●
「夜の住人共がよくもまぁ……とっとと闇に帰るがいい」
王の星の下に生まれたと称する金髪の女騎士、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)がつまらなさそうに言って敵を一瞥する。フィオナの視線の先には、人狼や吸血鬼を模したディアボロがわらわらと群がっていた。
「またあの女の子……どうして天魔がいるところに……?」
見る者に爽やかな印象を与える緑髪の男子中学生、レグルス・グラウシード(
ja8064)が、敵陣の奥に前に戦場にいた少女がいることに気づき、疑念を感じる。
一見すると、普通の少女にしか見えないが……。
(もしかして……天魔に狙われる理由が?!)
だとしたら大変だ。彼女を天魔にさらわれないように、とレグルスが一層気を引き締める。彼女の保護が、学園側に要請されていたはずだ。
「ミズカさんの安全を第一にしないとですね」
緑色の勾玉のネックレスを首にかけた少年、森林(
ja2378)が意気込む。辛いことがあっても生きていればいいことがある、が記憶喪失者である彼の持論だ。あの少女がどんな闇を抱えているのかは知らないけれど、みすみすディアボロたちに連れ去れせるわけにはいかない。
「あの野郎は……まだいねぇみたいだな。まぁいい、その方が目先の事に集中できるってもんだ」
右眼に眼帯をつけた少女、竜族悪魔と人間のハーフである宗方 露姫(
jb3641)がハイドアンドシークを発動。気配を殺し、真剣な眼差しを敵陣に注ぐ。
「悪いな嬢ちゃん。今はそっちにゃ行かせらんねぇよ――俺ら、撃退士だからさ」
「敵の掃除ついでに少女の保護……ね」
蒼銀の髪をした少年、龍族の末裔である蒼桐 遼布(
jb2501)が呟き、思案を巡らせる。
「それがその子のためになるかはわからんが、サバクに関するというならそれはそれで興味深いな」
ヴァニタス・サバク。それは遼布にとって、かつて敗北を喫した因縁の相手の名前でもあった。
「気持ちというのはわからないものだね……だが、渡しはしない」
金髪の青年騎士、スコットランド出身のリチャード エドワーズ(
ja0951)が、戦いに備えて優しげな表情を引き締める。普段は温厚な男だが、ひとたび戦いとなれば獅子の如く。金色の光を身に纏い、リチャードは大剣を抜き放った。
「怨まれようとも、私には私の信念があるのでね」
「不死王、ねぇ。悪魔ですらない使い魔風情でも、人間界ではこうも出世するものなのかぉ」
青い肌に羊角、白目のない真紅眼に妖艶な姿態のはぐれ悪魔、元サキュバスである秋桜(
jb4208)がぼそぼそと喋りながらヘルゴートを発動。まもなく始まる戦いに向けて能力を強化していく間も、秋桜の呟きは続いていた。
「使い魔と人間の逢引なんて、喜劇としても三文だよねぇ……ワロエナイ。しかもJCとか、ロリコン乙。包帯プレイかこのやろー」
蒼炎のようなオーラを纏った黒髪青眼の少年、不知火 蒼一(
jb8544)が味方の後方に下がり、ハイドアンドシークを発動。気配を殺し、敵の標的になりにくくする。
今回が久遠ヶ原に来て初めての依頼で、初めての戦闘だったが、緊張した様子はあまり見受けられない。蒼一は冷静な視線を敵陣――最奥にいる少女に向けていた。
「さて……行くか」
●
冥府の風を纏った秋桜の指先から、黒い光が放たれる。
開戦と同時に発射された漆黒の逆十字架が、人狼の群れに炸裂。クロスグラビティ。牽制の意を込めたそれは、回避し損ねたワーウルフの一体に重傷を浴びせていた。
真っ赤な血霧を噴き出した人狼が、十字架の重圧を破って地面を蹴る。疾走するワーウルフは、自身を傷つけた青肌の女へと襲いかかっていた。
「うは、まじかぉ」
引きつった笑いを浮かべた秋桜の豊満な胸部を、人狼の鋭く研ぎ澄まされた爪刃が二連続で抉る。負傷率九割五分。決して油断していたわけではないが、いきなりきつい反撃を貰ってしまった。しかし何とか持ち堪えた。まだ倒れない。
さらに二匹目、三匹目の人狼が秋桜にとどめを刺そうと飛びかかる。同時に秋桜を庇うように、金髪の神聖騎士が前に出ていた。
「ワーウルフは私が引き付けよう。今のうちに早く逃げるんだ」
そう言って、リチャードはタウントを発動。黄金の奔流の如き光輝を身に纏い、ディアボロの注意を集める。
直後、秋桜に向かおうとしていた人狼たちは標的を転換。タウントのオーラに抗えず、低位のワーウルフが次々とリチャードに誘引される。
秋桜はその隙に闇の翼で宙に飛翔し、空中へと退避。助かったと思ったのも束の間、秋桜の右肩を一条の光線が掠めていく。
アーガスの攻撃だった。百眼の巨人には、タウントの効力が通じていなかった。
「あの光線は厄介だな……ワーウルフを倒す予定だったが、あいつから先に片づけたほうが良さそうだな」
闇の翼で飛行する遼布が、弾丸のようにアーガスへと突撃。空中を一気に駆け抜け、秋桜を狙う痩せた巨人に接近していく。
巨人の全身に埋め込まれた眼球が上下左右に目まぐるしく動き、その一つが遼布に視線を合わせた。アーガスの胸元に填まった目玉に、赤い光が収束、解放される。
まっすぐに放たれた赤色の光線が、飛翔する遼布の左脇腹に命中。負傷率三割一分。ダメージは大きいが、致命傷ではない。
「確かに強烈だが、サバクよりは下だな!」
遼布はそのまま攻撃を続行。巨人に肉薄し、華麗に宙を舞う。鮮やかな宙返りの終点は巨人の顔面だった。アーガスの額に、遼布の足裏がめり込む。
雷打蹴。
急降下と共に放たれた痛烈な蹴りが、巨人の額を弾いた。衝撃で巨人の体が仰け反る。額に埋め込まれていた眼球は潰れていた。かなりの威力だった。
遼布が攻勢に出ようとして、反射的に振り返る。
吸血鬼がすぐ後ろに迫ってきていた。雷打蹴の注目効果に惹かれて、ではない。遼布がアーガスを危険だと認識したように、ヴァンパイアもまた遼布を危険だと認識したのだ。
蝙蝠のような翼で飛行し、遼布に襲いかかろうとしていたヴァンパイアが、不意に飛び退いた。直後、一本の矢が空を切っていく。
「大丈夫ですか、蒼桐さん」
牽制の矢を射ったのは森林だった。その存在に気づいた吸血伯爵が、苛立たしげに翠の射手を睨む。
「吸血鬼が朝日の中を歩くな……目障りだ」
もう一人の対ヴァンパイア、フィオナが距離を詰めながら円卓の武威(フォース・オブ・キャメロット)を展開。女騎士の周囲に、赤の発光する魔法球が無数に出現していく。魔法球に投影された大量の武器は、さながら吸血鬼を威圧するように鎮座していた。
吸血鬼はうろたえることなくフィオナを一瞥。動じないヴァンパイアの様子を見て、フィオナが薄く笑う。
「ふん、我が投影魔術を前にして怯まんとはな……面白い。王の力、とくとその身で味わうがいい」
尊大な言葉と共に、フィオナは大量の武器を一斉に投射。
光の力を帯びた強烈な攻撃が、吸血鬼に殺到していく。
●
上空から禍々しい牙や爪が降り注ぐ。
ワーウルフ絶許、と飛翔する秋桜がゲーティアの魔術を放ち、人狼を肉片に変えていく。飛行能力を持たないワーウルフは、秋桜に反撃する術を持たなかった。秋桜の一方的な攻撃と、人狼の回避運動が繰り返される。
他方、注目のオーラを纏ったリチャードは、独りでワーウルフの群れと対峙していた。
ツヴァイハンダーを構えたリチャードが、包囲されないように距離を開けつつ、右に右にと動いていく。四体ものワーウルフの中に飛び込む愚は犯さない。独りでこの数をどうにか出来る、などとは自惚れてはいなかった。
円弧を描いて移動するリチャードを追いかけ、ワーウルフが襲いかかる。鎧で覆われた騎士の胴に、人狼の爪が連続で振り下ろされる。しかしリチャードにダメージは殆どない。負傷率三分。流石の防御力だった。
後続のワーウルフがリチャードを追撃しようと動く。だが、前の個体が邪魔で、あるいは一息で届かず、うまく接近できない。リチャードの狙い通りだった。
ただ、誤算もある。
リチャードはここで、仲間の援護が来ると予想していた。
ワーウルフがまごついている隙に、他の仲間に攻撃して貰うことを狙っていたが――味方の攻撃が来ない。リチャードの動きに仲間が追いついていないのか、あるいは別の行動を取っているのか。
「くっ……!」
追いついた人狼たちが、着実に包囲網を縮めていく。素早さではワーウルフのほうが上だ。包囲から逃れるリチャードの前方と右側面、左側面、後方から、ワーウルフが迫る。
一体目の人狼が飛びかかってきた瞬間、リチャードは大剣を一閃した。爪と刃が交錯し、それぞれの肩口に命中。カウンターパンチを喰らった人狼が悲鳴を上げるのと同時に、二体目の人狼が両腕を振るった。リチャードは即座に刃を戻し、剣身で爪撃を受け止めようとしたが失敗。胸や腹に、爪による攻撃が叩き込まれる。
カウンターを狙うリチャードに対して、三体目と四体目が猛追。一体目、二体目も再び攻撃。負傷率二割三分、二割五分、四割四分、六割七分。リチャードの顔や体に傷が走り、血液が流れていく。
「予想はしていたけれど、やはり独りで挑むのは厳しいようだね」
リジェネレーションで回復しながら、リチャードがワーウルフから距離を取る。血の匂いに反応したのか、人狼たちの目は血走り息が荒い。興奮しているようだった。その証拠に、人狼たちの攻撃は徐々に苛烈さを増していた。
「ともあれ、こちらの目的は達成できたかな。後は任せたよ」
リチャードの視線の先。獣性を露にした人狼たちの背後では、一人の少年がミズカへと向かっていた。
リチャードがワーウルフを引き付けている隙に、レグルス・グラウシードは保護対象である少女のもとに辿りついていた。
「やっと見つけましたよ!」
薄幸そうな雰囲気の女子中学生――ミズカの手を掴み、レグルスが告げる。
「僕の後ろにいてください!」
少女の盾となるように、レグルスがディアボロたちとの間に立つ。ミズカは困惑したような、ともすれば迷惑そうな表情を浮かべていた。
「必ず守ります……だから、じっとしていてください!」
「い、いやっ」
レグルスの言葉を無視して、ミズカが飛び出す。その腕を、レグルスは強引に掴んで引き戻した。
「危ない!」
咄嗟にシールドを展開したレグルスに、アーガスの放った光線が命中。ダメージは浅いが出発前に癒えなかった傷もあり、負傷率三割。しかしミズカに怪我はない。
「危険なので下がっていてください!」
後方のミズカに注視しつつ、レグルスがアバドンの弓を構える。近づいてきた敵はいつでも射れるように。ミズカが天魔に攫われないように、と。
(やはり、彼女は天魔に狙われてる……僕が護らないと)
そう考えたところで、レグルスはかすかな疑念を抱いた。
(……だけど、さっきの攻撃はまるで、最初から彼女ではなく僕を狙っていたような――)
他方、遼布とアーガスは互角の戦いを繰り広げていた。
闇の翼で舞う遼布が、刀身に三連の複合刃を併せている特異な片刃大剣――ゾロアスターを振るう。敵を刻み削ぎ斬ることに特化した三本の刃が踊り、痩せた巨人の全身に埋め込まれた眼球を次々と破壊していく。
百眼の巨人は残った数十の目玉の一つから光線を噴き上げ、遼布を迎撃。負傷率六割七分。龍族の末裔はまだ倒れない。
「――騎槍active。Re-generete」
円錐槍を具現化し、遼布は急降下。推進力を乗せたディバインランスを、巨人の左足の甲へと突き立てた。苦悶の絶叫が響く。槍はディアボロの肉を貫き、地面まで貫通した手応えが確かにあった。
怒れるアーガスが殺戮の光線を発射する。遼布は騎槍を引き抜いて後方飛翔。赤い光線が、逃げ遅れた蒼銀の髪を何本か切断していく。
片足に穴を空けた巨人が、ゆらゆらと体を揺らして上空の遼布に迫る。
「くそ、まだ動けるのかよ……ならこいつを使うしかないな」
闘気を高めた遼布が、龍血覚醒を発動。体から血を噴き上げながらも、眠っている龍の力を強引に覚醒させる。
遼布の右腕が鱗で覆われ、龍のそれへと変貌していく。
漆黒のマントが翻る。
円卓の武威(フォース・オブ・キャメロット)を浴びた吸血鬼は、いまだ健在。
森林、フィオナもまた、ヴァンパイアと苛烈な戦いを展開していた。
浮遊する貴族風の吸血鬼が、飛来した矢を難なくかわす。脚を狙った森林の矢は、虚空を切って消えていった。
「やっぱり普通の攻撃じゃ当たらない……だったら」
森林がアウルを集中させ、二投目の矢をつがえる。それを放つより早く、吸血鬼は森林の目の前へと迫ってきていた。事前情報通りの素早さだった。
素早く回り込んだヴァンパイアが、森林の首筋に勢いよく噛みついた。負傷率五割。血を吸われふらつきそうになったのを堪えて、そのまま至近距離から反撃の矢を放つ。
精密狙撃。
命中力を極端に高めた一撃が、吸血鬼の右眼に命中。目潰しを喰らったヴァンパイアが目を手で覆って悶える。その背後から足音。無骨な大剣がまっすぐと振り抜かれ、咄嗟に飛び退いた吸血鬼の尖った耳を掠めていく。
「なるほど、耳が良いというのは本当らしいな。だが……次は外さん。聴力が強いということは、さぞやデリケートな耳であろうな」
カズムクレイモアを構えたフィオナが、音を反応して攻撃を避けてみせた吸血鬼と向き直る。大剣の間合いを保ち、あくまで至近距離には踏み込まない。
対ヴァンパイアの二人はそれぞれのやり方で戦っている。包囲や挟撃などではない単独攻撃が主体である程度は避けられているが、徐々に追い詰めている感覚は確実にあった。
不意に起こった爆発と共に、白煙が広がっていく。
潜行していた蒼一が、発煙手榴弾を投擲していた。
陰影の翼で飛翔し、ミズカに接近しようとする蒼一を、アーガスの蠢く百眼は見逃さなかった。発煙手榴弾一個の性能では、四メートルの長躯と優れた眼を数え切れないほど持つアーガスの視界を完全に奪うのは、難しかったようだ。
潜行スキルはあくまで標的に『なりにくくなる』技術。発煙手榴弾による目くらましを仕掛けた時点で潜んでいるとは言えず、それでアーガスの標的になったのかもしれない。
アーガスの頭部にある目玉に血色のアウルが集中していく。どうやら遼布を一旦放置し、蒼一へと光線を放つ気らしい。
「ちっ……!」
グリースに持ち替えた遼布が即座に鋼糸を一閃。巨人の左足を裂いて、体勢を崩させる。百眼巨人はよろめきながらも蒼一へと照準を定める。
「光線、来ますよ!」
森林が警告の声を上げて流草の矢を放つ。矢は無数の笹の葉に変化していた。
蒼一が巨人を振り向いた直後、赤い光線が放たれる。光線は、笹の葉に触れてわずかに軌道が逸れていた。蒼一の真横を死の光線が突き抜けていく。
「助けられたな」
遼布と森林の支援もあり、蒼一はギリギリで回避に成功。ちなみに当たっていれば負傷率九割四分といったところだ。危ないところだった。
危機を乗り切った蒼一が、ミズカを確保すべくレグルスと合流していく。
●
森林に期せずして魔眼を封殺されたヴァンパイアは、脅威としては一段落ちる。
しかし、回避力の高さと吸血能力だけでも、このディアボロは充分すぎるほどに厄介だった。
戦いが始まって三十秒が経過しているが、吸血鬼は致命傷を回避し続け、血を吸うことで失った生命力を回復し続けていた。
吸血攻撃を仕掛けようとヴァンパイアが踏み込んだ瞬間、フィオナはクレイモアを放っていた。
側頭部を狙った攻撃。耳を断つフィオナの一撃は、寸前で吸血鬼にかわされていた。回避と共に素早く懐に潜り込んだヴァンパイアが、フィオナの白い首筋に容赦なく牙を突き立てる。
その愚行は、フィオナの怒りを買った。
「駒の分際で王の…そして竜の血を啜ろうとは……不敬者が」
激昂したフィオナは、闘神の巻き布を活性化していた。あるいは無意識のうちの行為だったのかもしれない。理性は殆ど消し飛んでいた。布を巻いた手が吸血鬼の頭を掴みかける。ヴァンパイアは噛み付いた直後で至近距離から反撃するには丁度良かったが、失敗。フィオナの怒りは収まらない。
「……逃がさん」
円卓の武威(フォース・オブ・キャメロット)の魔法球が再び顕現。飛んで逃げようとする吸血鬼を撃ち落さんと、翼を狙って次々と投影武器を投射していく。
「王も竜も、その逆鱗に触れた者には死、あるのみ。貴様の愚かさの代償は、その仮初の命で支払って貰おう」
重傷を負った吸血鬼が高度を上げつつ退避していく。フィオナの射程から逃れようとして――吸血鬼の頭上に影が落ちた。
秋桜だった。
嫌らしい笑みを浮かべて、夢魔の女がクロスグラビティを発動する。当然、吸血鬼も避けようとするが、
「――避けたら、女に当たるぉ」
秋桜の言葉通り、下にはミズカがいた。確証はないが、ディアボロたちがあの少女を守ろうとしているようにも思える。ならば、一か八かそれを利用するのも有りか。
勿論、ミズカは保護対象に指定されている。本当に当てる気は秋桜にはないが、このディアボロにはそこまで読み取る能力はなかった。
びたっ、とヴァンパイアの動きが一瞬だけ止まる。その一瞬で、闇色に染まった逆十字架はヴァンパイアの目前まで迫ってきていた。避けられない。
ヴァンパイアを磔にするように、漆黒の十字架が叩き込まれる。
「吸血鬼もどきにはお似合いのオチだぉ」
秋桜は落下するディアボロの死骸を指さし、ぷぎゃー、と嘲笑った。
他方、ワーウルフ対応。
リチャードの窮地は継続していた。
回復と再生で負傷率五割まで戻ったが、遂にワーウルフに四方を包囲されてしまっていた。
「同士討ちを期待していたけれど……それも望めそうにないね」
確かに気性は荒くなっている。罠や囮戦術にはかけ易そうだが、敵味方の区別がつかなくなるほどでもない。
最早、打つ手は残されていなかった。
四体が同時に鉄壁の騎士へと襲いかかる。人狼の八連続攻撃。それらをすべて受け止めたリチャードの体は限界に達していた。負傷率十割四分。
しかし、リチャードは気力を振り絞って踏ん張る。不抜の要塞はまだ、倒れない。
再生して負傷率九割四分まで戻ったリチャードは、黄金の獅子の如き気迫を纏っていた。
普段より獰猛になったはずの人狼が、思わず後ずさる。
その時だった。
リチャードの背後に後光のような強い輝きが芽吹き、ワーウルフたちの視界が眩い光に覆い尽くされていく――。
仲間の危機に、レグルスが動いていた。
「目を塞いでください!」
ミズカにそう伝え、レグルスが星の輝きを発動。
「僕の力よ! 暗黒を撃ち払う、創世の白光になれッ!」
熟練アストラルヴァンガードであるレグルスのこのスキルは、低級ディアボロであるワーウルフの目を背けさせるには充分だった。そしてその隙を、好機を窺っていた露姫は逃さなかった。
「やっと俺の出番だな!」
待ちくたびれた、とでも言わんばかりに潜行していた露姫が盛大な花火をぶちまける。ファイアワークス。リチャードに釣られていた人狼の群れに炸裂した色とりどりの炎は、悪魔を殲滅するとされる対悪魔の爆撃。爆発に呑まれた人狼三匹が息絶え、何とか生き残った一匹も気絶寸前の重傷を負っていた。
「さあ、反撃といこうか」
星の輝きとファイアワークスを浴びて人狼が混乱している所に、リチャードが大剣を力強く薙ぎ払う。ツヴァイハンダーの刃は、人狼の胴に亀裂を刻み込んでいた。立て続けに繰り出された強打を喰らい、ワーウルフが絶命し地面に倒れる。
残るワーウルフは一体。
秋桜の空中爆撃を避けていた最後の人狼が、露姫へと襲いかかる。攻撃を放った時点で、すでに彼女はワーウルフの標的になり得ていた。
狼の鋭い爪が露姫の柔肌を引き裂く。負傷率八割。龍の娘は即座に反撃に乗り出した。
「舐めんじゃねぇっ! こんなんでやられっかよ!」
そして再び放たれるファイアワークス。爆炎を叩き込まれ、最後の人狼はあえなく最期を迎えた。
「あいつが混乱するのを待ってたんだけどよ。けっこうギリギリだったみたいだな、すまねえ」
実際、あと一秒露姫の援護が遅れていたらリチャードは恐らく気絶していただろう。敵の特性を逆手に取ろうとしたが、打ち合わせ不足もあり今回の作戦は裏目に出てしまっていた。
「私は大丈夫だ、もう動けるレベルまで回復している。それより、独りで巨人を抑えている彼のほうが心配だね」
「そうだ、遼布! アイツは――」
振り返った露姫の青い瞳が見開かれる。
露姫の視線の先では、光線に脚を貫かれた遼布が、今まさに地面に倒れこもうとしていた。
接戦の末、遼布はアーガスに敗れた。
四対一で耐え凌いだリチャード同様、生命力に二倍の差がありながらの大健闘だった。せめてもう一人、共に戦ってくれる仲間がいれば違っただろうが――負傷率十割七分。これ以上戦うのは難しかった。
「流石に、捜索隊とやらを返り討ちにするだけはあるってことか。俺たちが保護対象を優先させたのは、失敗だったかもな」
レグルスと合流した蒼一がぶっきらぼうに呟く。そもそもミズカは一般人だ。仮に逃げられたとしても、先に戦闘に集中してディアボロを素早く片づけてから追いかければ、撃退士の脚力ならまず間に合うはずだった。
「……そうですね。ディアボロはミズカさんを狙ってはいますが、どうやら危害を加えるつもりはないようです。その証拠に、あの巨人はミズカさんに近づく僕らにしか光線を向けなかった」
ミズカを攻撃するというよりも、まるで守ろうとしているような、そんな感じだ。事前に聞いていた通り、やはりミズカはサバク側なのかもしれない。けれど、レグルスにはまだ信じられなかった。
「まあ議論はなしだ。とにかく俺はこの子を連れて安全な場所まで避難させる。あんたは?」
「僕は蒼桐さんの回復に向かいます。ミズカさんのこと、頼みましたよ!」
レグルスが遼布のもとへと向かうのを見届け、蒼一がミズカに上着を着せて抱きかかえた。
「は、はなしてっ。降ろしてよ!」
「言いたいこともあるだろうが、今は黙っておけ。舌噛むぞ」
抵抗するミズカが落ちないようにしっかりと抱え、蒼一が全速力で飛翔。人ひとり抱えている分、本来の全力移動よりは遅いが、それでもミズカからすれば凄まじい速度と高度だった。
そうして、蒼一が戦場を離脱していく頃、レグルスは遼布にライトヒールを施していた。
何とか立ち上がった遼布の全身の傷が、見る見るうちに癒えていく。
「これなら、あと一撃はあいつの光線にも耐えられそうだな……時間もないし、一気に決めさせて貰うぜ」
龍血の効果時間は残り数秒。この一合で、終わらせる。
ゾロアスターを再召喚した遼布が疾走する。アーガスも残されたアウルを一箇所に集めて光線を撃つ動作に入り、そして最後の一撃を発射した。
まっすぐと伸びた赤い光線は、遼布の頬を浅く裂いていた。紙一重で回避に成功した遼布が、雄々しい咆哮をあげて削竜の剣を振り抜く。
巨人の胴体に全力で刻み込まれた三条の斬撃は、さながら竜の爪痕のようだった。
傷口から夥しい量の血液を噴き出した巨人が、音を立てて地面へと倒れ伏せる。
開始から四十五秒で、苦しい戦いに終止符が打たれた。
辛くも、撃退士たちの勝利だった。
●
不知火蒼一は、悪魔の混血ではあるものの、アウルに発現するまでは至って平凡な青年だった。
おそらく、このメンバーの中では最も一般人に近い立場……そのはずなのだが。
「…………」
「随分と嫌われたもんだな」
戦場から少し離れた山の麓。ミズカを連れてきた蒼一は、やれやれと肩を竦めてみせた。ヴァニタスご執心の女子中学生は、逃亡を諦めたのかさっきからずっとこんな調子だった。
「まあ無理に引っぱってきたのは謝る。どちらにせよあんたが戦闘に巻き込まれるのが一番最悪の展開だと思ったんでな」
「…………」
ミズカは蒼一に背を向けて、しゃがみ込んだままだった。俯いているので表情は読めないが、会話の意思がないことだけは明らかだった。
そんなミズカに、蒼一は携帯食料のおにぎりやパンを差し出す。
「なあ。俺を無視するのは良いが、今のうちに何か食べとけよ。脱走してから何も食べてないんだろ? 食べずに死んだら誰にも会えないぞ」
「………………」
長い沈黙を経て、少女が顔をあげる。戦いを終えた撃退士たちが到着したのも、その時だった。
「気休め程度ですけど……来るのが遅くてすみません。無事でよかったです」
そう言って、森林が治癒葉でミズカ、露姫、秋桜に応急手当を施していく。ミズカに対しては、少しでも心のケアになれば、という意味も込められていた。
レグルスもマインドケアを発動し、癒しのアウルを拡散。ミズカの不安や恐怖を一時的に緩和させ、ついでに気になっていたことを質問した。
「ミズカさん、あなたはどうして天魔に狙われているんですか? 何か事情があるのでしたら、話してください」
「……話して、どうなるの?」
マインドケアの効果なのか、ようやくまともに少女は口を開いた。それは平坦な声だったが、どこか怒っているようにも聞こえる。どうやら、話すつもりはないらしい。
「あぁ、君はあのサーカスのときに見かけた子か」
その声でようやく気づいた、といった風な感じで遼布が近づき、ミズカの顔を覗き込んだ。遼布はミズカの目をまっすぐと見つめ、そして微笑んだ。
「今の君の目には力がある。だったら俺から言えるのは『君の好きなようにすればいい』ってことだけだね。君の気持ちを、正直に言ってご覧?」
「……私は、サバクと一緒にいたい」
ミズカの言葉に、微かなざわめきが起こる。遼布は続きを促した。
「どうして?」
「……あの人のそばにいると、安心するの。あの人は、私とおんなじだから」
「同じ? ……いやいや。俺が言うのも何だけど、あいつと君は全然似てないと思うよ?」
「……それはきっと、あなたがサバクのことを何も知らないからそう思うの。あの人は不器用で乱暴だけどね、本当はすごく繊細で弱い人なんだよ」
サバクが、弱い?
その言葉の言わんとしているところはすぐには理解できなかったが、けれどミズカの声が弾んでいるのに気づいて、遼布はもう一度微笑みを浮かべた。
「そっか。君はあいつのことをよく分かってるんだね。君、サバクが好きなのかい?」
「…………うん」
頬を赤く染めた女子中学生は、小さく頷いた。
「……まぁ、あんたが彼奴に対してる感情は否定しねぇよ。彼奴があんたを弄んでるとも思えねぇしな。だが、あんたをサバクのところに行かせるわけにゃいかねぇんだよ」
そう言って露姫が前に出る。ワーウルフから受けた傷がまだ完全に癒えておらず、腕からは一筋の血が流れていた。
「無情、非情と誹るつもりなら甘んじて受けるぜ? けどよ、人と悪魔は違う。奴らに近付くつもりなら、それは人を捨てる事……誰かを痛め付ける側になるって事は覚悟しなきゃならねぇんだ」
露姫の青い瞳が、まっすぐと少女を見据える。
「あんたにそれが出来んのか? もう少し考えてみちゃくれねぇか……ミズカ」
「…………」
露姫の言葉に、ミズカが再び押し黙る。誰かを傷つけることについて、考えているのかもしれなかった。
秋桜はそんな少女に近づき、面倒臭そうな声音で告げる。
「私から言えるのは一言――行くんなら殺す。それだけだぉ」
と、秋桜は雑な手つきで、表情を強張らせたミズカのスカーフを外していく。他に適当なものが見当たらなかったのだ。
スカーフに油性ペンを走らせると、秋桜はこれまた適当に選んだ石ころに、スカーフを挟んだ。ヴァニタスへの書き置きなんてこれで充分だ、とでも言わんばかりに。
「皆さん、そろそろ帰還しましょう。サバクもミズカさんを探してこの辺りに来るかもしれないですし」
周囲を警戒していた森林の提案に撃退士たちが頷き、その場を離れていく。勿論、ミズカを連れて、だ。
その後、学園にミズカの保護を報告すると、彼女は一旦最寄の撃退署で聴取を受けることが決定した。ここでミズカの然るべき処遇を決めるらしい。
地元撃退署にミズカを引き渡す際、蒼一は彼女の首にもふらの襟巻きを巻いてあげた。秋桜がメモ帳にしてしまったスカーフの代わり、かどうかは定かではない。
「それじゃ元気でな……なんとなく、あんたとはまたすぐ逢うような気もするが」
●
サバクがそのスカーフを見つけたのは、撃退士たちが去ったすぐ後だった。
ワーウルフがミズカの匂いを辿って見つけたスカーフには、マジックペンでこんな言葉が書かれてあった。
『ロリコン厨弐病野郎。女は預かった。怪盗X』
「……ふざけやがって」
呟き、ヴァニタスがスカーフを握り潰す。
「……上等だ。取り返してやるよ、撃退士。あいつは俺のモンだ。テメエらには渡さねェ――」
こうして、撃退士たちはサバクに先んじて、少女ミズカの保護に成功した。
不死王が渇望する少女を巡り、物語は続いていく。