会場に到着した瞬間── 人の多さに悠奈たち中等部組は思わず足を止めた。
どうした? と振り返る勇斗。永連 璃遠(
ja2142)がピンと気づいて声を掛ける。
「ああ、悠奈ちゃんたちはこういう場は初めてだっけ? こう大人が多いとやっぱり緊張しちゃうよね。でも、作戦が上手くいくようにお互いを知っておこう、って場だから、ありのままで過ごせば良いよ」
とりあえず他の学園の生徒を参考にすれば良いんじゃないかな── 璃遠のアドバイスに従って、悠奈たちは顔見知りを探した。
真っ先に目に付いたのは、さいきょー少女、雪室 チルル(
ja0220)の姿だった。
「まあさいきょーのあたいがいるからね! 今度の作戦は成功したようなものよ!」
大人たちのテーブルに交じって、チルルは堂々と言い切り、(薄い)胸を張った。
彼女は開会直後から、積極的に大人たちのテーブルを回っていた。全ては将来の自分を関係各所に売り込む為だ。
「将来、さいきょーになるにはやっぱり人脈作りは欠かせないからね!」
とは言え、具体的にどうすれば良いのかまでは考えてなかったので、とりあえず片っ端からテーブルを回って己の経歴とか実力とかを色々と自慢して回った。
手応えは悪くなかった。が、達成感はあまりなかった。チルルの手元には撃退士派遣会社の名詞が数枚、残された。
「……まあ、さいきょーへの道は遠いからね! 千里の道も一歩から!(で合ってたっけ?) うん、けーぞくは力持ち!(で合ってたっけ?)」
臆せず、次のテーブルへと突撃していくチルル。開けた視界に今度は白野 小梅(
jb4012)の姿が入った。
「重要なのは、んと、やっぱり、下調べだよねぇ」
小梅は燃えていた。この会の参加者は皆、鶴岡の作戦に従事する者であるという。ならば親友の悠奈やアルの『さくせん』の為、出来うる限りの『じょーほー』を『しゅーしゅー』しておかないと……!
気合に頷き、きょろきょろと周囲を見渡す。ドーナツの箱を提げ、大きなスケッチブックを抱えたその姿はまるで迷子のようであるが、とりあえず、最も近くにいた怖くなさそーな学生から話を聞くことにする。
「あなたのお名前を教えてください」
ドーナツをカメラのレンズに、ペンをマイクに見立ててインタビューをする小梅。話しかけられた天羽 伊都(
jb2199)は、戸惑いつつすぐに状況を理解した。
「えー、僕の名前は天羽伊都です。今日は笹原隊長に約束していた食事を奢ってもらいに来ました」
小梅はにぱっと笑い、メモ(=スケッチブック)にいそいそと『あもういとさん』と書き記した。
「じつりょくのほどを見せてください」
唐突なお願いに面食らいつつ、伊都はにやりと黒獅子モードで覚醒すると、放り投げたリンゴを居合いで4つに下ろした。
小梅はおー! と嘆息し、ドーナツを口に咥えて忙しくメモにペンを走らせた。
「使える人材。理由:リンゴがよく切れる」
「……他の学生を、参考に……?」
「あはははは…… 僕は、そう、とりあえずお世話になった方々に── 松岡先生や笹原小隊の皆に挨拶しようかなー、と」
「笹原小隊……?」
「ああ、みんなは知らないんだっけ。この山形で戦っている民間撃退士会社で…… あ、そうそう、ここの藤堂さんって分隊長さんが松岡先生とは浅からぬ因縁があって、青葉先生も巻き込んだ三角関係が……っ!?」
先導しながら説明しようと歩き始めた璃遠の進路に、両手に料理の皿を持った松岡がいた。ぶつからぬよう互いにクルリと避ける2人。璃遠は驚いた。ぶつかりそうになったことにではなく、松岡がそこにいたことに。
「ま、松岡先生!」
「おう。永連に榊たちか。今、俺の名前が聞こえたようだが……」
「いえっ! 何か進展はあったのかなー、と」
「進展?」
「いえっ! なんでもありません!」
慌てて汗を飛ばしながら、直立不動で答える璃遠。戦友以上、恋愛未満という松岡たちの微妙な関係── 直接聞くなんて野暮なことできないし、おいそれと手も出せない。
「あ、松岡センセーだ!」
そんな松岡たちに気づいたチルルがダッシュで走り込んできて、挨拶代わりに松岡の背中にドーンとぶつかった。
「センセー! 私の良いとこ上げてみて!」
「強いぞ。あと前向きだ」
「うわーん!」
褒められて泣きながら、けど次の瞬間には復活し。松岡が持つ皿からひょいひょいと料理をパクつくチルル。そこへいつもの野戦服に軍用ベレー姿の雨宮アカリ(
ja4010)が歩み寄り、見事なフランス式敬礼でもって挨拶した。
「松岡『分隊長』。着任の挨拶に参りました」
「分隊長て……」
「ふふっ。今はその呼び方の方がしっくるくると思って」
横に並んで歩きながら、アカリは小隊の皆の近況を聞いた。直接会った方が早かろう、と答えつつ、松岡が背後を振り返る。
「いい機会だ。榊! お前たちもついて来い。俺の昔のツレどもを紹介してやる!」
移動の途中、大勢の戦友たちと出会い、合流した。
「お久しぶりです。皆さんもこの作戦に? なら、共に戦うのは秋田での戦い以来になりますね」
悠奈たちに気づいた黒井 明斗(
jb0525)がなつかしさと共に挨拶を交わす。
アルと言う天使を紹介されて、明斗は「ん?」と小首を傾げた。見覚えのある顔だった。記憶を手繰り…… 答えが出た。その天使は目の前の悠奈とセットで記憶されていた。
「はい、あの時の天使です。今はいろいろあって…… 学園でお世話になっています」
「そうか、君があの時の……」
感慨深く呟くと、明斗は居住まいを正し、改めてきちんと挨拶を交わす。
それが終わるのを待って、今度は雫(
ja1894)が多少、フランクな態度で少年天使に話しかけた。
「どうですか、学園での暮らしは?」
口調は変わらず折り目正しく。フランクなのは言動ではなく、彼女が手にした皿だった。そこには肉が、肉だけが山盛りに積まれていた。雫がずぶりとフォークを突き刺し、口へと運んでもぐもぐする。
「……お気になさらず。戦いの前ですから、肉が必要なんです。魚? はて。知らない子ですね」
「野菜は……」
「は?」
何を言っているんだ、という表情で雫。フォークで指し示した皿の端。そこにレタスの切れっ端とプチトマトが申し訳程度に乗っている……
「ねえ、どうなのよ? 悠奈ちゃんとラブラブしてる? ちゃんとデートに誘ってる?」
矢継ぎ早のチルルの質問。あんたっちゃぶるな質問内容が勇斗おにいちゃんのこめかみにピキッと青筋を走らせたりするが、勿論、チルルはさいきょーなので細かいことは気にしない。
「訓練に忙しいので、その、デート? とかはあんまり…… でも、悠奈はそんな僕に付き合ってくれて、いつも一緒にいてくれています」
登下校とか、お昼とか、放課後の自主訓練とか、帰りの寄り道とか…… 堕天してまだ世の中が驚きと楽しさで満ちているのは分かるが…… その度に一々悠奈との思い出とか絡めてくるのがうざったい。
「……いつもこんな感じなんですか? この短時間で私、鬱憤が爆発しそうなんですが……」
無表情のままこめかみに青筋をピキッと立てて、雫が加奈子や沙希にツツッと寄って訊く。
「『悠奈』……? いつの間に呼び捨てに出来る身分になったのだろうねえ、君は」
「あ、いえ、『悠奈さん』です! すいません、調子に乗りましたっ!」
なんか大物ぶった仕草の勇斗に、直立不動で答えるアル。「会った時は真面目で堅物的な天使だと思っていたのに……」と、雫が(肉を頬張りながら)嘆息する。
「まぁ、そんな彼にも色々と考えるところがあるみたいで……」
「?」
雫が加奈子たちを見る。そして、アルたちがやろうとしていることを知る……
「お久しぶりです。皆さん、お元気そうでなによりです」
小隊のテーブルに着くや否や、璃遠と明斗は笑顔でそう挨拶した。『砦』での長い攻防戦で、小隊員たちの間には既に紐帯とも呼べる絆ができていた。
「私は去年の砦防衛線以来になりますか。冬季の設営作業、お手伝いできずにすみませんでした」
雫がそう謝ると、隊員の一人が「寒いのは苦手か?」とちゃかした。雫は「いえ、秋田とか色々……」と生真面目に答えながら、きょろきょろと視線を振る。
「……あの時、怪我を負っていた人たちは、元気にしているのでしょうか……?」
恐る恐る、といった口調で訊ねる雫。──犠牲者がいなかったことは報告で聞いていた。だが、怪我や心傷が元でリタイアした者が出ていたとしてもおかしくはない。
「ああ、一人も欠ける事なく復帰したよ。これもみんな、君たちのお陰だ」
その言葉に雫はホッとした。今なら勧められた刺身だって食べてみようっていう気にもなる……
当時を振り返り談笑を始めた隊員と学生たちを見やって、葛城 縁(
jb1826)は深い、深い感慨と共にうんうんと頷いた。
縁は会の最初から小隊のテーブルに交じり、会場の台所を借りて調理をしたり、給仕として配膳したりしていた。給仕──即ち、メイドである。友人の月影 夕姫(
jb1569)と彩咲・陽花(
jb1871)も巻き込まれて同様の格好だったが、こと調理だけは…… 調理だけは、殺人料理(確立半々)の陽花にだけは決して触れさせはしなかった。
「大事な作戦を前にまさか病院送りを出すわけにはいかないんだよ……! ほら、陽花さん。あっちに勇斗君がいるよ!」
「うぅ、これはまたあからさまな厄介払い…… でも、素直にそれに応じちゃう自分も最近はちょっと可愛いいかなとか思ったり」
「落ち込むことはないわ、陽花。相変わらずドルチェは絶品よ!」
夕姫に慰められてとぼとぼと、でもどこかうきうきと厨房から去っていく陽花。縁はホッと息を吐くと、出来た料理を手に小隊のテーブルへと戻った。
……あの攻防戦の時もこうして皆に料理を作った。初めて出会ってからなんだかんだでもう2年以上の時が流れていた。……中には苦い記憶もあった。喜ばしい記憶もあった。友人、知人、顔見知りも大勢増えた。そのいずれもが──戦友だ。
(もうずっと一緒に戦ってきたんだもんね。……まぁ、なんだ。隊で私の『知名度』が上がったきっかけが、陽花さんがばら撒いたグラビアっていうのはなんだけど)
あはは、と笑みを浮かべながら、配膳しつつ、涙ぐむ。
「この戦いが終わって帰ってきたら…… 戦勝祝いにもっとおいしい料理を作るね。だから、みんな、意地でも無事に帰って来てね。グラビアだって、私…… もうちょっとくらいなら頑張れるから!」
トレイを胸の前でギュッと握る縁。兵たちは互いの顔を見合わせて…… 皆、眉根を寄せてツッコミを入れた。
「おい、やめろ。何のフラグを立てる気だ」
「ええっ!?」
「あ、やめろと言うのはフラグの話だ。グラビアには期待している」
「ちょっ、そ、そっちは余り期待しないで! って、なにこれ!? ここは良い感じな話の流れになるところじゃないの!?」
「今回の作戦立案には皆さんも意見を出されたのですか?」
とまあ、兵たちが縁で遊んでいる(!?)傍らで。雫は肉の皿(補充済み。今度は羊肉)を手に、兵に訊ねた。
「ああ、現場の声は上に上げた。笹原隊長が代表として作戦会議に加わっている」
答え、行儀悪く箸で兵が指す先に、笹原隊長や松岡ら、各前線指揮官クラス以上のお偉いさんが集まっているテーブルがあった。
早速、そちらへ走り出したチルル……は、口上を述べる前に松岡に捕まった。その隙に椅子を抱えた小梅が近づき、そちょこんと座ってメモを広げる。
談笑の内容は主に作戦の確認作業。既に開示された内容であり、チルルと小梅の存在は看過された。
改めて話を聞いて小梅が思ったことは…… 最初の『救出作戦』の主力を担う撃退署・清水班の任務の重要性だった。
最初に敵を引き付ける…… 場合によっては、敵の初動の最大戦力を一手に引き受けかねない危険な役割である。
「おじさん、重要者なんだねぇ」
(なんだ、このちんまりとした生き物は……)
感心した小梅が素直に褒めた。清水は怪訝な顔をした。
一方で。松岡に取り押さえられていたチルルは…… 飽きていた。
「ちょっと」
「……なんだ?」
「こんなところで、センセ、何をしているの?」
「見りゃ分かるだろ。作戦会議」
「あのねぇ…… こんなところでこんなことをしている場合じゃないでしょ、センセーは。藤堂さんと青葉センセ、どっちを取るのかもう決めたの?」
ブフゥーッ! と茶を吹く松岡。集まる視線から逃れるようにチルルを抱えてその場を離れる。
「もし決まらないなら両方取っちゃえば?」
「……バカ言うな」
「センセー、女心が分かってないね」
「女心!?」
●
会はつつがなく進行する。
璃遠は紙コップに注いだお茶を片手に満腹になったお腹をさすりながら、二階の回廊から会場を見下ろした。
大勢の人がいた。悠奈たちではないが、信じられないくらい多くの人が。なにげなく手摺にもたれながら、璃遠はぼんやりと考えた。
大勢の人。大勢の想い── それぞれがそれぞれに、想いを抱いて今回の作戦に臨んでいる……
「なんか、無駄な時間を費やしたって…… あの言われ方はないと思うんすけどね」
実務教師・安原青葉がいるテーブルで。千葉 真一(
ja0070)はドンッとコップをテーブルに叩きつけた。
呑んでないので酔ってないはずだが、なんだか目が据わっている。真一は先の救出作戦において、実際に鶴岡ゲートの結界内に侵入して人々を救出してきた撃退士の一人だった。衰弱し切った親子を、助けを求めて集まって来た大勢の人々を、実際にこの目で見ている。
「やれやれですよ。俺たちのしたことって、無駄だったっつーことですか」
真一の声が多少、大きくなる。が、そんな彼も一応、周囲に気は配っていた。テーブルには今、青葉と真一しかいない。会も進み、他の教師や学生たちもあちこちのテーブルを移動している。
「勿論、そんなことはないわ」
宥めるように青葉が言った。
「でも、計画の規模が大きくなるほど軌道修正は難しくなるものだから…… 上の方も対応に苦労したんでしょう。主に会議とか会議とか会議とか……」
「……つまり、計画の修正とその為の空論に『無駄な時間』を費やした、と?」
「そう。予算とかスケジュールの遅延は組織やお偉いさんにとっては大事だから。少なくとも現場のあなたたちが気に病むような類の話じゃないわ」
青葉の言葉に、再びコップの茶を呷る。──無駄になったのは時間であって、真一たちの行為ではない。それは分かった。だが、お偉いさんのあの言いようは…… 無駄ではなくとも余計な事をしたと言わんばかりじゃないか。
「詮無き事とは分かっているんですけどね。お偉いさんにはお偉いさんの立場がある。でも……」
語る真一の視線の先で、青葉が動きを止めていた。その視線を追って真一も首を振る。……見れば、松岡が分隊長たちが集まったテーブルに近づき、藤堂を連れ出すところだった。
「……いいんですか?」
「よくはないけど……」
今度は青葉が杯を呷った。正真正銘の酒である。とは言え、撃退士である以上、酔おうとしても酔えないのだが。
「……あの二人がキチンと和解できれば、俺の『後顧の憂い』も一つはなくなるな」
「……そうね」
「あ、再び恋愛関係になるかはどうかは別として、の話ですよ? これで2人の関係が再スタートするなら、青葉先生も心置きなくアタックできるというものじゃないですか」
真一の言葉に、そうかな? と、再び気合を漲らせる青葉。頬が赤い。多分、きっと、酔っている。
「そうです。ガンガンですよ、ガンガン! ヒーローはリア充を妬みませんから。羨ましくは思いますが!」
「あら、杉下分隊長。ごきげんよ……って、言う感じじゃあないみたいね」
藤堂が松岡に連れ去られたテーブルで。一人、杯を傾けていた杉下に気づいて、アカリは少し驚いた。
そのまま行き過ぎるつもりであったが、椅子を引いて隣に座る。杉下の視線の先には、何やら話し込む松岡と藤堂の姿がある。
「あの二人のことなら大丈夫でしょう。学生には世話焼きが多いし…… まぁ、私の場合、頭に『余計な』がつくのだけれど」
杉下がクックッと笑った。あまり良い酔い方ではないようだ。
「あの二人のことなら心配していない。収まるべきところに収まったというだけの話だ」
「二人は、ね…… なら、杉下分隊長自身の事は? 何か悩まれているなら伺うことくらいはできますわよ?」
アカリは心配だった。なぜなら杉下は『良い上官』だから。こういった類の人間は、まず戦場以外の場所で潰れていくケースが多かった。
「あの二人とはそれぞれ僕の方が先に出会った。最初に松岡の友人になったのは僕で、先に藤堂とバディを組んでいたのも僕だ」
それ以上、杉下が言葉を続けることはなかった。アカリはそれだけでなんとなく杉下の心情を理解した。
「とうに諦めた想いだったが…… いざ現実を前にすると手が震えるな」
「その想いを伝えたりは……?」
「まさか。伝えたところで自己満足だ。2人に困惑されても困る」
杉下は再び杯を呷った。思わぬ弱みを吐露してしまったと、後悔しているようだった。
それでも、杉下は礼を言った。
それが正しいか正しくないかは別として。誰かに知ってもらうということは、幾分かでも気が楽になるものなんだな、と……
「こんにちは。久遠ヶ原学園中等部3年、黒井明斗です。今度の作戦ではよろしくお願いします」
撃退署・清水班の面々が集まったテーブルに、直立不動の礼をとった明斗が深々とそう頭を下げた。
彼等が今の学生たちを快く思っていない事は、明斗もちゃんと承知していた。実際、事情を知らずに寄って来た学生が幾人か追い返されている。
「こういう時はビール瓶の一本でも提げてくるもんだぜ、あんちゃん」
「すみません。でも、僕、未成年ですし」
笑う清水班の面々。明斗は愚直に頭を下げた。……小粋なトークで会話を円滑に進められるほど器用でなし。真正面、大上段から切り込む。
「僕は今の学園しか知らないので皆さんの気持ちが解るとは言いません。でも、僕らは同じ撃退士──結界に囚われている市民の皆さんから見れば変わりがあるわけじゃない」
「変わらんかね?」
「ええ。彼らにとって僕らは『希望』です。学園生も小隊員も撃退署員もない」
はっきりとそう言い切って、明斗は再び頭を下げた。先の救出作戦の折、明斗は結界内の現状を見た。もうあまり時間はない。或いはこれが最後の機会かもしれない。
「僕らの事をどう思われても構いません。ただ、彼らを…… 結界に囚われた彼らを救い出す間は、それを脇に置いていただきたい」
頭を下げ続ける明斗。清水班の面々は顔を見合わせ……ばつが悪そうに頭を上げさせた。
「雪蜘蛛の件を覚えているか? あれが俺たちの日常の一コマだ。学生たちの到着前に威力偵察で情報収集── あの時はまだ専任だったから治療する暇もあったが、いつもなら署に通報があれば休む間もありはしない」
分かるか? と署員は言った。日々の生活の中で、力なき人々の盾となるのが俺ら撃退署員の仕事だ。フリーや学生連中に普段、何を思っていても、俺たちの仕事に手を抜いたことはない。
「お前たちはお前たちの仕事をしろ。俺たちは俺たちの仕事をする。作戦目的の為に己の任務を遂行しろ。そうやって世の中が回るのなら…… 歯車は、歯車なりの意地を通すさ」
男はビール瓶を手に取り、明斗に向かって差し出した。
「飲め」
「いえ、だから、僕、未成年ですし」
●
「破軍星旗…… 戊辰戦争にあやかったというわけかしらね」
「玄蕃隊…… そうか! 隊の名前も鬼玄蕃にあやかっているんだね!」
二階の回廊には璃遠の他に、夕姫と縁、そして陽花の姿が増えていた。勇斗たちの姿を見失い、探す為に上に上がってきたのだと言う。
「しかし、笹原小隊の副長が麗華ちゃんたちのお兄さんで、家が隊のスポンサーの一つだったなんて…… 世間は狭いというか、ご両親の想いは複雑でしょうね」
「皆、副長って呼んでたから同じ名字だって分からなかったね。実家がお金持ちだったなんて、意外……ではないか。縦ロールだし」
3人で集まった恩田家の面々を上から見やって、夕姫と陽花が言う。
別の方では、壁の隅で深々と頭を下げる松岡と、慌ててそれを正す藤堂。涙を流す藤堂に松岡が恐る恐る手を伸ばし…… それが届く間際に藤堂が距離を取り、頭を振る。
「……たきつけた手前、気にはなるけど、あくまで当人たちが決めることだし…… 見守るしかないわけだけど、やっぱり結果は気になるわね。あんまりな結果だったら、また焚き付けてあげないと」
そんな夕姫の横で璃遠が後ろを振り返り…… 大きなスケッチブックを抱えて階段を上がって来る小梅の姿を見かける。
そのまま2階を通り過ぎて屋上へ── いや、その途中の踊り場に屯する勇斗たちに合流した。彼らはその場で何かひそひそと話し合っていた。……なるほど、ずっとあそこにいたのか。下を探しても見つからないわけだ。
「じゃじゃ〜ん! 作戦の詳細と、初めましての人たちのお話を聞いてきたよぉ!」
小梅は自慢げにそう胸を張ると、いそいそと皆にスケッチブックを披露した。
調査内容
松岡:もてもて スカウトマン 振られた
藤堂:返事保留
青葉:再起動
撃退署:明斗ちゃんGJ!
小隊:とっても仲良し
以上
「えへへ。お役立ちぃ?」
「え、ちょっ、松岡先生、振られたの?!」
「あれ? 勇斗くん……? そんな所で何をしているのかな?」
「わぁっ!?」
いきなり背後から陽花に声を掛けられ、悠奈たちは驚いた。
特に勇斗は必要以上に驚いた。上からひょいと覗き込んだ陽花から、思わず腰を浮かせて後退さる。
「? どうしたの、そんなに慌てて……?」
「いえ!」
きょとんと首を傾げる陽花に、胸を押さえて荒い息を吐く勇斗。そこへ夕姫や縁、璃遠までもがやってきて、悠奈とアルは観念して事情を説明した。
──今回の作戦に際し、誰よりも早く鶴岡ゲートの主、ファサエルが討伐される前に、アルをかの天使の元へ到達させる。それが悠奈たちが目論む『悪巧み』の内容だった。実際に会ってどうするのか、等、具体的な話は未だ何も決まっていないが……
「今回の作戦に参加したのは、そういう理由だったんだ……」
合点がいった、とばかりに陽花が頷く。
「相談に乗ると言いましたからね。……恋愛と惚気以外の事なら」
そう言う雫の更には今はデザートが山盛りだ。好きで食べているわけではない。『悪巧み』をする以上、脳に糖分を送る必要があるわけで、仕方なく、あくまで仕方なく食べている。
ちなみに、チルルは当然といった顔で、既に会議に参加している。
「そう言うわけで、できれば皆には内緒にして欲しいんですが……」
勇斗がそう頼み込むと、陽花は傷ついたような表情でその場に座り込んだ。
縁や夕姫が後に続き。璃遠もまた腰を下ろす。
「大丈夫。誰にも言いません。……ここまで来たら僕も手伝いたいからね」
「相手シュトラッサーは今までとは違うタイプよ。自分じゃなく指揮特化というのかしら。低コストの敵を大量に、戦術的に当ててくるタイプ。力押しでは数に押し潰されるわよ」
砦戦で遭遇したファサエルのシュトラッサーについて説明しながら、夕姫はふと気づいた。
「そう言えばアルくんは面識があるのかしら? 赤いコート着たおばさんだったけど?」
問われてアルは頷いた。ファサエルが現地で調達したシュトラッサーが、確かそんな外見だったと思う。
「ただ、あんまり話したことはない。ファサエルのシュトラッサーと、とりたてて話すようなことなんてなかったから…… あっちも自分の事は『主の付属物』程度の認識だったんじゃないか?」
突き放したようなアルの物言いに縁はふーんと頷き…… 訊ねた。
「アル君は…… 戦える?」
「……え?」
「戦場で相見えた時。彼らと命のやり取りができる?」
酷なようだけど、と縁が続ける。例えばファサエル。或いは明美。あの巨人型とも戦闘になるかもしれない。そして、アルはこれから『敵』として彼等に対することになる。
「事情はどうあれ、ファサエルや明美が多くの人にとって仇であることに変わらない。一切の容赦、躊躇なく、アル君は彼等を倒すことが出来る?」
「縁、それは……」
「私個人としては…… 今までやってきたことを考えれば、倒してしまいたいと思うよ」
夕姫がやんわり止めようとすると、今度は陽花がはっきり言った。……先の救出作戦時、囚われた人々を見た。これ以上、あのゲートの存在を認めるわけにはいかない。そして、ここにいる人たちは、皆、それを果たす為にここにいる。
縁が告げる。
「忘れないでね。私たちが…… 撃退士が、何を背負ってここにいるのかを」
「……確かに、僕には身命を賭してまで、彼らと戦う理由がない」
少年天使は素直に認めた。
アルが説得を試みたところで、あの青年天使がそれを素直に受け入れるはずはない。第一、そんな偽善的なこと、きっとアルの側から破綻する。
「ファサエルは絶対に退かない。なぜなら、奴が集めた精神的エネルギーは、天界の為でなく、全て自分の為に集めたものだからだ。全てはリーア姉の敵を討てるだけの力を得る為。誰より利己的な理由だから、奴は決して退かない」
奴が戦う理由が理解できる。同時に、人類のそれも同様に。
「ゲートを壊すなら主を倒してそれを成すのが一番、手っ取り早い。だが、力押しにならざるを得ず、人類側の被害はどうしても大きくなる」
だが、もし。もしも主を生かしたままの状態で奇襲的にゲートを破壊することができれば。
個人的な理由で戦うファサエルに、この世界に拘る理由はない。割に合わないと見ればさっさと別の世界に帰る。この辺り、奴は徹底して合理的だ。
「それに、だ。もし、奴を生かしたままで奴の鼻を明かすことができれば…… 個人的な話だけれど、それはそれはとても気持ちが良いのではなかろうか?」
人類の犠牲を少なくする為。その為にファサエルとの激突は避けるべきだとアルは提案した。
個人的には、ファサエルを出し抜く為。その為に戦うとアルは言った。
撃退士たちが顔を見合わせる。
そこへアカリが現れ、告げた。
曰く、松岡先生が呼んでいる、と──
●
「学園の撃退士のみの部隊が新たに編成される。会議に上がった全ての部隊を囮とし…… 西から鶴岡ゲートを討つ」
集めた精鋭を前にして、松岡は今回の作戦における真の主力の存在を伝えた。この『第三の矢』こそが、鶴岡ゲートの天使を討ち、結界から人々を解放する今作戦の本命なのだと。
「上陸地点は遊佐。ここから電撃的にゲートへ侵攻。これを討つ。ほぼ退路のない危険な任務だ。勿論、俺が『引率』する」
もう二度と若い連中だけを死地へ赴かせたりはしない── その表情を見たアカリは息を吐いた。
(学園で悩まれてた頃と比べて、雰囲気が変わられたようね)
特に目。口調や態度は変わらずとも、それはアカリの幼い頃から周りにあった、見紛うことなき戦士の目。
(こっちが本来の松岡先生ってわけねぇ。ふーん……イイ男じゃない。私が気づくくらいだし、藤堂分隊長も気づいているはずだけど……)
「『第三の矢』ですか。無論、参加しますよ! 他の依頼と被らなければ!」
「とーぜん、最強なあたいも参加するわよ!」
真っ先に挙手したるは真一とチルル。とりあえずパソコンの中身だけは消してきたわ、と、アカリも冗談めかして笑う。
「天佑ね。この際、利用できるものはなんでも利用しちゃいましょう。アルくんのやりたいこと全部、協力は惜しまないわ」
言いながら、夕姫はファサエル相手に感じていたイライラの理由に思い当たっていた。彼は人間を文字通りの資源──冥魔を滅ぼす為の手段としか見ていないのだ。だから、こちらが真剣に向かっていっても、あちらには何も響かない。
「まずは彼をこちらと同じ立場にまで引き摺り下ろしましょう。張り倒してでもね。……まあ、それが一番大変なんでしょうけど(汗 説得するなりは全てそれからよ!」
「ゲートの天使と戦った方々ですか? お話を伺っても……って」
主目標との実戦経験者がいると聞いて訪ねた明斗は、それが勇斗たちと知って思わず笑った。
そうか。アルがかの天使の『弟』か── その運命に感じ入りつつ。明斗が持つシュトラッサーとの交戦記録と天使のそれとを交換し合う。
「君たちも『第三の矢』組か。この分だと肩を並べて戦うことになりそうだな。よろしく頼むぜ!」
真一はそう言うと、「話は聞いた!」とばかりに、アルにフラッシュヨーヨーを進呈した。
「遠慮は無用! まぁ、これから共に戦う仲間への贈り物だ。いつか助けが必要となった時、手を貸してくれればそれでいいさ」
「ん。ここから新しい一歩、かな? 今までやってきた事が全部集まって、新しい流れが始まるって感じだよね」
拍手と共に散会する皆を二階の回廊から見やって、感慨と共に陽花が言った。とりあえず、給仕服が褒められた。それだけでもテンションが上がる。
「それぞれの覚悟。それぞれの想い…… こうやって皆を見ていると、やっぱり、誰一人欠けずに成功したいって、改めてそう思うよ」
夕陽に染まった璃遠の言葉に、勇斗たちもまた頷いた。誰一人欠ける事なく。本当に、本当にそう思う。
「戻ってきたら、また打ち上げと祝勝会をしましょう。だから、今は作戦開始まで、食べて、話して、英気を養うの」
夕姫の言葉に頷く撃退士たち。
ただ一人、縁だけが約束を思い出して頭を抱えていた。