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暗闇に包まれた広場の中央に、ひとつの明かりが生まれていた。
明かりの正体は、焚き火。
四人の少女が、揺れる炎を取り囲んでいた。
それだけではない。
焚き火台に敷かれた網の上では、さまざまな肉や野菜が金串に刺されて焼かれている。
夜間。郊外の広場公園で、今まさに、焚き火を利用したバーベキュー・パーティが催されていた。
撃退士たちの手によって。
「お肉焼けたみたいっすよ!」
網上の食材が焼きあがり、大谷 知夏(
ja0041)は喜悦の声をあげた。焚き火に炙られた色とりどりの肉野菜はどれも絶妙な焼き色がついており、眺めているだけで食欲がそそられる。
鶏・豚・牛肉はもちろん、ウインナーに玉ねぎ、ピーマン、とうもろこし、キャベツ、ナス、各きのこ類、エトセトラ……。
見ているだけでも飽きないっす、と知夏の視線が網の上を泳ぎ、ある一点で止まった。
知夏の視界に飛び込できたのは、禍々しい波動を放つ謎の黒い物質。
「うーん……真っ黒……」
そう呟く陽波 飛鳥(
ja3599)の焼いた肉串だけが、なぜか炭化していた。火加減、焼き時間ともに皆と変わらないはずだが、彼女の壊滅的なまでの料理の腕前は、このバーベキューでも健在だった。
物体Aの前で呆然とする飛鳥の隣で、久遠寺 渚(
jb0685)が気遣うように声をかける。
「あの……陽波さん。ええと、私ので良かったら、どうぞ食べてください!」
人見知りの激しさ故か、あるいはもっと別の理由で緊張しているのか。顔を真っ赤にした渚が紙皿を差し出した。皿を受け取った飛鳥の目が見開かれる。
皿の上には、肉と野菜をはさんだシンプルな串焼きが鎮座していた。ただ刺して焼いただけとは思えない。そのままテレビコマーシャルにでも流用できそうな美しい焼き色は、見事の一言に尽きる。
渚の趣味は料理だと聞いてはいたが、ここまで自分と違うとは。
「い、いらないわよ。私は自分で焼いたのがあるからいいわっ」
つい虚勢を張ってしまい突っぱねるが、飛鳥の声は震えていた。
「ええっ!? 食べるんですか、というか食べられるんですかそれ!?」
「飛鳥ちゃん先輩! それは流石にやめたほうがいいと知夏も思うっす!」
きゃーきゃーと女三人で文字通り姦しいなか、ひとり冷静な桐村 灯子(
ja8321)が嘆息する。
「……こんな調子で、ちゃんと誘い出されてくれるのかしら」
「くうぅ……おっさんも囮班に行けばよかった……腹減ったよ」
香ばしい匂いを嗅ぎながら、少女たちから離れた場所で綿貫 由太郎(
ja3564)がこぼす。しかし軽い言葉とは反対に、夜目を効かせた綿貫の視線は少女たちでも食べ物でもなく、周囲の暗闇へと向けられていた。
綿貫のそばでは、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が暗視鏡ごしに少女たちを見守っている。
別の地点でも、仁良井 叶伊(
ja0618)と天耀(
jb4046)のコンビが闇に隠れて待機していた。
バーベキューは少女撃退士の親睦会などではない。
これは、少女たちを囮にした誘導作戦。暗闇に紛れて人々を襲うディアボロを見つけるための、苦肉の策だった。
囮班が焚き火や肉の匂いでディアボロを誘い出し、現れたところを潜伏班が一網打尽にするという筋書きだ。
少女たちの弛緩した空気も、敵に警戒を気取られぬための演出に過ぎない。依頼にかこつけて女子会を開いているわけでも、ガールズトークに花を咲かせているわけでも、断じてない。
やがて、雑談に興じている振りをする知夏の携帯端末が振動した。それは、敵の接近を知らせる合図。
仲間からの知らせを受け、少女たちが一斉に立ち上がる。その表情は引き締まっており、撃退士の貌に切り替わっていた。
臨戦態勢へと入る。
光源を確保すべく知夏がスキル『星の輝き』を発動。知夏を基点とした半径20メートルが、一瞬にして美しい光に照らし出された。同時に、夜の暗闇に潜んでいたディアボロの姿もあらわとなる。
効果範囲の内周ぎりぎりに、それはいた。
世界中の闇を煮詰めたような黒い体躯に、魔性の月を思わせる金色の双眼。
黒豹――ダークパンサーは、星の輝きを受けても怯むことはなかった。
接近に感づかれたと理解したのか、ディアボロは即座に攻撃へと移った。
瞬、と音もなく黒豹が突進。黒い閃光となり、飛鳥へと襲い掛かる。一気に懐へ飛び込んだ黒豹が、少女の細腕に噛みついた。
「っ……!」
苦悶の声を漏らしながらも飛鳥が光纏。灼熱の焔にも似た黄金のオーラが噴き上がる。負けるわけにはいかない。
飛鳥が自身の左腕に食らいつく黒豹へと刀を向ける。不退の覚悟と共に放たれた突きは、虚無を貫いた。飛鳥が右腕を動かしたのに合わせて黒豹は身を翻し、後退したのだ。
黒豹の牙が抜け、飛鳥の片腕から血がこぼれる。けれど、見た目ほどダメージは受けていなかった。渚が展開していた四神結界により、防御力が高まっていたからだ。
第二撃に備えて灯子が天翔弓を構える。敵は予想以上に素早い。少しでも隙を見せれば一瞬で近づかれるだろう。
再び攻撃しようと黒豹のしなやかな体躯がたわむ。
暗闇から雨。
駆けつけた天耀が放ったルキフグスのカードと、叶伊が飛ばした雷帝霊符の雷刃が、黒豹の上に降り注いだ。二人の攻撃をディアボロは跳躍して回避。
黒豹の着地と同時に銃声が響く。天耀たちの逆方向から出現した綿貫のマーキング弾が、黒豹へと直撃する。
潜伏していた撃退士たちの登場は、囮に気を取られていたディアボロにとっては想定外だったに違いない。いったん射線から逃れようと、黒豹が後退。暗闇のなかへと潜る。
潜伏班の暗闇対策は万全だった。綿貫はマーキング、天耀は夜の番人、叶伊はナイトビジョンにより、暗闇のなかでもディアボロの位置が手に取るようにわかる。
暗闇を駆けて黒豹へと向かうジェラルドもまた、ナイトビジョンによって視界を確保していた。
「一気に……決めるよ♪」
甘い囁きのような宣言と共に、ジェラルドの全身から赤黒い闘気が噴出。
神の獅子を冠する爪刃が、黒豹の肉体を一閃する。
弱小ディアボロであれば一瞬で葬ることができただろう強烈な攻撃。だが、黒豹はまだ倒れなかった。
暗闇の襲撃者が地を蹴る。ジェラルドの追撃を避けるために、そして少女へと牙を突き立てるために。
狙われたのは灯子。
矢のように突進してくる黒豹に対し、灯子は冷笑を浮かべた。
「そう簡単に食らったりしないわよ」
灯子が守護の風を発動。少女の周囲に突風が巻き起こり、竜巻となって灯子を護る。
風圧で黒豹の突進攻撃が逸れ、ディアボロの牙は虚しく空を噛んだ。
接近した敵めがけて、渚が八卦石縛風を放つ。襲い来る砂塵をかわし、黒豹は再び闇の中へと這入る。
すぐさま綿貫がショットガンで追撃。放射状に広がる散弾はディアボロの影を追うが、当たることはなかった。
けれど綿貫の牽制射撃は、黒豹を確実に明かるい方へと誘導していた。
星の輝きの有効範囲に戻ってきたディアボロに、ルキフグスの書から生み出された黒いカード状の刃が放たれる。黒豹はカードを鬱陶しそうに避けると、天耀へと反撃の牙を向けた。
それが天耀の仕掛けた罠とも知らずに。
仲間たちの動きに合わせ、ディアボロを取り囲んでいた長身の戦士が黒豹へと詰め寄る。天耀が気を引いた一瞬を狙い、叶伊が神速の斬撃を繰り出した。
叶伊の戦斧による一撃を浴びた黒豹が吹き飛ぶ。中空で体勢を取り直し、黒豹が何とか着地。
強力な攻撃を二発も喰らい、すでにディアボロは疲弊していた。
流れは完全に撃退士へと向いている。黒豹も本能的に、そう感じたのかもしれない。
轟音が大気を揺らす。
それは黒豹が咆哮をあげた音だった。
夜空に向かって吠え猛ると、眼前の撃退士へと意識を集中。次の瞬間には、野獣は大地を蹴り上げて跳躍していた。
右へと跳んだかと思えば、着地と同時に左へ。左から更に右へと跳躍。左へと跳躍。右へと跳躍。
黒い閃光が、戦場を縦横無尽に駆け巡る。
漆黒一閃。
飛び込んできた黒豹の爪が、灯子の脇腹を掠めた。
即座に反撃の鎖鎌をディアボロへと向けたが、黒豹はすぐに跳躍を再開。
撹乱するように、黒豹がすばやく動き回り続ける。
「……油断したわ」
撃退士たちは暗闇への対策ばかりに気を取られていた。黒豹の俊敏性は、それのみでも充分に脅威だった。
相手の動きを封じる有効なスキルを持つのは、知夏と渚の二人。あとはそれを確実に当てる隙を仲間たちが作れるかどうか。
黒豹を迎え撃つべく、撃退士たちが武器を構える。
次の一合が勝敗を決すると予感しながら。
四人の少女が前へと出る。
前列には飛鳥と灯子、後列には知夏と渚。
跳ね回る黒豹を前にして、飛鳥の心は落ち着いていた。
(……速度での撹乱はあっても、最終的な攻撃は直線的なはず。ならば無駄に翻弄されないよう、『攻撃が来るタイミング』に的を絞れば……)
黒豹が地を蹴って少女たちへと迫る。標的は最も防御に欠ける者――飛鳥。
自分へと攻撃が向けられた瞬間、飛鳥は即座に反応していた。紙一重で攻撃を避けてカウンターを仕掛けるべく、石火を発動。
しかし、ディアボロの攻撃速度は、飛鳥の反応速度よりもわずかに速い。このままではタッチの差で、飛鳥は致命傷にもなりうる攻撃を受けてしまうだろう。
だが。
「――陽波さんは私が絶対に守ります!」
飛鳥へ攻撃が向かうと読んでいた渚が、乾坤網を発動。網状のアウルが、飛鳥の身に纏う。飛鳥へと飛びかかった黒豹の衝撃を、乾坤網が吸収する。
攻撃を受けながらも、飛鳥が大太刀を一閃。黒豹の頭に一撃を浴びせ、地面へと叩きつける。
地に伏したディアボロに、すかさず知夏が審判の鎖を発動。光の鎖が黒豹を雁字搦めに締め上げていく。
灯子が黒豹へと弓矢を向けた。
黒豹は、動けない。
無慈悲な光矢が放たれる。
鋭い一撃が、黒豹の頭部を貫いた。
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戦闘後。
勝利を祝って(?)本当にバーベキューが催された。
「私、皆さんの分の飲み物も用意してきました! 成人している人の為にお酒もあります!」
「おー、ありがとさん」
用意周到な渚が、綿貫に飲み物を手渡す。
「いやぁ、労働の後の食事は美味しいねぇ」
ジェラルドが料理を味わいながら言う。
「……ところでこれ、ちゃんと経費で落ちるのかしら?」
「まあ……何とかなるんじゃないでしょうか……なりませんかね」
灯子の冷静な呟きに、叶伊が苦笑を浮かべながら答える。
このあと彼らと学園事務方との間でもう一つの戦いが始まるのだが、それはまた別のお話。
皆から少し離れたところで、天耀が夜空を眺める。
焚き火から遠いこの場所なら、余計な光害はなく、満天の星空がはっきりと見えた。
――天に耀くという名を持つ者として、闇に浮かぶ星空の美しさに、彼は何を思うのだろうか。
天耀が見上げる夜空を、一筋の流れ星が駆けた。