「これが本物の戦場…… 本物の、戦い……」
避難民でごった返す街中の道の上。火の粉を孕んで風の舞う中、竜見彩華(
jb4626)は息を呑んだ。
前方の空には巨大なクラゲ型── 絶句し、息を呑む彩華の背を、恐慌を来たして我先に逃げ始めた人々の悲鳴と怒号が叩く。
「パニックを起こすと敵に狙われます。皆さん、落ち着いて避難してください!」
5班で人々の避難誘導に当たっていた音羽 聖歌(
jb5486)がガードレールに飛び乗り、警笛と共に呼びかける。だが、既にパニックに陥った人々の耳には、いや、意識には届かない。
「こんな…… お兄ちゃんも、先生もいないのに…… 大丈夫かな……」
4班、福島 千紗(
ja4110)は魔法書を活性化してみたものの…… 家ほどもあるクラゲの大きさに不安そうに声を洩らす。
敵の初手は聖歌の予想通り、先程のクラゲと同様、8本の触手による『底引き網』のようだった。振り子の錘の様に振り下りてくるその様は、まるで巨大なハンマーだ。
「来るぞ! 阻霊符の準備はいいか!」
聖歌は中等部男子に声をかけると、自らも阻霊符を傍らの電灯に張り、力を込めた。
クラゲは道路上へと降下しながら道幅一杯にその触手を提げ下ろし…… 透過能力が無効化された電柱、立ち木にそれを引っ掛け、糸を引っ掛けた凧よろしくつんのめって地面へ激突する。
巻き起こった突風に手をかざし、千紗はハッと我に返った。乗り捨てられた車が並ぶ道の上。かざした指の隙間に、気絶した避難民たちの姿が見える。
「は、早く助けないと……っ!」
覚悟を決め、足を前へと踏み出す千紗。彩華もまた覚悟を決める。……本当は怖い。とても怖い。怖くて、怖くて仕方ないけど、助けるべき人たちを見捨てて逃げるなんて、それ以上にありえない。
「だって、私たちはもう守られる側じゃない。守る為に撃退士になったんだから!」
彩華はスレイプニルを召喚すると、傍らの彩咲・陽花(
jb1871)にも呼びかけた。それに応じ、自らも馬竜を召喚する陽花。馬竜は『追加移動』の能力を持っている。離れた場所に倒れた人を助けるのにも有用だ。
「ん、まずは倒れている人たちの救出だね。スレイプニル、お願い。一番遠くで倒れている人を安全な後方まで運んでね」
「勇斗さんも、気絶した人の救出からお願いします!」
彩華の声を受け、中盤に倒れた人を助けに走る勇斗。聖歌もまた周囲の味方に救出対象が被らぬよう声をかけつつ、近場の要救助者に向けて走り出す。
2頭のスレイプニルが横を通り過ぎる傍らで、倒れたサラリーマンに肩を貸す千紗。本当はおにいちゃん以外の男なんて触りたくもないが、今はそんなことなど言ってられない。
前線まで辿り着いた2匹の馬竜は、地に墜ちて蠢くクラゲを背景に負傷者を咥え上げると、電光の如く踵を返して疾風の様に走り出す。召喚主たる彩華と陽花は逆に中盤を越えて前進し、倒れた人を守りつつ馬竜が戻ってくるのを待つ。
「なんや、またキモイのが出て来おったなぁ。まぁ、ええ。倒れた連中の救助が完了するまで、わいらはそのサポートや!」
そんな馬竜とすれ違いつつ、『番長』御神 優(
jb3561)がクラゲに向け突っ込んでいく。犬耳悪魔アルクス(
jb5121)も犬尻尾を振り回しながら、一緒にその後へと続く。
「僕も行くよ! 僕なんか見た目でどうしても悪魔だってわかっちゃうし、はぐれ、って言っても、救助に回ったらパニックにさせちゃいそうだもん」
「……はぐれも色々大変やなぁ」
「そうなのかなー? あ、クラゲの足止めには参加するけど攻撃を避けるのは無理そうだから、僕は優くんの後ろについてくね!」
アルクスに毒気を抜かれつつ、「しゃーねーな」と兄貴気質で前に出る優。
体勢を立て直したクラゲはまず、その優と、陽花に触手を向けた。
「早速かい。鬼さんこちらやで!」
優は迫り来る触手に気付くと、車のボンネットに背を乗せ、クルリと反対側へ身を転がした。さらに襲い来るもう1本をステップでかわしつつ、『車の迷宮』の只中へとその触手を引っ張り回す。
と、追いかけてきているはずの触手が消え…… 直後、車の下から飛び出してきた。優はその一撃をとっさに受け弾くとそのまま手で引っ掴み、「こういうんは喧嘩で慣れっこやで!」と活性化した脚甲で踏み千切る。
一方、陽花は、狭い車間を抜けてくる触手に対して片足を一歩前に出し、斧槍を薙刀の如く下段に構えた。足元に飛び迫る触手を捌いて後、薪割りの如く振り下ろす。ダンッ、と刃が落ちた瞬間、切り飛ばされて宙を舞う触手。陽花は1人目を運び終えて戻ってきた馬竜に新たな救助の指示を出し……
背後を振り返ったその一瞬の隙。切られて動きを止めたはずの触手がずるりと再生し、陽花に飛びつき、巻きついた。
「なっ……!?」
そのまま高く持ち上げられる。驚いて主人を見上げる馬竜に、陽花は救助活動を継続するよう指示を出し。触手の強い締め上げに小さく呻き声を洩らす。
状況を確認したアルクスは車の間を縫うように駆け抜け、ボンネットから屋根へと駆け上がって一気にそちらへ跳躍した。そのまま白き大鎌を下から振り上げ、陽花を捕らえた触手を切り飛ばす。
「おねーさん、無事!?」
「気をつけて! 再生するよ!」
へ? とアルクスが目を瞬かせた瞬間、再生を終えた触手が、今度はアルクスを捉えた。足首を掴まれ、ちゅうぶらりんになったアルクスは一瞬「おぉ」と喜んで…… 直後、歩道に面した店のシャッターに一直線に投げつけられた。……まるで邪魔な物体を進路上から除けるように。
「ちょ、おい、こら。よそ見すんなや。お前の相手はわいらだろうが!」
そのまま撃退士たちを無視するように、避難民へ向け前進を始めるクラゲ。負傷者を運び終えて戻った千紗は、「うぅ、ウネウネ気持ち悪い……」と呟きながら、魔法書を開いて手をかざし、生み出したアウルの剣を投射した。1本、2本と突き刺さる光の剣。だが、それでもクラゲは怯まず、その前進は止まらない。
逃げ惑う避難民たちもそれに気付いた。「こっちに来るぞ!」との叫びが上がり、ますます恐慌を来たして混乱する。
「落ち着いて! 慌てず、騒がず、避難をお願い! 無駄な怪我をして動けなくなったりしたら……!」
前衛4班から搬送されて来た負傷者たちの傍らで、風間 銀夜(
ja8746)は警笛を吹き鳴らしつつ、懸命に呼びかけた。
だが、恐慌を来たした人々は耳を貸さない。否、耳を貸す余裕がない。いくら撃退士と言ってもその見た目はただの学生──若造の集団としか見えない。
(ダメだ。まずは俺たちを信頼して貰わねぇと…… 撃退士としての力か、その力を象徴する何か……それもインパクトのあるものを示せれば……)
普段のオネェ言葉も忘れて思案する銀夜。そこへ負傷者を運んで来た彩華と聖歌、そして馬竜とが現れて。
それを見た銀夜が満面の笑みで、何かを思いついたようにポンと手を叩く。
かくして、逃げ惑う避難民たちの頭上を、馬竜がゆったりと走り抜けた。
一瞬、パニックになりかけた人々も、その馬竜が一人の少女──彩華の傍らに舞い降り、かしずく姿を見て呆気にとられた。彩華は優雅に、その実、内心どきどきで和むように馬竜を撫でると、注目が自分に集まったのを確認してから、人々に呼びかける。
「私もこの子と一緒に皆さんを守ります。どうか私たちを信じてください!」
そこまでが限界だった。シティーガール途上の彩華。注目されるのはまだ苦手だ。
「勇斗さんの、皆の命を大切にしたいという想い…… 決意を伝えてあげてください」
で、拡声器を押し付けられた。勇斗は暫し戸惑うと、躊躇いがちに「負けないで」と口にした。
「僕らは負けない。あのクラゲは必ず喰い止める。だから、あなたたちも負けないで。恐れたり、泣き喚いたり、諦めたり…… それこそ天魔の思う壺だ。奴等は人間を家畜程度にしか思っていない。だけど、僕は知っている。人間が持つ気概を、尊厳を、その強さを。僕は知っている。貴方たちは人間だ。決して弱い家畜なんかじゃない」
勇斗はそれだけを叫ぶと、『抜剣』しつつ踵を返した。
銀夜と聖歌は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。すかさず落ち着いた声音で人々に呼びかける。
「では、皆さん。慌てず、騒がず、避難を開始してくださいな。アタシは守りに特化しているの。だから、いざという時はアタシが何があっても貴方たちを守るわ」
「お子さん連れの方は手を放さないように。歩ける方は歩いてください。逸れた方は私たちが避難所まで送り届けます。私たちの手が必要な方は遠慮なく申し出てください」
そして、人々が完全に落ち着いたのを見て取ると、二人は誘導を彩華と他の撃退士たちに任せ、自らは得物を手にクラゲへ向け歩を進めた。
「アタシより年下の子が頑張ってるんだもの。アタシも頑張らないと」
斧槍を活性化しつつ、呟く銀夜。勇斗とは妹がいるということで意気投合した仲でもある。『妹の為にも生きて帰る』ことを互いに確認し合いもした。まぁ、途中からは銀夜の独演会になってた気もするが。
「姉貴や悪友なら、こんな事態でももう少し上手く対応できるんだろうな、と。ずっとそんな事ばかり考えていた。……俺は、俺なりに頑張るしかないのにな」
巨大な戦斧を手に、銀夜と共に駆け出す聖歌。彩華はそんな二人の背を見送りながら『ストレイシオン』を召喚しつつ、人々に呼びかける。
「怪我人、子供、お年寄り、妊婦さんを優先して、できれば手伝ってあげてください! 全員が無事に避難するには、皆さんのお力が必要です! ご協力をお願いします!」
●
クラゲ出現の報せを受けて戻ってきた叶 心理(
ja0625)は、戦場の状況を確認すると、まず真っ先に、負傷者のいる3班の所へ駆け寄った。
クラゲが柔らかかったためか、命に関わるような重症者は意外と少なかった。それでも、弾かれた拍子に車や地面にぶつかって大怪我をした者も少なくない。
3班員の説明を聞くと、心理は怪我の重い者から『応急手当』を施していった。心理のその行動に、3班員は驚きを隠さなかった。
「いいんですか? クラゲと戦う撃退士にこそ、回復は必要でしょうに」
「……目の前で誰かに死なれるのはもう御免だ。全てを救えるとは思っていねぇよ? だけどよ、手の届く範囲の命くらいは守ってみせてやりてぇじゃねぇか」
心理の手当てを受けた負傷者の表情が、苦しげなものから安らかなものへと変わる。心理はホッと息を吐くと、負傷者の治療に全力を注いでから、洋弓を活性化し、立ち上がった。
「それによ、心配する必要もないみたいだぜ? 上手くやっているよ、後輩たちは」
千紗が放つアウルの剣が、次々とクラゲに突き刺さる。
その支援を受けつつ、前衛の撃退士たちはクラゲに向かって突進し、前進を続けるクラゲに対して全周から攻撃を開始した。
正面から突っ込んだ銀夜と聖歌は、手にした得物に銀色の炎を纏わせると、クラゲの前進を阻むべく正面の触手を切り払った。大きく振り払われた斧の刃。派手に触手が切り飛ばされる。
クラゲは即座に触手を再生させると、二人に対して反撃に出た。銀夜と聖歌、二人が展開した『シールド』ごと巻き込みにかかる敵。聖歌は得物を剣に変更すると、触手の隙間に刃をねじ込み、捻って触手を斬り千切る。
銀夜は敢えてそのまま触手に捉われると、その笑みに愉悦を隠さず、ディアボロへの憎悪を吐き出した。
「これで暫くテメェの相手をできるってわけだ。刻んでやるよ、クラゲ野郎……!」
絡まれたまま、目の前の本体に向けてアウルの槍を投射する銀夜。1発、2発と突き刺さる光の槍。だが、クラゲは何事もないように銀夜への締め付けを強くする。
それを助けようと前に出た千紗に向かって、振り下ろされるクラゲの触手。瞬間、目を見開いた千紗の眼前で、後方から飛来したアウルの矢がその触手を撃ち弾く。
「よう、宴もたけなわだな。手ぇ貸すぜ」
振り返ればそこには洋弓を手にして車上に立つ心理の姿。矢で触手の殴打を逸らした心理は、そのまま流れるような所作で次発の矢を番えて、放つ。
「デカイ的だ…… ブヨブヨしてて、普通の矢はあまり有効そうじゃねぇな。だが……」
静かに息を整え、精神を集中させる心理。その横では、陽花とアルクスがクラゲの微妙な変化に気付いていた。
「あれ……? もしかして、クラゲの本体、萎びてない?」
無限の回復などありえない。触手の再生は本体の生命力を削っていたか。
陽花とアルクスは頷き合うと、その場を離れて左右に回った。陽花は避難民搬送を終えたスレイプニルに指示を出し、クラゲの背後に回るように空中を駆けさせた。陽花の陽動に気を取られ、背後を空ける敵。上空から逆落としに降下した馬竜が敵本体に『ブレス』を放つ。
アルクスもまた跳躍して『闇の翼』で空へと駆けた。手にした鎌を白から漆黒へと変え、その腕に纏った闇の力を刃に乗せて触手の根元へと振り放ち。纏めて数本の触手が千切られ、本体が一層やせ細る。
「さぁ、このまま一気に決めにかかるよー! ……キミもご主人様の所に人間を届けるのがお役目ってことなんだろうけど、届け物を大切にしないような奴に渡すわけにはいかないよ!」
先ほど雑に投げられたことを根に持ったのだろうか、クラゲにそんな言葉を投げかけるアルクス。その頭上、ビルに上った優がクラゲの本体へとダイブする。
「わいの一撃は効くでえぇぇぇーっ!」
本体の上でボヨンと弾んで、そのまま気を練り、白光の拳を打ち下ろす優。クラゲの軟体がその衝撃を受けてたゆんとたわみ、跳ね飛ばされた優が地に落ちる。
だが、同時に撃ち込んだ気──アウルの力は、クラゲにダメージを与えていた。そこへ、弓を引き絞った心理が『闇払』を打ち放ち。蒼き破魔の稲妻を纏いし矢の力がクラゲを大きく撃ち貫く。
その間、千紗が放った電気によって触手から解放された銀夜が、再び得物を斧槍に変えて触手に向かって猛進し。聖歌もまた『小天使の翼』で車上から宙に舞うと、敵本体を周回しながら炎状のアウルを浴びせかける。
多数の撃退士に纏わり付かれて、クラゲは心底辟易したようだった。そして、戦況に利あらぬことを判別できるまでに追い詰められていた。
クラゲはその傘を大きく『羽ばたかせ』て30mまで上昇すると、誰ひとり人間を捕まえることもできないまま、前線方面に向けて撤退を開始した。
「逃げた……?」
撃退士たちより早く状況を察して、避難民たちから歓声が上がる。張り続けていた気が緩んで、彩華はぺたりと座り込んだ。
「ま、守れた……んだよね、私たち…… よかった……! 怖かった、怖かったんだよぅ……っ!」
緊張から解放され、泣きじゃくる彩華。感極まった陽花は思わず勇斗に抱きついて。初心な勇斗は照れてその顔を赤くした。