そのメールを着信した時、永連 璃遠(
ja2142)は図書館で推理小説を読んでいた。
差出人はアルディエル。いつもの訓練のお誘いだ。
(そう言えば、皆、転職してから暫く経つのか…… 新鮮味があって楽しいかも)
丁度、昼休みももう終わる頃合。璃遠は本に栞を挟み、図書館を後にする。
いつものサブグラウンドに着くと、既に訓練は始まっていた。グラウンドには仮想敵役の神棟星嵐(
jb1397)。白野 小梅(
jb4012)は悠奈たちに交じり、ニコニコと走り回っている。
「では、これより最初のメニューを始めます。遠距離攻撃を仕掛けますので、皆さんは陣形を組み、自分の所にまで到達してください」
星嵐がアルたちに内容の説明を始めるのを見やりながら、璃遠はグラウンド脇に立つ日下部 司(
jb5638)歩み寄り、共に最初の訓練を見守ることにした。
「説明と配置を見るに…… 悠奈ちゃんたちの前後衛間の連携を確認する為の訓練だろうな」
司の呟きに訓練開始の声が重なる。同時に前へと飛び出すアル、麗華、沙希の前衛3人。盾役を担う悠奈はまだ後衛の癖が抜けないのだろう。前後衛の中間に位置を取った。『回復役』という設定で後衛指定された勇斗の方は、今にも前に飛び出したくてうずうずしているのが見て取れる。
「我慢してくださいよ? これまでとは違うポジションを担当することで、前職に戻った時に味方の立ち回りが理解し易くなりますので」
苦笑交じりに教示しつつ、星嵐が手にした訓練用の双銃を放つ。最初の目標はまだ動きがぎこちないアル。悠奈が慌ててその前に出てきたところで、今度は後衛の加奈子へ銃口を向ける。
「わ、わ!」
「ほらほら、悠奈さん。守るべき対象が複数の場合、受身に回ると庇い切れませんよ? 加奈子さんも。今のあなたはナイトウォーカーなのですから」
ハッと気づき、盾役の陰に気配を消す加奈子。それを受け、星嵐が麗華へ照準を移す。どうすれば…… と慌てる悠奈の脳裏に浮かぶ兄の戦う姿。瞬間、悠奈は猛進した。守り切る事ができないなら射撃自体を妨害する。でなくとも射界を狭めにかかる──!
「本来は沙希さんがやらねばいけないことですよ?」
「分かってる!」
返事の通り、横合いから突っ込んできて大振りで射撃を牽制する沙希。その陰から躍り出てきた小梅が星嵐に肉薄し…… ヌッと顔を近づけただけで、何もせずにその場を離れる。
「おい、小梅! 訓練だぞ、ちゃんと殴れ!」
「えへへ……」
沙希の指摘にはにかみながら、それでも小梅はその行動を止めなかった。無造作にとことこ走り回りながら、星嵐に紙一重まで近づいては離れてを繰り返す。
(だから近すぎるって!)
やきもきする沙希をよそに、悠奈が小首を傾げた。
「小梅ちゃんのあの動き…… 何か意図があるのかも」
「意図!? (まさか星嵐さんに対して? いったい何の!?)」
「随分と熱心に訓練に励んでいるんだな」
休憩時── 隣りで『雑戯団』リーダー・エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)に訓練を受けて阿倍野橋 明(
jb9662)は、同年代と思しきその少年──アルに声を掛けた。
実のところ、そこまで興味があったわけではなかった。休憩中の気軽な会話。朝の挨拶の後にとりあえずお天気の話題を振る様に、「どうしてそこまで?」と訊ねてみただけ。
倒れ込んで荒い息吐く少年から返って来た答えは、予想外では無い程度にヘビーなものではあった。
「それはまた…… 戦う理由としては、少し自分勝手な目的だな」
正直な感想を、忌憚なく明は言った。
「エイルズは言っていた。──死者の復讐の為に戦うのは非生産的だ。それで本人が得るものがあるなら何も言わないが、満たされないなら意味はない、と」
復讐をするにしてもそれは直接姉を殺した者にするべきで、姉の死に直接関係ない他の冥魔を殺したところで、それはとばっちり。お前の八つ当たりに過ぎない。……同感だ。復讐の為に冥魔を殺し続けても、アルがまた別の誰かの仇になるだけだ。
「もっとも、感情なんてものは普通、そうそう割り切れるものではないが……」
反駁を予想し、アルの表情を窺う明。だが、彼が見たものは…… 明の言葉に困惑しきる少年天使の姿だった。
「すまない。君が何を言っているのか、僕にはよく分からない」
アルは本気で分かっていなかった。天使である彼にとって、冥魔はもともと滅ぼすべき敵。非生産的と言われてもピンと来ない。
「……学園の冥魔は?」
「……彼らは今の僕と同じ立場だ。助けてくれた人もいる」
答え、その事実を再確認して、アルは暫し押し黙った。
「……そうか。そう言う意味では、この久遠ヶ原学園の存在は物凄い意味を持つのかもしれないな。当の人間たちが考えている以上に」
休憩が終わり、それぞれの戦友がアルと明を呼ぶ。
再び訓練に向かう前、明は最後に声を掛けた。
「色々と考えなくちゃいけないことが多くて、お前も大変そうだな…… でも、まあ、俺だって未だになりゆきで戦っているようなところはあるし…… ゆっくりでも考え続けたら良いんじゃないか? お互いに」
「ニャンコ・ザ・ヘルファイアー!」
劇画調で奇妙なポーズを決めた小梅(アニメ版)の背後で、筋骨隆々な炎の猫魔人がアウルの灼熱ブレスを放ち── その爆炎が消えると同時に、その日、最後のメニューが終わった。
お疲れ、と挨拶を交わす撃退士たち。今日はこの場に来られなかった月影 夕姫(
jb1569)から借りた布槍に、予想以上の手応えを感じたアルがコクコク頷く。
「今日の訓練はこれで終わりにしましょう。良ければお茶でもご馳走しますよ」
タオルで汗を拭きながら、星嵐がアルに声を掛けた。この様な日々の生活こそが、アルの将来の為に必要なことだと思う。
「奢り!?」
「いいですね。暑くなってきたし、水分はしっかり補給しないと」
たちまち群がる沙希と加奈子。そんな2人に璃遠が乗っかり。星嵐が苦笑交じりに了承する。
「わぁい! ハワイアンなドーナツぅ♪」
小梅がぴょんこぴょんこと飛び上がり、コンビニで飲み物とスイーツを買って来た。ニコニコ笑顔でモグモグパクパク。一口ごとにドーナツが欠け消え、三口で1個が消え失せる……
そこへ葛城 縁(
jb1826)が通りかかり。皆の事を見つけるや否やパァ……! と表情を輝かせた。
ぶんぶんと手を振ってグランドへと駆け下りる。その手には風呂敷に包まれた巨大な重箱弁当箱。本当なら友人たる彩咲・陽花(
jb1871)や夕姫たちと食べる予定だったのだが、急な用事が入ったとかで一人取り残され、途方に暮れていたところだった。
「ちょうど良かった! お弁当、沢山あるから皆で一緒に食べないかな? 一人じゃどうにも寂しくて」
「確かに、その量を一人では大変でしょうね」
「ん? 量? これくらいだったら朝飯前だよ?」
ここのところアルは何かを悩んでいるようだ── 少年の日々の様子から、司はその事を見取っていた。
そして、それはこうして今も── 皆とわいわい食事を交わす間も時折、表情の陰りとなって表れていた。
(何かアドバイスができればいいんだけど…… 人生経験的には大差ないからなぁ……)
星嵐と璃遠は気づいているようだ。勇斗は……敢えて見守っている? いや、この場に居る皆が多かれ少なかれ気にかけているようだが……
「鶴岡ゲートの攻防はこれからが本番です。アルディエルは現地の情報にも詳しいでしょうから、もし、参戦するのであれば、積極的に関わることも出来るとは思いますが」
幾つかの雑談を挟んで、星嵐が最初に口火を切った。
「アル君。過去に囚われすぎていたらダメだよ? 大事なのかこれからのこと…… 『君自身』がどう生きたいか、なんだから」
だからもし君が行きたくないのなら…… 鶴岡には行かなくたっていい。このまま何もかも忘れて悠奈たちと生きていく──それだって立派な選択肢だ。後悔さえしなければ。
「私には『保育士』になるっていう夢がある。その為に今、こうして戦っている。皆は? 敵を討つ、人々を救う、友人や大事な人の助けになる…… うん、それぞれに立派な『戦う理由』だね。でも、『自分』の戦う『目的』は? 明確な目標、未来への『夢』は持っているのかな?」
(夢……?)
司が戦う理由。それは、天魔に襲われる人たちを守り、助ける為だ。かつて自分がそうされたように。
そうやって戦って、戦い抜いたその先に、見える光景を縁は問うた。司には…… 何も思い浮かばなかった。無言で顎と口を撫でる。手の平に、汗が滲んでいた。
「勇斗君も。妹カップルのことも大事だけど、自分のことは? 陽花さんの気持ちに気づいてないの? 陽花さんのことを、君はどう思っているの?」
同刻、某所── 裸電球が照らし出す小さな出先の台所で、陽花くちゅん、とくしゃみした。風邪かな? と小首を傾げ、今日はあったかくして寝ないとなー、と料理の自主練へと戻る。
……それとも、誰か噂話でもしているのかなぁ。例えば勇斗くんが私の事を考えてくれているとか。でなければ、私があずかり知らぬ所でなんか修羅場が顕現してるとか。
「私は知ってるよ。陽花さんがどれだけ勇斗君の為に頑張っているのかを。陽花さんがいないこの機会に、勇斗君の考えをちゃんと聞かせてもらうよ!」
「縁さん、それは……!」
「麗華ちゃんも。『理想』はね、他人に強要するものじゃないんだよ?」
「なっ!? それを言うのだったら、『愛情』や『友情』だって他人が押し付けるものではないでしょう!?」
陽花さん、正解です。修羅場が顕現しています。
勇斗の視界が歪む。──なぜか脳裏に浮かぶは、夕陽に染まったマンション寮の自室の光景。それが一瞬、何か別の光景にフラッシュバックする。
「今は…… こんなご時勢だし…… そういうことは、平和になってから……」
勇斗の呟きは、言い争う縁と麗華の喧騒に掻き消され……
「探偵業」
璃遠がスッと片手を上げて、割り込むようにそう告げた。
「……え?」
「だから、夢の話ですよ。僕の夢は探偵になることなんだ」
諍いを止める縁と麗華。それを確認して璃遠が頷く。
「戦う理由か…… この辺りでまた考えてみるのは良い事かもね。意外と勢いのままここまできちゃっているけど…… 皆、この道に至る最初のきっかけがあるはずだしね」
そこで一旦、話を切って、自販機に飲み物を買いに行く。皆の分も買って配って…… 皆が自分を注視していることに気づいて、苦笑と共に話を続ける。
「僕は妹と一緒に生きていく為にここへ来た。戦うことは……正直、あまり好きじゃなかった。でも、今は、目の前の理不尽を跳ね除けられるくらい強くなりたいって思う。自分にとって譲れないものが分かったから…… この世界で、皆で生きていたいんだ」
照れたようにそう言って。真剣な顔でアルに向き直る。
「アル君のお姉さんの仇を討つ為、だっけ。ファサエル……お兄さんの目的って」
身を強張らせ、アルは頷いた。
あの男は自分が強くなる事にしか興味がなかった。姉のことなど忘れてしまったのだ、と思っていた。だが、今なら分かる。全ては仇である冥魔を滅ぼす為なのだ、と。
「頑固で不器用そうな感じだったもんねぇ。……でも、彼は言っていた。『自分にも分からないが、譲れないものがある』って。僕はそれが彼の本心だと信じたい。その彼が耳を傾けるとすれば、それは同じ時間を共有したキミの言葉だけだと思う」
「えー……」
と嫌そうな顔をするアル。兄弟がいるからこそ分かるその表現に璃遠が苦笑する。
「あなたたち兄弟の間のことに、自分から言えることはありません。ただ、男と言う生き物は不器用な者が多いです。それはきっと、人間も天魔も同じでしょう」
星嵐はそう言うと、そこでチラと勇斗に意味ありげな視線を振った。……沙希がジト目でこちらを見ていて、やぶへびこの上なかったが。
「そこに善も悪もない。なら、男の意地と意地のぶつかり合いです。相手に共感してもらう必要もありません。ただ、自分の想いをぶつけて、骨の髄まで教え込んであげればいいんです」
「今のアル君なら、お兄さんの生き方に一言なにか言いたい事があるんじゃないかな、って」
星嵐と璃遠の言葉に俯き、黙考するアルの袖を、いつの間にか側に来ていた小梅がクイクイと引っ張った。
「冥魔をやっつける為に戦うって言ってたのぉ。そしたらぁ、オジサンがボクたちと戦う必要、ないよねぇ? はっそーのてんねん(転換)してもらえばぁ、ボクたちもオジサンと戦う必要、なくなるよねぇ? ね?」
「それは……」
希望的観測。それは恐らく小梅自身分かっているのだろう。
どうしてそこまで、とアルは訊ねた。小梅はんー、と考え込むと、アルの目を見上げて言った。
「んとね、おじさん…… きっと寂しいと思うのぉ。だからぁ、ボクはぁ、またおじさんとお話したいな」
●
「アル。もしかしてなんだが…… 君はファサエルの『強さ』に憧れを感じていないか? そして、同時に劣等感も感じている。違うか?」
解散する間際── それまで無言でずっと何かを考えていた司がアルにそう声を掛けた。
アルが激昂して見せる前に、「いいんだ。自分もそうだった」と片手を上げてそれを制する。
「そうそう答えが出せる問題じゃない。悩み、足を止め、しっかりと考えることだ。……でも、いつまでもその場に足を止めていてはダメだ。悩み、苦しみながらもいつかは足を動かさないといけない。でも、考えることを放棄して歩き出してしまうのも、同じくらいしちゃダメなことだと俺は思う。それはきっと…… 将来、後悔の種になる」
分かるか、と問うと、アルはこくりと頷いた。
「大事なのは考え続けることだ。ファサエルは天使として『変わらない強さ』を持っているけど、お前だって『変われる強さ』を手に入れたんだ。アルが抱くその悩みだって、強さの一つだと俺は思うよ」
「夕姫さんから伝言。鶴岡の作戦に参加するかはアル君が決めることだけど、自分の知らない所でファサエルが倒されることを想像してみて、だって。……何かしらの決着はつける必要があるだろうけど、後悔だけはしないように。私たちが全力で力になるから、って」
最後に縁がそう告げて、空になった重箱をカラカラ鳴らしながら去っていく。
アルは皆を見送りながら…… 傍らに立つ榊兄妹に決意の表情で頷いた。
「鶴岡の作戦に、参加してみようと思います」