屋内の警備は女子が担当。男子は屋外で警戒を──
青葉からそう指示を受けた日下部 司(
jb5638)は、なにか違和感の様なものを感じていた。
女子寮だから、という説明は理解できる。問題は、男子生徒が司『一人』しかいない点。強敵を前に単独行動── 実務教師でもある青葉の編成とは思えない。
「あ、寮のお風呂場に電気がついたね。寮の誰かが入るのかな」
同様の事を考えたのだろうか。『女子』なのに司を手伝う者がいた。
月夜に浮かび上がるワンピースと長い髪── 綺麗な人だな、という最初の印象は、だが、実際に話すと霧散した。
「……覗きには行かないの?」
「行きませんよ……」
疲れた表情で答える司に、その『彼女』、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)がからかうような視線を向ける。
それより、どうしてこちらに残ったのか── 司が訊ねると、アルベルトは含み笑いで司の耳元に口を寄せた。
「へぇ」
『理由』を聞いた司は心底驚いた顔をした。が、そこに好奇とか嫌悪といった反応はない。
アルベルトは逆に驚いた。そして、真摯な表情で向き直ると、改めて司に訊ねた。
「……で、やっぱり覗きには行かないの?」
●
「あー、やっぱり仕事の疲れはお風呂で取るのが一番だよね」
「やはりお風呂は気持ち良いのぅ。これで幽霊騒ぎが無ければ最高なのじゃが……」
熱いシャワーで汗を洗い流し、菊開 すみれ(
ja6392)と狐珀(
jb3243)が人心地ついた声を上げる。
その二人の間に座った志々乃 千瀬(
jb9168)は、タオルで己の前面を隠しながら左右にチラチラと視線をやった。
狐獣人な狐珀は、その美しい毛並みをシャンプー(丸々1本)で洗った後、両手で丁寧にトリートメントを塗布していた。濡れた毛皮が身体に張り付き、普段は毛皮に隠れている成熟した女性のラインが浮き出ている。
一方のすみれもまた、あわあわのスポンジで身体を洗いながら、小柄で華奢な背中からは想像がつかないくらい豊かな胸を、たわわに実った果実の様に瑞々しく揺らしている。
「お風呂、は、やっぱり、良い、です、けど……」
千瀬は己の胸元を見下ろすと、両手を鎖骨から腰骨まで滑らせた。
何の抵抗もなくスムーズにストンと落ちる両手。なんかいたたまれなくなった千瀬はふらふらと湯船へ逃れ…… その背中を見送りながら、すみれはキュッとその身体を小さくした。
(……やっぱり、私の胸って、大きい……んだよね)
己の胸を隠すように腕を添える。それだけでもすみれの双丘は柔らかそうにたわんでみせる……
「しかし、捜索の労を労ってお風呂の貸切ねぇ…… いつもはないのに、なんで今日だけ?」
反対側の壁のシャワーで泡を流しながら、月影 夕姫(
jb1569)は傍らの友人、彩咲・陽花(
jb1871)に、ふと抱いた疑問を口にした。柔らかな身体の曲線に沿って流れ行くお湯と泡── 本人は全く気にしてないが、そのボディラインはモデルのバイトをしている友人たちに負けず劣らぬものがある。
その隣りで白い手にシャンプーを押し出し、自慢の黒髪をあわあわと洗う陽花。肉感的な友人たちと比べれば細身だが、そのスタイルは勿論、仕草や表情にどこかホッとするような柔らかさがある。
「別に気にしなくても……って、あれ……?」
目を瞑ったまま手を伸ばしてぱたぱたと何かを探し…… コンディショナーを忘れた事に気づいた陽花は、ざんぶとお湯を被って泡を落とした。私のを貸すと言う夕姫に謝絶し、小走りで脱衣所へと急ぐ。
遠石 一千風(
jb3845)は一人、テキパキと無駄のない動作で汗を流すと、湯船にも入らず、すぐにタオルで身体を拭き始めた。年齢の割りに大人びた長身と体つき── その透けるような白い肌に浮いた水滴を、無造作に、だが、丁寧に拭き終えると、そのままスタスタと脱衣所へ向かう。
「もう上がるの?」
「……ええ」
驚く陽花にそっけなく答える一千風。依頼が気がかりというのもあるが、大勢で一緒に風呂に入るというこの風習には未だに慣れない。
2人が出ようとするのを見て、顔が茹蛸になるまで湯船に隠れ続けた千瀬も、限界を悟って、一緒に『脱出』することにした。すみれや狐珀と入れ替わるように湯から上がり、頭をふらふらさせながら後に続く。
ガラリと脱衣所へ続く引き戸を開けて── いきなり、脱衣所の籠という籠を床にぶちまけて衣服を漁る『幽霊』を目の当たりにした時、3人は一様に硬直した。
事態を把握できず、脱衣所へ足を踏み出したまま石の様に硬直する千瀬と陽花。一千風はハッと顔を上げた。『幽霊』の頭の上に、質素だが一目で高級品と分かる下着が引っかかっている。
「な、なな、ちょ、それ、私の、返しなさい!」
「え、あ、幽霊……!? きゃあぁぁぁ……!」
普段の冷静さもどこかに、慌てて下着を取りに突っ込む一千風。混乱した陽花は悲鳴を上げつつ『幽霊』に対して蹴りを放った。勿論、V兵器なしには効果はない。
「悲鳴!?」
「……陽花!」
風呂場にいたすみれと夕姫もまた異常を察して走り出す。狐珀は溜め息と共に名残惜しそうに湯船から出ると、透過能力で毛皮の水を落とした。ふわもこを取り戻した尻尾を満足そうに撫で振り、慌てずに現場へ歩き始める。
「どうしました、いったい何が……っ?!」
と、悲鳴を聞きつけて門前から駆けつけて来た司が脱衣所の扉を勢い良く開け── 『幽霊』と、そして、一糸纏わぬ姿の面々を目の当たりにして、思考と身体をフリーズさせた。
蹴り足を上げた姿勢のまま──見えそうで見えない絶妙な角度で硬直する陽花。千瀬はさらに瞬間沸騰的に顔を真っ赤に染めて…… フッと意識を失って板張りの床へ崩れ落ちた。悲鳴と共に回れ右してざぶんと湯船に飛び込むすみれ。狐珀だけが全く動じない。なぜなら大人の女だから。ふわふわのもこもこだから!
「きゃあぁぁぁっ!」
再び悲鳴を上げた一千風が、幽霊そっちのけで司へ桶を投げつける。ハッと理性を取り戻し、慌てる司を、クルリと背を向け一回転した陽花が後ろ回し蹴りで蹴り倒す。
「も、申し訳ありません、風呂場だとは知らな……って、ちょ、止め……今はあの『幽霊』をなんとかしないと……!」
慌てる司の背に馬乗りになってタオルで目隠しをする陽花。どうしたの!? と脱衣所に飛び込んできた夕姫は、その惨状に息を呑み……
「いい度胸ね。ここは女子風呂よ……? よっぽど消して欲しいのかしら……」
と、凄みのある声で呟いた。果たしてそれは『幽霊』のみへ向けた言葉か。目隠しされた司には見えない。見えなくて良かった。見えていればそこに己の死神たる修羅を見出していただろう。
「まさか、入浴中の無防備な時を狙うなんて……」
ようやく落ち着きを取り戻した一千風は、光纏をしながら、バスタオルが置かれた棚まで走った。途中、全身に紋様が浮かんだ己の身体が鏡に映り…… そのエロティシズムに顔を赤らめながら、それを隠すようにバスタオルを巻き、皆へと配る。
「皆、落ち着いて! ……ヒヒイロカネは敵に取られた。これで隠して!」
「うぅ…… お、女の人、に、見られる、のも、恥ずかしい、のに……」
意識を取り戻し、顔を真っ赤にしてバスタオルを纏う千瀬。夕姫は陽花を落ち着かせながら、手早くその身にバスタオルを巻きつける。
「うぅ、ありがとうね、夕姫。……なんか酷い目にあったんだよ。でも、よくよく考えたらこの幽霊が悪いんだよ! 司くん、逃がさないように包囲するよ!」
「え、じゃあ、目隠しは……?」
「私が誘導する。スイカ割りの要領よ」
なんとなく泣きたくなりながら、一千風の誘導に従い、覚束ない足取りで風呂場へと歩き出す司。ほら、ベッカーさんも、と陽花が声を掛け…… それまで放置されていたアルベルトが自身を指差し、ポンと一つ手を叩きながら、涼しい顔で「わかったわ!」とか返事する。
「え? アルベルトさん? なんで? え、だって……」
「おおっと! 手が滑ったあー!」
何かを言いかけた司に、タイルに足を滑らせたアルベルトがぶつかった。目隠しをされた司は何かにぶつかり、諸共に転倒し…… 慌てて立ち上がろうと床に手を付き、ふにょん、と何か柔らかい物体にその手の平を沈ませる。
「え……?」
「きゃああああ! ちょ、やだ、どこ触っているの!?」
上に乗った司を突き飛ばし、慌てて身を起こすすみれ。壁に激突する司に目もくれず、バスタオルから零れかけた胸を慌てて両手で押し隠す。
それをよそに、狐珀は冷静に幽霊の動きを目で追いながら、アウルの『狐火』を複数、生み出し、飛び回る幽霊目掛けて投射した。陽花もまたヒリュウを召喚(この時点まで忘れていた)すると、ドッグファイトよろしく幽霊を小さな炎弾で追い回させる。
攻撃を受けた幽霊は、直後、その全身から『闇色の閃光』を迸らせた。それを浴びた者たちの動きが止まり、心臓が一拍、ドクン、と跳ねる。
「や、やめて…… そんな目で私を見ないで! 酷いことする気でしょ! 薄い本みたいに! 薄い本みたいに……!」
光を受けたすみれは蒼い顔をして後じさり…… 己の身を掻き抱くようにしながら、膝からタイルに崩れ落ちた。
ずれたバスタオルを直した一瞬の隙に光を浴びてしまった夕姫もまた、その身を震わせながら、恐怖の表情で陽花を振り返る。その脳裏には、真っ白なテーブルクロスの敷かれた果ての見えないテーブルに、エプロン姿で満面笑顔の陽花が次々とその破滅的な味の料理を運んでくる光景──
千瀬もまた暗示に掛けられ、金縛りにあっていた。身体的には、動く。でも、動かせない。だって、動いたらバスタオルがズレ落ちる。だって、引っかかる部分がないんだから……!
「み、みんな、どうしちゃったの!?」
幽霊の精神攻撃に晒されなかった陽花が、急に動きを止めた皆を慌てて振り返る。
狐珀もまた、突然、鼓動を早くした自分の心臓に戸惑いを隠せないでいた。まるで小娘の様におろおろと視線を振り…… 司を見た瞬間、その鼓動を跳ね上げる。
(やだ…… これって、まさか、恋……!?)
年甲斐もなく桜色に頬を染め、胸の前でキュッと拳を握る。そんなわけはないと首を振って自分に言い聞かせながら、しかし、そのしっぽは左右にふらふらと揺れている。
「クッ…… これは、何かされたぞ……」
床へと倒れた司は、その脳裏に先程の突入時の光景を幾度も再生させられていた。画像は鮮明。アップもリピートも自由自在。見まいと思って目を瞑っても脳裏から映像は消えない。
一千風もまた押さえ込んでいた羞恥心を増幅され、立ち上がる事も出来ずにいた。
(しっかりしなさい……! さっきまで全然、平気だったじゃない……!)
自分に言い聞かせた一千風は、だが、その時を思い返して羞恥心に火を注ぐ。男の人の前で全裸だった自分、鏡に映った紋様の自分── と、目隠しをした司と目が合った……気がした。勿論、気のせいだ。だが、その『視線』に耐え切れずに一千風はその背後に回り…… 掴まった司は、その背に当たった柔らかい感触が何かを解する間もなく、一千風が放ったバックドロップをまともに喰らって気絶する。
動けない撃退士たちに対する幽霊の反撃。顔をしかめながらもどうにかリボルバーを持ち上げたアルベルトが、幽霊の体当たりを受けて弾き飛ばされ、湯船へと落下する。
自身しか戦えないことを悟った陽花は、(自身は一歩も前へと出ずに)召喚獣に攻撃命令を発した。その指示に従い、電撃を発するヒリュウ。直撃を受けた幽霊がその身を震わせ…… 撃退士たちへの精神攻撃が止まる。
息を荒く吐きながら立ち上がった撃退士たちは、敵意に満ちた眼差しを幽霊に向けた。
「あの恐怖を…… 陽花の料理を食べてしまった、あの恐怖を思い出させるなんて……」
ゆらりと立ち上がった夕姫がその右手に『神輝撃』の光を纏わせた。
●
「なにこれ!? 身体のラインとか色々、出ちゃっているじゃない!?」
敵を滅ぼし、冷静になって己が身を振り返って── すみれは慌てて悲鳴を上げた。
水に濡れて張り付いた白いバスタオル。淡く肌色が透けるその身を慌てて両腕で覆い隠す。
「あ、でも、男の子は目隠しをしていたし、大丈夫よね!」
振り返ると、司は一千風にバックドロップを喰らった姿勢で沈黙したままだった。と、「うぅ……痛ぇ……」と低い素の声で呟きながら、アルベルトが湯船から立ち上がる……
注目する女性陣の視線に気づいて、アルベルトはハッと己の失策に気づいた。慌てて声のトーンを高くするアルベルトの胸元を、無言で(どこか嬉しそうに)指差す千瀬。見下ろすと、胸のパッドがずり落ちていた。ウィッグもまたずれていて、地毛の金髪が露になっている。
「えーっと…… 実は俺、男の子なんだよね…… そう、ドッキリ? うん。…………てへぺろ?」
女性陣の怒気は微塵も揺らがなかった。ただ一人、狐珀だけが、「私を見るとは物好きじゃのう」と、何故か少し嬉しそうに、しなを作りながら尻尾と手で胸等を隠した。先程の精神攻撃の名残だろうか。そのしっぽがふぁさりふぁさりと色っぽく揺れている。
「や、やっぱり気づいてなかったんですね…… アルベルト君は、男ですよ……?」
軋む体に悲鳴を上げながら起き上がった司──気絶し、時間の感覚を失っている──は、もういいだろうと目隠しを取った所で失敗を悟った。
風呂場の女性陣は、まだあられもない姿だった。というか、タイミングよく陽花のバスタオルがハラリと落ちる。
「き、きゃあああああああああっ!!!?」
その日、一番の悲鳴を上げた陽花が、ヒリュウに雷撃を命令する。その日、二度目の光纏を行ったすみれや他の撃退士たちが、なんか色々諦めた司とアルベルトを拳で袋叩きにした。
「分かっているとは思うけど…… 今日のことは綺麗サッパリその記憶から消去するように。いいわね?!」
着替えを終えた一千風や陽花たちを前に、司とアルベルトは脱衣所で並んで正座をさせられていた。
「そんな都合よくは……」
「ふふ、ふ、ふふふ…… 忘れて、もらう、しか、ない、ですよ、ね。忘れて、くれない、なら…… 『炸裂陣』、とか、おあつらえ向き、じゃ、ない、で、しょう、か」
牛乳パック片手に無表情に笑う千瀬がとても怖い。男2人は土下座で許しを請い願い…… 笑う狐珀が「ご愁傷様」と大人の余裕で慰める。
「青葉先生、知っていましたね」
その光景を入り口から眺めながら、夕姫は青葉に尋ねた。青葉はあっけなく裏の事情を暴露すると、夕姫に向かって謝罪した。
「いえ…… でも、男の先生方にも、今回の労を十分に労って貰わないといけませんよね……?」
冷徹に笑う夕姫。彼女らの帳尻合わせは、未だ終わってはいなかった。