先に到着していた撃退士たちから屋内の状況を知らされた雪室 チルル(
ja0220)は、グッと握った拳を震わせ、許せない、と呟いた。
それを見た藤井 雪彦(
jb4731)は頷いた。雪彦も、この学園に来て『妹』と呼べる存在ができた。悠奈を『人質』に取られた勇斗の気持ちはよく分かる。
「許せない…… 許せないわ、絶対に。食べ物を粗末にする奴わっ!」
「あ、そっち?」
両手を突き上げガーッと燃えるチルルに苦笑を返しながら、雪彦がチラと勇斗へ視線を向ける。
そちらでは、葛城 縁(
jb1826)と彩咲・陽花(
jb1871)──勇斗の友人二人が、焦燥する勇斗を何とか励まそうとしていた。
「ゆ、勇斗君? こんな時こそ、焦ったらダメだからね? 皆で協力して頑張ろう!」
「そうだよ? 心配だろうけど、焦らず、作戦通りに、ね? 私たちで、絶対に助けだすから……」
無言で装具を調える勇斗に、言葉をかけ続ける縁と陽花。わかっています、と微笑を返す勇斗に、二人は心配そうに顔を見合わせる。
そこにやって来た郷田 英雄(
ja0378)が、『救出作戦』の概要を勇斗に伝えた。勇斗の配置は敵正面。救出を担当する2つの班が左右の配置につくまで、敵の注意を引くのが役割だ。
「了解です」
短く答え、侵入予定の出入り口に向かう勇斗。その背を無言で見送った天宮 佳槻(
jb1989)は、大丈夫なのか? と疑問を口にした。身内が当事者となった者は、捜査や作戦から外すのが鉄則だ。冷静な判断力を喪失する可能性があるからだ。
「だからこそ、だよ」
ポツリと陽花が呟いた。
勇斗は、悠奈を助ける為ならどんな無茶でも──最悪、自身を犠牲にすることすら厭わない。だが、作戦に組み込んでしまえば、生真面目な性質の勇斗は自分の意思を殺して作戦に従う。
「……そういう子なんだよ」
縁が呟き、哀しげに首を振る。
「妹の為なら平気で無茶をする、か。わからないではないな。俺だって……」
「……可愛い女の子を助ける為なら、身体を張ってでも守るからね!」
そんな重い空気を払うように、英雄がクールに、雪彦が陽気に、そんな事を言ってのけた。互いに目で通じ合い、笑顔で歯を光らせる二人。佳槻は小さく溜め息を吐くと、その場で黙思した。──アウルの成長を阻害せぬよう──それが学園の校風であるとは言え、捕まった新人たちも『引率者』たる教師も緊張感が無さ過ぎる……
「勇斗さん……!」
日下部 司(
jb5638)は勇斗に駆け寄り、呼びかけた。司は、悠奈たち3人の初陣となった依頼に共に参加したことがある。
「勇斗さん。悠奈ちゃんたちなら大丈夫ですよ。……彼女たちは『強い』です。だから、絶対、この作戦、成功させましょう」
最初、司が浮かべていた微笑が、言葉と共に真剣なものへと変わっていく。
勇斗は頷き、礼を言った。
●
撃退士たちは班を3つに分けると、異なる入り口から大型スーパー内へと侵入。それぞれ異なる方向からクラゲ型ディアボロへの接近を開始した。
その内の1班、縁と勇斗は姿を隠さず、クラゲを牽制する青葉の元まで真正面から近づいた。
青葉とひとつ視線を交わし、一人、数歩前に出る縁。光纏こそしているものの魔具は活性化しておらず…… その手を広げるようにしながら、まずは息を吸い、呼びかけた。
「悠奈ちゃん、沙希ちゃん。そして、どこにいるか分からないけど、加奈子ちゃん。安心して。絶対に助けるから、動いちゃダメだよ?」
その声に反応し、人質を掲げて見せるクラゲ。悠奈と沙希は額に汗を浮かべながら、それでも笑顔を縁に返した。縁は頷くと、そのままクラゲの注意を引き続けるべく、胸元から未使用の阻霊符──今、実際に透過を防いでいるのは青葉の阻霊符だ──を取り出し、ブラフとして見せ付けた。
「これが君を縛っている物なんだけど、解るかな? これがある限り、キミはここから逃げられない。だから、その子達に余り酷いこと、しない方が身の為だよ……?」
一方、その間にも、左右2班は敵への接近を続けていた。
その内の一つ、左側から接近するチルルと雪彦、そして、氷雨 玲亜(
ja7293)の3人は、飲食店のゾーンから服飾店を抜け、雑貨売り場の棚を遮蔽物にクラゲに近づきつつあった。
「さ〜て、可愛い女の子を泣かせちゃわないように、サクッといっちゃお〜♪」
いよいよクラゲのエリアに入る所で、小声でそう呟く雪彦。ピタリと動きを止めた玲亜が冷たい無表情で振り返る。
「……人質が『可愛い女の子』であることに、何か特別な意味でも?」
「ん〜? 強いて言うなら気合の入り方が違うというか…… あ、そう言えば、僕たちの班、冬っぽい名前の人が集まったね?」
雪彦の言葉に「そう言えばっ!」と驚くチルル。玲亜は雪彦の言葉を無視すると、身を屈めて棚の間を進んだ。
陰からそっと片目を覗かせ、敵の様子を窺う玲亜。……左班は、浮遊するクラゲの斜め後方まで到達していた。背後のチルルと頷き合う。初撃、チルルの『封砲』を放つには、もう少し前に出なければならない。
更に先に進もうとして、玲亜はふと『それ』に気付き、足を止めた。浮かんでいるクラゲから1本の触手が下に伸ばされ、その先端がピタリと床に付けられていた。……浮遊しているのに、なぜわざわざそんな事を? 疑問を抱いた玲亜が閃く。
「あれは…… まさか、振動を感知しているの……?」
人で言えば、耳を床につけているようなものか。……隠れていたはずの先生たちが何故見つかったのか、不思議ではあったのだ。移動の足音を捉えられたとすれば納得がいく。
同じ頃、調理場から惣菜売り場へと侵入していた英雄、陽花、司たち右班も、先頭の陽花が地に着いた触手をソナーと見極め、それ以上の接近を止めていた。
「……或いは既にこちらに気付いていて、いきなり攻撃してくることもあるかもしれない」
そう息を吐きながら、そっと陰から敵の方を窺う司。その視線に、悠奈が気づいた。司は手信号で動かぬよう、そして、もう少しだけ頑張るよう、サインを出す……
攻撃開始予定地点── クラゲの左右に配置を済ませて。チルルは手にした無線機のスイッチを一定のリズムでON、OFFした。
そのカチカチという音の符丁に、正面の縁たちは攻撃準備の完了を知った。行動開始の認識を勇斗と青葉と共有する縁。勇斗はそのまま何気なく無言で青葉に1歩近づき…… 何の前触れも無く、青葉の胸元に手を突っ込んだ。
「なっ!? ちょ、どこ触って……っ!?」
慌てる青葉の胸元から使用中の阻霊符を取り出し、おもむろにそれを破り捨てる。
「これがお前の透過能力を無効にしていた阻霊符だ! さっさと二人を放してどっかに行っちまえ!」
その行動はクラゲを含む誰もの意表を突き…… 結果、『タウント』を成功させた。そのまま剣を活性化し、真正面へと歩き出す勇斗。逃げろと言ったり、向かってきたり、勇斗の整合性のない行動に混乱したクラゲがとっさに人質を盾にかざす。
それを見たチルルは目を見開いた。今なら人質を巻き込まず、触手だけを狙い撃てる。
「今よ! ……まとめて薙いでやる!」
「タイミングが予定より早い……っ」
皆が動き出すのを見て、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武、と、四神の加護を結界として展開する佳槻。突撃の時を今か今かとうずうずしながら待っていたチルルは物陰から勢い良く飛び出すと、手にした大剣の剣先にアウルのエネルギーを集中。その剣先を力強く、思いっきり突き出した。
同時に、反対側から司も飛び出し、一歩大きく踏み込みながら、活性化した騎兵槍の穂先に収束したエネルギーを前方へと放射する。左右から放たれた『封砲』による一撃が、敵前で鋏の様に交差して。吹雪の様に白く輝くエネルギー波が細氷を煌かせて消えた時、人質を捕らえた触手は本体から完全に千切られていた。
落下状態から器用に着地し、だが、こてんと尻餅をつく悠奈。触手に絡まれたままの沙希は受身も取れずに、奇妙な笑い声と共に落下して…… 床に激突する直前、走りこんでいた雪彦によってスライディングキャッチされた。
「大丈夫かい? お待たせ、怖かったよね〜」
「はいっ! ありがとうございますっ! ……まさか、生涯にお姫様抱っこされる日がこようとはっ!」
「元気だね〜。でも、もうちょい怖いから、気をつけて〜」
「はい?」
しゃがんだ姿勢から飛び起き、走り出す雪彦。それを叩き潰すように振るわれた触手がすぐ側の床面を砕く。沙希の悲鳴を曳きながら後退する雪彦を追撃するべく伸ばされる触手は、だが、退路に立ち塞がった玲亜によって阻まれた。背を伸ばして直立し、人差し指と中指に挟んだ召炎霊符を眼前に構え…… その玲亜が『ライトニング』で生み出した電光に打ち据えられた瞬間、触手は弾かれたようにその『手』を引っ込めた。礼を言いつつ玲亜の傍らを駆け抜ける雪彦。玲亜は迫る触手を打ち払う様にぴしゃりと雷でもう一撃し。その横で、全力全開、意気揚々としたチルルが2発目の封砲を放つ。
「『スレイプニル』、行って! 悠奈ちゃんたちをお願い!」
陽花は攻撃開始と同時に馬竜を召喚すると、完了次第、即座に敵前へと突っ込ませた。それが駆けつけるより早く、尻餅をついた悠奈へ振り下ろされる触手。直前、無手から散弾銃を活性化させた縁がその触手を『回避射撃』で狙い撃ち。妹に駆け寄った勇斗がその触手を『庇護の翼』で受け弾く。
「日下部!」
「了解!」
一方の右。走り込む英雄の声に応えて、得物を手にした司が器用に携帯を片手で操作し、登録された加奈子の携帯をコールする。
戦闘の喧騒の中、鳴り響く『超○貴』の呼び出し音。耳ざとくそれを捉えた英雄が、近くの陳列棚の下の布をがばちょと捲った。
「……見つかっちゃいました」
「いいセンスをしてるじゃないか。……しっかり掴まんな」
てらいもなく首に抱きついてきた加奈子を抱え上げ、英雄もまた後ろへ跳び下がる。それを掴み取ろうとまるで鞭の如く振るわれた触手は、だが、間に入った司によって阻まれた。騎兵槍を右手に保持したまま、『シールド』で活性化した盾ごと体当たりを仕掛ける司。その間に、陽花は馬竜に悠奈の襟首を咥えさせると、一気に後方へと離脱させた。
「人質全員の離脱を確認」
佳槻は
『四神結界』を維持したまま、『鎌鼬』で自身の周囲に風を舞わせた。その風を手を振って操り、前衛の味方を越えて投射する。放たれた風は風の刃と化して、地につけられていた触手の1本を半ばから断絶した。人質を失い、撃退士たちからの猛烈な攻撃に晒されたクラゲが天井に逃げようとする。だが、阻霊符の効力をなくしたはずの天井は、そのクラゲの透過を阻んだ。こんなこともあろうかと、英雄と玲亜の2人が保険として阻霊符を多重に起動しておいたのだ。
「さあ! ここからはあたい達の独壇場よ!」
「人質がいなくなっちゃえば遠慮は無用。その触手、いつまで再生していられるかな?」
めっちゃ良い笑顔で突撃していくチルルに応じるように、その手に機械剣を展開した陽花が挟み込むように距離を詰める。キラリとチルルの奥歯が光った直後、弾け飛ぶ触手の3本。そこへ、悠奈を置いて宙を駆け戻ってきた陽花の馬竜が空中から雷光で薙ぎ払う。
「いくら柔らかくても…… いいえ、柔らかいこそ、斬撃は効くでしょう?」
玲亜は暴れるクラゲとの距離を徒歩で維持しつつ、灰燼の書を開いて頁から炎の剣を生み出すと、手を振って触手の根元へと投射した。放たれた力の塊が次々と命中し、触手の根元を、クラゲ本体を立て続けに打ち貫く。
触手を纏めて失った敵に止めを刺すべく、巨大な大剣を活性化させた英雄が一気に敵へと肉薄し…… 直後、ズルリと再生された触手が数本、英雄の身体に絡みつく。
英雄は、ニヤリと笑った。
「ハッ。そんなもん、俺らには脅しにもならん。……ユッキー!」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! ……切り裂け、シルフィー!」
掴まった英雄の反対側から駆け寄ってきた雪彦が、風の刃でもって英雄を捉えた触手を切り裂いた。慌てて引っ込めようとする触手を、司が槍の穂先で床へと縫い付け…… 解放された英雄が触手の切れ端を捨てながら、大剣を薙ぎ払って触手を複数、引き千切る。
その衝撃に、棚の列を薙ぎ倒しながら床へと倒れ込むクラゲ。そこへ佳槻の風刃が叩き込まれて、大きく本体に裂け目が出来る。
再び浮遊しようとしたクラゲは、だが、眼前に崩れ落ちてきた棚やら敵やらに驚きつつも、その機を逃さず飛び乗った縁の足の裏に踏まれた。
「悠奈ちゃんたちと…… あと私の『食べ物の恨み』だよ!」
足元に向けた散弾銃を立て続けに連射する縁。その縁を引っくり返しつつ浮遊して逃げようとしたクラゲは……
だが、途中で力尽き、食品棚の間に落ちると、そのまま二度と動かなくなった。
●
「見たかー! 人類の、食べ物の恨みー!」
沈黙したクラゲの死骸の上に立って、大きく両手を突き上げるチルル。英雄は「食べ物の恨みは恐ろしいな」と苦笑しつつ、床に落ちたアンパンの袋を拾い開け、その臭いに顔をしかめる。
「……敵の兵站を潰すのは戦の定法とは聞くが、果たしてただのディアブロ風情にそんな上等な意志があるのかどうか」
腐れたアンパンを棚へと戻す英雄の呟きに、玲亜もまた沈思した。
『人質を取った』という膠着状況を利用するだけの知能があのクラゲにはあった。果たして、今回のクラゲの行動は独自行動だったのか。それとも上の指示だったのか……
「悠奈ちゃん、よくやったよ。あの状況で、自分にやれることきちんとしてたんだよ」
「一度の失敗で挫折を感じる必要はないんだからね。経験に変えればいいんだから」
助け出された悠奈の周りには、こぞって悠奈の頭をなで続ける陽花と縁の姿があった。
「無事で良かった…… でも、女の子なんだし無茶はしないでね?」
普段の飄々とした態度と異なり、生真面目な表情で言う雪彦。沙希と加奈子がコクリと頷く。
「……勇斗さん、お疲れ様でした。よかったですね、皆、無事で」
そんな光景に微笑を浮かべて勇斗を振り返った司は、だが、その表情を見て硬直した。その勇斗の視線の先で、悠奈が言う。
「大丈夫です。お兄ちゃんや皆さんを信じてましたから!」
……これは釘を刺しておいた方が良いかもしれない。佳槻が一歩前に出ようとする。だが、それより早く、勇斗が悠奈の前に立っていた。
パンッ、と乾いた音がして。痛み、というより熱さに頬を押さえた悠奈は、自分が兄に頬を打たれたと気づいた。
「なにをやっているんだ、お前は! 遊びでやっているなら帰れ!」
一息にそう叫び、頭をくしゃっと掻きつつ踵を返す勇斗。悠奈は何が起こったのか分からず、呆然とその背を見送った。
これまで一緒に生きてきて。兄に叩かれたのは、初めてだった。