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魔の軍勢が、闇に蠢く。
仄暗い瓦礫の山間を、鬼人や首無し騎士、骸骨兵に腐敗兵といった多種の冥魔の眷属達が闊歩する。三十体を超えるディアボロがぞろぞろと動き出す様は、さながら悪夢のような光景だった。
数多くの眷属達の中央にいるのは、虚影の不死王。地獄から這い上がった亡者のように、ヴァニタス・サバクの全身には幾重の包帯が巻かれていた。
各地から敗残兵を寄せ集め、彼は何を企んでいるのか。無目的なただの破壊行動か、それとも――。
ふと、ヴァニタスの足が止まった。
包帯から覗く青年の瞳が、何かに気付いたように前方を見る。が、夜闇で覆われた真っ暗な視界には、特に異変は映らない。
気のせいか、とサバクが再び一歩を踏み出そうとして、
轟音と共に、光の矢が暗闇を切り裂いた。
真っ直ぐ放たれた閃光に貫かれ、サバクの前面に居た骸骨兵士達が一瞬で撃沈。砕けた骨の肉体が、ばらばらと崩れ去った。
矢の正体は、煌く硝子の白鳥を模った莫大な霊気の槍。撃退士の中でも、天界の影響を色濃く受けた聖導者――アストラルヴァンガードが使う必殺技だ。
この技の名は星晶飛鳥(ル・シーニュ)。
ヴァルキリージャベリンに改良が施された天浄の一撃を操れるのは、世界に一人しかいない。
サバクが、銀翼の撃ち込まれた方向を振り向く。そこに立っていたのは、闇の中でも映える銀髪と碧眼が印象的な、美しい少女だった。
円錐槍を構えて静かに佇む神月 熾弦(
ja0358)の姿に、ヴァニタスは見覚えがあった。
「テメエは……あの時の盾女か」
僅かに驚いたような声音で、サバクが呟く。
彼女とはつい先日に戦ったばかりだったが、まさかこれほどの力を有していたとは。
突然の攻撃に動揺する眷属共を御しつつ、サバクが熾弦に問いかける。
「俺様に気取られずに接近してきたのは褒めてやる。だが、流石に独りって訳じゃねェだろ。仲間はどうした? その辺にこそこそ隠れてやがンのかァ?」
「……貴方の質問に答える義理はありません。今回こそ仕留めさせて頂きますよ、サバク」
熾弦の言葉に、サバクが歯を剥いて笑う。
「ハッ、面白ェ。リベンジマッチってか? 上等だ、今度は完全にバラしてやンよォ!」
足元に転がるスケルトンの頭蓋骨を踏み砕き、サバクが跳躍する。
サバクは一気に熾弦に迫ったが、しかし、射程限界から星晶飛鳥を撃った彼女には後一歩届かない。
熾弦は前回の戦いを経て、サバクの間合いを把握していた。
充分に距離を置いて戦えば、動きが鈍いサバクの脅威度は数段落ちる。
「ちっ。オイ! 出番だ、テメエら!」
サバクは軽く舌打ちすると、代わりにディアボロをけしかけた。
合図を受けて動いたのは、機動力に長けた漆黒の猟犬。
ヘルハウンドが猛々しく吠え、少女へと牙を向ける。
熾弦は、敵の隙を突いて初手に最大攻撃術を叩き込むという戦術的に正しい奇襲を仕掛けたが、その代償にカオスレートを変動させた。彼女にディアボロの攻撃を防ぐ手立ては、ない。
冥獣が熾弦を噛み殺さんと飛びかかり――その横合いから影が奔る。
めきり、と。
突き出された盾から伸びる渦巻く槍の穂先が、ヘルハウンドの横っ腹に深く食い込んだ。
物陰から出てヘルハウンドに槍付盾を叩き込んだのは、逞しい肉体に反して女性服に身を包んだ青年。
御堂 龍太(
jb0849)も又、サバクを倒すために赴いた撃退士だった。
オカマ符闘術『雌雄完全同心』で完全な精神状態に覚醒した龍太は、天界の影響も受けている。死角を狙った一撃は、充分な破壊力を誇っていた。
龍太のプロスボレーシールドによる重たい突きを浴びて、ヘルハウンドが吹き飛ぶ。魔犬は中空で体勢を立て直して地面に着地したが、すぐに再度跳躍。その刹那、それまでヘルハウンドがいた空間を十字の斬撃が切り裂いた。
美貌の双剣士、志堂 龍実(
ja9408)が闇夜に紛れるようにして剣を踊らせる。
龍実はサバクと一合を交えて、そして敗れた苦い経験があった。
だが、だからこそ、先日の敗戦を踏まえ、龍実は一段と気を引き締めて依頼に臨んでいた。
「前回、自分にとどめを刺せなかった事……必ず後悔させてやるッ!」
長槍を携えた骸骨兵の刺突をかわし、龍実が刃を翻して反撃。仰け反ったスケルトンの額に、更に銃弾が炸裂する。
「絶世とかいかんけど、美女が来てやったばい! しっかり付いて来んね!」
桃香 椿(
jb6036)が散弾銃を猛射し、発砲音が連続で爆ぜた。
椿の派手な銃撃に引き付けられるようにして、豚のような顔と身体つきの巨人が接近していく。
棍棒を振りかぶるオークの太い腕に、アウルの弾丸が命中。
「皆様方に……手出しは……させません……」
華成 希沙良(
ja7204)が拳銃の引き金を絞り、援護射撃を続ける。
希沙良の攻撃は、鈍重なオークに全弾命中した。
それでも頑強な巨人は斃れずに椿へと突き進む。流石に手強いが、しかし、撃退士も負ける訳にはいかない。
「さ、『line』。出番だよ」
矢野 胡桃(
ja2617)が慈しむような語りかけと共に、愛銃を具現化。ヒヒイロカネから、義兄に貰ったスナイパーライフルを呼び起こす。
銃に込められし想いは家族との絆。その結びつきを現すように、この戦場には胡桃にとっての家族や友人が多数集っていた。
彼女の父も、隣にいる。
矢野 古代(
jb1679)は防御火器を構え、敵を見据えていた。自身のみならず、親しい者たちをも護るという願が掛けられたPDWは、『護珠父神』の名を冠している。
「――打ち破る、だけだ」
言葉と共に、古代が引き金を絞った。連動するように、銃弾に深紅のアウルを纏わせた胡桃も発砲する。
狙撃手の親娘が、巨躯のディアボロに銃撃を重ねていく。
オークはまだ、斃れない。
「ヒャハハハハ! たった七人ぽっちで、俺様とこのディアボロ共を相手にできると本気で思ってンのかァ?」
「くっ……」
古代が悔しげに呻き、娘と共に後退。前衛の撃退士も、合わせて後ろに下がっていく。
「ヒャッハァ! 逃がすかよォッ!」
ヴァニタスが指示を飛ばし、デュラハンと鬼武者をそれぞれ前進させる。首無しの鎧騎士と鬼面の鎧武者が、雑魚と斬り結ぶ龍太と龍実の間合いに入った。
ほぼ同時に、ディアボロの大剣と大太刀が高速で抜き放たれる。一瞬で三連続もの斬撃を可能とする凄絶な剣技は、撃退士を殺すには充分過ぎるほどだったが、
六発の渇いた銃声が響く。
後方から古代と胡桃の放った銃弾が、前衛達を襲うディアボロの剣に三発ずつ命中。太刀筋を狂わされ、僅かに狙いを逸らされた刃は、いずれも二人の頬や髪の毛を掠めるに終わった。
辛うじて猛攻を凌いだが、古代の軌曲も胡桃の回避射撃も後一回しか使えない。次は確実に斬り伏せられることだろう。
大打撃を与えることが出来たのは、最初に撃ち込まれた熾弦の星晶飛鳥のみ。そして、敵は既に態勢を立て直しつつある。
「ッ……これ以上は、無理ですね……」
自身へと群がる腐犬や蝙蝠をディバインランスで払いつつ、熾弦も撤退。その背中を、包帯男が追う。
主導権は、サバクに移っていた。
「テメエから喧嘩売ってきた癖に、尻尾巻いて逃げる気かァ? 舐めてんじゃねェぞ――」
サバクが包帯を巻きつけた腕を振り上げようとして、飛んできた扇を反射的に片手で弾いた。
龍が描かれた豪奢なそれは、金髪の女性の手元へと舞い戻っていった。
大扇子の先をサバクに向けて、Relic(
jb2526)が挑発するように言う。
「ボクが相手になるよ、ヴァニタス」
「……ハッ。ヒャハハハハ!」
レリックを振り向き、サバクは嗤った。
「そんなに死にたいなら殺してやるよ。俺は雑魚にも容赦しねェぞ、扇女ァ!」
はぐれ天魔のレリックがサバクと間合いを詰めていく。見るからに遠距離攻撃型のレリックの接近を訝しみつつも、サバクもレリックの懐へと飛び込んだ。
ヴァニタスの全身に巻かれた包帯状の武器が解き放たれ、無数の刃となってレリックに殺到していく。
女騎士は、咄嗟に防壁陣を展開。盾にアウルを強く込めることで高度な防御を試みたが、いかんせんカオスレート差が厳し過ぎる。聖域を侵す魔刃は、魔装防御を突き抜けて天使の白い肌を深く斬り裂いた。
血塗れのレリックが攻撃の衝撃波で吹き飛びそうになって、それでも気力を振り絞ってぎりぎりで耐えた。
「……ぜ、全然痛くないよ。キミの実力は、この程度?」
既に慢心創痍だが、レリックは余裕の笑みを浮かべて言葉を弄する。
「天使一人も倒せないで、お山の大将が務まるのかな?」
「……相手見てから物言えよ堕天使。弱い攻撃一発でグロッキーになってるテメエが、何を粋がってやがンだ」
挑発に苛立つように、サバクの全身から赤黒い負のアウルが噴き上がる。
次に奴の強力なスキル攻撃でも受けようものなら、レリックは最悪死んでいた。
彼女は防御に長けたディバインナイトで、盾役としての高い能力が備わっているが、相手が冥魔ではその力を十全に発揮することはできないのだ。
相性は最悪。
無論、その程度の初歩的な事はレリックも理解している。理解した上で、サバクと対峙することを選んだ。
本当は怖い。撃退士としての経験が浅い今の自分が勝てる相手でないことくらい、直感で分かる。挑発的な態度とは裏腹に、内心では恐怖に押し潰されそうになっていた。
(……でも、時間稼ぎは、これで充分……!)
最初から、倒すつもりなどない。レリックは、何の考えもなしにヴァニタスに挑んだ訳ではなかった。
「――お疲れ様。後はボク達の仕事さぁ」
●
熾弦たち八人は、いわば囮。奇襲を装って攻撃を仕掛け、敵を引き付けるのが彼女たちの役割だった。
崩れたように見せかけたのも――実際にかなり危ない所だったが――仲間達のもとへと誘導するための、演技に過ぎない。
【囮班】が引き寄せた魔軍に、待機していた【花火班】総勢十三名が、一斉に照準を合わせる。
奇襲からの誘導、そして広範囲攻撃術による波状攻撃へと、作戦が展開していく。射程の長短や無差別範囲攻撃者の位置取りなどで噛み合わない部分もあったが、火力自体は申し分ないメンバーが揃っていた。
雨宮 歩(
ja3810)が肩に手を当てる。静かなる罪華が心に芽吹き、血の百剣となって具現化した。
罪深き血(ペインブラッド)が、冥魔の群れに向かって一斉に襲いかかる。
「嗤え」
月に憑かれた道化の様に。或るいは、過去に囚われた自分の様に。
歩の放った無数の刃にディアボロ達が斬り刻まれ、破片と化した血肉が宙を踊る。
「さあ……開幕だ」
ここからが本当の戦い。サガ=リーヴァレスト(
jb0805)が、宣告と共にオンスロートを発動した。
サガの召喚した無数の影刃が舞い、動く死者達を細切れにしていく。
すぐに生き残ったディアボロ達が突撃してきたが、ナイトウォーカーの蛇蝎神 黒龍(
jb3200)、鑑夜 翠月(
jb0681)、宗方 露姫(
jb3641)の三人が、ファイアワークスの術式を紡ぐ。
「よし。皆おるしがんばろか」
「ディアボロを集めて何をする気なのかは分かりませんけど、ここで阻止します」
「ああ。絶対に止めてやる。意地でもな!」
三人が意気を込め、範囲攻撃魔法を発動。撃ち出された彩炎が爆裂し、鮮やかな大輪を咲かせる。夜空に弾ける花火の如く、闇の中で火炎が拡散し、襲い掛かってきた腐敗犬の群れを撃滅した。
視覚と聴覚を刺激する猛火の炸裂が続く中、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が大技の準備に取り掛かる。
魔力を集中させるグラリスの前方に紅玉、蒼玉、翠玉と様々な宝石が、輪を描くようにして出現していく。
配置された五つの宝玉の中央から、光が溢れる。
「――五大元素の宝石よ、その力を以て全ての敵を滅せよ」
ファイブストーン・ファイナルバスター。
絶大な威力を誇る虹色の魔法光線が真っ直ぐと放射され、数匹のグールやスケルトンを一掃し、サバクの元まで到達した。
アウルを纏うことで硬質な鎧と化している全身の包帯を突き抜け、虹の魔砲はヴァニタスへと直撃。受け切れずにサバクが衝撃で吹き飛び、地面を転がる。
グラリスの必殺の一撃は、並のヴァニタスの二倍はあるサバクの生命力を、一割以上も削ることに成功した。
すぐさまサバクが起き上がった。
「ヒャハハハハハ! 良い攻撃じゃねェか! だが、俺様を殺すには温過ぎるぜ!」
範囲魔法攻撃の嵐を掻い潜り、デュラハンと鬼武者を伴ってサバクが駆ける。標的は無論、大技の反動で力を使い果たし、片膝をついて動けなくなったグラリスだ。
今の無防備な状態で重たい攻撃を連続で喰らえば、再起不能や死亡もあり得る。よくて重体、といった所だ。
迫り来る脅威に、仲間たちがフォローに入る。
「この前のお返しや。たっぷり悔しそうな顔、見せてもらおやないの!」
亀山 淳紅(
ja2261)の放った紅色の音符が踊り、サバクの足元に着弾。一瞬だけ進路を阻まれたサバクの足が止まる。
「ちっ……殺れェ、テメエら!」
デュラハンと鬼武者がそのままグラリスに突進していく。
が、剣士達の手前に、黒い光の衝撃波が殺到。
「殺リ過ぎたケジメはきっちり取らせてもらうから。あんたの企み事――ぶっ壊す!!」
稲葉 奈津(
jb5860)が封砲を撃ち込み、グラリスを庇うように前に出る。
「戦えない人達を護るのが私の仕事……負けるわけには行かない!!」
焔刃の大剣エクスプロードを構えて立ち塞がる奈津に、首無し騎士が大剣を振り抜く。
本来ならば死すら与えかねない三連撃。だが、敵は暗闇で命中精度が落ちている。
奈津は踊るように回避運動を取り、一刃目、二刃目を紙一重でよけた。最後の剣撃は避けきれずに脇腹を掠めたが、気力で持ち堪える。
体を張って奈津が壁となっている隙に、サガがグラリスを抱えて後退。安全圏へと退避する。
「……皆様方…に…癒し…を……」
サガの恋人である希沙良も、即座に重傷を負った奈津にヒールを施す。
希沙良がアウルの光を送り込み、奈津の傷口を塞いでいく。
「ありがと、華成さん」
助けに入って、助けられることになるなんてなぁ、と奈津が苦笑を浮かべる。同時に、頼りになる仲間達がいて心強いとも感じた。
「ふふっ、余計なお世話だったかな? 後一息っ頑張ろう♪」
鬼武者は、グラリスを追って花火班の陣形深くにまで這入り込んでいた。
悪鬼の剣豪が暴れ回るより早く、織宮 歌乃(
jb5789)が対処に乗り出す。
敵は知能がある上に、三連続攻撃をも行える。ヴァニタスには劣るとしても、その存在は脅威と言えた。
「殺戮の宴に笑う不死の軍勢……成程、捨ておけませんね」
これは死の天魔、此処で逃せばいずれ人の命を奪う。下級ディアボロは勿論、上級ディアボロやヴァニタスは、撃退士にとっても野放しにしておくにはあまりに危険過ぎる存在だと、歌乃は思う。
故に、ここで一匹残らず殲滅する。
歌乃が具現化した退魔の太刀を抜く。緋願の銘を体現するように、その刀身は色鮮やかな真紅に染まっていった。
「――天魔祓剣の願いを以て、参ります」
死者の剣如きに人を殺めさせはしない、と決意を込めて歌乃が紅刃を一閃。
椿の花びらを思わせる無数の気刃が、真紅の奔流となって鬼武者に襲い掛かる。
流麗な嵐に呑まれたディアボロは、血色の石像に変貌していた。
緋獅子・椿姫風。魔法に弱いこの個体にとっては、実に恐るべき鬼呪だった。
歌乃の前に出た氷月 はくあ(
ja0811)が、鬼武者にPDWを突きつける。
「目標、One Shot,One Kill……よし、行きますっ!」
放たれたのは、味方をも巻き込み兼ねないほどの強力な貫通性を持った、槍の如き一撃。
研ぎ澄まされたピアスジャベリンは鬼武者の胴を貫き、大穴を開けた。歩や黒龍らの範囲攻撃で負傷していたこともあり、鬼武者がそのまま地面に崩れ落ちる。
もう一体の人型ディアボロ、首無し騎士デュラハンには、歩が迅速に対応に当たっていた。
三連続攻撃が可能なデュラハンの間合いに不用意に踏み込むことは自殺行為に等しいが、歩は回避力に優れた隠密職。加えて暗闇によってこちらに利がある状況。
賭けに出るに値する、充分な勝算があった。
それでもデュラハンは力押しで攻め立てる。軟弱な人間と違い、策を弄する必要などないのだと言わんばかりに。
デュラハンが真鍮色の大剣を乱舞させるが、歩は後ろに飛び退くことで三連撃をかわした。否――
見事に避け切ったように見えたが、凄まじい剣圧は歩の頬を斬り裂いていた。溢れた一筋の血が顎まで伝い、地面に零れ落ちる。
掠めただけで、この威力。やはり下位種とは比べ物にならない、恐るべき敵だ。直撃を許せば、最低でも気絶は免れないだろう。
「……それでも」
恐怖を抱いた上で、歩は立ち向かう。
敵の脅威を侮ることなく、死の恐怖を忘れることなく。
この手で倒すと決めた敵がいて、生きて帰ると約束した人がいる。
だから、
「諦めるわけにはいかないんでねぇ、ボクはぁ」
いつものように皮肉気な道化の笑みを浮かべたまま、歩が探偵式拘束術(リストレイン)を発動。
影から伸びた血色の鎖が這いうねり、デュラハンの体を締め上げていく。
ダメージこそほとんど与えられないものの、動きを封じることに成功すれば充分だった。
「油断大敵ってねぇ。止めは任せるよぉ」
歩の声は、頭上の天使に向けられていた。
光の翼で飛翔し、デュラハンを射程に収めていたのは、堕天使エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)。
術式魔装『ヴァルキリー』を展開した今の彼女の魔法攻撃力は、上級使徒や天使と同格か、あるいはそれ以上だ。カオスレート差が上乗せされれば、さらに恐ろしい火力を弾き出す事になる。
無慈悲な破壊天使と化したエリーゼは、 裁きの光『ジャッジメント』を続けて発動した。近接主体で、しかも動きを封じられているデュラハンは、逃げることすら出来ない。
放たれた超高密度の魔法エネルギー砲弾が、デュラハンごと周囲のスケルトンやグールを灼き尽くす。
下位種は当然の如く塵となって燃え死んだが、直撃したはずのデュラハンは辛うじて耐えていた。何とかして追撃から逃れようと、首無し騎士が足掻くが、
「ちゃんと止めは刺させて貰いますね」
闇夜を渡る黒猫のように、翠月がいつの間にかデュラハンの後ろに立っていた。
彼もまた、凶悪な破壊力を誇る。
暗緑色の焔を纏った翠月が、軽く手首を振った。その動作に同期するようにして出現した闇色の逆十字架が、デュラハンに落下。今度こそ完全に叩き潰した。
残る敵主力はレッドグリズリー、ヘルハウンド、オーガ、オークの上級ディアボロ四体。
そして、不死を騙るヴァニタス・サバク。
「熾弦さん……頑張って下さいね」
友の勝利を願うように小さく呟き、翠月は他の上位種を倒すべく、暗闇の中を駆けていった。
矢野親娘を始めとして、数人の撃退士は下級ディアボロを中心に戦闘を行っていた。
範囲攻撃の連続によって、雑魚はある程度片付いている。手数の多さ故に多少の傷は負ったが、希沙良と私市 琥珀(
jb5268)が回復手を務めている為、それほど消耗は激しくない。
琥珀が美貌侯の弓を引き、正面のデーモンバットを撃ち落す。薄い翼を撃ち抜かれて墜ちる蝙蝠に、背後に回った椿が雷剣を一閃。サンダーブレードに斬り裂かれ、ディアボロは死亡した。
攻撃を当てるために前に出た椿に、立て続けに二匹のグールドッグが迫る。
左右から襲い掛かる屍犬の動きを椿は予測したが、完璧に避け切れず牙の餌食となってしまった。
すぐさま琥珀が椿にライトヒールを施し、その傷を癒していく。
「絶対にこれ以上酷い事はさせないよ……!」
「とにかく敵の数を減らすぞ……!」
そう言って、サガが氷の夜想曲を奏でる。巻き起った冷気に凍えるように、グールドッグ達は深い眠りに堕ちていった。
「次が来るばい!」
椿の言葉通り、獣並の知能しか持たない残るディアボロ達はひたすらに突撃を繰り返すのみだった。
剣を構えて突き進むスケルトンに、ソーニャ(
jb2649) が猛射するショットガンの弾丸が降り注ぐ。
「雑魚でも数がいるのはボクにとってやりにくいからね」
ソーニャと希沙良が銃撃し、弱った所に黒龍のワイヤーが命中。輪切りとなった骨の兵士が脆くも倒れ去る。
残るはグールが二体。それも、龍太が紡いだ奇門遁甲によって幻惑の効果が付加されていた。
はくあと淳紅がそれぞれ強力な一撃を浴びせ、勝負は一瞬で着いた。
後は上位種四体、そしてサバクを倒すのみ。
闇の中で、黒龍がヴァニタスと斬り結ぶ仲間達の方向に視線を向ける。
「後は頼んだで、皆」
●
最前線で暴れるヴァニタスを抑えるべく、撃退士達はサバクを取り囲んでいた。
諸伏翡翠(
ja5463)が、名乗りを上げると共に問いかける。
「私は諸伏翡翠。貴方は一体、何を企んでいるのです?」
「ハッ! 素直に答える馬鹿が何処にいるかよォ!」
サバクが翡翠に襲い掛かる。解き放たれた無数の帯刃が、鞭のように撓り――
鈍い斬音が跳ねる。
ヴァニタスが伸ばした帯状の刃は、割り込んできた盾の表面で全て阻まれていた。
熟練の阿修羅と同程度の威力を誇るサバクの一撃を受け切ったのは、女悪魔ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)。
ハルルカの深藍色の瞳に、挑発的な笑みが浮かぶ。
「おや、君の力はこんなものかい? 存外、大したことがないんだね。次は此方から往かせて貰うよ」
手際良く盾を消し、ハルルカが大剣ツヴァイハンダーを召喚。長大な刃を閃かせ、サバクの下腹に一撃を叩き込んだ。
だが。
「ヒャハハハ! 全ッ然効かねェなァ!」
ハルルカの刃は、サバクが纏う包帯によって完全に防御された。ヴァニタスの肉体には、微かな衝撃が響くのみだった。
「ふふ、そうこなくてはね」
大剣を引き、元悪魔の女剣士が構え直す。耐久力だけで言えばサバクは騎士級や旅団長級――否、吸血能力まで考慮すると最悪、少将級にも匹敵すると見るべきか。
(今の私の三倍はある、と見ていいかな……ああ、もう。しぶとさだけが取り柄なんだけれどね)
ハルルカも又、撃退士としては超級の耐久力を誇るが、サバクはその比ではない。
独りでは絶対に倒すことは出来ないと、彼女は確信している。だが、仲間が決定打を与える時間稼ぎくらいならば、あるいは。
大剣の切っ先をヴァニタスに突きつけ、ハルルカが誘うように告げた。
「どちらが最後まで立っていられるか、勝負と往こうじゃないか。私が勝ったら、不死王の名は頂くよ」
「ほォ……面白ェ!」
蟲惑的な美女を見るように、サバクが笑む。安い挑発だと理解しているが、闘争と殺戮に狂う彼にとっては心惹かれるものがあった。
サバクが全身の包帯を解き、切っ先にアウルを集中。赤黒い光を宿した無数の包帯を、全てハルルカへと飛ばした。
全霊の力を乗せた一撃。
ハルルカは当然ながらシールドを展開したが、盾を貫いて強烈な衝撃が殺到。魔法攻撃として放たれたサバクの攻撃は、ハルルカに受ける事は出来なかった。
けれど。
「ふふ、この程度が全力かい?」
ヴァニタスの攻撃が直撃しても尚――ハルルカは平然としていた。
「まさか魔法もこなせるとはね。まったく、羨ましい限りだよ」
飄々と言い放ち、ハルルカが赤暁を発動。燃え上がるような赤い光を浴び、その負傷が大きく癒えていく。
「ヒャハハハハ! 良いぜ、それでこそ殺し甲斐がある! 嬲り殺し決定だ、悪魔女ァ!」
次々と繰り出されるサバクのラッシュを、不落の剣姫は正面から受け止める。盾による防御と自己回復によって、不死追王の猛攻を耐え続ける。
「貰ったぁっ!」
ハルルカと拮抗するサバクの真横から、龍実が突撃。真正面のハルルカに意識が集中しているのを好機と捉え、双剣を突き出した。
サバクが咄嗟に剥き出しの片腕を掲げ、二本の剣を受け止める。ダメージは浅く、決定打には届かない。
龍実を見て、サバクが声を上げる。
「ハッ! テメエも来てやがったのか!」
「自分だけでは……ないッ!」
双剣を弾き、龍実が後ろに飛び退く。
「それじゃ、前回のお礼参りと行きますか……」
龍実と入れ替わるようにして踏み込んだのは、蒼桐 遼布(
jb2501)。己に眠る龍族の血に強引に覚醒させた遼布の右腕は、龍鱗を纏った魔龍のそれに変貌していた。
敗北した前回とは、一味違う。
その事を直感的に感じたのか、サバクが遼布の方を振り向いて迎撃の姿勢を取る。敢えて攻撃を受け止め、返しのターンで即座に遼布を潰すつもりだ。
けれどそれは、耐久性に優れているが故の失策。ここは、回避を優先すべき局面だった。
ヴァニタスは気付く事が出来なかった。闇に潜み、背後から好機を窺っていた雨下 鄭理(
ja4779)の存在に。
脚にアウルを溜めた鄭理が跳躍し、中空で回転。ヴァニタスの無防備な背に、渾身の蹴撃を叩き込んだ。
「かはっ……!」
声を漏らし、サバクがよろめく。振り向く事も、反撃する事も出来ない。
闘術・墜。この体術は、命中させた相手を行動不能に陥らせるのみならず、一時的に防御を低下させる。つまり。
「削剣active。Re−generete。借りは返させて貰うぜ、ヴァニタス」
遼布が複合刃の大剣を抜き放つ。動けない状態ならば、ヴァニタスといえど弱所を突く事も容易い。
龍の如き咆哮を上げて、遼布がアジ・ダハーカを一閃。包帯の堅牢な鎧を喰い破る勢いで放たれた徹しの剣打が、不死王の肉体を貫く。
今の一撃だけで、二割もの生命力が削り取られていた。
「糞ったれが……調子に乗ってんじゃねェぞぉおおおおおッ!!」
唇から血を零しながら、サバクが周囲に無数の紅刃を展開。血啜りの剣を乱舞させ、ハルルカと遼布の体を斬り裂くことで失った生命力を奪い取るが、
大技を発動した直後の隙を、蒼き龍の少女は見逃さなかった。
冥府の風を纏った露姫が、サバクの後ろへと回り込む。
「テメエが何を企んでるか知らねえが――俺達がここでブッ潰す! もう二度と、人の命を玩具にするような真似はさせねえぞ、この野郎!」
白夜の長数珠を手繰り、露姫が白銀の刃を精製。露姫の魔力はヘルゴートで増幅され、最大限の出力まで高められていた。
銀閃が煌き、サバクの背に炸裂する。ヴァニタスは防御出来ず、衝撃に従って吹き飛んでいく。
無様に地べたを転がる不死王に、翡翠が放った銃弾が命中。
雑魚の殲滅を終えた矢野親娘も遠距離から銃撃を叩き込み、最低限のダメージを与える。
駄目押しと言わんばかりに、増援に来たエリーゼが破滅の雷槍を投擲。天使の槍撃に同調し、ソーニャも援護射撃を浴びせていく。
ハルルカが時間を稼いでいる間に、ディアボロ対応に回っていたメンバーが加勢に転じたのだ。
立ち上がったヴァニタスが遠距離射撃組を睨み付ける。けれど、標的となる前にソーニャが発煙手榴弾を使用。
(やばい時。普通はすたこら逃げる)
白煙に乗じ、ソーニャが後ろに飛ぶ。
目晦ましの効果は薄いが、遠くにいる上に煙幕を張った相手を一々追う気力は、今のサバクに残されていなかった。
範囲吸血攻撃は後二回残っている。が、この手数を捌き切れるかは怪しい。それに、撃退士側には彼女がいる。
熾弦が癒しの風を発動。清浄なるアウルの風を巻き起こし、ハルルカと遼布の負傷を治していく。
ヒール、癒しの風、神の兵士と万全の態勢を整えている天浄の癒し手が健在な限り、『血啜りの紅刃』二発だけでは逆転は難しい。加えてハルルカの読み通り、生命力が少ない状態では最大攻撃技である『魂削りの黒刃』もてんで効果を為さないのだ。
……だが、撃退士側にも後一手、決定打と呼べるものが足りなかった。サバクを追い詰めたものの、最初から倒すつもりだった者が少なかった事もあり、致命傷と呼べるほどの手傷は与えていない。サバクには、今なら逃げるだけの余力が辛うじてあった。
鄭理が繰り出した侵蝕の貫手を受けながらも、サバクが地面を蹴って大きく跳躍。撃退士達と距離を取る。
レッドグリズリー、ヘルハウンド、オーガ、オークは健在。しかし撃退士も、数で押せるだけの余裕があった。
「……仕方ねェ。今回は負けを認めてやる。だがな、一つ忠告してやるぜガキども。俺如きに手こずっているようじゃ、この先現れるだろう奴らには絶対に勝てねェぞ」
「奴ら……?」
サバクの言葉に、翡翠が反応する。それに答えることなく、サバクは生き残ったディアボロ達に告げた。
「テメエらは予定通り目的地へ迎え。俺はまた潜って、先にこのガキ共をブチ殺す。その方が面白そうだしなァ」
「逃がすかよ!」
「おっとォ!」
露姫が白刃を射出。けれどサバクは、片手でそれを弾いて後退していく。
普通の攻撃では、やはり決定打には届かない。
「テメエらのツラは憶えたぜ。次は本気で相手してやるから愉しみにしてなァ!」
そう吐き捨て、包帯男は何処かへと逃げ去っていった。倒しきれなかった上級ディアボロ達も同様だ。
「畜生……! 今回が絶好の機会だったってのに……!」
悔しげに、露姫が呻く。ヴァニタス相手に大規模部隊で夜襲を仕掛けられるチャンスなど、滅多に巡ってこないだろう。
サバクの行方は見失ったが、ディアボロ達は北に向かっていったらしい事がその後の調査で明らかになった。
冥魔との戦いは、終わらない。
東北に、再び不穏な風が吹き始めていた。