周囲を木々に囲まれた、山間の小さな隘地──
砦外、雪洞にて夜営を果たした第一分隊の面々は、夜明けと共に、入り口に積んだ雪を蹴り開け、のそのそと這い出してきた。
「ぷはぁっ! やっと出られたんだよ!」
白い防寒着に身を包み、外へと這い出してくる彩咲・陽花(
jb1871)。周囲には既に藤堂以下第一分隊の面々と、彼等と行動を共にした学生たちが這い出していた。友人の月影 夕姫(
jb1569)もまた藤堂と共に稜線へ登り、軍用無線機で『砦』の仲間と連絡を取っている。
「……砦の前面に展開した敵前衛部隊の配置はこんな感じ。……あと、司からの報告によれば、敵骸骨狼騎兵が全てその姿を消したって。……もしかしたら、私たちを捜索しているのかも。そうでないなら、恐らく……」
車座になって食事を取る皆に、戻って来た夕姫が地図を広げて見せた。兵たちと共に食事を取っていた千葉 真一(
ja0070)がその配置図に身を乗り出し。食事を取らずに待っていた陽花が、取っておいたヒーター付きのレーション──戦闘糧食を夕姫に渡す。
「なら、まずは無事に『砦』へ撤退すること、じゃの。拾うた命をみすみす捨てることもなかろうて」
スプーンでパックのシチューをかき回しながら、リザベート・ザヴィアー(
jb5765)がそう言った。……先の強行偵察以降、砦に帰還していない第一分隊には大分疲労が蓄積している。まずは態勢を万全に整えるのが先だろう。機動力のある第二分隊に迎えに来てもらい、一刻も早く本隊と合流すべきだろう。
「リザベートの言う事はもっともね。……でも、私は砦に帰る前に、あのカブトムシだけは無力化しておきたいと考えている」
隊員と学生、一人一人の顔を見返しながら、藤堂は自分の存念を伝えた。──前回の強行偵察で、我々はあの甲虫──カブトムシの存在を知った。アレを残しておけば間違いなく『砦』の脅威となる。幸いな事に、敵はまだ我々の所在を確認できていない。……そして、我々は、敵の側面を突ける位置にいる。
「……ふぅ。藤堂さんも中々楽をさせてくれないね!」
「従うよ、藤堂。それがおぬしの判断ならばな」
了承する陽花とリザベート。藤堂が頭を下げて礼を言う。
真一の答えは最初っから決まっていた。
「砦に戻る前にもうひと頑張りだな! ヒーローの意地を見せてやろうぜ!」
(レーションを持ったまま)勢い良く立ち上がり、力強い声と笑顔で皆を励ますように言う真一。そう言う彼もまた皆と同様、その疲労は大きかった。だが、皆を元気付けられるなら、虚勢でも胸を張る。……せっかく、前回、クワガタの脅威を排除したのだ。出来うるなら、後顧の憂いは断ってから戻りたい。
「それじゃあ、早速、行くか、みんな!」
「待って」
今にも飛び出さん勢いの真一に、だが、藤堂は水を差した。
今、奇襲を掛けても、甲虫の周りには投射物たる炎岩人が多くいる。ある程度、『数が減って』からでなければ、きっと突破もままならない。
「それって、まさか……」
軽く目を瞠る夕姫に、藤堂は決然とした面持ちで続けた。
「そう。カブトムシ周辺の炎岩人がある程度、その数を減らすまで…… 砦の本隊にはある程度、頑張ってもらう必要がある」
●
炎を曳き、敵陣の後方より投射された『岩塊』は、『城壁』を軽々と越えて『砦』の内部へと『着弾』した。
直撃を受け、大穴を空けて半壊するプレハブ棟── 直後、爆発的に燃え広がった炎の中から、人型へと変形した炎岩人が瓦礫を踏み越え、進み出る。渦巻く火炎放射の炎。近場の地面に跳弾する流れ弾── 増援として学園から転送されたばかりの中等部1年、緋桜 咲希(
jb8685)は、突如、目の前に現出した煉獄にその言葉を失った。
(な、なにこれ…… 私たちが転送されたのは『砦』の後方のはずなのに……)
事前に受けた説明では、まず現地で説明を受けてから部隊に合流するはずだった。だからこそ、背嚢を背負い、両肩に2つの鞄を襷がけにして、医療品や食料、毛布等、物資を山盛りに持って来たのだが。
「あらあら、これはいきなり大変なことになってますねー」
一方、咲希と共に学園から転送して来た澄野・絣(
ja1044)は、そんな修羅場を前にしても、のんびりと首を傾げるだけだ。見た目は和服姿の凜としたおねーさんだが、その性格はのんびりマイペース。ことここに至ってもまったく動じる気配もない。
「とりあえず、私は高い所に上がろうと思いますが、咲希さんは、どうしますー?」
「え? え?」
和弓と魔装を活性化しつつ、落ち着いた様子で訊ねる絣。咲希は半ばパニックに陥って周囲を見る。
その間にも、砦の撃退士たちは組織的な反撃態勢を整えつつあった。『雪上騎兵』としてスノーモービルで待機していた杉下以下第二分隊、そして、休息していたはずの小林以下第四分隊が炎岩人に即応する。
「まったく、後方にいてもおちおち休んでいる暇もないのね……」
第四分隊と共に行動していた暮居 凪(
ja0503)もまた、その身を戦乙女の魔装に身を包み、独特な形状の槍を手にして炎岩人へとつっかける。
咲希は(荷を担いだまま)その凪へと駆け寄った。疲労を回復する拠点として、砦の中ほど有用な場所はない。戦術とかは全然分からないけど、そこを守る事はきっと何より大事な事じゃないかと思う。
「すみません、隊長さんですか? お、お手伝いしたいので、指示をください」
「私は隊長じゃないわよ? 第四分隊長はあっち」
「ええっ!?」
律儀に返事をしてから戦闘に戻る凪。咲希は驚いた。凪が示した隊長さんは、どこか頼りない男の人だったから。
「すみません、すみません。私、何をしたらいいですか?」
「うん。とりあえず荷物を下ろすといいと思うッスよ」
小林に言われ、慌てて鞄と背嚢を下ろす咲希。そこへ再び空気を切り裂く音がして…… 直後、近場で発生した着弾の衝撃に、咲希は数cm程宙に浮いた。
心臓をバクバクさせつつ、恐る恐る振り返る。……ほんの数m先に、落下した球形の岩塊。バキバキと音を立てて人型へと変形したその炎岩人と、咲希の視線がピタリと合う。
「ひっ!?」
瞬間、咲希は息を呑んで硬直し…… 次の瞬間、全身から黒い霞をぶわっと噴き出し、『自分から』そちらへ突進した。
「いやあああっ!? こっち来ないで、来ないでよぅ!?」
瞬間的に大鉈を活性化させ、炎岩人をぶん殴る咲希。それを見た小林がおー、と感心した声を上げる……
「敵、骸骨戦士の方陣、こちらへ向け前進を開始しました!」
一方、城壁上で待機する第三分隊と学生たちもまた戦闘状態に突入していた。
整然と方陣を維持しつつ、前進してくる骸骨戦士たち。日下部 司(
jb5638)は城壁の陰からその様子を確認すると、炎岩人の対応に追われる砦内を振り返り…… その首を振りながら、「あの様子じゃ予備兵力の投入は期待できませんね」と、傍ら、城壁を背に座る鷹代 由稀(
jb1456)に声を掛けた。
「……ま、『お客さん』への応対は、こちらが自前で…… この数でするしかないわね」
由稀はそう言って紫煙を吐き出すと、吸い掛けの煙草を咥え直し、『愛銃』を手に身を起こした。
敵の方陣は砦前面に敷設された鉄条網に到達すると、そこで一旦脚を止め、『盾の壁』の間からワイヤーカッターを取り出し、鉄条網を細切れにした。作業を終えて一歩前進。同様に次の鉄条網を切断しつつ、一歩ずつ迫って来る。
「各自、射程に入り次第、各個に射撃を開始」
第三分隊長、槙田の指示が下ると、司も狙撃銃を照準し、眼下の骸骨目掛けて撃ち放った。──鉄条網の除去が済むまで、敵の前進速度は落ちる。この間にある程度は敵の数を減らしておきたい。
由稀もまたその『愛銃』──傭兵時代に使い慣れた狙撃銃の形状を模している──を構えると、その照準を『盾の壁』の後方、『マスケット』を構えた骸骨に合わせた。
発砲。所持する銃に直撃を受けた骸骨が、その衝撃に銃を取り落とす。手早く槓桿を操作し、廃夾動作。続く銃撃でもってその骸骨の右上腕骨を撃ち砕く。
「……鷹の名持ちは伊達じゃないわよ」
取り落とした銃と腕を拾い上げ、後列と交代する骸骨。その時には既に由稀は隣りの骸骨に照準を移していた。再び銃を弾かれ、腕を砕かれる骸骨。その照準器の向こう側で、敵方陣の第二列──銃兵が一斉にその銃口を城壁上に向ける。
「っ!」
慌てて城壁の陰にその身を遮蔽する撃退士たち。直後、敵の一斉射撃が放たれ、空気を切り裂き、城壁を叩き砕く。
その次の一斉射撃は、最初のそれに倍する火力が放たれた。前進した敵の第三列もこちらを射程に捉えたのだ。敵の銃撃の合間に身を出し、反撃する由稀や司。続く敵三回目の一斉射撃には、第四列も加わり…… こちらを完全に圧倒し始めた火力の投射量に、2人は呆れたようにその視線を見交わした。
●
『砦』の方から聞こえてくる激しい銃声と破壊音── 激しい戦闘を想起させるその音に、雫(
ja1894)はスノーモービルで雪原を走りながら、背後の『砦』を振り返った。
「……戻らなくていいのでしょうか」
そう呟く。今、砦は一人でも多くの撃退士を必要としているはずだ。遊兵の危険を冒してまで、離れるべきであったろうか……
「雫さんの言いたい事も分かるよ。でも、消えた骸骨狼騎兵の動きが気になるんだ。山の上の監視所からなら、戦場全体が見渡せるしね」
「それに、その姿を眩ませた骸骨狼騎兵が監視所に向かっている可能性もあるからね。足の速い私たちが確かめておかないと」
スノーモービルで共に走る今本 頼博(
jb8352)と葛城 縁(
jb1826)は、雫にそう返事をした。答えながら、縁は故郷の母に持たされたお守りをギュッと握り締めた。……あの戦場には友人知人が沢山いる。心配であるのは縁も一緒だ。
『砦』から少し離れた山の上には、小隊の監視所が設けられていた。そこには2人の隊員が詰めており、高所から戦場全体を見渡し、情報を砦に入れている。
彼等の安全を確認しつつ、可能ならば消えた骸骨狼騎兵の所在を確認する── それが雫たちの役割だった。とは言え、その数は僅かに3人──予備兵力として重要な第二分隊本隊は、砦から動かすことができなかったのだ。その役割はあくまで哨戒であり、骸骨狼騎兵を発見後はすぐにそれを報告し、来援する主力と合流するまでは離脱する手筈になっている。
山の麓に辿り着くと、3人はスノーモービルを隠し、徒歩で山の中へと入った。用意していた雪上装備の輪かんじきを履き。縁は更に、たくさんのカイロや携帯食、サバイバルシートを詰め込んだ背嚢をよいしょと背中に担ぐ。
道沿いに山の斜面を登り、もうすぐ峰という所で。山の上の方から銃声が連続して響いてきた。狼の遠吠えがそれに続き…… 離れた場所から幾つもの吠え声が重なり、応える。
急いで山上に到着すると、そこには倒れた一人を庇うように銃撃を続ける兵と…… その周囲を回りながら弩を射掛ける骸骨狼騎兵の姿があった。恐らくは、自分たちより優勢な敵が接近しているのを察知して、トーチカから離脱しようとした所を追いつかれたのだろう。真っ白な雪の上に重傷者の赤い血がまるでカキ氷の様に染み込んでいく。
「援護を!」
雫は背後の2人を振り返らずにそう叫ぶと、フランベルジェを振り構えて戦場に突っ込み、狼騎兵を追い散らしにかかった。縁は兵たちの元に駆けつけ、兵と共に負傷者を引きずり、トーチカの中へと走り込む。
「HQ、HQ、こちら哨戒班。監視所Aにて4騎……いや、6騎の骸骨狼騎兵と遭遇…… HQ、HQ? ちょっと、聞こえてますかー?」
頼博もまたトーチカに飛び込み、大型の軍用無線機で砦に会敵を報告しようとする。だが、無線機はうんともすんとも言わず…… 狼騎兵のものと思しき矢が突き立っているのを見て、悪態と共にそれを投げ捨てた。
仕方なく銃眼に走り寄り、そこから上空に色つきの発煙弾を放つ頼博。その眼前の雪に矢が突き立ち、慌てて活性化したライフルで撃ち返す。
いつの間にか、狼騎兵は8騎にその数を増やしていた。白刃を提げたままトーチカに飛び込んでくる雫。縁は負傷兵の手当てを兵に任すと、火炎放射器で炎状のアウルを振り撒き、狼たちの接近を牽制する……
こちらが態勢を整えた事を確認したのか、敵骸骨狼騎兵の群れは名残を残しながら、山林の奥へと消えていった。
3人は負傷者を抱えて安易に離脱する事も出来ず…… 援軍も来ないまま、やがて、日も傾げ始めた。
●
砦前面に敷設されていた鉄条網を全て細切れにし終えると、骸骨戦士の方陣は一旦、後方に下がって陣形の再編を図った。
司や由稀たちは文字通り一息ついたが、休める程の時間を敵は与えてはくれなかった。再編を終えた敵は、今度は右翼──こちらから左側の方陣を前に出して砦への圧迫を再開したのだ。由稀と司は城壁上を走り、壁の左側へと移動する。迫る方陣に和弓で矢を放っていた絣が、そんな二人に気づいて声を掛けた。
「あの方陣の中央辺り…… 他と違う動きをする個体がいるのですよねー。私の弓では射程を延ばしても届かないのですけれどー、お二人なら狙えますかー?」
やってみよう、と由稀は照準器を覗きこんだ。絣が指示する目標を見極め…… ヘッドショットを狙って引き金を引く。
だが、司は銃を構えなかった。球状になった炎岩人が、物凄い勢いで城門へと転がって来るのに気づいたからだ。
「砦正面に突進して来る炎岩人! 奴等のの狙いは『城門』だ!」
司は由稀と絣に支援射撃を要請すると、城壁の下へと飛び降りた。前転で着地の衝撃を殺しつつ、炎岩人たちが突っ込んで来る扉の前に飛び込み、身を挺して扉を庇って盾ごとその身を打ちつける。
痛みを堪えて大槌を活性化。その身を回転させるように炎岩人へと叩きつけた。ひび割れ、弾ける岩の肌。殴られ、人型へと変形した岩人を、城壁上から由稀と絣が撃ち貫く。
その後、司は飛び降りてきた第三分隊の前衛たちと共に、前進して来た方陣に一斉射撃を浴びるまで、扉に迫る炎岩人を駆逐し続けた。盾の壁を作って防御態勢を作りつつ、負傷兵を引きずり、扉の中へと撤収する……
その日の敵の攻勢は、日没まで続けられた。
「私は敵サーバントに対する『切札』を持っています。レートの補正による攻撃です。非常に高い威力を誇りますが、同時に相手からの反撃には脆弱です……」
日没後──
第三分隊と交代で城壁に上がった第四分隊の中で、凪は自身の戦闘力──できる事について、ブリーフィングを重ねていた。
「切札!? なにそれ、必殺技ッスか?!」
「ひっさ…… ええ、まぁ、そのようなものです」
凪は笑顔を引きつらせつつ、小林に頷いた。……確か、小林は自分よりも年上だったはず。この軽薄な口調はどうにも世間一般が認識する『隊長らしさ』とは無縁であるように感じられるが……
「つまり、その様な状況になった場合、皆様にはフォローをお願いしたいのですが……」
「皆まで言わなくてもいいッス。反撃が怖いのは分かるッス。自分、ナイトウォーカーなんで」
小林はうんうんと大きく頷くと、その時は自分の側に張り付いているよう、凪に言った。打たれ弱い自分もまた、普段、仲間から身を守られる立場であるから、と。
「あ、あの、カイロは必要ではありませんか?」
いざという時の予備兵力として城壁の下で待機がてら休息を取っていた由稀は、絣を連れて使い捨てカイロを配って回る咲希に話しかけられ、顔を上げた。
「必要ないわ。ありがとう」
由稀は、引き金を引く指を冷やさぬよう、右手に握ったホットウォーマーを見せると、咲希の申し出を謝絶した。その用意の良さに感心しながら、咲希は何か変わりに出来ることがないか探した。
「そ、それでしたら、鷹代さんも一緒にトランプをしませんか、なんて……」
その言葉が終わらぬ内に、由稀の表情を見て咲希は返事を察していた。長期間、肉体的にも精神的にも緊張を強いられる戦場だ。一応、休憩時にそのストレスを解放して貰おうとしたのだが。
「……緊急時以外、休めるときには無理にでも休んでおきなさい。……死にたくないのならね」
由稀は咲希を見上げて忠告した。この砦では撃退士としての能力を発揮する為に、1日8時間の休息が義務付けられていた。つまり、順繰りに交代しながら、8時間休憩の16時間労働である。初日こそ体力に余裕があっても、長く続けば疲労は蓄積していく。
「了解です、先輩! 休みます!」
ビシッと敬礼もどきをして自室へと戻っていく咲希。絣もまた感謝の一礼をして咲希に続く……
●
曇天に覆われた夜の闇の下、山沿いに走る風が舞い上げた雪と共に銃眼から吹き込んでくる──
縁は背嚢の荷からサバイバルシートを取り出すと、毛布代わりにするよう、皆に配った。
「重い思いをして持ってきて良かったよ。備えあれば憂いなしだね」
更にカイロや携帯食を気前良く皆へとばら撒き、レーションのセットについていたヒーターを使ってコーヒーを温め、デザートの乾ケーキを頬張り、ホクホクする。
雫は、負傷兵の側に腰を下ろすと、その口元にカロリーブロックを伸ばした。
「……食欲がなくても胃に入れておいてください。身体が冷え切ってしまいますから……」
雫に言われて、血色をなくしたその負傷兵は、カロリーブロックを口へと含んだ。雫はホッとした。消化は化学反応であり、熱を出す。胃に食べ物を入れておけば、火がなくともそれだけで身体は温まる。
雫は負傷兵に手を添えた。──頑張ってください。この苦境を乗り越えれば英雄ですよ。きっと女の子にモテること請け合いです──
「ここだけの話(←嘘)、俺って実は…… 天使とのハーフなんだ」
頼博は『夜の番人』で銃眼から外の見張りを続けながら、もう一人の兵とずっと話を続けていた。今の話題は、どうして撃退士になったのか、であるらしい。
「俺を女手一つで育ててくれた母さんがさ、『世界の為にその力を正しく使いなさい』って学園に送り出してくれてさ。長い雌伏の時を経て、希望を胸に洋々と学園に来たわけさ。そしたら、なんかもうふつーにはぐれ天魔が往来を闊歩しているわけよ。俺は思ったね。『正しく、ってなんだろう』って。…………まぁ、色々と考える事もあったんだけど」
おちゃらけた調子を一変、真摯な表情で呟く頼博。その変調に気づいた兵が「俺らの時とは違うんだな」と旧体制下の学園生活に話題を変える……
「敵の姿は見えますか?」
雫はその会話を邪魔せぬように、縁に並んで外を見る。
「見えないけど…… 夜は狼たちの時間だよ」
「……長い夜になりそうですね」
雫はそっと呟いた。
そのまま何事もなく夜明けを迎えて── 監視所の撃退士たちは話し合い、トーチカからの離脱を決定した。
激戦下の砦から応援が来る気配が薄いこと。そして、負傷兵の体力がこれ以上はもちそうにない、との判断だ。
サバイバルシートを担架代わりに負傷兵を運び出す撃退士たち。山を下る道に辿り着く前に、骸骨狼騎兵が現れた。その数は16騎に増えていた。こちらが動き出すまで、ずっと身を潜めていたのだろう。
「砦までの道を抉じ開けます。援護を!」
隊列の先頭に立った雫が、回り込んできた2騎の狼騎兵に向かって、波打つ刀身からアウルを放った。水面に移った三日月の如く、雪面を走ったその一撃が骸骨騎兵ごと騎狼の脚を薙ぐ。
その後ろについて兵と『担架』を運びながら、散弾銃を撃ちまくる縁。殿についた頼博は取り出した符に力を込め、追い縋ろうとする敵の鼻先に『ファイアーワークス』を炸裂させる。
だが、敵の数は多すぎた。あっという間にこちらを包囲し、矢を射掛ける骸骨狼騎兵たち。このままではジリ貧だと皆が覚悟を決めた時…… 爆音を鳴り響かせながら斜面を登り切ったスノーモービルの一群が、戦場に飛び込んできた。
「雪上騎兵……! 杉下さん!」
叫ぶ縁。そう、それは杉下率いる第二分隊だった。頼博が打ち上げた発煙弾は、ちゃんと砦に届いていたのだ。
敵騎兵を追い払った杉下たちは、雫、縁、頼博の元に機を寄せると、「騎兵隊の到着だ」などとぎこちなく片目を瞑って見せた。
「さて。疲れている所を悪いけど…… 君たちにはもう一戦、付き合ってもらうよ? ……ここからまた砦までとんぼ返りだ。作戦までもうあまり時間がないからね」
●
砦と戦場から山一つ隔てた山間──
雪洞に籠もって夜営した藤堂以下第一分隊は、二日目の夜が開ける前に行動を開始していた。
雪の斜面を踏みしめ、先頭を歩いていた夕姫が、拳を上げて隊に停止の指示を出す。山の峰の上には、夜目と嗅覚に優れた『雪狼』が2匹── ナイトビジョン越しにその姿を確認した夕姫は、まず風上に自分たちがいないことを確認すると、手信号で味方に指示を出した。夕姫と同様、暗視装置をつけた兵たちが弩を構え…… 低音でその2匹を片付ける。兵たちと共に前進したリザベートが、手早くその死骸を雪に埋めた。山の上、峰まで出て、稜線の陰に伏せる陽花。だんだんと明るさを増していく空── いつの間にか曇天は晴れていた。背後の南側、その東方から日が昇り始める。
「さてと。それじゃあ、カブトの角、圧し折ってから凱旋と行きますか!」
真一は夕姫と共に雪上装備のスキーを履くと、逆光の影の中、山の斜面を滑り降りていった。陽花は馬竜──スレイプニルを召喚し、騎乗して皆と共に斜面を這う様に宙を駆ける。リザベートもまた『闇の翼』を展開し、その身を峰から落としながら、山の影に濃く溶けた闇の翼を羽ばたかせる。
「スレイプニル、行くよ! 先手必勝、気づかれる前に一気に叩くんだよ!」
最初に戦場に突入したのは、馬竜を駆る陽花だった。骸骨戦士も炎岩人も気づかぬまま、空から敵陣後方へと進入する。目標たる2体の甲虫──カブトムシ型は、縦横並べず、斜めに、距離を取りつつ配置されていた。おそらく、範囲攻撃で一度にやられる事を防ぐ為だろう。敵も学習しているのか。そんな事を考えながら、陽花は斧槍を手に地面へと飛び降りた。同時に攻撃を受けぬよう、馬竜は上空へ退避させる。
リザベートもまた空を飛行し、地上の諸々を無視しながら敵陣後方へと躍り出た。前回の強行偵察では、甲虫は自衛手段を持たなかった。甲虫はあくまで『攻城兵器』。油断をするつもりはないが、内懐にさえ飛び込んでしまえばそうそう手こずる相手でもない。
飛行したまま書を広げ、甲虫の角目掛けて水の刃を撃ち下ろすリザベート。飛び降り、走りこんできた陽花が、そこに手にした斧槍を振り下ろす。
そこで初めて、敵は山側からの奇襲に気づいた。その時には既に、スキーを外した真一や夕姫が第一分隊と共に戦場へと乱入している。
「藤堂さんたちは炎岩人たちの足止めを! 角は俺たちで圧し折ります!」
真一の要請を受け、進路上に立ち塞がる炎岩人にぶつかっていく第一分隊の前衛たち。彼等が抉じ開けた道を抜けて真一と夕姫が飛び込んでいく。
「陽花、皆、時間差で一点集中攻撃。……角の根元から叩き折るわよ!」
「どんなに弾力があったって、折れるときは折れるぜ! いくぞ、ゴウライ……ブレイジング、スラァーッシュッッッ!」
活性化した大型ライフルから魔力の弾丸を立て続けに撃ち放つ夕姫。蛇腹剣を活性化した真一が側面からジャンプ一番。全身のアウルを燃焼させ、背中から翼の如く奔流を噴き出させ。目の前の甲虫の角目掛けて全力でその刀身を叩きつける。
「よし、次だ!」
折れた角を地に落とした甲虫には目もくれず、真一は新たな1体へ向け走り出した。散発的に放たれた銃撃をリザベートは『緊急障壁』で受け凌ぎつつ、『闇の翼』を霧消させて地面へと降り立った。方陣へ向け小銃を撃ち放ちながら、真一の後を追う夕姫。陽花は馬竜に斜め上方から突っ込ませると、『ボルケーノ』を敵陣のど真ん中に、一撃離脱で撃ち放たせた。混乱する敵方陣。まばらに馬竜を追う銃撃。その間に2体目に走り寄った撃退士たちは、再びの銃撃と斬撃を角へ浴びせかける。
「……っ、折れないか……っ!」
1回目の集中攻撃で、その角は折れなかった。その時には既に敵は反撃態勢を整えつつあった。2体目周辺に控えていた炎岩人が人型へと変形し、方陣の後ろ半分が回れ右して、こちらの退路を断つ動きを見せている……
「せめて、もう一撃……っ!」
「行け! わしなら飛んで逃げられる。もう一撃くらいなら……!」
地上を走る真一と夕姫に叫び、離脱させながら、リザベートは水刃を甲虫に放った。炎岩人を乗せてしなった角は、その一撃にも耐え抜いた。危険を冒してもう一撃、とリザベートが覚悟を決めた瞬間…… しなっていた甲虫の角が半ばより折れひしゃげる。
ホッ、と笑ったリザベートは、心置きなく戦場を離脱した。その傍らには藤堂の姿。盾でリザベートを守りながら、兵たちと共に戦場を駆ける。
退路の先では、撤退支援に山から駆けつけて来た第二分隊が陽動攻撃を仕掛けていた。
揺れるスノーモービルの後席から、縁が構わず散弾銃を骸骨の群れに乱射しつつ、逆の手に活性化した火炎放射器で『ナパームショット』を撃ち放つ。巻き起こる爆炎。別の後席から飛び降りた雫が乱れた敵隊列に突っ込み、目にも留まらぬ剣戟で2体の骸骨を切り伏せる。その部分を内側から強襲し、突破する第一分隊。旋回して戻ってきた後席へと再び飛び乗る雫。昨晩の兵とペアを組んだ頼博が、追撃してくる骸骨たちに再び炸裂する『花火』を撒き散らす。
奇襲を終え、砦へ帰還してくる2個分隊と撃退士たちを、第三、第四分隊は城門を解放して迎え入れた。
「うぅ…… なんか最近、骨とばっかり戦っているような気がします」
大槌を構えた司と共に開きかけの門を飛び出し、骸骨へと斬りかかる咲希。なんか高笑いを上げながら、司が打ち崩した盾の壁の中へと飛び込み、大鉈をぐるんぐるんと振り回す。
第四分隊と共に前進した凪は、光すら塗りつぶす黒い刃を敵へと放ち…… その一撃により呼び出された闇の力を凪は自身の中へと呑み込み、5秒後には四散するはずだったその力をムリクリに引っ掴むような気概でその身へと留め置く。その身から噴き出す闇の力を制御しながらアウルを杖へと集中していく凪。放たれた敵の銃撃を数式の盾で受け弾きつつ、それ以上の追撃を第四分隊の皆がその身を盾に守り抜く。
「……ありがとう。今、放たれるこの攻撃は、貴方たちのお陰です」
サムズアップで応える分隊員たちに笑みで応え…… 凪は『封砲』による砲撃で眼前の骸骨たちを薙ぎ払った。敵方陣の半ば以上まで貫き、吹き飛ばす闇の力。それが完全に消え去る前に、凪は別角度で『封砲』を放った。バラバラに吹き飛んだ骸骨たちが、パラパラと宙を舞いながら地面へと落ちていく。
その戦場を駆け抜け、門へと飛び込んでいく撃退士たち。辿り着いた城門の横で撤退支援の銃撃を行う夕姫。別の方陣では陽花の馬竜が再度のボルケーノを撃ち放ち。殿に残った真一がリザベートや藤堂たちの撤収を待って後、『ブースト』で一気に離脱する。
どさくさに紛れて城門に乱入しようとした骸骨たちは、城壁上の由稀と絣たち第三分隊が矢と銃弾の嵐で迎え撃った。由稀の狙撃によりその脛を圧し折られる骸骨。絣の矢が腕をなくした骸骨の眉間に突き立ち、力なく崩れ落ちる……
●
味方の全分隊の撤収を終えて扉を閉めると、敵の方陣はそれ以上の交戦は諦め、再編の為に一旦、砦の前から退いた。
湧き上がる歓声。凪と第四分隊、他それぞれに互いの検討を讃えて手を打ち鳴らす。
「はふー、これでやっと少しは休めるね。……まだまだ気は抜けないけれど」
数日ぶりに砦へと帰還して、ホッと息を吐く陽花の言葉通り、炎岩人を撃ち込まれなくなった砦内は安全圏を確保した。泥の様に眠る真一、夕姫、他の第一分隊員。咲希と絣も休憩中にトランプをやる余裕が出来…… 友人と化した兵たちに半ば無理やり参加させられた頼博が己に配られたカードを見ながら、更衣室へ向かう藤堂の姿を視界の端で見て小首を傾げる。
第一分隊の皆が目を覚ました時、食堂には豪華な朝食が並べられていた。早起きをした夕姫が縁や陽花といった友人たちと共に、厨房を借りて作ったのだ。
その場に現れた藤堂は、なぜかゴスロリ服を着ていた。「よう似合おうておる。やはり妾の見立ては正しかったのう」とか頷いていたリザベートが物凄い勢いで追いかけられているのを見ると、多分、彼女の悪戯なのだろう。
そんな様子を壁の上から見やって、紫煙を吹かす由稀。再び方陣──その大きさは大分、小さくなっていたが──を組んで、押しかけてくる骸骨戦士。その頃にはもう小隊はわざと扉を開けて敵を城門へと誘い込むだけの余裕が出来ていた。門に敵が集まった所で放たれる司と凪の封砲。「今、再びの変身の時! 天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!」と、真一がリザベートを後衛にして、陣形の崩れた敵に追撃をしかけていく……
四日目。損耗した敵はその日、砦への攻撃を行わなかった。だが、砦の前面から下がることはなく、防御を固めてその場に残る。
五日目。偵察時に発見されつつも姿を現さなかった一個中隊が、別の一個中隊を伴って前衛部隊と合流した。そこには計4体の甲虫と新たな炎岩人も含まれている。
当初と比べて敵の数は倍に増えたが、撃退士たちは慌てなかった。編成を終えた東北の撃退局が、こちらに増援を寄越す頃だったからだ。
曇天が晴れ、蒼空が顔を見せた早春の日── 陽光に煌く雪が溶け出す中、撃退局から連絡を受けた小隊長・笹原は、厳しい表情で皆に告げた。
「援軍は来ない」