腰まで届く黒髪が、傍らを通る風にそよいだ。
流れる髪に手を添えつつ、音羽 紫苑(
ja0327)はその風の主──傍らを駆け抜けた杠 翔輝(
ja9788)を見送った。
芝生の上に車座になって座る学生たち。翔輝がその中の一人に負ぶさり、冷えたコーラの缶をその学生──勇斗の頬に押し付ける。いったい何の集まりだろう、と紫苑は興味を引かれた。いや、本当に気になったのは、あの振りに振られた炭酸飲料の缶だったりするのだが。
「初めまして。大学部1年、月影 夕姫(
jb1569)よ。同じディバインナイトね。よろしくね」
「高等部2年、榊勇斗です。今日はなんか自分のバイトの件ですみません」
「高等部2年、ジェニオ・リーマス(
ja0872)だよ。……いや、妹さんを守る為にこの学園に来て、その上、頑張ってアルバイト…… 凄いよ。まるで10代の頃の僕を見ているようで放っとけないよ」
その言葉に紫苑は足を止めた。榊という学生の話が自分や友人たちと似た状況にあったからだ。
勇斗もまた、ジェニオの言葉に驚いていた。
「え、リーマスさんも?」
「うん、ちょっとね。……昔、色々と無茶してきたから、今は静養中なんだ。ほら、美味しいものを食べないと元気がでない身体になっちゃって」
まるで日向に咲く蒲公英のようにほんわかと微笑を浮かべるジェニオ。なるほど、と勇斗は頷いた。ジェニオが手に持つパンは、商店街でも美味と評判のベーカリーのデザート系菓子パンだった。
「高等部3年、青木 凛子(
ja5657)よ。あたしも色んなパートで家計を支える時期があったわ……。勇斗ちゃんに合ったバイトを探すために、少しでもあたしの経験が役に立ててね」
上品なミルクティーを思わせる薄茶の髪をウェービーに流した若い女性がそう勇斗を励ました。なぜか亡き母の面影を重ねてしまう。勇斗は心中で「失礼だろ」と頭を振った。
「皆さん、苦労なされてきたんですね…… 僕とそんなに年齢変わらないのに」
「あらやだ、勇斗ちゃんたら、おじょーず! ……って、今は見た目若いんだっけ」
「?」
「なんでもないわ! さあ、勇斗ちゃん、まずは家計簿をチェックするわよ!」
首を傾げた勇斗の疑問を振り払うべく、凛子は勇斗から家計簿を受け取ると、その中身を改めて精査し始めた。
日付ごとに食品、雑貨と分類しつつ、毎月の固定支出と食費・消耗雑貨の支出額から『ひと月の平均支出』を算出する。
「支出はもっと減らせるわ。特売日の買い溜め方法、食事を作り置きするテクとか…… 妹さんもいればね。直接、主婦としてやり繰りをアドバイスできたのに」
「主婦?」
「なんでもないわ!」
ともあれ、勇斗と悠奈、二人が生活していく上で大体必要な額は算出できた。その額を元に、ジェニオが勇斗のスケジュール表から余分なバイトを弾いていく。
「いい、勇斗ちゃん。働きすぎはダメ。睡眠時間はちゃんと確保すること。……無理に働こうとはしないで。倒れてバイトが長続きしなかったら意味がないし、なにより妹さんが心配するわ」
勇斗は了承したが、それが空返事に過ぎないことを凛子は看破した。……この年頃の子には言っても無駄か。本人が自覚しなければ意味がない。
「で、どんなバイトが皆さんのオススメですか?」
勇斗の言葉に、凛とした佇まいで夕姫がひとつ頷いた。
「お金を稼ぐ、って簡単じゃないから。それが学生なら尚更ね。自分のできることからやっていくのがいいんじゃないかな」
様々な意見が出た。基本的には、勇斗が無茶をしないで済む、体力をあまり使わないもの。その上で、余りもののお惣菜を入手できる、とか、学園周辺の地理に詳しくなれる、などのメリットがあるもの、撃退士の身体能力を活かせるものが勧められた。具体的には、スーパーやコンビニのレジ打ちや早朝の新聞配達などだ。
「ちょっと待った。戦闘訓練を受けている、ってことは、戦闘依頼に出る心算なんだろう? 戦闘だと重傷を負う事もあるし、そうでなくても日数を拘束される。代替を誰かに頼めるバイトの方がいいんじゃないか?」
その意見は車座の外から発せられた。何事かと振り向いた学生たちの視線の先に、片手を上げて発言した紫苑の姿。あー、ごほん、と咳払いをする紫苑。思わず口を出してしまった。
「……いや、私は短期集中型のバイトしかやったことないから、あまり参考にはならないかもしれないが…… 榊、だっけ? 学園に来てからまだ3週間なんだろう? まずは最短時間で雇ってもらって、様子を見てから勤務時間なり日数なりを増やせばいいんじゃないか? 稼ぎが欲しけりゃ、単価の高い土日祝日早朝深夜を狙うとか」
紫苑の言葉に、巫女服姿の彩咲・陽花(
jb1871)が同意を示した。勇斗とは共に戦闘訓練に参加する間柄だ。
「そうだね。依頼に拘束されることを考えると、時間に融通が利く方が良いかもね」
「……となると、やっぱり撃退士の活動に理解のある雇い主さんの方がいいのかなぁ」
陽花の言葉に、葛城 縁(
jb1826)がうーん、と胸の前で腕を組んだ。縁と陽花、そして、翔輝と秋武 心矢(
ja9605)の4人は同じ訓練に参加しており、勇斗の『放っておくと無茶をする』性格も承知している。
「えっと…… じゃあ、皆さんは今、どういうバイトをしているんです?」
「バイトか…… 公務員は基本、アルバイトが禁止されてたから、正直、よく知らないんだよな……」
それまで口を出せずにいた元警官の心矢が、ポリポリと頭を掻きながら勇斗に向き直った。
「撃退士になってからは、職歴を活かして『探偵』をしているが…… どうだ、探偵は? 色々と噂を拾うのも早いんだぞ?」
「定収ですか? 勤務時間は不規則じゃありません?」
「……タバコが手放せない生活ではあるかなぁ」
続けて、縁と陽花が数冊の雑誌を勇斗に差し出した。見てみて、と言われてページを捲る。縁と陽花が写っていてびっくりした。モデルであることは知らされていたが、こうして直に目にするとその衝撃は大きかった。
「どれどれ……」
「ほぅ、これはなかなか……」
勇斗の周囲に男性陣、そして、女性陣も集まってくる。中にはファッション関係だけでなく、グラビアの仕事もあった。水着姿のきわどいものもあったが、二人は照れる様子もない。その姿に勇斗はプロ意識を感じた。
「そうだ。榊、お前もモデルやれよ。冬の新作オフショルダー、カレシをノーサツミニスカサンタ! で」
「マジっすか」
そんな翔輝と勇斗に苦笑しながら、縁は、勇斗がモデルをやることには反対した。こう見えて下手な肉体労働系よりも体力を使う仕事である。似合う、似合わないは別にして(苦笑)、今の勇斗にこなせる仕事とは思えない。
「私のバイトは、弁当屋での仕出し弁当の詰め作業。朝が早いけど、その分、時給は良いわよ? 短時間の拘束だし、余った具材でお昼のお弁当も作れるし、料理が出来るならオススメよ?」
確かにそれは良いかもしれない。夕姫の言葉に頷きながら、勇斗はコーラの栓を開けた。
●
皆の意見を聞いた勇斗は、教師松岡を通じて複数の就業体験学習を申し込んだ。
最初に受けたのは新聞配達だった。まだ日が昇る前に家を出て販売所へと向かう。そこで勇斗が見たのは、集まったジェニオ、心矢、翔輝の姿だった。
「バイト、手伝うよ。そんな顔色の君を放っておけないよ」
「これも良い経験さ。ほんとは面倒くさいんだが…… 勇斗くんの手伝いも兼ねてやってみようか、と」
「俺は『運び屋』やってるからな。土地勘掴むにもいーんじゃねーの?」
そんな男たちの友情に感激し。勇斗が頭を下げて涙を隠す。
新聞を抱えて外に出る。撃退士の4人は同じ班。本当ならルートに慣れるまで先輩と一緒に回るのが普通なのだが、みな撃退士ということもあり、先行が認められた。
「そいじゃ、いくぜ? 俺についてこれるかい?」
そう告げるや否や、翔輝は頭上の木の枝を掴んでクルリと一回転して飛び乗ると、そのままアパートとアパートの間のブロック塀の上を走り出した。慌てて後を追う3人。その時には既に翔輝はアパート2階の手摺を乗り越え、次々とドアに新聞を差し入れている。
「すごいよ、榊くん! こんな道があったなんて!」
「いや、リーマス君、これは道っていうか……」
「野郎、見てろよ。こう見えても追いかけっこは得意なんだ」
「秋武さん、それは刑事時代の?」
「いや、猫探し」
その日の昼。新聞配達の次に行ったのは、スーパーの販売員のバイトだった。その場には凛子もいた。一緒についたパートのおばちゃんもびっくりする手際でレジ打ちをこなしていく。
「いらっしゃいませー! ご利用ありがとうございまーす♪」
普段からは考えられないくらい明るくハキハキと、レジで接客をする心矢。あっけに取られる勇斗に「フッ…… 元刑事のスキルを侮っちゃいけないぞ?」とニヒルに笑う。
レジを終えて休憩に向かうと、ダンボール箱を両肩に乗せた翔輝がバックヤードから出てきて品出し作業をしていた。ジェニオは試食コーナーの販売員だ。切って焼いたタコさんウィンナーを自ら食べて「おいしい〜! これ本当においしいですよ!」とほっこりスマイル全開でおばさま方に呼びかける。その笑顔に釣られて集まった人だかりに、責任者のおっちゃんが「試食品食べるな」と注意も出来ずに笑顔を引きつらせる。
苦笑しながら勇斗が休憩室に入ると、先に休憩に入っていた心矢がタバコを燻らせながら、先程までの笑顔が嘘の様にがっくりと疲れ果てていた。
「刑事も大概大変だったが、他の仕事も結構大変だな…… 社会人の苦労がよくわかる……」
数日後。登校路。
全身に疲労を乗せて歩く勇斗は、前方に同様に疲れ切ったジェニオの姿を見つけた。
「バイト……久しぶりだから……連日は体力(やる気)が持たないかな……」
疲れた笑顔で挨拶を交し、どんよりとそれぞれの教室へ向かう二人。
同日、体育の授業中。疲労困ぱいの勇斗は集中力を欠き、脳震盪を起こして倒れた。昼休みまでには回復したが、皆には物凄い勢いで怒られた。
「勇斗くん! 最初に会った時からそうだったけど、気負いすぎ! 無茶して身体壊しちゃったら、本末転倒だよ!」
本気で怒り、心配する陽花に、勇斗は心底恐縮する。
その陽花の隣に立つ縁もまたぴるぴると身体を震わせていた。縁にとっては、デジャブを感じる光景だった。かつて勇斗と同じ様に無茶をして、陽花に怒鳴られた事がある。
「勇斗君。『急がば回れ』だよ? 悠奈ちゃんに心配かけたくないでしょ?」
縁の言葉に声もない勇斗。それまで壁に身を預けて聴いていた紫苑が、目を開けて勇斗に告げた。
「……私にも妹や従兄と同居している友人たちがいる。彼等が言うには、『兄妹が自分の為に無理をするのは心苦しい』そうだ。……私にも弟がいるから勇斗の気持ちはよく分かる。だが、無理をするお前を見て妹が『お兄ちゃんが頑張っているんだら、私も』と無理をするのは本意ではないだろう?」
端から無茶だったのだ。勇斗はようやく理解した。だが、無理であろうと、無茶であろうと、やらねば悠奈が路頭に迷う……
ぱんぱん、と手を叩く音がして、勇斗はハッと顔を上げた。進み出たのは凛子だった。
「お説教はもう終わり。今日は勇斗ちゃん家でお鍋にしましょう。レタスと豚バラのお鍋って、安くてとっても美味しいの。悠奈ちゃんに直接伝授したいテクもあるし」
凛子の提案に夕姫も乗った。正座する勇斗に歩み寄り、その手を取って立ち上がらせる。
「そうと決まったら、スーパーでお買い物よ。荷物持ちはお願いね」
悪戯っぽく笑ってみせる夕姫。勇斗の立場は理解する。けど、ちゃんと休まないと。要はバランスとメリハリ。学園生活は楽しむべきだ。何事も気を張りすぎればすぐに切れてしまう。
「じゃあ、僕も手伝うよ。……なんだかとってもおいしい料理を作りたい気分なんだ」
勇斗以上に草臥れたジェニオがゆらりと立ち上がる。勿論よ、と夕姫とは答えた。
「手伝って貰うわよ。勇斗にも、妹さんにもね。みんなでおいしい鍋を作りましょう」
●
体験学習最終日。
最後の新聞配達を終えた勇斗たちは、朝靄に煙る公園の一角でコーヒーを飲んで休憩していた。
3人とは離れた所で煙草を燻らせる心矢。ジェニオは公園の遊具の中にいた猫たちに構っている。
「なぁ、榊。お前が金を稼ぐのって何の為だ?」
翔輝がいつになく真面目な表情で訊いてきた。
「妹に苦労をさせねー為、ってのは分かる。でも、その妹はお前が無理して頑張るのは望んじゃいねー、ってみんなも言ってっから分かってんだろ? もし、お前が倒れたりしたら、妹、怒るぞー? なんで自分に相談しなかった、ってな。そして、そこまで兄を追い込んだ自分を許せず、気負うんだ」
沈黙する勇斗。そこに猫と遊び終えたジェニオが戻ってくる。
「じれったくても、少しずつ自分を変えていくしかない── そこに近道はない。ここは仲間が集う場所── 一緒に頑張ろう、って、僕は君に伝えたいな」
微笑と共に小首を傾げて、勇斗にそう伝えるジェニオ。翔輝が拳で勇斗の胸をドンと叩いた。
「まずは妹と腹割って話してこいよ。……『一緒に』生きていくんだろ、お前等は」
かくして、就学体験学習の全てが終わった。
自分で働いて得た初めての給料を手にして、感慨深そうに佇む勇斗。どこで、何をして働くか、まだ決まっていなかった。ただ、倒れるような無様は晒すまい、と誓う。悠奈の為に。
「学園の依頼斡旋所で働くという手もあるぞ? 色んな事例に触れられるし、人手があって困る事もないみたいだし」
「学園内にも幾つか募集が出てるわね。購買とか売店、食堂の店員とか」
紫苑と夕姫がもってきてくれた情報を手に、一人、屋上で頭を悩ませる。そこへ心矢がやってきて、バイトで稼いだ給金の半分を勇斗に渡そうとした。
「勇斗くんはまだ色々と入用だろ? 俺はもうある程度貯蓄はあるし、良い経験もさせてもらったしな」
「死んだ父が言ってたんです。お前がもし友人を大事に思うのなら、金のやり取りだけは絶対にするな、と…… 僕は秋武さんの、その、おこがましいですが、友人、でいたいので……」
その話を聞いて、陽花は縁と目を見合わせた。そして、微苦笑と共に自分の連絡先を記した紙を勇斗に渡す。
「何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれていいからね? 先輩なんだから、頼ってくれていいんだよ」
驚く勇斗に、困ったような笑顔を見せる陽花。その背に縁が圧し掛かり、なんとも言えない表情で勇斗に言った。
「わぅ。気にしなくていいよ。おねーさんとしては頼られた方が嬉しいんだよ。ねー、陽花さん?」
「……撃退士経験はあんまり変わらないけどねー」
縁に同意を求められ、陽花は答えつつも苦笑した。
その日、帰宅した勇斗は、出迎えた悠奈に切り出した。
「なあ、悠奈。兄ちゃん、バイトでも始めようかと思うんだけど……」