現場近くでそれぞれ自主練に励んでいたベテランたちは、新兵たちの悲鳴を聞いてすぐに非常事態に気が付いた。
「ちぃっ、天魔の従僕めが…… 来い! 翼の『司』! あの悲鳴の元へと駆けよ! 風の如く…… いや、風よりも速くじゃ!」
白蛇(
jb0889)はスレイプニルの『司』を召喚すると、その背に飛び乗り、宙を駆けた。視界の中を物凄い勢いで流れていく旧校舎群…… まず見えたのは、建物に張り付いた巨大な蛙型の天魔だった。そして、近くの路上には、隊列もなく転がった多くの学生たちの姿──
「……っ!?」
白蛇は息を呑んだ。校舎に張り付いていた大蛙が、その両手を大きく広げながら、生徒たちがいる道の上へとその身を大きく投げ出したのだ。
「みんな! 無理に立ち上がらず、滑って逃げて!」
新兵たちの頭上、建物上階の窓から、若い女の声が響き── その指示に従い、転がり、滑って道路の端へと逃れる生徒たち。……いや、ダメだ。道の真ん中付近にいた女の子が一人だけ間に合わない──!
「つかまれい!」
白蛇は落ちてくる蛙の隙間目掛けて突っ込みながら、その身を乗り出すように右手を伸ばした。それに気付いた女の子──イオ(
jb2517)もまた手を伸ばし、互いに腕を掴み合う。
駆け抜けるは一瞬。直後、イオがいた空間を落下してきた大蛙がその腹で押し潰す。
イオは目を瞬かせて状況を把握すると、子供の様に笑顔を浮かべた。──笑うしかない状況ってあるんだなぁ、と、笑いながらそう思う。
そんなイオの手をしっかりと握りながら、白蛇は高度を上げつつ大蛙へと踵を返し。その瞬間、発生した遠心力により、すぽんっ、と抜けるイオの腕。イオはぴゅーんと宙を飛びながら、笑うしかない状況って今だよね、と悟った様な表情を浮かべ。藤堂と杉下がいる旧校舎3階へと窓ガラスを破って突っ込んだ。
「…………おや?」
粘液に塗れた右手を見下ろし、小首を傾げる白蛇。その白蛇とは別方向から駆けつけてきた千葉 真一(
ja0070)とErie Schwagerin(
ja9642)は、路上に鎮座する8本足の巨大蛙を見るなり呆れた様に呟いた。
「……こりゃまたとんだ大物が出たもんだな」
「騒がしいと思って来てみれば、また面倒そうなのが……」
さらに別の方角からは美森 仁也(
jb2552)と袋井 雅人(
jb1469)の二人も到着し…… 建物の陰から飛び出してきた雅人が、至近に大蛙を見上げて思わず「どわあっ!?」と大きく仰け反る。
新手に気付いた蛙は目玉をギョロリと回し…… 自重を支える後肢と前肢2本以外、4本の前肢を使って伸びる張り手を放ってきた。銃弾の如く打ち出される蛙の前肢。Erieは一旦、物陰に隠れつつ、路面に散らばった粘液を靴先で伸ばした後、無感動にそれをこそぎ落とした。
(……今の所、敵戦力は、あの伸びる腕とこの粘液。蛙だし、舌とかも伸びそうだけど)
特に厄介なのは怪水流か。浴びてしまっては勿論、床に撒き散らされるだけでも、マトモに戦闘など出来なくなる。
「ま、仕方ないわ。やらなきゃいけないことが変わるわけでなし…… サクッと片付けてしまいましょう」
まずは態勢を崩された新兵たちを後ろに下げなければ。時間かかるかもだし、蛙の気を惹く人も必要だ。
状況の分析を終えたErieはそう皆に指示を出そうとして── だが、練達の撃退士たちは、既に行動に移っていた。
「僕と美森さんで生徒たちを救出します! 千葉さんは……」
「おう! 囮役は引き受けたっ!」
叫びと共に光纏し、『ゴウライガ』へと『変身』する真一。その真一に指示を出した雅人は葉を頭に付けたまま生垣から立ち上がる。上空の白蛇は、既に破魔弓による牽制射撃を開始していた。雅人はそれを見て頷くと、傍らの仁也と目を交わし合う。
「まず僕が蛙に『目くらまし』を仕掛けます。3、2、1……!」
合図と同時に雅人は大蛙に向けて『ファイアワークス』を放った。蛙の眼前に色とりどりの炎が次々と炸裂し、その光の帳に隠れるように真一が移動を開始する。雅人はそれを確認すると、すぐに新兵たちの方へと走った。仁也はその雅人とは反対側の生徒たちに向かい、ヌルヌルの池の畔で動けなくなっている生徒たちを助け上げていく……
彼等の動きを見たErieは「へぇ」と呟きながら、自らは味方を支援する位置まで下がった。雅人の花火で点々と乾いた地面を『蛙跳び』に突っ込んでいく真一。Erieはルキフグスの書から暗黒の杭を生み出し…… 真一を殴ろうとする前肢に対して横合いから投射した。
●
「大丈夫っ!? いったい何が……!?」
戦闘開始の少し前。旧校舎棟3F──
藤堂と杉下を手伝うべく同じ旧校舎にいた月影 夕姫(
jb1569)は、聞こえてきた破砕音に、慌てて藤堂たちの居る部屋へと走り込んだ。
目に飛び込んできたのは、ガラスの割れた窓枠に、ひらひら舞い落ちるポスターの紙片。そして、どこからともなく藤堂の腕の中にすっぽりと収まったイオの姿──
「どうしてこうなった」
思わず立ち尽くす夕姫に、友人の葛城 縁(
jb1826)が簡潔に状況を説明した。先程、新兵たちに『滑って逃げるよう』指示を出したあの声の主である。
その間、イオは藤堂の腕の中に収まったまま、自分を抱える藤堂を見上げて、言った。
「下は混乱しており、騒音で声が聞こえておらぬやもしれぬ。『意思疎通』で中継するので、指示を頼む」
藤堂は頷いた。上から見る限り、既にベテランたちは自分たちで態勢を整えつつあった。改めてこちらから指示を出す必要はないだろう。
「……では、新兵たちに指示出しを頼む。比較的落ち着いている者を選んで、各集団ごとに、順番に」
「了解じゃ。さて、まずはおぬし…… そうじゃ、『意思疎通』で話し掛けておる。近場の仲間に声をかけよ。まずは建物内部に逃げ込んで態勢を立て直すのじゃ。ほれ、ぐずぐずするな。訓練を思い出せ! Move、Move、Move! なのじゃ!」
ぶつりと意思疎通を切り上げ、次の生徒に連絡を入れるイオ。藤堂はそんなイオから視線を外すと、教室の端にいる縁と夕姫に手信号で合図を出した。窓枠の下に身を隠しながら、頷く縁と夕姫。タイミングを合わせて、4人一斉に身を起こし、眼下の蛙へ射撃を浴びせる。
「やらせないんだよーっ!」
窓から振り出した散弾銃の銃口を地面の蛙へと照準し、立て続けにアウルの散弾を撃ち下ろす縁。藤堂の大型拳銃も、杉下の狙撃銃も、だが、蛙表面を覆った粘液に絡め取られて届かない。そこへ放たれる反撃の張り手。慌てて身を隠した撃退士たちの頭上を、横殴りに振るわれた蛙の前肢が窓枠ごと薙ぎ払う。
「ダメだよ! ネトネトがっ、あのネトネトの所為で弾が敵まで届かないよ!」
「……前回は触手で、今回はあの怪水流。なんか色んな意味で悪意を感じるわね」
降り落ちてくる破片に身を竦めながら、それぞれに呟く縁と夕姫。……確かに、銃弾は蛙の身体に届いていなかった。が、夕姫が一点集中で放った光弾はある程度の効果はあった。あの粘液を物理的に押し退ける、或いは魔法的に除去することが出来れば、敵に痛打を与えられるかもしれない。
「……縁。あの粘液を範囲攻撃で吹き飛ばせないかしら?」
「『ナパームショット』? でも、粘液の再生が早いから、普通にやったんじゃ痛打は偶然頼みになっちゃうよ?」
いや、やってみる価値はある、といつの間にか側にきていたイオが2人にそう言った。
「わしも炎陣球で粘液を蒸発させられんか試してみる。一時的にでも粘液を消すことができれば、集中攻撃の良い機会となろうぞ」
方針が決定すると、夕姫は一人、立ち上がり、そちらはお願いするわね、と告げながら窓枠に足をかけた。夕姫さん、どうするの? と慌てる縁に、夕姫は『小天使の翼』を使いつつ、答える。
「……壁に張り付いているってことは、あの蛙、腹側は滑り難いと思うのよね。あの蛙が跳んだ時、その腹を狙えないかやってみるわ」
「『IGNITION』! ゴウライ、反転、ドリル、キィィィック!」
煌く陽光の中、美しく宙で反転を決めた真一が、斜め直上から『雷打蹴』の体勢で蛙の背へと降ってきた。
流星の如き轟蹴は、だが、その威力の殆どを粘液によって逸らされた。そのまま地面に着地して一回転。見上げた真一が眉根を寄せる。
「さすがにただ殴っても効き目は薄いか…… ならば! ゴウライソード、ビュートモード!」
振り下ろされる前肢を跳び避けながら、蛇腹剣を鞭状態で振るう真一。だが、本来は敵の皮膚を抉り取るはずの刃の群れも、今は蛙の表面で滑るばかりだ。
「やっぱりぃ、問題はあの皮膚かしらぁ?」
中距離から冷静に敵を観察しながら、Erieはふぅ、と溜め息をついた。先程から蛙表面の粘液は、打撃と斬撃に対して高い防御性能を発揮していた。Erieが放つ魔法の杭と白蛇の矢は比較的刺さるのだが、それでも少しでも角度が悪いとやはり滑って逸らされてしまう。
一方で、新兵たちの救出に向かった雅人と仁也は、全員を旧校舎棟の中へと逃がすことに成功していた。
「ありがとうございます。助かりました」
旧校舎の入り口で生徒を受け渡されながら、雅人が仁也に礼を言う。仁也は苦笑して首を振った。正直なところ、面倒事には巻き込まれたくはないのだ。だが、ここで見捨てるような真似をしたら、彼女にどう思われるか……
「いや、個人的な事情ですよ。……それにまぁ、どうせかかわりあいになるのなら、怯える者は少ない方がいいですし」
呟き、踵を返しながら……仁也はゆっくりとその本来の姿を取り戻していった。水を流すように染まる銀髪、黒から金へと明滅する瞳。その頭には濃紫の二本角がメキメキと伸張し、被膜の翼と悪魔の尻尾が勢い良く外へと飛び広がる。
「……スキルを使うとこの姿になってしまうのでね。後は残ったベテランの中に、悪魔に敵対心を持つ者がいなきゃいいのだが……」
仁也の心配は、杞憂に終わった。あっけなくその姿を受け入れた戦友たちに苦笑しながら、仁也は『闇の翼』で宙へと舞った。嫌がらせの様に蛙の周囲を跳びまわりつつ、生み出した無数の光の針を投射する。ぶつぶつと突き刺さるその攻撃に蛙が反撃の張り手をかまし。仁也は後ろへ飛び凌ぎ凌ぎながら、チョイチョイと指で蛙を招く。
「乾いた地面に引きずり出すことができれば……」
仁也の挑発に、だが、蛙は乗らなかった。その場を動かず、口から怪水流を噴射する蛙。その一撃をまともに喰らって、仁也は地面に落とされた。周囲の路面はたぷたぷのぬるぬるに浸されていた。
行儀悪く、仁也は呟いた。野郎、自分の長所を解っていやがる……
状況が変化したのは、上階から下りて来た夕姫により作戦案が伝えられた時だった。
話を聞いたErieはクスクスと笑った。既に新兵たちは屋内へと下がっている。憂うべきものは何もない。
大蛙に対する総攻撃は、まず雅人の『クロスグラビティ』によって開始された。
ぬるぬるの路面を危なげな足取りでどうにか前進し、射程内へと進入する。迎撃の張り手が、雅人が生み出した闇のわだかまりを貫き…… その一撃を回避した雅人が一気に敵へと肉薄する。
「このまま…… 押し切りますっ!」
宙に生み出された闇色の逆十字は、そのまま倒れ掛かるようにして蛙を上から押し潰した。『重圧』が蛙に圧し掛かり、その動きが重くなる。
「……さっきはよくもやってくれおったな、化け蛙め。見ておれ、目にもの見せてくれるわ!」
すかさず、上階、窓辺に姿を現したイオが、その両手に生み出した炎の球を、「てぃっ!」と思いっきり投げ下ろす。高笑いと共にもう一撃。蛙の背に叩きつけられた炎球は、直撃と同時にボワッと周囲へ燃え広がり、『温度障害』を与えると共に蛙表面の粘液を吹き散らした。
「今じゃ!」
振り返って叫ぶイオの合図に、藤堂と杉下が蛙の背に有効打を立て続けに叩き込む。蛙はぬるぬるの地面を転がって『温度障害』の解除と粘液の復活を試みようとしたが、重圧による加重によって思うように動けない。
苦し紛れに放たれた怪水流の扇型掃射は、闇の陣を足元に展開したErieをその奔流に巻き込んで。直後、その陣に割られた怪水流の隙間を、Erieが踊る様なステップで回避し、抜ける。
「Der Holle Rache kocht in meinem Herzen……」
同時に、Erieの心の闇を火種として噴き出した黒煙がその手の中で『灼熱の黒槍』へと収束し…… 怪水流を放ち終えた蛙の口中目掛けて、燃え盛る黒炎の槍を投射した。文字通り大口開けたその口中に炎の槍が飛び込み、直後、その中から大量の水蒸気が爆発的に湧き出した。
そこへ続け様に放たれる仁也の追撃。その手にかざした紋章にアウルのエネルギーが収束していき…… 突き出す腕と共に黒き光の衝撃波が放たれ、蛙の巨体を口中から尻へと抜けていく。
「まだだっ!」
と、両手を広げ、それぞれの手に生み出した光と闇を己の眼前で合わせる仁也。作り出された『混沌の矢』が続けて蛙を貫き、刺さる。
撃退士たちの猛攻を受けた大蛙は反撃の手を止め、まず粘液を復活させようとした。
そこへ突っ込んで来たのは、白蛇を乗せた馬竜だった。チャリオットの如く突進し、その速度と質量を横合いから蛙へと叩き込む馬竜。その背から飛び降りた白蛇が放った『ピンポイントブレイク』──グッドステータスを無効化する一撃は、再生しかけていた蛙の粘液を弾き飛ばした。
逆襲とばかりに、前肢を伸ばして白蛇を絡め取る蛙。構わず攻撃の指示を出す白蛇に従い放った司の電撃は、だが、蛙には当たらない。
雷撃が薙いだのは、地面だった。路面の粘液が吹き飛ばされて、直線状に乾いた道が出来ていた。……蛙まで続く、真一の為の進撃路が。
「今だっ! ゴウライ、シャイニングナッコォォォッ!!」
その道を駆け抜け、突進した真一が、拳を蛙へと『徹す』。衝撃に蛙の身体がたわみ…… 直後、8本脚全力の跳躍でその場から逃げにかかる蛙。だが、それはその機を窺っていた夕姫によって阻まれた。ぬるぬるの路面の宙の上を、『小天使の翼』で滑るように移動しながら、5連の指輪を嵌めた右手を上空へと挙げ、光弾を放つ夕姫。弱い腹を狙われた蛙は、バランスを崩して地に落ちて…… 体勢を整え直した蛙の前に立ち塞がったのは、インフィルトレイターの縁だった。
今度は跳躍せず、その質量でもって突破を図る蛙。縁はそんな蛙に向かってなんと真正面から突進し…… ぬるぬるの路面に達した所でスライディング。その身を自ら滑らせた。
「痛いのより…… 気持ち悪い方が百万倍マシだよね!」
涙目でそう叫びながら仰向けで蛙の腹の下を潜り抜けつつ、上に向けた銃口から立て続けに発砲する縁。
べとべとになった縁が立ち上がる背後で、遂に力尽きた蛙がべしゃりと路上に崩れ落ち……
それを見ていた藤堂が、「その発想はなかった」と呟いた。