「松岡以下学園撃退士9名。笹原小隊第三・第四分隊と合流すべく、これより清川へ向け出発します」
出発する松岡と、それを見送る藤堂晶と安原青葉── ぎこちない3人を遠巻き(なんか近づくことができなかった……)に見やりながら、葛城 縁(
jb1826)は傍らの杉下にむむむ、と唸った。
「このままじゃ、いけないよね……」
縁の呟きに、杉下が複雑な顔をする。
誤解を与える表現である事を承知で言えば、係争中の色恋沙汰には通常『勝者』と『敗者』が存在する。誰かが幸せを手にした時、誰かはそれを取り零す。故に他人の色恋沙汰に安易には介入できない。それが関係者だったり当事者だったりすれば尚更だ。
だからこそ、人間関係に波風が立たぬよう、現状維持を選択する者も少なくない。それが大人で、互いの関係が公的なものである場合は殊更に。
「地上、空中共に敵影なし! ……一応、警戒してたけど、意外と何も起こらないね」
「ほーんとっ、何も起こらないわよね。……どっかの誰かさんたちも」
小雪降り積もる道を進む友人、彩咲・陽花(
jb1871)が発した言葉に応じて── 月影 夕姫(
jb1569)はジト目で松岡を振り返った。
笹原小隊に出向する── 松岡のその決意を聞いた時、夕姫は感心した。ついに己の心にケジメをつけ、いよいよ藤堂に告白に行くのか、と。……ところが、この期に及んでも松岡は藤堂に対して何のアクションも起こさなかった。あれ? 決意をしたんじゃなかったんですか? 決意ってもしかして何か別の決意だったんですか?
「そっ、そう言えば先生、学園に籍を残すことにしたんだよねっ! これからも先生の授業を受けられるのは嬉しいんだよっ!」
友人の鋭鋒に慌ててフォローに入る陽花。だが追い撃ちは止まらない。
「その授業も暫く受けられないけどね、出向だから。……そこまでしといて何の進展もないとか、私もあり得ないくらいに残念、もとい、心配なんですけど」
言い返すことも出来ずに胃の辺りを押さえる松岡。それを見た陽花があわわわわと慌てふためく。
そんな二人に夕姫は一つ嘆息すると、そこで一旦、矛を収めた。
「……とまあ、冗談はこれくらいにして。……踏み込めないでいるのは、例の負い目が理由ですか?」
ピシリと固まる陽花。松岡はチラリと夕姫を見やる。
「……いつまで引き摺っているつもりですか。悲劇のヒーローじゃあるまいし。周りが責めてくれないから自分で責めるとか、ただの自己満足じゃないですか」
「ゆ、夕姫さん、それ以上は……! (矛を収めたんじゃなかったのーっ?!)」
内心ツッコミを入れつつ止めようとする陽花を手で制し。夕姫は「先生が教えてくれたことです」と言葉を続けた。
「私たちだって、誰かを守れなかった、目の前で倒れられた、なんて経験は沢山ある。それでもいつまでもそれを引き摺ってても次を助けられるわけじゃない。……忘れる必要はない。いえ、忘れてはいけない。けど、その想いはきっと…… 次の機会に別の誰かを助ける為のものだから」
変に思いつめないでください、と、夕姫は言った。出向し、実際に距離を縮めたことで、松岡もまた変に思いつめてしまったのかもしれない。自分を犠牲にして守っても、相手は決して喜ばない。それは先生も分かっているはずだけど……
「……っていうか、ただ後ろで守られているだけの人じゃないですよね、藤堂さん」
「むしろ阿修羅の俺の方が守られる側だと思う。あいつ、ディバインナイトだし」
その日、初めて笑みを浮かべた松岡は、改めて2人に「……ありがとな」と礼を言った。自分が教師でいることを肯定してくれた陽花に。そして、教師に過ぎない自分を心配してくれた夕姫に。
夕姫はその日、何度目かの…… その日の内で最も前向きな、微笑交じりの溜め息を吐きつつ、言った。
「というか、決戦も近そうな雰囲気ですし、いつまでもウダウダやってないでスッキリさせてくださいよ。互いに引っ張り合うから複雑に絡まっているだけで、近づいてみれば案外すんなり解けたりするものです。先生が抱えているその負い目を直接、相手に伝えてみれば、案外、先生の思い込みとは違う答えが返ってくるかもしれませんよ?」
夕姫の言葉に、陽花は曖昧に沈黙する。──『他人の恋愛沙汰には介入できない。それが関係者だったりすれば尚更だ』。
「それに、ちょっとした仕草とか態度とか…… 男性と違って女性は色んなことに敏感ですから。気づかれてないと思っているのは、大抵、男性だけだったりするんですよ?」
……そう、だから怖いのだ。松岡は心中に呟いた。
覚悟は決めた。藤堂に対する愛情はあの頃と変わらず胸(ここ)にある。
だが、その想いは果たして、学生時代に己が抱いていたそれと同じ純粋な想いであるのかどうか── 自身でも判然としないのだから。
「立場は違っても『仲間』なんだから…… もっと仲良くして欲しいんだよね」
雪の原をずんずん歩きながら、縁が遅れてついてくる杉下に続ける。──お母さんは教えてくれた。過去は過去。決して変えられない。でも、いつまでもそれに縛られて未来まで閉ざしてはいけないのだと。
「君のお母さんは正しい。……が、こと人間関係に限れば中々に難しい」
杉下は言う。──波風が立たぬよう、現状維持を選択する人間も少なからず存在する。例えば安原青葉のように。例えば、そう……自分のように。
「だからこそ、だよ! だからこそ私たちで何とかしないと! 『藤堂さんと青葉先生が』もっと腹を割って話せるように!」
「あ、そっち?」
「と言うより、仲良くなれるように行動しないと! 彼女たちに存在する見えない壁をぶち壊すんだよ! 粉砕玉砕大喝采だよ!」
杉下は勘違いをした自身に苦笑すると、んー……、とどこかを見上げながら、「そっちは存外、大丈夫なんじゃないかなぁ」と口にした。
ガチャリ、と扉を開ける縁。中には、学生たちと共に、差し向かいで食事をする藤堂と青葉の姿があった。
「……あれ? もしかして意外と仲良しさん……?」
小首を傾げる縁に、藤堂と青葉の二人もまた小首を傾げた。
●
「敵は戦力を小出しにし、こちらの侵攻を敢えて許しているフシがあります。こちらを自陣の奥深くへ誘い込んで補給路を断ち、疲弊した我々を決戦にて討滅する── これはかのナポレオンを撃退したロシアの焦土戦術を想起させる動きであり、十分な注意が必要と思います。……考えすぎかもしれませんが、この地域の敵は変に人間臭い思考をするように感じられますので」
縁と杉下が食堂を訪れる少し前──
扉が開け放ちにされた青葉の自室で、黒井 明斗(
jb0525)がこちらに来てまだ日の浅い青葉の為に情勢のレクチャーを行っていた。
「ありがとう、黒井君。参考になったわ。ごめんね、お手数かけて」
「いえ」
用件を終えた明斗は、だが、その場から立ち去らない。移動の為、急ぎ、残ったあまあまなコーヒー牛乳を呷る青葉を見やり、眼鏡をクイッと押し上げる。
「何? まだ何かある?」
「安原先生は松岡先生にアタックはしないんですか?」
「ブホォッ……?!!!」
盛大に牛乳を吹き出す青葉。ド直球である。後退を許さぬ中央突破──明斗の眼鏡のレンズがキラリと光を反射する。
「松岡先生も藤堂さんも遠慮し合ってか動きも無いし…… 戦いは『先手必勝』。先陣を切るのは若手の特権かもしれませんよ?」
「それって当て馬キャラの玉砕フラグだよね?! 『先に動いた方が負ける!』パターンだよね?!」
「あっはっは。雨降って地固まるとも言いますし! ……どういう風に固まるかは知りませんけど」
真面目な表情で青葉を見返す。
「でも、このままでいいんですか? 遠慮したままじゃチャンスがなくなってしまうかもしれませんよ?」
明斗が訊ねると…… 青葉はちょっと寂しそうに、微笑を浮かべて言った。
「……確かに私は松岡先生の事を一人の男性として思慕しているけど…… 同時に、敬愛する恩師であり、命を救ってくれた恩人でもあるの。……私は先生からたくさんのものを頂いた。だから、何よりもまず先生には幸せになってほしい。勿論、その幸せに私が関わることができたら、それが最高ではあるけれど」
「藤堂分隊長。食事の準備が整いました」
集積場に搬入された物資のチェックを行う藤堂に、雨宮アカリ(
ja4010)は見事なフランス式敬礼と共に報告した。
忙しく仕事を続けていた藤堂はその内容に一瞬、目を瞬かせ…… 「そんなことまでしなくていいのよ?」とアカリに訊き返す。
「いえ、実のところ、少しお話したいだけでありまして。お付き合いいただけましたら」
気を使わせてしまったか── 休む間もなく働き続けていた藤堂はアカリに礼を言い、ありがたくご馳走になることにした。
食事の準備がしてあるという食堂へ2人して移動する。予約済みという札の立ったテーブルには差し向かいでディッシュが置かれており。
「ん?」
「〜〜〜〜〜〜〜っ?!?!?!」
その内の一つ、アカリの分をパクついていた(予約に気づかなかったのだ)千葉 真一(
ja0070)がきょとんとした顔で2人を見返した。
……あーだこーだで一悶着あった後。3人でテーブルについた藤堂、アカリ、真一は、食事を取りながら本題に入った。
「恐らく分かってらっしゃる事を敢えて言うのは失礼かもだけれど、許してねぇ。藤堂分隊長は松……」
「ああ、そうだ、藤堂さん。ちゃんと松岡先生と話し合ってください。必要なら俺がお膳立てします」
遠回しに話題に入ろうとしたアカリを遮るように、ふと真一が思いついたといった風情で真正面からぶっこんだ。邪魔された格好のアカリがポコポコと真一を叩くが、当の本人は「!?」となぜ叩かれているのか分からない。
「藤堂さんと松岡先生の間にあるシコリを何とかしたいんです。お節介と言われようと、きちんと向き合ってもらいたいんです」
叩かれながら、真一は真っ直ぐな瞳で藤堂に訴えかけた。
アカリの手が止み、改めて藤堂に向かい直す。……この消化不良な状態は、今後の戦いに向けて不安要素にしかならない。恋愛はなるようにしかならないと思うが、今の状態はそれ以前の問題のように真一には思える。
「とりあえず、今回は青葉先生にはご遠慮願って……」
「私がどうかした?」
声に振り向くと、明斗を伴って食堂に来ていた青葉が食事のトレイを手に立っていた。慌てふためく真一に、微苦笑で青葉が言う。
「構わないわよ。私も松岡先生に刺さった『棘』を抜くことが最優先だと思うから。……私は『長い間ずっと側で』松岡先生が苦しむのを見てきたんだもの」
軽く牽制を交えながら告げる青葉。それを聞いた藤堂は反発せず、青葉の予測と異なった反応を見せた。しゅんと俯き「……やっぱり松岡は苦しんでいたのか」と唇を噛んで、かえって青葉の方をわたわたさせる……
「……弟が死んだと聞かされた時、私は松岡に酷いことを言った。彼の所為ではないと頭では理解していたのに、誰かの所為にせずにはいられなかった」
それが棘。藤堂と松岡、二人の人生のあまりに奥深くに突き立ち、癒着して抜くことも出来なくなった後悔の刃──
「だけど、松岡は小隊の危機に際して、あれから10年も経っていたのに己の立場も顧みずに助けに来た。私を命がけで救ってくれた」
そのことだけで、彼が自分たちのことをいかに気にしていてくれたかを知った。彼の瞳に自分に対する変わらぬ思慕の情を見た。
「だけど私は怖いのだ。松岡の私に対する感情は、果たして本当に愛情なのだろうか、と…… 慎を──弟を死なせた贖罪の意識、或いは歪な義務感に過ぎないのではないのか、と……」
それを確かめるのが怖かった。だから一歩も進めなかった。
アカリと真一は己の指にキュッと力を入れた。……贖罪の意識に縛られてるのは松岡の方だと思っていた。だが、本当にがんじがらめになっていたのは藤堂の方だった。
「……つい最近の話だけど」
誰にともなく、アカリは俯いたまま独白を始めた。
「私の愛した人が戦死したわぁ。……一目惚れだった。会いたいと追いかけて、次に会った時は死に目よぅ? 名前すら伝えられなかった。くっそう、次ヴァルハラで会った時には覚えてなさいよ、まったく……」
文句を零して顔を上げる。アカリの表情は冬の早朝の湖面の様に静かだった。
「……このご時勢、相手に気持ちを察して貰えるだけの時間なんて無いじゃない? 特に私たちみたいな同じ『戦場』で生きる者にとってはなおさら贅沢品よ」
だからこそ、後悔はしたくない。いつ死んでもそうせずに済むよう、まだ伝えてない想いがあるなら残さず伝えてもらいたい。
「『好きな人に想いを〜』とか、そんな大それた事でなくていいのよぉ。酷い事を言ったと思っているなら、それをちゃんと謝っておいたりとかね」
アカリが口を閉ざす。藤堂は天井を仰いでいた。
その口が「……そうね」と呟いた。そうだ。例え戦場で倒れるにしても、こんな想いを抱えたまま消えたくはない。
「……まったく。今頃になってアイツが現れなければ、こんな想いとは無縁でいられたのに」
「まったくです。それもこれも10年前に藤堂さんが松岡先生に突き立てた言葉の暴力が原因ですから。さっさと謝ちゃってください」
青葉の軽口に、顔を見合わせ笑う藤堂。
そこへ飛び込んできた縁と杉下が、それを見てきょとんと顔を見合わせた。
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撃退署・清水班の到着を待って、藤堂・杉下の両分隊と青葉の引率する学生たちは集積場を出発。清川に到達した先遣隊と合流した。
「とりあえずこっちは問題なく万事順調に進んでいるよ。砦で戦った時には攻撃も激しかったけど、ここのところは静かだね」
現場の状況を到着した自分たちに説明する陽花をジッと見返して、そう言えば我が親友もまーーーっったく踏み出せていないなぁ、と縁はふと思いついた。
「親友もまた前途多難な恋路だよね…… 陽花さんももう少しこうどーんっといかないかなぁ……」
「口に出てるよ、縁…… そう言う縁はどうなのさ」
「ふぇっ!?」
色気より食い気です。小隊の皆には人気があります。主に陽花がばら撒いたグラビアが原因で(
「ふあぁぁぁーっ???!!!」
「……そう言えば、前みたいな組織だった攻撃もないなぁ。あのおばちゃんも見かけなくなったし、向こうは向こうで戦力が足りてないのかな?」
「明美さん…… 敵指揮官の指揮のクセからして、こちらを監視してはいると思うのですけど……」
清川町、山腹── 眼下に一面に広がる庄内平野を双眼鏡で見渡しながら、明斗はポツリと呟いた。
「俺は直接見えていないが…… 面倒な相手らしいな」
明斗に並んで警戒に当たる真一。2人の目がとある一点に気づいて留まる。
「報告を。誰かがこっちにやって来る」
「サーバントか?」
「いや…… 人だ」