「あ、勇斗くん」
久遠ヶ原学園、大学部── 友人たちと進級祝いをしようとケーキ片手ににこにこと歩いていた彩咲・陽花(
jb1871)は、思いがけぬ出会いに驚いた。
「そうか、勇斗くんも大学進級おめでとうだよ♪」
どうして大学部に、と訊きかけて、その答えに思いついて手を叩く。勇斗くんも遂に大学生かぁ、と感慨深く息を吐き。陽花は少し考える素振りを見せた後、手にしていたケーキを勇斗に渡した。
「進級祝い。縁たちにはナイショだよ? 悠奈ちゃんと一緒に食べて」
照れたように笑う陽花に勇斗が頭を下げて礼を言い。寒くなりましたね、相変わらず巫女服ですね、と会話を続ける。
それを見た敬一が気を利かせてその場を離れようと後ろを向き…… メイド服姿で客寄せのチラシを配る高等部の生徒を見て、ふと困惑の表情を浮かべた。
「あれ……? 君は確か……」
「ウソ、きみ、璃遠くん!?」
勇斗と陽花も気づいた。メイド服の生徒は永連 璃遠(
ja2142)だった。勇斗にとっては悠奈共々、対天使を想定した訓練で協力してもらった間柄だ。ちなみに、華奢で一見、女の子の様に見える顔立ちではあるが、れっきとした男子である。
「え。あ。ち、ちちち違うよ!? 全然違うよ!? これは好きでやってるんじゃなく、妹に頼まれて仕方なく身代わりを……ッ!」
知り合いに見られたことに気づき、慌てて両の手を振る璃遠。ともかくここではなんだから、と慌てて模擬店の中へと誘う。
「よ、よろしければ飲み物などどうでしょう?!」
「奢りで?」
「勿論! 僕の奢りで!」
かくして、陽花のケーキを頂きながら、休憩を取った璃遠の紅茶で即興のティーパーティと相成った。悠奈の分のケーキはまた後で作って持っていく、と、改めて会う口実が出来て、陽花がテーブルの下でグッと拳を握る。
「説得って難しいよね。特にお互い譲れないものがある場合は……」
ひとしきり璃遠のメイド姿を弄った後、話題はやがて悠奈と徹汰の話になった。
「なんとなくだけど…… 徹汰は、悠奈ちゃんに殺された姉を重ね合わせているんじゃないかと思うんだよね。自分にとって大切な存在を、今度こそ自分の手で守り抜こう、って」
陽花の言葉に勇斗は小首を傾げた。悠奈の、母性? 兄である勇斗にはどうにもピンとこない。
「つまり…… あの天使が悠奈に抱いている感情は、恋ではなく、執着?」
「いや、勇斗くん。そこは現実を直視しようよ」
(勇斗さんはまだ現状を受け止めきれてないのかな……?)
勇斗の反応を横からそっと伺って。璃遠はそんなことを感じた。僕が同じ立場だったら、と想像してみる。……うん、同じ様に思い悩むかもしれない。同様に、天使の立場に立っても。
「誰しも自分の生まれ育った環境が絶対だものね……最初は。相手の育った世界も知って、受け止められるようになった時、聞き入れて貰えるような気がする」
「……そうだ。勇斗くん。徹汰に悠奈の弟に…… 俺たちの家族になれ! って説得するのはどうかな?」
陽花のその言葉に、盛大に紅茶を噴き出す勇斗。冗談として口に出した陽花だったが、改めて考えてみると存外、良い案であるように思える。
「まぁ、でも、実際…… 最後はやっぱり本人たちの『本音』だと思いますよ」
苦笑混じりに、璃遠が言った。
「一緒にいたい、って理由だけでも、種族の壁を乗り越えるには十分だ、って、個人的には思っています。……いえ、こんな格好をしている僕から言われても、説得力ゼロでしょうが」
●
同刻、中等部。悠奈たちのいる教室──
陽花から送られてきたメールをチェックする葛城 縁(
jb1826)に気づいて、共に待ち合わせをしていた月影 夕姫(
jb1569)が訊ねた。
「陽花? 遅れるって?」
「うん。こっちには来れなくなったって。まぁ、馬に蹴られたくないからしかたないよね」
縁のその言葉を受けて、事情を知る日下部 司(
jb5638)と夕姫は陽花の置かれた状況を察した。
ちなみに、まったく関係のない話だが、縁のステータスはFである。遠目に『それ』を再確認した悠奈や沙希が顔を見合わせ息を呑み。果たして大学部に上がるまでに自分たちはあそこまで辿り着けるか考え、無理無理無理と首を振る。
「まぁ、相変わらずの賑やかさだしなぁ、文化祭。一緒に巡るには良い日和だし」
「もう2年なのね。勇斗君も大学生…… バイト探しや料理を教えてた頃がなつかしいわ」
3人の会話を聞きながら、神棟星嵐(
jb1397)はひとり、居心地悪そうに身じろぎした。──そう、二年なんてあっという間だ。子供だ、子供だ、と思っていたのに、すぐに大人びていくのだから。今日、初めて姫(=沙希)のメイド姿を目の当たりにした時、思わず言葉を失った。軽い口調で褒めようとしたのに、年上の余裕もなく言い淀んでしまった。
これはいよいよ本気のあれか、と悩み続ける星嵐。その間も徹汰説得作戦会議は進んでいる。
「相手が復讐という情に囚われているなら、利を説いても効き目は薄いかな」
テーブルを囲う中の一人、狩野 峰雪(
ja0345)が、悠奈たちの話を聞いて己の所感をそう告げた。峰雪は兄の勇斗とは青森で一緒に脱出行を戦ったことはあるが、悠奈たちとは初めてだった。この場にいたのも偶然だったが、個人的に思うところがあって参加している。
「情?」
「そうね。前の説得の時、徹汰は一瞬、こちらに手を差し出そうとしていたわ。揺れているのよ。でも、彼の中で何かが今の状況に引き止めているんだと思う。その『情』が敵討ちなのかはわからないけど…… 彼自身が何に囚われているか、それを引き出すことが必要なのかも。彼自身気づいていない、本心をぶち撒けさせるように持っていくべきかしらね」
夕姫が続けた。要は理詰めとか彼我の情勢とか関係なく、彼が本当はどうしたいのか、どうありたいのかを感情的に爆発させてすっきりさせる。そういうものには本人すらも気づいていない隠れた本心が出てくるものだし、そこに説得の鍵があるかもしれない。
「前の説得の時、悠奈ちゃんと勇斗君は本心でぶつかった。でも、彼は本心で答えていないと思うの」
「……本当に?」
「え?」
夕姫の言葉にポツリと呟く峰雪。夕姫が聞き返そうとした時、麗華の膝の上に収まった白野 小梅(
jb4012)が、眠い目を擦りながら皆に問いかけた。追試明けで身も心も真っ白になって校内を徘徊(?)していたところ、休憩に入る親友の麗華と悠奈を廊下で見つけて涙をちょちょ切らせながら抱きついてきたちびっこ天使だ。以降、麗華のぬくもりの中でぬくぬくとまどろんでいたのだが、どうやら目を覚ましたらしい。
「ねぇ、そもそも学園に徹汰ちゃん来ないとぉ、悠奈ちゃんと仲良くできないのぉ?」
小梅の言葉に、悠奈たちは目を丸くした。どういうことか、と優しい口調で訊ね返す。
「……学園に来ることとぉ、仲良くする事はぁ別だと思うなぁ。悠奈ちゃん、徹汰ちゃんと仲良くするのぉ、学園じゃなきゃダメ? 皆はぁ、ボクが学園生じゃぁなかったら、仲良くしてくれないのぉ?」
純真な瞳で見上げられ、言葉を失う麗華。いや、でも、人間の味方をすることに決めた天使は天界にはいられないわけで、堕天した天使はすべからく久遠ヶ原学園に所属することが義務付けられているわけで……
「自分も同じ事を考えていました」
「ええっ!?」
星嵐が小梅の考えに賛同の意を示し、皆はまた驚いた。驚かれたことに驚いた星嵐は目を瞬かせ、咳払いを一つして話を続ける。
「アルディエル(=徹汰)に学園に投降してもらうことだけが解決方法ではないと自分は考えます。当面、敵対しないことに焦点を絞れないか、と」
星嵐は、徹汰が悠奈を『独断で』連れて行こうとしたことが気にかかっていた。『兄代わりの天使』がその独断を許すとは思えない。何かしらの命令を受けていたとして、その内容の次第によっては協力や休戦できるかもしれない。
「もちろん、それが可能かどうか、その内容を全面的に信用できるかどうかは別問題です。ですが、天使勢力との協力関係は四国で実績がありますから、全くの不可能ではないかと。……それに、この話が上手く進んだら、彼との仲が『遠距離恋愛』に進展しますよ?」
「あのね、んとね、すぐには無理だと思うけどぉ、天界とぉ地球がぁ仲良しになったらぁ、悪魔も簡単に手が出せないと思うからぁ、徹汰ちゃんの心配もなくなると思うのぉ」
星嵐の言葉にボッと頬を染め、目をキラキラさせながらどぉ? と訊ねてくる小梅に、悠奈は儚げな微笑を返した。
「……先日、ガチで殴りあったばかりの東北の天使勢力がどう出るか…… 戦いが激しくなるか、小康状態になるかまだ判然としません。……それに、この世界から天魔を追い返すことができても、天使と悪魔の戦いは別の世界で続きます」
或いは、永劫に続く戦いの中で、復讐に囚われた徹汰が傷つき、斃れるようなこともあるかもしれない。いや、今のままならきっとそうなる。彼にはそんな最期を迎えて欲しくない。
しょんぼりとする小梅を横目に収めつつ、星嵐は「やはり……」と心中で首肯した。
「となると…… また別の方法もあるにはありますが……」
星嵐の言葉に縋るような視線を向ける悠奈に。だが、峰雪はぴしゃりと言った。
「だが、それも今の君じゃ無理だ」
「え?」
驚く悠奈に、縁が代わりに優しく訊いた。
「悠奈ちゃん。そもそもなぜ彼とは戦いたくないのかな? 彼と似たような境遇の天使や悪魔は他にもいると思うんだけど?」
縁の問いに、悠奈は「それは……」と言いあぐね。少しの間、考え、「友達だから」と答えた。
「戦いたくないから学園に来て、だけじゃ弱いと思う。……もしくは『ずるい』かな?」
ショックを受ける悠奈に、逆の立場で考えてみるといい、と峰雪は諭した。──自分の兄を殺され、一人ぼっちで復讐以外考えられなくなって…… そんな中、偶然、仲良くなっただけの相手に、戦いたくないから故郷を捨てて寝返って、と頼まれる。しかも、そんな相手には兄も友達もいて、何一つ失ってないというのに。
「悠奈ちゃんはなぜ撃退士として戦う事を選んだの? 兄妹二人で共に生きていく為だったよね? アルディエルのしようとしていることは、悠奈ちゃんからお兄ちゃんや友達たち、他の大切なもの全てを捨てさせようということと同じ。……でもね、悠奈ちゃん。アルディエルを説得して堕天させようとするのも、彼に同じ事を強いるということなんだよ?」
縁の言葉に、そこで初めて、悠奈は己のしようとしている事の本質を知った。
夕姫もまた頷いた。なるほど、確かに悠奈はまだ己の全てを徹汰にぶつけてはいない。
「悠奈ちゃんはさ、徹汰君──アルディエルのことをどう思っているのかな? ほら、前に彼と対峙した時は、彼のことを知って戦いたくないから堕天してほしい、って言葉尻だったしさ」
司もまた悠奈に訊ねた。訊ねつつ、前回の説得に際して悠奈が本心で語っていなかったことを指摘する。
「戦いたくない理由…… それは、好きだから、だよね? それを言葉にしないで他の理由で隠してしまうんじゃ、本心は伝わらないよ」
さっき『ずるい』と言ったのはそういう事さ、と峰雪は静かに伝えた。
相手が情に囚われているのなら、こちらも情をぶつけなくては── それはとても勇気がいることだけど、相手が要する覚悟はそれ以上。相手にその重大な決断を迫るなら、一緒にいたい、離れたくない、あなたの一番になりたい、と、それくらい言っちゃわないと相手の心を揺さぶることはできないのではなかろうか。
司もまた頷いた。本来、答えがある問題などではないのだ。悠奈ちゃんの好きという想いを伝え、徹汰がその想いに答えを返せる状況に持っていくしかない。
「人生は一度きり。理屈じゃない。恥を捨て、恋心一つでぶつかってみては」
「互いが互いを大切に思っているのは分かっている。でもさ、堕天云々や彼の繋がりがどうのじゃなく…… 悠奈ちゃんが彼をどう思っているのか、その純粋な想いをぶつけるんだ」
峰雪と司の言葉に真っ赤になりつつ…… 悠奈は小さく頷いた。いきなり告白と言われてどきどきしながら。しかし、それは悠奈自身、幾日幾夜と悩み、考え抜いたことでもある。
「まだ、この気持ちが恋かどうか分からないけど…… うん。今度、徹汰君にあったら、きっと」
どうやらようやく覚悟を決めた悠奈を、縁はギュッと抱き締めた。──家族や友人は何よりも大事。アルディエルもまた悠奈たちの『家族』であって欲しい。そう告げる。
「……まあ、ダメだった時は『悠奈ちゃんの想いを弄ぶとは何事だ!』ってとっちめてやればいいんだしさ」
冗談めかしてにかっとまぜっ返す司。ぴゃ、と涙目になる悠奈を抱き締め、女性陣の冷ややかな視線が司に刺さる。
「さあ、そうと決まったら、次はいかに説得する状況を作り出すか、ね。彼が本心を言えない状況──例えば、例の兄代わりから監視されてるとか、そういったものを排除してから当たることも必要になるかもしれないわ」
パンパンと手を叩き、夕姫がホワイトボードを引っ張ってきて実務的な話に入る。
会議の日はそうして暮れていった。
●
「さて、お嬢さん方。甘いものでも奢らせてくれないかな? 折角の文化祭だ。楽しまなきゃ」
一通り会議を終えて、まだ日没まで時間があることを確認し、司は中等部の悠奈たちに声を掛けた。いいんですか、とはしゃぐところに小梅も加わり…… 更に、私も『お嬢さん』よね、と縁や夕姫たちも加わり、司のこめかみを冷や汗が流れる。
「おなかもすいた頃合ですし…… 文化祭、一緒に回りませんか? ごちそうしますよ」
ただ独り、沙希だけは星嵐がそう声を掛けた。了承する沙希。その後もお互い照れ合って沈黙し…… 星嵐がふと思いついたように沙希の格好を似合っていると褒めたりする。
その時にはなぜか周囲からは人っ子一人いなくなっており…… ああ、これが色に出にけり、というやつか、と星嵐は眉をひそめた。気を使わせた、ということはバレバレだということであり。畜生。気配を消すのはナイトウォーカーの得手だというのに。
「来年は徹汰と一緒に回れるといいわね。……あ。その場合は二人きりの方がいいかしら」
悠奈の耳元でそう悪戯に笑う夕姫の言葉に、再び瞬間沸騰する悠奈。
そんな彼らを見やりながら、峰雪は思った。──或いは、自分も子供たちとこの様な時間を過ごすこともできたのだろうか。……人生は一度きり。失った時間はもうどうにもならないけれど。或いは……
夕闇迫る学園の上空を、小梅と共に悠奈が飛ぶ。
大空から見渡す広大な世界── その光景は、自分の悩みなどちっぽけなものの様に悠奈に感じさせた。