移動用の車両を後方に残し、カモフラージュネットを掛け。「現場に『責任を取るもの』がいなくてどうする」とゴネる松岡を車番に残し──
撃退士たちは山中を北へと進んで結界外縁部へと辿り着いた。
外界の侵入を阻む壁。捕らえた者を逃がさぬ檻── 立ち聳える薄虹色の壁を見上げた瞬間、やはり罠かも、との思いが胸中に広がる。だが……
「そこに助けを求める人がいて、そして、僕らには彼等に手を差し伸べる力がある…… ならば、迷う必要はありません」
黒井 明斗(
jb0525)は欠片も躊躇する素振りを見せずに、活性化した白銀の槍で結界を切り裂いた。
「当然だな。ヒーローとしては」
「仮に何かが待ち構えていたとしても、それを踏み越えていかないと」
迷う事なく堂々と内部へ踏み入る千葉 真一(
ja0070)と永連 璃遠(
ja2142)。「色々とままならないのがお仕事ですしねぇ」、「まあ……なんとかなるさ」と、土古井 正一(
jc0586)と戒 龍雲(
jb6175)が後に続く。
「……罠だとしても、中の状況の情報は必要よね」
友人の葛城 縁(
jb1826)と彩咲・陽花(
jb1871)と顔を見合わせ、頷いて。月影 夕姫(
jb1569)が結界の穴を潜る。
最後に明斗が周囲に敵がいないのを確認しながら、敵地へ足を踏み入れた。背後で自動修復していく結界── 穴を開けた時点で主たる天使は侵入に気づいたはずだ。後は主が不在という情報を信じるしかない。
「天使が確認された時点で作戦は中止。即時撤収する」
改めてそれを確認した後、伏兵を警戒しながら、指定された廃村へ向け再び山林を進み出す。
目的地についた時、時計は予定時刻より5分の遅れを示していた。山間の集落に敵影なし── 手早く確認してから山を下りる。
荒れ果てた田園風景の端っこに、その日本家屋はあった。周辺を捜索する為、先行する明斗。自動拳銃を手にした龍雲がその背に闇の翼を広げ、その明斗をフォローするべく家屋の屋根の上へと上がる。
屋敷の入り口の左右に取り付いた真一と璃遠が、3、2、1、で中へと押し入り…… すぐに出てきて女性陣を呼んだ。
顔を見合わせ屋敷へ入る。どこか困った表情の真一と璃遠の視線の先に、部屋の端に固まって座る20人位の親子がいた。子供たちを抱きかかえ、或いは背に庇うようにしながら、やせ細った面貌にぎょろりと際立つ瞳で警戒するようにこちらを見ていた。
真一と璃遠がなぜ自分たちを呼んだのか、彼女たちは理解した。女性である自分たちの方が、この怯え切った人たちの警戒心を解き易いと踏んだのだろう。
希望が容易に絶望に変わる事を、ここの結界に捕らわれた住人たちは知っていた。『希望』に対する強い、強い不信と猜疑── いったいどの様な生活をこの地で強いられてきたのだろう……
「私たちは久遠ヶ原の撃退士です。あなたたちを助けに来ました」
幾度かそれを繰り返して、人々はようやくそれを受け入れた。途端、喜びに泣き咽びながら、彼らは縋りついてきた。子供たちを── 子供たちを助けてくださいお願いします、と……
とりあえず皆を落ち着かせた後── 真一と璃遠は今後の予定を親たちに説明し始めた。子供たちの状態の確認に入る正一。その間、縁と陽花が子供たちに持って来た飴玉を配る。
「ん、甘くて美味しい飴玉を作ってきたんだよ」
「ほら、全員分あるから、皆、ゆっくりと舐めるんだよ?」
反応はなかった。無邪気な笑顔も、人見知りしてぐずる涙も。差し出された飴玉と撃退士たちの顔を、ただ無感動に見つめていた。
「……ッ!」
縁は顔をくしゃくしゃにして……思わず子供を抱き締めた。陽花も目尻に涙を溜めながら、「後で食べてね……」と小さな手にそっと飴玉を握らせる。
正一は無言で立ち上がると己の力を解放した。その表情は静かだったが、内側には煮えたぎった怒りがふつふつと感じられた。
「『現世への定着』──精神吸収を阻害する簡易結界を張りました。暫くの間、私の周囲にいる者にゲートの力が及ぶ事はありません」
告げ、子供たちの傍らに膝をつき。「さぁ、おっちゃんの横にくっついてな」と微笑みかけて、抱き上げる。
「同じ様に搾取されていれば、子供たちの方に先に限界がくるのも当然か……」
沈痛な面持ちで呟く真一と璃遠。そしてそれは、そんな子供たちの姿を見せつけられる親もまた──
「子供たちをお願いします。どうか、どうか……」
涙を流しながら撃退士たちに子供を預けようとする大人たち。夕姫は戸惑った。確かに、件の男が持って来た手紙には『子供たちの』救出にしか言及はされてなかったが……
「あの…… お母様方は来られないのですか? その理由を訊ねても?」
「それは……」
親御さんたちは互いに顔を見合わせ、「言えません……」と首を振った。
真一は改めて尋ねた。車には、ここにいる全員が乗れるだけの席が用意してある。松岡がそう手配した。恐らくは、こんな事態も予測して。
「私は…… この子についていきたい! 離れ離れになるのはイヤ!」
暫しの沈黙の後…… 母親の一人がそう声を上げると、周囲からも堰を切った様に次々と同様の声が上がった。
縁はむしろ積極的にそれに賛同した。予定外のことではあるが、と璃遠もそれを許容する。
「勿論だよ! いえ、子供たちのことを思うなら、むしろ貴方たちもついて来るべきです!」
「乗せられるのなら一緒に乗ってもらって良いんじゃないかな? 子供たちにはその方が心強いだろうから」
良かったと涙ぐむ陽花。微笑で皆を見守る正一。
歓声の中、だが、撃退士たちが光信機から繋いだイヤホンに、外の明斗から通信が入った。
「こちらに接近する集団を確認しました。……どうやら、まずいことになりそうです」
●
陽花と正一にその場を任せてそっと屋敷の外に出て…… 縁は屋根上の龍雲が指差す方向に『テレスコープアイ』で視線をやった。
遠く、集落の反対側から、人間と思しき一団がこちらに歩いてくるのが見えた。こちらに気づいて指を差し、走り出す集団。追っ手か、とも思ったが、彼らの叫びを聞いて、それが間違いであると悟る。
「助けてくれ!」
「俺たちも、連れていってくれ!」
撃退士が来ることをどこからか知ったのだろう。新たな脱出希望者だった。
……イレギュラーな事態だった。とてもじゃないがこれ以上は車に人は乗せられない。
「……無理です。数が多すぎます」
縋る様に振り返った夕姫に、周囲の警戒を続けながら沈痛な面持ちで明斗が答えた。
……撤収しましょう。そう告げる璃遠の肩を、真一は「本気か!?」と掴んだ。
だが、それ以上、何も言えなかった。掴んだ璃遠のその肩が…… 握り締めた拳や唇が震えていることに気づいたから。
「あの人たちの気持ちは痛いほど分かる。きっと藁にも縋る思いでこの場にやって来たのでしょう。……でも、あの人数は僕たちの手に余る。とても守りきれません。今、僕たちが最優先すべきは、あの子供たちを一刻も早くここから連れ出してあげることです」
「クッ……!」
真一は歯噛みした。──ジレンマだった。救いを求める全てを助ける──それが真一のヒーローとしての在り様だ。だが、今、彼らに救いの手を差し伸べれば、子供たちの命まで取り零すことになりかねない。
「衰弱し切った子供たちが優先なのは、彼らもきっと分かってくれます。次の機会は必ずある、希望を持って、と根気強く説得しましょう」
だが、それを待たずに事態は動いた。屋根上の龍雲が発した警告の口笛に、皆が北を振り返る。
遠方、集落の反対側。山の上からたくさんの──少なくとも中隊規模の『骸骨銃兵』がぞろぞろと村へと下りて来ていた。それらは撃退士たちと人々の間を遮断するように、横列に展開しつつあった。
「これは…… もう……」
呻く撃退士たちに対しても追っ手が放たれた。サーバント『岩人』──全身、岩の塊といった重量級の人型が8体、こちらに向かって移動を始める……
「離脱します。親御さんたちに撤収の準備を」
通信機で皆に告げつつ、親子を落ち着かせるべく自らも屋敷へ向かう明斗。通信を受けた陽花は気合に頷き『ヒリュウ』を召喚。その可愛らしいちっちゃな背中にしがみつくように乗っかった。
「じゃ、じゃあ、今から移動を始めます」
そのコミカルな『和気藹々』とした姿に、子供たちが始めて──薄く笑みを浮かべた。それを見て涙を流す母親たちの背に優しく手を当てて移動を促し、正一が先導して小屋を出る。
小屋から出て外の状況を知った母子の表情が強張る。正一は『マインドケア』で温かなアウルを拡散させつつ、安心させるように彼らに言った。
「大丈夫です。あのペースなら追いつかれることはありません。……越えますよ。結界を」
力強く頷き、歩き始める母親たち。彼女たちの心の中──不安や恐怖と言った荒波の底にも、希望は確かに屹立していた。
「皆、心配するな。どこまででも守ってやるさ!」
屋根の上から下りてきながら、ビシィッ! と親指を立てて見せる龍雲。正一が「さあ、おっちゃんたちについてきな」と南へ向かって移動を始める。
「見捨てるのか、俺たちを!」
銃口に移動を阻まれた人々が、撃退士たちを詰り、罵声を浴びせる。
見捨てるわけじゃない、と真一が足を止めて振り返り。明斗が彼らに誓いを告げた。
「また必ず助けに来ます。いつか必ずここに戻って来る! それまであと少し…… もう少しだけ、頑張ってください!」
骸骨銃兵の一斉射撃── 頭上を狙った威嚇射撃に、人々が散り散りになってその場を逃げ出す。
ごめんなさい── と心中で夕姫は頭を下げた。人は、差し出したその手に抱えられるだけのものしか拾い上げることはできないのだ。だから今は……本当に、ごめんなさい──!
●
追っ手として放たれた8体の岩人は、足の遅い母子を抱えたこちらを捉えられるだけの十分な速さをもっていた。
だが、岩人たちは道を使わず、最短距離を一直線に突き進んできた。そして、水の溜まった田の泥中に踏み入った時点で一気にその速度を落とした。
「無駄な戦いは避けた方が良いよね? まずは救出が最優先だし!」
上空から牽制攻撃を行おうと接近していた陽花と龍雲が、その光景を見て踵を返す。
「なぜあんな田んぼの中を……?」
牽制射を放ちながら後退を続ける夕姫の呟きに、殿にいた明斗はハッとした。
「もしかして…… 今回の計画そのものが……?」
敵中に目当てのものを探し…… 赤いコートの人影を見つける。
徳永明美は人々を追い散らす骸骨銃兵たちの只中にあって、ただジッとこちらを見つめていた。
コンバットナイフで結界を切り裂き…… 正一は周囲に敵がいない事を確認すると、手信号で後続を呼んだ。
結界の外に出られた、と万感の想いに涙する親たちは、だが、もう少しの辛抱です、と明斗に促されて先を急ぐ。
途中に寄った休憩場所で予め用意しておいた飲み物を母子に渡して、夕姫は松岡に直ぐ出発できるよう準備を願った。
追っ手はない。何事も無いまま車の待機場所へと辿り着き…… そこで上空に4体の『偽天使』が現れ、発見された。
「このまま何事もなければよかったんだけど…… 流石にそう上手くはいかないみたいだね」
「大丈夫、怖くないわ。みんな強いんだから。すぐにやっつけちゃうわよ」
マイクロバスの屋根へと登る陽花と夕姫。龍雲もすぐにそれに続く。
4駆の運転席に飛び乗った真一がエンジンを掛ける間に、助手席、後席に箱乗りになった明斗、璃遠、縁の3人がそれぞれ身体をバンドで固定し、飛び道具を活性化させる。
「さぁて、それじゃあ、出発しますかぁ」
バスの運転席に座った正一が、運転手風の帽子を被ってクラクションと共に出発する。
追いつき、木々の間を縫いつつ降下してくるのっぺらぼうの天使型サーバント。迎撃の為に陽花と龍雲の2人が空へ舞い、それを支援するように屋根上の夕姫が大型ライフルを発砲する。
「ヒリュウ!」
しがみついた陽花の身体をぶぅんぶぅんと振り回す様に飛翔しながら、ヒリュウが眼前の偽天使に雷の帯を叩きつける。そのまま突進。ヒリュウに片手で棚引きながら、陽花がもう一方の手に活性化させた薙刀を敵とすれ違いざまに横へ薙ぐ。
その陽花に拘束された1体を除く他の3体がバスへと近づき、その手に光の投げ槍を生み出した。振り被って攻撃態勢。寸前、上空から急降下してきた龍雲が、大きく腰から振り出した蹴りで弧を描くように薙ぎ払い。1体を地へ叩き落して地面へと接吻、バウンドさせる。
残る二体が投射する光槍。瞬間、夕姫は通信機に向かって回避を指示した。
「ちょいと揺れますよぉ、っとぉ!」
上がる悲鳴の中、ハンドルをグルグル回してバスを横へと『跳ばす』正一。1本がバスの巨体の側方へと突き刺さり。もう1本は、膝射姿勢から飛び起きてバス上を疾走した夕姫が『庇護の翼』で受け弾く。
「バスの後ろへ……! 敵をこちらへ引きつけます!」
明斗の指示に従って、真一がハンドルを切りながら4駆の速度を落としてバスの後部へと回る。
バス側方、窓の向こうで頭を上げた子供たちに向かって、箱乗りになった璃遠が安心させるように手を振って。その視界からバスが消えると同時に見えるは、夕刻の空と流れ行く木々の陰。そして飛行する2体の偽天使──
その内の1体に向けて、明斗は『星の鎖』を放った。ある種のサーカスの様に地上から空中へと放たれるアウルの鎖。鋭角的な軌道でそれを回避にかかる天使を鎖が同様に追い…… 捉えたその1体へ鎖が巻き突き、強制的に地面へと引き摺り落とす。
「対空射撃!」
「子供たちに…… 手を出すな!」
残る1体に向けて縁と璃遠が散弾銃と自動拳銃を立て続けに撃ち捲り、弾幕でバスから引き離す。視界を飛び行くアウルの弾丸のその数に辟易して一旦、速度を下げた敵を夕姫が狙撃。弾丸に弾かれたところを陽花が背から薙刀で切り裂き。龍雲がその拳で思いっきりぶっ飛ばす。
「お前たちの相手は、また今度してやる」
地面に落ちた敵を見下ろし、龍雲と、そして陽花は止めを刺さず、前進を続けるバスの直掩へと戻った。
バスが森を抜け、道路へ下りる。追っ手を振り切ったところでようやく…… ご乗車、ありがとうございます、と正一がマイクに笑った。
●
撃退署前は大騒ぎだった。
駆けつけたマスコミのフラッシュとレポート。救急車へ急ぎ移動しながら、まだたくさんの人が結界に捕らわれていると救出を訴えかける親御さんの声が飛ぶ。
英雄であるはずの撃退士たちは、だが、彼らの前には出なかった。事の途中であることを、誰よりも自分たちが分かっていた。
夜の下、月を見上げる。
「明美さん…… 貴女は、何を考えているのかな?」
縁がポツリと呟いた。