●蒼邪の光雨
「……ッ」
光坂 るりか(
jb5577)が、唇をきゅっと噛む。
レインのもとに駆けつけた久遠ヶ原の撃退士たちは、その凄惨な光景を目撃してしまった。
死体、死体、死体。
血に染まったヴァニタスの周囲には、志半ばに力尽きた撃退署員たちが、絶望の表情を浮かべて転がっていた。
「これみんな、さっきまで生きてた人間だってのかよ……」
緋野 慎(
ja8541)の赤い瞳が、瞋恚に揺らぐ。
「ちくしょう……絶対許さねぇぞ……!」
一連の事件で、レインが人を殺すことは無かった。
けれどそれは、少女の優しさでも何でもない。
ただの幸運。ただの気まぐれの結果に過ぎなかった。
本気となったこの怪物を野放しにするのは、あまりにも危険過ぎる、と慎は思う。
るりかが路傍の死者から視線を上げ、血だまりに立つ少女をキッと睨み付ける。
「決着をつける時、ですね」
「お前を逃がしたら、お前はまたたくさんの悲しみや憎しみを生む。だから絶対に逃がさねぇ、ここで終わりにしてやる!」
撃退士の刺すような視線を、少女は真正面から受け止めた。
「あははっ。ここで死ぬのは、あなたたちのほうですよ。そこに転がってるゴミ人間みたいに、すぐにずたずたにしてあげます」
殺意で濁った青い瞳を細め、レインが笑う。
「残念だよ……キミみたいに可愛い子を、消さなきゃいけないなんてねぇ……☆」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が飄々と言い放ち、アサルトライフルを召喚。その銃口を、青髪の少女に向ける。
終劇を、もたらす為に。
「約束通り遊びに来てあげた、ぞ……存分に殺し合おう、か。レイン」
アスハ・ロットハール(
ja8432)がヴァニタスの正面に立ち、和弓にアウルの矢をつがえた。
呼応するように、射撃組がそれぞれの弓や銃を構える。
撃退士がタイミングを揃え、レインに一斉砲火を浴びせようとしたところで、
レインが、両手を前に突き出した。
「遅いですよ」
先手を獲ったヴァニタスの双掌から、青黒い光が噴き荒れる。
瞬間、ケイ・リヒャルト(
ja0004)の脳裏に電撃が走った。
「――みんな離れて! 広範囲スキルが来るわッ」
ケイの叫びを掻き消すように、蒼光が爆発。
魔女の両手に収束された膨大な魔力が拡散し、微細な光の流星群となって、撃退士に殺到する。
桐村 灯子(
ja8321)が読んでいたとおり、それはレインの名を体現する、雨のような魔術だった。
光の豪雨は範囲内の床を穿ち、死体を粉々に消し飛ばし、そして、幾人かの撃退士の身を貫いた。
これが、ヴァニタスの本気の攻撃。そして恐らくは、レインが保有する最大級の攻撃魔術。
ケイの呼びかけで咄嗟に散開しなければ、この一撃で全滅していたかもしれない。そう思えるほどの、凄まじい威力だった。
だが、光雨を浴びて血まみれになりながらも、鈴木悠司(
ja0226)は立ち上がった。
「倒れない。逃がしもしない。ここで、これで、終わらせてみせる……!」
闘気を解放した悠司が床を蹴り、レインへと一直線に疾走する。
これほどの破壊力を持った攻撃、無制限で撃てるものではないはずだ。インターバルか、使用限度はあるに違いない。
ならば、次の光雨を発動される前に、短期決戦で討ち取るのみ。
「あはは! そう簡単に近づかせると思ってるんですかぁ!」
悠司にとどめを刺そうと、レインが蒼光を宿した右手を振り上げた。
ひゅん、と鋭い矢音が空を裂く。
灯子の放った矢が、レインの足元に向かって飛来する。
牽制の矢を、レインは思わず飛び退いて回避してしまった。
「……放て」
レインの意識がわずかに逸れたのを見逃さずに、アスハが攻撃の合図を出す。
微かな勝機を手繰り寄せなければ、この化物を倒すことなど到底できない。
ジェラルド、ケイ、るりかが銃を同時に構える。
一斉攻撃が来る、とレインは読んだ。
けれど、三人の銃撃は、レインの頭上へと放たれた。
「なっ――!?」
撃ち砕かれた天井面が、真下のレインに落下する。
レインにとっては、完全に予想外の攻撃。
コンクリの塊はレインが手で払っただけで砕け散ったが、彼女の注意と視界を数瞬だけ奪うことに成功した。
フェイントに乗じて、悠司が正面、慎が窓側、オーデン・ソル・キャドー(
jb2706)が壁側から、レインへと迫っていく。
同時に襲い掛かる、三人の戦士。
誰を攻撃すべきか、隙を突かれたレインは、一瞬だけ判断に迷ったはずだ。
その一瞬が、刹那の死闘では命取りとなる。
鬼道忍軍の慎が、壁走りの要領で窓面を駆け抜け、ヴァニタスの側面に一気に飛び出した。
聖爪を装着した右腕が、レインの脇腹に叩き込まれる。
「くぅっ……、このっ!」
レインが反撃の魔術を放つ――より速く、少年忍者は迅雷の速度で離脱。
ヴァニタスが慎に気を取られた瞬間を狙い、逆サイドのオーデンが大きく踏み込んだ。
神速の刃が一閃。
オーデンの剣がレインの胴を袈裟懸けに斬り裂き、少女の体から血飛沫が噴き上がる。
よろめくヴァニタスに、斧槍を構えた悠司が突進する。
真正面から突撃する、と見せかけて、悠司は手前で跳躍。
悠司の全身全霊を傾けた一撃が、レインへと振り下ろされる!
鮮血の尾を引いて、レインが後退。
右肩を深々と裂かれ、態勢を立て直そうとしたレインに、いくつもの銃弾が飛来する。
銃撃を浴びせつつ、赤黒い闘気を纏ったジェラルドが間合いを詰めてく。
接近する阿修羅を迎撃しようと、レインが青黒い光の球体を飛ばした。
放たれた光弾は、これまで観測されたものより大きく、速かった。
直撃すれば大ダメージは免れない。
「――させません!」
ジェラルドの前方に、るりかが防壁陣を高速展開した。放たれたレインの光弾の衝撃を、アウルの壁が和らげる。
併走するアスハが魔断杭を発動。攻撃直後の隙を狙い、巨大化したエネルギーブレードで刺突を繰り出す。
近接戦闘に特化した魔術師の刃を、ヴァニタスは寸前で回避。
が、その間にジェラルドとるりかもレインの懐に踏み込む。
ジェラルドの爪撃とるりかの連続蹴りとが、レインの華奢な体を痛めつけていく。
三位一体の連撃は、格上であるレインを確実に追い詰めていた。
血反吐を吐きながらも、ヴァニタスが吼える。
レインが対近接用に編み出した光槍が、三人を迎撃。盾ごと貫き、撃退士を串刺しにした。
青黒い光の槍を引き抜かれ、アスハがその場に倒れ伏せる。
レインが二発目の光槍を放とうとしたところで、
少女の右手の甲に、素早く射出されたアウルの矢が突き刺さった。
「レイン……今までの借り、返させて貰うわ」
ケイが弓銃を連射し、矢の雨を降らせていく。
正面の援護射撃を受けて、レインの横合いからオーデンが再び剣を振るう。
オーデンの回転斬りを、光の槍を掲げたレインが辛うじて受け止めた。
「くっ……!」
火花を散らす接触面を、オーデンの大剣がじわじわと押し込む。
激しい鍔迫り合いの中、悪魔剣士が唐突に問う。
「……貴女の名は、どんな意味を持つのですか?」
同族の眷属であるレインに何か思うところがあるのか、あるいはただの思いつきか。
オーデンが歌うように続ける。
「全てを洗い、押し流し、山さえも崩してしまう、激しい雨。哀しみを隠し、弱い自分を包んでくれる、庇護の雨。貴女にとって、その名前はどんな雨を指すのでしょうね?」
「……あははっ」
オーデンの言葉に、雨の名を冠するヴァニタスが皮肉気に笑う。唇から血が零れるが、少女は気にせず言葉を吐きつけた。
「そんなの決まってます。あたしは苦しみの雨です。ずっとずーっと降り続けて、無力な人間どもを苦しませる災禍の雨。それが、ディアナ様に与えられた唯一無二の意味です」
レインの答えに、オーデンが呆れたように嘆息する。
「やれやれ……まあ、私には関係の無い事でしたか。いずれにせよ、人間界でも古くから言われているのでしょう? 『止まない雨は無い』……つまり、そういう事です、よっ!」
オーデンが剣を掬い上げるようにして、光槍を弾き払った。
体勢を崩したレインの側面から、二条の刃が伸びる。
会話の間に近づいていた灯子が、双剣で斬りかかったのだ。
不意討ちを喰らい、レインがさらに後退。
壁際まで下がったレインを、灯子が非情なまでの冷静さで追い詰める。
「逃げ場は無いわよ」
「えへへ。逃げ場が無いのは、貴女たちの方ですよ」
通路の片隅まで後退したレインが、残忍な笑みを浮かべて、手を前にかざす。
重傷を負いながらも、ヴァニタスは撃退士を一ヶ所に集めていた。
広範囲攻撃で、相手を一掃するために。
二発目の光雨が、撃退士に降り注ぐ。
通路内には、惨劇の二幕目が開演していた。
けれど、撃退士は全滅したわけではなかった。
レインが窓の外に視線を向ける。
撃対署の屋外。戦場となっている三階通路の窓側を、はぐれ天魔の撃退士が飛翔していた。
「また派手にやりましたね……ですが、まだ終わりじゃありません」
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)の掌に紫電が迸る。
「今回は、以前受けた悔しさを返させて頂きます」
召喚した雷の槍を、堕天使が投擲。放たれた雷槍ブリューナクは窓ガラスをブチ破り、屋内組にとどめを刺そうとしたレインに衝突した――ように見えた。
「あはははっ! あたし相手に魔法で勝負するなんて無駄ですよ!」
天冥の差で、ブリューナクの威力は増している。だが、敵を貫くはずの雷撃は、不可視の盾に遮られるように、レインの目の前で弾けていく。
減衰され、か細い電光と化した雷槍は、レインが掲げた右手を浅く傷つけるに終わった。
所詮は悪あがきだと、レインが愉快そうに笑う。
ディアナに下賜された魔力に、よほどの自身があるのだろう。
「この程度であたしを倒そうなんて――」
余裕を滲ませたレインの言葉に、一発の銃声が重なった。
ナイトウォーカーの天耀(
jb4046)が、雷槍の軌道に合わせて弾丸を発射したのだ。
エリーゼのフェイクに騙されたヴァニタスの胸を、本命である天耀の銃弾が穿つ。
天耀の一撃を受け、レインが胸を押さえて片膝をついた。
「くっ……!」
最後の最後で、レインは油断を誘われてしまった。ディアナに厳命されていたにも関わらず、心のどこかで、まだ撃退士を甘く見ていたのだ。
自身を恥じる気持ちは、すぐに撃退士への殺意に変換された。
「やってくれましたね……! 二人まとめて消してあげますよッ」
レインが屋外の飛行組に向かって、光雨を放つ構えを取る。
ここまでは作戦通り。
天耀が、PDWを握り直す。
「エリーゼ、後は頼んだぜ」
「……はいっ!」
意志をかわした二人が、作戦を続行。
エリーゼから離れた天耀が、空中を駆けながらレインを撃ち続ける。
天耀を見上げる青い瞳に宿るのは、怒気と殺意と、そして、狂信。
(あいつが気づいてるのか知らねえけど、今回もディアナの手駒として都合良く使われただけなんだろうな……)
だとすれば、彼女の想いは。
戦闘に余計な思考を断ち切るように、かぶりを振って天耀が空中移動する。
「……情けをかける気は微塵も無え。全力で仕留める――それだけだ」
手を緩めることなく、天耀が銃を連射。
少しでも、レインの意識を自身へと向けさせるために。
「まずはあなたからです!」
単体攻撃に切り替え、レインが光弾で天耀を撃ち落した。
物理攻撃に優れた天耀から先に潰す。この局面の判断としては、間違っていない。
誤算があるとすれば、それは――。
レインの側面に回りこんだエリーゼが、術式魔装を展開。周囲の収束された魔力が、ダイヤモンドダストのように煌く。
さらに天使は、攻撃力に特化した光焔の槍を呼び起こした。
純白の炎槍レヴァンティンを、レインめがけて一直線に飛ばす。
「以前と違い、現在の私の最大攻撃力での攻撃です! 前回同様、防げるものなら防いでみてください!」
レインも青黒い光槍を召喚し、エリーゼの炎槍を迎え撃つ。
槍と槍とが衝突する。
拮抗する魔力のぶつかり合いの末、片方がついに砕けた。
青い瞳が見開かれる。
「うそ……?」
驚愕するレインの胸を、超高熱の槍が貫く。
瞬間的にとはいえ、エリーゼの魔力はレインのそれを上回っていた。
身を灼く炎よりも何よりも、その事実を突きつけられ、レインに動揺が広がる。
訪れた最大最後のチャンスを、彼は逃さなかった。
「終わりにしよう……ヴァニタス、レイン」
ハッとして振り返ったレインが見たのは、倒れたはずのアスハだった。
起死回生で立ち上がったアスハは、ずっと好機を窺っていたのだ。
零距離で、確実にレインを撃ち貫くために。
装着したバンカーに、残るアウルを限界まで注ぎ込んでいく。
レインが咄嗟に右腕を掲げてガードするが、間に合わない。
打ち出された鋼鉄の五連杭が、レインの右腕に突き刺さる!
ヴァニタスが激痛に喘ぐ。
時間経過でアウルの杭が消えたのと同時に、だらん、とレインの右腕が垂れた。
右腕は、もはや使い物にならなかった。
完全に治すには、長い時間が必要だろう。
撃退士の猛撃で、レインは気絶寸前まで追い詰められていた。
悔しいが完全に自分の負けだと、レインは認めていた。
撃退士は、敵と呼ぶに足りうる存在だと。
とはいえ、レインと死闘を繰り広げた撃退士も壊滅状態。負傷度はレイン以上だ。
しかし、ここは撃退士の拠点。間もなく撃退署員が戻ってくる。そうなれば、レインに勝ち目はない。
撤退する以外に、彼女に残された選択肢はなかった。
「今回は退きますが、あなたたちはあたしが必ず殺します。もっと強くなって、絶対に」
満身創痍のレインが左手をかざす。
右腕が使えない現状では、光雨の破壊力も半減する。だが、足場を崩すくらいは容易い。
放たれた光雨が、床ごと撃退士を撃ち抜く。
「――また戦えるのを楽しみにしてます。その時まで、あたし以外の子に殺されたりしないでくださいよ?」
●
あと一手足りず撃破には至らなかったが、久遠ヶ原の撃退士はレインに深手を負わせ、見事に撃退して見せた。
「いずれあのヴァニタスは戦線復帰するだろう。だがそれまでは、主力を欠いたディアナは動きを制限されるはずだ。その間に、我々も対策を進められる」
ディアナによる都市部・撃退署への攻撃は、恐らくこれからも続く。
緒戦で主戦力と思しきレインを戦闘不能にできたのは大きい。
レインとの戦いの後、撃退署に駆けつけた撃退士たちは、そう言った。
最小限の犠牲で済んだのも、君たちのおかげだ、と。
「思えば哀れな子だったのでしょうね。この様な子をこれ以上増やしてはいけません」
るりかが静かに述懐する。
悪魔ディアナとの本格的な戦いになれば、レインと再戦する日も来るだろう。
その時こそ、必ず。
本当の戦いは、これから始まる。