●第2の部屋
黄色い部屋の中には、六人の撃退士が閉じ込められていた。
「種子島っていうから、寒い冬に南の島で楽しく、とか考えてたのに……完全に騙されたよね……!?」
金髪に赤眼の青年、霧谷 温(
jb9158)が嘆き、がっくりとうなだれる。
――初めて請け負った依頼で、まさかこんなことが起きるなんて。
霧谷温は、つい先日まで一般学校に通う平凡な高校生だった。
彼が適性検査でアウルの発現とハーフの兆候に気づいたのは、本当に最近のことだ。
それまであまり成績が良くないほうだった温は、その時点で幾度目かの留年が確定していたのだが、アウル発現を契機に久遠ヶ原学園に転校することを決断。
心機一転、これからは撃退士として頑張ろうと心に誓った矢先に、この事件に巻き込まれたのだった。
この、悪意に満ちた悪魔の遊戯に。
「大仰な事だ」
片眼を眼帯で覆った長身の青年、佐々部 万碧(
jb8894)は、地面から生えてきた結界の壁を評してそう呟いた。
黒い眼帯を外しつつ、万碧が部屋を見渡す。
「目に痛い部屋だな」
淡々とした口調で万碧が言う。電子義眼のぼんやりとした視界に映るのは、一面の明るい黄色だった。
「うわー……本当に全部黄色だよ、趣味悪いんだけど」
気を取り直した温も改めて部屋を眺め、驚いたような、呆れたような声を漏らした。
少なくとも、まともなセンスとは思えない。
「変な部屋ですね……どこか狂気じみたというか」
紫色の髪をした少女、イリヤ・メフィス(
ja8533)が、あくまで冷静な声音で言った。
「確か、このような黄色い部屋が出てくる古典推理小説がありましたね」
密室に閉じ込められ、しかしイリヤは落ち着いていた。
ローティーンに見える容貌をしているが、彼女はれっきとした大学部四年生だった。
深窓の令嬢を絵に描いたような外見に反して、実年齢相当にしっかりしている。
イリヤの聡明な眼差しは、正面扉のパネルに向けられていた。
「……なんで天魔連中ってのは、こんな面倒くさいの考えるんだ」
橙色の瞳が特徴的な少年、嶺 光太郎(
jb8405)がリドルを見上げて頭をかく。
面倒くさがり・無気力・適当と三拍子揃った性格の光太郎にとって、これは実にメンドクサイ。
入力すべき数が人形かボールを示しているであろうことは、実は初見で看破できているのだが。その先を考えるのがそこはかとなく億劫だった。
「人質をとってのご招待に、謎かけ、ね……何が狙いなんだか」
不機嫌そうな鋭い目つきの少年、相馬凪(
jb7833)はテーブルの上に置かれた紙に視線を落とし、ぶっきらぼうに呟いた。
数列の空白に当てはまる文字を、文字列の字数を参照にして導けばいいということは一発で気づいていた。
とはいえ、改めて凪は思う。
本当に、厄介な事件に巻き込まれたものだ、と。
「黄色一色の奇妙な部屋、不可解な暗号、閉じ込められた撃退士たち……
天・魔・人、それぞれの思惑が絡み合い、血と恐怖に彩られた惨劇の舞台が幕を開ける! かもしれない!」
桃色の髪を左右の両端で束ねた少女、瀬波 有火(
jb5278)が、底抜けに明るい声でナレーションをお届けする。この状況下にあっても、彼女は普段と変わらぬハイテンションだった。
「まずは暗号からだね」
二つに結った髪をぴょこぴょこと揺らしながら、有火が机上の紙を手に取る。
温は意外そうな視線を有火に向けた。
「だいじょうぶ? 映画で見たことあるけど、こういうのって失敗したら、毒ガスとか爆弾とか出るんでしょ?」
「ふ、この美少女探偵有火さんにお任せあれ!」
ばーん、と慎ましやかな胸を張って自信たっぷりに宣言する有火。
「おー……なんかよくわかんないけど凄い自信だ。よし、こういうのは、わかる人に任せる! がんばれー!」
温の声援を受け、美少女探偵はさっそく暗号解読に取りかかった。
小さな指先が、紙の上の文字列を這う。
「えーと、赤赤青……1+2+……」
ぶつぶつと暗号を音読する有火の顔から余裕が消えたのは、それから二秒後のことだった。
「……………………」
硬直した有火の頭から、ぷすぷすと煙が出始める。
やがてすぐに処理系統が限界に達したのか、有火の頭はぼふん! と爆発した。
「…………エート、有火ちゃん?」
しばらくして再起動に成功した有火が、ジト目で見つめてくる温から亜音速で目を逸らす。
「……ちょ、ちょっと今日は調子悪いかなー頭痛いし目がちかちかするしああそっかきっとこの部屋のせいだねー金運ウナギ登りしそうなくらい黄色いしあははー」
有火は早口でまくしたてると、イリヤを振り向いて満面の笑みでサムズアップした。
「とゆことで、後は任せたよワトソン君! あたしはごろごろして待ってる! ごろんごろーん」
黄色い床をころころ転がる美少女探偵(休職中)を尻目に、謎解きを任されたイリヤがパネルの前に立つ。
いちばん最初に暗号を解くことに成功していたのは、実は彼女だった。
こほん、と咳払いしてイリヤが謎解きを始める。
「まず220と284という数字、そして『絆の証を示せ』というヒントから、この数式は友愛数のことではないかと私は思います」
「友愛数……? それは、どういうもの、なんですか。メフィス先輩」
ぎこちないながらも、頑張って丁寧な口調で凪が訊ねる。
美少女助手は澱みなく答えた。
「友愛数というのは、それぞれの約数の和が対となる数字と同じになる数のことなんです。友数、親和数とも呼ばれるこの不思議な数字のペアは、すでに山のように発見されていますが、特に220と284の組み合わせは、友愛を象徴する最も小さな数として広く知られています。数の絆で結ばれた、二つの数字として。たとえば284の約数――1、2、4、71、142を足すと220になり、220の約数――1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110を全て足すと、ぴったり284になります。暗号文に出てくる数式は対となる数字の約数の和を表していますので、空白となっている部分は上の段が4、下の段が11と22、ということになるのではないかと」
「おー……イリヤちゃんすっごーい! よくわかったね、あったまいいー!!」
正解を見出したイリヤに、温が賞賛の拍手を送る。この解法で合っているはずだという直感が、温にもあった。
「あとは4文字目と11文字目、22文字目に対応させて、答えに当てはまる文字を割り出せば……」
文字列と数列を照らし合わせ、イリヤはあっさりと答えを見つけ出した。
「答えは、赤の部屋の人形ですね」
「おおう……ぜんっぜん意味分かんねぇ。あんた凄ぇな……」
完璧な推理を披露してみせたイリヤを眺めつつ、光太郎が呻く。規則性さえ分かれば中々どうして面白そうな数字遊びだったが、悪魔がそれを利用してきたのは意外だった。
絆なんて、これっぽちも信じていないだろうに。
●
「今、赤色の扉に向かった班に確認した。向こうの赤の部屋にも、人形が置いてあったそうだ。数は全部で三つ。決まりだな」
他班と連絡を取っていた万碧が、淡々と伝える。
「別行動中の各班も、ここと同じような仕掛けの部屋に閉じ込められたらしい。だが、いずれもリドルを解くことには成功したみたいだな。緑の部屋から椅子の、青の部屋からは花瓶の数を確認する連絡が入っている」
「あー、ちょっと待て……えーと、この部屋にある椅子は全部で三つだな。花瓶は……一つしかねぇ」
「わかった。伝えておく」
光太郎から聞いた通りの数を、万碧が端末越しに効率的に返答していく。それを見ていた温は、ほっと胸を撫で下ろした。
「これでみんな、無事に箱の中から出られそうだね。連絡先交換しておいて良かった〜」
「…………」
それにしても、とイリヤは思う。何だか回りくどいやり方だった。なぜ悪魔は、自分たちを罠にはめて箱の中に閉じ込めた時点で、直接襲って来なかったのだろう。悪魔の悪戯と言われれば、確かにそれまでだが。
このクイズはまるで、撃退士の連携を試そうとしているような――。
「万が一、に備えておいたほうが、よさそうですね」
そう言って、凪が縮地を発動。全身のアウルを脚部に集中し、速力を強化する。
「このスキルは、十五秒しか持続しませんが。扉を開けた瞬間、敵に襲われないとも限りません、し」
「たしかに入口通った直後って、危ないよね。狙いつけやすいもん」
いつのまにか起き上がっていた有火が、うんうんと頷く。
「此処に誰もいないなら、次いるかもしれねぇしな。警戒しとくに越したことはねぇだろ」
光太郎が光纏し、髪先を朱色に変化させていく。光太郎の手には、一枚の符が握られていた。
「えーと、阻霊符、だっけ? これどうやって使うの、光太郎くん」
「光纏して持っとくだけで良い。それだけで範囲内にいる天魔は、物質透過能力が使えなくなる」
温にレクチャーしつつ、光太郎は阻霊符を起動。同じように、温も光纏して阻霊符の効果を発動する。
「……では、答えを入力しますね」
他班との通信や準備が終わり、イリヤがパネルに指を近づけた。
イリヤは少し緊張した面持ちで、赤、人形、3のパネルをそれぞれ押していく。
続いて慎重に扉の取っ手に触れると、軋むような音を立てて扉が動いた。
仲間たちを振り返り、イリヤが決心した表情で告げる。
「開きました……では、参りましょう」
そうして、六人の新人撃退士たちは、第三の部屋へと進んでいった。
その先に待つ、悪意を知らずに。
●第3の部屋
慎重に扉を抜けた有火が、すばやく扉を離れる。
第三の部屋も、全てが黄色に染められていた。狂気じみた黄色い箱の中には、鉄格子に閉じ込められた子供たちと、二体の怪物の姿があった。
有火の目の前には、大剣を構えた仮面の大男と、杖を構えた半蛇の美女が立っていた。
筋骨隆々とした大男が、大剣を床に突き立て撃退士たちを睨みつける。仮面の下の赤い瞳は、人ならざる狂気を宿していた。
「次の相手は、マッチョさんと蛇女みたいだね。なんか強そー」
一目でわかる。明らかに、格上の相手だった。ベルセルクとラミア。半端ではない威圧感を纏っている。経験の浅い新人撃退士たちにとって、どう考えても荷が重い。
「しかも、待ってたってことはトラップ仕掛け放題だよね。蛇女の方はあきらかに術師だし」
油断すれば一瞬でやられるだろう。苛烈な戦いの予感に、有火が身構える。
そこでふと、温が違和感に気づいた。
「扉が……開いてる?」
ベルセルクとラミアの奥に、外へと繋がる扉が見えた。扉は半分ほど開き、外界の景色が隙間から覗いている。先ほどの部屋と違ってパネルもなく、特に施錠されているわけでもなかった。
それだけではない。
子供たちを閉じ込めている悪夢の鉄檻には、鍵穴の類が存在していなかった。
「……あー、そっか。そういうこと、なんだ」
温は、すぐに理解した。
これは、そういうゲームなのだ。
開け放たれた扉。
鍵のない檻。
囚われた子供たち。
そして、強力なディアボロ。
「……最初から、あの子たちを助けさせる気なんて、ないんだね」
このディアボロたちと本格的に戦うことになれば、消耗は必至。そうなれば、子供たちを助けるどころではなくなる。最悪、全滅だってあり得るだろう。
だが、子供たちを見捨て、この部屋から脱出することにだけ専念すれば――撃退士たちは、高確率で生き残ることができる。
撃退士に、子供たちを『殺させる』。撃退士たちをおびき寄せた悪魔は、そういうふうに仕向けてきているのだ。
嘲弄するような悪魔の声が、どこかから聴こえてきそうだった。
――助かりたければ、子供たちを裏切れ。
直後、携帯が鳴る。赤の部屋からの連絡によれば、檻は敵を倒さないと壊れないこと。人質を放置して誰かが脱出すると、他班や人質に被害が出ると言うことが告げられた。
やはり、と言う空気が流れる。
「……そうだな、どうせ俺ぁハンパもんだ」
光太郎は、天使との混血だった。純血の人間ではなく、異種族の血を引き継いでいるハーフエンジェルである。
半端者だと自負する光太郎が、陰鬱な表情で子供たちを一瞥した。
「ガキ共も今は普通にしてたって、大きくなりゃ化け物って言うんだぜ。いつもそうだった。なら……今俺が生きるための踏み台にしても良いよな」
現実的な言葉を吐いて、光太郎が出口のほうへと歩いていく。
どうせ人は簡単に裏切る。ここで子供たちを救うことができたとしても、意味なんてないないのだ。
さようなら子供たち。俺のために、死んでくれ。
「……なんて、言うわけねぇだろ」
光太郎は地面を蹴って、一瞬で出口――ではなく、ベルセルクの側面まで跳躍していた。
不意を突いてディアボロの懐に入った光太郎が、毒手を発動。アウルの毒を纏った手を突き出し、狂戦士の腹筋に一撃を叩き込む。
一拍遅れて反応したベルセルクが後方へと飛翔。脇腹から血の尾を曳いて、黄色いに床に着地した。
同時に、ラミアが細身の魔法杖を掲げる。すでに杖先には、アウルの燐光が灯されていた。
「……させるかよ」
ラミアの杖が振られるより早く、凪が疾走。ラミアのもとまで一気に到達し、紫寿布槍を鞭のように崩した。細長い布状V兵器を蛇女の腕に巻きつけ、思い切り引っ張る。
杖を手にした、細い腕を。
それにより、光太郎に向けられるはずだった束縛の魔術が、わずかにずれる。床に青白い魔法陣が浮かぶが、その範囲から光太郎はぎりぎりで逃れられていた。
光太郎と凪が敵と対峙したまま、泣き叫ぶ子供たちに向かって告げる。
「……心配すんな、ガキ共。もう少しだけ静かにしてな」
「……ちょっと待ってろ。すぐにとはいかねぇが――」
「「俺たちが必ず、助けてやる」」
●
光太郎と凪に続いて、撃退士たちが臨戦態勢に入っていく。
「子供の泣き声は耳に響いて厄介だ。と言って、見捨てて死ねば、俺の寝覚めも悪いんだろう」
淡々と言って、万碧が光纏。孤独な海色のアウルを、全身から立ち昇らせる。同時に激しい痛みを感じ、手で片目を抑えた。アウルを使用している時は、義眼の周囲が原因不明の激痛に襲われるのが彼の常だった。
異質なものを排除・敬遠するのは生物として当然の行動だと、万碧は思う。
もしも救うことが出来たとして、子供たちも自分が天魔との混血だと知れば、遠ざかっていくのだろう。だとしても、別にそのことを怨むつもりはない。
「あぁ、面倒だ。体も痛いし、面倒だ」
万碧は子供たちを安心させるように穏やかな笑顔を作ると、檻に近づき鉄格子の隙間から食料品を次々と投げ込んでいった。
「これでも食って待ってな」
放り込まれたチョコクッキーやスポーツドリンク、ミネラルウォーターを子供たちが受け取る。待ち望んでいたヒーローの登場に、子供たちの何人かは泣き止んでいた。
泣き腫らした目を期待に輝かせ、子供の一人が尋ねる。
「助けて……くれるの?」
「当然だ。そのために俺たちは此処に来た。これから騒がしくなるだろうが、安心しな。お前たちは俺が守ってやる」
陰影の翼を広げ、万碧が子供たちを庇うように檻の前を飛翔する。空を飛んだ万碧の姿に子供たちが目を丸くしているが、知ったことか。あるいはこれも、悪魔の意図なのだろうか。
「……この結界を作った奴はクズね。見てらっしゃい……ぶちのめしてくれるわ」
見え隠れする嘲笑に似た気配を感じ、イリヤが怒りに震える。
暴走しそうになる憤怒の感情を必死に押し留め、イリヤは子供たちに向かって叫んだ。
「子供たち。目を瞑ってなさい。次に目を開けた時、お母さんたちの所に連れて行ってあげるから!」
イリヤの隣で、温がマグナムナックルを具現化。
ディアボロたちに向かって、金髪の青年が吼える。
「こんなの、俺は絶対に認めない! ガキンチョ返してもらって、お前ら倒して、ハッピーエンドにさせてもらうぞ、この化物!」
●
「…………」
筋骨隆々の大男が、鉄仮面越しに橙色の眼をした少年を睨みつける。
ベルセルクが最初の標的に選んだのは、毒の一撃を与えた光太郎だった。
腹部を毒に蝕まれながらも、狂戦士が重々しい大剣を片手で持ち上げる。
仮面の男が逞しい腕にアウルを集中させているのを見逃さず、光太郎は瞬時に真横へと飛び跳ねた。その刹那、豪快に振り抜かれた狂戦士の刃が、それまで光太郎が立っていた空間を縦断していく。
「遅ぇな。そんな太刀筋じゃ俺は捉えられねぇぞ」
攻撃を見切った光太郎が、すかさず反撃。狂戦士の下半身を狙って、素早くローキックを繰り出す。蹴り出された脚は、黒い光沢を放つ禍々しい装甲で覆われていた。
リリスレガースを装備した光太郎の蹴りを、狂戦士はバックステップで回避。再び腕にアウルを集中して、大技を再発動――することはできず、ベルセルクが大剣を軽々しく振るう。普通の攻撃。
無論、通常攻撃でも恐ろしく高い威力を有しているのだが、当たらなければどうということはない。
横一文字に流れる刃を、光太郎は身を屈めて避ける。逃げ遅れた朱色の髪が何本か切断されて地面に落ちるが、無視。威力よりも速度重視で、ベルセルクの下半身に執拗に蹴りを浴びせていく。
光太郎が繰り出した蹴りを受けつつ、ベルセルクが大剣を振るって反撃。狂戦士の重たい一撃が空を切る。また外れた。光太郎、相手の動きをよく見ている。
「隙ありっ!」
ベルセルクの死角から、火の玉が襲いかかる。イリヤが放った、召炎霊符の魔法攻撃だった。
直線移動する炎の魔弾が、狂戦士の右脇腹に命中。振り向いたベルセルクの赤い眼光が、イリヤを射抜いた。
イリヤは立ち止まらない。
そのまま移動しながら、炎弾を連射する。
「私足遅いけどがんばるわよ!」
死角を狙い、イリヤがベルセルクの周りを走る。ディアボロの側面や背面から魔法攻撃を叩き込む算段だ。
「やはり魔法に弱いようだな」
檻のそばから離れずに万碧が言った。いつでも子供たちを庇える位置取りだ。いざという時のために、阻霊符もすでに発動している。
「万が一の時は、檻が彼等の身を護る盾になるかもしれないしな」
見たところ、ディアボロたちは人質に危害を加える様子はないが、安心はできない。故に万碧は、人質を護衛しつつ遠距離魔法攻撃による支援を選択した。
万碧が星と白馬をモチーフにした白色のシンボル、ティシュトリヤの紋章を具現化し、無数の水の矢を生成。慈雨の神の加護を宿すとされる紋章にアウルを込め、ベルセルクに向けて魔法矢の雨を降らせていく。
他方、対ラミア。
「仮面は怖そうだから、まずは蛇っぽいやつを真正面から全力で殴る!」
マグナムナックルを構えた温が、ラミアへと突撃していた。
宣言どおり、真っ向勝負を挑む温。その突進が、ふと静止する。
温の足元には、青白い光で描かれた幾何学模様の魔法陣が展開していた。
蛇の下半身を持つ女が、長い舌を出して笑みのような表情を作る。それはラミアの嘲笑だった。
束縛の魔法陣に踏み込んだ温の動きが止まる。が、それは一瞬のこと。
「こんな足止め、効くもんか!」
ばきん、と音を立てて魔法陣が砕けて散った。特殊抵抗力を上昇させた温に、ラミアの束縛魔法は通用しない。
蛇女の表情に焦るが浮かぶ。咄嗟に逃げるが、もう遅い。
魔法陣を破りラミアに接近した温が、全霊で拳を振り抜く。連動して発射された拳状のアウルは、ロケットパンチとなって蛇女の顔面へと突き刺さった。
温に殴り飛ばされ、顔を変形させたラミアが、金切り声をあげて杖を振り上げる。束縛の魔法陣を紡ぐ杖が向けられた先には、ラミアに肉薄する凪の姿があった。
「ちっ……」
凪が舌打ちして、杖を向けられた場所から急いで飛び退いた。直後、床に魔法陣が広がっていく。
踏み込めば、先ほどの温のように身動きを封じられる。迂闊な真似はできない。
「うーん、進んでみて、怪しければ迂回するかんじかな」
設置された魔法陣をかわしつつ、有火がラミアに近づく。流石の突撃娘も、こうも露骨に罠を張られては苦手な減速やカーブを行わざるを得なかった。
ラミアは撃退士三人の接近を何とか食い止めて、その間に魔法杖を高く掲げた。
杖先に赤色のアウルが集まり、燃え盛る巨大な火球が空中に生成されていく。
「やっぱり、あの杖が魔法の引き金か。何とかしてあれを破壊できないか……?」
「よし! じゃあ俺は、あの厄介そうな杖を重点的に狙って動きを邪魔する! これぐらいしか、俺にはできないからね!」
「なになに、杖を狙うの? それならあたしが隙を作ってみる! まずはあれを何とかしなきゃだよねっ」
有火が先陣を切って、ラミアに突撃。業火の魔弾が放たれようとした刹那、突撃槍を一閃してラミアを弾き飛ばした。薙ぎ払い。
「溜め技なんてさせないよ!」
愛用の突撃槍を振り回し、有火がラミアの意識を刈り取ることに成功。同時に、撃退士たちを焼き払うために出現した火球が、幻のように消えていく。
「今のうちに、やるか」
凪が牙を剥くような笑みを浮かべ、石火を発動。
電光石火の如く閃いた布槍で、ラミアの手にする細い魔法杖を突く。ひびが入るが、まだ折れない。
「これで、どうだっ!」
温が渾身の力を込めて拳を突き上げ、大型ロケッパンチを発射。通常の攻撃よりも強力なインパクトの一撃が、ひび割れた杖に叩き込まれた。
何かが砕ける音が響く。
凪と温の集中攻撃に耐え切れず、ラミアの杖はついにへし折れた。あるいはもともと頑丈な作りではなかったのだろうか。ともかく、これで厄介な魔法の数々は封じられた。 特に、火球による範囲攻撃魔法を完全に阻止できたのは大きいはず。ラミアもせめて一発くらいは、ちゃんと撃ちたかったに違いない。
スタンから立ち直ったラミアが杖の残骸を投げ捨てて、長い爪の生えた両手を構える。だが、それが振るわれることは結局なかった。
「もう一回どかーん!」
再び有火がディバインランスで蛇女を殴る。扱いが雑なせいか、槍の先端が欠けているが気にしない。気にせず殴る。殴り続ける。君が泣くまで殴るのを止めない。
好戦的な笑顔で、凪が槍を振るった。
ぼこぼこに痛めつけられたラミアの頭に、凪の布槍が突き立てられる。
槍の先端に仕込まれた錘は、蛇女の額を突き破った。
脳漿と血液をぶちまけ、ディアボロが黄色い床に倒れこむ。
●
イリヤが召炎霊符でベルセルクを撃つ。
魔法が苦手なベルセルクにとっては、有効な攻撃。だからこそ、ベルセルクは標的を光太郎から変更。先に魔法攻撃の使い手を潰すことを決めた。
アウルを腕に集中した狂戦士が、イリヤへと突撃する。
だが、イリヤとて何の対策も講じていなかったわけではない。
ベルセルクの剛力によって、二メートルを超える大剣が一気に振り抜かれる。
直撃すれば、大抵の新人撃退士は気絶するであろう、強力無比な一撃。
「……負けないわよ!」
狂戦士の刃が命中する寸前、イリヤは緊急障壁を発動した。衝撃を緩和するアウルの障壁を展開し、直撃を防ぐ。
大剣がシールドを砕き、イリヤの胸を袈裟掛けに切り裂く。噴き上がる血飛沫の奥、イリヤの金色の瞳は生気を失っていなかった。まだ、倒れるわけにはいかない。
「――絶対ぶち殺す!!」
激痛に耐え、イリヤが反撃の魔法を紡ぐ終えた。スタンエッジ。迸る電撃の刃が、至近距離からベルセルクの胴体に叩き込まれる!
雷撃に撃たれた大男の動きが一瞬だけ止める。隙を窺っていた光太郎にとっては、充分すぎる好機だった。
「有り難ぇな。あんたが体張ってくれたおかげで、こいつをまたぶちこめる」
隙だらけのベルセルクに、光太郎が二発目の毒手を繰り出す。毒に塗れた光太郎の手が、傷口を広げるようにして狂戦士の腹部を抉り取っていく。指先が内臓まで到達せんとしたところで、復活したベルセルクが跳躍。光太郎の魔手から逃れ、次は万碧へと攻撃を仕掛けた。
凄まじい脚力で飛び跳ねた狂戦士が、飛翔する万碧に襲いかかる。
背後にいる檻の中の子供たちが、殺気を纏って向かってくる怪物の姿に悲鳴をあげた。子供たちを落ち尽かせるように、万碧が薄く笑う。
「大丈夫だ。言っただろう。お前たちは俺が守る」
万碧が水の魔法矢を放ち、狂戦士を迎撃。胸や腹に矢を喰らいながらも突撃してきたベルセルクが、狂える大剣で万碧に斬りかかる。ハーフデビルの青年は、重傷を負いながらも気絶寸前で辛うじて耐え抜いていた。
主武器をタングストアックスに切り替え、万碧が石火を発動。高速で斧を一閃し、狂戦士を吹き飛ばす。
「手前は随分と素早いが……着地の瞬間を狙われたら、どうだよ?」
床に着地するベルセルクに向かって、光太郎が脚払いの要領で蹴りを放つ。躓き、体勢を崩したベルセルクが転倒。跳ねるようにしてすぐに起き上がったが、けれど、その一瞬で。
ラミアを倒した撃退士たちが、ベルセルクへと突貫していた。
温、凪、有火の三人が、ベルセルクに迫る。
「強い相手でも、仲間と一緒に殴れば、こんなやつ!」
いつの間にかベルセルクは追い詰められていた。相方であるラミアが戦闘不能となり、もう後がない。かといって、このまま負けることなど赦されない。
仮面の大男が狂気の咆哮をあげて、迫り来る撃退士たちを迎え撃つ。乱暴に大剣を振り回し、近づくものを全て斬り殺すといった感じだ。
そんな中、しかし有火は、躊躇なくベルセルクの間合いへと飛び込んでいった。
迷った時はとにかく前に出る。それが突撃娘の異名を持つ彼女の信条だった。
立ち止まってなんか、いられない。
前へと。
狂戦士が大剣を荒々しく振るう。降り降ろされたのは重く鋭い刃。闘争心を解き放った有火は、臆することなく突撃槍で攻撃を流すと、そのままベルセルクの懐に潜り込んだ。
有火が掌に力を込めて、狂戦士の胴体に全霊の一撃を放つ。
「魔法陣までどーん!」
掌底の衝撃で、ベルセルクの身体が後ろに大きく吹き飛ぶ。ノックバックした先には――ラミアが残した、束縛の魔法陣が設置されている。
魔法陣で身動きが封じられたベルセルクを、凪と温が挟み込んだ。石火とインパクトのスキルは、それぞれまだ残されている。
「人間を弄ぶくだらない遊びは、これで終わりよ!」
さらにイリヤが背後を取り、召炎霊符の火球を生み出した。
ベルセルクに抗う術は、もはや残っていない。
イリヤの放った火の玉が、赤い閃光となってベルセルクに撃ち込まれる。
●
ディアボロの死に呼応して、子供たちを閉じ込めていた鉄檻は砕け散った。
「怪我はないか」
万碧が子供たちに近づき、全員の無事を確認する。子供たちは傷ひとつなかった。
「ありがとう……撃退士のおにいちゃん、おねえちゃん」
幼い子供たちが、心底安堵したような表情を浮かべる。屈託ない、無邪気な顔だった。
「こちらの班は無事に人質の救出に成功した。そちらの様子はどうだ」
他班と連絡を取る万碧。だが、どこもまだ交戦中なのか、応答はない。
「みんな、無事だといいんですが……」
「……めでたしめでたしで終わらないといけないよね」
箱の中に満ちる悪意。
その意味を彼らが知るのは、もう少し後。
今はただ――全員が打ち勝てることを信じて。