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撃退士たちが到着した時には、泣き出しそうな空模様だった。
厚い雲に覆われた灰色の空は、今にも雨が降り出しそうだ。
曇天のもと、事件現場である水辺公園に駆けつけた撃退士たちの前に、三体の異形が現れた。
3メートルはある巨大な蛙は、いずれもグロテスクな外観をしている。不自然に膨らんだ腹部には、おそらく一般人が取り込まれているのだろう。
蛙の化物、デモンフロッグ。
ディアボロの低く大きな鳴き声が響く。
耳障りな合唱は、撃退士たちの足音に気づいた蛙たち自身によって中断された。
黒い細身の影が駆ける。
大型弓銃を構えたケイ・リヒャルト(
ja0004)が、敵の左側面へと大きく回り込むように動く。
ヴィントクロスボウから溢れるアウルを全身に纏いながら、インフィルトレイターが風のように走る。
ケイを迎撃しようと、デモンフロッグが口腔に水球を発生させようとした。水の魔弾が螺旋状に形成されていく。
だが、蛙が水弾を放つよりも疾く、黒髪の美女がアウルの矢を射出。
高速発射された一撃は膨張した腹部に命中し、デモンフロッグを仰け反らせた。
ケイの早撃ちに対応し切れず、水弾が不発に終わる。
二匹目のディアボロがケイへと首を動かした。側面で動き回る黒揚羽蝶を止めるべく、水球を吐き出す。
水弾がケイの肩を掠めた。
水の銃丸に弾かれ、華奢な女の肩と弓銃が吹き飛ぶ。攻撃がヒットした衝撃で、連動してケイの細身も突き飛ばされるようにして倒れた。
「くっ……」
肩口を反対の手で押さえながらも、ケイは即座に復帰。敵を撹乱するように、そのまま動き回り続ける。
長い睫毛で縁取られた力強い瞳は、静かな闘志に燃えていた。
私たちが敵の注意を引いて、仲間の攻撃が通る隙を必ず作り出す。
ケイの意志に応えるように、少女の声が戦場に響いた。
デモンフロッグたちが声の方向に振り向く。
ケイの反対側。敵の右側面に、髪留めをつけた小柄な少女が立っていた。
後衛の日ノ宮 雪斗(
jb4907)が、ケイと共にデモンフロッグたちを取り囲んでいた。
おとなしい雰囲気で、ともすれば一般人と見紛うほどに穏健そうな少女だが、彼女もまた撃退士のひとりだ。
雪斗が光纏。黒い瞳が金色へと変化し、温和な眼差しが獣のように鋭くなっていく。
少女が吼える。
「シーニーさん、来てください!」
雪斗に呼び出され、召喚獣が姿を現す。
顕現したのは、暗青色の鱗で身を鎧った幼い竜。ストレイシオンの幼体だった。
「水辺辺りでの足止めと牽制、水に入った敵は優先的にお願いします!」
バハムートテイマーの指示を受け、高速召喚されたストレイシオンが手近な水域へと這入った。ブレスを放ち、命じられたとおりにディアボロを牽制する。
ストレイシオンの攻撃を浴び、蛙が苦鳴をあげた。
ひるんだデモンフロッグに、赤いベレー帽を被った少女が近づいていく。
桐村 灯子(
ja8321)が疾駆する。
両手に握った金銀の双剣、右文左武を掲げて灯子が接近。
即座に水弾を放ち、ディアボロが灯子を迎え撃つ。水の砲弾は少女までまっすぐ飛び、衝撃音と共に炸裂した。
噴き上がった水飛沫が、一瞬だけ視界を遮った。
霧雨が晴れていく。
中から出てきたのは、盾を構えたアンニュイな表情の男。
少女へと向けられた攻撃を、割り込んだ仁科 皓一郎(
ja8777)が寸前で受け止めていたのだ。
気だるげな盾に守られた灯子が間合いを詰め、蛙の懐に飛び込む。
金と銀の剣閃が煌く。
デモンフロッグは咄嗟に後退したが避け切れず、膨張した腹部に一撃を叩き込まれた。捕らえた人間を吐きそうになるも、無理やり押し戻して何とか耐える。
「早く吐いちゃいなさい」
灯子が冷たい視線と声を突き刺すも、蛙が跳躍して逃走。
間合いを外そうと図ったディアボロだが、上空から飛んできた炎剣に退路を断たれた。
「まだ帰るには早いと思いますよ?」
空を舞うエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)がディアボロを見下ろす。
天使の少女は、残酷なまでに無邪気な笑みを浮かべていた。
「もう少し遊んでいったらどうですか?」
灰燼の書を開いたエリーゼが、再び生み出した炎剣をデモンフロッグへと放つ。
足止め班であるケイ、雪斗、灯子、仁科、エリーゼの五名は、的確な連携でデモンフロッグ二体を足止めしていた。
その間に、孤立した一体を攻撃班の仲間たちが集中攻撃していく手はずになっている。
攻撃班の一人が前に出た。
紳士然とした男が、巨躯の蛙へと迫っていく。
男の顔は、がんもどきの被り物で覆われていた。
おでんを愛するがあまり人間界に帰属したはぐれ悪魔、オーデン・ソル・キャドー(
jb2706)が謳うように呟く。
「カエルは可愛らしくて好きなのですがね、中身入りですか……。ドラゴン辺りなら良い茶菓子としそうですが、私はこし餡派なのですよね……」
男の奇怪な言動にディアボロがたじろぐ。近づいてくる男を計りかねているようだった。
デモンフロッグが戸惑ったような視線をおでん、いやオーデンに向ける。オーデンもそれに応じた。仲間たちの視線が痛い。
「おっと、ふざけていると怒られてしまいますか。では」
オーデンが砂色の曲剣を召喚。ヒヒイロカネから取り出したサーブルスパーダを掴む。
「――餡を傷付けぬよう、剥いてみましょう」
先刻までのおちゃらけた雰囲気は消失していた。気迫に満ちた剣士を、デモンフロッグも敵と認識。
鈴の音が跳ねる。
剣を構えたオーデンのかたわらを、人影が矢のように駆け抜けた。
「ディアボロ討伐ッ……あたいの出番の予感がしたっ!」
首に鈴付きチョーカーを巻いた御子柴 天花(
ja7025)が、デモンフロッグへと一直線に突き進む。
ぼっこぼこのけちょんけちょんにする、と意気込む天花。
闘気を解放した天花に一拍遅れて、オーデンも併走。少女阿修羅と悪魔剣士が、デモンフロッグに接近していく。
迎え撃つ蛙の瞳には嘲りの色。
ディアボロが大きく開けた口に、水が渦を巻いて発生。水流は球状に収斂され、そして爆発した。
水の波動が、指向性を持った波濤となって押し寄せる。
激流に呑まれ、前衛二人は纏めて吹き飛ばされた。
接近を妨害するためのスキル、水流波。これがある限り真正面からの近接攻撃は封殺したも同然。そうディアボロは思っているに違いないし、その程度のことは撃退士も理解している。
だからこそ、派手な特攻で隙を誘った。
後ろを取る隙を。
潜行するナイトウォーカーの天耀(
jb4046)が、デモンフロッグの背後に肉迫。奇襲に気づいたディアボロが振り向くも、一手遅い。
突如として広がった夜闇のごとき暗黒が、蛙の周囲を包み込んだ。
天耀が発動したナイトアンセムによって視界を奪われ、デモンフロッグが狼狽する。
オーデンと天花が注意を逸らし、天耀が虚を突いたディアボロに、攻撃班の撃退士たちが更なる攻撃を畳み掛けていく。
茶髪の青年、鈴木悠司(
ja0226)が縮地を発動。
体内に巡るアウルをすべて、両脚に集中させる。脚甲で武装した脚部をたわませ、一気に突進した。
悠司は爆発的な速度でデモンフロッグのもとに到達し、その勢いを殺すことなく上段蹴りを叩き込んだ。
狙いは膨張した腹部。
悠司の蹴りが腹に突き刺さり、たまらず蛙が嘔吐した。丸呑みにされていた女性が、デモンフロッグの口から吐き出される。
地面へと落下しそうになる女を、赤髪の青年が受け止めた。
「……優先は人命、か。全く、手間取らせる」
毒づきながらも、アスハ・ロットハール(
ja8432)が女性を抱えて後退していく。
そして、仁科が入れ替わるようにディアボロへと向かう。
仁科の手には、細身の大太刀、蛍丸が握られていた。
冥魔の眷属を屠るべく仁科が刃を一閃。真横に斬撃が疾る。
仁科に胴を斬り裂かれたデモンフロッグは、横一文字の血飛沫をあげて大地に伏した。
「ヒノミヤ、あとは頼んだ」
アスハは救助者を雪斗に任せ、すぐに戦場へと舞い戻った。
雪斗が意識のない救助者に毛布を掛け、体を休ませようとする。そのまま応急手当を行おうとしたところで、敵の動きに気づいた。
「そっちの敵大分外寄ってます! 逃げそうです!」
雪斗が大声で伝える。それを聞いて、仲間たちが対応に入っていく。
逃げるデモンフロッグを、悠司が猛追。
だが、放たれた水流波を喰らい、吹き飛ばされてしまった。
一般人を体内に捕獲したままのディアボロが、園外に出ようと動く。
「っ……しまった……!」
一度吹き飛ばされ、悠司とデモンフロッグの間には大きく距離が開いてしまった。
今から追いかけても、間に合わない。
跳躍して逃げようとした蛙の足に衝撃。
「逃がさないわよ」
逃走を呼んでいたケイが、ショットガンを構えて蛙の前に立ち塞がった。
悠司が安堵の声を漏らす。
「ケイさん、ナイスフォロー!」
他の撃退士も、逃走を阻止すべく動いていた。
灯子の冷酷な刃が、デモンフロッグへと突き立てられる。
「逃げられると困るのよ」
人々を守ってこその撃退士。ゆえに、敵に容赦はしない。
灯子が双剣を全力で引くと、堪え切れずにディアボロが捕獲していた男を吐き出した。
助け出された男を天耀が引き受け、全速力で離脱。雪斗のもとに運んでいく。
天耀が抱える男に向けて、デモンフロッグが舌を伸ばす。まるで、人を攫うことこそが使命であると言わんばかりに。
舌の鞭は、天耀に到達する前に切断された。
斬り裂かれた舌先が地面に落ちる。
天耀とデモンフロッグの間に割り込んだのは、がんもどきの剣士。
曲剣の血振りをして、オーデンが言う。
「中身が出てしまいましたね。中身の無いペチャンコな饅頭に興味は有りませんよ。サッサと倒してあげましょう。天耀殿、ここは私に任せて先へ」
「……よ、よくわかんねぇけどサンキュ。助かったぜオーデン!」
天耀が男を抱えて離れていく。
デモンフロッグが天耀に向けて水弾を放つが、身を挺したオーデンが受け切る。
衝撃で揺らぐも、オーデンは倒れない。
「フム、天耀殿のようにスマートには行きませんね。ですが、ここは耐えて前進するとしましょう」
灯子とオーデンが相手取っているのとは別の、まだ一般人を捕まえているデモンフロッグも、逃走を開始していた。
逃走を阻止しようと動くエリーゼやストレイシオンを水弾で撃ちながら、ディアボロが逃げる。
足に力を溜め、冥魔の蛙が全力で跳躍した。大きな弧を描いて跳んでいく。
このまま逃げ切れると確信したデモンフロッグだったが、彼女がそれを許すはずもなかった。
「闘争……もとい逃走を図る不埒物にはこれだー!」
天花が飛燕の速度で斬撃を放った。高速の一撃は、衝撃波となってデモンフロッグを撃墜。
びしっとエネルギーブレードを向ける天花。
「わはは、いやよいやよも好きのうち――」
得意げな顔をする天花に、起き上がったディアボロが逆襲。反撃の水弾を飛ばす。
天花へと迫る水弾は、しかし命中する直前で弾けた。
マジックシールドを展開させたエリーゼが、射線上に割り込んでいたからだ。
デモンフロッグが第二射を放とうとした所で、戦線復帰したアスハが間合いに入った。
血色の魔術師が魔具を召喚。回転式薬室を搭載した大型バンカーを腕に装着する。
特注武装スカーレットバンカーが、更に威容を増していく。一時的に巨大化したことで、貫通力は増幅している。
アスハがディアボロの懐に踏み込む。
「撃ち抜け、バンカー!」
スカーレットバンカーの機関部に蓄積されたアウルが爆発。空薬莢が跳ねるような鈴音が響いた。
射出された杭が蛙の腹部を突き、体内に捕らわれていた最後の一人が解放される。
吐き出された少女を抱き寄せ、アスハが退避していく。万全を期すべく、灯子も二人の護衛について戦場を離脱する。
救出対象の保護は完璧。あとは敵を殲滅するのみ。
悶絶するデモンフロッグのもとにエリーゼが降り立つ。
「これでやっと私も存分に手を出せます♪ カエルはカエルらしく、道端で干からびて炭になっていると良いと思います♪」
死刑宣告する天使の周囲に、輝く細氷のような微粒子が発生。エリーゼに集約された魔力の塵が、その密度によってダイヤモンドダストのような現象を作り出していた。
「炭すら残しませんよ♪」
声を弾ませ、エリーゼが獄炎の刃を蛙へと突き刺す。
妖艶な美女も蛙に接近。
エリーゼの炎剣が刺さった腹部に、ケイが零距離から弓銃を撃った。
潰されたような鳴き声をあげ、絶命したデモンフロッグが倒れる。
残るは一体。
最後のデモンフロッグに、天花が刀身のない剣の柄を振るった。
攻撃の瞬間に実体化した緋色の刃が、ディアボロを袈裟懸けに斬り裂く。
倒れるデモンフラッグに、シュトルムエッジを装着した天耀が更に駄目押し。
三〇センチメートルほどの爪刃が、下から斜めに蛙の巨躯を斬り上げる。
十字の血飛沫をあげて、デモンフロッグは崩れ落ちた。
それが、戦闘の終わり。
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「しばらくカエルは見たくないかも……」
治癒能力で救助者たちの応急処置を済ませた灯子が、デモンフロッグの死骸を眺めてうんざりするように呟いた。
「よくわかんないけど、可愛いカエルだった、強敵と書いてトモと読むに相応しい……生みの親に会ってみたいね!」
マイペースな天花が屈託のない笑みを浮かべる。
少女たちがそれぞれの所感を漏らす横で、青年たちは違和感を感じていた。
「それにしても、どうして人を飲み込んでたんだろうね。目的、なんだったんだろ……類似の事件がなかったか、ちょっと調べてみたいね」
悠司の言葉に皆が頷く。
まだ事件は終わっていない。そんな気がした。
「食う目的じゃなきゃ何なんだかな」
「だな。その場で食わねェ理由は何だ、つう……面白ェ」
天耀と仁科も同様の疑問と、わずかな興味を抱きはじめていた。
思考に耽ろうとしたところで、肩に水滴が落ちる。
降り出した春の雨が、撃退士たちを濡らしていく。
雨はすぐに勢いが強くなり、激しさを増していった。
まるで、この地から邪魔者を追い払おうとしているように。
雨は降り始めたばかりだ。