「追撃します! 無理にとは言いません。万全でない方は辞退してください!」
あの時── 悠奈らが悪魔らに空へと拉致された時── 翼を広げてそれを追うアルの姿に、ハッと我に返った勇斗が地を走り出すのを見た瞬間、黒井 明斗(
jb0525)はそれをフォローするべく、すかさず後輩たちを振り返った。
最後の召喚獣が消え行くのを見送って…… 全ての力を消耗し尽くして、それでも、彩咲・陽花(
jb1871)は勇斗と行動を共にする。
麗華も顔面を蒼白にしながら勇斗を追うべく立ち上がり。白野 小梅(
jb4012)がそれを真正面から抱き止めた。
「麗華ちゃん、勇斗ちゃん、無理はダメぇ!」
「落ち着いてください! 消耗し切った今の自分たちには無茶です!」
永連 璃遠(
ja2142)もまた勇斗を背後から引き止めた。暴れ馬の如く取り乱す勇斗を両腕で必死に抑え込む。
「放せ! 放してくれ!」
「無駄です……! そもそも、翼を持たない僕たちじゃ空を飛ぶ彼等に追いつけない……!」
勇斗の動きがピタリと止まる。その表情は背後の璃遠からは窺えない。
それを見てしまった小梅は…… 私が行く! と勇斗に叫んだ。
「私には翼があるから…… 麗華ちゃんと勇斗ちゃんの代わりに私が皆を追う!」
止める間もあればこそ。鞄に栄養補充用のゼリー飲料をせっせと詰め込んだ小梅はその内の一つを吸いながら、よいしょと鞄を背負った後、翼を広げて悪魔とアルが向かった先へ飛ぶ。
見送るしかできない勇斗を慮り、そっと視線を落とす明斗。クソッと拳を地面に叩きつける勇斗を陽花が涙目で掻き抱く。
「勇斗さんの気持ちは痛いほど分かります。僕にも妹がいますから…… でも、ここは堪えてください。必ず彼女たちを助ける──その気持ちは、皆、一緒ですから……!」
璃遠の必死の説得に、勇斗が全身から力を抜いた。
駆逐されていくオークたち──決着のつきつつある戦場を見やって、璃遠は心中で呟いた。
この戦いの結末に、思い悩む人、心に傷を負った人も多そうだ。でも、だからこそ…… こんな時こそ、自分たちは冷静でいなくては……
●
少なくとも恩田麗華個人にとって、あの戦いは失うばかりの戦いであった。
友人たちを浚われた。一人だけ、取り残された。
勇斗に合わせる顔がなかった。故に逃げた。仲間たちの元を離れ、一人、学園へと戻って来た。
だからと言って、勿論、心の負担が軽減されることはなかった。己の無力に対する苛立ちと、助けなきゃという焦燥と…… 自分だけが無事だったという『後ろめたさ』が麗華を責め苛んでいた。
「こんにちは。お久しぶりだね」
放課後、学園外商業地区── 寮へ向かって一人、とぼとぼ歩く麗華の前に。若者向けの店が並ぶ一角でどこか場違いを恥じる様な表情で、中年撃退士・狩野 峰雪(
ja0345)がそう声を掛けて来た。
「うん。ここで会ったのも何かの縁だ。ちょっとそこの甘味処に付き合ってくれないかな? こういうところは中々、おじさん一人だと入りづらくてさ」
お願いっ、と両手を合わせて女学生に頭を下げる中年男── 集まる周囲の視線に慌てた麗華が、わかりましたわ、ととにかく了承する。
にかっと笑った峰雪は心底嬉しそうな態度と表情で、それこそスキップでもしかねない勢いで麗華と甘味処に入った。席に着き、やって来た店員にうきうきとケーキセットを注文する。
互いに食後のコーヒーと紅茶をすすりながら…… 鶴岡では大変だったね、と峰雪は切り出した。
「友達の事も心配だろうし、何も出来なかった自分に不甲斐なさも感じているだろう。でも、拐かされた子達はきっとあなたの事を恨んでないし、きっと助けに来てくれると信じているよ。あなたが落ち込んでいると知ったら、むしろ浚われた自分たちを責めるかも」
とは言っても、やっぱり気持ち的には簡単に割り切れないよね、と峰雪は続けた。
きっと現場にいたみんなも…… 麗華の辛さが分かるからこそ、簡単に慰めの言葉を掛けられなかった。そして、麗華も、そんなみんなの気持ちが分かるから弱音を吐けない。
「だけど、僕はあの場にいなかった。いわば部外者だ。……だから、あなたの言葉を受け止めることができるよ? その後は君の性格によるけど…… 慰めてほしいか、叱ってほしいか」
冗談めかして峰雪が笑った。麗華も笑った。
礼を言って席を立つ。
「ありがとうございます、狩野さん。分かってくれている人がいる…… それだけでも十分、楽になりましたから」
「うん。君は強いね…… 今は何も出来ることがなくて、鬱々とするかもしれないけど…… 今は自分のすべきことさえ忘れていなければいいさ」
峰雪もまた席を立った。会計でどちらが出すかで少し揉めたが、麗華が峰雪を立ててご馳走になることにした。
店を出ての別れ際。峰雪は最後に麗華へ皆へのお願いを伝言した。
「今度、空元気でもいいから、元気な姿を松岡先生たちに見せてあげてくれないかな? ……歳を取るほど精神的なリカバリーは難しくてね。君たちがそうしてくれれば…… 救われると思うんだ。彼等も」
●
祝勝会という名の打ち上げ会場──
不機嫌な表情のまま壁の花と化した松岡に、飲み物のグラスを渡しながら璃遠がその横に並んだ。
「……酒じゃないのか」
「呑みすぎです」
とは言え、撃退士は物理的には酒で酔えない。その様な気分でもない。ただ、悪酔いにも似た胸糞の悪い想いがずっと胃の辺りにわだかまり続けている。
「えっと…… あの双子の悪魔の力は物凄く厄介でした。多分、初見じゃみんな引っ掛かるような…… だから、あまり自分で思いつめちゃダメですからね。誰も先生を恨んでなんかない」
「……ああ。ありがとな。だが、すまん…… 俺が、俺を、許せない」
かつて後輩たちを失った。その感傷に大切な人たちの人生を巻き込んだ。二度とそうあるまいと誓ったのに…… 克服したはずだったのに。そのトラウマを衝かれ、再び目の前で生徒たちを浚われた。
「それは僕らも同じです。きっと、あの場にいた全員が。……でも、大事なのは、『今度はそれをどう乗り越えていくか』じゃないですか」
沈黙する松岡。璃遠は壁から背を離した。伝えるべき事は伝えた。大人には……時間が必要だ。
「今は、先生は先生の役割を。……相手の手の内はわかりました。僕はもう少し、あの悪魔たちの事を知ろうと思います」
●
「見ぃつけたあぁぁぁー!」
山形の空を飛ぶアルの陰を遠くに見つけて── 空中を全速力で突進した小梅の頭が、アルの腹へと激突した。
「ぐぼっ……!?」
「アルちゃんのバカー! どぉして一人で行っちゃうのぉ!」
空中で悶絶するアルをよそに、半泣きでポカポカ殴る小梅。あの日から既に1週間が過ぎていた。悪魔らの追跡に飛び出したアルであったが、クラゲの透明化によって当日中に見失っていた。それでもアルは拠点に帰らず、やみくもにそこら中を探し捲っていた。
そんなアルを小梅もずっと探していた。同じく探索に放たれた笹原小隊・第四分隊の目撃情報により、ようやくこうして出会う事が出来た。
(男の子ってホント、バカなんだから……!)
私だってすぐに悠奈ちゃんたちを追いたかった。悪魔を問い詰め、居場所を吐き出させたかった。でも、年上二人に先にそれをされてしまったら…… 逆に自分がしっかりしなきゃ、とならざるを得ないじゃないか。
「悪魔には一人じゃ勝てないんだよ!? 探すの大変なんだよ!?」
「分かっている! でも、俺は……!」
「分かってない!」
言うなり、小梅は持って来たゼリー飲料を数本、まとめてアルの口にブスッと突っ込んだ。
むぎゅりと絞り、強引に栄養補給。ぐぼっ!? と吐き出しそうになるのを半ば強引に飲み込ませる。
「……アルちゃんが怪我したら、悠奈ちゃんだって悲しむよ」
「……。それでも俺は、じっとしてなんていられない。止めるっていうんなら……」
「止めないよ。ボクも一緒に行く」
予想外の返答に、アルはきょとんと目を見開いた。
「ボクだって悠奈ちゃんたちを探したい。……でも、皆と協力しなきゃダメ! 一人きりでなんて、アルちゃん、そんなんじゃ堕天した意味がないんだから!」
●
撃退署の地下牢というのは、陽花が思っていたよりもずっと役所っぽいとこだった。
陰湿な雰囲気とは程遠い小奇麗な廊下を歩いて行き、その先に目当ての人物を見つける。
とある檻の前。パイプ椅子に座って牢の中の悪魔を睨み続けている勇斗── 悪魔が収監されて以降、彼はその殆どをこの場所で過ごしていた。陽花も時々様子を見に来ていたが……このままじゃ倒れてしまうんじゃないかと心配でならない。
「勇斗くん、食事だよー」
弁当の包みを掲げて呼びかけると、勇斗が立ち上がって礼を言った。
「……! 今日のお弁当はおいしいですね!」
「あぅ…… 今日のは縁が作ったんだよ……」
気まずい沈黙。最初は陽花が自分でお弁当を作るつもりであったのだが…… 陽花の料理の腕前を知る親友の葛城 縁(
jb1826)が全身全霊をかけてそれを止めたのだ。
「滋養に良い食材を使ってこしらえたみたい。『万全の状態でいなければ、いざという時、何も出来ない』だって」
かいがいしく水筒からお茶を注ぎながら、陽花は縁からの伝言を伝えた。
「……勇斗くん。ちゃんと休みもとってる? 気持ちは分かるけど、根の詰め過ぎはダメだと思うよ?」
一人で抱え込まないで── 勇斗に陽花はそう告げた。もっと私たちの事を頼って欲しい。悠奈ちゃんを助けられなかった、どうしようもない後悔と憂心は…… その一片なりとも、一緒に背負わせて欲しい。
「と、いうわけで…… やっぱり身体くらいはちゃんと拭かないとね? せめて最低限のケアくらいはしないとだよっ」
「ええっ!?」
濡れタオルを手にふっふっふっ、と笑みを浮かべながら勇斗ににじり寄る陽花。慌てて後退さる勇斗が追い詰められ……
「……いったい何をしてるんです、二人で」
勇斗の服をはだけたところで、その冷静なツッコミに陽花がピタと動きを止めた。
我に返って振り返る。
そこには、同様に差し入れを持って来た璃遠と…… いいぞ、もっとやれ! な表情を輝かせる見知らぬ──いや、なんかどこかで見たことあるような──そんな面影を持つ女性が立っていた。
「はー、あんた、ラフィルさんて言うんやなー。で、弟がクファル? やー、長年、音信不通だった妹から突然連絡が来たと思えば、『名前被りしている悪魔がいるから直ぐ来い』って言われてな? なんやろなー、一方的にうちの事を嫌っとったラファルが連絡よこしてくれて嬉しいやらこそばゆいやら、なんとも落ち着きの悪い状況やけど、せっかくだし楽しませてもらいまっせー、と上京(?)してきたわけなんよ」
その女性、クフィル C ユーティライネン(
jb4962)は皆に挨拶を済ませると、牢の前にどっかと座り、悪魔に鉄格子越しの酒盛りを持ちかけた。
禁止されている行為であるが、はだけた服を直す勇斗が何を言っても説得力などありはしない。一方の陽花は顔を真っ赤にして悲鳴を上げた後、遠い廊下の角で壁に向かって正座をしたまま、時折、心配そうにチラチラ勇斗の様子を窺っている。
「いやー、人生、まだまだおもろい事ってあるもんやなー、って思って来てみたんよ? ところが、せっかく訊ねて来たってのに、こっちを呼びつけた肝心の妹本人は留守! 行き先も分からんし埒も明かんっちゅーことで、仕方がないからそっちの坊や(=璃遠)にここまで案内してもらって、あんたと歓談に来たってわけや」
喜んで酒盛りに応じた悪魔であったが、クフィルのマシンガントークを前に口を挟む余裕もなく、ただただ相槌を打つばかり。
会話の内容は大半が他愛もないものだった。クフィルには、悪魔から情報を聞き出そうとか、そんな意図はまったくなかったからそれも当然だ。と言うか、クフィルはこの場にいる他人(悪魔を含めて)の事情などまったく知らない。
だから、話題が兄弟の事に移った時。缶コーヒーを片手に酒盛りに加わっていた璃遠がすかさず悪魔に訊ねた。
「……君の双子の弟──ずっと冷静そうだった彼。クファルだっけ? 彼とはずっと一緒にやってきたのかな?」
「そうだよ? 見た目そっくりな存在がもう一人いるってのは、僕らの能力と相性がいいからね。交互に獲物を定めて、協力して狩ってきた。……前回の女天使はクファルが狩った。だから、今回のは僕の獲物だったのに……」
爪を噛み始める悪魔。それを見ながら璃遠は沈思した。
悪魔の兄弟両者に信頼関係があるのなら…… 人質に取られた悠奈ちゃんたちはまだ安全、のはずだ。兄悪魔と引き換えの、大事な取引材料である内は。
●
元シュトラッサー・徳寺明美は捕虜であると同時に『病人』でもあった。
不治の病である。主を失ったシュトラッサーは天界の力の供給を受けられず、衰弱して死ぬしかない。
故に、明美は厳重な監視の下、学園敷地内に設けられた病院のベッドに横たえられていた。
「お加減はいかがですか?」
「……まさか、審問官以外の人間が面会に来てくれるとは思わなかったわ」
そんな明美を、明斗が見舞いに訪れた。差し入れは許可されなかった。時間も制限されている。
「で、用件は何?」
「明美さんを、ここから出せるかもしれません」
明斗の言葉に、明美は目を見開いた。……自身でも意外だった。まさか、まだこの世に驚ける様な事があろうとは。
「今、僕は有志に声を掛け、悪魔クファルの捜索隊を組織しています。近日中に編成を終え、出発の予定です」
その際、明美さんが道案内をしてくれれば頼もしい。我々はあの辺りの地理に疎いので。
「学園には、シュトラッサーになった方もいます。考えて貰うと嬉しいです」
病院から戻った明斗は動き続けた。
学園への状況報告に、捜索隊の認可申請。捜索許可が出た時に備えた各種物資の手配に移動手段の確保。更には笹原小隊との契約申請──
目の回るような忙しさであったが、仲間たちの手を借り、乗り切った。
訪れた麗華を微笑で迎え……歯切れの悪い彼女に強引に書類の束を押し付ける。
「仲間の為に、いま、出来る事を精一杯するんです。悩むのは寝てる時で十分ですよ」
それら全ての準備を、明斗は松岡の名前で整えていた。
明斗は松岡が立ち直ることを確信していた。松岡が生徒を見捨てたまま、呆け続けるわけはない。
「捜索隊の準備、完了しました。直ちに出撃が可能です」
全ての手続きを整えて── 明斗は、訪れた松岡を敬礼で出迎えた。
「……良いタイミングだ」
凄みすらある笑みを浮かべて、松岡が明斗に敬礼を返して、告げた。
「直ちに出発する。……悪魔が牢を脱走した。榊勇斗の姿もない」