かべて見せる。
「そうだよ! 人手は多い方が良いから! 藤堂さんたちにも援護に来て欲しいんだよ! だって、そっちの方が面白そうだし!(ぉぃ」
すかさず合の手を入れる陽花。縁もまたカウンターに出てくる軽食を物凄い勢いでパクつきながら、もごもご言いつつコクコク頷く。
「……あの『幻覚使い』の悪魔を相手にするには、何重にも対応できる手は打っておいた方が良いだろうしね。今回もどんな手札を隠しているか分かったものじゃない」
人の悪い笑みを浮かべていた陽花が、真剣な表情になって続けた。
それでも迷う藤堂に、峰雪は微笑で席を立った。これ以上は自分たちが言葉を重ねても仕方がない。後は藤堂自身が決するることだ。
「……人間、他人に迷惑を掛けずに生きてく事はできない。誰もが誰かに助けられながら生きている。……人は失敗することも間違うこともあるけど、それでもやり直すこともできるんだ。君や松岡先生がどれほど大きな後悔を抱いているのか、僕は知らない。でもね、お互い、撃退士なんて仕事をしていると、いつどうなるか分からないじゃない? 自分を偽って後悔するのは、勿体ないと僕は思うんだ」
●
笛が鳴る。笹原小隊が出発する時間が来たのだ。
コーヒーの礼を柴遠に行って、食堂を出ていく隊員たち。
最後に残った藤堂へ、縁が最後に声を掛ける。
「第三分隊長のおっきな人…… なんて言ったっけ。そう、岩永さん。彼が退院したら伝えておいてね。……こほん。『お母さんが言ってたよ。一生懸命積み重ねてきたものは決して無駄なんかじゃない、って』」
報われないこともあるかもしれない。むしろ、世の中にはそんな事の方が多いかもしれないけど…… それでも、その足跡は決して無価値になんかならない、と。
『力』というものは何も直接的なものばかりじゃない。笹原小隊が積み重ねてきたもの、培ってきたもの。それらは全て学生である自分たちには大きな助けとなるものばかりだ。
「ほら、私たちってどこまでいっても『学生』だから…… 戦闘のプロの助言とかは必要だと思うんだよね。岩永さんも…… 学園の技術指導員とか、そういった道もあると思う。いっそ、小隊全員まとめてなってくれても嬉しいかな」
それから暫し……
最後まで残ったもう一人── 杉下に向かって、藤堂は告げた。
「ドク」
「……ん?」
「私は今、この時より…… 小隊を、脱走する」