転移装置による転移を終えて──
一人、ポツンと田園風景の只中に立った牛図(
jb3275)は、きょろきょろと辺りを見回して…… 最初に目が合った撃退署のお姉さんに、学園の仲間たちがどこにいるのか、尋ねた。
「散り散りになった山狩りの人たちの救助に来ました。でも、戦うのは得意じゃないです。……あ、熊の左手が美味しいという話は気になります」
「はぁ……」
困惑するお姉さんに、自身も「何か変なことを言っただろうか」と困惑し…… そんな牛図に気付いた彩咲・陽花(
jb1871)が、手を振って牛図を呼び寄せた
「あ、牛図君! こっち! こっちだよ!」
……よかった。知ってる人がいる。ホッとしてそちらへ向かう牛図。その進路の傍らに、恐らくは依頼の参加者だろう、二人の『少女』がいた。
「たいへんたいへん! みんなを助けなきゃ!」
「……とりあえず、落ち着け。でないと、妾(わらわ)が落ち着かん」
慌てた様子で、子犬の様にその場を小さくクルクル回る初等部1年、白野 小梅(
jb4012)。もう一人の初等部1年、リザベート・ザヴィアー(
jb5765)は、対称的に落ち着いた様子を見せている。
そんな二人の傍らを微笑ましい笑顔で通り過ぎ…… 牛図は、初等部の2人を呼ぶ陽花の傍らを通り抜け、パイプテントの指揮所に集まった仲間たちと合流した。
指揮所は喧騒に包まれていた。長テーブル2つをくっつけた卓の上に周辺の地図が広げられ、その傍らで、神棟星嵐(
jb1397)が撃退署の指揮官と話しながら、山狩り部隊の進行ルートを赤ペンで地図に記していく。
「これからすぐに救援に向かうわ。『熊』と遭遇した場合は逃げて、こちらに連絡を頂戴」
「厄介なことになっちまったなぁ…… ちっと待ってろよー。すぐに迎えに行ってやんよ!」
大型無線機に張り付いていた二人── 月影 夕姫(
jb1569)と麻生 遊夜(
ja1838)は、遭難者たちとの通信を終えて卓に戻った。その遊夜をそわそわ待っていた来崎 麻夜(
jb0905)が、やって来た遊夜の傍らで微妙にその身を摺り寄せる。
情報によれば、山狩り班は1班6人、計4班で構成されていた。通信機は各班に一つ。出力の高い野戦用だ。
夕姫と遊夜が通信で呼びかけると、第1班と第2班から応答があった。第2班は、通信士を含めて4人が一緒にいるらしい。現在地は分からない。第1班からは、無線機をON、OFFする音だけが返って来た。声の出せない状況にいるのか、或いは、声の出せない状態か。そして、第3班、第4班の両班とは…… 連絡自体が取れないでいる。
「やはり、敵との遭遇地点から斜面の下へ逃げている、と考えるべきですわよねェ」
通信で得られた情報を元に、黒百合(
ja0422)が、星嵐が地図に記した進行ルート、その周辺に重点捜索地域の印をつける。
日下部 司(
jb5638)は頷いた。山中全てを虱潰しに捜索するには、時間も人手も到底足りない。であれば、ある程度優先して捜索する必要があるだろう。
「……では、我々は4班に分かれて、山狩り部隊の各班と同じルートを上って捜索。動かない巨人型には当面、近づかず、熊型は出会い次第、討伐する…… 方針は以上でいいですね?」
夕姫が纏めると、学園の撃退士たちは頷いた。
アストラルヴァンガードのフィーネ・アイオーン(
jb5665)は、改めて決意を強くした。……自分には『状況を打破する力』はない。だが、『命を繋ぐ力』ならある。
「急ぎましょう。皆の傷の具合が心配ですわ」
フィーネは仲間にそう声をかけると、誰よりも先にテントの下を出た。
続けて外に出た黒須 洸太(
ja2475)は、一瞬、陽光の眩しさに手を掲げて目を細めた。その視線の先、山の斜面の木々の隙間に、膝をついた巨人の姿が見える。
「……想定外のことは起こるもの、か」
自身のことを顧みつつ、洸太はポツリと呟いた。
「あのー……」
テントから出て行こうとする皆の背に向かって、牛図は顔を上げ、声をかけた。
「あのー、山に入った人のですね、名前と人数は確認しておいた方がいいですよね……? 思い込みや、間違いで、残った人がいたら大変です」
牛図の言葉に、撃退署の指揮官はすぐに名簿のコピーを配った。班ごとに1部しか用意できなかったが、この状況では御の字だろう。
司は、受け取った名簿をパラパラと捲りながら…… ふと、名前の一つに目を留め、その目を大きく見開いた。
名簿の最後、予備隊の一員として、見知った名前が記載されていた。
榊悠奈、という名前が。
「嘘っ!? 悠奈ちゃん? どこ? どこに!?」
「こんな所に、なぜ一人で……」
司の驚きは、すぐに夕姫や陽花、星嵐といった面々に伝染した。通りかかりの小梅が不思議そうに皆を見上げる。先に進んだフィーネや後に残った牛図にはまだ伝わっていない。麻夜に関しては、直接の面識はなかったか。
「落ち着いてください。……悠奈ちゃんだって、救出対象の一人に過ぎません」
「そんな言い方……っ!」
司の言葉に反駁しかけた陽花は、友人の夕姫によって制せられた。陽花も気付いた。司の両の拳が、白くなる程に握り締められている。
「みんな無事に助け出すわよ。元よりそのつもりでしょ? ……勿論、悠奈ちゃんも助け出すわよ。絶対に」
夕姫の言葉に、陽花は長い息を吐いた。
「……そうだね。なんとか全員助け出さないと。悠奈ちゃんもいるし、頑張って行こうっ!」
●D班
全ての準備を整え終えて── 学園の撃退士たちは4班に分かれると、山中に足を踏み入れた。
D班に属する牛図は、その巨躯に比べるとずっと小さい『闇の翼』を羽ばたかせると、上昇し、『木々の原』の上にこっそりと頭を出した。
木々の合間に見え隠れする巨人は、やはり動いていなかった。牛図は見つからぬよう頭を下げると、『物質透過』で木々の幹を透過、葉を透過せぬよう選択する。
(僕は飛ぶのが下手だから、間違えて木より高く飛んで、巨人に見つかったら大変です。葉っぱに触れたら高度を下げます。考えました。えっへんです)
にこにこと笑いながら、木よりも低い高度をぱたぱたと飛び進む牛図。眼前に迫った木に構わず進もうとして、だが、ごつんと頭をぶつける。
どうやら誰かが阻霊符を使用したらしい。牛図はしょんぼりしながら木を迂回する。
そんな牛図が飛ぶ後方を、同じD班の陽花と夕姫は地上から付いていった。味方であることを報せるべく、かつ、救援が来た事を知らしめるべく。周囲に声をかけて捜索しながら、ルートを上へと上っていく。
途中、負傷者を抱えて先に下りて来た予備隊の数人と遭遇し、夕姫と陽花は山の上の状況を尋ねた。
よく分かりません…… というのが予備隊員の報告だった。自分たちは、最初に出会った負傷者を連れてここまで下りて来た。上の方にはまだ他の負傷者が── そして、熊型がいるかもしれない。
「つまり、ここからが本番というわけね」
夕姫と陽花は予備隊員と別れると、改めて気合を入れつつ、斜面を登った。
前以上に慎重に、岩の隙間、下生えの中、高い木の上にまで気を配り、捜索を続ける夕姫。負傷して身を隠し、声を出せないほど消耗している者もいるかもしれない。そんな人たちを見逃すわけにはいかない。
その夕姫の後ろでいつでも馬竜──スレイプニルを召喚できるよう準備しながら、陽花は斧槍を手に周囲に警戒の視線を飛ばし……
その視界の端、山林の中でチカリと光る赤い何か── 直後、前方、頭上から枝葉を揺らし、ぶつかる音が迫り来て…… 馬竜を召喚した陽花の眼前に、牛図が一人、落ちて来た。
「熊です、綾嶺さん。追っかけて来てます」
「ありがと、牛図くん。でも、きみも大概くまっぽいよね。思わずスレイプニルを突撃させちゃうとこだったよ」
「照れます。自分では、牛っぽい? 思ってます。角とか」
「うーん……」
そうこう言ってる間に、斜面の上から四足で駆けて来る熊型1匹。駆けつけてくる夕姫を視界の隅に捉えながら、陽花は馬竜に今度こそ前進の指示を出した。
●A班
A班は熊狩り隊第1班が通った中央のルートから山中へと入っていた。
未だ紅葉の時節は遠く、山林は緑の木漏れ日に揺れていた。木々の間隔は広く、人が十分に通れるほど。戦闘に支障ないスペースがあるが、その視線は通り難い。
遊夜は双銃を活性化すると、木陰から慎重に周囲を見回し…… 見える範囲に敵のいないことを確認すると、手を振って後列を呼び寄せた。
そのまま銃を構えて警戒態勢を取る遊夜の傍らを、大鎌を活性化した黒百合が駆け抜ける。黒百合はさらに前のポイントまで前進すると、木陰に停止して周囲へ耳をそばだてた。風が木々の間を吹き抜け、さわさわと枝葉が鳴り…… その中に、草木や地面を踏む音がないことを確認して、今度は黒百合が後列を呼び寄せる。
それを見た遊夜は麻夜に前進を促そうと振り返り…… いつの間にか直近── すぐ真後ろにいた麻夜に気付いて驚いた。移動を促す遊夜に、だが、麻夜は動かず、どこか拗ねた様な表情で遊夜を見上げる。すぐにそれに気付いた遊夜が困ったように笑いながら、仔犬にしてやるようにポンポンと頭を叩いてやると、麻夜はどこか嬉しそうな表情をして元気に前へと駆けて行く。
そんな二人に気付かない振りをしつつ、その口の端に『邪悪』な笑みを浮かべて…… 黒百合はふと眼前の光景に違和感を抱いて、手信号を後ろに振った。前進を止め、近場の茂みに隠れる麻夜。代わりに前進してきた遊夜が『索敵』の視線を前に飛ばし……
「……いた」
呟き、左右に手信号を振る遊夜。黒百合と麻夜がそれぞれ気配を消しながら、闇を纏い、影を曳き、木々の間へとその姿を消していく。
遊夜はそれを確認すると、熊型の隠れた岩場へ向けて、両手に構えた独特の形の双銃を立て続けに、派手に撃ち鳴らした。
「そこに隠れとるのは分かっているがぜ! いい加減、出て来いや!」
岩場に弾ける跳弾の閃光と、弾着の土煙。もう隠れている意味は無いと判断したのだろう。熊型は岩陰から飛び出すと、遊夜目掛けて四足で突っ込んでいく。
「さぁ、来いや! ついでに……っ!?」
双銃の引き金を引こうとした遊夜に向けて、熊型は高さの差を活かして一気に跳躍。速度と質量を乗せた鉤爪による一撃で遊夜に襲い掛かった。その爪先にコートを引き千切られつつ、回避に移ろうとする遊夜。コートの端を前足で踏まれてその身体がつんのめり── 追撃をかけようとする熊に対して、左腕の下から突き出した右の銃を発砲する。
「……さっきの続きや。ついでに、腐れろ!」
発砲音は、それまでの速射と異なり、ただの1。だが、その1発が熊型の胸に当たるや、熊の表面に蕾の模様が描き出され…… 花弁を開くその模様と共に『腐蝕』の効果が花開く。
「時間がないんだよね…… だから…… あなたもここで消えて……?」
瞬間、木々の間の影の中から、麻夜がクスクス笑いながら、熊の左方へ飛び出した。その手には、腕を毒々しく染めた、血の如き赤錆色の銃。思わず振り返った熊型の胸部へ暗黒の弾丸が撃ち出され、花模様の中心へ吸い込まれるように着弾したそれが周囲の肉を弾き消す。
更に、右方からは、背を向ける形となった熊に対して黒百合が一気に間合いを詰め。地を蹴り、木の幹を三角蹴りして跳躍すると、振り被った大鎌の刀身を熊型の首の後ろに叩きつけた。半月の軌跡を描き、首を断つべく振り下ろされた刀身は、だが、熊の分厚い筋肉によって半ば手前で阻まれた。振るわれた鉤爪による反撃を、喰いこみ、宙に浮いた大鎌の柄を鉄棒の様に、クルリと身を回して回避する。
「チッ、無駄にしぶといな」
右から、左から振るわれた鉤爪による攻撃をバックステップでかわしながら、遊夜が左右の銃撃を速射する。麻夜は手に鉄鎖を生み出すと、走りながらそれを大きく振り回し、熊の注意を惹きつつ、横腹へと叩きつけた。グラリと体勢を崩し、木に寄り倒れる熊。黒百合は熊の肩を蹴って直上の木の枝に跳ぶと、先ほど打ち込んだ同じ場所に大鎌の刃先を突き立て、全体重をかけて蹴り入れる。
それらの攻撃に耐え切れず、体液を撒き散らしながら倒れる熊型。
遊夜はやれやれと息を吐いた。──熊型を倒すのはいいが、こいつは結構な手間になりそうだ。
●C班
「それでは、頼みますよ、小梅さん」
「まっかせてぇ!」
同じ班に属する洸太と司から『お願い』されて── 小梅は一瞬、その目を輝かせると、満面の笑みを浮かべ、胸を叩いた。
『光の翼』を展開し、元気良く空へと舞い上がる。開ける視界── 一面に広がる『木々の原』に小梅は「わぁ!」と目を輝かせ…… 「どうですか?」と訊ねてくる二人に対して、「うん、見えない!」と元気いっぱいに返事する。
そうですか、と答えながら、洸太はその肩を落とした。
C班はこれまで、逃げて来る味方とも、熊とも、未だに遭遇していなかった。空からなら或いは、とも思ったのだが、地上から見れば隙間の多そうな山林も、枝葉が邪魔で意外と下は見え難い。
背後では、司が小型通信機を使って第3班に呼びかけている。司はこれまでも定期的にコールを続けていたが、第3班から応答があったことは一度もなかった。
(これは…… 最悪の事態も想定しておいた方がいいかな?)
周囲の山林に視線を飛ばしながら、洸太はぼんやりとそんなことを考えていた。
ふと山林を駆け抜けていく柔らかな風── 汗ばんだ肌にそれを感じた瞬間、洸太はなんだか可笑しくなった。……人間天魔の都合に構わず、自然は何も変わらない。或いは、これもハイキングだと思えば、少しは心愉しくなったりするのだろうか……
「だめだ。やっぱり通じない」
司は地面に視線を落としてその唇を噛み締めた。
(またか…… また僕は誰も助けることができないのか…… 誰かの大切を守る為に、撃退士になったはずなのに……)
地上へ下りて来た小梅が、そんな司の元へ笑顔でとてとて走り寄り。その表情を見上げて、心配そうな顔をした。
「司ちゃん…… なにかお悩みでもあるの?」
司は慌てて笑顔を取り繕った。
山を登り続けたC班は、中腹を過ぎた辺りでようやく初めての『収穫』を得た。洸太が目指していた地点── 第3班が最後に連絡を絶った、その周辺のエリアである。
そこには、戦闘の痕跡と…… 事切れた、2人の遺体が残されていた。恐らく、巨人と遭遇した後、ここで熊型の奇襲を受けたのだろう。
拳を力一杯握り締めた司は、だが、次の瞬間、脱力し…… 疲れ切った様子で指揮所に連絡を取り始めた。認識番号を確認し、発見場所を地図に記して報告する。
その横で、洸太は地面に膝をつき、戦場跡に目を凝らした。……傷跡等から、やはり敵は熊型だ。遺体の側には通信機の破片。まさか、通信機を持っていた者を最初に狙って襲ったのか? 上から下りて来た足跡は、ここで千々に乱れている。ここで壊乱したのであれば、ルートを下りてくる者がいなかったのも頷ける……
洸太は司、小梅の先頭に立って『熊の足跡』を追い始めた。足跡が続く先には、水が流れる小川があった。
「川を下れば、足跡の臭いは途切れます。熊から逃げるなら、その様なルートを使っているかもしれない」
洸太は、『対岸』に人の足跡がないのを見てその仮説を確信し。同時に、『熊の』足跡もないのを確認して驚愕した。
まさか、熊も自身の足跡を消そうとしたのか。それとも、逃げた人間が『下流に向かった』のを看破したというのか。
思考を整理する間もなく、山林に鳴り響く銃声と獣の咆哮。近い。そう思った瞬間、司と小梅は駆け出していた。一歩遅れて後続する洸太。小梅は地を蹴って『光の翼』で宙へ舞うと、地上の2人を誘導しつつも真っ先に戦場へ突入する。
目の前の獲物に気を取られていた熊型は、小梅の横撃に不意を衝かれた。風と氷の刃が側頭部に直撃し。その痛打に熊が一歩よろけて退く。
「今だよ、逃げて!」
叫び、熊がこちらに向き直るのを見ても、怯まずに攻撃を続ける小梅。熊が四足で突進してくるのを見て、ようやく後ろに飛び退さる。
その小梅と入れ替わるようにして、騎兵槍を構えた司が熊に向かって突っ込んだ。全く速度を緩める事なく、その穂先を敵の喉元へと突き入れる。熊はその一撃に怯みつつ、その穂先を鉤爪で払って司に肉薄しようとした。そこへ側面から突っ込んできた洸太が盾ごとその身を叩きつけ。直後、活性化させた大太刀でもって大上段で切り込み、その勢いもそのままに、熊の左手を地面へと押し付ける。
「今です!」
洸太の叫びに、司は改めて騎兵槍を構え直すと、真正面から突っ込んだ。司の突きをまともに喰らってよろめいた熊が、後ろ足を木の根に取られて転倒、仰臥する。起き上がろうとするその顔面に小梅が風氷刃を叩き込み。力を込めた熊の四肢を、大太刀で洸太が払って転倒状態を敵に強いる。
やがて、熊は、洸太と小梅、司たちと、泣きながら戻ってきた隊員たちの総攻撃を喰らって、大地に沈んだ。
脅威がなくなった後も、隊員たちは泣き止まなかった。司は袖で涙を拭うと、状況を報せるべく指揮所に連絡を入れた。
●B班
「誰か! いませんか?! 援軍のアストラルヴァンガードです。皆様、いたら返事をしてください!」
B班の先頭に立ってルート上を飛行しながら、フィーネは眼下の『木々の原』、その下に隠れているであろう味方に向かって呼びかけた。
その行動は、味方の救援を待つ負傷者たちにとっては心強い行動たり得たが── 同時に、フィーネ本人にとっては危険を孕んだなものだった。──敵の姿は見え難い。のに、こちらの位置は常に発信し続けている。
そんなフィーネを遠くに眺めながら── 木の上に立ったリザベートは自嘲の笑みを浮かべた。
「……己の命ですら、守ることは易くない。ましてや、他人など…… どう救えばよいのか、妾には未だ分からんよ」
木の下へ到達した地上の星嵐に向かってそう愚痴りながら、木の上から見た情報を下の星嵐に伝達する。……現在、自分たちはポイントB2と呼ばれる場所まで上がっていた。周辺に敵影なし。巨人も相変わらず動いていない。
それらの情報を書き記しつつ、星嵐は「そうでしょうか?」と言葉を返した。怪訝な顔をするリザベートに星嵐が言葉を続ける。
「なら、なぜ、あなたはここにいるんです?」
リザベートは苦笑した。
「……まぁ、のぉ。分からぬままでも動かぬことには、何も変えられぬのもまた事実。そういう意味では、フィーネも妾と同じなのかもしれぬ」
「同じ?」
「ただ己の思う通りに動くのみ、じゃ」
苦笑を諧謔にかえるリザベートの視線の先で、フィーネが空をクルリと回って地面へ降下していく。それを見たリザベートは、それまでとは違った笑みで星嵐に語りかけた。
「フィーネ殿が『ひばりの巣』を見つけたようじゃ。わしが空から誘導する。神棟殿も急がれよ」
『闇の翼』を翻して空へと舞うリザベート。星嵐は口の端に微笑を浮かべてそれを見送り…… 再び表情を引き締めると兜の面帽を下ろすと、慎重にその気配と音を消しながら、木々の間を縫う様に影から影へと渡り始めた。
「少し待ってください。今、応急手当を行いますわ」
地上からの返事に応じて地面へと降り立ったフィーネは、背の翼を消しながら、負傷者たちの間に入っていった。
自身が血に汚れるのも構わず、傷が深く症状が重い者には『ライトヒール』を、軽傷の者にも改めて専門知識を用いた応急処置を施し、癒す。
リザベートと星嵐が到着した後も、フィーネは忙しく負傷者たちの間を立ち回った。星嵐は木の上に上ったリザベートに周囲の警戒を任せると、自身もまた手当てに加わりつつ、悠奈について訊ねてみた。
「いや、その娘は見てないな」
負傷者の返事に、星嵐は眉をひそめた。他班を含め、これまで見つけた負傷者たちから、悠奈に関する情報は何一つ得られていなかった。さすがに情報が少なすぎる。いったい、何が起こっているのか……
その時、木の上のリザベートが口笛を鳴らし、星嵐は斜面を駆け上がった。リザベートの報告通り、木々の間を抜けてこちらへと迫り来る熊型。やって来たフィーネは、右手に杖を活性化しつつ。左手を広げて、負傷者たちの前に立ち塞がった。
「そこまでです。わたくしの目が黒い内は、患者たちに手は出させませんわ」
その時、星嵐は気がついた。フィーネはわざと、声を出して負傷者たちを探していたのだ。そして、その声に釣られて、今、熊はこうして目の前にいる。
「まぁ、まずは熊を倒さねば退路を確保できぬしの。伏兵されるよりは、誘き出した方がやりやすかろう」
やって来たリザベートがそんなことを言う。星嵐は苦笑した。
「ま、前衛に立つのは自分なんですけどね」
「大丈夫。怪我はすぐ治します」
後衛に下がるフィーネを視界の隅に、星嵐は熊に向けて手を差し出し、指でちょいちょいとかかってくるように手招きした。それに応じるように、四足での突進を開始する熊。それが自身の間合いに入った瞬間、星嵐は『氷の夜想曲』を展開した。自身を中心に発生した冷気の波紋が熊型に襲いかかり…… 襲い掛かってきた眠気の波に、だが、熊型は抵抗した。鉤爪を振り上げ、星嵐に飛びかかろうとする熊を、直前、リザベートの『クリスタルダスト』が迎え撃つ。リザベートの周囲に浮かんだ長大な氷の錐── アウルで生み出したそれをリザベートが手を振り、投射して…… 直後、その氷の槍に肩部を貫かれつつも熊は構わず突進し。ボーリングよろしく、星嵐とリザベートをその場から散開させる。地を蹴り、翼で宙へと逃れるリザベート。それを仁王立ちした熊が赤い怪光線で追い撃ち。バックステップで下がった星嵐はフィーネの回復魔法を受けつつ、脚甲を煌かせつつ、打撃戦へと移行する……
●再び、D班
陽花の呼び出した馬竜が棹立ちになり、嘶きと共に雷の束を吐き出した。
『ライトニングボルト』──馬竜の生み出したアウルの電撃が正面から熊を打ち据え、その身を電撃の鞭で絡め取る。
そこへ側方から踏み込んだ夕姫が、五連の指輪を嵌めた右手を横へと払い、5つの光弾を偏差射撃で速射する。頭部を狙ったその一連射を仁王立ちになってかわした熊は、胸部の月の輪状の鉄板から赤い怪光線を放ち。咄嗟に足を止めた夕姫がそれを横へと転がり避ける。
「あっ、あれは『赤い怪光線』(読み:ブレス○ファイヤー)っ!?」
「怪光線って…… 熊よね?」
驚く陽花に、ツッコム夕姫。その間も地上に降りて槍を構えた牛図が熊を逃がさぬ様に挟撃し…… 振るわれた鉤爪による一撃を『乾坤網』で受け凌ぎつつ、一歩下がって自己回復二回で応急。再び前へと出て槍先を熊へ突きつけ、逃げられぬように抑えつける。
どろりと左手に黄金色の粘液を生み出し、それを舐め取り回復する熊。それを見た牛図がゴクリと唾を呑み。夕姫と陽花の二人は、共通の友人がここにいないで良かったと息を吐く。
最終的に撃退士たちは、光弾と馬竜の攻撃によって左手を破壊した後、3人がかりの総力戦で熊型を撃破した。
とどめは牛図の槍が差した。本人が一番びっくりした。
●
同じ頃、B班の星嵐とリザベートもどうにか熊型を仕留めて── 撃退士たちは見つけ出した負傷者たちを連れて、B班の『救護所』に集まった。
当面の脅威となる熊型は全て掃討。山中の広い範囲に亘って行動の自由を確保した。撃退士たちは山中を歩き回って、負傷者を救助し、そして、遺体の認識票と位置情報を持ち帰った。
そんな中、橘悠奈と第1班班長の2名の所在が判明していなかった。
捜索していないのは、残るは巨人型のいるエリアのみ…… 撃退士たちは顔を見合わせ、頷いた。
「久遠ヶ原の未来のエース、白野小梅、参上ぉ! やーい、ばーかばーか! こっちこーい!」
最初に巨人に近づいたのは、空を飛べる小梅と牛図だった。小さく名乗りを上げる牛図の横で、小梅が口上を述べつつ魔法書で巨人を攻撃。発煙筒をグルグル回しながら、ホイッスルを吹き鳴らしてその注意を惹き付ける。
巨人は顔を上げて二人を睨むと、立ち上がって走り出した。よっし、ダッシュで逃げるよ、と全力で、というより必死で翼をばたつかせる小梅。それを追って逃げながら牛図はそっと後ろを振り返り…… ダッシュで走り出した巨人の姿に涙目になりながら、炸裂符を投げ放ち。反撃の水弾を浴びた後、吸魂符で回復。再び炸裂符を取り出して取り落としかけてワタワタしつつ、自己回復する巨人に驚愕して必死に木々の間を飛び逃げる。
それを追って走る巨人の足元、その直ぐ横。林の影の只中に、併走する3つの影があった。
「巨人ねェ…… 身体中の肉を削ぎ落として、血達磨にして上げるわァ……♪」
それはA班の3人だった。走りながら、己の前面に影を凝縮して生み出した無数の棒手裏剣を、一斉に木々の間から撃ち放つ黒百合。無数の黒き影の矢弾が巨人の左下半身を撃ち貫き。幾つかは足首や膝の関節をヒットして、巨人がガクリとつんのめる。
そこへすかさず放たれる遊夜再度の『腐爛の懲罰』。腐蝕に花開く模様にすかさず、麻夜が自身の周囲に舞う『闇よりも深い黒羽根の刃』を指揮者が指揮棒を振る如く、纏めて叩きつける。
「狙い目だねぇ……さぁ、貴方も堕ちよう……?」
クスクスと笑う麻夜。巨人はそんなA班の3人に、水弾による反撃で応えた。回避行動に入る3人。黒姫の直撃コースに乗った水弾は、黒百合が回避行動を取る前に、『庇護の翼』を用いた洸太が大太刀でもって斬り弾いた。同じく、巨人の眼前に姿を晒し、その攻撃を騎兵槍で受け逸らす司。巨人は自身の周囲に水流を放って近づこうとする撃退士たちを牽制すると…… 足元に出来た泥を足で蹴り出し、岩石交じりの泥流で撃退士たちに浴びせかける。
「また、びしょ濡れ……」
ずぶ濡れになった我が身を見下ろし、麻夜が眉をひそめる。
だが、その甲斐はあった。皆が巨人をひきつけている間に、別班が件の洞窟──悠奈たちが隠れていた岩の隙間に辿り着いたのだ。
「悠奈ちゃん……! 無事でよかった。よく頑張ったわね」
夕姫は、岩の隙間から出てきた悠奈を見つけると、駆け寄って片手で抱き寄せた。そして、重体の班長に気付いて、陽花とフィーネを呼ぶ。
すぐに応急処置に入るフィーネ。陽花は班長の状態を確かめると、馬竜を召喚し、悠奈に声をかけた。
「悠奈ちゃん。その人をこっちに。歩くより、スレイプニルの方が早いと思うから」
「ダメだよ、陽花さん。班長さん、意識が無い。落っこっちゃうよ!」
自身で騎乗して麓まで運ぶか? 陽花がそう思ったとき、自分が運ぶと名乗り出たものがいた。フィーネとリザベート、そして、徹汰の3人だった。驚く悠奈に、光の翼を広げて見せる徹汰。彼はフィーネと共に班長を両側から抱え上げると、リザベートを一応の護衛に、飛行しての搬送態勢を整えた。
「おっと、そうじゃ。これはよう生き延びたご褒美じゃ。疲労しておるじゃろう? もう少し動かねばならぬからの。まずは糖分補給。猪口令糖じゃ」
そう言って不意打ち気味にリザベートが悠奈の口にチョコレートを放り込む。徹汰は一瞬、驚いて後退さったものの、幸せそうな顔をする悠奈を見て自身も受け入れた。
翼をはためかせ、班長を連れて去っていく有翼の3人。陽花は傍らの悠奈にウインクを一つした。
「さて、悠奈ちゃん。余力があるなら、回復役としてもう少しつきあってもらうわよ?」
「勿論です」
最後に会った時と比べれば随分と前向きに、悠奈はそう答えて笑った。
背後から奇襲を仕掛けた夕姫と星嵐の不意打ちによって、アキレス腱を断たれた巨人はその膝を地面についた。
ヘルゴートと共に再度、振るわれる星嵐の月型刃が、巨人の顔を掻き毟り。その隙に撃退士たちが戦場を離脱する。発煙筒を牛図に投げ渡し、木々の間へと消えていく小梅。牛図はわたわたとそれを受け取りながら、巨人の回りを煙で囲む。
麻夜はずぶ濡れにされたお返しとばかりに、アウルの黒い鎖で巨人を縛り、その耳目をアウルの羽で塞いだ。撤収の時間稼ぎのつもりだったが、鎖を引き千切る巨人の姿に、呆れながらその場を去る。
学園の撃退士たちは4頭の熊型を討伐し、可能な限りの人員を救出して麓へ戻った。
山林には1体の巨人型と…… 助けられなかった者たちの、遺体の回収班だけが残った。
●
麓の指揮所に戻ると、既に負傷者の病院への搬送が始まっていた。
怪我のない悠奈であったが、一応、病院で検査をすることになった。搬送は最終便。巨人からの撤収戦につきあった為だが、徹汰と班長は既に搬送されたのかその姿はなかった。
「あなたが悠奈ちゃん? 大丈夫だった? 怖くなかった」
小梅がそう声をかけると、自分よりずっと幼い撃退士の姿に、悠奈は驚いた顔をした。あなたこそ、と尋ね返され、小梅は「大丈夫っ! だって、天才だもん♪」と胸を張ってその身を反らせる。
「こんなところで会うとは思いませんでしたよ。……それにしてもやはり兄妹。無茶な所、似てますよ」
星嵐がそう言うと、悠奈は複雑そうな顔をした。だが、その表情に険がないところを見ると、自分の中で整理がついたというところだろうか。
司は一瞬、躊躇をした後、悠奈に歩み寄り、その頭にポンと手を乗せた。
「……重体者の保護をしてくれて、ありがとう、悠奈ちゃん。……よく頑張ったね。お疲れ様」
はいっ、と笑顔で応える悠奈。それを見た司は、それ以上、何も言わない事にした。
兄、勇斗が抱いた葛藤について、司は知っていた。だが、それは勇斗自身が、自身の口で伝えるべきものだろう。